2011-09-09 19:17:37

『グランド・セントラル・アリーナ (下)』

テーマ:海外SF・ファンタジイ

異星人。
それも、人間とは全く違う系統の、たとえば昆虫っぽい異星人がいるとする。
(まあ、なぜかアメリカの宇宙冒険ものに登場する異星人は、昆虫型または甲殻類型が圧倒的に多い気がする)。

ここで、進化した背景も違うし、生物としてのいろいろな違いがあるのだから、当然、彼らが発達させる文明などには人類と大きな違いが出るはずである、と考えるのは、ファースト・コンタクトテーマなどに見られるタイプ。
一方、「銀が連合」的な、多種類の異星人が組織する社会が存在する物語だと、ある程度の差異はあれ、基本的な欲望だの、考え方は、類似しているとみなす。
ほとんどのスペオペは後者のスタンスであり、本作もそこに位置している。
しかし、それでもkっちり、非人間的(?)なエキゾチシズムが漂うのは、アリーナにおける「党派」と、彼らが相争うやりかたが、面白いからだろう。
主人公の本業、レースパイロットとしての技量も発揮されるし、アクションもある。

このアクション、主人公グループのうち数名が、ヴァーチャルゲームのヴェテランで、そこで身につけた武術を使うというのだが、使う武器はナノマシンによって複製されたものなのだそうだ。
複製武器がどこまで精妙なのか、いくら全身を動かすプレイ方法とはいえ、ヴァーチャルでのみ修練(?)したプレイヤーに、実際の武器を使っての戦いができるのか、なんか疑問なのだが、まあいいか(笑)。
刀を柄っての「イアイヌキ」が作者はお気に入りの技であるもよう。
アクションはどちらかというと、きっと、ハリウッド風味だと思う。
ほとんど単調ではなく、いろいろと仕掛けも凝っているので、飽きずに読める。
ここらへんも、うまくエンタテイメントしているなあ。

しかし、並み居る異星人の中で、ちょい役なのに美味しい役回りなのは、レストランのオーナーかも。
危うくアリーナで村八分にされる(いや、ほとんどされた)主人公たちを、彼だけが堂々と迎え入れる。
彼女らがどんな厄介な相手に目をつけられようが、自分の店の料理は最高、たとえ誰だろうと、料理を楽しみたいなら自分の店に来るしかないし、それにいちゃもんをつける奴は自分が追い出してやる、と自信満々の主張をする。
いやあ、武闘派じゃないだけにこういうのはかっこいいよねえ。

また、この手のエンタテイメントでは、「憎めない敵役」が、「にくたらしい敵役」の中にひとり程度存在するのが重要だが、ちゃんとそういうキャラクターもいるところが、良い感じ。

さて、本作は一応単独の作品なのだが、アリーナの建設者についてとか、いろいろと解けていない謎が多いし、ちょっと厄介なものを背負い込んだ主人公の先行きも気になるし、逆に、かつてデュケーンがどのような活躍をしたのかも、知りたくなってくる。
そこらへんを描いた続編なり前日譚なりが、遠くない未来、日本でも読めるといいねえ。


グランド・セントラル・アリーナ (下) (ハヤカワ文庫SF)/ライク・E. スプアー
2011年7月15日初版
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2011-09-08 19:35:07

『グランド・セントラル・アリーナ (上)』

テーマ:海外SF・ファンタジイ

最近のハヤカワ文庫SFで出るエンタテイメント性の高い作品は、ミリタリーSFの比率がだいぶ高まってる気がするんだけど(まあ、もともと高いという説もあるが)、これは文句なしにスペースオペラなのだ。
それもそのはず、本作品はドク・スミスへのオマージュとなっている。
しかも、具体的な作品はといえば、誰もがまっさきに想像する〈レンズマン〉ではない。
もうひとつのシリーズ、〈スカイラーク〉……!

さて、この両シリーズ、日本ではどちらも創元推理文庫SF(現在の創元SF文庫)から出されたのだが、レンズマンが絶大な人気を誇り、アニメ化までされ、本も手に入りやすい状態が続いているのに比べ、スカイラークは早い内から入手しづらくなり、今では古本にも「え」というようなプレミアがついている。
もちろん、レンズマンも面白いのだが、スカイラークはね。
スケールが違った。
一例をあげると、「惑星と同じ大きさの宇宙船」が出てくるんだぞ。
そして、シリーズを通じての人気敵役が、デュケーヌ(デュケーン)博士。
レンズマンがある意味群像小説であったのに対して、こちらは、スカイラークとデュケーヌの一騎打ち状態であるだけに、敵役も存在感がでかい。

この作品は、物語の中の歴史上(さかのぼること数十年前)、「架空のいろいろな人物をテンプレートに使った超人を作り出して一種の仮想空間に送り込む」というとんでもないプロジェクトがあり、上記のシリーズに登場する人物などが、その計画の中から登場してきたりする。

それだけではなく、ドク・スミスばりのスケールのでかさも受け継いでいる。
まあもちろん、レンズマンだのスカイラークだのが誕生した当時のパルプマガジンでは、たいていのスペオペに、多種族の異星人が登場するのは普通だったし、太陽系を舞台としたものが主流だったとはいえ、広く銀河をかけるもの、異星人種族らが作る星間社会が何千年何万年も続いているというような状況も、かなりあたりまえのものだったようだ。
それゆえ、ここにも、多種多様な異星人が登場し、かれらは万年の単位でとある施設上でのコミュニケーションを続けており、主人公たちは、いきなり、その渦中に放り込まれて、次々に危機的状況をクリアしていかなくてはならなくなるのだ。

これは、面白くならないわけがない。

なお、スカイラークやレンズマンに登場する小ネタがちりばめられているだけでなく、訳者のあとがきによると、おたくである作者は、日本のアニメやドラマなどなどからも、「えっ」なものをたくさん小ネタとして取り入れているらしい。
アナグラムで使用しているものもいっぱいあるらしいが、こればかりは、カタカナ表記されるとわからないのが残念(まあ仕方ないけどね)。
そういや、ヒロインである女性パイロットの髪の毛が青いなんてのも、日本の人気スペオペのヒロインを思い出させるよね。


グランド・セントラル・アリーナ (上) (ハヤカワ文庫SF)/ライク・E. スプアー
2011年7月15日初版
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2011-09-05 10:30:20

『アバタールチューナー IV 〈楽園〉前篇』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

物語はふたたび、ゲームソフトと交錯する。
具体的には、ここから、ゲームソフトの『アバタールチューナー2』と重なっていく。
実は仮想空間であったジャンクヤードから、人類が結晶化している未来の世界へ、キャラクターが出て来たところだ。
これは、なかなか面白いと思うのだ。

もともとのメガテンでは、悪魔を電子的なデータとしてコンピュータ内に取り込む事で、人間が悪魔とコミュニケーションを結ぶ事が可能というコンセプトだ。
心霊学では、いわゆる心霊現象が磁場に関係するものとしている(科学で定義する磁場とはいささか違うところもあるわけだが)。
おおざっぱにいうと、人間が全く生身で感知できないわけではないが、通常の物体や自然現象などのように感知する事ができない「もの」を、電子的なデータとして互換させている。
しかし、あくまでも、メガテンでは、悪魔も、それに付随する現象も、人間を含むこの世の通常の生物と同質の(物理的な?)存在ではない。

しかし、本作がデジタルではなくクォンタム、電子ではなく量子による情報処理をベースにしたように、メガテンにおける絶対的な、人間と悪魔の差というものが、「ない」とは言わぬまでも、大変曖昧な、一部で同化可能なものとsちえ扱われているようなのだ。
たとえば、ジャンクヤードにおいて主人公たちがアートマを与えられ、異形のものに変身し(決して、召喚したり喚起したりするわけではない)、お互いに食いあう事で直接的にデータの取得をするように、未来世界におけるヒトの結晶化そのものが、この世界における「情報のやりとり」に関して、非常に重要なポイントとなっているわけだ。
実際、前巻までに、世界唯一のウルトラコンピュータであるEGGが、演算のための素材として、結晶化したヒトを利用している事があかされている。
また、未来の人類(の一部)が、アートマを身につけ、変身できるという事も既にわかっているが、ここで、その「変身」の秘密が明らかにされる。

ジャンクヤードでは、皆がなんらかのアートマを得て、互いに食い合う事となったが、この未来世界では、一部の者しかアートマを得ていない。
そのおぞましい意味が、「情報のやりとり」の凄まじい表現として描写されている。
これは正直、ゲームよりずっとリアルに感じられる。
(映画と小説の関係にも言える事だが、どうしても、小説という媒体の方が、背景世界を深く描きやすく、その点で映像よりリアルさ、または深さを感じさせる)。

この、アートマを持つ者と持たざる者との間に、凄い情報格差が生まれてしまうのは当然なのだが、実はこのアートマがまだまだ実験段階であること、そしてこれを支配している者がいることに、まだいろいろ仕掛けが隠されていそうだ。
なんといっても、なぜ結晶化などというものが発生したのかについては、語られていないんだしね。
残るところはあと1巻。この最後の部分がどう謎解きされるのか、非常に楽しみ。


アバタールチューナーⅣ (クォンタムデビルサーガ)/五代 ゆう
2011年8月25日初版
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2011-09-02 17:35:24

『楊令伝 三 盤紆の章』

テーマ:歴史・時代小説

中国、とひとくちに言っても、国号は順次変わってきている。
そして、隋以降がだいたい、今の国土の規模になっているとおおざっぱに言っていいのだろうと思われる。
もちろん、国境線はいろいろと移動しているだろう。
本巻の巻頭に付されている地図を見ても、だいたい、遼と金の一部が今の中国に含まれているようだし。
しかし、広いのだ。
ほんとうに広い。
津運設備といえば、烽火と宿駅くらいしかなかった時代である事を考えると、よくぞまがりなりにもひとつの国として機能していたものだな、と感心する。

そこを前提とすると、宋(青蓮寺)の、方臘の、呉用の、楊令の、視野の広さに舌を巻く。
広い国の南北それぞれ端っこにいながら、反対側の端を見据えて戦略を立てるなんて、よくできるよなあと。
今みたいに、いろいろな通信設備や衛星が利用できる状況とは全く違うのだ。

さて、いくつかの勢力のうち、もっともユニークで読みにくく、不気味なのはやはり方臘の宗教王国(未満)だろう。
「喫菜事魔」といって、菜食し、魔を祀る。
「度人」といって、人をこの世の苦しみから開放するために殺してやる。
うわ~。
度人というのは耳慣れない言葉だけれども、仏教用語で「度する」が「人を救う」という意味であるそうな(むしろ、「度しがたい」という使い方の方が一般的か)。
情景描写といい、かつて東京の地下鉄にテロをしかけた宗教集団を連想させるのだが、方臘というのが、決して船舶ではない、むしろ異様なほど奥の深い人物として描かれていて、大変興味深い。
はたして、その新編に潜入している呉用は、いろんな意味で無事にすむのか?
梁山泊の救出の手は及ぶのか?
非常に先の展開が気になる。

一方、方臘の乱が起こっている南部に比べ、北部は、宋と遼と金が梁山泊を加えて複雑な戦争外交を行っている。
どことどこが手を結び、実際には何をしようとしているのか?
各国各勢力の思惑が入り乱れて、こちらは戦略シミュレーション的な面白味もある。

そしてようやく、楊令が梁山泊の残存勢力と合流し、ようやく話が本格的に動き出しそうなところで、次の巻へ。


楊令伝 3 盤紆の章 (集英社文庫)/北方 謙三
2011年8月25日初版
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