こんばんは*

父の日だったらしいですね。

こういうイベントごとは、普段は恥ずかしくて言えなくても
「ありがとう」といえるチャンスだからいいですよね。

かくいう私は、今年は何もしていない。
去年は贈り物をしたけど、
今年は確か先月くらいに、ふと思い立った時に、
ありがとうの感謝のメッセージを鬼長文で送った。

ごく自然に、感謝の気持ちが出てきたからって
だけなんだけど、そういうときに伝えておかないと
後悔したくないなって思うから。


父の日といえば、
小学生の頃に子供なりにお小遣いを貯めてささやかなプレゼントを贈ったら、

「本当はこんなものいらんけど喜んだふりをしてるんだ」と
なぜか面と向かって言われたり、
 

別の年には、興味なさそうに受け取って、数か月後に

封も開けずに弟のおもちゃ箱の奥底から
ぐちゃぐちゃの埃まみれになって出てきたことがあって

内心ショックでもうお父さんには何もしない!と
と子供ながらに密かに憤っていたのが懐かしいです。笑


なんでやねん!って思うけど
子育てって難しいよね。
親も完璧な人間じゃないし。

もちろん嫌なことばかりじゃなくて、
お金がないかわりに
川に魚釣りをしに遊びに連れて行ってくれたり
自転車の練習に付き合ってくれたり
そんな思い出もあります。


でも、親にしてみれば何でもないような言動に
意外と子供は傷ついていて…
そういうことってきっとみんなあるよね。


もちろん親子という関係で、
当時は子供だから当然、

「プレゼントをする」
という行為に対して
「喜んでくれる」ことを
期待してる。


期待するから、
傷つくし、悲しくなる。



そりゃ子供からの素直な気持ちは
受けとってほしいなあと
客観的にみても思うけれど笑、



自立した大人同士、他人同士の
関係になってもこういうことってよくあると思う。



「誰かのために」やりたいことが、

「その対象からの何らかの報酬」を期待をするから

「あれだけやってやってやってんのに」ってなる。

それってやればやるほど恨みに変わっちゃうでしょ。



自分は、旧 統一教会の二世として

人一倍「為に生きなさい」を刷り込まれ、

日常で実践してきて、

自分の人生は犠牲にするものだと考えてきて、

残ったのは、恨みでした。


そりゃあね
自分がぜんぜん、すっからかんなんだもの。
当たり前!笑





今は私も、
自分の人生を歩めるから

誰かに届けたくて、伝えたくて
歌や情報発信をしてるわけだけど


誰かに届けばいいなって思うけど、
期待はしない。

誰にも届かないことかもって考えると
不安になるときもある。

でも全部、
自分のためなんだよね。

自分が好きでやったことで
「ありがとう」
を言われるとすごく嬉しくなる。


みんな自分のためにやってる。
自分が好きでやってる。


そのほうが思いやる気持ちが
良く循環するんじゃないかなって思う。

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「花は咲く」
に出てくるこの歌詞がすきです


「傷ついて傷つけて
報われず泣いたりして
今はただ愛おしい
あの人を思い出す」





改めて、父の日ありがとう。
なんだかんだ両親にはやっぱり感謝してます!

 

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