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2012年02月22日 テーマ:日記

私が愛したもの

こんばんは。ことりです。


夜に更新しているのですが、
朝のお話を 今日はしたいと思います。


今朝の沖縄は、明け方に降った雨の匂いが
まだアスファルトに染みこんでいて、
太陽雨のような 何だか懐かしい匂いがしました。


出勤途中に出会う いつもの桜が
いつのまにか葉桜に変わっていました。


芽吹いた若草色の葉に交じって
同じ色をした大きな鳥が1羽 
枝に留まっていました。


キジバトです。


幼い頃、このキジバトを見かけると
真っ先に父に報告していたのを
ふと 思い出しました。


あの鳥、なぁに?と尋ねた私に
あれはキジバトだよ、と教えてくれた父。


「キジバトは滅多に見られない野生のハトだから、
 捕まえたり傷つけたりしてははいけないんだよ。」


父はその話の後に、
決まってこう付け加えたものでした。


「珍しくて美しい鳥だからね。
 見かけたら運が良い証拠だよ。
 今日は良いことがあるかもしれないな。」


父の言うとおりキジバトは美しい鳥でした。


クジャクのような緑色をしていましたし、
苔むした岩のような色にも見えました。


私は幼いながらも
自然がつくり出した複雑で繊細な色の美しさに
感動を覚えたことを 今でも記憶しています。
なるほど、良い運を運んでくれそうな美しさです。

しかし、
その後図鑑などで「キジバト」を調べてみたら
私が見た色と全く違っていて
緑色はおろか、くすんだ薄茶色をしています。

名前を見てみると「雉鳩(キジバト)」とあります。

ということは、
父が教えてくれた名前が間違っているのだと思い当たり、
今度は沖縄に生息する緑色をした鳩を
探してみました。

すると、いました。緑色の鳩が。

「アオバト」
「ズアカアオバト」
「リュウキュウズアカアオバト」

アオバトだと、緑色が上品すぎる。
だから、私が見たあの鳥は恐らく
ズアカアオバトかリュウキュウズアカアオバトだと思います。

両方の鳥を比べてみるとほとんど違いがないのですが
素朴で野性的な感じがリュウキュウズアカアオバトには
ありました。

そこで私は、自分が出会ったハトを
「リュウキュウズアカアオバト」と認定しました。

なかなか滅多にお目にかかれない
美しい鳥。リュウキュウズアカアオバト。
私が出会ったその鳥は、
よく外で遊んでいた子どもの頃こそ
1年に1、2回見かけることがありましたが、
高校生になるころから急に見かけなくなりました。

本当に時折見かけたときには、
久しぶりに旧友と出会ったかのように
驚きと喜びで胸がときめきます。


その時につい、口をついて出るのは
どうしても この言葉になってしまいます。



「あっ!キジバトだ!!」





父の言い間違い、
いえ、勘違いで教えてもらった
「キジバト」。


そのせいで、本物の雉を見たことがない私は、
『桃太郎』の中に出てくる雉についても
てっきりクジャクのような美しい鳥だと
思いこんでいました。


もう大人になったというのに
常識的なことを間違ってばかりの私。


そんな私が
未だにその間違いを直すことができずにいるのは、
おそらく 父の「勘違い」を愛しているから。


不完全なものに「美」を見出す、と言われる
日本人特有の感覚に由来しているのでしょうか。


「くそ」がつくくらい真面目で
常に完璧を目指していた父からは
想像もできないような
簡単な「勘違い」。



娘に上手に仲良く接することができない
不器用なところや

ボン!と出っ張ったお腹まわり

酔うとすぐ人に絡むところ

アオバトを「キジバト」だと得意げに間違うところ




父のそんな、人として足りない部分を
その誠実な人間性以上に
私は愛したように思います。



人を愛する、ということは
きっと、そういうことなのでしょう。



父譲りの知ったかぶりで、得意げに
アオバトを「キジバト」と呼んだり、
雉は緑色をしたきれいな鳥だと思いこんで
直そうとしない そんな私を
愛してくれる人



そんな人を大切にするように、と
今朝のリュウキュウズアカアオバトは、
いえ、「キジバト」は私に教えてくれたのでしょうか。



久しぶりに見た 美しい緑色の鳥
久しぶりに思い出した 父の笑顔



良い運を運んでくれそうな春の気配



優しい気持ちで一日を過ごしたい
そう思った 雨上がりの朝でした。


$ことりのハミング日記♪



ことり


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私のダメなところって、どんなところですか?
「愛されている」と勘違いしているところだったりして・・・(ーー;)


2012年02月19日 テーマ:ブログ

魔法の心

こんばんは。ことりです。

2月に入って 初めての記事。
約3週間ぶりになります。

だいぶ、ご無沙汰していましたが
皆さんはお変わりありませんでしたか?


さて、昨日は小さな子供たちが演じる舞台「オズの魔法使い」を
観劇しました。


幼い頃に読んだきりでしたが、
観ているうちにだんだんとストーリーを思い出し、
「そういえば、この後こうなった!」
と興奮すること しきり、でした。


「オズの魔法使い」は、一部の評論家たちからは
当時のアメリカの経済を風刺した寓話だと言われていましたが、
ほとんどの人が「童話」として、この物語に親しんでいます。


竜巻にまきこまれ、家ごと飛ばされた心優しい少女、ドロシー。
見知らぬ美しい国で途方に暮れますが、
偶然、悪い東の魔女を退治してしまったことから
北の善い魔女からお守りのキスと不思議な力を持つ銀の靴をもらいます。

そして、
故郷のアメリカへ帰るべく
脳みそが欲しいかかしと心が欲しいブリキの木こり、
さらに勇気が欲しいライオンを従えて
オズの大王がいるエメラルドの都へ向かいます。

様々な困難がドロシーたちを襲い、
みんなで力を合わせて乗り越えていきますが、
ようやく会えたオズは魔法使いではなく腹話術師のおじさん。

落胆するドロシーですが、自分が履いていた銀の靴の魔法の力で
アメリカ・カンザスへ帰れることを知ります。

そして、かかしもブリキの木こりもライオンも、
困難を乗り越えてこれたのは
ずっと欲しいと願っていた智恵や心や勇気が
自分の中にあったからだと気がつきます。

「オズの魔法使い」が私たちに伝えようとしているのは、
魔法は自分の内にあるのだ、ということ。




幼かった頃の私には
「魔法は自分の中にある」というメッセージの意味が
あまり良くわかりませんでした。


「大事なものはすでに持っている」なら意味がわかるんだけど・・・
なんて、首をかしげたりして。

だって、普通の人間である私たちがみんな魔法を持っていたら
私たちはすでに 魔法使いであることになってしまいますから。


でも、大人になった今なら、
作者が「魔法」にこだわった意味がわかるような気がしています。


「魔法」とは「自分の力では叶わないことを叶える力」
私はそう解釈していますが、
それは現代の言葉で言うならば
「不可能を可能に変える力」だと同義語かもしれないと
昨日の舞台を観て、ふと気づいたからです。

そして、それは「可能性」とも少し違う気がします。


ライオンが望んでいた「勇気」はどうかわかりませんが、
かかしが望んだ智恵(脳みそ)とブリキの木こりが望んだ心(心臓)は
もともと持っているはずのないものでした。
名前も知らない遠い国へ来たドロシーが
自分の力でアメリカへ帰ることもまた、到底できないこと。


「叶わないはずのことを叶える力=魔法」
ドロシーたちが見つけた その力「=魔法」が
自分の内にあったということは、
これからどんなに不可能と思われることも
手に入れることができるかもしれない力を持っているということを
実感したということです。


それは、何と素晴らしい驚きでしょうか。


自分が望んでいることの種類や大小に関わらず
叶える力をすでに備えているとするならば、
もう何も怖がることなどないように思えます。


それは、何と心強いことでしょうか。



道徳的な教えや、楽観主義的考えなどでは決してなく、
私たちの人生の中では時折
不思議な力が働いたとしか思えないような好転が
訪れる場合があります。


不思議な出来事。運が良すぎる偶然。
中には、命に関わるようなことだって含まれて
こんな私の人生にも振り返れば今でも理解できないような好転が
幾つかありました。

自分の力で解決したとは到底思えませんが、
神様に味方してもらえるようなきっかけが
あったのではないかしら、と思っています。

そのきっかけを生み出す力が、「魔法」なのかもしれません。


そうであるとするならば、
私たちが「魔法」の力を持つということは、
神様に味方してもらえるような生き方を常にしていることを
条件として従えることになるでしょう。


自分にできることを淡々と行う。
人に褒められる、認められるという意識と無関係に
存在する懸命さと誠実さ。

私がそれを忘れることなく
言葉や行動に反映させる生き方を日々しているのであれば、
いつか私も、私が困った時や心から何かを望んだ時に
不可能と思われたことが実現されるのではないかと、
それが、「私の中に魔法がある」ということになるのではないかと、
そう感じています。


私たちがそんな生き方を目指せるとするならば
それは、心の中に大切な人がいるから。


ドロシーには、
もう一度会いたいと願うおじさん、おばさんがいて、
ブリキの木こりには、
もう一度「心」を手に入れることができるならば、
人間だった頃に引き裂かれた恋人と今度こそは結婚したいという
切なくも強い想いがありました。


私が、私自身の中に「魔法の力」を持ちたいと願うならば、
自分以上に大切な人、愛する人を心の中に持ち続けることが
何よりも大事になるのかもしれません。

その人たちの笑顔や面影を胸に
誠実に、懸命に、大切に「今」を生きる。



私が幼い頃に描いていた「魔法使い」になりたいという憧れ。
実現させるヒントを、
昨日の舞台からもらってきたような気がしました。




ことり




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ドロシーが銀の靴のかかとを3回叩いたように
私も明日、叩いてみようかな?
2012年01月31日 テーマ:日記

こんばんは。ことりです。


まだ全国的な寒さが続いている毎日ですが、
沖縄では寒くなったかと思えば
20℃を超すポカポカ陽気になったり、
またまた寒さが戻ったり・・・を繰り返しています。


沖縄本島の北部地方にある山では
開花の早いヒカンザクラが9分咲きになっているそうです。


私の自宅近くの家の庭先にも
気の早い桜がチラチラと花を咲かせ始めています。



  春



・・・が、もうすぐそこまで来ています。


私にとって、今年の春は
何だか早足に思えて、少しだけ切なくなります。


近くの高校でお昼時間を利用して流す
卒業式の歌が
私にそんな気持ちを抱かせているのかもしれません。


私が高校生のときは
早く大人になりたくて仕方ありませんでした。


肩上の短く切りそろえた髪
黒いローファー
紺色の靴下
夜9時の門限


長い間自分の一部であったはずのそれらが
とても無粋に思え、嫌で嫌で
早く抜け出したかった。


卒業式は、もちろん泣きましたが、
心のどこかでは
こみ上げてくる嬉しさを隠しきれなかったように思えます。


耳にあけた小さな穴
はじめてひいたピンクの口紅
ヒールがある靴
クラブで流れる刺激的な曲


門限だけは、どうしても父が許してくれなくて
日付を越えることができなくて、
みんなが寝静まった後、
足音を忍ばせて、家を抜け出しては
親友と連れ立って踊りに行った夜。


憧れていた大人への階段は、
思った以上に楽しくて、刺激的で、
私は毎日毎日、遊んでばかりだったけど、


やがて傷つくことが増えて、
ため息をつくことを覚え、
大学をさぼっては、
一人 海を見に行くようになって


そんな中で思い出すのは、
窮屈だったけど楽しかった高校時代でした。


女の子みんなで馬鹿みたいにはしゃいで、
図書館の本棚を背もたれにして語った恋の話も
実現するあてはないけれど自由に胸に描いていた夢の形も
思い出すほどに、キラキラと輝いていました。


親とケンカをして泣いた夜も
失恋して飼い犬に慰められた夜も
みんな、素敵な時間だったなと今なら素直に思えます。


この春に卒業する彼らも
きっとまだわからない。


今、自分が立っているこの場所が
かけがえのない素晴らしい場所であること。


いつか、社会の中で闘うようになって
一人で過ごす夜を覚えて
そうやって気づいていくのでしょうか。


お昼時間に流れてくる卒業の歌は
キロロの「未来へ」。


古い曲ですが、
この曲を、みんなで歌う最後の歌に選んだ彼らは
きっと、これからも大切なことや自分らしさを見失わずに
歩んでいけるのではないかと
勝手に思っています。


根拠も何もない、
単なる私の希望、願望ですが・・・。


彼らの未来が
誰よりも明るく希望の光に照らされ
輝いていますように。


桜の花びらを眺めながら
心から そう祈りました。



ことり


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私の「未来」も、明るく輝いていますように。
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