2008-03-19 12:16:46

『ジャスミンの魔女 南フランスの女性と呪術』

テーマ:各種専門書
本書は、フランスの歴史学の大家が、ジャスミンというペンネームの詩人によって伝えられた、フランソネットという名の魔女を中心とし、南仏における呪術について著したものだ。
論文であって、昨今の新書のように講演集などを基にした読みやすい文章とは違う。

とはいえ、(著者の文章の癖もあるのだろうけれども)、訳文はあまりにも原文に忠実すぎ、日本語としては大変読みづらいものとなっている。
文章に慣れるまで、読むのがちと辛いほど(笑)。
また、テーマとして扱われているのが、フランソネットという名で知られる伝説の女性を中心としたものながら、これが日本人には全く馴染みのない存在なので、その点でも、とっつきにくいかもしれない。

早い話が、この手のものにある程度以上の興味がなければ、「読めない」本である、と思う。
また、この方面の学問とは関係のない一般人を対象に書かれたものではないから、南仏という土地柄や、フランスの歴史、宗教などに全く知識がない場合、さらに読むのが大変になる可能性が高い。

しかし、以上のようなハードルを越えてしまうと、なかなか興味深い内容の本。

さて、本書はタイトルに「南フランスの女性と呪術」という文言を含むのだが、そこから想像されるような、
南仏に伝わる呪術の様相とか方法
を、詳細に述べたようなものではないのだ。
では何かというと、南仏という土地柄で、どのように、女性が「魔女」へと仕立て上げられていったか、という社会的な状況について研究したものなんだな。

ゆえに、読者は、このあたりの土地が、宗教戦争を経験した土地柄である事や、その内容についてある程度把握していないと、著者が何を述べているのか、いまいちわからなくなるというわけ。

本書の構成は、まず、フランソネットという女性のプロフィールを詳細に論じ、
次にフランソネットを文芸の形で世に残したジャスミンの詩文を掲出し、
最後にフランソネットのバックボーンとなる事柄を含め、フランソネットのモデルを遡及する。

フランソネットは、生まれ落ちた時に、ユグノーでありその後行方不明となった父親によって悪魔に捧げられたとされる。
このため、フランソネット自身にはなんら自覚がなくとも、実は悪魔の印がつけられた娘ということになる。
大変美しい娘なので、近隣の若者たちのアイドルだったのだけれども、
彼女に求婚した男が大きな怪我をするといった事から始まり、
あたり一帯に雹害がある時も彼女の畑だけは被害をまぬがれ、豊作になると言われ、
彼女自身はなんの意図もないのに、周囲から、魔女として指弾されるようになる。
ついには、神/近隣の人々へのとりなしを願って聖母に巡礼するフランソネットだが、聖母像に接吻したとたん、雷が轟き、雹が降って、その巡礼は挫折する。
しかし、勇敢にもフランソネットを愛する青年パスカルが彼女に求婚し、周囲が固唾を飲んで見守るなか、祝言をあげた暁、フランソネットの呪いは払拭され、彼女は再び、村の一員として受け容れられるのである。

詩人ジャスミンによって歌われたフランソネットは、以上のようなものなのだが、
著者は、降雹と魔女の結びつき、
魔女が腕に降れる事によって起こる悪い影響、
聖母巡礼の挫折、
これらについて、民俗学的及び歴史的に、一つずつ解釈していく。

いわゆる「魔女狩り」について書かれた本はたくさんあるが、その手前の事情について述べたものは少ないと思う。
本書は、そうした事情を著した、貴重な一書だと言える。


ジャスミンの魔女―南フランスの女性と呪術/エマニュエル ル=ロワ=ラデュリ
1985年2月10日初版
1997年9月15日新装版初版
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2005-05-30 21:43:12

『ガモフ全集』 本の選び方の原点!?

テーマ:各種専門書

ジョージ・ガモフという名前を知ってるか?
「ビッグバン理論」をはじめて唱えた物理学者だ。
この人の論文集は、翻訳され、全集として出版されている。
『ガモフ全集』が、それだ!

さて、私はこのガモフ全集を、中学2年の頃に、読破した。
「ええっ。とら、すげーじゃん!」
と、思うなかれ(笑)。
わかるわけないだろ、物理の論文集なんか。
でも、天文学に興味があったし、わからなくても全部読んだのだ。
それというのも、図書室にガモフ全集があったからだ。

私は、中学まで、中高一貫教育の私立校に行っていた。
一貫教育だから、中等科と高等科は、図書室が共有だったのだ(笑)。
だからだろうな、蔵書は、どちらかというと「高校生向け」だったのだと思う。
それに、蔵書数も他の学校に比べて多かったかもしれない。
そして、なんつっても活字中毒だったから、その図書室にある本を、ともかく全部読み尽くす。
これを志し、卒業までに実行したのだ。
その中に含まれていたのが、ガモフ全集だったというわけ。

でもな、なんか非常に、強い印象が、今まで残っているわけだ。
残念ながら、私は、高校は音楽学校という、極度に専門化されたところに進学してしまったため、普通科に行った高校生より、理数系の授業には恵まれなかった。
それでも、いまだに、
「太陽スペクトルの中のフラウンホーファー線がどうのこうの」
なんていうくだりを、憶えてるんですね(‥

内容が高度すぎて理解できなくても、なんていうか、不思議に、面白いもんは面白いのだな。
そういうフレームを私の脳内に焼き付けてくれたのが、ガモフ全集だったとも言える。
そして、「手当たり次第になんでも」というベイシックな選択基準が確立されたのも、ガモフ全集のおかげだったのかもしれない(笑)。

ところで、私の記憶にあるガモフ全集って、黒い装幀で、いかにも
「大人の読む難しい本(中坊が読めるものなら読んでみるが良い!)」
という外観だったのな。
今、Amazon.comで検索しても、画像が出てこないんだけど、ずっとあのままの装幀だったのか、ちょっと気になっている(笑)。


著者: ジョージ・ガモフ, 鎮目 恭夫
タイトル: ガモフ全集 13 (13)
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2005-05-29 20:19:26

『図書分類の実務とその基礎』 図書館の本の背表紙に……

テーマ:各種専門書
図書館の本の背表紙に、小さなシールみたいなのがはってあるだろ?
数字がスタンプとかで押してあるんだよね。
0~9から始まる3桁くらいの数字。(図書室だと1桁のところもあるかも)
でもって、棚を見ると、やっぱり、数字が書いてある。
ジャンル名と一緒に。

小学校時代から図書室図書館の虫だった私は、かつて、これを不思議に思っていたのだ。だって、気になるだろ?
「この数字って、何?」
もちろん、図書室の司書の先生が教えてくれた。
「これは、本を分野ごとに分類するための数字なんだよ」

国際的には何種類かの分類法があるようだけど、日本で多数派をしめるのが、NDC。
これは、日本十進分類法の頭文字だ。
書籍をまず10の大きな分野に分類する。
その下に、さらに、サブジャンルが存在する。

部屋の整理整頓はいーかげんだが、趣味のものを記録分類する事が、大、大、だーいすきな少年にとって、なんと魅力的なものなのだろう(笑)。
ところがだな、数字と分野の関係を表にしてみても(いや、そもそもサブジャンルの表なんてものがまず手に入らないんだけど)、実際に分類しようとすると、これが難しいんだな。

その点、分類することの意義、そして実務をわかりやすく書いてあったのがこの本というわけだ。
いやあ、「分類が好きな人」ならきっと楽しく読めます。
(それ以外の人はきっと、寝てしまうだろう)。

国会図書館で使われているNDLCという分類法についても載っていて、びっくり。
なるほど、国会図書館の分類法は独自のものなのだな!
まあ、普通は、こんなところまで知る必要はないんだけどな(笑)。
NDCの基本を知っているだけで大丈夫。
(図書館を利用しない人は、それすら知らなくてもいいが、そういう人はこういう本、見ないね)。

さて、こんな本を読んでいるなら、とらは自宅の本をNDC分類したんだろうって?
いやあ~。
DB入力だって追いついてませんって(汗)。


著者: 千賀 正之
タイトル: 図書分類の実務とその基礎―データ作成と主題検索へのアプローチ
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2005-02-18 20:35:33

『密教の神話と伝説』 わかりやすい密教の解説

テーマ:各種専門書
密教。空海と最澄、高野山と比叡山に代表される、あれです。
護摩を焚いて、呪文のような真言を唱えている、あれです。
でも、密教って、ナニ。
いろいろ秘密が多いから密教なのか?
なんかちょっとアヤシイようなイメージがあったりする?

なんとなーく、
「空海とかの、アレ」
という漠然としたイメージはあっても、やっぱり、密教ってよくわからないよね。その密教について、まず仏教のなりたち、洋の東西の思考法の違いから解説し、密教の中に取り入れられたさまざまな神について語り、そして高野山と国津神、お稲荷さん、八幡様との関わりについて解き、
「密教とはずばりこーゆうものです」
と説明してくれてるのが、この本なのだ(笑)。

目次の後ろに、
「朝日カルチャーセンター〈大阪〉講座『密教の神話と伝説』(1982/10・5~12/14)から」とある通り、一般向けに行われた講演を記録したものだから、読んでいても耳で聞いているごとく、簡明になっている。
そうなんだよ。
口で説明してもらった方が、書いて説明してもらうよりわかりやすいよな?
ましてや一般人向けに語ったものなんだから、ほとんど、専門用語はない。専門用語が入っている場合は、それなりに、ちゃんと、説明がされている。

神話と伝説、というタイトルからすると、なんとなしに、
「帝釈天と阿修羅の伝説?」とか、
「シャカとスジャータの話?」とか、
仏教説話集みたいなものを想像しちゃうんだけど、内容は、そうじゃないわけだ。

仏教と言わず、西洋と東洋の考え方の違いなどは、「密教神話の意味するもの」と題された松長有慶の講演に詳しく、西洋的な教育を受けた者に、
「あーっ。そうだったのか、そういうことかあっ」
と、目の鱗を落としてくれる事は請け合いだ。

ちなみに、この講演集は、松長有慶、高木訷元、和多秀乗の3人によるものなんだけど、私は松長有慶の担当分が一番面白かった(笑)。
密教というもののなりたちとか、大乗仏教と小乗仏教の関係など、これ以上わかりやすくかつ詳しく書かれたものって、他にないかもしれないぞ。

仏教っていまいちわからないけど、密教にちょい興味あり。
もしそういう人がいたなら、ちょっとこの本を見てみるのは、ナイスなんじゃないかと思う。



著者: 松長 有慶
タイトル: 密教の神話と伝説
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2005-02-03 17:25:15

『鬼の研究』 では、鬼ってなんなのか

テーマ:各種専門書
大陸の端にある島国は、いろいろなものが吹き寄せられ、混淆していくのが決まりのようなもんらしい。
日本の「鬼」も、まさしくその通り、中国の幽霊たる「鬼」に、日本の国津神、山人、盗賊、人々の恨み、政治的敗者、いろいろなイメージが重ね塗りされていった結果、できあがっていったもののようだ。

なので、ひとくちに「鬼」といったところで、人によっていだいているイメージも違うし、解釈も異なるという事もある。

その一方、鬼と、人の情念というのは切り離せないものになっていて、古典芸能でも文学でも、人気の高いキャラクターなわけだ。
いや、ほんとに。
民話では、天狗なんかもかなーり活躍するんだけど、比べればやはり鬼の方が人気があるっぽい。
それは、ごく単純に、鬼の方が人との関わりが深く、天狗は山に住んでいて、かつ、生活臭が感じられないからなのか。

う~ん?

いや、まあ、天狗と切り離して考えても、だ。
鬼って、不思議と人の心を魅了するものがあるのだ。
なんででしょう?

そもそも、鬼というもののなりたち、時代によってどのように扱われてきたのか、または考えられてきたのか。
それを系統立てて解説してるのが、この『鬼の研究』だったりする。

鬼というイメージの背後に見え隠れしているものを、
「これはどうですか」
「いや、こんなものもありますよ」
と、次々示してくれていて、面白い。
後半は、天狗との比較もできる。

でも、決して、
「ゆえに鬼とはこれこれこういうものなのだ!」
と一刀両断しているわけではないので、読む方としても、自分なりに、鬼というものを再確認できるのだ(笑)。

鬼。
それは、誰しも、自分の心の中にもっているものかもしれないけれども、善いものなのか、悪いものなのか。
「おにはーそと」
これでいいですか?
追い出したいのはなんですか?
ちょこっとだけ、哲学的な気分にも、なれるかもしれないぞ。



著者: 馬場 あき子
タイトル: 鬼の研究
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2005-01-18 14:08:01

『鉱物論』 中世ヨーロッパの科学

テーマ:各種専門書
アルベルトゥス・マグヌスといえば、一部のオカルトのマニアが耳をそばだてるだろうし、朝倉書店というと、主に理系の学生が、「あー」なんて声をあげるんじゃないかな。理系の教科書なんかをよく出してる出版社なんだよね。
オカルトと理系。えー。
と、言いたいところだけど、近代以前の「オカルト」は、錬金術などに見るように、現代でいうところの魔法と科学が微妙にミクスチュアされたもので、科学史の観点から見て重要なものもたくさんあるという事だ。

というわけで、朝倉書店の「科学史ライブラリー」には『錬金術の歴史―近代化学の起源』 なんてものが実際に見えたりするわけだけど、まあ、これも、そういう流れの一環という事なのだろう。

但し、あくまでも専門書であり、「中世の科学」に興味のある人でなければ、面白くもなんともない(笑)
でもって、興味はあるけどあまり中世のそういう事については知らないんだよね、という場合は、まず本文あとの解説部分から読む事をすすめちゃう。

なぜかというと、中世の科学は、現代の科学と、立脚点の違うところがたくさんあるのだ。
たとえば、「元素」といっても、炭素だ水素だ酸素だというようなものじゃなくて、「火」「土」「水」「気」であったりするわけさ。
また「熱」「乾」「湿」「寒」の四大性質というのもあった。
これらについて、多少知っていないと、アルベルトゥス・マグヌスが何を言ってるのか、まったく、理解できなくなってしまう。
そもそも、タイトルは『鉱物論』だけど、中世の「鉱物」は、「動物と植物以外のもの」であるわけだし。
実際、本書の中では、岩石も、現代でいうところの鉱物も、宝石も、金属も扱われているのであります。

以上の前置きをした上で、この本の興味深い点。

アルベルトゥス・マグヌスの生きた13世紀は、キリスト教会の横やりを恐れつつ、イスラム圏から逆輸入したギリシアの文献や、イスラム独自の文献がたくさん輸入され、読まれ、それらについての学問や研究が盛んになった時代だということだ。

だから、これを読むと、まず、自然科学が産声をあげたギリシアで、どのように考えられていたか。それがわかる。
次いで、ギリシアの影響を受けたイスラム圏で発達した科学で、どのような考え方をされていたかがわかる。
そして、これらをもとに、アルベルトゥス・マグヌスがどのように考え、(できる場合には)実験したり現象を集めたりして、考察したかがわかる。

いわば、この本そのものが、「科学史」を書いたようなものなのだ(笑)。

しかも、アリストテレスなり、アヴィセンナなり、ヘルメス・トリスメギスタスなりの主張について、客観的に引用し、あるいは要約しつつ、比較検討し、自分の考察を加えて書いているので、単にこれらを比較する上でも、とてもわかりやすいと言える。

もし、近代より前の科学というものについて興味があるならば、絶対に、お勧め。いや、そういう人が少ないだろうとは思っているけれど(笑)。

著者: アルベルトゥス・マグヌス, 沓掛 俊夫
タイトル: 鉱物論  2004年12月新刊
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2005-01-15 14:43:43

『グノーシスとはなにか』

テーマ:各種専門書
グノーシスって、聞いた事くらいはそういえばあるよなって思う人、いるんじゃないかな。
「キリスト教の密教みたいやつ?」
という答が出てくれば御の字。でも、これは、当たっているとも言えるし、当たっていないとも言える。
実は、グノーシスって得体の知れないもので、キリスト教国ではない日本に住む我々にとっては、ことさら、わかりにくいものなんだ。
でも、西洋のオカルトには多大な影響を与えているから、何かしらオカルトに興味を持つと、耳にする事が多いわけなんだ。
グノーシス。
う~ん。グノーシスって、なんなんだろう?


 というわけで、これは、serica books の本。serica books は、せりか書房が、一般の人にも読めるように書かれた専門書っていうようなカテゴリーの本を出しているシリーズなんだけど、ネックは、
「著者が自国の人に向かって(または同じ文化を共有する人に向かって)書いた本だ」
ということ。とくに、この『グノーシスとはなにか』に関しては、それを強く感じてしまう。

結論から言うと、あらかじめ、ある程度キリスト教やキリスト教史についての知識がないと、理解するのはかなりしんどいのではないかと思う。
そのハードルさえ越えてしまえば、かなり読みやすい本だ。
あえていえば、入門者には無理。初級~中級向けっていう感じ。

さて、この本によれば。
グノーシスというのは、統一されたグループではありません。
初期のキリスト教徒のうち、ある傾向を示す者に対して、一律、はられたレッテルなのだ。
「あいつらグノーシス!」
と言われた人々のグループはいくつもあり、相互に連携をしていたわけじゃないって事だね。

で、グノーシスというのは、「知識」を意味する言葉なので、これが、初期のキリスト教をずばっとおおざっぱに二分する問題だったんじゃないかと思われる。どういうものかというと、
「人間は霊的な知識を会得し、魂の本来の完璧さを回復する事によって霊的に幸福な状態となれる。これが真理なのぢゃ」
というのに対して、
「なーにを言うか! エデンの園で、蛇が何をイブにそそのかしたかお主は忘れたのか! 知識などという余分なものが魂を汚してしまったのぢゃ」
という主張。前者がグノーシスで、後者が(後の)カトリックであります。
知識が良いものなのか悪いものなのかという、まことにしよーもない争いがここにある(汗)。

前者には、なんと、当時の錚々たる神学者たちが顔をそろえており、そりゃあもう見事に「理論武装」していたわけだけど、こういう知的エリートって、考えてみれば、メジャーにはなれません。いつの時代も、一番数が多いのは
「無知なる(とくに知識を得ようとは思っていない)平凡な庶民」
というわけだ。
おまけに、生活習慣なども、グノーシスは前衛的、カトリックは保守的であった。一般人……大衆は、ふつー、保守的なものです。

もっとも、福音書に見られるイエス・キリストの姿は、むしろ、前衛的だったのだ。一般に、
「あいつら不浄じゃん!」
とさげすまれているような、「卑しい」仕事の人、外国人、女性(それも女性一般どころか、一番立場の悪い娼婦まで)。これらの人に、むしろ積極的に近づいて、救いをもたらそうとしていた事は、間違いないのだ。
でも、これって、保守的な人には、受け入れられない行動なんだよな。
なぜって、そういう人々を、下に見たり、一人前の社会人として扱わない事が、当たり前。たとえば、女性については、絶対に人数としてカウントしないし、ましてや人前で意見を述べたり、男と肩を並べて活動するのは、
「あの女、売春婦同然やん」
という見方になってたのだ!(怒れフェミニスト!)<(笑)

んでもって、世の中がたいていそうであるように、キリスト教でも、
「イエス以前からの伝統的生活習慣を尊重する、そして、学問志向のない一般大衆にも理解できる」内容の、(従って、より前衛的なイエス・キリストの理念よりはだいぶん退歩した)カトリックが主流となり、
腹がたつほど頭いい!
男女平等で女にも好きな事させちゃってる!
エリート意識ぷんぷんな!
「あいつらグノーシス」を。
レッテル貼って、「異端」として追い出したのでありました。
嫉妬とコンプレックス入ってて、まるで悪い2ちゃんねらみたいですが、古今東西、どこにでも、こういう奴らはいたし、こういう事は起こってきたわけですな。

ですが、グノーシスの言ってる事っていうのは、確かに、一般受けしないよなーとも、思う(笑)。
簡略に言うと、グノーシスの主張とは、
「この世を創造したのは、より劣る神、デミウルゴスである。ゆえに、この世はできが悪いのである(本当に「神」が創造したのなら、これほど欠点だらけであるはずがない)。
人間を創ったのもデミウルゴスである。ゆえに人間の肉体は、汚らわしいものである。それは、母ソフィア(最下級の神でありデミウルゴスの母)からかろうじてデミウルゴスの中に伝えられた魂が、人間の中に移される事によって、生きたものとなった(このため、デミウルゴスは魂を失った)。
ゆえに、肉体は魂にとっての檻である。
魂は、この檻の中で、自らの出自(天に属するということ)を忘れ、無知の状態となっているので、人が霊的に幸福な状態となるためには、無知な状態の魂に知識を与え、その本来の霊性(聖性)を回復させていかなくてはならない」

というものなのだ!

自らの努力によって悟りを得なければならないという、仏教の一派に、ちょこっと似ている気もする。
あるいは、仙人になるための修行とも、ちょっと似てるとこがあるかも。

いずれにしろ、ごく普通に生まれ、ごく普通に暮らしている、ごく普通の人にとっては、
「ナニソレ。おいらわからないもんね(汗)」
となるのは、避けられない事だっただろう。
また、グノーシスな人たちにとっても、そういう一般大衆は、
「自らを救済する意志のないもの」
ということで、見下していたんじゃないかな。たぶん。

もっとも、こういう考え方って、自らの霊的な資質に興味を持つ人にとっては、こたえられない分野なわけで。
従って、グノーシス思想は、それ以降の西欧の、あらゆる隠微学やその周辺グループ……後年のフリーメーソンから魔術団体まで……に、大きく影響をしていく事になるわけだ。

著者: マドレーヌ スコペロ, Madeleine Scopello, 入江 良平, 中野 千恵美
タイトル: グノーシスとはなにか
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2005-01-12 09:32:01

『シェイクスピア薬品考』 ちょっとかわった角度から

テーマ:各種専門書
シェイクスピアといえば、戯曲やソネット集それ自体だけでなく、そりゃもういろいろな本が出てるよね。
引用句集のようなものから、研究書まで。

でも、これは珍しいよ。
著者自身の「はしがき」から一部引用してみよう。
------------------------------------------------------
本書は「古代・中世・近世薬学史研究」のうちの近世の部いn属するものである。古代の部では「ディオスコリデスのギリシア本草」(「薬学研究」Vol.27:6〔1955〕~Vol.35:10〔1963〕=11回連載)を,中世の部では「チョーサーの作品」(『薬学研究』Vol.35:10〔1963〕~Vol.37:5〔1966〕/『聖母女学院短期大学研究紀要』第3輯〔1969〕~第5輯〔1973〕=合わせて6回連載)を取り上げ,近世の部では英国ルネッサンス期の「シェイクスピアの全作品」に現れた主として薬品類を解説・考証したのである。
-----------------------------------------------------

どうですか?
単なるお遊びとはちょっと違う。東京帝国大学の医学部薬学科を出た、れっきとした薬学者が書いた本なのだ!

目次を見ると、戯曲のタイトルごとにまとめられている事がわかる。
シェイクスピアに出てくる毒薬といえば、おそらく一番有名なのが、ハムレットの父王を毒殺した、あれだろう。
もちろん、それについても詳しく、書いてある。
それどころか、
「なぜ、耳からそそいだのか」
についても考証されてる。
だって、現代人にとって、これ、疑問だろ?
なんで耳からなんだよ!(笑)
まだ、鼻のがわかるよね。
ところが、この本によると、シェイクスピア当時は、確かに、耳から薬を注ぐという考え方があったという事がわかるのだ。

すごく知的興味を刺激される本だよ。


著者: 藤本 豊吉
タイトル: シェイクスピア薬品考
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2004-12-25 21:29:48

『女の霊力と家の神』 昔、祭は女が司祭していた

テーマ:各種専門書
たとえば、バーバラ ウォーカーのように、フェミニストがかった学者もいるけれど、そこまでいかなくとも、古代は女権社会だったというのは、もはや一般に認められているといってもいいような気がする。

で、古代の政治(まつり)とは、すなわち「祭」だったわけだけど、それを女性が牛耳っていたのは、なぜ?

日本に限らず、地中海でも、ギリシアのオリュンポス系神々が世界を支配する前は、女神が諸国の主神であったというし、北欧でも、オーディン以前は女神が支配していたという。(たとえばヴァニル神族のフレイヤが、オーディンと似た権限を持っていたり。オーディンは、魔法という「女の技」を学んだと笑われてたり!)

オーディンのところでちょっとヒントがありますが( ‥)/  ↑

ぢつは、魔法だの、呪術だの、そういった神秘的な力を持つものは、(ウォーカー流に言うと、経血がある者。もっと普通に言えば、出産の機能を持つ者)女……であるに決まっていたのだ!(笑)

で、日本の場合、どうでしたか? というあたりをうまく説明してくれているのが、この本なのだ。
日本の神道というと、やたら、「女人禁制」であったりして、男性優位のように思われがちだけど、実は、そうではないらしい。
本来、神事は女性の手によって行われていたという証拠が、たくさん例示されているのが、とっても面白い。
先人である柳田国男や折口信夫の著作なども示しつつ、著者独自のフィールドワークと視点で、日本の本来の祭の様子を、見せてくれるんだよ。

しかも、現代においても、まだ、ひそかに、「女性の神秘的な力」はまだ俗信として残ってるんだね。
いわゆる「アゲマン」なんてのもそうだろうけど、陰毛をお守りにすると戦争から生きて帰れるとかギャンブルでツキがめぐってくるとか。
沖縄には、今でも、姉妹が男の兄弟を守るという信仰が残っているらしいけど、これが「妹(いも)の力」というやつ。

女の時代と言われるようになって久しくなっているけど、攻撃的なフェミニズムが元気な時代は、もう過ぎ去っていると思う。
本当は、女性のどこがスゴイのか、なんで女性を大切にしないといけないのか、そこをもう一度考えてみても、いいよね。



著者: 宮田 登
タイトル: 女の霊力と家の神―日本の民俗宗教
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2004-12-21 20:11:12

『ものと人間の文化史40-II 賭博 II 』

テーマ:各種専門書
賭けごと。
賭博。
ギャンブル。

ううーっ、なんかこう書くだけで、アヤシゲで、ちょっと背徳的な、ワクワクするような、そんな気分になったりしませんか?
え。しない?
しないのかー……。
いや、しない方が安全です。賭博ははまると大変です( ‥)/

そういう、人間を熱狂させるものが、いったいいつ頃からどんな形で行われていたのか?
それを解き明かしてくれるのが、この本。
私は確か、この本に載っている、古代ローマの剣闘士に関する賭博の項目を読みたかったので、購入したのだったと思う。
実際には、占いとして用いられていたものが、賭博に転用されるようになった古代の状況から、時代を追って中世、近世、現代へと進み、それぞれの時代ごとに、どの民族がどういう賭博をしていたかを順序よくかつわかりやすく書いてあるのだ。

特に、よく使われたのは、やはりサイコロであるらしい。
日本でも時代劇で賭場が出てくると、たいてい、
「さあはったはった! 丁ないか、半ないか、丁方ないか、半方ないか!」
こんなかけ声とともに、次々、集まった人がコマを盆茣蓙の上に出すっていう情景が定番だよね。
このサイコロ、今でこそいろいろな材質になっているけど、昔は骨製が普通だった。手に入りやすく、均質な材料だし、彫刻もできるからだろうと思っていたら、じーつーはー。
この本によると、そもそも最初のサイコロは、動物の足の骨だったんだと!
これが、だいたい、6面体の形をしていて、サイコロとして使うのに都合がよいのだそうだ。

獣の骨にはあまり馴染みのない日本人には、ちょっと、びっくりです。

なかなか新鮮な驚きだったので、読んだ後も、この情報はずぅーっと憶えていたのだ。でも、まさか、現代でもそういうものが使われているとは思わなかった。本日、ぐーすか・ぶーすかさんのブログで読んで、ほんと、またまたびっくりしました。
モンゴルでは、まだ、そういうものを使って、遊んでるんだって。写真もあるので、とても貴重な情報でした!
そうかー、サイコロみたく使う足の骨って、だいたいこんな感じなんだあ。

本で読んでいた事が、こうやってネットでみつけられると、ちょっと感動です。


著者: 増川 宏一
タイトル: 賭博 (2)
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