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2016-02-19 13:26:56

mahaloな相談<3月のチラシ>

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3月くうきのチラシ「mahaloな相談」の<お答え>全文をアップしました!
チラシの続きが気になる方は、こちらからどうぞ!

<青年センターが無くなってしまうというお悩み>
10年近く通っていた青年センターが無くなってしまいます。お芝居やダンスを観たり、歌を聴いたり、いろんな人とおしゃべりしたりすることのできた場所がなくなってしまいます。いつもひとりぼっちで苦悩していたわたしが癒やされる場所や時間がなくなるのではないかと不安です。どうしたいいでしょうか。
50代 男性


<お答え>
くうきのチラシ「mahaloな相談」も今回でおしまいです。今回はわたし自身の悩みです。自分なりに考えて答えを出してみました。

青年センターはなんだか、高度経済成長期に市街地に取り残された空き地のような空間でした。少なくともわたしが知っている10年ほどはそんな場所だったような気がします。わたしはこれを勝手に「青年センター空き地理論」と呼んでいます。空き地というのは、使いみちがまだ確定されないまま放置されている土地の呼び名であります。そこに近所の子どもたちが集まってきて鬼ごっこやかくれんぼや戦争ごっこをしたりします。雪が降れば雪合戦や雪だるま作りや場合によってはかまくらだって作れちゃうかもしれません。子どもの成長に重要な影響を与える遊び場です。

本当は土地には所有者という人がいます。その土地の持ち主です。本来ならば土地の持ち主がその土地の使い道を決めます。しかし、時としてどんな使い道がいいのか決めづらい場合もあって一定期間、使い道を決めずに放置されていることが、昔はままありました。そんなところを子どもたちはちゃっかり見つけて遊び場にしたのです。青年センターは、もちろん福岡市所有の建物でその使い道も条例によって定められていました。ですから、むかし子どもたちが集まってきて遊んだ空き地とは法律的には異なるものでしょう。ですが、なんとなくその雰囲気が、わたしには空き地のように感じられたのでした。何もかもがギチギチに取り決められ、一分の隙もないようなストレスフルな昨今の超超管理社会において、空き地のような雰囲気が醸し出される空間が、青年センターに創出されていたのは奇跡だと思います。

しかしながら、奇跡はそうそう長続きはいたしません。10年以上も続いていたのですから十分長いのですが、そろそろ終わりかなと薄々感じていたらやっぱり終わってしまいました。本来の使われ方が決まったようです。風の噂では商業施設の一部になるとかならないとか…資本主義経済体制では商売が第一ですから、きっとまっとうな使われ方でしょう。それはさておき、残されたわたしはどうしようかというのが、今回のお話です。

今まで青年センターで劇を観たり、ライブに参加したり、おしゃべりをして心を癒やしていたわたしは、その場を失うことになります。考えられる一つの解決策は、同じような活動を他の場所に求めることです。これまでに知ることのできた劇団の方々の公演を他の劇場に観に行ったり、気になるミュージシャンの活動をネットで検索してライブを聴きに行ったりするのです。おしゃべりもおしゃべりしたい人と喫茶店やカフェや居酒屋なんかでお茶したり、ご飯食べながらおしゃべりするのです。ちょっとお金はかかりますが、今までが奇跡だったので仕方ありません。悲しいことに現実的な資本主義経済体制ではお金がなければ何も得ることができないのでしょう。

そして、もう一つの解決策は、自分の中に空き地をつくるという方法です。今書きながら思いつきました。自分を空き地にするのです。自分自身の使いみちを決めつけずに自由に自分を使うのです。わたしは自分でも知らないうちに、あ~しなきゃ!こ~しなきゃ!と自分で自分を縛りつけてしまうことが良くあります。もちろん、仕事なんかはしなきゃいけないことで成り立っていますから、決まった通りにしなきゃいけないでしょう。だから、ちょっとくらいは無理をしてでもやります。でも、やり過ぎには十分気をつけようと思うのです。脳は身体の痛みを無視する傾向があるからです。ちょっとでもきつく感じたら休もうと思います。嘘でも何でもついて休みます。そうしなければ、自分を空き地にできません。自分をギチギチに使いまくっていたら、自由に遊ぶための余裕がなくなるじゃありませんか。

もう、50を過ぎてるし、そう先は長くない。しかも、たいして社会に貢献できる見込みもないので、後はやりたいようにやるつもりです。それに、今年の目標は「わたしは幸せになる。」です。わたしは、周りの人が幸せじゃないと幸せになれません。困ったり、つらそうにしている人が身近にいると心が痛みます。とてもじゃないけど幸せなどとは思えません。ですから、これまで、わたしが我慢して周りの人が幸せになるのであればと考えたりもしてきましたが、どうも、うまくは行きませんでした。無理に我慢をしてもすぐにパンクして周りに八つ当たりをするのがオチだったのです。その結果、周りの人を却って深く傷つけてしまうのでした...というようなことに最近気づき、周りを幸せにするには、まず、「わたしが幸せになる。」のが先だと決めたのです。わたしがそう決めたのです。なので、自分の幸せを追求したいと思います。

でも、こんなふうに書くと、なんて自分勝手な奴なんだろうと眉をひそめられるかもしれないので、ちょっと言い訳をしておきます。わたしが幸せを追求すると言っても、そこには、他の人にも彼らが追求したい幸せがあることを理解して、それを最大限に尊重するということを含んでいます。例えば、わたしが恋人(まぁ、そんな相手はもちろんいませんが...)と休日、かき小屋に牡蠣を食べに行きたかったとします。ところが、彼女は出かけるのが嫌で家でビデオを観ていたいと言ったとします。わたしの幸せ追求の一番は恋人とかき小屋へですが、彼女の幸せ追求のナンバー1は家でまったりビデオ鑑賞です。このままだとわたしの幸せは実現できません。力づくで無理やり彼女を拉致してかき小屋に連れていくこともできるでしょうが、そんなことをしても彼女に嫌われるだけで下手をしたら警察に訴えられて逮捕されます。嫌がる人に自分の思い通りのことさせることができるのが権力というものです。わたしは権力を嫌悪しています。

ですから、もちろんそんなことは致しません。しょうがないからひとりでかき小屋に行くという選択肢もあります。しかし、それでは大好きな彼女と美味しい牡蠣を一緒に食べるという幸せの重要な要素が抜け落ちてしまいます。短気は損気です。少し冷静になってみます。そこで、彼女に「牡蠣は好き?」と尋ねてみます。どうも、好きなようです。できれば、今の時期に美味しく食べたいと思っていることも聞き出せました。そうなれば、また別の方法も考えることができます。彼女が家でまったりビデオを鑑賞している間にわたしがかき小屋に出かけて行って牡蠣を買ってくるのです。それを家でホットプレートを使って焼いて、二人で一緒に美味しく戴くのです。これでめでたしめでたし。もちろん、使ったホットプレートの後片付けはわたしがやります。

要は「俺を幸せにしろ!」ではなくて「わたしは幸せになりたいから、そのためにどうすればよいかを考えて、そうやる。」ということです。問題の解決です。周りの人の幸せとのすり合わせが難しいのですが、ともかく、周りの人の幸せを探り、調整を図らなければ、わたしの幸せも実現できません。どうせ、この世はろくなもんじゃない!とわたしの幸せを投げ捨てて布団をかぶって引きこもるのも一つの手ではありますが、もう、50だしそう先は長くないので(昨晩も寝入るまで頭頂部に変な痛みを感じていました。脳梗塞かもしれません。)やれることは、やってみようと思うのです。そして、やれることは、やってみようと思えるためには、どうしたってわたしには余裕が必要なのです。余裕がなければそんなめんどくさいことは、わたしには絶対にできないからです。

思えば10年前に青年センターを訪ね当てた時には、定職も収入もなく、不安でいっぱいでした。この10年なんとかかんとか生きてきました。これも全ては周りの方々のお陰です。わたしひとりではなにもできはしませんでした。でも、まぁ考えてみれば当たり前のことです。人はひとりでは生きていけません。誰かと寄り添い、苦楽を共にし慰めあったり、励まし合ったりしなければ、とても生きてはいけないのが厳しい現実です。ただ、人と人との関係の持ち方はこの数十年ですっかり変わってしまいました。きっと、昔のやり方は通用しないのです。今、見つけなくてはならないのです。わたしは青年センターでいろんなことを学んだのだと思います。ちょうど子どもたちが空き地で遊んで人とのつきあい方を学んだように...

その空き地がなくなるのです。神様は、たぶん、わたしに「もう、大人になれよ。」とおっしゃっているのでしょう。そうですね。大人になります。

さようなら。
青年センター
ありがとう。

Mahalo





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2016-01-22 12:09:30

mahaloな相談<2月のチラシ>

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2月くうきのチラシ「mahaloな相談」の<お答え>全文をアップしました!
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<交際相手の知人に愚痴を聞かれてしまったというお悩み>
行きつけのお店の店長さんから好意を寄せられて、私も相手の方に好意を寄せ始めた時です。3度目のデートに行く約束が果たせないまま2ヶ月くらい時間がたっていました。忙しさが理由ではありました、新しいお店を新たにオープンする時だったので仕方がないとおもっていました。ある日カフェ女子会をして寂しさを愚痴って会計をすませようとしたら、店員さんから声をかけられました。私が好意をよせている店長さんが以前紹介してくれた方でした。しまった!とおもいました。小さなカフェでかなり大きな声で話していたので、確実に聞こえています。落ち込みながら帰りました、どうしたらいいでしょうか?もう、うまく行くものもいかなるなるのでは?と落ち込んでいます。
女性 20代


<お答え>
すいません。はじめに謝っておきます。わたしは恋愛経験が少ないため、おそらく的はずれな回答になってしまうと思うからです。そもそも、寂しいという愚痴を交際相手の友人に聞かれて、それが交際相手に伝聞情報として伝わってお二人の関係がうまく行かなくなるという状況が上手く想像できないのです。しかし、それではあまりに不親切なのでわたしのなけなしの想像力を振り絞って想像してみました。お二人の関係がうまく行かなくなるためにはいくつかの設定が必要だと思いました。まずひとつは、交際相手の店長さんが愚痴をいう女性が嫌いであるということ。もうひとつは、あなたが店長さんは愚痴を言う女性を嫌っていると考えていることです。

店長さんが愚痴を言う女性を嫌いな場合、間違いなくあなたは嫌われることでしょう。残念ながらお二人の交際は上手く行かなくなることでしょう。ただし、注意していただきたいのは論理的に考えた場合そうなるということで、ご承知の通り人はそれほど論理的ではありません。その時々の様々な欲望に支配されて論理的ではない行動をすることはままあります。ですから実際にはお付き合いの過程でいろいろと修復可能な場面が生じてくることと思います。場合によってはそれまで愚痴を言う女性が嫌いだった店長さんがあなたのいう愚痴だけは可愛くて仕方がないと彼の恋心が燃え上がるというように彼の考えが変わってしまうことだってあり得ないことではないと思います。

次に、あなたが店長さんは愚痴を言う女性を嫌っていると考えている点について考えてみましょう。本当にそうなのでしょうか?店長さんは愚痴を言う女性が本当に嫌いなのでしょうか?何を根拠にあなたは店長さんが愚痴を言う女性を嫌いだと判断なさったのでしょう。もしかしたら、あなた自身が「愚痴を言う女」をお嫌いなんじゃないですか?わたしがこんな不躾なことを言うのも存外、人は自分の考えを基準にして他者の考えを推測するものだからです。店長さんの考えは推測するより他に知ることが出来ません。推測するための材料はまぁいろいろあるでしょう。例えばあなたが愚痴を言った時に嫌な顔をしたというような出来事があったりしたのであれば、店長さんが「愚痴を言う女」を嫌うという事態はかなりの可能性で存在しそうです。

しかし、もしそんな出来事があったとしたら、あなたが店長さんとさらに関係を深めていこうとされている理由がわたしには理解しかねます。交際相手の愚痴をよろこんで聞かない男などろくな男じゃないとわたしが思っているからです。そうです。この「ろくな男じゃない」という考えはわたしの思いです。交際相手にふさわしい男性を判定するための客観的な基準でもなんでもありません。しかしながら、世に言う「こんな男性とつきあうと幸せになる」なんて基準はそもそも客観的なのでしょうか?幸せのかたちなんかは人それぞれであって、それぞれの幸せのために必要な男性の条件などは様々に異なることでしょう。ですから、結局まわりがどう言おうとつきあいたいものはつきあいたいし、つきあっちゃうものじゃないでしょうか。つまり、あなたも最終的には自分の思いに基づいて判断して答えを出されるのじゃないでしょうか。

ともかく、一つはっきりしているのは、あなたが「愚痴を言う女」を嫌いであるということです。少なくとも「愚痴を言う女」を嫌いになる男を好きであるということです。わたしなんかには「愚痴を言う女」を嫌いになる男を好きになるということがまず信じられませんが、現にあなたはそうであるようですから、現実を認めて「愚痴を言う女」を嫌いになる男というものが、どんなものかを想像してみることにします。その前に「愚痴を言う女」とはどういうものかを考えてみます。「愚」痴というくらいですから、愚痴を言う人は愚かなのでしょう。言ってもしかたのないことを悔やんだり、怒ったりして口にするのですから、まったく前向きではありません。合理的に考えれば仕事が忙しいために会えなくても仕事熱心な大好きな彼のことを思えば邪魔をしないように応援すべきです。ですから、寂しいなどとは言わず、じっと、待っているのが賢いということになるのかもしれません。

しかし、あなたは寂しかったのです。寂しく思っちゃったものはどうしようもありません。いったんそういう感情が心のなかに浮かび上がって来てしまった以上、それを心のなかだけにとどめておくのはとても苦しいことだと思います。そうだからこそ、カフェ女子会でついつい愚痴を言ってしまうのでしょう。第三者のわたしから見てこの心の動きは標準的な心の動きで別に責められるべきものではないように思います。愚痴ってものは言う必要があるからこの世に存在するのです。言っちゃっていいもんだとわたしは信じています。まぁ、愚痴ばかり言って、考え方さえも変えやしないというのはどうかと思いますが、愚痴を言うこと自体は精神衛生上も必要なことだと思います。

なので、わたしは愚痴を聞いてくれる人が好きです。愚痴を聞いてくれたら心が落ち着くからです。出来ればそんな人とおつきあいしたいなぁと思いますが、あなたは違うのでしょうね。安らぎよりも緊張感、刺激を求められるのでしょうか。さきほど、「愚痴を言う女」を嫌いになる男というものが、どんなものかを想像してみることにします。と書きましたが、想像してもあまり益にならないようなのでやめます。興味がある方はご自由に想像してみてください。それよりも、わたしが強調したいのは幸せの形は人それぞれでそのために必要な条件は様々だということと、その様々な条件の中には皆に共通する最低限必要な条件というのがあるような気がするということです。

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。」

というのは帝政ロシア時代の小説の書き出しですが、その頃はみんなが貧しかったので幸せの形が一つのように見えたのでしょう。しかしながら、極端に豊かになった現代日本においては幸せの形は多様化しています。ですが、近頃の日本の貧困化の進行を思うと、もうしばらくしたら、自らの力で生活を維持して家族を守っていくという最低限度の幸せの条件もそう簡単には実現できなくなるかもしれませんから、今のうちにいい夢をみておくのもいいでしょう。

ということで、結論です。
いつもの通り、あなたのやりたいようにやっていただきたいのです。既に申し上げましたように、たとえ一度気まずい関係になったとしても、それを修復する手立ては無数にあります。安心して下さい。ただ、気になるのは「愚痴を言う女」が嫌いなあなたは心の何処かで素では愚痴を言う自分自身のことを嫌っているのかもしれません。もし、そうでないのなら、素直でいることよりも自らに緊張を課して欲望のために他者に気に入られることが苦でない方なのかもしれません。まぁ、どちらのタイプであれ、やりたいようになさって下さい。と申しますか…きっと、やりたいようにしかなさらないことでしょう。
どうぞよろしくお願いいたします。

Mahalo

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お送り先:ku_ki_project@hotmail.com









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2016-01-22 12:07:14

mahaloな相談<1月のチラシ>

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1月くうきのチラシ「mahaloな相談」の<お答え>全文をアップしました!
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<メールの返信に困っているというお悩み>
返しそびれているメールの返信について悩んでいます。
急ぎじゃない内容だし後で返信しようと先延ばしにしていたら、1ヶ月も経ってしまいました。
返信はするつもりなのですが、その書き出しをどうしたものかと悩み、未だ返信ができておりません。
親しい相手なので、よそよそしい感じは出したくないですが、1ヶ月も経っているので、少し改まった感じで始めた方がよいのかなとも悩んでいます。
どうか、ご助言お願いいたします。
30代 女性


<お答え>
年末のこの立てこんだ忘年会続きの晩に、なんとも難しい相談が舞い込んできてしまいました。これは困りました。わたしは手紙というものが大変苦手なのであります。中身にさえ入ってしまえば、ナントカカントカ書き進むことができるのですが、その前の形式といいますか、型といいますか手紙につきものの「拝啓…ナンチャラの候 ナンチャラカンチャラ…」という時候の挨拶に始まり、本文が来て、結語や日付や署名で終わるというあの形式が憶えられないのです。

ですから手紙を書くとなると、そのたびごとに「手紙の書き方」的なビジネス書や最近ではネットの文例集なんかを探し求めたりしなきゃならないわけです。「いやいや、これはメールの話で手紙じゃないだろ?!」とツッコミを入れたくなるお気持ちもわかります。ですが、わたしにとってはメールといえば、平安時代の文が進化したものだと勝手に思い込んでいるのですから仕方ありません。

まぁ、文といえばどうしても恋文です。恋しいあの人に切ない思いを届けんとする手紙です。メールがここまで大衆化したのも恋文機能がEメールにあったからでしょう。一分一秒を争う研究者やビジネスマンはそりゃ世界中に瞬時に届くメールは研究やビジネスに必要不可欠なものです。ですが、それならその人たちの間でだけ使われていたはずです。そうです、そんなことはどうでもいいのです。

ところで、ご相談を読んで最初に思ったのは「あなた、なに嘘つこうと思ってんの?」というものでした。嘘つこうと思ってるから、書き出せないんじゃないかなということです。「急ぎじゃない内容だし後で返信しようと先延ばし」こういういかにも合理性のある理由付けを怪しく思ってしまうのがわたしの悪い癖です。なぜなら、人は矛盾の塊だと確信、いや、盲信?狂信…しているからです。

人間どうしても嘘をつこうとすると一瞬躊躇するものです。いや、もしかすると躊躇するのは男だけで女性は躊躇しないのかもしれません。今思いました。このようにいつもわたしは行き当たりばったりなのです。しかし、気になるのはこのフレーズです。

「親しい相手なので、よそよそしい感じは出したくない」

真に親しい相手であるなら、どう書き出したっていつもどおりの親しさで、よそよそしい感じになどなりようがありません。こういうのを矛盾といいますし、場合によっては語るに落ちるとも言います。ついつい、言うつもりのない本当のことを言っちゃうわけです。少なくともあなたはわたしに嘘をつこうとなさってる。ひねくれ者のわたしは、ついついこういう意地悪な考えを持ってしまうのです。

ですが、誤解していただきたくないのは、わたしはあなたを責める気などさらさらないということです。人は嘘をつきます。おそらく、嘘をつく唯一の生き物でしょう。人間以外には言葉を操れる生き物がいないのですから、多分そうでしょう。だから、あなたはとても人間的なのです。わたしは人間的な方を好みます。マシーンのように何もかもをロジック通りにこなす方々は、どうも苦手です。ですから、どうか誤解なさらずにこの先をお読みください。

さて、そもそも、嘘とは何なんでしょう?「事実に反することを事実のように語る」ことなのではないかと思います。ところが、この事実が実は怪しいものなのです。事実は本当に事実なのでしょうか。それぞれの人間が事実と思ったことが事実なんじゃないでしょうか。人はその場に居合わせなかったことも平気で事実として語ります。昨日、どこそこで線路に誰かが飛び込んだとか、芸能人の誰かが不倫して離婚したとか、あたかも事実のように語ります。

そりゃあマスコミの報道だからいろいろあるだろうとおっしゃるでしょうが、自ら体験したことでも何が事実か怪しいもんだとわたしは常々考えているのです。芥川龍之介の「藪の中」じゃありませんが、世界のあるところで起きた一つの現象が複数の人の見方の違いでその人ごとの解釈を生むのです。それが事実の本当の姿です。事実は人の数だけあります。裁判で争う原告と被告は真っ向から事実を争います。立場によって見え方が正反対だったりするからです。

考えてみれば、現象を感知して解釈するのは各人の脳です。脳は神経系の一器官で神経系は、生き物が外界を感知して生き残るための対策を練るために身の回りにあるものを解釈するために発達したものだそうです。脳は各人異なります。異なる脳はまったく同じように外界を解釈することなど出来ません。おかれた環境も立場もそれぞれの脳で違うからです。置かれている環境や立場が違えば、同じ現象も違った風に解釈されるでしょう。その解釈の結果、それぞれの脳に浮かんでいるのが事実というもの内実です。で、何が言いたいのかといいますと事実と言っても案外いい加減だということです。

ですから、事実とは違うことを語るのが嘘だとして、いくら嘘をついていないと言っても、真実を語ることには決してならないのです。結構いい加減にしかものは言えないのです。つまり、わたしが嘘ついたっていいじゃないかと主張したいのです。しかも、嘘をつくのには必ず理由があります。保身のため、相手を傷つけないため、みんなを幸せにするため、まぁ、いろいろです。共通するのは生き延びるためということだと思います。保身のための嘘は自分一人(あるいは家族、親族、一族郎党とかの身内)、相手を傷つけないための嘘は相手と自分、みんなを幸せにするための嘘は共同体全体の延命につながるのです。

というわけで、結論に参りましょう。あなたが返信先の相手と望む関係を想定して書き出せばいいのだと思います。もっと仲良くなりたければフランクにちょっと馴れ馴れしいかなと思われるぐらいに、ちょっと距離を置こうかなという感じでしたらそのように。その際、時間が経過してしまった理由なんかは書かないほうがいいです。きっと、語るに落ちるで本音がきっちり伝わってしまいます。あなたの真意を読まれたくないのであれば、形式的に、事務的に書くのがいいと思います。

まぁ、要するにわたしとしては、ぜひともこれを機会に「やりたいようにやってもいいんじゃね?」的な行動にチャレンジしていただきたいと思うのです。よろしくお願いします。

Mahalo

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お送り先:ku_ki_project@hotmail.com








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