2010-09-26 19:55:38

『トラークル詩集』

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
秋といえば、読書の秋という。
秋といえば、芸術の秋という。
あえて組み合わせれば、詩を読むのに適した季節ということになるだろうか。
実際、ヨーロッパの詩人も、秋をうたった詩は、多いよね。
詩の好きな人なら、たちどころに、詩人や、詩のタイトルが幾つも浮かぶに違いない。

もちろん、ヴェルレーヌだ、ハイネだ、リルケだ……と、定番をあげることはいくらでもできるのだが、なぜか、秋と詩人という組み合わせで、私が最初に思い浮かべるのは、トラークルなのだ。

すごくメジャーではないかもしれない(少なくともヴェルレーヌのように即座に名前があがるとは思えない)この詩人を知っているのは、中学か高校の頃、ともかく図書室の本を読み尽くしていた頃の話だからだ。
つまり、図書室にあったわけだな。

もともと軍医であったというトラークルが書く詩は、不気味で、どこか病的なものすら感じさせるのだが、青や冷たい黄金に彩られた、トラークルの秋の詩は、奇妙にも、心に残るものだった。
そうだなあ、この詩人が描く世界というのは……。

ファンタジイのファンなら耳をそばだてるかもしれない。
タニス・リーの世界と、一脈通じるところがあるように思うのだ。
もっと広くとるなら、ムアコック以降の、イギリスのSF・ファンタジイ作家の描く異世界と言ってもいいだろうか。


トラークル詩集 (双書・20世紀の詩人 13)/トラークル
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2010-06-01 20:36:31

『対訳 イェイツ詩集』

テーマ:詩・叙事詩・戯曲

イェイツという詩人は、英米文学をたしなむ時(エンタテイメントを含む)、そして神秘主義とかオカルティズムに触れる時、避けては通れない詩人だ。
アイルランド出身ではあるが、カトリックではなく、プロテスタントである。
人物像が複雑であり、それだけに、研究しよようとすると大変だろうと察せられるのだが、しかし。
象徴主義的だ、詩句のなかのこれこれが、何をさしているのだ、というような解釈など全てふっとばして、イェイツの詩は美しい。

本書は、イェイツの数多ある詩の中でも、有名なものを集めたと編者の文章にある。
薔薇の登場する詩などは最たるもので、言葉を追うだけで実に美しい。
情景ではなく、イェイツの場合は、文字通り、言葉に浸れる。
そこから、もし、情景が思い浮かべられるなら、更にラッキーだ。

詩人の多面的な人物像から、いろいろな切り口が得られるけれども、ただただ、その神秘的な美しさを堪能するのでも、いいと思うんだよな。

いろいろな文学作品に登場するイェイツの詩句が思い浮かぶならば、元の詩をみつけて詠んでみてもいいし、逆に、詩そのものを楽しんでから、アイルランドの伝説とか、そういった方面に発展していっても面白いと思う。

そして、訳も美しいけれど、やはり、詩は、原文のお供楽しまなくてはね。
対訳が文庫で読める幸せは、ひとえに岩波書店のおかげだ。
ありがとう、岩波。

----------
幸福な羊飼の歌
落葉
かりそめのもの
さらわれた子供
柳の園に来て
時の十字架にかけらえrた薔薇に
ファーガスとドルイド僧
世界の薔薇
平和の薔薇
戦いの薔薇
湖の島イニスフリー
愛の悲しみ
あなたが年老いるとき
誰がファーガスと行くのか
妖精たちの集結
空を行く妖精の群
秘された薔薇
彼は天の布を求める
アダムの呪い
双つめのトロイアはない
時を経て叡智が訪れる
〔 許せ、わが父祖よ 〕
灰いろの岩山
上衣
クールの野生の白鳥
アイルランドの飛行士は死を予知する
学者たち
釣師
私はそなたの主だ
一九一六年復活祭
〈再臨〉
娘のための祈り
ビザンティウムへの船出

内戦時代の省察
一九一九年
レダと白鳥
小学生たちのなかで
イヴァ・ゴア=ブースと
自我と魂の対話
三つの運動
クール荘園、一九二九年
クール荘園とバリリー、一九三一年
選択
ビザンティウム
動揺
ラピス・ラズリ
やさしい踊り子
拍車
彫像
老人どもが怒り狂わずにいられるか?
サーカスの動物たちは逃げた
政治
ベン・バルベンの下で


対訳 イェイツ詩集 (岩波文庫)/著者不明
2009年7月16日初版
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2010-05-26 20:58:48

『対訳 バイロン詩集』〈イギリス詩人選8〉

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
バイロンのように人気のある詩人の詩集となると、日本でもさまざまな出版社から出ているのだけれど、それでも、対訳は少ない。
これはとても残念な事だ。
というのは、詩ほど、言葉のリズムと密接に関係する文学はない。
どれほどの名訳であったとしても、違う言語であるからには、原詩のリズムは再現できないのだ。

ゆえに、意味はわからなくともリズムを楽しむためには、原詩を見なくてはならない。

しかし、それではその言語に堪能な者でもない限り、意味がわからず、内容を楽しむ事ができない。
したがって、ここは、訳文もほしいわけだ。

ゆえに、詩だけは対訳がいいというのが、私の持論だ。

でも、対訳というのは片側に原文、反対側に訳文が必要で、
あたりまえだが、1つの作品に対してページ数は倍かかってしまう。
なので、そうそう出版してくれる出版社はmないのが実情だ。

岩波文庫は、ずいぶん前に、イギリス、フランス、ドイツなどの名詞選を対訳で出してくれたが、なんと昨年、それらとは別途、幾つか、こんな対訳を出していたもよう。
ひとつがバイロンだ。
いいなあ、バイロン。

表紙に書かれた編者の言葉によると、
「本書ではバイロンの詩の本領を伝えるべく、短篇の叙情詩よりも長編の物語師と劇詩の比重を大きくし、それぞれのハイライト部分を幅広く収録した」
のだそうだ。

早い話がダイジェストなのだけれど、もーう、バイロンらしい部分が、ほんとにハイライト収録されてるんだな。

----------
1 旅する魂
『貴公子ハロルドの巡礼』より
2 東方ロマンスの世界
『アビュードスの花嫁』より
『海賊』より
『コリントスの包囲』より
3 内面世界の広がり
『ション城の囚われ人』より
4 自我意識の崇高と呪い
『日記』より
『マンフレッド』より
間奏曲-政治意識の芽生え
『ダンテの予言』より
5 ヴェネチア総督の「陰謀」
『マリノ・ファリエロ』より
6 古代アッシリア、伝説の王宮の最期
『サルダナパロス王より』
7 諷刺と諧謔
『イングランドの詩人とスコットランドの批評家』より
『ドン・ジュアンより』
8 叙情詩
ハロー遠望-村と学校をかなたに見て
野の羚羊
さようなら、元気で
〔オーガスタへの手紙〕
一八二四年一月二二日、メッサロンギにて この日、三六年目の歳を終えるにあたって


バイロン詩集 (世界の詩 7)/バイロン
2009年2月17日初版
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2006-03-07 22:19:34

『花の歳時記 春』

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
春を告げ知らせる花は、いろいろあるだろうけれど、中でも木の花に限定するならば、それはやはり、梅ではないかな。
実際、この本も、しょっぱなに載せているのは、梅。
歳時記なので、図鑑と違い、梅にまつわるいろいろな文化的事情などお記されているのだが、梅は桜より古く、日本人が鑑賞してきた花だっていうのは知ってる?
平安初期くらいまで、花見といえば、それは梅の花を見ること。
ただし、梅はその頃までに、中国からもたらされたものだから、最初は、庶民にはあまり縁がなかったかもな。
なのに、数多くの梅の歌が残されているというのは、日本に入った梅が、またたくまに全国に広がり、愛好された事を示しているのだと思う。

今日の関東は久しぶりに晴れ間が見えて、南向きの、日だまりのところから、梅があちこちで満開となり、白や、薄桃や、紅色までの、いろいろな花を咲かせている。
桜と違って、梅の良いところは、香りもすばらしいということだ。
(桜の香りって、非常にあえかなため、梅ほど匂ってこないんだよな)。

そして、梅が咲けば、そのあとは、桃、桜、木蓮などなど、木の花も、そして草花も、どっと開き始めるのが良い。
春は、やはり、花の季節だ。
歳時記を彩る植物も、この巻は、他の季節の巻に比べ、一番「花そのもの」が多い。

とはいえ、そこを花だけではすませないのが、俳句の世界(笑)。
若芽や、冬枯れの姿を残した草、あるいは萌えはじめた草、
そういったものまで題材になるのは、自然の様子を鑑賞することに貪欲な、日本人ならではのものかも。


鍵和田 〓@5CFC@子
花の歳時記 春
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2005-12-28 16:08:05

『夢の手ざわり』 夢のなかを歩き、夢に触れる

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
「夢」と、ひごろ人は簡単に口にするが、それはいったい、何であろうか。
夢のなかでは、なにもかもが、とてつもなく奔放である。
ドキドキする、
チリチリする、
冒険する、
うれしい、
こわい、
かなしい、
それら全てが日常感じるレベルよりさらにハイレベル、またはディープなのだが、
不思議や、必ず、そこにある世界と「我」の間には、一枚のガラスがあるがごとく、
感覚にワンクッション置かれており、
たいへんもどかしい思いもする。

これはまさしく、そのような夢の世界を、ことばと文字でつづろうとしたものかと思う。
詩によっては独特のリズム感が重視されているため、脳内ででも良いから、音読してみるのが良い。
ただし、それは、心地よいリズム、たとえばワルツの三拍子であるとか、ロックのビートのきいたリズムとは違う。もっと荒削りな、または、うまく舵取りできずによろめいているかのような、
まさしく、夢の中で泳ぐように歩いているかのような、
そういう不規則なリズムだ。

聞くところによると、たとえばオーストラリアやニュージーランドの原住民は、ドリームタイムで時を過ごし、目覚めている間は見えないものを見るという。
また、北米原住民は、「夢を歩いて」重要な掲示を得るのだそうだ。それは、しばしば、自分を発見するためのクエスト、その原点となるそうな。

されば、夢とはいったい、人間にとって、何を意味するのだろう?
おそらくそれは、正気では受け止める事ができないほどの「真実」を、
ワンクッションおいて、
人に示しているものではなかろうか?

もちろん、人によって、見る夢の断片はそれぞれ違うのだけれど。
また、その夢をどれほど感じようとしているかも、人によって違うのだけれど。

森山恵は、いわば、そんなおそろしい夢の世界にどっぷりと全身を浸してみている。
いみじくも、荘子が夢と現実を、違うものであって、かつ、交換可能なものであると示唆しているが、
森山恵の世界では、夢と現実は、その水平線で相互に少しずつ混じり合っているかのようにも思われる。

高く、高く飛び、
オレンジ色の小鳥のさえずりに耳をすませ、
夏の空の青さにきりきりと昇りつめ(あるいは落下し?)、
そしてまた、高く登り詰めたのと同じほど、深く深く、夢の闇に沈んでみる。

詩に親しむうち、読むものもまた、深い海の底へと沈み、まどろみそうになるかもしれない。

とはいえ、この詩は、いわば夢を歩く者の「旅行記」であるから、
誰もがそれを手にして夢の中に入っていって、同じ道をたどるとは限らない。
道は同じでも違う景色が広がっているかもしれない。

さて、どうでしょう。
薄青く、向こうは青黒くすらある、夢の世界に踏みだしてみたいですか?


森山 恵
夢の手ざわり―森山恵詩集
2005年11月15日新刊
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2005-12-07 17:34:44

『花の歳時記 冬・新年』 日本人の不思議な美意識

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
ちょこっと俳句を作ってみるようになって、早くもすでに半年なのだが、どうも私の場合、「これ」という花を見かけないと、俳句にしようという気がおこらないらしい。
ゆえに、歳時記も、いろいろなシリーズが出ている中、便利なのが季節ごとに、こちら、『花の歳時記』となるわけなのだ。

いやー、俳句って季語があるからね。
季語確認のために、やはり歳時記は必要なのだ。
参照するのはちとめんどいな、と最初は思っていたのだが、いろいろと、面白い発見もある。べつに俳句を作ろうとしなくても、歳時記というのは、自然が好きな人、日本的美に関心のある人なら、きっと開いてお得な本だ。

しかし、さすがに「花」となると、このシーズンは、少ないらしく、本の厚さが他の季節にくらべて、ぐっと薄い。
しかも1/3は、花の季語および写真とは直接関係のない、俳句そのものについての記事だったりする。
やはり冬は、花が少ない……。
おおざっぱに「花の」といっても、木とか草とか果物、野菜まで含む。
それで、このボリュームだからな。

だが、ひとつめだつことは、やたらと、「枯れた植物」の項目が多いこと。

他の国の人も、落葉だの、枯葉だの、 そういったものを歌わないわけではないと思うが、
いちいち、銀杏だ、朴だ、ツタだ、単なる落葉だ、いや、枯葉だ、枯れた羊歯だ、
などなど多種にわたって「季語」にしている民族は他にあるまい。

単なる紅葉・黄葉から、落葉にいたるまで、あるいは葉をぜーんぶ落としてしまった木まで。
日本人はそういった風景に「美」を見出す民族なのである。

日本文化は「わび」「さび」である、というのは、わりかし世界的に有名なのだろうと思うが、
そういう事を知っている外国人を、たとえば公園に連れて行って、きれいな黄葉が全て落ちきってしまった、銀杏の木立を見せるとする。
そこで、彼ないし彼女は、「美」を感じる事が、できるだろうか?
……いや、まずはできまい。
こればかりは、知識ではなく感覚の問題だからね。

感じられないからいけない、というのではない。

「枯れた美」というものを知っている日本人というやつが、同じ日本人としても、なんとなく面白い。


鍵和田 〓@5CFC@子
花の歳時記 冬・新年
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2005-09-09 20:01:32

『俳句歳時記 秋の部』

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
歳時記、よーするに、俳句の季語を集め、簡単に解説し、例としていろいろな人の句を並べてあるものだ。
まあ、俳句を作る時には、必携のものなわけだ。
←これは文庫本なので、ハンディなのも良し。

なので、逆に言うと、「日本の四季」を確認するには、好適な本とも言える。

とはいえ、ページをめくってみると。
「ああ、この風物はもう普通には見られないな」
というものが多い。
それは、何よりもまず、米作りに関する事だ。

この中には、「……は、現在は見られなくなってきた」と解説されているものもあるし、
そういう解説はないけれども、もはやほとんど見られなくなっているものも、多数ある。
たとえば、案山子。
あるいは、障子洗い。
(苦学する)夜学生なんてのも、絶滅危惧種なのではないか。

気象自体、昔とは少し違ってきている気がして、素直になっとくできない季語とか、解説文も、けっこう目につく(笑)。

とはいえ、やはり、日本の伝統的な季節感は、見ていると味わえるものだ。
たとえば、月に関するものとか。
あるいは、虫の声とか(笑)。
秋の空、秋の水が澄む、なんていう感覚も、とても日本的。


角川書店
俳句歳時記 秋の部
角川文庫
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2005-09-04 14:23:25

『花の歳時記 秋』

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
み~んみんみんみんみん……
本日も、蝉がうるさい。
でも、暦の上では秋なのだ。
一応、9月だし。
……といっても、新暦で季節の事を言われると、どうもピンと来ないんだけどね。

とはいえ、一応9月に入り、
気の早いススキの穂なんかもみつけられるようになり、
「秋発見!」
なぞと、得意げにしっぽを立ててみたりする(とらなので)。

「でも暑い。誰がなんといっても暑い。まだ暑い」
歌うようにつぶやきながら、秋の歳時記を探してくる。
生活の事を詠むのも、生活を詠み込んだ俳句を読むのもあまり好きではないので、やはり花が良いなあ、などと思う。
されど、「秋の歳時記」となると、いやあ(笑)。
木の実草の実のオンパレードなのだった。

なにせ、この本を開くと、のっけから、果物果物、また果物。
梨にぶどうに桃にりんごに……。
くぅぅぅぅ、たまらん! 俺に喰わせろー!
いちじくも好きだし、レモンを切って、砂糖か蜂蜜をかけておくと、運動のあとにはこたえられないよな。
え? レモンも秋の季語なんだって?
ふぅぅぅぅん。

道端を見ても、野を歩いても、あるいは山を散策しても、この時期は、花もあるけどやはり実が目につく。
秋が深まるにつれて、その傾向は、大きくなる。
真っ赤な草の実は、名前を知らなくても、見ていて愉しいけれど、そういう野歩きとか山歩きをした後に、名前を調べてみるのも良い。
(デジカメなんぞを持っていくと、一時的に画像を保存しておいて簡単に見られるから、名前を調べる時に好適)。

うん。秋は良いな。
そろそろ、田んぼのあるあたりを歩いても、稲が黄色く色づいていくのが、日ごとにわかる。
かかしを始め、鳥をおどすいろいろなしかけが目立ち始めるのも、今くらいから。
でっかーい目玉みたいのをつるしてあるのが多いかなあ。
だから、たまに、昔ながらのかかしを見かけると、うれしくなってしまう。
欧米では、ハロウィンの魔物のひとつになって、ちょっと気味悪く思われているらしい、スケアクロウ。
でも、日本でだってたくさんのかかしが活躍してきたわりに、かかしの化け物って聞かない気がするなあ。

ところで、9月くらいになると、やりたくなること。すすき
唱歌の「小さい秋みつけた」ではないけれど、ちょっとした「秋のしるし」を発見すること。
ひとつ見つけるたびに、ちょっとだけ残暑が和らぐみたいだ。

つくつくつくつくつくつく……
ツクツクホーシ!
ほら、蝉の声も、もう、なんとなく、秋色。


鍵和田 〓子
花の歳時記 秋
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2005-06-26 20:38:24

『古今和歌集』にみる、夏の歌

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
和歌を集めた歌集の中では、どれが好き?
すると、どうも
「古今集!」
という答が返ってくる事が、多いみたいだ。

私も、ごたぶんにもれず、和歌といえば『古今和歌集』(古今集)。
これ、おりにふれてページをめくってみたくなるのだ。

でも、なぜか、ここに載せられている夏の歌に、どんなものがあるのか、記憶がとっても薄かったんだよな。

どうしてだろう?

今回、また手にとってみて、「夏歌」(古今和歌集巻三)を開いてみた。
すると、驚くなかれ、どの歌も、どの歌も、歌っているのは、ホトトギス!
ふう~ん(‥

ホトトギスは、もちろん、俳句でも夏の季語に入っている、日本の代表的な野鳥のひとつ、だと思う。
でもって、今でいうと、ゴールデンウィークくらいから鳴き始める、のかな。
まあ、だいたいそんなものかな。
ところが、この、ホトトギスってやつの声を、そう意識して聞いた事がないんだよね。

私のうちは、東京都下の丘陵地帯に位置するので、それなりに、春から夏にかけては、いろいろな野鳥の声が聞ける。そもそも、このあたりは、野鳥が多い事で有名だった、とも言うし。
だが!
鳥の声って、なかなか、姿と結びつかないんだよね。

なさけないようだが、鳥の声で聞き分けがつくのは
ウグイス
だけなのだ、野鳥は!(なっさけね~)

鳴き声のけんとうがつかないのに、ホトトギスが歌われてる歌が記憶に残るわけはないのだ(笑)。

しかし、考えようによっては、山を歩く時、聞こえてくるいろいろな野鳥の声。
あれはやはり、夏の山だなあ、と感じさせる。
平安の人も、山に行き、炎暑から多少は逃れた気分になって、鳥の声が聞こえる時、その音色と、暑さと、山の木々を渡る風に、「夏」を感じたのだろうな。

さて、夏歌で一番好きだなと思ったのは、これ。
夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらん  ふかやぶ

あ。やはりホトトギスの歌には、ならなかった(笑)。


著者: 佐伯 梅友
タイトル: 古今和歌集
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2005-06-24 14:26:58

『唐詩選』をひもときながら-詩、あるいはうたうということ

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
今週の、アメブロこのジャンルのトラステは「ポエムはココロの栄養素」だそうだ。
はあ……ポエムですか(‥
いやな言葉だなあ。
詩とか、詩歌って書けないもんでしょうかね。

どうも、ポエムとか言われると、背中がこそばゆくなるのだ。
ローティーンの頃に、なりふりかまわず、思った事を「自由詩」にする。
そんなイメージが強いのだ(笑)。

「自由詩」ってやつは、まったくルールを持たない形の詩ってわけで、それこそ、誰にでも作る事ができる。
この形式が、どばっと広まったのは、思うに、西洋の詩を日本語にしようとしたところからではあるまいか。
というのはですな、西洋の詩は、どの言語のものでも、ちゃんと韻を踏んでいるのだけれど、
「日本語とそれらの言語は、根本的に違う!」
という、重大な問題があるために、韻を踏むところまで訳に反映させられない。
日本語は、そういった韻を踏まない言葉だからだ。

堀口大學などは、あえて訳詩を五七調にするなどして、ある程度、「韻を踏んでいる」雰囲気を伝えようとしたんだろうと思う。
でも、それは、やはり、もとの詩とは根本的に異なるものなんだよね。

さて、そもそも、詩というものは。
言葉のリズムを追求し、そこに美を求めるものだと思う。
それゆえに、「韻」というものがあるわけだ。
日本語の場合、韻を踏むのではなく、五七調という言葉の調子をもって、それに替える。
言語のなりたちかたが、西洋の諸語とは違うので、お互いの詩を楽しむには、非常な苦労を強いられてしまうわけです( ‥)/

つまりね、
詩は、最低限音読をする。
元来、「うたう」事を目的に作られているのですよ。
いわゆる「ポエム」は、そこのところをふまえていなかったり、はなから知らないで作っているかと思われるものが非常に多い。残念な話だ。
現代の詩はそんなことないだろ、なんて思うか?
なんなら、英米のロックの歌詞でよいから、見てみるといい。
韻を踏んでるだろ?

従って、外国の詩を楽しむには、対訳が良いと思う。
さいわいにも、最近は岩波文庫などで、いろいろと対訳の詩集が出されている。
原語で言葉のリズムを楽しむ。
訳詞で、詩の内容を楽しむ。
対訳は、これができるのだ。

こんなふうに、対訳という事をするのは、日本人くらいだろうか?
あまり、外国では聞かないような気がするのだけれど。

そして、この「対訳」形式、私は、漢詩の鑑賞から生まれたのではないかと想像する。
たいていの漢詩の本では、もとの形を上に。
日本語で読み下した形を下に。
並べて書いているよな。
これで、音も、意味も、両方同時に楽しむ事ができるのな。

ところで、漢詩ってやつ。
私が最初に触れたのは、やはり中学で「古典」というものが「国語」の他に登場してきて、そこに漢詩が含まれていたから、その時教科書に載っていたものだと思う。
杜甫。
李白。
王維。
うわあ、こうしてみると、全て唐の時代の詩人だよな。

中国の、他の時代の詩にも、良いものはたくさんあるけれども、年代順に選ばれた『中国名詩選』などを見ても、やはり唐の時代のものに、一番心を惹かれる。
なかでも、好きなのは、中学時代から今にいたるまで、王維だ。

まあもちろん、李白などは、「酒を飲め飲め」な詩が多く、中学生などにはわかりづらい、ということもあるが、それだけじゃない。
王維は。
王維だけは、マイナスの心情を読み込んだ詩が、見あたらないのだ!(笑)。
苦しみ、諦め、老残、そういったものをうたった詩ではない。

たとえば、当時の習慣というのか、旅立つ友を送る詩というのを、王維はいくつも書いているけれど、いずれも爽やかだ。
ものごとに拘泥するより、スカッと明るい視線で見渡したような情景が多い。
その爽快さが、私は無性に好きなのだ。

もし、王維の詩を、唐音で朗詠してくれる人がいればなあ、などと想像する。
もちろん、同じ系統の言葉であるはずの北京語の朗詠でもいいけれど、今の北京語は、唐音とはやっぱり、いささか離れているだろうと思うからだ。
なるべくなら、青年、せめて壮年の、美声が良い。
そういう声が、王維の詩にはふさわしい。

残念ながら、そのようなチャンスが得られないので、せめて中国の琵琶の曲でもかけてみようか。
鞍上で琵琶をかかえ、馬上杯を傾ける明眸皓歯の若者を、ふと、想像してみる。
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