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2008-04-30 21:40:00

『ゆめつげ』

テーマ:歴史・時代小説
『しゃばけ』で人気をとった畠中恵の、もうひとつの江戸もの作品。
但し、もののけは登場せず、そのかわりに人間がもののけだ。
あー、いや、人間自身が不思議な能力を持っている。
そういう主人公なのだ。

また、時代的にも思い切り幕末で、同じ江戸時代でも『しゃばけ』とは背景が全く違う。

主人公、弓月は、さる小さな貧乏神社の神官なのだが、「夢告」(むこく/ゆめつげ)という、鏡を使ったクリストロマンシーが得意技。

この占いで、安政の大地震の際、行方不明になった札差しの息子の、「ほんもの判定」を頼まれたのがきっかけで、連続辻斬り事件にからむ、連続殺人事件に巻き込まれる事になるのだが、ことは明治維新と、国の体制の大転換に関するとんでもない陰謀につながってしまい、物語の後半はけっこう重い。
どうもそこらへんが、軽妙な短編でつづられる『しゃばけ』とはだいぶカラーが違って、面白いことは面白いのだが、ちと肩すかしというか、期待をはずしているようにも受け取れてしまう。

従って、はなから、「しゃばけとは全くタイプが違う」と割り切って読む事をおすすめしたい。


ゆめつげ (角川文庫 は 37-1)/畠中 恵
2008年4月25日初版
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2008-04-29 21:26:17

『おおきなおいも』

テーマ:絵本・児童文学
しばしば、
「子供の絵はスゴイ」とか
「子供の書いた詩はスゴイ」
なんて話を聞く。
それはたいてい、大人が子供の発想力に驚いて言うのだけれども、
それもそのはず、
子供は、人生経験が浅い分、発想力で補うので、経験によってフォーマットされてしまっている大人よりも、数倍、考え方が柔軟で感性が鋭いというわけ。

そういう、子供的な特性を象徴しているかのような絵本がこれ。
いもほり(子供が大好きな行事のひとつだ!)を待ちわびていた幼稚園の子供たちが、
「はやくおいもに会いたいねー」
という気持ちから、ちょっとスゴイものを作ってしまったよ、というエピソード。

作ってしまったものをどうするかというのも、なかなかほほえましい。

しかしこれ、絵本ではあるし、子供が見ても面白いのだろうけど、
なぜか、どちらかというと、大人に読ませたいように思うのは、「子供の発想力」が大きくアピールされているからだろうか。

まあ、そんな大人とて、昔はこういう子供だったんだけどねえ。


おおきなおおきなおいも―鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による/赤羽 末吉
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2008-04-28 21:06:03

『雨柳堂夢咄 (12) 』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
シリーズも終わりに近づくほど、各話の記憶が薄いのはなぜだろう……。
ふとそう思い立って、購入した本巻を読む前に、11巻からさかのぼって再読するという事をしてみたのだった。

もちろん、巻数の若い方が、当然、再読した回数が多いという事はある。
まあ、だいたい、新刊が出るたびに全巻再読しているのだから、単純計算でも、12巻までに、1巻は13回。11巻は2回、最低でも読んだ事になり、1巻と11巻ではその差11回、となるわけ。

しかし、やはり、物語の密度は、最初の数巻が最も高いように思われる。
雨柳堂という店も、登場するキャラクターも、静かな迫力をもって、読者にアピールしている。
ならば、最近の巻になるほど、そういう要素は薄れてしまったのだろうか?

確かに、多少のマンネリは避けられないところ。
しかし、そのプロセスは、雨柳堂という店、そして蓮というキャラクターが、当初の「異常なもの」から、「日常のもの」へ移行していく時に生じるもので、当初のインパクトがないかわりに、雨柳堂は、読者にとっての現実として、既にしっかりと、存在感を得たものとなったのだ。

シリーズはひとまず、本巻をもって幕を閉じるという事だが、格別、雨柳堂が店を閉じるとか、そういった「結末」はついていない。
骨董という、何度も人の手に渡りながら、時を経てきたものが、集っては去っていく仮の宿が骨董店であるならば、そこに時はあるようで、ない。
この物語は、漠然と、明治後半が舞台である事を示唆している(江戸時代末期に生まれた人が老いた姿で登場したり、女学生の頃に連と出会った女性が後に平塚雷鳥らの婦人解放運動を耳にしたりしている)。
また、雨柳堂が根津にあるらしき事も、判明している。
しかし、12巻に至って、もはや雨柳堂は、いつの時代のどこにあっても不思議ではない……。
たとえば、平成の、東京のどこかに店を開いていて、蓮が店番をしていても、おかしくはないと思えるんだな。

もちろん、それは、この物語の主人公が、登場するさまざまな「品」であり、蓮はそれらと言葉を交わす事で、「品」にかかわる人や読者との仲介を勤めるメディウムであるからなのだ。
そういえば、雨柳堂の店主は、ついに、最後までその名を明らかにしなかった。
(もちろん、蓮にしたところで、苗字まではわからないのだ)。
これほど長く続いた物語でありながら……!
その事も、物語のそんな性格をあらわしているとは言えないだろうか。


雨柳堂夢咄 其ノ十二 (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)/波津 彬子
2008年1月30日初版
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2008-04-27 21:16:13

『EX!4』

テーマ:冒険・アクション
「正義」というものほど、厄介な観念はない。
なぜなら、複数の文化が渾然一体となった「国際社会」の今、唯一絶対の正義などというものは、まかり通らない時代となったからだ。
むしろ、まだしも、「勧善懲悪」の方がわかりやすいだろう。
どのような文化でも、多少の差異こそあれ、基本的に命を守る事が善であり、殺す事は悪。
わかちあう事は善であり、奪う事は悪。
そこらへんは、ベイシックなところで共通だろうと思うからだ。

しかし、
「世界征服を企む悪の秘密組織」<基本的に、悪
その残党が、改めて人間社会との共存をめざしている「らしい」となった時、
かつての「悪の秘密組織」と戦っていた「正義の味方」は、どうすれば良い?

それが、本巻のテーマだ。

そもそも、このシリーズの主人公は、元「悪の秘密組織」幹部と、前「正義のヒーロー」を両親に持つハーフであり、彼が通う学園は、人類との共存を目標として作られた、改造人間(次世代)の学校だ。
従って、主人公の視点を通して物事を見る読者にとって、今回登場したエクスターアイシクルは、かなり、鼻持ちならない存在だ。

しかし、視点をかえて、エクスターアイシクルの側から見てみると、確かに、聖クレス学園というのは、なんか怪しげな団体に見える事も確か。

物語が、「共存」というテーマを追い続ける限り、当然、主人公とは別の立場を持つ者の視点も、要素として取り込んでいかなくてはならないだろう。

表向きは、主人公の幼なじみがいきなり体験入学してきて大騒ぎ、というエピソードだが、今回は、聖クレス学園めざすところの目標に、重要なスパイスが投じられているわけだ。
同時に、学園以外のところで、どちらの陣営の上部組織も、じわじわといろいろな動きを見せ始めており、早晩、物語が、大きな展開を見せる事も予測させる。



EX! 4 (GA文庫 お 1-5)/織田兄第
2008年2月29日初版
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2008-04-26 20:59:13

『台湾語のスラング表現  華流のドラマ・映画が楽しめる!』

テーマ:その他
母の知人の中華系アメリカ人で、六カ国語を話せるという人がいるのだが、実はそのうち五つは、中国国内で話されている言葉。
……そう聞くと、「え?」なんて思ってしまうのだが、広い中国のこと、地域により違う方言というより、もうほんとに「別の言語」が話されているのだそうだ。
いわゆる「中国語」は、北京語(北京官話)なわけで、
ある学者がフィールドワークのために、少数民族のところを訪ねた時には、
日本語→北京語→その地方で話されている言葉→少数民族の言葉
と、間に何人もの通訳が入ったという、笑えるような笑えないような話を聞いた事がある。

そう来るならば、さて、台湾では何語を話すのだろう?

これ、かなりの引っかけ問題になると思うよ。
というのは、もともと、台湾という島に住んでいた人々がいるわけで、
そこに、福建省あたりから移り住んだ中華系の人々というのがあって、
さらに、国民党の一派が大量に流れ込んだという歴史がある。
おおざっぱだけどね。
そのような経緯から、台湾の公用語は北京語。
但し、その台湾方言と言えるような差異があるのだそうだ。
文字も、共産中国のような簡体字は使わないし、外来語は表記が違うという。

さて、この台湾であるけれども。
共産中国のような反日教育が行われているわけでもなく、かつ、日本の台湾統治時代がわりかし好意的に受け止められている部分もあるそうで、共産中国に比べると、ぐっと親日的。
そもそも、台湾のおばちゃんなどは、昔のドラマに出てくる下町のおばちゃんのように、親しくなると、口うるさく、親切で情に厚い。
台湾は料理もうまいし、お茶もよし。
台湾旅行はちょっとやってみたいかな。

そんな時、かたことでも現地で通用する言葉がしゃべれたら、らっきーだ。
もちろん、旅行用の会話集なんかでも良いのだが、もうちょっとくだけた表現の方が、現地の人と親しくなれそうな気がする。

台湾映画とか台湾ドラマなんかも、これを知っていればもっと面白いかも!
(なんてあたりは、この本のサブタイトルどおり)。

ICQのユーザーや、オンラインでネトゲする人だと、いきなり台湾の人に話しかけられて、なんて経験もあるかもな?(かつてICQを日常使っていた頃、私はずいぶんそういう経験をした)。

まあ、なんにせよ、堅苦しい語学本なんかより絶対面白いから(笑)。
また、会話の例文が、ほんとに日常使うようなやりとりになってるので、「スラング」でない部分もきっちり使えそう。
たとえば、こんな風。

「毎日インターネットで何をやってるの?」
「友達とチャット」  (本書p144)

え。台湾語ではなんて書いてあるのか?
それは本を見てのお楽しみ(笑)。


CD BOOK 台湾語のスラング表現 (CD BOOK)/趙怡華
2007年10月31日初版
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2008-04-25 21:02:06

『神託の夢』〈ドラル国戦史3〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
今回メインの舞台となるのは、ヴェルダンの支配する農業国。
といっても、宗教組織もなければこれといった政体もない、農民が農民らしく自治をしている土地という事で、ある意味、〈ベルガリアード〉の主人公ガリオンが育ったところを、もっと過激にしたような(いや、もっと温順にしたようなと言った方が良いのか?)、そういうところだ。

そういや、どちらのシリーズも、農民は好戦的ではないが実際的かつ合理的だし、
船乗りは豪放磊落、でかくて毛むくじゃらで気の良い海賊だったりするな。
プロの兵士であるナラサンたちや、生まれながらの狩人である長弓が悪いキャラというのでは全くないが(いやいや魅力的だが)、
どうもやはり、エディングス夫妻は、農夫と水夫がことのほかお好きであるようだ。

彼らのいだく、理想的アメリカ人像なのだろうか。
もしかすると。

さて、本巻は今までとやや様相が異なり、狡猾で卑劣な元神官ジャルカンと、
名誉の人であるナラサン司令官、
そして鷲鼻ソーガンのいとこ、スケル、
さらにヴェルダンと親しい農夫の先達、オマーゴ。
この4人の半生が、それぞれに章をあてて語られている。

彼らの半生を語る事で、まず、トログ国の政情が明らかになり、
ヴェルダンの国でその派生勢力を迎え撃つ事になるスケルとオマーゴの人となりがわかってくるというわけだ。
なんかとっても、微妙にヘンなところで、ジャルカンとナラサンは、仇敵のような関係である事も判明するが、これは彼らの人格によるところもあり、かつ、トログの政治に深く関係していたりもする。
このあたりは、次巻以降の展開につながる「伏線はりまくり~」にも見えるんだけど、まあそれはそれで、おのおの楽しめるので良いか。

一方、子供の姿をとっている夢見人たちは、老いつつある現役の神々の目をかすめて、自分たちの真の姿に覚醒しようとしている。
ある人物が、とんでもない正体を持っているらしき示唆もあり、こちらも、非常に思わせぶりな感じ。

それにしても、1巻まるまるかけて、どの方面もじらされている感じがするのは、いかがなものか(笑)。


神託の夢 (ハヤカワ文庫 FT エ 1-52 ドラル国戦史 3) (ハヤカワ文庫 FT エ 1-52 ドラル国戦史 3)/デイヴィッド・エディングス
2008年3月25日初版
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2008-04-24 20:43:43

『仮面ライダーSpirits (14) 』

テーマ:冒険・アクション
思えば、日本の二大特撮ヒーロー、ウルトラマンと仮面ライダーは、ともに、昭和40年代大人気だったシリーズなのだが、そのヒーロー像は大きく異なる。
ウルトラマンが、そのタイトルにあるとおり、「超人」、すなわち地球の人類より優れた存在であり、人類もまた、ウルトラマン的存在を理想として目標とする、というのが前提であるとするなら、仮面ライダーはあくまでも等身大の人間をめざしており、その方向性が全く違うのだ。

本巻において、作者はその特徴を次の言葉で語っている。
「負傷……復元
そして更なる進化
それが仮面ライダーとしての本質
そして人間の持つ可能性……」

確かに、昭和の仮面ライダーたち、とくに1号・2号は、いたましいほど多く傷ついた。
変身を制せられ、戦闘員たちに袋だたきにされたりもしてきた。
しかし、必ず、ライダーたちは、その屈辱や痛みに耐え、変身し、あるいは新必殺技を編み出して難敵を倒してくれたのだ。

人間としてまさしく等身大であろうとした彼らは、変身前の姿も、格別、エリートとして暮らしていたりはしない。
サイボーグであるという一点を除けば、同じ町内に一人くらいはいそうな気がする、普通の好青年なのだ。
そして、だからこそ、サイボーグにされてしまったり、そうならざるを得なかった事が、悲劇的でもある。
別段、最初から、世界を救おうなどと志願したわけでもなんでもない若者が、ほんのめぐりあわせにより、戦う事になってしまうのだから。

考えてみると、その点で、彼らは肉体だけではなく、精神的にも大きなダメージを負っているという事になる。

一説に、勇気とは、恐怖を克服する力だという。
仮面ライダーたちは、まさしく、その「克服する力」を見せてくれるのであり、
日頃、いろいろなものを克服するのに苦労している視聴者や読者たる一般人は、だからこそ彼らがヒーローであると認める。
そう、決して、彼らがサイボーグとして超人的な力を持っているから、ではないのだ。

だからこそ、燃える。
燃えるんじゃないか!


仮面ライダーSPIRITS 14 (14) (マガジンZコミックス)/石ノ森 章太郎
2008年4月23日初版
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2008-04-23 20:19:48

『雨柳堂夢咄』と『しゃばけ』、それから……器物の怪のこと

テーマ:日本SF・ファンタジイ
ものにとりまぎれて買い損ねていた〈雨柳堂夢咄〉の12巻を手配したのをきっかけに、シリーズを逆順に再読してみる事にする。 (画像が画集と最新巻しか出ないようなので、本記事では画集の表紙を採択)。
何かにつけて愛読しているシリーズではあるが、さすがに後ろになればなるほど、記憶が薄くなってしまうのは、再読回数が当然最初の方の巻ほど、かさんでいるからだ。

さて。
ネムキの看板のひとつであるこのシリーズ、
そして先日テレビドラマ化もされた畠中恵の人気時代小説『しゃばけ』。
いずれも、器物の怪が主人公をとりまく作品であるという点が共通。
さらにいえば、どちらも、主人公は決して彼らの主人ではないというのも共通。
怪しのものどもは、主人公を”特別な人”とみなして、立ててはいるけれども、決して彼らの家来ではない。

しかも、重要な点として、主人公がその威を借りるべきものとしての、
あるいは、怪がおのずと従わなくてはならないものとしての、
「神」(絶対神)が、背景に存在しないのだ。
これはなかなか希有な世界だと思う。

というのは、キリスト教文化圏やイスラム文化圏は、言わずと知れた絶対神のしろしめす世界なので、どのような超人も、あるいは悪魔も、その神の権威を無視する事はできない。
従って、主人公はどんな特殊な力を持っていたとしても、それは必ず、神の権威に裏付けられるか、黙認されたものとして扱われるのだし、
一方の悪魔やもののけは、神の創造した世界にすまう以上、これまた、神の権威には屈服するしかない存在として描かれなくてはならない。

また、中国などのような儒教文化圏は、これまたヒエラルキーのはっきりとした世界なので、神仙の世界といえども、それなりの階梯というものがあるし、それは俗世でも同じ事で、
さらに、士たるもの怪なんぞ語ってはいかん、という孔子の教えがあるせいもあってか、たいてい、いかなる怪も、駆逐殲滅されるべきもの、という立場をとる事が多いようだ。

これらに対し、日本の怪は、実にずぶとく、自由奔放で、気ままな存在として描かれている。
もちろん、重箱を隅に向かってつついていくなら、
お稲荷さんなどはそれぞれ授けられる位だの官位があって狐もそれに応じて動いてんじゃないのとか、
高天原もいろんな神社も格付けがあるんじゃないのとか、
言うには言えるのだけれども、そういった、朝廷もどきの「格付け」は、あくまでも表向きの事であって、人々の信仰世界(つまり、俗信)にまでは及んでいない。

日本人にとっては、大切に長く使った品物は、当然、魂が籠もるものだし、
なおざりにされた器物は古くなれば化けるものだし、
いや、何もしなくても、ただずっとそこに「ある」だけで、なんらかの霊的な付加価値ができてしまうものなのだ。
つまりね、そうつきつめて考えていくと、日本人にとっては、そもそも、「ある」という事が、イクォール、「価値がある」のではなかろうか。
世の中に、無駄なものなど、何一つないという事だ。

そういや、数年前にアフリカの人が世界に広めた「もったいない」という言葉だが、これも、日本にしかない言葉というのはちと意外で新鮮に感じたものだった。
昭和中頃の消費促進、使い捨て万歳のおかげで、その精神もだいぶ錆び付いてしまったかのようだが、それでも根底には、まだ、そういう精神が日本人には息づいているのかもしれない。

実際、こういう漫画や小説の人気があるというのは、それが日本人に向いているからではなかろうか。
器物であろうと、生物であろうと、「もの」は、「ある」だけで価値がある。
そういう事を、一切教訓臭くなく(ここが凄く重要だ)、ナチュラルに描いているところがいいんだろうなあ。
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2008-04-22 21:37:32

『SCARDOWN -軌道上の戦い-』〈サイボーグ士官ジェニー・ケイシー〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
表紙絵に対して、
「ジェニーはカナダ陸軍所属で、制服は緑のはずだっ」
と強くつっこみつつ、
しかし航宙艦の士官というと、どうしてもこういう制服のイメージが強いんだろうなあ……。
何しろ、物語の中盤となって、いよいよジェニーは、カナダ艦〈モントリオール〉のパイロットとして活躍する事になるからだ。
しかも、パイロット候補生たちの教官を兼ねるので、普通の航宙士官に比べてずっと心配事が多い。

地上のテロから、航宙艦の乗っ取り合戦、はては軌道上から地上への攻撃など、行き着く暇のない展開だが、半分以上はヴァーチャルな世界の戦いになるためか、それほど血なまぐさいものではなくなっている。
より頭脳的な方向にシフトしている、とも言える。
その点は、1巻の雰囲気と相当異なっているところが残念だと思う人もいようし、
逆に、航宙艦が登場する物語ならこうならなくちゃ、と思う人もいるだろう。

さらに、人類に航宙艦を作る技術をもたらした謎の異星人種族がいよいよ太陽系に迫りつつあり、物語は、ファースト・コンタクトものの様相も色濃くし始める。

改めて整理すると、この物語は、
1 サイボーグ強化された人間を主人公とするハードボイルドアクション
2 死滅しつつある地球を再テラフォーミングするか、人類脱出をするかという問題
3 異星人とのファースト・コンタクト
という、3つの要素でなりたっているわけ。

どの1つをとっても、それだけで小説が書けちゃうテーマである以上、複合させるならばそれなりのストーリーテリングと、コーディネート力を必要とすると思うが、その点、なかなか本作はうまいことしのいでいるんじゃないかと思う。

一方、1巻で喪われたキャラクターのかわりに、2巻でもさまざまな魅力的キャラクターが登場する。
たとえば、いよいよ好敵手として出現した、中国艦のパイロット、ミン・スーだ。
「台湾人とのハーフ」として、いささか不利な立場にある彼(共産中国と台湾の現在までの関係を思い起こせば、この設定は深くうなずける)、家族のためにパイロットを志願するという点で、カナダのパイロットたちとはかなり違うモチベーションを持っている事になっている。
また、その背景のため、艦内の他の士官からはちょっと浮いた存在なのな。
唐代の漢詩を読むのが趣味である彼のお陰で、作中、しばしば、漢詩が登場する(あとがきで、もとの詩が紹介されているが、本文中では和訳のみ登場)。
かつて、『スターシップと俳句』という海外SFがあったけれども、今回はスターシップと漢詩、というわけ。

このミン・スー乗り組む中国艦〈黄帝〉との激しい戦いのさなか、苦闘するジェニーは、しばしば、天使祝詞(ロザリオの祈り)をフランス語で繰り返す、これまた彼女がフランス語圏のカナダ人であり、かつカトリックであるという出自にぴったりはまっていて、いいなあ……
……なのだが……。
瑕瑾があるとすると、この祈禱文の訳がイマイチ、リズムがよろしくない。
かつて私がミッションスクールで教えられた天使祝詞を掲載するとともに、ロザリオの祈りを解説したwebページへリンクしておくな。  (http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/1052/mi04.html

「天使祝詞」(AVE MARIA)
めでたし聖寵(せいちょう)みちみてるマリア
主、御身(おんみ)とともにまします
御身は女の内にて祝せられ
御胎内の御子(おんこ)イエズスも祝されたもう
天主の御母(おんはは)聖マリア
罪人なる我等のために
今も臨終の時も祈りたまえ。
アーメン。

作中でも、ジェニーが、何回も繰り返して唱えるものとして扱っているこのお祈りだが、ロザリオを繰りながら事実何度も繰り返すものなので、リズムが良くないと非常にきもちわるいのだ。


SCARDOWN―軌道上の戦い― [サイボーグ士官ジェニー・ケイシー2] (ハヤカワ文庫 SF ヘ 9-2 サイボーグ士官ジェニー・ケイシー 2)/エリザベス ベア
2008年4月15日初版
ローカス賞
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2008-04-21 20:44:46

『耳袋』

テーマ:神話・伝説・民話
説話集といえば、江戸時代にもいろいろとあるのだが、おそらく最も名高いのが、『耳袋』ではないかと思われる。
ただ、近年、この名を借りた怪談集などが出ているためか、あたかも、怪談ばかり書かれていると考えられがちのようなのは、ちょっと残念。

筆者、根岸鎮衛は直参旗本で、江戸町奉行であった事が知られている。
もちろん、最初から最後まで町奉行であったわけではなくて、いろいろな役職を歴任し、町奉行まで出世しているわけで、それまでの間、いろいろ見聞きし、あるいは交友のある人々から聞き知った話を、そのまま書きためたものが本作というわけ。

あいにく、テーマに沿った整理などは一切されていないのだが、
そのかわり(と言ってはなんだろうけど)、同じ話の類話も、書き留められていたりするので、当時巷に流布していた都市伝説のようなものが、どんなバージョンをもって語られていたか、その一端を知る事ができる。

話の幅も大変広くて、家族や金銭にまつわる日常の逸話や、武芸に関するくさぐさ、さまざまな奇薬妙薬について、あるいは様々な人の詠んだ狂歌や和歌の道について、はたまた動物にまつわるエピソードも。
もちろん、その中には相当数、怪異な話も含まれる。

もちろん、江戸とその周辺の話が多いけれども、掲載されている狐狸譚を比べると、狐は狐憑きの話が多く、狸は人に化ける(そして、見破られて本性をあらわす)話が多いのが面白い。
両者とも、里山に住む動物だけれども、狸の方が、より、里に入り込む事が多いためか。
実際、今でも、狸は人家の周辺はおろか、東京郊外ならば、町中ですら、何かの拍子に目撃される事があるくらいだから。

大変面白い本なのだけど、現在は入手しにくいのが難点。
画像を掲げた岩波版は、今でも入手できそうな感じだが、Amazonの表示価格を見るとちょっとたじろぐ。
私の手元にあるのは、平凡社の東洋文庫版(2巻本)だが、こちらは検索結果の表示されなかった。
読んでみようと思う人は、図書館を探すのが良いかもしれない。


耳袋 (名著/古典籍文庫―岩波文庫復刻版)/柳田 国男
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