コケシ女(と浴衣の私の画像をみた少女Pが言った) | ジョセフィーヌの小部屋

ジョセフィーヌの小部屋

ジョセフィーヌの場合は~

あまりにも おばかさん♪

信州の小布施へ行ってまいりました。








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小布施って







とても素敵な観光地なんだけど







たった12000人足らずの田舎町がどうしてこんなにセンスよく古さをおしゃれに出来たのか気になったので

調べてみた。






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まず、



栗鹿の子で有名な小布施堂一族がリーダーシップをとってる。







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小布施の町長は小布施堂の社長や副社長が歴任。







半ば飛び込みのアメリカ女性セーラを社員にして、



どんどん改革を進めて行った。







この小布施堂の他に桝一酒造という造り酒屋も営んでいるが、




彼女はそこの樽仕込みを復活させたり、外国人初の利き酒師になったり、




小布施見にマラソンを成功させたり、小布施にゆかりのある北斎の国際会議を企画したり、




小布施ッションという有識者を招いての懇談会を企画したり…







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とまあ、このセーラ・カミングズという女性は『台風娘』と言われる位の積極性と粘り強さで小布施町をいい意味でも悪い意味でもかき回した。(笑)






町でも賛否両論があったようで




たった4日間の北斎国際会議に町費2億円を支出させたとか、小布施堂一族の財力と権力をバックに思いつきで行動してやりかけの事業を放置したものが多いとか……














現在は退任してるのもそういった批判があったからか、プロジェクトに飽きたからなのか。







しかしながら、小布施がステキなところで、また行きたいと思わせる観光地になってる事は事実です。







この小布施町の名士である小布施堂一族は市村家なんだけど







その御先祖に



高井鴻山という豪商がいた。





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彼の祖父は手広く商売をやってて莫大な財産を築いていたが、天明の大飢饉では蔵を開放し村人を救済したと言う。







これが幕府から認められ、苗字帯刀を許されたらしい。




***




明治3年(1890年)12月19日に勃発した「中野騒動」では、北信一帯の商社役員や富豪、豪商など多数が一揆勢に襲撃・焼き討ちされましたが、市村家は無事でした。 これは過去の飢饉の際に市村家が私財を放出して困窮者を救済してくれた恩に報いたもので、一揆勢は頭を垂れ、松明を傾けて通り過ぎていったと伝えられています




***







この高井鴻山自身は、15歳のときから16年京都へ遊学し、商売気よりも芸術や政治に興味があったようで



佐久間象山らが政治の秘密談義をする場所を提供したり、



師と仰ぐ葛飾北斎が訪ねてくれば、アトリエを建ててまでもてなすパトロン的な人物だった。







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(北斎のために建てられたという碧漪軒)








佐久間象山らに開放された秘密のサロン的な2階屋はまだ残ってて、




ゆう然楼という。








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何かと刺客に狙われる客人たちのためか、








抜け道や抜け穴が作ってある。








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(これは、



ゆう然楼の裏側。この2階の窓から佐久間象山や小林一茶が顔を出したのだろうか。)








結局、究極のお坊ちゃま君だった高井鴻山。










幕末の志士や芸術家たちのパトロン的な存在として




何かとお金のかかる諸事に気前よく振舞っていたんだろうな。








家業を継いだ彼は、




慶応2年(1866年)、幕府からの援助要請に従って一万両の献金を約束し、




その功に対して百石無税地の特典を得ましたが、




翌慶応3年(1867年)に大政奉還が行われたため、結局、莫大な借金だけが残ることになりました。




 この年7月、山田温泉へ向かう途中に崖から転落しましたが、木の枝に捉まってかろうじて助かるという奇禍に遭遇したそうです。






ジョセフィーヌ、その山田温泉に行きました!

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男物の浴衣で、長い。(笑)


コケシ。(笑)


すっぴんなので顔NG。(笑)



源泉かけ流し。加水なし。(ものすごく熱い。)消毒なし。(湯の花なのか垢なのかわからない、もやもやが浮遊している)



ジョセフィーヌは友人のマリアンヌと女2人車で行ったけど、相当な山ん中。


車のない当時、歩いて登るしかないでしょうが、その分、お湯の有難みはあったでしょう。








天明・天保の大飢饉で村人を救済したことから、




昔からこの市村家は代々尊敬された家だっだでしょうが








現在もその威力は続いているようで、








実際、市村家発案?の町並みプロジェクトにより








年間50万人もの観光客がやってくるステキなところです。





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別にオチはない。