9月7日の私はブログで、「今ある環境は私にとってベストな、主が与えて下さったものであると受け入れた時、主は愛をもって見つめる」と、書いた。

 

それに対し、わが師バールクリシュナのコメント

「乳癌の彼女から昨夜、次のメールが入りました。
 『なんとなく痛み止めを飲んでしまうと、

  クリシュナから遠くなりそうな気がして…
  鳥の例えがありましたが、いつもバタバタ落ち着かず、

  しかも近くに居るはずのクリシュナを見つける事が出来ないのです。
  まだまだ修行が続きそうですね~(*^o^*)
  白井さんからのパワーを感じながら、頑張ります\(^ー^)/』
今日のブログは、そんな彼女への励ましの内容だな~と、この偶然性に驚嘆しました」

 

なんと、素晴らしく、見習うべきこと。

 

誰もが痛ければ、痛み止めを呑みたいと思うであろうが、

 

彼女は、今ある痛みをクリシュナと受け止めたがっている。

 

まさしく、無名の聖者であり、崇拝帰依者である。

 

常にクリシュナを求めるゴーピーの様な姿。

 

まちがいなく、主の愛でる方である。

 

 

ただ、私ならいい様に考えるだろう。

 

痛み止めさえ、クリシュナの愛によって成り立っていると。