『英雄たちの朝』〈ファージング1〉 | 手当たり次第の本棚

『英雄たちの朝』〈ファージング1〉


ナチスがヨーロッパを席巻し、イギリスと講話を結んだ世界。
そう、これは、「if」ものの物語だ。
我々の歴史では、イギリスへ単独向かったヘスは死んでしまったけれども、ヘスの目論見が成功していたなら、というあたりが転換点のようだ。
但し、腰巻でも巻末の訳者の紹介でも、歴史改変と書かれているにもかかわらず、これは、現代乃至未来の登場人物が、誤った歴史を正道に戻すというような活躍をする事はない。
そういう意味での改変は一切見あたらない。
単に「if」ものというわけだ。

本作は三部作であるそうで、一貫しての主人公はカーマイクルという警部補となっている。
そう、そういうことだ。
我々とは異なる歴史上のスコットランドヤードが遭遇する三つの事件という形で物語がつづられるのだ。
すなわち、一作一作はミステリなのだ。

とはいえ-再三否定をしていくようだが-カーマイクルが扱う事件は、少なくともこの打1部を読む限り、政治的に非常に重要なものであるらしい。
つまり、表だって、並行世界の政治をシミュレーションするわけではなく、歴史を改変しようとする勢力が出るわけでもなく、作者として緻密にシミュレーションした事件を、その世界の、一介の警察官に捜査させる事により、読者にかいま見せるという手法をとっているわけだ。

従って、この作品、SFでもなければミステリでもなく、シミュレーション小説でもない、独特の特徴を持つ小説なわけだ。
まあ、強いて分類すればやはりミステリなんだろうな。

ところで、本作の作者だけれど、かつてハヤカワ文庫FTから出た『ドラゴンがいっぱい!』の作者でもある。
そういう意味では、SFやファンタジイのファンにおなじみという事になろうか。
あちらも、ヴィクトリア朝あたりのイギリスのような世界を舞台に、但し登場人物が全員ドラゴンという、ちょっと変わった面白いファンタジイだった。

うん、この作者の作品って、既存のジャンルにあてはめる事はできないのかもしれない。

さて、ミステリとしても十分面白く読める本作、ところどころにさりげなくマザーグースが登場する。
とくに作者を示されていない詩は、マザーグースのものと思ってさしつかえないと思うから、講談社文庫あたりのマザーグースから、探してみるのも面白いよ。
まあ、童謡として昔から歌われてきたのかもしれないが、19世紀末~20世紀前半が現存するマザーグースが、最も良く童遊びに使われたのかもしれないね。
その時代を連想させるのに、大きな一役をかっているように見えるのは、きっとそのせいなのだろう。


英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)/ジョー・ウォルトン
2010年6月11日初版