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2010-12-31 21:53:49

『モルフェウスの領域』

テーマ:ミステリ
時代は今よりほんのちょこっとだけ未来・
ちょいと顔見せする田口公平も、すでに五十がらみだが、白髪が多くなりながらも高階院長は健在、つまり東城大学病院の主な面々はだいたい健在ということのようだ。

物語は、病院そのものがメインの舞台ではないし、それを言うと、医療そのものがテーマとも言えないかもしれない。
というのは、これ、コールドスリープの問題を扱った物語なのだ。

微妙だよなあ!
コールドスリープというと、どうもSFのものと思われそうだし、SFファンにとってみれば、何をいまさら? なギミックでもある。
まあ、なんというか、SF的にはすごくあたりまえに扱われてしまうものなんだけど、現実の社会では「まだ実現とかしてないよね?」なもの。
まあ、でも、作者が海堂尊であるなら、やっぱ医療的に扱うのではないか?

いやいや、それは間違いだ。
たしかに、海堂尊作品は病院を舞台にしていて、医療におけるいろいろな問題点を浮き彫りにしてきてはいるけれど、まずエーアイをテーマにあげたように、医療に属する問題と、社会との関係が作品の根幹にあると考えるべきだ。
従って、この作品も、コールドスリープが社会的にどのように影響し、どのように社会から扱われるのか、という問題が中心となっている。
どうだ、面白くはないか?
そんな視点からコールドスリープを扱った作品は、多分、全くないと思うのだ。

海堂尊の物語の、複合性を見るならば、本作は、『ナイチンゲールの沈黙』の未来にあたる。
高階、田口、島津あたりはほぼかわらない様子と見えるが、一方、猫田・如月といった看護師たちにはいささかの変化が見られる。
東城大学病院はいろいろと試練にさらされてきているが、まあ、「今でも健在だ」という事だね。
そして、時の流れは、そんなところにも容赦なく流れているということ。
ただ、コールドスリープに入っている人物は……当然ながら、時の流れから切り離されていると言える。
それを言えば、社会からも切り離されているわけだ。
そう、ここが作品のキモ。

コールドスリープした人と社会の関係性。
そこを見る限り、今までSFが扱ってきたコールドスリープの問題より、ずっと深く掘り下げてあって(まあ、作者と作品の立ち位置がもとから違うというのはあるんだろうけど)、非常に面白い。
これはミステリファンというより、SFファンに一読を勧めてみたい。


モルフェウスの領域/海堂 尊
2010年12月15日初版
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2010-12-30 21:45:08

『アリアドネの弾丸』

テーマ:ミステリ

シリーズ前作にあたる『イノセント・ゲリラ』がどうも私にとっては面白くなかったので、無意識に新刊から遠ざかっていたのだが、本作は面白かった!
処女作にしてシリーズ1作目にもあたる『チーム・バチスタの栄光』と同様、まず、きっちりとミステリであり、勿論シリーズの持ち味であるリアルな医療現場という世界観、そしていよいよエーアイのセンターができる、という事で、第一作と並ぶ面白さといっていいんじゃないかと思う。

さて、このセンターのできる場所が実に因縁深い。
かつて、碧翠院桜宮病院通称でんでん虫があったまさしくその場所、とあるのだ。
でんでん虫のおそろしさは、『螺鈿迷宮』に描かれているが、物語の時間線上ではそれよりさかのぼるが、『ブレイズ・メス』でもぶきみな存在として登場していた。
その時、計画されていたハートセンターの建設予定地が、まさしくでんでん虫のある岬であり、
「そのためにはでんでん虫を壊さなければならない」という示唆があって、
事実、白鳥の側はでんでん虫つぶしに動くことになっていくのだが……。

このハートセンターが結局できあがらず、それについては、誰がその計画を阻止したかが、本作で触れられている。

エーアイセンターそのものは、シリーズの最初から、白鳥が協力に推進していたものなので、ようやく本作でそれが結実した事になる。
しかし、それでもなお、完成間近いエーアイセンターで殺人事件が連続し、しかも、碧翠院の影が見え隠れするという、不吉な幕開けになってしまうわけだね。

海堂尊作品は複合しあう癖があり、本作も、白鳥・田口ラインに直系で連なっているが、傍系にあたる、極北市での物語なども大きく関わってくるし、本シリーズだけで読むのが可能であるにもかかわらず、他作品まで網羅していれば、その分余計に面白いのは確か。

また、シリーズ中であっても、ミステリのミの字もない作品が含まれていたりするのだが、本作は間違いなくミステリ、しかも(やや変則はあるかもだけど)本格といって良さそうなミステリなのだ。
殺人は、密室で行われる。
そして、必要な手がかりは全て読者の前に、きちんと提示されている。
そして、リアルな病院、しかも作者が世に周知したいエーアイそのものが、殺人そのものにも、その解明にも、深く関わっているというのが、すばらしい。


アリアドネの弾丸/海堂 尊
2010年9月24日初版
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2010-12-29 20:52:07

『チーム・バチスタの栄光』と『ブレイズ・メス 1990』

テーマ:ミステリ

『ブレイズメス 1990』を読んだところで、そのラストにチラ見できる桐生の軌跡を追いたくなってしまった。
海堂尊作品って、これが困ったところだ。
諸作品が複合的にひとつの世界を作っているため、一冊読むと、「そういえばこのキャラは?」と別の作品の再読にかかってしまうのだ。

さて、桐生恭一。
『ブレイズメス 1990』のラストで、天城の手技に見ほれ、小児科を志しながら、かつ、世界一流の技術を目指す事を決意する彼は、その場でチャンスをひろい、アメリカへ、と誘いを受けていた。
実際、彼が渡米して彼の地で研鑽し、奇跡とすら言われるような外科医になった事が、あらためて、本作でわかる。
しかも、『ブレイズ・メス』で最新の手術法として紹介されたバチスタ手術を手がけるあたりは、天城の公開手術が彼に及ぼした影響がいかに大きなものだったかを物語っているわけだ。
また、その衝撃の出会いから、本作までには、物語世界中の時間にして10年以上が経過している。
一流の外科医となる道のりとして、それは長いのだろうか、短いのだろうか。
まあ、十年一昔などという言葉もある。
決して、短いということはなかっただろうと想像する。

本作では、まさに栄光の頂点にあった桐生と、彼のチームが、実はいくつかの危険をかかえていて、いくつかの患者の術中死から、それらが浮き彫りになっていく様子が、スリリングに描かれている。
結果として、桐生はメスを置く事になるわけだが、その後、彼は再び渡米し、もともと所属していた「サザンクロス病院に戻って、臓器移植ネットの環境整備を勉強しつつ、後進の指導にあたられるそうです」(p.230) と行く末が語られている。
この時、桐生は42歳。
なんだか、過酷な行く末だなあ、と少し思った。

外科医というのは、かなりのところ、体力勝負だと聞く。
知人の小児科医が、「外科の先生たちはしょっちゅう筋トレとかしていて……」と語っていたのを思い出す。
まあ、何時間もたちっぱなしで、集中力も要する手術をこなすわけだから、生半可な体力dえはできまい。
実際、海堂尊作品でも、『ブラック・ペアン』~『ブレイズ・メス』で語り手となる世良は元サッカー選手だし、ジェネラル・ルージュこと速水は剣道の選手だったとされている。
その影響もあるかもだが、花形の手術者というのは、どうも、花形スポーツ選手に似ているような気がする。
手術者としてのピークはどのあたりにあるのか。
そして、選手生命ならぬ手術者生命というのも、もしかしたら、あるのでは……。
桐生の行く末は過酷であるとしても、そもそも、手術者の道そのものが、過酷なのかもしれない。
門外漢は、作品を読みつつ、想像するしかないのだが。

そう思うと、渡海や佐伯といった怪物的(!)医師が、ますます凄いものに見えてきたりする。
彼らは若くないが、なおかつ、凄い医師(手術者)として描かれているわけで、もうこれは、「甲羅を経た妖怪」に近いではないか。
身につけた技術を衰えさせないというのは、ほんとに大変なことなんだよねえ。


チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599)/海堂 尊
チーム ・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600)/海堂 尊
2007年11月26日初版(文庫版)
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2010-12-28 19:20:11

『ブレイズメス 1990』

テーマ:その他

海堂尊作品は、おおむね、処女作である『チーム・バチスタ~』からずっと、桜宮市という架空の地方都市を舞台に描かれているために、それぞれの作品が複雑に絡み合っており、個々に独立した物語でありながら、同時に複合しているという状態になっている。
ゆえに、明確に、なんとかシリーズと呼ぶ事が困難だが、本作は明らかに、『ブラック・ペアン』の続編と言えるだろう。
物語の筋としても、無謬の外科医渡海が去ったすぐ後の東城大学病院が舞台であり、主人公も世良医師だ。
後に院長となる高階講師は、それなりに大学病院の一員として、すでにはまってしまっている。

ここに、佐伯教授が面白いオーダーを出すのだ。
すなわち、モナコ公国にあって、ある独創的な心臓手術の技術により、世界的に高名な医師、天城を招聘し、桜宮市に、全く新しい、心臓外科専門の医療施設を作ろうというものだ。

この施設を作りにあたって、天城というエキセントリックな医師が、誰も思いもしなかったような手段を使うというのが本作の筋であり、クライマックスは、天城医師によって行われる、日本初の公開手術だ。

フランス語混じりで話し、ヨーロッパ上流社会の人であるかのごとき立ち居振る舞い、かっこいいが、同時に鼻持ちならない人物である天城に惑乱されてしまうが、本作の面白味は、第一に、日本の医学界の常識と思われる部分をどんどことくつがえしていくところにあるし、今現在浮き彫りになっている、数々の問題が、バブルの時に、すでに芽の出ていたものだということを、(海堂尊の他作品と同様に)改めて示しているというところだ。

しかし、実はそれだけなのであって、本作、ミステリでもサスペンスでもなんでもない。
もちろん、ノンフィクションでもないわけだが、うぅぅぅん。
すごーく面白いが、ジャンルとしては、ノージャンルだと言うしかない。
あえていえば、「海堂尊作品だよね!」という事になるだろう。

それと同時に、他作品との複合性も、もちろん、作者のファンにとっては面白いところだ。
たとえば、ここで香草が打ち出されている新たな医療施設、『チーム・バチスタ~』の時にはないものなので、結局実現されなかったのだろうか、と読者視点ではまず考えるのだが、本作のラストには、桐生恭一がちらりと顔見せしている。
そう、『チーム・バチスタの栄光』でメインの登場人物となるあの桐生恭一だ。
彼がどのようなプロセスを経てチーム・バチスタを立ち上げるのか、なんと原点は本作にあったようだ。
もちろん、バチスタに参加することになる、垣谷なども搭乗していて、彼がそもそもどのような人物だったのかがここでわかる仕掛けだ。

また、世良医師と花房看護師のそこはかとないロマンスは、ここでも語られており、別作品におけるラストが、より深く納得いく。


ブレイズメス1990/海堂 尊
2010年7月15日初版
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2010-12-27 22:10:48

『デカメロン (下)』 第十日

テーマ:古典・文学

十日目、最後のテーマは「鷹揚」。
この徳目は、古来、貴人が持っていなくてはならないものとされていて、これがもしフランスとかイギリスの物語であったとするなら、おおむね、登場人物は王侯貴顕となっていたことだろうと思われる。
もちろん、『デカメロン』とても、このテーマで語られる物語は、他のテーマに比べ、王侯のものである率が高いのだが、それでも、平凡な騎士や、商人、あるいは豚番すら登場するのは、驚きだ。

いや、まあ、豚番はやりすぎというか、逆に、将棋の歩がなりあがって王将になるように、ここに登場してもなんらおかしくない。
やはり注目されるべきは、商人が相変わらず主人公として登場するところではないかと思う。
富裕であり、教養も豊かで、王者の雅量もそなえた、紳商というべき人物が登場するのは、ヨーロッパ的というより、むしろ東洋的。
地中海諸国は、ヨーロッパ側といえども、どこかこういう、東洋に通じるところがあるように思う。
中央ヨーロッパとの間は高い山々にさえぎられているけれども、東洋諸国とは、海を通じて往来があるという土地柄が、そんな気風を育てているのかもしれない。
また、同時に、この地中海があるため、イタリアは古くから商人の国であったのだとも、考えられそうだ。

そして、この十日目の物語のひとつは、まさしく、回教国の王の鷹揚さを描いたものであり、雅量あるイタリアの騎士と回教国王の交情を物語っている。
比較的長めであり、いささかファンタスティックな要素も含まれてはいるが、このエピソードが含まれている事も、イタリアという土地柄をよくよく物語っているように思えるのだ。


デカメロン〈下〉 (ちくま文庫)/G. ボッカッチョ
1988年1月26日初版
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2010-12-26 22:42:44

『デカメロン (下)』 第九日

テーマ:古典・文学

第九日目は、再びノーテーマで各人が好きな物語を語る。
こういったサロン的な物語の会をもよおすという設定ならば、最初の一日はともかく、あとはそれぞれテーマを決めていくというのが常套手段のように思うのだが、そこをあえて、このようにノーテーマの日をはさむのはなぜなのだろう?

フランス(宮廷)料理の源流となったイタリアだから、というのではないけれど、なんとなくコース料理の間にはさまる「口直し」のように感じられる。
つまり、このノーテーマがあるから、また、次のテーマがいきいきと語られるという仕掛けなのではないだろうか。

とはいうものの、第九日の十話は、いずれも、滑稽味のあるものが多いように感じられる。
なかでも活躍するのは、彼女彼らの物語にしばしば登場するブッファルマッコたち、フィレンツェのおどけものたちで、なんと十話のうち二話に登場しているのだ。

この連中だけが、デカメロンには繰り返し登場していて、必ず、滑稽な事件を起こす事になっている。
といっても、日本のきっちょむさんや、トルコのナスレッディン・ホジャのようにとんちをきかせるというのではなく、あくまでも3~4人(顔ぶれは毎回、多少の入れ替わりがある)が、滑稽な事をするというところが違うのだ。
この連中、いったい、何者なのだろう?
ちょっと気になる。
まあ、彼らに焦点をあてるなら、このフリーの場で登場するのは、ちょっと幕間狂言にも似ているのかも。


デカメロン〈下〉 (ちくま文庫)/G. ボッカッチョ
1988年1月26日初版
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2010-12-25 20:16:04

『デカメロン (下)』 第八日

テーマ:古典・文学

デカメロンの八日目は、「瞞着すること」すなわち、人をだますことがテーマ。
昔から物語の世界では、誰かをだますことというのは、かなり人気のあるテーマだと思う。
それは、悪いやつ(たとえば悪代官のような)をだまして、庶民がすかっとするというのもあれば、単に愚か者をかついで笑いのめすという笑い話もある。
もちろん、詐欺そのものも、今だってミステリというか、そこからの派生である犯罪小説では人気があるんじゃないかと思う。

ここでも、悪い恋人をだます話や、愚かな人を笑いのめす話などいろいろとりまぜて、十話語られているのだが、笑い話はともかくとして、詐欺の手口は、ほんとに昔から洋の東西で変わっていないよなあ、などと思う。
あまりにも変わっていないために、やっぱり読んでいて笑ってしまうんだけど、そういえば、オレオレ詐欺なんていうのも、世間に「こういう手口なんですよ」とかなり広まっているにもかかわらず、いまだに被害があとをたたないそうだ。

しかし、単に、信じやすい人の心を利用しただましのテクニックだけではなく、だます側がだまされるという、「俺はいつもだます側なんだから大丈夫!」というありがちなミステイクを突いた話なども入っているのは面白いことだ。

ところで、この「瞞着」がテーマの八日目だけではないけれど、イタリアの物語というのは、ほんとうによく商人が活躍する。
前にも書いたとは思うけれど、これは中部以北のヨーロッパにはない特徴だと思うのだ。
逆に、『千夜一夜物語』には同じく商人が活躍する物語がたくさんあることを思うと、イタリアというのは、ヨーロッパでありながら、やはり、地中海をこしたイスラム圏ともいろいろつながりがあるのではないかと思える
実際、『デカメロン』にも、ある程度遠い国というイメージではあっても、イスラム諸国がちらりちらりと顔を出す。
それもこれも、イタリアの商人は多く、船を使って交易していて、かつ、海をこえれば容易にエジプトなどにたどりつくというロケーションがあるのだろう。


デカメロン〈下〉 (ちくま文庫)/G. ボッカッチョ
1988年1月26日初版
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2010-12-24 21:40:32

『聖書』

テーマ:神話・伝説・民話

メリー・クリスマス。
天には栄光、値には平和を。
今宵は人の悩みや苦しみ、寂しさなどが取り去られますように。

さて、今夜は教会でクリスマスミサが行われるし、24日というと、ミッションスクール、特にカトリック系ならば、馬小屋の聖家族像が置かれたり、聖誕劇が行われたり、しているかもしれない。
馴染みのない人のために一言説明しておくと、馬小屋で生まれたイエス・キリスト(たいてい、飼い葉桶に寝かされた赤ん坊としてあらわされる)と、母であるマリア、その夫であるヨセフを囲んで家畜が何頭か配され、馬小屋の上には輝く星がかかげられ、救世主の誕生を祝して東方から旅してきた三人の博士が訪れる、そのシーンを演じているのだ。

人形などであらわしても、劇で演じられたとしても、なかなか美しいシーンだが……。

実は、このシーンがスルーしている事実がある。
それは、そもそもこの夜にイエスが生まれるという預言があり、これが自分の滅びにつながると知ったヘロデ王(当時のユダヤの王)が、将来の禍根を断つために、生まれたばかりの男の赤ん坊をがっつがっつ殺してしまった、という事だ。

まあ、事実かどうかはわからない、というより、他の英雄などにも時に語られる類型と言っていいだろう。
それにしても、血なまぐさい話であり、いかにも、イエス・キリストには似合わない気がする。
とはいえ、福音書はいずれも、イエスと同時代に生きた人が書き記したものではない。
だから、イエス・キリストという英雄の生涯を書き記しにあたり、または言い伝えていった途中で、いろいろな英雄の要素が入り交じってしまったのだろう。

実際、よくよく福音書を読んでいくと、格別救世主とは関連があると思えない断片的な伝説がいろいろと混じっている気がするのだ。
たとえば、親戚の結婚式で、お祝いの酒が足りなくなったからといって、水をワインに変えるというのは、いったいなにがどうだというのか……。
神学的な説明も、どうもとってつけたようにしか思えない。

ゆえに、そのような、奇妙な断片は全てそぎ落とし、救世主として歩み始めてからの、イエスの発した言葉とされているもののみを抜き出した時、ようやく、イエス・キリストのことが想像できるように思う。

娼婦や収税人といった、社会のきらわれものを差別することなく、十字架にかけられる前には深く悩んだイエス。
であるからこそ、単なる聖人君子ではない、人間的なイエスが、後世の人の目を通してすら、いつまでも、人々の心に響いてくるのだろう。

イエスが強く語りかけたのは、愛。
ただし、男女の愛ではなく、「隣人愛」。
自分自身と同じように他の人をも大切にするということ。

逆にいうと、この「愛」が、聖家族という形で、クリスマスのシンボルになっているのかもしれない。
たとえ、聖書にどのようにちみどろな伝説の断片が流れ込んでいようとも、やはり実際は、この聖家族そのものが、イエス・キリストの原点であるのだ。


小型聖書 新改訳/著者不明
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2010-12-23 20:51:57

『ハーモニー』

テーマ:日本SF・ファンタジイ


社会主義とは、そもそも、資本家たちに搾取される貧しい人々をまのあたりにした智慧ある人々が夢見た理想のことだ。
作中では、ナチスが為した善なることが述べられているが(そう、ナチスは良い事もしたのだ)、そういえばナチスも社会主義の系統につらなる政治運動だったはずだ。

実際に社会主義をうちたてたとされる国家は、結局、その理想を実現できなかったし、逆に、資本主義であるのに、日本はとても社会主義に近い社会を作っているなどと評された事も前世紀には、あった。

社会主義とは。
全ての人々が平等である理想の社会。
この物語は、そんな理想の社会を造り上げようとした人々の物語である。

さて、本作では、人の意識というもの、そして人の体を支配する微細機械が造り上げるネットワークと、それによる大幅な社会改革について物語っている。
人の意識について、SFでは、A・C・クラークの『地球幼年期の終わり』など、古典的名作もあるし、もうほんとうに最近のものまで、特定のグループが、なんらかの方法で、意識を統合するという仕掛けは繰り返し物語られてきた。
逆に言うと、人間の意識というものを扱うのに、作家として、そこが限界だったとも言える。

本作は、人間の意識というものを、ある特殊な状態へ転換する事と、その前段階としてのプライヴァシーがない社会を描いているのだけれど、人類全体が行き着く場所として、特定のグループではない、人類全体(まあ、少なくとも、ある先進的な微少機械を取り入れている人類の大多数)を一挙に扱うというのは、なかなか、カゲキだし、面白い。

もうひとつ大きな特徴は、この物語が、htmlとちょっと似ているetmlという形式でつづられている事だ。
etmlのeは、emotionのe。
つまり、htmlの形式と似た、etmlのタグが意図的に作中に用いられている。
たとえば、

<anger>
私は拳を握りしめた。
彼の一言で、瞬間的に頭に血が上ってしまったのだ。
私は思わず、拳を振り上げ、彼の顔面にたたき込んだ。
</anger>

タグにはさまれた1行目のあたりで、登場人物怒りが喚起されている。
読み手は、タグによって、同様に怒りを喚起される。
その状態は、もちろん、</anger>という閉じタグの部分で終了するというわけ。

このetmlがなぜ使われているかについては、物語のラストでようやく謎が明かされるのだが、わけもわからずこのタグを追っていると、不思議に面白い。
そして、実はこのetmlが、物語の大きな隠れ要素であって、たとえばゼラズニイが〈アンバー・シリーズ〉でやったように、物語をひとつの大きな円環・またはウロボロス的構造にしている事がわかる。

蛇足ながら、表紙画像が見づらいのは、これが真っ白な装幀の本であるからだ。
純白の表紙に、横書きで、タイトルと、作者名と、出版社名が簡素に記されている。
この表紙もまた、物語世界を強く主張している。


ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)/伊藤計劃
2010年12月15日初版
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2010-12-22 21:18:57

『地球戦線 3』〈ポスリーン・ウォー2〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ

さあ、野郎ども、戦争だぞ!
え? 最初から戦争だろって?
いや、もちろんそうなのだが、今回は、最初から最後まで、超人的なコンバットスーツが登場しない、アメリカ軍対ポスリーン侵攻軍の激突なのだ。
市民による戦いのシーンも、ほとんどない。
ひたすら、通常のアメリカ軍が戦うのだ。

かなり、燃える。
個人差はあると思うが、私は凄く燃えた!

ミリタリーSFというより、この部分はミリタリー小説と言った方がいいだろう。
そういうのが好きな人には、たぶん、こたえられないと思う。

しかも、〈連邦〉の内部で企まれている陰謀が、とうとう水面に出てくるのだ。
暗殺未遂あり、サイバーテロあり。
地球(アメリカ)側は、かなり敗色が濃いとはいえ、
「うぉぉ、そこだーっ それだーっ」
と拳を振り上げたくなるシーンがいくつか入っていると言っておこう。

うんうん。ミリタリーものは、基本、かっこよくなくてはね。
それも、ヒーロー的というより、「軍隊」としてかっこよくなくてはいけないのだ。


地球戦線〈3〉―ポスリーン・ウォー〈2〉 (ハヤカワ文庫SF)/ジョン リンゴー
2010年12月25日初版(発売中)
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