被災地より、子供達の未来の為に。

◆東日本大震災を乗り越える親子の記録「三陸こざかなネット」Blogです。
◆2011.3.11〜約1年間の記録は、記事一覧よりご覧下さい。


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津波が襲って来た時間…

今まで聞いたこともない、ゴーッと響く重低音に気付きました。

何この音?と、耳をすます間もなく、津波の先端と真っ直ぐ逃げ走る人の姿か見えました。津波の先端が去ると、みるみるうちに、庭に駐めてあった二台の車がいとも簡単に浮き上がり、流されていきました。

私は、声を荒立て、地震後に駆けつけてくれた義母と子供達の4人で、自宅二階に避難しました。小部屋に義母と子供達を閉じ込め、絶対に外は見させないようにしました。

私は階段最上段ギリギリに迫る水を見守りつつ、次の避難場所や方法を様々、模索していました。

最悪…という言葉はありません。とにかく義母と子供達で絶対に生き抜くという気持ちが揺らぐ事はありませんでした。

幸い、二階が浸水せずに済み、そこから3日、水が引くのを待ちました。
一階はまるで洗濯機にかけられたような状態でしたが、なんとか冷蔵庫から飲み物を取り出し、それで水分補給。トイレはダンボールで。紙オムツは一日一枚。

3日目、自衛隊の方の声がけと支援で近所の会館に避難。そこも食べる物がなかったけどなんとか2日間過ごしました。

5日目。自衛隊も消防も誰も入ってこない事への不安、空腹も限界となり、自力で会館脱出。瓦礫と泥水を渡り、自衛隊がいる場所まで行き、大きな避難所に移動しました。由基を抱っこ。暦を、おんぶ、義母の手引き…全てをいっきにはできませんでした。とにかく声を張り上げ、周囲に私の意思表示をしつつ、助けを求め、前に進みました。

そこで…旦那に再会!!
旦那も職場店舗が骨組だけとなり、そこから2日かけて、私達を捜しに歩いていたのです。


私達は命と家族を残してもらえました。今は親戚宅に居候していますが、必ず!我が家に戻り再出発したいと想っています。

子供達は少しのお水と少しのお菓子で、文句も言わず、元気に笑顔でこの1週間を過ごしました。

義父は…自宅で逃げ遅れ、水死しました。これはまだ子供達には話せません。でもいつか話します。そして、じっちが大工として最後に建てた我が家で、自分達は命を守られたということをしっかり、伝えたいと思っています。
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