マーガレット・ネイロン著「エンジェル・マジック」の中に「あなたの天使」の名前を知るエンジェル・マジックというエクササイズがあります。
エクササイズとは関係がないのですが、湯船の中に浸かりながら「わたしの天使さんのお名前は?」と尋ねてみたところ、「アズリエル」という名前が頭の中で閃きました。
「アズリエル」を調べてみたところ、どうやら大天使オラクルカードの「アズラエル」の別名であるらしいのです。
「大天使アズリエルよ、オラクルカードを通して我が前に姿を現したまえ」と念じながら大天使オラクルカードを一枚引いてみると、出てきたカードは「大天使アズラエル」・・・不思議というよりも「やっぱり出たか!」という感じでした。[天使は存在する]という確信を深める出来事でした。
マーガレット ネイロン, Margaret Neylon, 中森 じゅあん
エンジェル・マジック―あなたの天使とコンタクトをとる方法
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なんとなく「シティ・オブ・エンジェル」が見たくなってレンタル・ビデオ屋でDVDを借りてきました。
あらすじとしては 舞台はロサンジェルス。天使のセス(ニコラス・ケイジ)は、外科医のマギー(メグ・ライアン)を見初めて恋に落ちる。
しかし、天使のままでは彼女を本当に愛することはできない。 悩むセスは人間になることを決意。
セスは永遠の命に別れを告げ、建築中のビルから身を投げ、ついに人間になった。 というような映画です。
天使が人間に恋をする・・・? 内容としては世俗的な映画なのですが、映画のオープニングを見ていた時になぜか号泣!
高熱で病院に運ばれた少女が死亡、その少女をセスが天国に連れて行くという場面でした。
その時なぜか「死にたくない!」という恐怖感情が公仁を襲いました。 「死にたくない」という感情のまさに嵐です。

そんな時「観音様、天使様助けてください。」と公仁はお祈りをします。 ただそれだけのことなんですけど、みるみるうちに抑え切れなかった感情の嵐がおさまります。 本当に不思議です。 たぶん観音様とか天使は存在するのでしょう。 そんな実感が深まった出来事でした。

ワーナー・ホーム・ビデオ
シティ・オブ・エンジェル 特別版

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最近見た夢

テーマ:
「昨日」
ハートチャクラ(アナハタチャクラ)に手を当て、自己ヒーリング(気づいたら寝てました)をしている時に見た夢

病院の診察台の上に寝かされており、そばには二人ぐらい人がおりました。
全身麻酔をかけられ口に挿入されているチューブからピンク色の液体が体内に注がれました。
(ハートチャクラに関係するのはピンク色だから、ハートチャクラの治療をしてくれたのかな?)

「今朝方」
自分は郊外のどこかで遠くを見つめていたのですが、自分が見つめている先には太くて巨大な「光の柱」がそびえ立っていました。
「きれいだなぁ」などと言いながら写真を撮る「わたし」

最近は見る夢が微妙に変化してきているような気がします。
「魂から癒す」という「マカバリラCD」を流しまくっているせいかな??
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こころの檻

テーマ:
公仁はこころの檻に入っておりました。(現在も)

「無理」
「できない」
「でも~」
「ダメ人間」
「自分には価値が無い」
「自分さえいなければ・・・」
その他、さまざまな否定的な思い

そんな思いでできた「こころの檻」

今まではその檻が、他人や環境によって作られたものだと歪めてとらえていたんだけれど

その「こころの檻」って本当は自分自身で作り出していたんですね。

しかも檻の中の生活しか経験してこなかったものだから、例え檻が汚く狭く自分自身にとって窮屈な物だったとしても檻の外に出るのが怖くて怖くてたまらなかった。

でも檻は決して堅固な物ではない。

本当は「ただの幻」

檻の本質に触れれば消えてなくなってしまうんだろうな。

檻は幻影、そして幻

そして自分の本質は「自由」

心のクセ~認知療法

テーマ:
公仁がいつもお世話になっている「Citrus's Room」のCitrusさんから「みけにゃんProject~認知療法で憂うつな気持ちとバイバイするにゃ~」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~beloved/projectm/index.html
という「認知療法」に関するサイトを教えていただきました。
簡単に読めてしまう一見易しいサイトなのですが、自動思考(心のクセ)について僅かですが知ることができました。
自分や世間、将来について否定的にとらえてしまう・・・そんな「心のクセ」に気づくきっかけにはなると思います。

これからはレイキと認知療法&アファメーションの三本柱で行こうと思います。

「認知療法」については簡単に説明する方法が見つからないので興味のある方は上記のホームページか、「認知療法」で検索をしてみてください。

満月の瞑想

テーマ:
昨晩は満月、たくさんの瞑想関連のコミュやレイキ関連のコミュで「満月の瞑想」が行なわれたようです。
公仁もそんな中の一つに参加させていただきましたが管理人さんの感想の中にこんな一文がありました。

「今回は・・・雑念をたくさんたくさん感じながらの瞑想・・・。
とても気持ちよく、深層から螺旋状に上に上がってみたり、波の音を感じたり。」


三十分間の瞑想会だったのですが公仁は集中ができず雑念を出しまくりでした。
おまけに「波の音」のCDを聴きながらの参加でしたし。

繋がっているのですね・・・あらためて納得。
以前から考えていたことではあるが、美内すずえの漫画「アマテラス③巻(角川書店・あすかコミックス)」の中にこんな場面があった。

(魔王を崇拝し世界征服を企む司祭と手下の会話)

手下「司祭さま」

司祭「なんだ」

手下「リリーは自分に降臨してくるものが聖母マリアと信じています」

司祭「けっこうなことだ、巫女が信じていればこそ民衆を説得できよう。たとえ敵の名であろうとも利用できるものはすればよい」

手下「はい」

司祭「民衆は愚かなものだ」
「金粉や病気治療、光の乱舞や神の姿・・・百万語の説教よりもたった一度の奇跡があればよい」
「それだけで民衆は神と信じる・・・!」
「神も魔も同じ力をもつことを民衆は知らぬ」
「奇跡は我らとておこせるもの」
「彼らのあがめている聖母マリアの本当の姿を知ればさぞ驚くことであろうよ」


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世の中には様々なエネルギーワークがあるが・・・正邪を本当の意味で見分けられることのできる人がいるのだろうか?
自分は盲信することなく一歩一歩確認しながら歩んでいきたい。

「こっくりさん」→危険→「エンジェル様」「キューピットさん」→安全
こんな名前のすり替え現象が以前にもあったような気がする。
私達は本当はどのような次元と繋がっているのだろう?

何事も実践してこそ

テーマ:
公仁は読書好きでスピリチュアル関連の書籍を読むことが多々あります。
読むたびに気持ちが少し楽になった気がしますが、しばらくすると元の木阿弥です。
「それはなぜか?」と考えてみました。

①一度読むだけで満足してしまい、何度も繰り返し読む(深い理解をする)ということをしていない。
②次から次へと目新しい本に手を伸ばす。
③本の中にある「アファメーション」「エクササイズ」等を実践していない。
等々いろいろな原因が考えられます。

これについて真言宗の開祖である弘法大師は次のような言葉を残しています。

妙薬 箱にみつれども、嘗めざれば益なし
珍衣 櫃にみつれども、着ざれば則ち寒し

(訳)素晴らしい薬が箱に満ちていても飲まなければ効き目は無い
素晴らしい衣がタンスに満ちていても着なければ寒いままである

何か簡単な事から一緒に実践していきましょう。

糞は可能性?

テーマ:
本日はデビー・フォードさんの書いた「人生の意味を知るスピリチュアル・セルフ(ダイアモンド社)」なる本を読んでおりました。

最近、自分のトラウマについて考えることがあるのですが、この本の中にはトラウマに対する面白い見解が書かれていました。

少しだけ引用してみましょう。

(人生の意味を知るスピリチュアル・セルフ/ダイアモンド社刊 P52~P53より引用)

田舎で散歩に出かけ、道に糞が山積みになっていたとしたら、たぶんあなたは縮みあがって後ずさりするでしょう。
でも熟練した庭師で、いちばん大きくて美しいバラの花をつくろうとか、色のきれいなシャキッとしたピーマンをつくろうとしていたなら、同じ糞の山も黄金のごとく見えるでしょう。
私たちが糞と呼ぶものを、庭師なら純粋に可能性と呼びます。
なぜなら、自分の庭に」養分を与えるにはまさに必要な材料だと知っているからです。

※解説は付けませんがトラウマというものを考える際の新たな視点を与えてくれた言葉でした。
糞=トラウマと考えるとわかりやすいかも?