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2011-07-30 20:14:46

『神曲奏界ポリフォニカ ウィズアウト・ホワイト』

テーマ:冒険・アクション

我々の(あるいは、我々のと酷似した)世界と、ポリフォニカの世界。
二つの世界の大きな違いは、もちろん、精霊が人間の手の届くところにいるかどうかということだ。
そして、こn二つの世界が最も関わりあい、かつ、そこにある関連性が示唆されているのがポリ白ということになるのだろう。

かつて、ミナギ・クロードという人物がポリフォニカの世界を訪れた時に、我々の世界(と便宜上呼んでおこう)から持ち込んだ楽曲を、神曲として演奏した事件があった。
その時には、あくまでも、ミナギのしたこととされたけれども、実は、もっと根深いものがあるようで、興味深い。
なにゆえ、精霊とかかわりのない世界からもたらされたものが、より強い神曲となり得るのだろうか。
あるいは、精霊が介在することで、ポリフォニカの世界における音楽は、歪められた部分もあるのではないだろうか。

まあ、ポリフォニカにある音楽が全て精霊のために演奏される神曲というわけではないから、一概に言う事はできないかと思うが、いくら、演奏者の「魂の形」を音楽として表現するから精霊が来るとはいっても、その先には、「精霊になにかをしてもらうために、楽士が音楽を演奏する」という方向へ行き着くわけで、音楽という藝術が本来もつ方向性とは、そこで違ってしまうわけだ。
むしろ神曲とは、精霊を主旋律とする伴奏のポジションにあると言える。、
実際、神曲楽士の演奏の心得は、「伴奏法」で学ぶ事とかなり重なる。

それは、良い事なのかどうか?
おそらく、この世界における人間と精霊との関わりの是非は、そこに重なるのだと思うのだ。

さて、そういった背景の事はおくとして、本作の学園ラブコメものとしての側面だが、者がtりの集結を前に、どのカップル(?)も、落ち着く場所へ落ち着きそうだ。
スノウもジョッシュもそういう意味では、おめでとう。
デイジーもそこに含めるべきだろうけど、彼女の場合、父親と母親のロマンスがインパクトが強くて、まだちょっとかすんでいるのが残念。


神曲奏界ポリフォニカ ウィズアウト・ホワイト (GA文庫)/高殿 円
2011年5月31日初版
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2011-07-29 19:54:55

『一誌ノ秋』〈居眠り磐音江戸双紙37〉

テーマ:歴史・時代小説

姥捨の郷で、すっかり里人の一員となっていくかのような磐音の一家だが、物語として、そうは問屋がおろすまい。田沼の妾おすなと(どうもこの女性、側室というほどの貫禄がない)、雹田平の手がじわじわと姥捨にまでのびてきているからだ。
その一方で、磐音の周囲の人々も、次第に磐音のそばへと、引き寄せられていく。

もともと、磐音という人物に、そういった吸引力があるのだから、これは理の当然だ。
ほんとうは、夫婦二人でのがれようというところを、霧子と弥助が加わり、やせ軍鶏、でぶ軍鶏が加わり、一行は減るどころか増えていくばかりだし、外にあって、今津屋はじめ、サポートする人々も、またまた増えていくのでは、姥捨に舞台をおいたまま物語が進むわけはない。

それゆえ、本巻で磐音一家の逃避行に、ひとまず区切りがつく形なのだが、それを意識してのことだろうか、章を春夏秋冬にわけ、そこに姥捨の四季を配して、殺伐とした決戦を控えながらも、のどかな情景を描写している。
江戸の状況も品川家のおめでたなど、佐伯作品特有の、人情味あふれるシーンが用意されているが、やはり今回の真骨頂は、おそらく次巻あたりであとにすることとなりそうな、郷の四季だと思う。


一矢ノ秋-居眠り磐音江戸双紙(37) (双葉文庫)/佐伯 泰英
2011年7月17日初版
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2011-07-28 19:34:17

『エスパイ』 小松左京を偲ぶ

テーマ:日本SF・ファンタジイ

小松左京が亡くなった……!
お年を考えればまあ……ねえ、とは思うが、日本SF界第一世代の大御所が亡くなられたという報に、いささか虚脱している。
正直なところをいうと、私の愛読書の中に小松左京作品は入っていない。
もちろん、読んでるけれど、そこまで好みにぴたりとはまる作品ではなかった、ということなのかもしれない。
だが、すごーく印象に残っている一作品があるのだ。
それが、この『エスパイ』。

おそらく、大方の追悼記事でとりあげられるのは、今年3月の大震災もあって、『日本沈没』だろうし(そもそもベストセラーで映像化もされてるし)、『さよならジュピター』もあげられるだろうし、『果てしなき流れのはてに』とか、まあいろいろあるだろうと思うんだが、その中で、実は、『エスパイ』、そういう名作ラインからはずれたものなのだ。
なんといっても、まず、第一にこれは娯楽が前面に出た物語だ。
タイトルからして、それを証明している。

エスパイ。
レスパー+スパイ、だからエスパイ。
ハルキ文庫版のこの表紙などはなかなかいいね。
いかにも、和製ジェームズ・ボンドっぽい。

そもそも、ここに登場するエスパーというものが、今は流行らない気がするうえ、超能力者であるということと、それがスパイ活動をするというのは、凄くありがちに思える。
冷戦時代には、実際に米ソ(とくにソ連)でそういう研究が行われてたなんて噂もある。
しかし、ちょうどジュヴナイルであるとか、そもそも発表された本国で出版コードが厳しく、性的描写がほとんどないようなSFばかりを読んでいた中学生のみぎり、私がはじめて手にした小松左京作品がこれであり、衝撃を受けたわけだ。

それは、文章も内容もさることながら、「ちょっと大人のシーンが入った」作品だったからだ。
ボンドガールのような美人スパイが登場したというインパクトが、いまだに、(きっと本来とは違う意味合いで)
「あれは凄かった……(呆然)」
という印象となって残っているのだ。
まあ、あれだ、美人キャラのボインがどうしても思い浮かぶのは読んだのがそういう年頃だったせい。きっとそのせい。

しかし、この作品があるからこそ、小松左京作品というものが、決して「科学的に正確な」とか、「ハードな」だけではない、ちゃんと、エンタテイメント性も高い作品なのだと私は認識できているんだろうなあ、と改めて実感する。
SFというと、ハードSFが至高、それ以外は認めんっ みたいな人がたまにいるんだけれど、やはりそれだけでは面白くないと思う。
そして、小松左京作品のエンタテイメント性も、もっと評価されて良いように思う。


エスパイ (ハルキ文庫)/小松 左京
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2011-07-27 09:40:53

『天と地の守り人 第三部 新ヨゴ皇国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

人は、孤立したままでは生きる事ができない。
たとえば、男と女が最低1名いなければ、子供は生まれない。
これが根本であると思うが、生物的な増殖だけではなく、それは人の集団と集団の間にも、人とそれ以外の事象の間にも適用される基本原理ではないかと思う。
清き川には魚住まずというが(いや、もちろん、濁りすぎてもだめだけれど)、生き延びるためには適度な外部からの刺激と、状況に適応するための変化が必要なのだろう。

チャグムの祖国であるシンヨゴ皇国は、帝国の脅威を受けて、鎖国する道を選ぶ。
これは、「清浄であること」が至上であるヨゴが、最も容易に選択できる道だっただろう。
その真逆の位置にあるのが、帝国の枝国となった旧ヨゴということになるかもしれない。
ヨゴの皇族としては異例なまでに、広く世間を見てきたチャグムでなければ、その「常識」をひっくり返す事はできなかったのだが、本来、父子の対立というところから始まったドラマが、ここで最終的に、国レベルの問題として発展しているのだ。

もちろん、単純に、チャグムの父に代表される「旧弊なもの」が悪いと決めつけるわけにはいかない。
どの程度切り捨てる事ができるのか、また、どの程度、(のちに)温故知新する事ができるのか、その選択はとても難しい事だ。
感情的なこだわりも無視する事はできない。
特に、変化の時にあたっては、この感情的な問題から、「どの程度切り捨てる事ができるのか(また、やりすぎないようにできるのか)」が重要なポイントになってくる。
その点で、父帝の選択はなかなかみごとだとも言えるのだ。

このように、本作では、幾つもの精力や考え方が渦巻いているのだけれども、そのいずれについても、決して、白黒つける事ができない。
カンバルでも、新ヨゴでも、賢明であり国に忠実である人が、裏切りともとられかねない選択すらしている事を見ても、それがよくわかるだろう。
そして、結果的にチャグムの選択が最良の結果をもたらすのだが、それであってもなお、他の考え方をした人たちが間違っていたといいきる事ができない。
また、誰もが、その人物の視点から、最善の事をしている。
このために、物語は複雑な状況となるが、面白くもある。

とkろおで、この、全く白黒がつけられず、さまざまな選択が行われているが、誰もが自分の観点から最善を尽くそうとするタイプの物語、海外でいうと、アーシュラ・K・ル=グインと、ローズマリ・サトクリフを私は連想する。
たとえば、『ゲド戦記』(断じてアニメではない)と比較するといろいろ興味深いのではなかろうか。


天と地の守り人〈第3部〉新ヨゴ皇国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1日初版
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2011-07-26 17:30:52

『天と地の守り人 第二部 カンバル王国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

チャグムが再びカンバルの地を踏む事で、物語の発端が思い起こされる。
幼い頃のチャグムが、精霊をその身に宿らせたあの事件だ。
チャグムが霊媒体質なのだとか、一度異界に魅入られたものは感応しやすくなるのだとか、そう言ってしまえば平凡なホラーにもありがちだが、この物語にはもっとずっと壮大な構造が与えられている。
それは、当初から触れられていた、人間の世界と精霊の世界の関係だ。
二つは別の場所にあるようでいて、不思議に重なり合ってもいる。

この重なり具合の微妙さ、そして危うさが、第二部ではより詳細に語られているようだ。
そして、ナユグの精霊たちの異質さが、改めて浮き彫りにされる。
異世界の「精霊」を物語に登場させているファンタジイは多いし、そこには、人間とは違う異質さを際立たせようとしているものもそれなりにあるけれど、まず、既存の神話や民話とは全く異なるものをつくり、しかも人間とはある意味で相容れないほどの異質さを付与するというのは、なかなかない。
むしろ、その描写は、SFのファースト・コンタクトものに通じるような気がする。

一方、人のいとなみとしては、いよいよ、「誰がなんのために帝国と通じたのか」という部分が、新ヨゴでも、カンバルでも、明らかになっていく。
帝国側の内情もまた、少しずつ明らかになっていき、一筋縄ではいかない政治的な状況が浮き彫りとなってくるのも、面白い部分だ。
昨今は、日本で紹介される英米のエピック/ファンタジイでも、従来のような、国対国、種族対種族の対立があったとしても国は国、種族は種族で、ほぼ一丸であるようなものから、もっと複雑な政治事情を付与するものが増えてきているようなのだが、本作は、そういう面でも、海外作品と堂々わたりあえるファンタジイだと思う。


天と地の守り人〈第2部〉カンバル王国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1んちい初版
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2011-07-25 19:36:09

『宗像教授異考録 (15) 』

テーマ:ミステリ

〈宗像教授伝奇考〉に続く、いわば宗像教授もの第2シーズンは本巻で幕を閉じる。
そのラストを実質的に飾るのが、大英博物館をめぐる物語だ。
本来一話完結式であるこのシリーズ中では「長編」といってもいい。(収録巻は14~15巻)。
博物館としては世界最大級の大英博物館!
展示品を堪能しようと思えば、一週間あっても足りないなどと聞く。
しかし、その一方で、世界中から、「大英帝国が略奪してきたものを展示している」とそしられる事もある。

遺物や美術品は、それが生まれた土地で展示し、研究すべきではないのかというのは、納得のいく意見であるけれども、ここで、宗像教授はそのような考えに異論を示す。
民俗学的にいつも大胆なアプローチを示す教授ならではと言いたいが、その意見は傾聴に値するものだ。
すなわち、博物館の役割とは、多種多様なものを一カ所に集めることで、多角的な学問的アプローチを可能とするものだという見方だ。
たしかに、文化というものはひとつの土地だけにとどまるものではない。
別の土地との交流によって発展変化していくものなのだ。
だからこそ、宗像教授のこの見方は説得力がある。

物語そのものは、アクションを含むミステリ仕立てとなっており、シリーズ中でも白眉の面白さだ。
他の物語のように、特定の遺物がテーマではないが、大英博物館という「場」そのものをテーマとして、みごとに宗像教授ものとしているのが面白い。

それもそのはず、巻末に付された短文によると、この大英博物館篇は、なんと、大英博物館側からのオファーによって誕生したものだという。
えっ、あの題詠は区部tかんが漫画を?
いやいや大英博物館だからこそ、なのかも。

物語の終わりで、宗像教授は日本をはなれ、イギリスの大学からの招聘に応じる事を明らかにする。
シリーズそのものはしばらく休止となるもようだが、第3シーズンが始まるとするなら、それはヨーロッパを舞台にしてのことだろうかと、ちょっと期待している。


宗像教授異考録 15 (ビッグコミックススペシャル)/星野 之宣
2011年3月3日初版
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2011-07-24 20:15:05

『天と地の守り人 第一部 ロタ王国編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

このシリーズ面白いんだけど、この最後のあたりはね。
文庫化され始める少し前だろうか、そんな話を聞いた事がある。
私にそう語った人は、ちょうど中学高校くらいの時に初読したのだそうだ。
従って、その印象は、十代の読書経験から来るものだろうと思う。

確かに、シリーズ当初の要素とは、構成が変わっている。
たとえば、主人公の片割れであるチャグム皇子はまだ幼く、物語の筋立てにそって成長する彼の姿は、まさしく、成長物語そのものだった。
また、水の精を内包してしまうというシチュエーションは、彼個人に起きた事であるから、国同士の争いあいというものはまだ全く発生していなかった。
政治向きのことも、言うところのお家争いの範囲にとどまっていたと言えるだろう。

しかし、チャグムが成長し、政治の一端を担うようになると、当然、彼の活躍は個人という私的な世界から、公的なものとなり、国同士のパワーゲームが背景となってくる。
当然、その内容お、より生臭いものに感じられてしまう。
おそらく、このため、冒頭のような感想が浮かび上がってしまうのではないだろうか。

まあもともと、「この作品はファンタジイですよっ」と作者が声高に宣言して書いたものではないと思うから、べつだん、個人の物語であることに固執する必要はないはずだ。
チャグムは皇子なのだし、彼が大人になっていけば、状況が変わってくるのは当然のことだ。
いわば、青年になろうとしているチャグムが、祖国の危機を迎え、人間としての冒険に踏み出していくとも言えるのだ。
物語は、神話から英雄の時台へ、と銘打つこともできるかもしれない。

実は、それほど単純な構造ではないのだけれども、まず、第一部では物語のスタンスが変化していくところに、読者としてもなじんでいかなくてはならないのだ。

一方、もうひとりの主人公、バルサは健在だ。
もちろん、チャグムが成長した分、彼女には老いが忍び寄っているだろうけれど、政情が変化しても、基本的に彼女の仕事は変わらない。
相変わらず、彼女の仕事ぶりは見事であり、物語のかわらぬ一面として安心して読む事ができる。
実に、二人の主人公を立てているこの物語の利点であるだろう。
片方が大きく変化しても、もう片方は安定している。
このため、読者に安定感を与えつつ、大きな変化というダイナミズムをストーリーに与える事ができるわけだkあら。


天と地の守り人〈第1部〉ロタ王国編 (新潮文庫)/上橋 菜穂子
2011年6月1日初版
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2011-07-23 19:55:18

『我、言挙げす』〈髪結い伊佐次捕物余話8〉

テーマ:歴史・時代小説


「約束を守れないやつは(、云々」
というトラブルがしばしば起こる。
たしかに、約束とは守るべきものなのだが、どこからどこまでが「約束」であるのかという認識の食い違いが原因である事も、たぶん、多いはずだ。

「××ということを約束したぞ」
とはっきり言い交わしているならわかりやすいが、こういうのはどうだろうか。
「こんどの日曜日、一緒に動物園に行こうな」
約束するとは全く言っていないが、言われた方は、約束として受け取る可能性が高い。
しかし守れなかった時に、「いや、約束するとは言わなかった」と言われる可能性もまた高い。

要するに、一度、「××しよう」と明言する事は、一種の宣言であり、聞いた人はそれを守られる事を期待してしまうものなのだ。
神代のことは知らず、いまだに、そういった受け取られ方は、ある。
それが、タイトルにある「言挙げ」なのだと思う。

本巻には、まさしく、口から飛び出してしまった言葉に縛られ、ある意味で一生を棒に振ってしまった男が登場する。
そして、その前例を踏まえ、いまやメインの主人公になろうかという勢いの龍之進は、「言挙げ」の大切さを深くかみしめる事となるのだ。
現代の我々でも、いや、むしろ、現代こそ、「口から飛び出た言葉」はどう影響するかわからない。
たとえば、最近の例をあげるなら、今や悪評高い人物となってしまった蓮舫氏は、事業仕分けの時に言い放った言葉をもって、いまだに、何かというとあげつらわれるという目に遭っている。
「1番じゃなきゃダメなんですか、2番じゃいけないんですか」といった言葉が「1番でなくてもいい、2番で十分だ」という言挙げとみなされたため、1番(優勝)を褒め称えたりすれば、それが一度否定した分野であればこそ、本人が激しくやり玉にあげられるというわけ。

「我、言挙げす」はいろいろな面で、身につまされる物語だと思う。


我、言挙げす―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)/宇江佐 真理
2011年3月10日初版
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2011-07-22 18:54:26

『雨を見たか』〈髪結い伊佐次捕物余話7〉

テーマ:歴史・時代小説


「いっち、きれえ」
この言葉が、しばしばお文に対して投げられる。
現代の標準語に直訳するなら「(お文さんが)一番綺麗」だろうけれど、ニュアンスとしては、「とても綺麗」の方が近いのだろう。
なんの変哲もないほめ言葉だが、なぜ印象深いのか?
それは、この台詞にこめられている気持ちの問題だ。

たとえば、シリーズの前半、この言葉を使うkのは、お文の女中をつとめていたおみつだ。
女中(今でいえば、メイドさん)とはいえ、お文とおみつの仲は、姉妹のように近しい部分がある。
だから、おみつがその言葉を使う背景には、まず、凄い身贔屓がある。
単なる雇い主ではない、自分が大切に思っている相手だからこそ、この「いっち、きれえ」が出てくるのだ。

シリーズ後半でこの言葉を印象深く発するのは、お文と伊佐次の息子である伊与太だ。
幼い子供であるだけに、もちろん、下心などあるはずもない。
幼児にとっては、母親が世界のほとんど全てであり、女神のようなものだ。
芸者だからきれいなのではない。
出の衣裳をまとって装っている母親が、ただ、純粋に「いっち、きれえ」なのだ。
芸者である、それが仕事着である、したがっていろいろな事情や悩み苦しみがあるということは、伊与太には全くわからないし、関係もない。
でなければ、その言葉がお文の心をうつこともないだろう。
芸者であるし、芸者であることをやめる事ができあいお文の支えになる言葉が、これら、全く他意のないところからはっせられてくる「いっち、きれえ」だと思う。

さて、その伊与太を含め、若い世代(!)が台頭してくるのと同時に、犯罪にかかわる若い世代がとりあげられることも多くなってきたように思われる。
なかには、龍之進らが追いかけている本所無頼派のような、不良少年団ぽいものもあれば、大人の都合でしいたげられ、犯罪に巻き込まれる者もいる。
なかでも「のうぜんかずらの花咲けば」は、切ない。
実際には女郎ではないし、その事については周囲の証言もあるのに、自ら吉原行きを望む少女。
なぜ、そんなことを望むのだろうか。
作中、岡場所でとらえられた女郎が、吉原に送られる意味についてはちゃんと説明がされている。
最初から吉原に売られた女性に比べて、凄いハンデがついてしまうのだ。
にもかかわらず、という展開になる。
彼女が見たがっていたのうぜんかずらは、みかん色よりやや黄色みがかったラッパ型の花がひらひらと咲く南国的な花だ。
この花、哀しいとかやるせないとか、そういう言葉が全く似合わない。
だからこそ、少女の哀切さを際立たせてしまうのだろう。


雨を見たか―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)/宇江佐 真理
2009年8月10日初版
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2011-07-21 19:30:19

『君を乗せる舟』〈髪結い伊佐次捕物余話6〉

テーマ:歴史・時代小説

本シリーズの転換点はこの巻あたりかなあ、と思う。
もともと、シリーズタイトルにもあるとおり、伊佐次が主人公であったはずだが、ここから、不破の息子、龍之介あらため龍之進が二番目の主人公として台頭してくるからだ。

捕物として、岡っ引きではない伊佐次のみで展開する事に限界があったのだろうか?
いや、そうとは思えない。
この物語は、着実に物語内の時間を進めている。
人が成長し、あるいは老いていくところもまた、面白味のひとつとなっている。
となれば、不破の息子が元服をむかえる事は必至であるし、そうなれば、当然のこととして、奉行所に見習いとして出仕する。

伊佐次やお文の目を通して見ていた捕物の世界を、今度は同心の立場から見る事で、世界観を深める事ができるわけだし、見習いの同心の立場というのも、なかなかに新鮮だ。
そして、どんな世界の物語であっても、十代前半の性根が、大人の世界へ入り、一人前に成長していくプロセスは共感もわくし、面白いものだ。

しかし、その分、伊佐次の活躍が削られるわけでもあって、なかなか床を持てないまま日々努力もするし、挫折もする伊佐次の姿を追うことが一番の楽しみだと思っているファンもいるである事を思えば、ここは賛否両論かもしれない。

ところで、本巻の中では、冒頭の「妖刀」が異色でもあり、面白い一篇だ。
そう、妖刀といえば、それも江戸時代ならば、なんといっても、村正だ。
妖刀という評判があまりにも高く、非常に不気味なイメージがあるのだが、実際には、人の血を求めるとかそういうことではなく、「徳川家に仇をなす刀」というのがいわくのつき始めだ。
つまり、徳川家以外には全く害を為すはずはなかった(笑)。

であるにもかかわらず、鞘から抜かれたら人の血をみずにはすまない、というような妖刀の伝説がふくれあがったのはどうしてなのか。
まず第一に、村正が名刀であるというのがあげられるだろう。
そして、刀というのは古来神霊と関係が深いものだ。
しかも、日本の神霊は、西洋のような正邪に分割されておらず、ひとつお神霊に「にぎみたま」と「あらみたま」があり、言ってみれば、祟りもするが福も授けてくれる、そういう性格を持っている。
ゆえに、神霊と縁の深い刀が、ひとたび「忌まれる存在」とされた時、人を斬るための器物であるというマイナスの性格に、特別な力が付与されたのではないだろうか。

ここで描かれているのも、まさしく、そういう妖刀であるけれども、ちょっとオカルトな能力を持つ刀剣商、一風堂をまじえて、決しておどろおどろしいわけではないのに、背筋がぞっとする効果がうまく描かれている。
これも、卯さえマリの人物描写同様、決して派手でもドラマティックでもないが、「これならありそう」という、いや~な雰囲気が、なんともいえない。
作者は手前の巻のあとがきで、自分がホラー向きではないというような話をしているのだが、いやいやどうして。
「妖刀」は立派に、ホラーだ。
〈異形コレクション〉あたりに収録されても遜色のないものだと思う。


君を乗せる舟―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)/宇江佐 真理
2008年1月10日初版
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