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2009-08-31 20:22:12

『無頼の絵師』〈公事宿事件書留帳11〉

テーマ:歴史・時代小説

芸術というやつは、昔も今も、大変なものだ。
ん~、まあ、それで喰っていくのでなければいいのかもしれないが、ひとたび「職業」という事になると、なにぶんにも、生きていくのに必須のものでないだけに、どうしたって、スポンサーが必要になる。
スポンサーがいれば、その機嫌を取る必要が生じ、自分の意に添わないものも創作しなくてはいけないし、相手にへつらったりおだてたりもしなくてはならないだろう。

創作活動というものは、本来、自分の感性のおもむくところに突き進みたいものであるから、大なり小なり、そういう「おもねり」は苦痛になってしまう。

じゃあ、職業にしなけりゃいいじゃん、と考える。
しかしだな、「プロではない」ということは、その世界で認められないという事につながる。
もちろん、絶対ではないが、大抵、そういう事になる。
アマチュアとして(名声を得る得ないにかかわらず)、自分の芸術を貫き通すのは、大変な覚悟が必要だ。

家族がいたら、それなりの責任もできてしまうしなあ。

ゆえに、芸術家は、結局、どこかで妥協をしなくてはならなくなる。
名声、カネ、自由のうち、どれかを諦めなくてはいけないという事だ。

作者は、どうやら、芸術家がその境地を追求する事に好感を持っているようで、たとえば雪舟や西行に、菊太郎を通して一言もの申している一方、貧乏して、名声も縁のない境涯に身を置きながら、好きなように絵を描いている絵師というのを、これまでも出してきた。

今回、巻のタイトルとなっている『無頼の絵師』は、その極地といえるもので、名声はどうでもいいが、自分の力を試してみたい、とばかりに描いた絵(しかも、ノーサイン)がもとで、とんでもない事件が起こってしまうというものだ。
時代を問わず、ありそうな事件だが、捕縛されようが座敷牢に入れられようが、黙々と扇絵を描き続ける、表紙の絵師像は、ある意味、作者が理想とする芸術家像なのかもしれない。

さて、いろいろな事件を解決しながらも、物語の中でそれなりに時は流れ、とうとう、お信は菊太郎の実家の配慮で、一軒の店をかまえる事になる。
醤油垂れをつけやきする団子の店だ。
この店がきっかけで、お信旧知の人がやってくるが、菊太郎がいない間の女所帯も、この人物が登場したおかげで安泰となる仕掛け。
ひとくせもふたくせもありそうな爺さん、菊太郎とは違う意味で、酸いも甘いも噛み分けた人物なので、団子屋開業とこの人の登場で、シリーズには一区切りついたような感じがする。
その人の名前は、右衛門七(えもしち)。
変な名前……。
でも憶えやすいな。「えもしち」!

しかし、お信の店、美濃屋の団子は、実にうまそうに描かれている。


無頼の絵師―公事宿事件書留帳〈11〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2006年12月10日初版
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2009-08-30 14:28:11

『釈迦の女』〈公事宿事件書留帳10〉

テーマ:歴史・時代小説


ちょっとばかりひねくれた言い方かもしれないが、登場人物全て善人だけ、という物語を、面白いとは思わない。
私はハッピーエンドが大好きだし、後味の悪い話は基本的に嫌いだが、かといって、登場する悪人全てが実は事情を抱えていて、改心してしまうとか、武士や兵士や、末はならずものまで、きったはったの人生を送っている人が、現代人的な倫理観から人を殺す事を否定したりためらったりというのも、嫌いなのだ。

時代によって、変わらない人道もある一方、時代によって物の見方は変わっているのが当然だ。

その点、本シリーズはけっこうバランスがいいのではないかと思う。
悪い奴は当然たくさん登場する。
たとえば、本巻の中の「酷い桜」は、継子虐め、今でいう児童虐待の話で、作者の執筆姿勢を考えれば、昨今増加してきた児童虐待にヒントを得ているのに相違ないが、決してそれを現代的な視点では解決していないし、そういう視点から子供を虐めた親どもを非難しているわけでもないのだ。

いやいや、物事はきっちりと、解決しているけれども!

作者の秀逸なところは、そこで安直に親をとっちめるのではなくて、子供を助けたいけれども暴力的な男親におそれをなして手を出しかねtいる近所の人々にまずてこ入れをするところだろう。

「子宝」という言葉があって、人にとって我が子は何にもまさる宝だ、というふうに解釈されているけれども、実のところはそうではなく、子供とは「天下の宝」だ、と菊太郎は解いている。
だからこそ、我が子でなくとも、見かけた子供が悪さをしていたら声をかけて叱らなければならないし、可哀想な目や危険な目にあっていたら、見ず知らずの子でも助けてやらなくてはいけない。

昨今、子供が悪さをしていても、下手に叱ると、そばにいて(悪さを防寒していた)親に逆ねじをくらう、というような事がしばしばあり、君子危うきに近寄らずというか、触らぬ神に祟りなしというか、見過ごす風潮になっているが、
「そんなことではいけまへん」
と、いうわけだな……。

ゆえに、直接子供を虐めている奴の始末をつけるのは物語の筋書き上当然として、それだけではすまさないあたりが、公事宿鯉屋の面目躍如たるところ、というわけ。


釈迦の女―公事宿事件書留帳〈10〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2005年11月10日初版
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2009-08-29 20:15:58

『悪い棺』〈公事宿事件書留帳9〉

テーマ:歴史・時代小説

菊太郎の愛猫は、お百という。
もっとも、本来この猫は鯉屋のお店さま(おかみさん)、お多佳の飼い猫であったはずだ。
しかし、居候で暇のある菊太郎が溺愛し続けた結果、とうとう、「菊太郎の若だんなの猫」になってしまった(笑)。
鯉屋のシーンでは、必ず、このお百がいい味を出している事は、読者には周知の通り。

しかし、今回「黒猫の婆」では、タイトルのとおり、酷い目にあった老婦人の愛猫が実にいい味を出していて、作者は猫が好きなんだなあ……と強く感じる。
黒猫というのは、一部、幸運のしるしとみなすところもあるけれど、大抵は、不運のしるしとか、凶事の前触れのように思われる事が多い。
日本でも、化猫になる佐賀の猫は黒猫だったはず……たしか。

あえてそういう黒猫を出すというのがいいのかもしれないけど、大店で育った黒猫が、裏長屋に来て、うさんくさそうにあちこち見て回る様子は、もう……!
ああ、猫だなあ……。
え? 猫なんだからあたりまえ?
や、それを、猫らしく描けるかどうかは、書く人の観察眼によるのだし、そこまで観察できるというのは、やっぱり、多少なりとも猫が好きでなければ、無理ではないかと思う次第。

一方、「人喰みの店」は、奉公人を縛り付けて搾取する店の話。
例によってホラーかと思うような怖いタイトルがついているが、どうしてどうして、この作者の筆で描き出される公事のタネは、幽霊などよりうんと怖い。

巻のタイトルになっている「悪い棺」も相当だが、こちらの方が、ちょっとマシかもしれない。


悪い棺―公事宿事件書留帳〈9〉 幻冬舎文庫/澤田 ふじ子
2005年6月10日初版
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2009-08-28 20:30:05

『恵比寿町火事』〈公事宿事件書留帳8〉

テーマ:歴史・時代小説

菊太郎と鯉屋の面々、そして銕蔵やお信。
彼らは、互いに、かなりひねくれたような口をたたきあう。
しかし、それは意地悪なのではなくて、実は互いを思いやっているからこその憎まれ口であり、相手もそれをわかっているという図式がある。
そして、ちょっとした失言などもその中で上手にたしなめられているだけではなく、受け取る方も、それは素直に受け取っているという事もわかる。

作者は、シリーズを通して、今の日本には失われたかに見える、「思いやりから生じる人の道(礼儀)」というものを、伝えようとしているかに見えるが、こういったやりとりにも、それが反映されているのではないかと思う。

本シリーズは決して人情ものではないが、捕物帳というわけでもなく、多少のミステリはあるものの、なんといいますか……本シリーズだけで独自のサブジャンルを形成していると言うしかない。
つまり、公事宿ものだ。
刑事専従でもなく、かといって市井そのものでもない。
武士の話でもあり、町人の話でもある。

あるいは、いずれ、江戸なり大阪なりを舞台に、公事にかかわる人々を主体とする物語を、他の人が書くかもしれない(それほど、この公事宿という存在は面白いと思う)。
その時には、「公事宿ものの嚆矢は、澤田ふじこの公事宿事件書留帳だ」と言われるはずだ。

しかし、その面白さは、公事宿という存在だけではなく、澤田ふじ子の筆による、「日本人が本来持っていた思いやりの心持ち」を表現しているところにあるのであって、もしこれがなかったら、同じように公事宿の物語を書いても、これほどは面白くならないかも。


恵比寿町火事―公事宿事件書留帳〈8〉 (幻冬舎文庫)/沢田 ふじ子
2004年12月5日初版
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2009-08-27 09:48:01

『にたり地蔵』〈公事宿事件書留帳7〉

テーマ:歴史・時代小説


このシリーズ、時々、ぎょっとするようなホラーっぽいタイトルがつけられている事がある。
本巻などもそれで、『にたり地蔵』とは妙に不気味。
これ、まさしく、街の辻に祀られているお地蔵さんが、「にたり」と笑って歩み去っていった……という話にちなむのだ。

人の形をしたものというのは、それだけでなんとなく不気味だったりするが、本来慈愛深いとされているお地蔵さんと、「にたり」があまりにミスマッチで、もうこの組み合わせだけで、ホラーの短編が書けそうな気がする(笑)。

お地蔵さんが動くのでも、「かさじぞう」なら怖くないんだけどねえ……!

とはいえ、本シリーズは超自然的な現象を扱ったりはしないので、もちろん、お地蔵さんがにたりと笑うのにも、仕掛けがある。
今回は、仕掛けというより、心理的な落とし穴というべきなのだろうか。

事件の発端となる老女の半生と、お地蔵さんにからむ町の人間模様がなかなか面白い。
また、京という土地と、お地蔵さんの関係を含め、まさしくこれは、京を舞台としなければ書けない話だ。

特定の土地を舞台とする物語であれば、その土地の地勢や歴史を調べるのは当然だろうが、土地の「人情」とか「雰囲気」は、長い時間接していないとわからないし、伝えられないと思う。
本作は、澤田ひさ子が、まさしく「京の作家」と感じさせられる一編だ。


にたり地蔵―公事宿事件書留帳〈7〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2003年12月5日初版
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2009-08-26 20:23:25

『最遊記外伝 (4) 』

テーマ:日本SF・ファンタジイ

外伝は今回が最終巻。
うまく、本編の語り始めにつなげたものかな、と思う。
そういう意味では、外伝というより、前日譚と銘打った方がわかりやすいかもしれない。

逆に言えば、本編という大前提があるために、この外伝では、いかに凄惨な事になったとて、あらかじめ「救い」が用意されているとも言える。
だから、そこらへんは、かなり容赦なく描かれていると言ってもいい。

まあ、ともあれ、本作は『西遊記』の翻案作品になるわけだけれど、もっぱら天上界の事を描いた部分では、『封神演義』っぽいんじゃないの、と思うところもあるかもしれない。
実際、『封神演義』も、『西遊記』で悟空が山に封じられるまでも、道教的な天界が舞台になったりするため、似ているのは道理なんだけれどね。
で、どちらにおいても活躍するのがナタクであるから、その父にあたる李天王(託塔天王)がセットで登場するのも、道理っちゃ道理だ。

しかし、『西遊記』では影が薄く、『封神演義』でもどちらかというと、息子に手を焼く弱腰の父親っぽく描かれてしまう李天王(ほんとは、人の世界にあっては英雄だったはずなんだけど)の、本作での扱いは、ちょっと面白い。
それもこれも、ナタクが道術的な意味合いでの一種のサイボーグ(または意識の器としてのアンドロイド)であるため。
SF的にひねりやすいキャラクターなんだな。

そして、本来英雄であるはずの李天王の所行や、清浄であるべき天界での大虐殺(!)など、中国のその手の口承文芸では、実はおなじみであり、日本のSF的冒険漫画として面白く翻案されてはいても、実は、どうして、そういう中国的なエッセンスもきっちり、そうやって反映されているのだと言える。

本編の方も、来月一区切りつくようだけれど、即座に本編外伝とも新シリーズが連載スタートとなるみたいなので、まだまだ楽しませてもらえそう。


最遊記外伝 4 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)/峰倉 かずや
2009年8月5日初版
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2009-08-25 19:40:43

『ひとでなし』〈公事宿事件書留帳6〉

テーマ:歴史・時代小説

人を罵る言葉には、古今東西いろいろなものがあるようで、実はそれなりの共通項もある。
そのうちの一種が、相手が「人間ではない」と非難する言葉だが、まあ、これが、たいていは、日本語の罵声にもある「鬼っ」「あくまーっ」というようなたぐいなのだな。

そのなかで、「ひとでなし!」という罵りは、それと同類のようでいて、ちょっと違うニュアンスがありそうだ。
「人非人」と言い直すと、もっとわかりやすいだろう。
つまり、明らかに人ではないもの、鬼とか悪魔とかけだものである、と言うのではなくて、「人ではないひと」だ、というのだね。
なんだか矛盾しているような言い回しだが、これをかみくだくと、「人の道にそむいている人」という意味で、つまるところ、人間はすべからく人の道に従わなくてはならないものであって、それだけ「人の道」は人間らしく生きていく上で不可欠のものなのだ。

では、どんなものが「人の道」かというのは、説明が難しいけれど、おおむね、「道徳」として習うようなものと考えればいいだろう。
単に正直であったり、真面目な努力家であったりするだけでは人の道とは言えない。
不特定多数の「まわりの人」を思いやる心であり、血のつながった家族はもとより、自分が属する組織を、家族同様に大切にする心も含まれる。

想像するに、日本人がもとから持つ民族性に、仏教の教えなども混淆して長い間に醸成されてきたものなのだろう。

この「人の道」は、必ずしも勧善懲悪であるとは限らない。
ときに、罪をおかした人にも、当人の事情を斟酌し、思いやりをもって接する事をよしとする。
本シリーズの主人公、菊太郎が、公事宿鯉屋とともに行っているのが、この「人の道」だと言ってもいい。

作者は、現実に起きている事件を、物語のモデルとしてしばしば用いているのだそうだ。
実際、本巻にも、十年近く前から社会問題化した「リストラ」が登場したりする。
このため、シリーズの舞台となる江戸は、(または鯉屋のなす事は)いささか理想的に描き過ぎなきらいもあるが、一個人では目に見えてどうする事もできない現実を、仮想の江戸時代の京で、鯉屋の面々と菊太郎にスカッと解決してもらうのは、気分の良い事かもしれない。

とはいえ、貧者の一灯という言葉もある(適用はちょっと違うが)……たとえ読者個人個人でも、昔ながらの「人の道」を多少は心にかけるならば、いずれは日本も変わってくるかもしれないね。
ん?
もちろん、とらも、お天道さまに恥じないとらの道、人倫ならぬ「虎倫」にもとらぬ生き方をしようと思っている。


ひとでなし―公事宿事件書留帳〈6〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2002年6月25日初版
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2009-08-24 18:53:21

『背中の髑髏』〈公事宿事件書留帳5〉

テーマ:歴史・時代小説


因業な……という言葉は、既に死語なのだろうか。
あまり聞かないけれど、

学研の国語大辞典によると、

(1)仏教〕むくいの原因になる(悪い)行い。業因(ゴウイン)。
(2)形容動詞》─自分のことばかりを考え、がんこで思いやりのないこと。強情で無情なこと。─用例(里見狩・水上滝太郎)

という意味に定義されている。(※機種依存文字である丸付き数字、半角カタカナは( )入り数字と全角カナに書き改めた)。

本巻には、まさしく、因業な事件が幾つも登場する。
悪事は全て悪い事には違いないが、やむにやまれぬ事情、たとえば生きるか死ぬかの瀬戸際に犯してしまう悪事と、ただもう、カネほしさ、それも「生きるため」ではなく「金持ちになりたいから(単により多くのカネがほしいから)」という理由で犯す悪事は、どうしても比べてしまいたくなるのが人情というもの。

そして、誰が見ても、後者こそは「因業な悪事」と言いたくなるようなものだ。
ただ、己だけがいい思いをしたいという我欲ほど、見ていて気持ちの悪いものはない。
しかし、その一方で、人間は不思議と、そういうものを指のすきまから見たがる性質も、あるのだ。
バラエティ番組が盛況となる理由だろう。

公事宿であればこそ、そういういやらしい事件もいろいろ扱わねばならず、主人の源十郎が嘆くことしきりだが、このシリーズの特徴として、菊太郎も源十郎も、決して勧善懲悪ではない。
かといって、罪を憎んで人を憎まずというほど聖人君子的でもなく、ただ、あるがままの人を見て、相手を思いやろうとする姿勢が見えるのだ。

現代社会のストレスの高さはいろいろなところで言われている。
だから、勧善懲悪ものは一方ですきっとするけれども、そこまで言われるのがもし自分だったら、などと思うと、楽しかるべきエンタテイメントなのに、妙なストレスを感じてしまうかもしれない。
ゆえに、今では、エンタテイメントといえども、「がんばらなくてもいいのだ」(がんばりすぎてはいけない)というスタンスが求められると思う。
本シリーズは、まさしく、そういう欲求に応えていると言えるだろう。

因業な事件は、指のすきまから見たくなるような「いやらしさ」なのだが、そこに、主人公たちがどのような対応をするか、それがいいわけだね。


背中の髑髏―公事宿事件書留帳〈5〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2001年8月25日初版

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2009-08-23 19:49:44

『奈落の水』〈公事宿事件書留帳4〉

テーマ:歴史・時代小説

あたりまえの話だが、人間は完璧な生き物ではない。
ゆえに、人間が作り出したものは、法律であろうと、社会体制であろうと、完璧な道理がない。
江戸時代はそうであっただろうし、現代だって同じ事だろう。

今でいう民事事件を扱う公事宿を舞台にしたこのシリーズでは、しばしば、そうした、社会体制や法律の穴とか、至らざるところのために、苦しんでいる庶民が登場する。
また、そのような「穴」を埋めるため、黙々と善行に励む人が一人ならず出てくる。
お金持ちもいなくはないけど、目立つのはやはり、自らも赤貧洗うがごとしといった身分職業の男女だろう。
血もつながらない少女を時分の手ひとつで育てる、場末の一膳飯屋の酌婦、
縁もゆかりもない年寄りや孤児を何人も引き取って養う下肥くみ取り夫、
あるいは人に憎まれる金貸しをしながら、ひそかに、孤児達を養う小さな寺に寄進を欠かさぬ金貸し婆。
面白いことに、彼らは、パーフェクトな善人としては全く描かれない。
おそろしい毒舌家だったり、カネに困って盗みをはたらいたりしちゃうんだね。
(だからこそ、公事宿にひっかかってくるわけだ)。

その都度、何の力ももたぬ一個人である、しかも金満家でもない彼らがなしている事を、奉行所の人々らに、感心させるだけではなく、お上の至らざるところを庶民が細腕でなしとげている理不尽さに思いをいたさせるのであり、
また、そうした「穴」を庶民の人情が埋めている事を添える。
現代とて、そういった「穴」により苦しんでいる人々は、多々存在する。
そのような人々を救う人情は、はたして今、見られるのだろうか?
そこのところに、作者は、密かに思いを仮託しているのかもしれない。

法律や社会体制が完璧であるにしく事はないが、それは人間の性質上、無理な話だ。
しかし、それを埋める事は、可能なのかもしれない。
江戸時代には、そういう「人情」が豊かだったのではないかと。
今でも同じ事は、できないはずはないんじゃないかと。

たまたまかもしれないが、本巻におさめられているエピソードには、そんな話が多いようだ。


奈落の水―公事宿事件書留帳〈4〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2001年4月25日初版
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2009-08-22 19:42:15

『拷問蔵』〈公事宿事件書留帳3〉

テーマ:歴史・時代小説

「おまえが下手人に相違あるまい!」(びしばしびしーっ!)

テレビ時代劇などには、しばしばこういうシーンが出てきて、実は無実の男が割れ竹でさんざん殴られたりとかするから、つい、江戸時代はそんなものか、などと思いがち。
もちろん、こういった「体に聞く」手法はあったわけだけど、実は、そこにもちゃんとそれなりの適用方針があった。
そこを逸脱してしまった同心の勇み足から始まる「拷問蔵」から、酒の燗をするよしあしに至るまで、このシリーズはなかなかうまい具合に、江戸の風景を見せてくれる。

昨今は考古学で、王侯貴族や寺社の跡ばかりを発掘研究するのではなく、より、古代の庶民の実像に迫るべく方向転換がなされていると聞いた事があるが、近世の事であっても、なかなか、時代の風俗などについて詳しく述べたものはなく、それだけに、そんな風景を見せてくれる時代小説は、我々の非日常として、楽しいというわけだ。
しかし、なかなか知り得ない時代の実像を探るため、作者の努力はなみなみならぬものがあるだろうと察せられる。

シリーズの第1巻について書いた時、京都を舞台としている事のユニークさについて述べたけれども、なんでもかでも江戸が中心であるのは、やはり、江戸そのものについて書き残されたものが他の土地についてのものより圧倒的に多いという理由もあるのだろうと思われる。

主人公菊太郎が、公事宿という、「お上」と「庶民」の間にたつ場所に居候しているだけに、作者が把握しなければならない世界は官民両方にわたり、大変さは層倍だろうと思うけれど、かといって蘊蓄のオンパレードになるでもなく、京都には縁もゆかりもない私のような読者でも、すんなり江戸時代の京の街に入っていける作者の筆は素晴らしい。


拷問蔵―公事宿事件書留帳〈3〉 (幻冬舎文庫)/澤田 ふじ子
2001年2月25日初版
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