1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2011-11-21 09:25:11

『神曲奏界ポリフォニカ ネバーエンディング・ホワイト』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

ポリ白、これにて完結。最後まで一気に読める面白さであることは間違いないのだが、どうしても乗り切れない部分がある。
このシェアードワールドのメインである特にポリ赤で頻繁に出てくるものなのだが、精霊と楽士が戦うシーンは違和感がぬぐいきれないのだ。

いや、コンセプトは凄く面白いと思うんだけど、考えてもみてほしい。
2台の音響機器を置く。
そして、それぞれ違うCDをかけました。
どのように聞こえるであろうか?
おのおのがすばらしい音楽であったとしても、音がぶつかりあったとたん、そこには騒音しか生じないはずだ。
せっかくの面白いコンセプトなのだから、そこをなんとか工夫できなかったものか?

もうひとつ。
楽器に関する知識の低さに」うめく。
ポリ白では、前半でも、幼い少女のシラユキが、「コントラバスを演奏する」という無理なシーンが登場した。
体格の問題から、これは相当の無理が出る。
コンバスのネックを左手にとって弦をおさえつつ、弓をひくとなると、それなりの体の大きさがどうしても必要。

今回は、海辺でハープシコードを演奏する(ハープシコードってわりと管理の難しいものなのでこれもちょっと繭をひそめてしまうのだが)、その演奏中、音量が大きくなるという描写があるのだ。
あー。
無理だからね、これ。
作者は、ハープシコードの演奏をちゃんと聴いた事があるのだろうか。
ピアノと異なり、ハープシコードは、張られた弦を、ハンマー(鍵盤)で操作するツメでひっかけて音を出す。
強弱は事実上つけられないといっていい。
そもそも、鍵盤楽器で強弱をつける事が難しく、それを大いに可能としたのがピアノなのであって、だからこそ音の強弱をつけられるという意味をこめて、ピアノフォルテ(ピアノ)という名前が楽器につけられたのだ。

以上の2点から、もう対決シーンが違和感ばりばりなのだ。
そこさえ気にしなければ、ほんとに面白いんだけどね。
(まあ、専門的な知識が全くなければ、楽器の部分はスルーする事ができると思うんだけど)。

女神と精霊、人間の関係というやつは、シェアードワールドそのものに大きく影響を与える要素で、目のつけどころが面白いし、さすがライトノベル、キャラクターがいきいきしているのも魅力。
しかし、このような違和感を乗り越えるだけの力強さは、残念ながら最終巻には感じられなかった。
非常に残念だ。


神曲奏界ポリフォニカ ネバーエンディング・ホワイト (GA文庫)/高殿 円
2011年11月30日初版(発売中)
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-11-04 10:10:23

『アバタールチューナー V 〈楽園〉後篇』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

結論から述べてしまおう。
この物語は凄い。インパクトもある。
しかし、一見、その結末は、さほどユニークではないように思える。
実際、結末のところだけをミルなら、似たようなものは、幾つもあるのだ。
にほんおもののみならず、たとえばアメリカのSFでも同様の名作があったりするのだ。
にもかかわらず、やはり凄い読後感がある。
なぜなのか?

それは、物語の結末ではなく、あくまでもその過程が凄いのだと言えるだろう。

本作のルーツにある、ゲームの女神転生というシリーズのユニークさは、まず第一に、古今東西の神々、悪魔、妖精などをいっしょくたにゲーム世界へ持ち込んだというところにある。
本作ではその流れを汲みながら、キリスト教的世界観とヒンドゥ的世界観をうまくかみ合わせ、そこに、異質の「神」と、「情報」という、これまた女神転生をユニークなものとさせた第二の点を巧妙に使って、全く新しい世界観を打ち立てているのだと思う。

さらに、その世界観のなかで、「帝釈天と阿修羅の永遠の抗争」がモチーフとなっているのは、作者が語っているとおり、光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』の影響も大きいのだろうが、この「永遠の抗争」が、より深く展開されているのではなかろうか。
『百億と千億~』が宇宙の熱量を問題にとりあげていたのに対し、本作は、「情報」をとりあげている。
キュヴィエ症候群により、人が結晶化し、それがEGGの製作を可能とした情報(処理)の媒体となる、しかしそれは、あくまでもそれ自体としては静止したものだ。
そして、静止した状態というのは、生物にとっては、死んでいるということになる。
生きるためには、動きが必要なんだね。

この「動き」が「抗争」であり、この「抗争」があるからこそ、世界は維持される。
帝釈天と阿修羅、いずれが勝利をおさめるわけにもいかないのは、「抗争している」状態こそが必要だからだろう。
しかし、永遠に抗争しながらも、そこには、「帝釈天が体制側であり、阿修羅は反逆者である」という含みがある。
すなわち、抗争をしているにもかかわらず、両者は均衡状態にあるのではなく、常に帝釈天側(体制側)が優位なのだ。
阿修羅は、決してかなう事がないのに、永遠の叛逆をつらぬかなくてはならない。

しかし、阿修羅-asura、とは何なのだろうか。
リグ・ヴェーダの中では、いささか曖昧な用語であるようだ。
仏教に入ると、阿修羅とは悪魔の一種とみなされるのだが、リグ・ヴェーダでは、有力な神に対してもasuraの語が用いられる。
それは、阿修羅という種族を示すのではなく、どうも、ある種の「力」をさしているようなのだ。

本作において、サーフたちがASURAと呼ばれている意味に重ねると、なかなか面白いのではないか。
人食いの悪魔と恐れられ、自らも苦しむが、実はその「力」は最終的に、世界の維持に必要なものであり、しかも、闘争する事を定められている。

興福寺の阿修羅王象は今もかわらぬ人気であり、その哀愁は『百億と千億~』にそのまま重ね合わされるのだが、本作ではその象徴性と情緒性が、パノラマティックに展開されているのだと思う。

(それをふまえて、仏教における阿修羅王、『百億と千億~』における阿修羅王、そして本作の主人公を比較してみるのも面白いかもしれない)。

そして、このようなプロセスがあればこそ、本作の結末は、同様の結末を持つ他の作品に対してユニークなものとなっている。
とくに、あくまでも「情報」という要素を練り上げ、昇華させているエピローグはすばらしい。


アバタールチューナーⅤ (クォンタムデビルサーガ)/五代 ゆう
2011年10月25日初版
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-09-05 10:30:20

『アバタールチューナー IV 〈楽園〉前篇』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

物語はふたたび、ゲームソフトと交錯する。
具体的には、ここから、ゲームソフトの『アバタールチューナー2』と重なっていく。
実は仮想空間であったジャンクヤードから、人類が結晶化している未来の世界へ、キャラクターが出て来たところだ。
これは、なかなか面白いと思うのだ。

もともとのメガテンでは、悪魔を電子的なデータとしてコンピュータ内に取り込む事で、人間が悪魔とコミュニケーションを結ぶ事が可能というコンセプトだ。
心霊学では、いわゆる心霊現象が磁場に関係するものとしている(科学で定義する磁場とはいささか違うところもあるわけだが)。
おおざっぱにいうと、人間が全く生身で感知できないわけではないが、通常の物体や自然現象などのように感知する事ができない「もの」を、電子的なデータとして互換させている。
しかし、あくまでも、メガテンでは、悪魔も、それに付随する現象も、人間を含むこの世の通常の生物と同質の(物理的な?)存在ではない。

しかし、本作がデジタルではなくクォンタム、電子ではなく量子による情報処理をベースにしたように、メガテンにおける絶対的な、人間と悪魔の差というものが、「ない」とは言わぬまでも、大変曖昧な、一部で同化可能なものとsちえ扱われているようなのだ。
たとえば、ジャンクヤードにおいて主人公たちがアートマを与えられ、異形のものに変身し(決して、召喚したり喚起したりするわけではない)、お互いに食いあう事で直接的にデータの取得をするように、未来世界におけるヒトの結晶化そのものが、この世界における「情報のやりとり」に関して、非常に重要なポイントとなっているわけだ。
実際、前巻までに、世界唯一のウルトラコンピュータであるEGGが、演算のための素材として、結晶化したヒトを利用している事があかされている。
また、未来の人類(の一部)が、アートマを身につけ、変身できるという事も既にわかっているが、ここで、その「変身」の秘密が明らかにされる。

ジャンクヤードでは、皆がなんらかのアートマを得て、互いに食い合う事となったが、この未来世界では、一部の者しかアートマを得ていない。
そのおぞましい意味が、「情報のやりとり」の凄まじい表現として描写されている。
これは正直、ゲームよりずっとリアルに感じられる。
(映画と小説の関係にも言える事だが、どうしても、小説という媒体の方が、背景世界を深く描きやすく、その点で映像よりリアルさ、または深さを感じさせる)。

この、アートマを持つ者と持たざる者との間に、凄い情報格差が生まれてしまうのは当然なのだが、実はこのアートマがまだまだ実験段階であること、そしてこれを支配している者がいることに、まだいろいろ仕掛けが隠されていそうだ。
なんといっても、なぜ結晶化などというものが発生したのかについては、語られていないんだしね。
残るところはあと1巻。この最後の部分がどう謎解きされるのか、非常に楽しみ。


アバタールチューナーⅣ (クォンタムデビルサーガ)/五代 ゆう
2011年8月25日初版
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-08-21 15:28:21

『D-冬の虎王』〈吸血鬼ハンターD23〉

テーマ:日本SF・ファンタジイ

Dの世界観は、意図的にいろいろなところがぼかされている。
貴族(吸血鬼)の支配が千年単位どころか、万年にわたり続いている事は示されているが、たとえばこの舞台が地球であるのか、それとも、異星であるのかも、はっきりとしていない。
まあ、1万年も先のことなら、異星も同然なんだけども。

開拓時代のアメリカを思わせる荒野、ヨーロッパの昔を思わせる村や古城。
そのうちの幾分かは、貴族の趣味による演出とされている。
しかし、それらと退避してひきあいに出される「都」は舞台となった事がなく、どのような場所なのかも曖昧模糊としている。

だからこそ、「D」という男の神秘性とスーパーヒーロー性がきわだっているのだろうと思う。

実際、新宿区を舞台とした魔界都市シリーズ(群)は、舞台となった場所のなりたちを含め、詳細な世界設定が明らかにされていると同時に、そこで活躍するキャラクターも、多種多様だ。
シリーズの主人公をになうキャラだけでなく、脇役も、いつ主人公になってもおかしくないようなくせ者がそろっている。

ある意味魔界都市新宿ものは、微に入り細をうがって描写される新宿そのものが魅力であるように、Dの世界は、得体の知れぬその神秘性が魅力なのだ。
その神秘性を解き明かす鍵は「D]という男だが、この男自身、得体が知れないというのが面白い。
もちろん、「神祖」と呼ばれるのが誰なのか、おおよその暗示があるし、その神祖とDの関係も、強くにおわせるものがあるのだけれど、あえて書かない。
この、見えそうで見えない魅力というのは、新宿の方でも、一部で駆使されているテクニックで、菊地秀行お得意の手法だとも言えるだろう。
「チラ見え」の魅力が「D」の真髄というわけ。

しかし、本巻は珍しくも、貴族の視点から物語が展開されている。
だからといっていろいろな謎が明らかになるというのではない。
千年、下手すれば万年も生きているかもしれない貴族という存在の異質さが、貴族の側から語られているのだ。
不死であれば、定命の人とは、当然、ものの見方が変わってくるはず。
かつては残酷な「虎王」とおそれられた老貴族と、その息子たち、そして彼の愛した女を通して、人間ならざるものが今までより生々しく描かれていると言える。
とはいえ、これは難しいテーマでもある。
曖昧模糊としたところを残しながら、人間ではないもの(異質な存在)の視点から物語を再度語る事になるわけだから。

一方、Dとしてははじめての別主人公のシリーズがノベルスから刊行され、このこともあわせて、描き方の方向転換が行われているように感じる。
人間だけではなく、より、貴族の世界にも目が向けられ始めているのだ。
はたしてそれが成功するのかは、もう少し待ってみないといけないのだろう。


吸血鬼ハンター23 D-冬の虎王 (朝日文庫)/菊地秀行
2011年8月30日初版(発売中)
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-08-12 09:07:09

『希望』 瀬名秀明第一短篇集

テーマ:日本SF・ファンタジイ

『パラサイト・イヴ』の瀬名秀明というと、もうその先入観からか、科学科学している、という感じがする。
実際、この短篇集も、主人公のほとんどは科学者、それ以外も科学者のごく身近な人という設定になっている。
物語の根幹も、科学科学な感じは免れない。
しかし、ハードSFにありがちな、科学ありきの物語とは全く違うものだ。
瀬名秀明作品にあっては、科学は宇宙を解明するキーではあるが、中心にあるのは、あくまでも人間なのだ。
人間は宇宙の一部であるかもしれない。
しかし、「エレガントな数式」で割り切る事ができないものがたくさんある。
どの短編もそのことをうたっている。
だから、科学科学していつつ、どの物語も、とても優しい。

----------
魔法
静かな恋の物語
ロボ
For a breath I tarry
鶫(つぐみ)と鷚(ひばり)
光の栞
希望
----------

正直にいうと、長編よりもこれらの短編の方が、強いセンス・オブ・ワンダーとともに、私には面白く読めた。
なかでも、「光の栞」(異形コレクション初出)が凄い。
まず、先天的に声を発する事ができない女性という主人公の設定が秀逸だ。
一流の科学者である彼女は、子供の頃から大好きだった絵本があり、息子にもそれを伝えた。
しかし、それだけではなく、本の新しい形を創案し、それによって、声を含む自分の全てを表現しようとする。
アイデアもギミックもユニークだ。
書籍修復の職人であるもう一人の人物と、その店の雰囲気なども、とてもいい。


希望 (ハヤカワ文庫JA)/瀬名 秀明
2011年7月15日初版
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2011-08-03 19:20:27

『アタゴオルは猫の森 (17) 』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

アタゴオルが描き始められてから、えらく長い年月がたっているのだが、おおまかにいうと、アタゴオルでの日常のひとこまを描いているものと、○×戦記のように、特定の敵を相手に、アタゴオル以外の土地に遠征したヒデヨシたちが戦う話が交互につづられている。
今回も、前巻で開始された『チョウマ戦記』が、ほぼ全巻にわたって描かれている。

あくまでも好みの問題だが、私はあまりこの○×戦記の部分が好きではない。
いや、確かに、アタゴオルにおける非日常も、楽しい。
今回はイケメンの自由人にして戦士、ギルバルス(ムーミンの世界でならスナフキンに近いか)が活躍するので、これまた楽しくもある。
と、申しますのは。

もともと、ヒデヨシの仲間たちはそれぞれがなにか突出した部分をもってはいる。
たとえば、パンツは学識と知能と推理力にすぐれている。
唐揚げ丸は、ネジがぶっとびやすいが、天才的なヴァイオリン弾き。
こんな風に。
しかし、彼らの突出ぶりはあくまでも、常識の範囲におさまっている。
そのなかで、非常識な突出ぶりを示しているのが、主人公のヒデヨシと、このギルバルスなのだ。

従って、この二人が登場する丸×戦記だと、いわば期間限定の「選ばれたるもの」として、二人とも候補にあがるけれど、だいたいはヒデヨシが選ばれることになる。
ところが、今回は珍しくも、ヒデヨシが全く選択の対象にならず、ギルバルスが選ばれてるんだね。

確かに、王者の風格はあるけれど、それよりなにより、根っからの自由人であるギルバルスが、どのように動くのかというのが、チョウマ戦記の見所だ。

しあkし、それでもなお、巻末の「春の拍子」のような日常の方が好きなのは、とてもスローな世界であるアタゴオルの日常というやつが、ほっとする要素を多々秘めているからだと思う。
まあ、逆に言えば、そういったスローさが読者にとって非日常として感じられる以上、非日常の中野非日常となる戦記ものはいまいちひたれない、という事になるのかも。

うん、面白いんだけれどね(笑)。


アタゴオルは猫の森 17 (MFコミックス)/ますむら・ひろし
2011年6月30日初版
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-07-28 19:34:17

『エスパイ』 小松左京を偲ぶ

テーマ:日本SF・ファンタジイ

小松左京が亡くなった……!
お年を考えればまあ……ねえ、とは思うが、日本SF界第一世代の大御所が亡くなられたという報に、いささか虚脱している。
正直なところをいうと、私の愛読書の中に小松左京作品は入っていない。
もちろん、読んでるけれど、そこまで好みにぴたりとはまる作品ではなかった、ということなのかもしれない。
だが、すごーく印象に残っている一作品があるのだ。
それが、この『エスパイ』。

おそらく、大方の追悼記事でとりあげられるのは、今年3月の大震災もあって、『日本沈没』だろうし(そもそもベストセラーで映像化もされてるし)、『さよならジュピター』もあげられるだろうし、『果てしなき流れのはてに』とか、まあいろいろあるだろうと思うんだが、その中で、実は、『エスパイ』、そういう名作ラインからはずれたものなのだ。
なんといっても、まず、第一にこれは娯楽が前面に出た物語だ。
タイトルからして、それを証明している。

エスパイ。
レスパー+スパイ、だからエスパイ。
ハルキ文庫版のこの表紙などはなかなかいいね。
いかにも、和製ジェームズ・ボンドっぽい。

そもそも、ここに登場するエスパーというものが、今は流行らない気がするうえ、超能力者であるということと、それがスパイ活動をするというのは、凄くありがちに思える。
冷戦時代には、実際に米ソ(とくにソ連)でそういう研究が行われてたなんて噂もある。
しかし、ちょうどジュヴナイルであるとか、そもそも発表された本国で出版コードが厳しく、性的描写がほとんどないようなSFばかりを読んでいた中学生のみぎり、私がはじめて手にした小松左京作品がこれであり、衝撃を受けたわけだ。

それは、文章も内容もさることながら、「ちょっと大人のシーンが入った」作品だったからだ。
ボンドガールのような美人スパイが登場したというインパクトが、いまだに、(きっと本来とは違う意味合いで)
「あれは凄かった……(呆然)」
という印象となって残っているのだ。
まあ、あれだ、美人キャラのボインがどうしても思い浮かぶのは読んだのがそういう年頃だったせい。きっとそのせい。

しかし、この作品があるからこそ、小松左京作品というものが、決して「科学的に正確な」とか、「ハードな」だけではない、ちゃんと、エンタテイメント性も高い作品なのだと私は認識できているんだろうなあ、と改めて実感する。
SFというと、ハードSFが至高、それ以外は認めんっ みたいな人がたまにいるんだけれど、やはりそれだけでは面白くないと思う。
そして、小松左京作品のエンタテイメント性も、もっと評価されて良いように思う。


エスパイ (ハルキ文庫)/小松 左京
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2011-07-27 09:40:53

『天と地の守り人 第三部 新ヨゴ皇国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

人は、孤立したままでは生きる事ができない。
たとえば、男と女が最低1名いなければ、子供は生まれない。
これが根本であると思うが、生物的な増殖だけではなく、それは人の集団と集団の間にも、人とそれ以外の事象の間にも適用される基本原理ではないかと思う。
清き川には魚住まずというが(いや、もちろん、濁りすぎてもだめだけれど)、生き延びるためには適度な外部からの刺激と、状況に適応するための変化が必要なのだろう。

チャグムの祖国であるシンヨゴ皇国は、帝国の脅威を受けて、鎖国する道を選ぶ。
これは、「清浄であること」が至上であるヨゴが、最も容易に選択できる道だっただろう。
その真逆の位置にあるのが、帝国の枝国となった旧ヨゴということになるかもしれない。
ヨゴの皇族としては異例なまでに、広く世間を見てきたチャグムでなければ、その「常識」をひっくり返す事はできなかったのだが、本来、父子の対立というところから始まったドラマが、ここで最終的に、国レベルの問題として発展しているのだ。

もちろん、単純に、チャグムの父に代表される「旧弊なもの」が悪いと決めつけるわけにはいかない。
どの程度切り捨てる事ができるのか、また、どの程度、(のちに)温故知新する事ができるのか、その選択はとても難しい事だ。
感情的なこだわりも無視する事はできない。
特に、変化の時にあたっては、この感情的な問題から、「どの程度切り捨てる事ができるのか(また、やりすぎないようにできるのか)」が重要なポイントになってくる。
その点で、父帝の選択はなかなかみごとだとも言えるのだ。

このように、本作では、幾つもの精力や考え方が渦巻いているのだけれども、そのいずれについても、決して、白黒つける事ができない。
カンバルでも、新ヨゴでも、賢明であり国に忠実である人が、裏切りともとられかねない選択すらしている事を見ても、それがよくわかるだろう。
そして、結果的にチャグムの選択が最良の結果をもたらすのだが、それであってもなお、他の考え方をした人たちが間違っていたといいきる事ができない。
また、誰もが、その人物の視点から、最善の事をしている。
このために、物語は複雑な状況となるが、面白くもある。

とkろおで、この、全く白黒がつけられず、さまざまな選択が行われているが、誰もが自分の観点から最善を尽くそうとするタイプの物語、海外でいうと、アーシュラ・K・ル=グインと、ローズマリ・サトクリフを私は連想する。
たとえば、『ゲド戦記』(断じてアニメではない)と比較するといろいろ興味深いのではなかろうか。


天と地の守り人〈第3部〉新ヨゴ皇国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1日初版
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2011-07-26 17:30:52

『天と地の守り人 第二部 カンバル王国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

チャグムが再びカンバルの地を踏む事で、物語の発端が思い起こされる。
幼い頃のチャグムが、精霊をその身に宿らせたあの事件だ。
チャグムが霊媒体質なのだとか、一度異界に魅入られたものは感応しやすくなるのだとか、そう言ってしまえば平凡なホラーにもありがちだが、この物語にはもっとずっと壮大な構造が与えられている。
それは、当初から触れられていた、人間の世界と精霊の世界の関係だ。
二つは別の場所にあるようでいて、不思議に重なり合ってもいる。

この重なり具合の微妙さ、そして危うさが、第二部ではより詳細に語られているようだ。
そして、ナユグの精霊たちの異質さが、改めて浮き彫りにされる。
異世界の「精霊」を物語に登場させているファンタジイは多いし、そこには、人間とは違う異質さを際立たせようとしているものもそれなりにあるけれど、まず、既存の神話や民話とは全く異なるものをつくり、しかも人間とはある意味で相容れないほどの異質さを付与するというのは、なかなかない。
むしろ、その描写は、SFのファースト・コンタクトものに通じるような気がする。

一方、人のいとなみとしては、いよいよ、「誰がなんのために帝国と通じたのか」という部分が、新ヨゴでも、カンバルでも、明らかになっていく。
帝国側の内情もまた、少しずつ明らかになっていき、一筋縄ではいかない政治的な状況が浮き彫りとなってくるのも、面白い部分だ。
昨今は、日本で紹介される英米のエピック/ファンタジイでも、従来のような、国対国、種族対種族の対立があったとしても国は国、種族は種族で、ほぼ一丸であるようなものから、もっと複雑な政治事情を付与するものが増えてきているようなのだが、本作は、そういう面でも、海外作品と堂々わたりあえるファンタジイだと思う。


天と地の守り人〈第2部〉カンバル王国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1んちい初版
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2011-07-24 20:15:05

『天と地の守り人 第一部 ロタ王国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

このシリーズ面白いんだけど、この最後のあたりはね。
文庫化され始める少し前だろうか、そんな話を聞いた事がある。
私にそう語った人は、ちょうど中学高校くらいの時に初読したのだそうだ。
従って、その印象は、十代の読書経験から来るものだろうと思う。

確かに、シリーズ当初の要素とは、構成が変わっている。
たとえば、主人公の片割れであるチャグム皇子はまだ幼く、物語の筋立てにそって成長する彼の姿は、まさしく、成長物語そのものだった。
また、水の精を内包してしまうというシチュエーションは、彼個人に起きた事であるから、国同士の争いあいというものはまだ全く発生していなかった。
政治向きのことも、言うところのお家争いの範囲にとどまっていたと言えるだろう。

しかし、チャグムが成長し、政治の一端を担うようになると、当然、彼の活躍は個人という私的な世界から、公的なものとなり、国同士のパワーゲームが背景となってくる。
当然、その内容お、より生臭いものに感じられてしまう。
おそらく、このため、冒頭のような感想が浮かび上がってしまうのではないだろうか。

まあもともと、「この作品はファンタジイですよっ」と作者が声高に宣言して書いたものではないと思うから、べつだん、個人の物語であることに固執する必要はないはずだ。
チャグムは皇子なのだし、彼が大人になっていけば、状況が変わってくるのは当然のことだ。
いわば、青年になろうとしているチャグムが、祖国の危機を迎え、人間としての冒険に踏み出していくとも言えるのだ。
物語は、神話から英雄の時台へ、と銘打つこともできるかもしれない。

実は、それほど単純な構造ではないのだけれども、まず、第一部では物語のスタンスが変化していくところに、読者としてもなじんでいかなくてはならないのだ。

一方、もうひとりの主人公、バルサは健在だ。
もちろん、チャグムが成長した分、彼女には老いが忍び寄っているだろうけれど、政情が変化しても、基本的に彼女の仕事は変わらない。
相変わらず、彼女の仕事ぶりは見事であり、物語のかわらぬ一面として安心して読む事ができる。
実に、二人の主人公を立てているこの物語の利点であるだろう。
片方が大きく変化しても、もう片方は安定している。
このため、読者に安定感を与えつつ、大きな変化というダイナミズムをストーリーに与える事ができるわけだkあら。


天と地の守り人〈第1部〉ロタ王国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1日初版
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。