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2007-12-31 20:21:34

『遣手』〈吉原裏同心6〉

テーマ:歴史・時代小説
遣手婆というと、ぱっと浮かぶイメージは、
意地悪そう、
因業そう、
欲張りそう、
狡そう、
ともかく悪そうな……
……初老以上の女の人。
こんな感じだろうか?

しかし、本シリーズに登場する遣手は、それとは違う。
まず、彼女らは、前歴が遊女である。
であるがゆえに、遊女の生活については詳しい。
遊女が何をしてはいけないか、
何をしなくてはいけないか、
遊女に必要なものは何なのか。
それを知り尽くした上で、裏方をつとめるのが遣手。
いわば、遊女というパフォーマーの、マネージャーを務めるのだ。

もちろん、遊女を監視・監督するという勤めもあり、中には嫌われ者もいるのだろうけど、
佐伯泰英描く吉原の遣手は、たいてい、遊女たちから、頼りにされている。
妓楼になくてはならないプロフェッショナルの一人が遣手なのだ。

そんな遣手が、殺されるという事件が起こる。
事件を通じて描かれる吉原は、当然、遣手という職業からの切り口で、描かれる事となる。
本シリーズの魅力は、物語の進め手を、あくまでも幹次郎と汀女という夫婦としながらも、そのたびに中心となる役柄をかえる事で、それぞれ、違う視点の吉原を見せてくれるという事だろう。

物語の後半は、珍しくも、四郎兵衛たちが幹次郎とともに、旅に出る事となる。
なんと、殺された遣手の残したカネを、遺族に届ける旅なのだが、その始末についても、
いかに華やかな世界であれ、吉原に遊女として入ったものは、やはり、家族のために「売られた」という前歴があるのであり、そこに生じた傷がいろいろな意味で大きい事をも、物語る。


遣手 吉原裏同心(六)/佐伯 泰英
2005年9月20日初版
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2007-12-30 19:35:01

『初花』〈吉原裏同心5〉

テーマ:歴史・時代小説
時代劇で女の争いというと、なんかこう、自動的に「大奥」が思い浮かぶのだが、大奥ならずとも、女性ばかりいるところなら、「女の争い」が起こる道理だ。
(もちろん、男の世界では日々男の争いが起こっている。当然)。

そういうわけだから、吉原でも当然、女の争いは起こるのがあたりまえ。
本巻は、全盛期を過ぎようとしている太夫と、
その後にのぼろうかという振袖新造の、勢力争いを物語っている。

な~んていうと、盛りを過ぎかけた太夫が後背に嫉妬して、なんて図式が浮かぶかもしれないけど、佐伯泰英はそうそうストレートな筋立てにはしないので、まずは、二人の美しい遊女がいる、その景色から楽しむのが良い。
どちらがどちらを蹴落とそうとしているのか、
そこらへんは読んでのお楽しみとしておいて……。

このところ、美味しい役回りを担っている脇役が、身代わりの左吉という男だ。
いろいろと身代わりを立てたい人に、身代わりとなる者を差し向ける、聞くもグレイゾーンな仕事をしている風変わりな男で、べつだん、荒事が得意とは見えないわりに、争いごとの場で、うまく状況をさばく事もでき、シリーズ前半で活躍した車善七のお株をすっかり奪った形。

もっとも、浅草溜の親方、車善七といえば、当然、非人の頭の一人。
それだけに、幹次郎のような立場の男がよしみを通じるには便利な脇役となるのだが、
佐伯泰英の別シリーズ、〈夏目影次郎始末旅(狩りシリーズ)〉では、車善七のそのまた頭にあたる浅草弾左衛門が大きな役割を果たすため、似たようなキャラクターが出る事を嫌ったのかもしれない。

ともあれ、身代わりを差配するという変わった仕事をする左吉、最初はそれほど大きな役割もはたさず、吉原会所と行き会う事もなるべく避けていた風だったのが、本巻をもって、ぐっと会所に接近し、会所でも左吉の存在を(幹次郎を通じてのみならず)認めるような形になって、幹次郎のまわりを固める常連キャラクターとして、しっかり根付いたようだ。

そのわりに、左吉の本業、身代わりの手配は、全く物語には出てこない。
あるいはいずれ、出てくる事になるのかもしれないが……。
そのあたりも含め、楽しみな事だ。


初花 吉原裏同心(五)/佐伯 泰英
2005年1月20日初版
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2007-12-29 16:19:35

『清掻』〈吉原裏同心4〉

テーマ:歴史・時代小説
清掻(すががき)とは、三味線によるインストゥルメンタルのパフォーマンスで、吉原営業時間中のBGM。
なーんて書くと現代風だが、有線放送のサーヴィスなど考えられなかった江戸時代のこととはいえ、特定の座敷のためでなく、三味線を演奏させるなんてのは、豪儀な事だと思う。
実際、清掻といえば吉原、吉原といえば清掻というイメージもあるようで、本シリーズならずとも、吉原を舞台にした小説などには、しばしば登場する。

ところでこの三味線なのだが、津軽三味線を別とすると、唄を伴うのが普通であるようだ。
長唄、端唄、都々逸、まあなんでもいいのだが……。
あるいは、舞台の下座で奏でられる楽器であって、
すなわち、通常は、三味線の音だけを単独で聞くという事は、あまりないようだ。

まあ、それを言えば清掻とて、一種のBGMの扱いではあるのだけれども……。

それでも、限りなく、「三味線のソロによるパフォーマンス」に近いと想像される。

さて、本作に登場する清掻は、中でも名人とされた女性にまつわる物語。
残念ながら彼女は、あまり美しい顔を持っていない。
もとより、本業は遊女なのだから、これはかなりのマイナス点になってしまうし、そのため、遊女としては栄達できなかったのだけど、そのかわり、三味線の腕が、それは大したものだというのだ。
また、その人柄の良さに惚れられて、近々、落籍され、植木屋の女房になる予定。
これまた希有な事でもある。
全盛の太夫といえども、まず、落籍される事が難しく、落籍されたとて正妻になる事はまず望めない。

そんな世界で、苦労を重ねた女性が、ひとかどの技を身につけ、人並みの(遊女としては人並み以上の)幸福をつかむ事ができるのだ。

この遊女、八重垣の描写が、けなげでもあり、清々しくもある。

彼女に限った事ではないが、佐伯泰英作品の魅力ある登場人物は、誰もが大変な過去をかかえていたり、今現在窮乏していたりするのだが、決して、不平不満を出す事がない。
彼らは、あるがままにそれらを受け容れ、「春風駘蕩」と生きているところが、良いのだ。
不平不満を「言わない」事は、比較的、誰でもできる事なのだが(それでも大変なのだが)、
それを心のうちに抱かないでいるというのは、非常に難しい。
それだけに、読者にとって、強い魅力となるのではないかと思われる。

八重垣は、まさしくそういうキャラの典型のような女性だ。

一方、吉原をさんざか悩ませてきた町奉行曲淵様がいよいよその職を辞する事になり、何とその際、吉原はじめ、江戸の町のあちこちに、御祝儀を強要する騒ぎとなるのだが……。
これに対する吉原の対応にも、スカッとさせられる。
溜飲ぶっとばし、なのである。
ああ、イヤなやつの去り際にはこれくらいの事をしてみたいよなっ(笑)。
という、楽しいラストだ。


清掻―吉原裏同心〈4〉 (光文社時代小説文庫)/佐伯 泰英
2004年7月20日初版
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2007-12-28 14:26:50

『パンドラ (3) 』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
東南アジアにおける獣害に始まった事件は、ついに宇宙が主たる舞台となる。
といっても、地上の問題が解決されたわけでは、全くないのだが。
むしろ、地上にでかい爆弾をかかえたまま、到来する地球外からの脅威に、対抗しなければならなくなった、と言うべきなのだろう。

地上、いわば背後にある恐怖をじわじわと感じさせつつ、リアルな宇宙開発の延長線上にある物語としては、回避できない展開に物語はさしかかる。
すなわち、「国際政治」というやつだ。

そもそも、人類の「宇宙開発」は、国際政治を抜きにしては語れない。
ソ連とアメリカが、冷戦を背景に、先手を取ろうとしての人工衛星打ち上げ、有人ロケット打ち上げ、月ロケット発射、宇宙ステーション建設……と「開発」を進めていったからで、それより前の時代に、
「でかい軍艦を!」
と騒いでいたのと、なんらかわらない。

現在では、ここに、ロシア(旧ソ連)の退行、アメリカの伸び悩みに加え、中国の「脅威」を交えるのがトレンドのようだ。

かつて、宇宙からの脅威が地球に到来するというフィクションを描く時には、それを前にして「東西陣営」が手を結び、人類が一致団結してそれに対抗するというのが定番だったのだけど、谷甲州はそんな楽観的な物語は描かない。
たとえ人類が絶滅する危機が訪れようと、
「この国、あの国、その国、そして日本はこんなスタンスをとるのではないか」
とシミュレーションする。
このあたりは、谷甲州ならではの描写力だろう。
アメリカのエゴ、ロシアのエゴ、中国のエゴ。
その中で貧乏くじを引くかのような日本。
3巻は、パンドラ自体の脅威というより、むしろそれに退行する時に噴出する、人類の脆弱さが物語られている。


パンドラ3 (ハヤカワ文庫 JA タ 4-24)/谷 甲州
2007年12月15日初版
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2007-12-27 20:31:09

『鋼の錬金術師 (18) 』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
遅々として進まぬように見えながら、物語はじわじわと展開している。
今回は、そんなイメージだろうか。
まず、今回の注目点は、少し前からちほら登場する率が高まっていた、ブラッドレイの息子(養子)に関してだ。

なにせブラッドレイの正体が正体なのだから、誰もが、奥さんの親戚から養子にもらったのかと思うところだが、なんとそれが……、という筋立てに。
マスタング大佐の、散り散りにされた部下のうち、ひとり大総統付きとなったホークアイ中尉の運命やいかに!
そしてこうなると、いかにも人の良さそうなブラッドレイ夫人にも「何かあるのか」と疑惑の目を向けたくなるところ(どうなんだろう?)

ブリッグス山では、紅蓮の錬金術師と鋼の錬金術師と傷の男と氷の女将軍と……
三つ巴四つ巴どころか、どこがどう手を握り、どこがどう裏切りをはたらいているのか、混沌とした状態に。
ウィンリイの心境も状況の変転に応じて変わっていき、ああ、ロックベル家の血筋ここにありというような、凛々しいハンサムウーマンに育っていく(いいねえ)。
また、凄まじい吹雪のなか、ひとり雪山を行くはめになったアルは、極限状態のなか、自分の本来の肉体らしきものをかいま見る。
はたしてアルは、自分の体をほんとに取り戻せるのか?
だとしたら、いつ。

現在、局面が多方面にわたっているため、ほんとに、展開がじわじわレベルなんだねえ。
単行本でこうなんだから、連載で読んでたら、もっとじりじりするのだろうなあ。

ところで、今回の特装版(表紙は同じ、但しタイトルが金文字)、カルタつき。
そうか、去年がトランプで今年がカルタなら、来年はきっと花札だな……!
(意表をついてタロットか、百人一首だったら笑う)。
カルタの内容は、おおむねギャグでシリアスもまじっているのだが、うーん、ちょっと微妙か。
ギャグならギャグに徹した方がこういうものはいいと思うんだがなあ。


鋼の錬金術師 18 (ガンガンコミックス)/荒川 弘
2008年1月22日初版(発売中)
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2007-12-26 19:51:25

『見番』〈吉原裏同心3〉

テーマ:歴史・時代小説
今の世の中、裁縫といえばほとんど「趣味の世界」になってしまったらしい。
それも無理からぬ話で、安くてそこそこ品質の良い衣類がいくらでも手に入るし、女性の洋服など、別に切れたり汚れたりしなくとも、流行遅れになったらもう着ないらしいし……。
そういえば、衣服のつくろいをする、靴下の穴をかがる、なんて描写が出てくるのも、前世紀の中頃くらいまでの話か。

かくいう私も、衣類のほつれやすり切れなどを手当してもらったというと、空手衣くらいしか思い当たらない。
あとはせいぜい、とれたボタンをつけるとか、そんな程度か?

しかし、江戸時代の女性にとって、お針(裁縫)は必須の技術だった。
というのも、衣類から寝具まで、手入れをするにもいったん糸を抜いてほどいて縫い直すのが基本技術で、その他、着られなくなったものを別のものに仕立て直したりするなんてのも日常茶飯事、下着などは売っていないから自分で縫う、などなど。
だからこそ、貧乏浪人のお内儀や、亭主の働きが足りなかったり亭主をなくしたりしたおかみさんが、仕立物を請け負ってなんとか生活したりするわけだ。
内職の定番ですな。

ことほどさように、裁縫の技術というものが生活する上で必須だった江戸時代でも、やはり、プロはいるのであって、その職業のひとつが、吉原の「お針」だという。
お裁縫などしている暇がない(また、妓楼にとっても、そんな事はいろんな意味でさせられない)遊女たちの着物の仕立てを請け負う仕事だ。
賃金はそんな高くなくてもいろいろな余得があるため、遊女以上に稼ぐ者もある……と、作者は描写する。

吉原といえば、誰でも、華やかな三味線の音、格子の後ろにかいま見える美女たち、
あるいはディズニーなんかそこのけの、花魁道中などなど。
そういう光景を想像しがちだけれども、それを支えるいろいろな顔があるのだ、というところをうまく描くのが本シリーズ。
そんな、お針の殺人事件から本巻は幕を開ける。

しかし、本巻のメインテーマは、なんと郭内の新旧勢力争いだ。
華やかな吉原を支えるといえば、いわば主役の花魁を脇で盛り上げるのが、芸者や幇間(男芸者)。
まあ、ここで、
「芸者といえば、本来は武芸者のこと……」
と一言あるのが池波作品だったりするが(笑)、
ともかくも吉原で芸者というと、三味線を弾いたり唄ったり、踊ったり。
そういう遊芸を担う人々だ。
これらの人々が遊芸を担当し、座を盛り上げるようになったのは、吉原が出来てから少し後の事だったらしい。
(つまり、それまでは全て遊女がしてたんですな)。

これらの芸者衆を管轄するのが、タイトルにある「見番」というわけで、
なんでも便利になれば、もはやそれ抜きには考えられないものなので、
見番と芸者衆が存在するようになれば、もうそれ抜きに吉原はたちゆかない、でもやっぱり、花魁が主役であるのは変わりない……。

変わりないはずだけれども、妓楼の主と見番の頭取が、勢力争いを始めたらどうなる?
もちろん、勢力争いといっても、この場合は、新興の見番が、いわば妓楼に叛旗を翻すという形だ。
これがなんとも、現代でいうと、企業小説でベンチャー企業が老舗の会社を乗っ取ろうとしているノリで、スリリングな展開になる。
しかも、悪役が実にふてぶてしく、「悪役らしい悪役」ぶりだ。

江戸時代の吉原を舞台にしていながら、ちと現代風の仕掛け(企業乗っ取り)があり、
かつ、エンタテイメント時代劇らしく悪いやつはいかにも悪っぽいし、苦労のはてに、なんとかその企みが潰される、そういう物語になっている。


見番―吉原裏同心〈3〉 (光文社時代小説文庫)/佐伯 泰英
2004年1月20日初版
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2007-12-25 20:50:35

『足抜』〈吉原裏同心2〉

テーマ:歴史・時代小説
時代劇で女郎といえば、打てば響くが如く「足抜け?」と返ってくる。
そこまで言ったら言いすぎかもしれないけど、まあ、妓楼の女というと、足抜話はメジャーなテーマと言っていい。
言うまでもない事だが、ほとんどの遊女は、借金のかたに売られる(報酬を前払いでもらい、そのかわりに年季奉公をする)わけで、待遇がひどくても、おいそれとやめるわけにはいかない。
そこで、足抜けをする、つまり、逃げだそうという話になるのな。
家族の貧窮や、病気の治療代とするために身を売ったというのならまだしも、
身勝手な父兄が賭博などでこさえた借金のかたにされたとか、
御店奉公かなにかをするはずだったのに騙されて妓楼に売られたとか、
はてはかどかわかされたり、結婚詐欺にひっかかって売られたなんて話になると、
そりゃ、足抜けしたくもなろうというもの……。

実際、たいていの時代劇では、そんな筋立てになるんだけれども、吉原を舞台に物語を語ろうという佐伯泰英は、足抜をテーマにするにあたって、だいぶひねっている。

連続して起こった遊女の「神隠し」が、まず、巧妙な足抜けではないかという疑いが起こり、
「しかし、なぜ人気のある花魁が足抜けなど?」
という疑問が出る。
どんな手を使ったのか?
誰が画策したのか?
なんのために足抜けする(させる)のか?

官許の遊里である吉原と、それ以外のいわゆる岡場所の、見栄と意地の張り合いに、
歴史の分だけ格式がある一方、それが「マンネリ」にもなってしまった吉原の悩み、
それらがうまく綯い合わされ、そこへ、
遊女にとっては密室も同然の吉原から、いったいどうやって会所に気づかれず、外へ連れ出す事ができたのか……と、今回もミステリ風味が濃厚で、なかなか面白い。

しかし、足抜けした遊女たちの幾人かは、悲惨な末路をたどる事になる。
「遊女」というものにまつわる哀しさが、濃厚ににじみ出ている巻でもある。


足抜―吉原裏同心〈2〉 (光文社時代小説文庫)/佐伯 泰英
2003年9月20日(2002年3月ケイブンシャ文庫刊)
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2007-12-24 13:28:38

『流離』〈吉原裏同心1〉

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
佐伯泰英は、女性を描く事が上手な作家だと思う。
人間、異性の事はなかなかうまくわからないもので(生理も違うし、生活も違う)、
だからこそ小説で異性を描くのが難しいわけなのだが、
佐伯泰英の女性キャラクターは、さほど「男の理想像」に固まる事もなく、生き生きと描かれているという印象があるのだ。
男のキャラ同様、バリエーションもある。

この人、良い意味で女好きなんだろうな、と思う(笑)。
過度の理想化もなく、もちろん、蔑視もなく、それぞれの生まれや年齢などを背景に、魅力的な女性キャラクターが何人も、佐伯作品の中で活躍している。
じゃあ……といって、いわゆる「社会派」なわけでもないので、
それらの女性は、適度に理想的だし、美しく魅力的。

となれば、佐伯泰英描くところの吉原には、非常に期待がもてるじゃないか?

今年の夏にNHKでドラマ化された〈居眠り磐音江戸双紙〉でも、磐音の許嫁が遊女に売られたという設定があって、ドラマでは知らず、小説の方では、シリーズ前半、彼女の関連で何度も吉原が描かれた。
主人公との悲恋という前提もあり、この白鶴太夫が非常に艶めいた、いいキャラだったわけなんだけど……。

本シリーズは、いわば吉原そのものを主役にして、全盛の太夫や妍を競う遊女たちはもちろんのこと、
彼女らを支える遣手や妓楼の主を配し、
郭内の雑事や面倒事をおさめる、会所の面々を中心に、華やかな吉原の光と影を存分に描こうというものなのだ。

さて、その主役だが……。
佐伯作品の定番とでもいうように、今回も、主人公は、九州(豊後)の出身だ。
身分も、酔いどれ小藤次と同程度の下士であり、幼なじみの朋輩などは中間だ。
吹けば飛ぶような身分というわけだが、なんとこの男が、厭な男にカネで嫁入らされた幼なじみの「姉さま」を救出し、手に手を取って駆け落ちする!
タイトルの『流離』(旧タイトルが『逃亡』)は、まさしくその状態をあらわしているわけだ。

文芸百般に通じた「姉さま」、汀女と、半ば独習で薩摩示現流と、眼志流居合を身につけた幹次郎の、
逃亡と流浪の旅について、まず語られる。
といっても、物語の主舞台はあくまでも吉原なので、かれらの前歴を語る部分は、やや駆け足でもあるし、ちとあらすじめいていて、佐伯作品としては、冗長に感じるのが残念。

しかし、その逃亡生活でのくさぐさが、吉原に関わるきっかけともなり、後々影響してくるのは当然のこと。
そして、冒頭のクライマックスともいえる、吉原門前での戦いを機に、話は一気に面白くなる。
これが、前半1/3くらいのところかな。

貧乏御家人の悲惨な生活から、その次男、三男のような、未来のない若者たちの自暴自棄的な生き方。
そこから生じる、とんでもない企みが、幹次郎と汀女が解決する最初の事件だ。
吉原の遊女たちに文芸の指導をする事となった汀女が、弟子の中で不審な言動のあるものに気づき、
幹次郎が剣の腕をもって、荒事に対応する。
この基本的なフォーマットが作り上げられるのが、この事件だ。

シリーズの中心となる人々の顔見せも兼ねて、吉原全体に及ぼうという不穏な企みを、汀女と幹次郎が、いかに解決していくかというのが、本作の面白い部分。
従って、佐伯時代小説の中では、かなりミステリよりでもある。
ミステリ風味の時代小説が好きな人には、ぜひ、薦めてみたい。


流離 吉原裏同心 (光文社文庫)/佐伯 泰英
2003年3月20日(2001年10月刊ケイブンシャ文庫『逃亡』改題)
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2007-12-23 20:40:58

『のだめカンタービレ』

テーマ:その他
『のだめカンタービレ』といえば、改めて言うまでもなく、一世を風靡した「クラシック音楽漫画」ということだ。
実際、関連書として、この漫画にちなんだクラシック音楽の解説書とか、そういう本もいろいろ出ていると聞く。
実際、本作は、音大生(最新巻時点では海外への留学生)を主人公とし、音大生生活を描いているものだ。
私自身、かつてはそういう環境に身を置いていたため、
「ああ、こういう事はあるな」
とか、
「こういう奴はいたな」
と思う。
実際、作者は、実在の音大生にいろいろ取材しているとも聞く。

しかし、だからといって、本作を音楽漫画と呼ぶのはいかがなものか……。
音楽漫画と言うには、登場人物が、音楽の多彩な面に接し、その深みを極めるために悩み苦しむという要素が不可欠なのではないか。
クラシック音楽というものの、頂点をめざす……いや、少なくとも、何かしら、音楽に関して主人公が明確なゴールを見据えていなければならないのでは?

ところが、主人公「のだめ」には、それが全然ないんだな。
もちろん、彼女がピアノのレッスンというものにトラウマをかかえ、それでもまがりなりに音楽の道に踏み込み、留学するに至った……という物語では、ある。
また、全ての音大生が、明確に、自分の目標を高みに据えているものでもないだろう。
とくに、プロの音楽家の道というのは、まだろくに将来の事など考える事などできない幼少のみぎりから訓練しなければならないという困った面があるため、親の言うなり、なんとなーくこの道に入っちゃった、なんていう音大生も、相当数いると思う。
その中で、あらためて自分の道を見出し、そこをめざすという人もたくさんいる。
この漫画にもそういう人たちがたくさん登場していると思う。

だが、のだめにそれがあるかと言うと、「ない」(きっぱり!)、と言わざるを得ないのだ。
彼女は、多分、音楽が好きなのだろう。
しかし、彼女は音楽で何をやりたいのか。
教師になりたいと言いながら、小学生にも「向いていないと思う」と否定されてしまうのが彼女だ。
しかも、否定された時、そこに反発する事もない。
悩みもがく事もない。
そのまま、彼女が、恋人(いや、許嫁!?)と自分で思い定めている千秋の留学に際して、なしくずしに自分も留学してしまう。
これらの行動には、どうあっても、彼女が音楽に望むもの、音楽でめざしたいところが見えない。
彼女が、ピアノでできることは、多々語られるが、また、彼女が自分のそういう才能を自覚していないというのも、それはそれでキャラクターとしてありだとは思うが、音楽をやりたい、音楽とははなれられないという葛藤は一切描かれない。

厳しい事を言うと、実は、登場人物の全ての音大生についても、大なり小なり、同じ事が言える。
もちろん、学生の身だから……という言い訳はあるだろう。
(また、音大生といっても、当然、ピンキリではある)。
でもなあ。
全体的に見て、音楽でやりたい事、めざしたいものが、ちと「なさすぎ」なのが気にかかる。
学生オーケストラの結成についても、やりたい形はそこにあり、オーケストラを作り上げる面白さは描かれているが、その「音楽」については、いまいち、語られていないと思う。

彼の、彼女の、彼らの音楽性は奈辺にあるのか……?

ところが、物語としては、この作品は確かに面白いのだ(笑)。
のだめの奔放なキャラクターと、それにふりまわされる千秋を中心に、それなりにクセのある人物や、それらを際だたせる凡人も存在して、筋立てをうまく盛り上げているところもある。
若者なりの悩み苦しみ自体は、存在する。

てことは、この作品、そもそも、「クラシック音楽漫画」とレッテルを貼ってはいけないものなのではないか。
むしろ、音大生の世界を舞台とする、青春もの、または恋愛ものとして考えた方が、すっきりと楽しく読めるように思う。
(それなら、音楽性云々など考えなくても、さほど気にならない)。
実際、物語の勘所は、千秋がいかにプロの指揮者として成長し、のだめが一人前の演奏家に化けるかというところではなく、「この二人が今後どうなるか?」にあると思うのだな。
青春/恋愛漫画としてはなかなかユニークであり、面白い筋立てになっている。
今後どう展開するのかも、楽しみになる。


のだめカンタービレ (19) (講談社コミックスKiss (673巻))/二ノ宮 知子
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2007-12-22 21:39:20

『遺髪』〈密命18 加賀の変〉

テーマ:歴史・時代小説
『初心』に続く本巻も、ほぼ、清之助を主人公としており、〈密命〉シリーズの主人公は、代替わりしつつあるかと思える。
それを裏付けるように、清之助の剣技は、ますます冴え渡り、超絶の域に達しつつあるように見える。
酒に酔った振りをして因縁をつけてくる相手を抑えるやり方など、実にスマートかつ見栄えのする、いい演出だ。
佐伯泰英の筆運びが、実にニクい(笑)。

日々、いろいろな面で、自らの衰えを実感しつつある父惣三郎に対し、清之助は、まさしく、上昇しつつある身という事も、よく伝わってくる。

とはいえ、その清之助が、行く先々で、
「まだまだ父には及びません」
などと言うものだから、テレビやラジオもない江戸時代のこと、かえって、惣三郎の剣名は、いやがうえにも上がってしまうのであるが。

さて、清之助の成長ぶりは、その剣技だけではなく、精神面でも著しいものがある。
また、それを助けるような事件なども、次々に起こるわけだ。

前巻では、永平寺の闇参籠なるハイパーな修行をこなした清之助だが、今回は、加賀の騒乱にさきがけて清之助が巻き込まれた事件、
そこでやむなく対決し、倒す事となった武芸者の内儀にまつわる話となる。
武芸者どうしの尋常な勝負の場では、互いにどちらが命を落とすとも知れず、
命のやりとりをするのは、いわば、その場での「自然な行為」。
しかし、それとて人間のいとなみの一部である以上、やはり、その場以外へ与える影響もある。
たとえば、武芸者の家族は……。

互いの命だけでなく、武芸者が対決する時、そこまで背負い込まなくてはいけない場合も、どうしたって、出てくる。
その時、武芸者はどうするのか。
どうあるべきか……。
武芸者として生きていく上で、避ける事ができない問いに、清之助は答えなくてはいけない事となるのだ。

本シリーズが、清之助パートで書かれている時は、こういう、若者なりの悩みや苦しみが、実にストレートかつ爽やかに描かれており、そこが読者の共感を呼ぶ大きな要素になっているように思われる。


『遺髪』〈密命18 加賀の変〉祥伝社文庫
2007年12月20日初版
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