按摩マッサージ師と鍼灸師のためのブログ・げんき本舗治療院

按摩やマッサージについて、鍼や灸について。臨床上のことや指導上のことをいろいろ。

仕事は鍼灸とオステオパシーをしています。研究会で、按摩とマッサージと鍼と灸を教えています。

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さて、東洋医学では「気」についての話がよく出るが、その「気」とはそもそも一体何という質問がよく出る。もっともである。普段何気なく「気」と言っているが、正面切って「では気とは何ですか」と聞かれると、答えられない鍼灸師や按摩師が多いのではないだろうか。これについてはかなり主観的なものになるが、明らかに万物すべてのもの、人体も含めて気が存在しないものはない。路端の石ころにも気は存在するし、大気にも存在する。一握りの土にも存在するし、抱えきれない大山にも存在する。一つの飯粒にも存在するし、ひと抱えのパンにも存在する。それらに宿る気は、それらそのものにも循環しているし、すべてのものと交流している。「気」は、エネルギーなのだ。物質はエネルギーと変化する。エネルギーは物質に変化する。すべてのものそれぞれが気の集合体とも言えるし、すべてのものが気を含有するとも言える。エネルギーは循環する。ある中国の気功師が昔言っていた。気は物質だと。唯物論の中国人らしい言い方だが、言い換えると、気を物質として感じ取っている。私が人体に触れると、あるいは触れずとも見ると、気に満ちた人、気が偏在している人、気そのものが不足している人、様々な人に出会う。確かに物質のように感じることもあるが、必ずしもそうではないと思う。気はすべてのものに交流するエネルギーなのである。

そのエネルギーたる気の中で、人体の生存に欠かすことのできないものが、清気すなわち空気と水穀の気すなわち飲食物からの気である。

清気が不足しても水穀の気が不足しても、人間の活動に影響を与えるし最悪の場合生命に危機が訪れる。身体の機能と器質を維持するための最低限のエネルギー、「気」が、清気と水穀の気なのである。

清気は天の気であるから陰陽に分類すると、陽となる。水穀の気は地の気であるので、陰陽に分類すると陰となる。人は、陽気と陰気を受けて生命活動を維持しているのである。

 

げんき本舗治療院

羽山弘一

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2,陰と陽

 人が天地を発見して、人そのものも天と地に生かされていることに気づいた。人は天地がなければ存在できない。同時に人が天や地を認識しなければそれらも存在できないのは、先に述べた通りである。

 天は広がりはわかるが目には見えず手に取ることのできない存在である。しかし、天は確実に在る。

 天は清気に満ちる。清気とは空気のことで在る。人は清気を取り入れ濁気を出さなくては生きてはいけない。清気はまた頬を撫でる。髪をなびかせる。寒気を染み付かせる。天の太陽は暖気を与える。水を降らせる。時には天も荒ぶる。暴風を吹かせ、雷を起こす。人の命を奪うこともある天だが、その天がなければ人は生きて行くことができない。

 ある意味、人は天の一部である。天の意志に従ってでしか生きて行くことはできないし、天の意志は人の生き様に大きな影響を及ぼす。

 地は確実に触れることのできる広がりである。人は地に立つ。駆ける。草木が生える。水が流れ染み込み溜まる。

 地は天と密接に関係する。雨として水を得る。光と寒暖を与えられる。地は天によっても生かされているのである。人が天の認識をして初めて天が「在る」のと同様に、天もまた地があるからこそ「在る」。地もまた天があるこそ「在る」ことができるのである。

 天と人と地は、その存在を認め合っているからこそ「在る」。いずれかが認識しなければ存在がなくなる。

 そのような存在関係の中で、人は在ることに気がついた。物事は全て二つの要素で説明できると言うことである。

 陰陽論の発生である。

 天は陽である。地は陰である。人は天地から見ると陽でも陰でもない中庸であるが、人そのものを見た時、機能的にも部位的にも陽と陰に分化することができる。

 ところで、天と地と人との間で共通して流れるものは何だろうか。気と水である。気と水は、天に持ちにも人にも流れている。

 人は天からも地からも気を得て生きている。天からは清気として、地からは飲食物に宿る気(水穀の気という)としてである。

 水は天にも地にも存在する。雨として、霧として、湧き水として、川として、湖として。 気と水を陰陽に分類すると、気は陽であり、水は陰である。

 陽はポジティブなものである。活動的で能動的で熱を持つ。陰はネガティブなものである。静止的で受動的で寒である。しかし、あるものを仮に陽としても、それも陰陽に分化される。陽の中に陰の部分と陽の部分があるのである。これは陰にもいえる。陰の中にも陰の部分と陽の部分がある。この分化は永遠に繰り返される。しかもその陰陽の比率は一様ではない。これは逆にいうと、陰と陽の比率や分布で、すべてのものの性質が説明できるである。

 例えば水だけで考えてみよう。水は陰に属する性質をもつ。この水に熱を与える。すると性質が寒であったものが熱の性質を帯びてくる。さらに熱を帯びると沸騰し、次に蒸散し、やがては本来の性質の寒に戻る。

 水は陰の性質だが、気は陽の性質である。陽の性質は昇りやすい。だから、天地では天に満ちている。陽の性質を持っているので太陽で容易に温かくなる。気は揺れ動きやすいので、天地が何かの要素で荒ぶると、嵐になって吹きすさんだりする。

 このような陰陽は、人にも当てはまる。ある人は陽の性質が強く、ある人は陰の性質が強い。しかし、仮に陽の性質の強い人でも、冷たいものを飲み過ぎたりすると陰の要素が強くなってしまう。仮に陰の性質の強い人でも、熱いオーブンの前に長く座っていたりして陽の要素が強くなることもある。あるいはまた、陽の性質の人が憂鬱な事件に出会ったりすることにより陰の要素が強くなることもあるし、陰の性質の人がうれしい出来事に出会って陽の要素が強くなることもある。

 

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院長・羽山弘一

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存在論的に考えればいろいろの方法があるだろうが、古代中国人ー今の漢民族かどうかは知らないーが、天と地を発見したのはすごいことだと思う。

人々はあるとき、天と地があり、その中に人が生きていることを発見した。

天がある、地があると言うことは、それを観察するものの自我が芽生えたと言うことである。

ある存在するものが確かに存在するのには、存在を認めるものがいないといけない。Aという物体が存在するとき、そのAを認識するものがいなければ、Aは存在しないに等しい。いや存在しない。存在の「在る」を認識するものがあって、初めて存在は「在る」のだ。

古代、人々はただ生活をしていた。ある瞬間世界が天というもの土地というものに分化し存在していることに気づいたのだ。その瞬間こそが天と地が「在る」ことを始めたとき、天と地の創造である。

天は、人がそれを天と認識しなければ天ではない。地は、人がそれを地と認識しなければ地ではない。人はその「天と地」を違うものとして認識していた。天と地は違う存在なのである。

では人はどうか。人の存在は?人は天地の中にいるというと言うことは何を意味するのか。なぜ人は「生きている」のだろうか。天地の発見とともに人は人自身の存在を考えた。

人は天を認識して天が存在したように、人が地を認識して地が存在したように、人は天があるいは地が、その人自身を認識しているからこそ存在できるのではないか。人は天が、地がその存在の存在を認識しているからこそ在るのである。

同様に天と地それぞれはどうであろうか。天は地を認識している。その結果地は在るようになった。地は天を認識している。その結果天は在るようになった。天地思想の始まりである。

 

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院長・羽山弘一

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前々から私自身の治療法がよくわからないという声を聞いていた。

臨床伝統医療研究会のセミナーでは毎年違うテーマを1年周期で続けている。10年ほど続けて通っていれば。私の目指す、行っている治療法を知ることができるのだが、中にはまとまりがないと思う人もいるらしい。それも言える。5年前に語ったことを「考えが変わった」と翻すこともよくあるし、同じ内容を全く違う角度から話すこともあるからだ。

私は前から羽山式という名称で流派を作る気はないと明言してきた。だが、臨床伝統医療研究会(臨伝医研)式と言っても、イコール私の方法がほとんどだ。しかし、臨伝医研式とは言いたくない。参加者には一つの方法を押し付けていないからである。いくら私式の方法を学んだからと言って、私の方法をしっかり押し付ける気はないからだ。各参加者は自分なりの方法を行ってほしい。

とすると、

やはり私自身の治療法を語るとすれば、「羽山式」とせざるを得ない。

羽山式が最高という気は毛頭ない。理論的な間違いも多々あると思う。しかし、思う存分語るのは今が最適のような気がする。そろそろ私のキャリアも30年だ。私の方法も語っても悪くはないであろう。

参考にしてもらえればいい。真似してもいい。「羽山があんなことを言っていたよ」という程度に話しをするのもいい。

不定期だが、私の方法の治療を示していくことにする。

 

げんき本舗治療院

院長・羽山弘一

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按摩は、按と摩で構成される。

そして、按摩は東洋医学である。

 

単純に凝っているところを揉むだけのものではない。

 

按と摩を巧みに構成し、身体の虚実を見極め、熱寒を区別し、表裏を分別し、治す。

 

按摩を行うときは、考えなければならない。考えて考えて考え抜く。

東洋医学として、按摩をどのように作り出していくのか、常に考える。

 

その結果として按摩の治療が生まれるのだ。

 

残念ながら、我が国では東洋医学として按摩を考える場は一つしかない。

 

僕が講師をしている臨床伝統療法研究会だけだ。

 

僕はそこで、治す按摩を示す。とことん示す。それを受け止める受講者がいるのが嬉しい。

 

げんき本舗治療院・院長

臨床伝統療法研究会・講師

羽山弘一

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