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2007-08-31 20:55:12

『ネリルカ物語』〈パーンの竜騎士外伝3〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
『竜の貴婦人』は、実を言うと、本作をあわせて読まなければ、完全には完結しない。
何よりも、本作は、インフルエンザ大流行という北ノ大陸の危機を、竜騎士ではなく、常民(竜騎士以外の普通の人々)から見たものだからだ。

従って、『竜の貴婦人』に登場したさまざまなイベントが、同じような順番で出てくるが、視点は全く異なるという楽しみを得られるのだ。
モレタとアレッサンのアヴァンチュールも、今回はアレッサンの側から見る事になる。

また、『竜の貴婦人』では、ヒロインが亡くなり、孵化ノ儀を前にしてもう一組の(臨時の)カップルも逝ってしまった事が語られるだけだが、本作ではもう少し潤沢に、モレタの死の原因を作ったテルガー大巌洞が罰されたという事を含め、モレタの死による波紋がどのように広がったか、モレタの死にひどい衝撃を受けたアレッサン(考えてみれば、太守になってこのかた、最初の市に始まって、不運と苦労が連続し、モレタの死がそこにとどめを刺したわけだ)、そしてルアサそのものが、どのようにして癒されていったかも、語られる。

しかし、それらは全て、物語の背景にすぎない。
本作のヒロインであるネリルカは、決して美人とは言えないし、自分の才能を望むように活かす事もできない。
それどころか、かんばしくない状況のもと、フォートとルアサに生き別れとなった、母や姉妹を疫病で喪ったあげく、父がさっさと、自分より年下の情婦を妻として城砦に迎え入れるという不運に見舞われる。

まあ、今まで生きるよすがだったものをいきなり奪われるというのは、マキャフリイ描くところのヒロインにとって、定番ではあるのだが、その後、たいていのヒロインが、意志を強く保ちながらも、実は状況に押し流されて生きていくのに比べ、このネリルカは、驚くほど、自ら状況を打破していくのだ。
実際、彼女の身の上には、他のヒロインたちが恵まれたような幸運(洞母になったレサや、竪琴師ノ工舎に迎えられたメノリなど)は、全く、ない。
それどころか、傍目には「大成功」と言えそうな、彼女の「大団円」さえもが、どこかほろ苦いものでもある。

ネリルカは耐える人であり(これも、他のヒロインにはない特質)、
かつ、自分の才覚で状況を切り抜けていく人であり、
華々しくはなくとも、その分、「等身大」に見えるキャラクターなのだ。
そして、本作の魅力は、ひとえに、ネリルカのそのキャラクターにあると言って良い。

さて、冒頭に、『竜の貴婦人』の事を書いたが、逆に、『ネリルカ物語』だけでも、物語が完結しないのは、当然の話。
主人公であり、語り手でもあるネリルカが、伝聞でしか知らない、未来へ棘針を取りに行く時の話や、モレタら竜騎士が、どのような苦労のはてにワクチンを大陸全土に配布したかなどのエピソードは、本作だけでは、さわりくらいしかわからないからだ。
そういう意味では、『ネリルカ物語』は『竜の貴婦人』に補完されているのだ。

この物語を読むのなら、ぜひ、両方の物語をセットで!
切に、そうお奨めする。


『ネリルカ物語』〈パーンの竜騎士外伝3〉(アン・マキャフリイ作 幹遥子訳)
ハヤカワ部kのSF
1991年12月15日初版
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2007-08-30 20:22:50

『竜の貴婦人』〈パーンの竜騎士外伝2〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
パーンの物語は、思えば、人類による入植当時と、「現時代」がリンクして綴られたものなのであるが、当然、入植当時から現時代の間には、非常に長い歳月があり、その歴史の中では、いくつも、重大な事件が起こったはずだ。

しかし、シリーズの読者が最も関心を持つのは、とくにメノリの物語で何度も言及された「モレタの飛翔」という壮大なバラードについてだろう。
そう、パーンの歴史上には、モレタという、非常に勇敢な洞母が存在した。
彼女はある使命を帯びて、翔びに翔び続け、ついにはその命を喪う事になったのだそうだ。

その使命とは何だったのか?
モレタとは、どのような女性だったのか?

興味津々。

そして、本巻こそが、まさしくそのモレタについての物語、というわけだ。

ケルーンの出で、イスタ大巌洞で洞母になり、その後フォートに移って、首位の洞母となったモレタ。
彼女は洞母であるばかりでなく療法師でもあるし、ケルーンの出であるだけに、早駆け獣(地球産の馬をパーンで生存できるように品種改良したもの)が熱狂的に好きでもある。
そんな彼女が活躍した時代、今、入植者の子孫が住むパーンの北ノ大陸に、突如、(ほぼ忘れられていた)南ノ大陸から、とんでもない疫病が襲ってくるのだ。

その名は、インフルエンザ。

なあんだ、などと言ってはいけない。
SARSの恐怖はまだそれほど古びてはいない。
そして今でも、鳥インフルがどこに発生した、などというニュースが毎度テレビや新聞を騒がせる。
毎年、インフルエンザが定期的に流行する我等の地球ですら、こうなのだから、長年インフルエンザの猛威にさらされた事のない土地に、それが襲ってきたら、どうなるか?
想像に難くない。

しかも、糸胞の襲来にさらされているパーンでは、人は城砦に密集して過ごすし、
インフルエンザは、動物を媒介にしても感染する……!
まさしく疫病となって、北に蔓延したインフルエンザのため、人も早駆け獣も、畜獣(牛が馬同様、パーン向けに品種改良されたもの)も、ばたばたと斃れて死んでいくのだ。

城砦よりも生活環境がマシで、病気にかかりにくいと思われていた竜騎士までも、この病に罹患していく。
糸胞に立ち向かうため、竜騎士は一人でも多く必要だというのに。
そして、竜騎士が死ねば、その竜も死んでしまうというのに。

さまざまな悪い要員が、タイミング悪く重なっていく中、状況にうちのめされて悪い方向へ向かう人たちもいれば、モレタをはじめ、なんとかそれを打破しようともがく人々もいる。
なんとか希望の灯が行く手に見えるぞ、というところまで持ち直しはするものの、パーンのシリーズとしては例外的なくらい、状況はどんどん悪い方へ引き戻され、モレタは(バラードに歌われているとおり)悲劇的な死を迎える事になってしまうのだ。

最後に、モレタの女王竜、オルリスが産んだ最後の卵の、孵化ノ儀という、喜ばしいシーンでしめくくられはするものの、なんとも苦い、哀しい物語だ。
しかし、それでも、諦めずに奮闘するモレタはすがすがしく、その一方、頑迷な巌洞ノ伴侶に苦しんだり、つかの間のアヴァンチュールを楽しんだり、あるいは早駆け獣のレース(要するに競馬だ)の観戦に熱中してみたり、人間味もたっぷりと持ち合わせているので、彼女の死闘も、決して「聖女的」に冷たいものとはならない。
そのあたりは、さすがマキャフリイだ。


『竜の貴婦人 (上下巻) 』〈パーンの竜騎士外伝2〉(アン・マキャフリイ作 幹 遥子訳)
ハヤカワ文庫SF
1991年6月30日初版
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2007-08-29 20:28:45

『アラビアの夜の種族』 そして夢の回帰

テーマ:日本SF・ファンタジイ
この物語には、劇中劇の三人の主人公に加えて、枠物語にも別途主人公が存在する。
すなわち、マムルークという名の(前時代の)エリート、アイユーブだ。
おそらくは、小アジアに近い、ヨーロッパ南東部のどこかに生まれたらしいこの青年は、ごくごく幼い頃にそこから連れ出されたうえ、もうひとつとんでもない理由があって、幼い頃の記憶は全くない。
生国ばかりか、本名も、いやいや、年齢すら、はっきりした事がわからない。
彼の存在そのものがとんでもない罠であることは、枠物語がそれほど進まぬうちに推測する事ができるが、彼の正体がほんとうにわかるのは、物語が語り終えられた後となる。

しかし、彼の存在そのものが象徴しているカイロの政争、あるいは陰謀は、物語にとってほとんど影響がない。
実は、それに付随してさらっと語られる、彼の漠然とした出自の方が問題なのだ。

すなわち、枠物語の時点でフランスからヨーロッパの近代的軍隊が侵攻してきている以前に、アイユーブもまた、ヨーロッパという森の国を起源とする、異なる民なのだ。
(実は、アイユーブに限らず、マムルークの大半が、同じように、アラブではない)。

しかも、突き詰めていくならば、実はエジプトそのものが、本来「アラブ」ではないわけだ。
作中でも語られているが、エジプト本来の民はむしろコプト人であり、アラブとイスラム教は、(たびたび、異民族がエジプトに王朝を打ち立ててきたように)外来の支配者なのだ。
自らも外来のものであり、さらにそこへ、フランスという外来の侵略者を迎えようとしている、それが枠物語のエジプトだ。
となれば、たびたび異民族の支配を受けてきたエジプトは、いわば「混血の民」。
古いものは順次忘れられていくようであって、残滓は残って層をなす状態。

こういう街が、「物語」という魔法によって、最新の侵略者を排除しようとしている。
それは、物語の最後の方であかされる、物語師の素性にも、露骨に象徴されている。

つまるところ、これは、アラブ的な物語であるように見えて、実はエジプトの物語であり、かつ、混淆していく民族の複合的な夢を描いたものと、とる事もできよう。

そもそも、エジプトは、魔術の国として知られている。
たとえば、錬金術を意味するアルケミイという言葉は、エジプトのアラビア語名にちなむ(アル・ケム→アルケミイ)。
また、タロットも、源流がエジプトに求められるし、
いわゆる近代儀式魔術も、大いに、エジプトの宗教的呪術に目を向けてきた。

しかも、古代エジプトの宗教的呪術は、ピラミッドだのミイラだのを生み出した、「永世」をめざすものであり、魂は不滅であり、肉体もまたいつか生き返るものという思想があったわけだ。
ひとたび死んだとしても、エジプト人の魂は、滅することなくどこぞに存在している。
その魂が存在する場所を、民族的な集合意識あるいは夢、と考える事も、できるかもしれない。
物語師は、まさしく、そういう「夢」を語っているのではなかろうか。

そして、「夢」である「物語」、または魂のありうべき世界が存続するためには、それを支える生きている人間の精神にたえずリフレッシュさせるため、物語が語り続けられなくてはならない。
しかも、常に新たな要素が織り駒得る事で、その物語は自らが生き続けなくてはならない。
従って、物語師には後継がおり、また、枠物語の主人公であるアイユーブも、聞き手でありながら、最後には物語の取り込まれてしまうのだ。


アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)/古川 日出男
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2007-08-28 21:45:54

『アラビアの夜の種族 III 』 最も正統的な主人公

テーマ:日本SF・ファンタジイ
物語の中で語られる三人の主人公のうち、残るはサフィアーン。
典型的な貴子流離譚のしつらえと、
その純朴なまでの爽やかさ、
全身にみなぎる義侠心、
これらはまさしく、アラブ人が好むヒーロー像だ。

また、彼の育ちが詐欺師であり、盗人でもあるというあたりは、警備頭アリの話などが目玉となっているカイロ版千夜一夜を連想させ、そういえば本作の枠物語は、カイロが舞台だったという事をも、思い出させる。

大きな鳥に化けた魔神にさらわれてみたり、
恋煩いで寝込んだり、まあこのあたりも、千夜一夜ではありがちな内容だ。

つまり、どこをどうとっても、サフィアーンは、正統的な千夜一夜物語的ヒーローとしか、言いようがないのだ。

むしろ、「あまりにも優等生的模範解答」と評したくはるほど(笑)。

しかし、三番目に登場するからなのか、サフィアーンは、実のところ、あまり活躍する事がない。
実際、血縁の権利としての許嫁(そして一目惚れの相手)も、
自分の肉体さえも、
一時は別のものに奪われてしまう。
これだけの美質を持っていながら、実は、サフィアーン視点で物語が語られる部分が、あまりにも少ない。

もちろん、(物語の中の)語り手や、物語を聞く者達の時間が限られていたとか、そういう理由はあるのだろうが、それにしても、魔神にさらわれたサフィアーンの、都への帰還も、本来大団円となるべきサフィアーンと許嫁の華燭の宴も、無情なほどばっさりと切り落とされ、影も形もない。
(アーダムやファラーの身の上に比べて、あまりにもおざなりだ)。

なぜなのkだろう?

思うにそれは、サフィアーンのみが、蛇の魔女神と、なんら関わりを持っていなかったからではないか。
また、サフィアーン一人が、妖術とは無関係でもある。
すなわち、魔剣の力を得ているとはいえ、全くただの人間でしかないサフィアーンは、立派にヒーローの資質を持っていながら、それをふるう事は、毫も許されていないのだ。

その点で、この物語は、枝葉末節が非常に、アラブ的な描写に満ちているようで、実は全く、アラブ風ではない物語だと露呈している。
なぜなら、千夜一夜に見るようなアラブの物語では、必ず、王子なり、騎士なり、富裕な商人の息子なり、ともかく平常の人間が、勇気をもってときに妖術と対決するのが本道であり、決して、妖術師が主人公になる事はない。
妖術は恐れの対象であり、最終的に排除されなくてはならないものなのだ。
かろうじて、妖術師がムスリム、つまり敬虔なイスラム教徒(あるいはそれに隷属するもの)であって、妖術を正しい事に使う限り、それらは勇士を助ける手段のひとつとして許容されるのだ。

とは言いながら、枠物語に目を転じると、「物語」という一種の魔力によって、エジプトをフランスから防衛しようというのが眼目であり、それは、前時代の華である秀麗なマムルークが、もはや全く、精鋭としてフランス軍に立ち向かう事ができないという現実に、重なっている。
なんと、二重になった物語のどちらの側でも、騎士あるいは勇士は、無用の長物として描かれているのだ。

いわば、陽に対する陰。
昼に対する夜と見る事もできそうだが……。

いずれにせよ、本来正統の主人公たるべきサフィアーンは、能力的には魔力を喰らい、一時は自家薬籠中のものとするも、最終的にはそこから全く排除され、またサフィアーン自身も、実は物語から拒絶をされているのだ。


アラビアの夜の種族〈3〉 (角川文庫)/古川 日出男
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2007-08-27 22:10:19

『アラビアの夜の種族 II 』 地下の迷宮とは何なのか

テーマ:日本SF・ファンタジイ
この物語の、第二の主人公は、ファラー。
アビシニアの黒人として生まれながら、先天的に色素が欠乏している、美しい魔術師だ。
しかし、三人の中で、ファラーのみは、千夜一夜風ではない。
むしろ、ファラーの物語は、ヨーロッパ風なものを感じさせる。

それというのも、ファラーが「森の子」であり、かつ、魔術師であるというのが理由だろうと思う。
イスラム圏全体で見ればともかく、いわゆる「(純粋な)アラブ」が住む土地は、森林といえるほどの森林がない。
ゆえに、そもそも、アラブの物語に、「森林」の思想はない。
周囲をまんべんなくとりまく、生命の息吹という感覚がないからだ。
しかるに、ファラーは、まさしくそういう環境で育ったとされている。

一方、全土が本来、森林に覆われ、あらゆる宗教的・精神的風土が森を源流としているのがヨーロッパだ。
フレイザーの『金誌篇』を解くまでもなく(解けば余計に)、ヨーロッパの人々は森の中や、あるいは森に接して暮らし、森の恩恵も被害もともにこうむり、彼らの神々や精霊は、主として森に住んでいるわけで、その呪術や魔術も、たいていは森に発している。

そうして見ると、ファラーという存在は、そもそもその出自からして「異邦人」であるだけでなく、物語にとっても、まさしく「異界の存在」であるわけだ。
それは、枠物語となっている、ナポレオン(ヨーロッパ)によるエジプト(イスラム圏)侵攻という状況にも、重なる。

かろうじて、ファラーがこの物語の中に組み入れられるのは、このような二重の存在意義がある事と、もうひとつには、イスラムにも、その前時代に、一応、アニミズム的なバックボーンも、持っているからだ。
そして、ヨーロッパの方にも、ギリシア・ローマの文化を通じて(そして十字軍時代の交流もあって)、中近東のものが、なにがしか入り込んでいるという事もある。

で、そのバックボーンにある共通項に、「地下の穴(迷宮)」と「蛇」というシンボルが潜んでいるわけだ。

要するに、地下の穴というのは、子宮のアナロジーであり、
子宮であるからには、そこは「女性の知恵」の奥義が隠されているはずの場所、となる。
聖書の、エデンの園にもあるとおり、蛇というのは、これがまた、広く「知恵」のシンボルであるわけで、
この物語でいうと、まさしく、「地下の迷宮」に「女」である「蛇の精」がいて、格別な「知識」を伝授する者となっているわけだ。
このあたりは、ちと教科書的なほど、素直に、シンボル通りの設定になっていると言える。

しかし、その「最奥(または、奥義)」には、ファラー自身はなかなか辿り着く事ができない。
必ず、目の前であぶらげをさらわれる鳶になってしまうのだが、そこがまた、物語の二重性と奇妙に重なるとも言える。
そもそも、物語そのものが、エジプトを護るために語られるのであるから、西洋に根のつながるファラーは、常に、拒まれなくてはいけないのだ。


アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)/古川 日出男  
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2007-08-26 21:47:34

『アラビアの夜の種族 I 』 アラブの美意識の中に潜む醜悪

テーマ:日本SF・ファンタジイ

あも(笑)>好きだから

ここに、『アラビアの夜の種族』と題された物語がある。
3人の主要人物が奇妙なアラベスク紋様を描くかのようなこの物語は、三つに分かれているようでもあり、一つのようでもあるという複雑な構成を取っており、作者は、「この三巻の、どれから読んでも良い」と述べている。
体裁は、『千夜一夜物語』を模したもので、しかも、『千夜一夜物語』が、英訳版や仏訳版を通して日本に入ってきたように、この物語も、いったん英訳されたものを作者が訳したというスタイルで書かれているのだ。

ゆえに、内容はかなりマニアックに、イスラム時代のアラブの伝奇物語になっているようで、ルビとしてふられたアラビア語は、一部微妙にヨーロッパ風なアクセントを付されているという、芸の細かさを見せている。

この物語がどのくらい、マニアックに千夜一夜風であるかというと、三人の主要人物、アーダム、ファラー、サフィアーンのうち、二人が(各々異なる)美貌を誇るのに対して、最初に登場するアーダムが、これでもかというくらい、醜い小男である事からも察せられる。

物語を包む枠物語となっている、ナポレオン時代のエジプトで、滅亡直前のマムルーク(奴隷騎兵の精鋭)の描写でもうかがえるのだが、千夜一夜で語られた時代のイスラム圏は、近代以前の「近世」にあたる文化を有しており、ヨーロッパでも日本でも、近世にあたる時代がそうであったように、そこには、頽廃的なほどきらびやかなものが好まれる傾向が、まず、見られる。

しかし、アラブの好みとしてひとつ特徴的な事に、そういう豪華絢爛なものに、醜悪なものを何かひとつ、配したがるというのがあるのだ。
たとえば、淫奔な貴婦人が、ぞっとするような醜怪で汚らしい、無教養な黒人奴隷に間男させるというのが、物語を彩る定番のひとつとなる。
別に貴婦人でなくとも、秀麗な少年や、清純な少女に、そういったものが配される事もある。
それが、これでもかっというほど、「げげー」な感じに描写されてるのだな。

もちろん、そういう一種のグロテスク趣味は、ヨーロッパにも日本にも、近世にはあった、という指摘もあるだろう。
しかし、アラブにあっては、それが他の文化より突出しているように思う。

さらにいうと、間男にされる黒人奴隷の典型例を見てもわかる事なのだが、実は、どれほど物語の中で活躍したとしても、これらの醜男は、必ず、主人公(側)に「食い物」にされる運命にある。
アーダムも、まずは(形だけとはいえ)父王に、そして蛇の魔女神に、最終的には主人公に、とことん利用され尽くすはめになる。
一度は、人間界最強の妖術師にして帝王となるにもかかわらず、末路はそうなのだ。

この醜怪さが、おそらくは、きらびやかさをより際だたせる役割を果たしているのだろう。
そのコントラストは、砂漠における光と影のように強いコントラストを作り上げているのだ。

しかも、現実には現代人の手で書かれている分、そのあたりの仕掛けは、巧妙に容赦ない仕上がりとなっている。


アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)/古川 日出男
2006年7月25日初版

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2007-08-25 22:27:09

『竜とイルカたち』〈パーンの竜騎士9〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
シリーズの第9巻となっている本巻は、『竜の挑戦』とほぼ時代を同じくする物語であり、主人公はジェイジとアラミナの長男、リーディスだ。
かつて、反逆者の女太守セラに荷担し、しかしアラミナを助けるため、壮絶な死を遂げたジェイジの叔父から、名前をもらったのであろうリーディスは、賢く、彼なりに非常に進取の気性に富んだ少年として登場する。

本シリーズには、成長物語を演ずる少年主人公がこれまで、ふたり、登場した。
言うまでもなく、ひとりはジャkソムであり、もうひとりはピイマアだ。
リーディスは、その優等生的というか、優等生とならなければ、という一種義務感のようなものを抱いているという点で、ジャクソムの系列に連なるキャラクターのようだが、実は前を行く二人とは決定的に違う点がある。

それは、生まれた時から両親を喪っているジャクソムや、
親元をはなれて幼い頃から竪琴師ノ工舎に来、長らく単独で南ノ大陸を冒険したピイマアに比べ、
リーディスは最初から二親がそろっており、かつ、その手元でずっと育っているという点だ。

血縁は、元来「良いもの」のはずだが、時に、関係が深いだけに「悪いもの」ともなり得る。
リーディス少年が、イルカとの交流を深めていく傍ら、かつて竜との交感でいろいろな苦労を強いられた母、アラミナが、頑迷な態度をとっていく事は、(リーディス視点ではつらいけれども)面白い事だ。

しかし、血縁ならではの泥沼に話が陥らないですむのは、リーディスの他にもうひとり、成長期の少年がいるからだ。
それが、イースタン大巌洞のト-リオンという、大巌洞最年少らしき青銅竜ノ騎士。
彼もまた、偶然、イルカとの交流を始める事になる。

さて、このイルカだが、『竜の夜明け』で少し語られているけれど、人間と一緒に、パーンにやってきた入植者であった。
そして、火蜥蜴や竜がほどかされている、精神や、人との交流に関する能力を増進する「改造」は、実はイルカの方が、早くに受けているのだ。
(つか、イルカの実例があるからこそ、火蜥蜴や竜に適用されたのだろう)。
そういうベースがある以上、イルカたちとの交流が「復活」されるのは、リーディスの生きた時代、当然の事と言えそうだ。

また、二人の少年の背後で、いわば精神的な保護者役を演じる漁夫ノ頭アレミが、あのメノリの兄であるというのも、なかなかうまい。
アレミ自身、すでに、父ヤナスとのおりあいはいまいちだった事が、メノリの物語の最初の方で語られているし、
メノリという、火蜥蜴と人間のつきあいに関しては、非常に重要な役割を果たした人物の兄であるというところから、イルカとの交流を望むふたりの少年にとって、かっこうの保護者になる事ができるわけだ。

そして、もうひとつ興味深い点。
この物語は、『竜の挑戦』と時を同じくするとはいえ、じゃっかんではあるが、その先まで語られている。
すなわち、ロビントン師逝去の後も、少しながら語られているのだ。
糸胞殲滅については、すでに決着がついているのに、なぜ。

今回のテーマがイルカである、というところに注目しなければならない。
イルカ療法などというものが、今、存在しているそうだが、そこまでいかなくとも、イルカというのは(おそらく、とくにアメリカ人にとっては)、心の癒しをイメージさせる動物なのではあるまいか。
海、そしてイルカ。
このふたつは、ロビントン師、そしてアイヴァス、人類をパーンに運んできた宇宙船などが、パーンから去っていった「喪失感」をゆっくりと癒すために語られたものなのではないか、と思うのだ。

とくに、シリーズの読者にとってもなじみ深いロビントン師、
そしておそらくは、糸胞が消えるであろう事が決定したために、シリーズそのものの終焉も示唆されている前巻への、これは鎮魂の物語なのだ。


竜とイルカたち ―パーンの竜騎士 <9>/アン・マキャフリイ
ハヤカワ文庫SF
2005年7月31日初版
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2007-08-24 21:36:37

『遊☆戯☆王』 カードで対決といえば、これ?

テーマ:ゲーム
今を去ること……そうだな、もう10年以上も昔ってことになるのか。
アメリカ合衆国で、Magic the Gathering (通称MtG) というゲームが生まれた。
トレーディングカードを集めてオリジナルのデッキを組み、
魔法の素から力を引き出し、
魔法の生き物とか魔術を呼び出し、
それらを使って闘う。
そういう、全く新しい形式のゲームだ。

これがたちまち一世を風靡したのは、なんといっても、
カードを集めてオリジナルのデッキを組む、というところに魅力があったのだと思う。
英語圏だけでなく、フランス語版、イタリア語版、日本語版、中文版までも出現し、次々と版を重ね、ぞくぞくと補助シリーズが登場し、
その勢いはどこまでいくのか?
……と、思っていたのだが。

まあ、こんなおいしそうなゲームを日本のメーカーが見逃すはずもなく、MtGのシステムを真似して、いろいろなカードゲームが登場したのだ。
MtGが(いくら各国語版が出たとはいっても)、基本、西洋のファンタジイ風世界をベースにし、日本のファンは大学生以上が主流だったのに比べ、これら新規のゲームは、それより年齢層の低い、小学生をメインのターゲットとしていたようだ。
まず、ポケモンのカードゲームがヒットし、その次に台頭してきたのが、遊戯王と記憶している。

こういう流れであるから、ゲームのシステムそのものは、MtGをベースに考案されたものであると思うし、
少年少女が自分の腕を磨くためにライバルを求めて旅をするとか、
いろいろなカードを集めていくという点では、ポケモンの近いところもあると思う。
そう考えていくと、
「どこがオリジナルなのか?」
というそしりはあるかもしれないのだが、しかし。

考え方をかえれば、それまでに登場したゲームの良いところを取って、新たなゲーム世界を生み出したとも言えるだろう。

実際、遊戯王は、漫画にもなり、アニメにもなり、しかもいずれも人気があるわけで、もちろん、カード自体も持続的な人気のもとに売れ続けているようだ。
公式カードカタログも、ついに9冊目!

今回は、アジア版のリストが収録されているそうだが、そういえば、遊戯王は漫画やアニメともども、アジア各国でも人気が出てるのかな?
もしそうだとすると、いかにもバタ臭いMtGという(しかし、優れた)ゲームが、いったん日本というフィルタを通して、よりアジアの人々に受け容れやすくなったという事を、意味するのかもしれない。

そうならいいなあ、と、少し思うのだ。
日本は、もともと、異文化をうまく自分たちにあわせてアレンジし、同化吸収する事が得意だ。
そういう特質を、明治・大正だけでなく、今でもアジアの人々に、広く利用してもらえるのだとしたら、素晴らしい事だろう?
まあ、これも、海という大いなるクッションをはさんで、かつ、異民族の支配を受けた事がなく、そういうトラウマがない事が、大きく影響しているのかもしれないが、それはそれ。

柔軟な、アニミズム的思考の、日本というフィルタは、単にあるものを日本化するだけでなく、それをさらにグローバル化させる力を持っているかもしれない。


遊☆戯☆王オフィシャルカードゲームデュエルモンスターズ公式カードカタログ ザ・ヴァリュアブル・ブック (9) (Vジャンプスペシャルブック)/Vジャンプ編集部
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2007-08-23 20:19:21

『一度も植民地になったことがない日本』

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
「一度も植民地になったことがない日本」。
あ?
な~んだ。
そんなのあたりまえじゃん。
だって、ねえ……。

もし、
「あなたの国は植民地だった事がありますか?」
と聞こえたら、たいていの日本人は、
「え。そんなこと、ありませんよ」
と答える前に、そもそも、なんでそんな事を聞かれたか、理解できないのではないか。
きょとん、としちゃうんじゃないかな。
「植民地? なんで~?」
なんでそんなこと聞くの?
ま、そんな風に感じそうだなあ、と思う。
実際、本書の著者も、ある時、外国で、
「あなたの国は、どこの植民地だったのですか」
と聞かれて、その真意がとっさに理解できなかったのだそうだ。

実は、日本は、アジア・アフリカ・アメリカ……すなわち、ヨーロッパを除く世界の大部分の国の中で、他の(つか、たいていの場合はヨーロッパの国のどれかの)植民地になった事がない希有な国なのだそうだ。
これを、単に植民地ではなく、異民族の国主を持った事がない、という風に解釈すると、さらーにその条件にあう国は少なく成っちゃうんだよ。
まあ、それを言うならば、ヨーロッパとて、外国から来た異民族が別の国の王になったり、ギリシアのどれかの国とかローマ帝国とかが、あちこちを植民地だ属領だ、と支配してたり、そういう歴史があるわけだ。

日本は?
……強いて言えば、アメリカ軍に占領されていた時期はあるが、アメリカ人を国主にしたり、アメリカの直接支配を受けたりしたのとは違う(日本独自の政府があり、日本に主権があり続けた)ため、やっぱり、他国や異民族に主権を奪われた経験のない国/民族、という事になる。

そして、確かに、そういうことは、外国で暮らしたりしてみないと、なかなかわからないものなのだろう。

本書は、国や民族をテーマにした評論ではない。
文化を比較分析したものでもない。
長年、ヨーロッパに住み暮らした一人の日本人女性が、あくまでもその生活を通して、つまり、一般のヨーロッパや、アジアの他国の人と交流し、「市井の目」で、
「他の国の一般の人にとって、日本はこう見えているんだよ」
という事を、いろいろ語ってくれているものだ。

「~論」ではないので、あまり系統立ててきっちりと解説されているのではないが、経験談をもとに書かれているため、皮膚感覚で納得できるような印象がある。
また、同時に、著者が「一般の日本人が市井に暮らして見たヨーロッパ」というものも見せてくれるので、生身のドイツ人とか生身のオランダ人とか生身のイタリア人を、ちらりとうかがい知る事ができる。

世界の中の日本、という事を考える時、時には、堅苦しい評論ではなく、こんな角度からアプローチしてみるのも一興ではないか。


一度も植民地になったことがない日本 (講談社+α新書)/デュラン れい子
2007年7月20日初版
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2007-08-22 22:33:58

『竜の挑戦 (下) 』〈パーンの竜騎士8〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
物語の後半では、いよいよ、糸胞を最終的に駆逐するための計画推進について語られる。
糸胞が実際は赤ノ星で発生しているのではなく(赤ノ星は、いわば、糸胞の乗り物であり)、真の発生源はオールト雲である事が明かされる。

長きにわたり、書き続けられているシリーズであるから、このあたりは、ある程度、新たな科学情報が作品に影響を与えた結果ともとれるが、そのあたりをうまくシリーズになじませているところは、マキャフリイの手腕だろう。
よりハードなSFにも持って行けそうな舞台設定ではあるが、パーンの世界観を必要以上に損なう事なく、うまく使っているなあ、と思う。

実際、竜騎士たちは、というか彼らを指揮するアイヴァスは、赤ノ星の軌道をそらすという荒技を演じつつ、側面作戦として、オールト雲の糸胞(あるいはそれを含む生物群)をも、駆除しようと試みるのだ。

それらを実行するため、宇宙服を製作する試みが行われたり、
竜や火蜥蜴が、無重力状態で行動するトレーニングをしたり。
読者は、計画に携わる登場人物たちと一緒に、いらいらしたり、わくわくしたりさせられる。
(ところで、竜や火蜥蜴は、竜でいうと12分程度、真空中でも耐える事ができる、とされている。これは当然、彼らの間隙を飛ぶ能力に由来するのだろう。
作中、アイヴァスがそれとなく指摘するのだが、どうも間隙は、呼吸できる空気(つか、酸素?)がない、真空のような場所のようだ。400年を一気に飛んだ時、レサが危ない状態になったのは、無酸素症のためだろう、とアイヴァスは推測する)。

しかし、その一方、アイヴァスや、それがもたらすものに反対する、パーンの反動勢力の活動も盛んになる。
実際、アイヴァスが発見されてからのパーンの社会の変化は、驚くべきスピードで進められているため、ここに登場する過激な反動勢力ならずとも、反感を覚える人は、相当数にのぼっていなければならないはずだ。

実際には、アイヴァスがもたらす技術は、入植者が携えてきたものを上回る事は決してなく、
長い間に欠落してしまった知識の穴埋めをしているのだという事が、いろいろな人物の口から繰り返し語られるのだが、そういった「正論」は、「なんかいやだ」という漠然とした気持ちから始まる、感情的な「反感」にとっては、火にそそがれる油のようなものである事も、あり得る。

反動勢力は、度重なるテロ活動を行い、その結果、最終的に、ある重要な人物に致命的なダメージを与えさえするのだが、いちおう、一連の事件は、反動勢力の中心的な人物らが太守と工舎ノ長たちからなる査問会にかけられ、パーンの社会から放逐されるため、ようやく、決着がひとつつくわけだ。

アイヴァス主導による、糸胞殲滅作戦も、結果の報告は明確でないながら、成功裏に終わり、
なんと、赤ノ星を望遠鏡で「眺見する」事ができるようになった時、フ-ラルが要求された、
「根源で糸胞を断つこと」
これが、十数年もたって、とうとう、達成された事になるのだ。
その感慨たるや、いかばかりか!(もちろん、読者にとってもな?)

そして、糸胞だけでなく、いくつかの重要な事物や人物が、この世を去る事になり、
それによって、とうとう、パーンは新たな時代を迎える事になるのだ。

実際、本巻に続く『竜とイルカたち』は、ほぼ本巻と時代を同一とする物語であり、
最新巻にあたるその次の巻『竜と竪琴師』は、レサとともに現時代の最重要人物、ロビントンの一代記であるから、少なくとも邦訳においては、パーンの年代記の、一番最後の部分が本巻の物語と言って良いだろう。
それくらい、パーンの物語と、糸胞は、切っても切れない関係にあった。
たとえ、糸胞が一掃された後も、
「竜騎士がお払い箱になるわけではない」
と、レサたちが力説していようとも。

さて、人物に焦点をあてるならば、主人公はおおむね、ジャクソム太守であり、彼がシャアラと結婚してからの生活が語られている。
その点では、本巻は、『白い竜』の続編と呼んでもいいポジションにある。
彼らはもちろん「恋愛結婚」ではあるが、燃え上がった恋は落ち着いた愛情におさまったようで、行き違いや喧嘩がないわけではないが、それでも、幸せな家庭を作っている様子がうかがえる。
『白い竜』で彼らの恋物語を楽しんだ人にも、その点で、ぜひおすすめしたい一巻だ。


『竜の挑戦 (下) 』〈パーンの竜騎士8〉(アン・マキャフリイ作 小尾芙佐訳)
ハヤカワ文庫SF
2001年8月31日初版
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