こんばんは。ことりです。
夜に更新しているのですが、
朝のお話を 今日はしたいと思います。
今朝の沖縄は、明け方に降った雨の匂いが
まだアスファルトに染みこんでいて、
太陽雨のような 何だか懐かしい匂いがしました。
出勤途中に出会う いつもの桜が
いつのまにか葉桜に変わっていました。
芽吹いた若草色の葉に交じって
同じ色をした大きな鳥が1羽
枝に留まっていました。
キジバトです。
幼い頃、このキジバトを見かけると
真っ先に父に報告していたのを
ふと 思い出しました。
あの鳥、なぁに?と尋ねた私に
あれはキジバトだよ、と教えてくれた父。
「キジバトは滅多に見られない野生のハトだから、
捕まえたり傷つけたりしてははいけないんだよ。」
父はその話の後に、
決まってこう付け加えたものでした。
「珍しくて美しい鳥だからね。
見かけたら運が良い証拠だよ。
今日は良いことがあるかもしれないな。」
父の言うとおりキジバトは美しい鳥でした。
クジャクのような緑色をしていましたし、
苔むした岩のような色にも見えました。
私は幼いながらも
自然がつくり出した複雑で繊細な色の美しさに
感動を覚えたことを 今でも記憶しています。
なるほど、良い運を運んでくれそうな美しさです。
しかし、
その後図鑑などで「キジバト」を調べてみたら
私が見た色と全く違っていて
緑色はおろか、くすんだ薄茶色をしています。
名前を見てみると「雉鳩(キジバト)」とあります。
ということは、
父が教えてくれた名前が間違っているのだと思い当たり、
今度は沖縄に生息する緑色をした鳩を
探してみました。
すると、いました。緑色の鳩が。
「アオバト」
「ズアカアオバト」
「リュウキュウズアカアオバト」
アオバトだと、緑色が上品すぎる。
だから、私が見たあの鳥は恐らく
ズアカアオバトかリュウキュウズアカアオバトだと思います。
両方の鳥を比べてみるとほとんど違いがないのですが
素朴で野性的な感じがリュウキュウズアカアオバトには
ありました。
そこで私は、自分が出会ったハトを
「リュウキュウズアカアオバト」と認定しました。
なかなか滅多にお目にかかれない
美しい鳥。リュウキュウズアカアオバト。
私が出会ったその鳥は、
よく外で遊んでいた子どもの頃こそ
1年に1、2回見かけることがありましたが、
高校生になるころから急に見かけなくなりました。
本当に時折見かけたときには、
久しぶりに旧友と出会ったかのように
驚きと喜びで胸がときめきます。
その時につい、口をついて出るのは
どうしても この言葉になってしまいます。
「あっ!キジバトだ!!」
父の言い間違い、
いえ、勘違いで教えてもらった
「キジバト」。
そのせいで、本物の雉を見たことがない私は、
『桃太郎』の中に出てくる雉についても
てっきりクジャクのような美しい鳥だと
思いこんでいました。
もう大人になったというのに
常識的なことを間違ってばかりの私。
そんな私が
未だにその間違いを直すことができずにいるのは、
おそらく 父の「勘違い」を愛しているから。
不完全なものに「美」を見出す、と言われる
日本人特有の感覚に由来しているのでしょうか。
「くそ」がつくくらい真面目で
常に完璧を目指していた父からは
想像もできないような
簡単な「勘違い」。
娘に上手に仲良く接することができない
不器用なところや
ボン!と出っ張ったお腹まわり
酔うとすぐ人に絡むところ
アオバトを「キジバト」だと得意げに間違うところ
父のそんな、人として足りない部分を
その誠実な人間性以上に
私は愛したように思います。
人を愛する、ということは
きっと、そういうことなのでしょう。
父譲りの知ったかぶりで、得意げに
アオバトを「キジバト」と呼んだり、
雉は緑色をしたきれいな鳥だと思いこんで
直そうとしない そんな私を
愛してくれる人
そんな人を大切にするように、と
今朝のリュウキュウズアカアオバトは、
いえ、「キジバト」は私に教えてくれたのでしょうか。
久しぶりに見た 美しい緑色の鳥
久しぶりに思い出した 父の笑顔
良い運を運んでくれそうな春の気配
優しい気持ちで一日を過ごしたい
そう思った 雨上がりの朝でした。

ことり

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私のダメなところって、どんなところですか?
「愛されている」と勘違いしているところだったりして・・・(ーー;)
夜に更新しているのですが、
朝のお話を 今日はしたいと思います。
今朝の沖縄は、明け方に降った雨の匂いが
まだアスファルトに染みこんでいて、
太陽雨のような 何だか懐かしい匂いがしました。
出勤途中に出会う いつもの桜が
いつのまにか葉桜に変わっていました。
芽吹いた若草色の葉に交じって
同じ色をした大きな鳥が1羽
枝に留まっていました。
キジバトです。
幼い頃、このキジバトを見かけると
真っ先に父に報告していたのを
ふと 思い出しました。
あの鳥、なぁに?と尋ねた私に
あれはキジバトだよ、と教えてくれた父。
「キジバトは滅多に見られない野生のハトだから、
捕まえたり傷つけたりしてははいけないんだよ。」
父はその話の後に、
決まってこう付け加えたものでした。
「珍しくて美しい鳥だからね。
見かけたら運が良い証拠だよ。
今日は良いことがあるかもしれないな。」
父の言うとおりキジバトは美しい鳥でした。
クジャクのような緑色をしていましたし、
苔むした岩のような色にも見えました。
私は幼いながらも
自然がつくり出した複雑で繊細な色の美しさに
感動を覚えたことを 今でも記憶しています。
なるほど、良い運を運んでくれそうな美しさです。
しかし、
その後図鑑などで「キジバト」を調べてみたら
私が見た色と全く違っていて
緑色はおろか、くすんだ薄茶色をしています。
名前を見てみると「雉鳩(キジバト)」とあります。
ということは、
父が教えてくれた名前が間違っているのだと思い当たり、
今度は沖縄に生息する緑色をした鳩を
探してみました。
すると、いました。緑色の鳩が。
「アオバト」
「ズアカアオバト」
「リュウキュウズアカアオバト」
アオバトだと、緑色が上品すぎる。
だから、私が見たあの鳥は恐らく
ズアカアオバトかリュウキュウズアカアオバトだと思います。
両方の鳥を比べてみるとほとんど違いがないのですが
素朴で野性的な感じがリュウキュウズアカアオバトには
ありました。
そこで私は、自分が出会ったハトを
「リュウキュウズアカアオバト」と認定しました。
なかなか滅多にお目にかかれない
美しい鳥。リュウキュウズアカアオバト。
私が出会ったその鳥は、
よく外で遊んでいた子どもの頃こそ
1年に1、2回見かけることがありましたが、
高校生になるころから急に見かけなくなりました。
本当に時折見かけたときには、
久しぶりに旧友と出会ったかのように
驚きと喜びで胸がときめきます。
その時につい、口をついて出るのは
どうしても この言葉になってしまいます。
「あっ!キジバトだ!!」
父の言い間違い、
いえ、勘違いで教えてもらった
「キジバト」。
そのせいで、本物の雉を見たことがない私は、
『桃太郎』の中に出てくる雉についても
てっきりクジャクのような美しい鳥だと
思いこんでいました。
もう大人になったというのに
常識的なことを間違ってばかりの私。
そんな私が
未だにその間違いを直すことができずにいるのは、
おそらく 父の「勘違い」を愛しているから。
不完全なものに「美」を見出す、と言われる
日本人特有の感覚に由来しているのでしょうか。
「くそ」がつくくらい真面目で
常に完璧を目指していた父からは
想像もできないような
簡単な「勘違い」。
娘に上手に仲良く接することができない
不器用なところや
ボン!と出っ張ったお腹まわり
酔うとすぐ人に絡むところ
アオバトを「キジバト」だと得意げに間違うところ
父のそんな、人として足りない部分を
その誠実な人間性以上に
私は愛したように思います。
人を愛する、ということは
きっと、そういうことなのでしょう。
父譲りの知ったかぶりで、得意げに
アオバトを「キジバト」と呼んだり、
雉は緑色をしたきれいな鳥だと思いこんで
直そうとしない そんな私を
愛してくれる人
そんな人を大切にするように、と
今朝のリュウキュウズアカアオバトは、
いえ、「キジバト」は私に教えてくれたのでしょうか。
久しぶりに見た 美しい緑色の鳥
久しぶりに思い出した 父の笑顔
良い運を運んでくれそうな春の気配
優しい気持ちで一日を過ごしたい
そう思った 雨上がりの朝でした。

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「愛されている」と勘違いしているところだったりして・・・(ーー;)













