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2007-01-31 23:22:59

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 開戦編』

テーマ:日本SF・ファンタジイ


シャア・セイラ編でいきなり過去に戻った物語だが、いよいよ、それは、アニメ冒頭の「あのシーン」に直接つながる部分へと発展していく。
また、連邦とジオンの戦争はいかにして起こったのか、
ザビ家の屋台骨には、どのようにヒビが入っていたのか、
そして、「シャア・アズナブルという男」は、どのようにして出来上がったのか。
ファースト・ガンダムの舞台裏で最も重要な部分が、ここで語られていく。

わけても、士官学校時代の「シャア」は、必見と思われる。

入学のいきさつから、そこでの活動、ガルマとの「交友」、そして士官学校を”出る”までの言動は、まさしく、「シャア・アズナブル」のなりたちそのものだからだ。
(例の仮面のいわれも、ここ)。

思えば、シャアとアムロは、実に対照的なキャラクターとして物語の中に置かれている。
単に、ジオンと連邦という陣営の差ではなく、
アムロが、徹頭徹尾、巻き込まれ型の、言い方をかえると、周囲に流されるタイプの生き方をしているならば、
シャアは、自分個人の目的が、最優先であり、個人の目的に沿うように、組織も、人間関係も利用していく。

面白い事に、戦争にありがちな「英雄崇拝」は、シャアの表向きの顔、あるいは後に偶像視されるように仕向けられるガルマの姿に、皮肉な形でのみ、描かれる。
ガンダムは、戦争の渦中にあって必ず持ち出される、英雄主義や理想主義が、全く持ち込まれない作品なのだ。
主要なキャラクターも、敵味方含めて、ヒーローたり得ないというか、ヒーローである事を拒否している。
一見、コロニーの理想を体現しているように見える「ジオン公国」の正体も、漫画の中では徹底的にあばかれてしまう。
(いや、そもそも、物語世界ではおそらく、本来、「大義」のある側であるはずのジオンが、最初から、形骸化した理想を掲げる「敵」として登場するところから、その意図は明確なのだが)。

ガンダムという物語の中の戦争は、ひたすら、汚く、醜いものだ。
ホワイトベースに乗り込む少年たちは、だからこそ
「大人なんて……!」
と、悩み、苦しみ、拒む。

確かに、それは、リアリズムの発露であろうし、人間ドラマでもあると思う。
しかし、その人間観や戦争観は、絶望というより、むしろ、「深い徒労感」を感じさせるものだ。
事実、ニュータイプという、ガンダム世界でのひとつの「理想型」が、続くシリーズでどのように扱われていくかを見る時、その徒労感は一層深く感じられる。


安彦 良和, 矢立 肇, 富野 由悠季
機動戦士ガンダムTHE ORIGIN (11)
機動戦士ガンダムTHE ORIGIN (12)
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2007-01-30 22:17:18

『からくりからくさ』

テーマ:古典・文学
機織りというのは、そもそも、女性の仕事であり、かつ、神事でもあったようだ。
東洋でも、西洋でも、神に仕える女性は、機を織った。
物語中では、日本の言い伝えにある、水蜘蛛と、渕の底で機を織る女の物語に触れられるが、有名どころでいえば、ギリシア神話のアラクネーの物語なども、そうだろう。
神話では、アテネの怒りに触れたアラクネーが、蜘蛛にかえられてしまったとされているが、本来は、アラクネーは旗織る巫女とみなせるのだそうな。
あるいは、運命の女神を例に引いても良い。
ギリシア神話だと、これも、糸を紡ぎ、断つ三女神とされてるが、
ケルト系の神話や言い伝えでは、「機を織る女神」であるケースもあるようだ。
そういえば、ギリシア神話でも、北欧神話でも、(つまりヨーロッパ全域にわたって、しばしば)運命を司る女神……または、人々の母なる女神は、三人一組だ。
女神という座から放逐されていたとしても、メデューサを含むゴルゴン三姉妹なども、そうだ。

奇しくも、からくりからくさの家に集う若い女性たちのうち、三人が、「布」にかかわる女性であるのは、大変面白い。
一人は染める。
二人は、織る。
昔ながらの「女の手仕事」を日々営みながら、それを通じて、彼女らは、感じ、伝え、考えているようだ。
「機を織る」という仕事があるからこそ、洋の東西を問わず、古来、女は表に出せない鬱屈を発散してきたのではないかという示唆は、物語の中心に「りかさん」という人形を据える事で、更に生きてくる。

「りかさん」は、一応の主人公である蓉子が祖母から受け継いだ特別な人形で、彼女に語りかける言葉を持つ、魂のある人形なのだ。
蓉子の祖母は、人形が、魂の旅の途上、いっとき休む場所(のひとつ)である、と教えるのだけれど、たしかに、人形は「器」であるという話がある。
昔から、神事に使われる人形は、たとえばハニワや雛のように、人の身代わりであったり、
呪術に使う形代のように、人の魂を写すものであったりした。
子供の遊び相手であるならば、子供が人形を大切に思う気持ちを受ける器なのだ。
いずれにせよ、人形は、人の「想い」を受け容れてくれる器であるということだ。

そういえば、東北の「おしらさま」は、木の棒に幾重にも「布」を巻きつけたものがご神体で、(ついでに言えば、後付らしいけど養蚕との関係もあり)、女性だけがおしらさまを祭り、子供の遊びにまぜてあげると喜ぶのだそうだ。
家の繁栄とも、祖先の祭りとも関係のあるらしい「おしらさま」は、「りかさん」と、少し通じるところがあるように思う。

一方、「りかさん」の作者である人形師は、もともと、面打ちであった、と語られる。
「面」も古くから神事に使われるもので、これまた洋の東西を問わないのだが、人形と違うところは、人の内側から、ある部分を(神懸かりの状態で)外に表出させるという機能を持つ事だ。
(だからこそ、世界のあちこちで「演劇」にも使用されたわけだね)。
同じく人間の魂に関わりながら、「面」と「人形」は、どうも正反対の働きをするようなのだ。
人の想いを受け容れる人形と、人の内側から何かを引き出してしまう、面。
それを、同じ人間が人生の前半と後半で、作り上げるというのは、実に興味深い。

このように重厚なテーマを幾つもからませながら、それを布の織り目のように、うまく交錯させ、ひとつの物語に織りなしていく作者の力量は、実に素晴らしい。
いろいろなモチーフが、最初は互いに無関係でありながら、最後にはみごとにひとつのものへと、結実してしまうのだ。

さて、それでは、蓉子たちの住む家に起居する四人目の女性、マーガレットはいかなる役割を持つのか?
おそらく、それは、「りかさん」の対立的存在なのだ。
りかさんが、女性たちの想いを受け容れ、内包していくように、
マーガレットは「異邦人である」という立場から、彼女らの思いや考えを、鏡のように反射していく。
反射される事によって、見えるものもあるということだ。
しかし、「対立する存在である」という事は、「ひとつのものの、裏表」とも言えるのかもね。
それがゆえの、ラストシーンなのだろう。
そういう意味でも、物語の結末は、見事なものだ。


梨木 香歩
からくりからくさ
新潮文庫
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2007-01-29 21:11:50

『家守綺譚』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
今から百年ちょっと前、というと、おおむね明治の終わり頃になるんだろうなあ。
その頃の日本って、近代日本の原風景、みたいな景色が連なっていたのかもしれない。
科学技術文明が入ってきてはいても、 日本らしい日本が、あたりにも、人の心にも、そこらの気配にも、濃厚に漂っていたんじゃないか。

さて、この物語は、かけだしの作家、いや、文士と言った方がいいのかな?
若い男なのだが、そういう職業では喰うや喰わずが当たり前で、それでもなんとか文筆で身を立てたいと思っているところ、奇遇にも、亡き幼なじみの父から、住み込みでの、家の管理を頼まれるのだ。
すなわち「家守(いえもり)」だ。

しかし、怠惰にも、家の手入れをしたり庭をきれいにしたりはしない(笑)。
かろうじて「廃屋」にはならずにすんでいる、そういう家となるのだけれども、
花精はさまよい、
河童が出没し、
住み着くことになった犬は、山野の「モノ」の間で、良き仲裁役として知られるようになり、
かつてボートをこぎ出したまま行方不明になった幼なじみは、掛け軸を戸口として、半ば生きているもののように、主人公を訪れることになる。

そこには、陰性の「凄まじさ」は、ほとんど、ない。
ただあたりまえのように、主人公は、友の魂とも、犬とも、花精とも、河童とも、
淡々と交わる。
決して、人としての感情が淡いのではない。
行く雲のごとく、水のごとく、自然で自在な交わり方なのだ。

同様に、犬を介してつきあう「隣のおかみさん」とも、
碁打ち仲間である山の「和尚さん」とも、
主人公は淡々とつきあうのだ。

そういう自然体の在り方が、(古き良き)日本を、深く感じさせる。
そうだねえ。
百年と少し前は、まさしく、こういう生き方が、自然であったのかもしれない。

しかし、よくよくあたりを見回してみれば、きっと、まだ、そういう日本は残っているはずだ。
この物語が、心地よいと感じる人がいる限りは。


梨木 香歩
家守綺譚
新潮文庫
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2007-01-28 21:42:27

『バイオメガ (1)~(2)』

テーマ:日本SF・ファンタジイ


発表の場を講談社から集英社に移した本作が、先日、1巻2巻同時発売された。
う~ん、なんとも、ハヤカワ文庫SFあたりが大好きな人の購買欲を刺激するような表紙ではないか。
だが、中身は?
……中身も、かなり、ハヤカワ好みという気がする。

アクションのスタイルは、あくまでも、マルチメディアで見た時の日本のSFにあるテイストをおさえつつ(近年の、マニアックなSF特撮映画っぽいかなあ)、ベースには、英米SFがあるように感じるのだ。
あえて言えば、イギリスのSF。
荒廃した未来の、いささか頽廃的なイメージが、そう感じさせるのかもしれない。

そう。
本作では、いきなり、荒廃した未来が見せられる。
放棄された火星基地。
異様な肉体を持つ人々が徘徊する街。
いったい、それは、なんだというのか?

実は、その不気味な姿は、ある疫病に感染した結果であり、
疫病によって遺伝情報が書き換えられてしまうために、肉体が破壊されても驚くべき速度で復元はされるものの、形がどんどん、正常ではなくなる。
また、どうやら、罹患する前の人格は、失われてしまうらしい。
(ゆえに、異様な肉体をかかえたまま、ゾンビのように徘徊しているのだろう)。
彼らはドローンと呼ばれている。

実は、この疫病は、不老不死を追求した成果のひとつらしいのだけど、そのためには、人体が疫病に正しく適応しなくてはならない。そうすれば、意識や人格を保ち、肉体の形状も変化したりはしないわけだ。
稀なる「適応者」を、誰が、どんな風に確保するのか?

物語は、そこから始まる。
そのために、ある企業で開発された人造人間(たち)が、巨大なバイクと、そのバイクに内蔵されたシステムに棲むデジタルなパートナーとともに、ドローンの横行する街を疾駆するのだ。

冒頭から、主人公である人造人間の「庚 造一」は、パートナー/バイクとともに、ひたすら走り、戦う。
実際、物語の背景説明は、全くと言って良いほど、説明されない。
彼らの行動と、そこから発する言動、それらへの反応から、読者は断片的に世界観をつかんでいくしかない。
そういう意味では、「ストーリー」というものはなく、アクションの連続だ。
人造人間であるという事を強調するのは、主人公の感情の振幅が非常に狭いところにある。
激しい怒りや憎しみ、愛情は、ない。
人が欲する目的意識もない。
人造人間、すなわち一種のロボットなのであり、与えられた「任務」を「達成する」という事が、最優先だからだ。

そして、2巻という紙幅を費やしているわりに、事件の進展具合は、それほどないようにも見える。
ノンストップのアクションではあるのだが、物語中の時間経過はページ数に対して、遅い。

こういった、ドライなアクションドラマに痺れる人もいるだろうし、
感情移入できず、なじめない人もいそうだ。
面白いのだが、かなり読者を選ぶ漫画と言えそうだ。


BIOMEGA 1 (1)/弐瓶 勉
BIOMEGA 2 (2)/弐瓶 勉
2007年1月24日初版(同時発売)
¥620
Amazon.co.jp
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2007-01-27 21:33:47

『赤死病の館の殺人』

テーマ:ミステリ
赤死病……!
この言葉に魅惑を感じてしまう人は、ポーが好きな人だろう。
ホラーというより、「怪奇もの」と言うほうがぴったりとくる、赤死病の仮面の話は、ストーリーや細部はたとえ忘れていたとしても、一色に統一された部屋の羅列と、唐突ですらあるラストのインパクトが、読者に強い印象を残す。

しかし、なぜかその強いイメージは、強すぎるせいなのか、細部はよほどのファン、ていうか、マニアでもないと、覚えていないもののようだ(笑)。

その「死角」を突いた本作は、本来架空のものであるはずの赤死病をもうまく現出させ、非常にうまいつくりの物語になっている。
芦辺拓というと、パスティーシュがうまい作家でもあるが、元ネタのモチーフを二重、三重に用いるやりかたは、それ以外の要素の投入もあって、「コラージュの名手」と呼んだ方が、むしろふさわしいのかもしれない。

これ、少女漫画にもなっているようだが、ちょっと読んでみたい気がする。

さて、本書に同時収録されているのは、
「疾駆するジョーカー」
「深津警部の不吉な赴任」
「密室の鬼」
3本の短編となる。

どれも、それなりに面白いと思うが、個人的には、ジョーカーはわりとすぐに犯人と仕掛けがわかってしまった。
「深津警部~」の方も、トリックがなじみにくく、ラストは面白いけれども、いまひとつな感じ。
オーソドックスだが、この3本のうちでは最後の「密室の鬼」が一番面白かった。

しかし、手の込み具合といい、いうれもタイトル作の『赤死病の館の殺人』には三歩くらい譲ってしまう。(長さの問題もあるのかもしれない。赤死病は、短編というより中編)。



芦辺 拓
赤死病の館の殺人
光文社文庫
2005年4月20日初版
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2007-01-26 21:40:14

『ダーティペアの大復活』〈ダーティペア5〉

テーマ:日本SF・ファンタジイ
時は未来。
いや、もちろん、ケイとユリが活躍するのは、我々が暮らしている「現在」よりはるかな未来の話なのだが、前巻(FLASHでもなんでもないふつーのダーティペア4巻から、ずいぶん時間がたちましたねえ) のラストで人工冬眠に入ったはずのこの二人、覚醒したとたんに、告知されちゃうのである。
「あなたがたが遭難してから、135年が過ぎました」
……ほんとかよ!?
しかも、人類はすでに絶滅している、という。

だが、人類が絶滅していようがいまいが、ダーティペアは、常に快進撃なのであった(笑)。

もちろん、このシリーズに関しては、ちょっとお色気なスタイルの二人組が、忠実なクァールのムギとともに傍若無人な大活躍をしちゃう、というのがウリなのだが、今回はそれだけではない。
なんと、あのユリが、実は「をたく」だったと判明するのだ(‥
それも、スパロボをたくだ。
ケイ唖然。
豹変したユリに、唖然としたまま、引っぱられていってしまう。
そう、今回は、ユリのパワーが当者比で200%増しなのだ。

スパロボ見て、いっちゃってるユリの気持ちも、
それに頭をかかえるケイの気持ちも、
どっちも、わかるんだよなあ……自分も、半分はスパロボ世代だし(笑)。<しかし残り半分はリアルロボ世代でもあるため、頭をかかえるケイの気持ちもわかるというわけ
まともに考えるなら、地球上では絶対活動不能な「スパロボ」を動かすのに、スペオペレベルの(従って理屈は一応通っているけど、過度に理屈くさくないほどよい感じの)説明がついていて、このあたり、本シリーズのファンならずとも、往年の/現役のアニメファンなら、にやりとしてしまうかも。
いやいや、特撮ファンも含め、ぜひとも笑っていただきたい。

面白いよ。
真面目なSFもいいけど、エンタテイメントはやっぱこうでなくちゃな。


高千穂 遙
ダーティペアの大復活
ハヤカワ文庫JA
2007年1月31日初版(発売中)
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2007-01-25 23:05:13

『竜神飛翔 (2) 狼の誓い』〈時の車輪11〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
本巻のサブタイトルが『狼の誓い』なので、ペリン中心の話かと思えば、蓋を開けてみると、ほとんどマットが中心。(ランド・アル=ソアは影も形も出てこない)。おおもとの1冊を、翻訳では分冊しているので、これはもう、しかたがない事なのだろう。
その分、ペリンは表紙に登場しているが、村を出た頃とはだいぶ違って、貴族らしい貫禄がついてきているもよう。
思えば遠くへきたものだ、というところか。
そういや、ランドは結婚相手の候補が複数名いながら、いまひとつ相手が定まっておらず、
マットは結婚に至る悪戦苦闘をしているところ。
3人のなかでは、ペリンだけがしっかりと結婚している、というわけだ。
幼なじみの中では、その方面で、大きくリードしているペリンなのであった。

一方、悪戦苦闘中のマットは、それでもじわじわ、トゥオンに近づきつつあるような(笑)。
アエズ・セダーイとの関係も、最初の頃に比べると、だいぶ変わった。
キツネのメダルがあるとはいえ、そしてアエズ・セダーイたちに恩を売ってるとはいえ、彼女らのひとりをつかまえてお仕置きするほどになっていたとは!(笑)
これもある意味、成長のあと、と言うべきなのだろうか。

この時にマットが意図的に用いた、「おしりをたたく」という方法、なぜか、〈時の車輪〉の物語が進むに連れて、頻繁に出てくるようになった、折檻の手法なのだ。
白い塔でも使われるし、アイール人の間でも使われている。
日本人にとっては、よほど小さい子におしおきする時にしか使わないような方法で、なんか違和感を感じる事もある。

これは、欧米人と、単におしおきのやりかたが違うというだけではなく、やはり、心理的な動きが、そもそも、違うのかもしれない。
なぜなら、本来、「おしりをたたく」というのは、欧米でも、子供に対するおしおきというのが普通のようなのだね。
それなのに、あえて、生徒であるとか、弟子であるとか、修行者であるとか、に対して行う事があるというのは、意図してかどうかはわからないが、おしおきをする側とされる側の間に、大人と子供のような、絶対的なギャップがあるのだという事を認識させるためではなかろうか。
実際、マットも、今回は、「相手に(決定的な)ショックを与えるために」あえてこの方法をとった、というように書かれてる。
そう思うと、白い塔のあの人やこの人が、特定の相手に「(この方法による)おしおきを与える」ことも、非常に納得ができてしまうわけだ。

さて、本巻のラストでは、思わぬ人の生存説が浮上して、分冊にしては、うまいこと「引いた」終わり方をしている。


ロバート・ジョーダン, 斉藤 伯好, 月岡 小穂
竜神飛翔 2 (2)
ハヤカワ文庫FT
2007年1月15日初版
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2007-01-24 20:22:23

『未来町内会 (1) 』

テーマ:その他
『魁!!クロマティ高校』がヒットとなった野中英次の新作。
それが『未来町内会』だ。
時と場所とキャラが変わっても、作風は全く変わらないので……いや、それはあたりまえなのだが、ともかく、雰囲気はクロ高と同じ(笑)。
物語(?)は、今世紀末も近い東京のとある町を舞台にしている。
親子三代にわたって、町の「電機屋さん」をしてきた主人公(妻子有り)が、なんと町内会長に選出された!
しかし……。
主人公は、町内会長というものが、いったいどういうものなのか、全く理解していなかった!
いったい、何をすればいいのか、何をすべきなのか。
そこから、とんちんかんな行動が始まるのだが、発生する事件と、主人公の行動は、長編漫画として筋が通っているなどという事は全くなく、例によって、かなり、行き当たりばったり的。

本巻の目玉は、主人公が町おこし(なのか?)のために考案した、頭にザルを載せて行う球技、「田尻ザルボール」と、未来(たぶん)の、荒廃した地球からやってきた「世紀末救世主」セキグチタローだ。
後者は、とうぜん、80年代に大ヒットした(そして最近パチスロのおかげでリバイバルした)あの有名な漫画がネタなのだが、もともと、ギャグ漫画なのに劇画調の絵が、ぴったりマッチしている。
現代日本とほとんどかわらない、世紀末東京にタイムスリップ(たぶん)した、世紀末救世主の、周囲とのギャップは、一部シリアスに考えさせられる部分もあるのだが、やっぱ、笑える(笑)。
いや、ほんと、関口流の拳法をおさめ、悪をたおしていたはずのセキグチタローが、倒すべき相手を失い、空き地でテント生活をしながら、
「実は、救世主として戦っていたのは夢で、ほんとは自分は、単なる格闘好きなニートではなかったのか……?」
などと悩むシーンは、SFとかスティーヴン・キングとか、そのあたりが好きな読者は、思わずにや~りとしてしまいそうだ。
(一見非常にシリアスな展開なのだが、そう思うと、これも高度なギャグなのかもしれない)。


野中 英次
未来町内会 1 (1)
2007年1月17日初版
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2007-01-23 21:54:40

『啓示空間』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
京極本のように分厚いこの物語は、英国のSFである。
なぜに1巻本なのか。せめて上下巻で出してくれないものか……(笑)。
重いです。最終目的地も中性子星だし<関係ない

さて、この物語だが、主人公は二人いる。

一人は、かつて、ある特殊な空間から唯一生還を遂げた男、ダン・シルベステ。
名家の一員であり、とある惑星上で権力を握っていながら、古代の異星種族を研究する考古学者でもある。しかし、彼の研究テーマ、アマランティン族の遺跡を発掘調査しているさなか、突然クーデターが発生し、彼は権力を失ってしまうのだった。
その後、相当の期間を経て、愛する妻を得たシルベステは、なんと結婚式の当日、再びクーデターに遭遇してしまう。(いや、テロリズムというべきか)。
旧敵の手にとらわれた彼は、からくも別の勢力の脅迫により、解放されるが、危険な状況のなか、再び特殊空間へ赴く事となる。

もう一人は、元兵士、アナ・クーリ。
とんだ手違いから、間違った場所に送りこまれた彼女は、生きる為に暗殺ゲームに手を染めるが、謎の女に雇われて、本物の暗殺をするために、辺境の星へ向かう事となる。
しかし、その為にもぐりこんだ宇宙船には、疫病に冒された船長と、砲術システムの中に潜む破壊的な未知の「シミュレーション」、サンスティーラーが待ち受けていたのだった。
もともとの乗組員と、虚々実々のやりとりをしながら、彼女は船の砲術士として、本来の目的である「暗殺」のチャンスを狙う。

しかし、これら全ての背景にあるのは、100万年以上も昔、銀河を充たしていたさまざまな生命と文明が、どのような経緯で滅び、その後知性体が育たなかったのか、という事にまつわる謎なのだ。
タイトルの啓示空間は、まさしくその謎に大きくかかわる「不思議な場所」だ。
銀河と人類と異種知性体の関係を、非常にユニークな視点からとらえており、そこらへんは、SF的にも「あっ」と言わせられるようなものだ。
最終目的地の中性子星も、実に凝った仕掛けがほどこされている。

しかーし。
それなりにアクションの連続だし、仕掛けは壮大なのだが、エンタテイメントというには、いささか冗長だ。
なぜかというと、この長さに対して、物語が起伏に欠けるのだ。
盛り上がりがないわけではないが、それぞれが「小出し」であって、全体の長さに見合うクライマックスが存在しない。
さすがに、終盤はスリリングなシーンの連続だけれども、そこに至るまでの道程が、実に長く感じられてしまうのだ。

SF的には、『カズムシティ』よりこちらの方が気宇壮大だけれど、面白さで比較すると、『カズムシティ』の方がずっと面白い。


アレステア レナルズ, Alastair Reynolds, 中原 尚哉
啓示空間
ハヤカワ文庫SF
2005年10月15日初版
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2007-01-22 21:24:09

『ハローバイバイ!関暁夫の都市伝説』 信じるも信じないもあなた次第です。

テーマ:その他
日本で有名な都市伝説といえば、圧倒的に、第1位が口裂け女で、そのせいかどうかは知らないが、ホラー風味の強いものが多いと思う。
もちろん、有名なブルンヴァン教授の都市伝説の本だって、怖いものは相当数あるのだが、べつに怖い話ではない都市伝説も、数多い。

で、本書は、関暁夫という人が、ホラー味のあまりない都市伝説を集めたもの、なのだそうだ。
Amazon提供の画像には腰帯が写っていないが、私の手元にある本に巻かれた腰帯には、異様になが~~~~~~い猫の写真が載っているのだよ。

もっとも、掲載されている話の中には、あまり広い範囲に伝わっている「伝説」ではなさそうなものや、(ちょ~っぽい)陰謀論的なものまで含まれているし、どの程度分布しているかについては、全く触れられていない。
そのかわり、「この伝説は、なぜそう語られるようになったのか」という理由付けを、伝説が発生した当時の社会状況などに求めて論考したものはいくつかあり、これは面白いと思う。

とはいえ、学術的なアプローチがなされているわけではない本書のこと、むしろ、
「世の中にはこんなミステリアスな話があったのか」
と、話半分に読むのが一番楽しめそうだ。
あえて信じてみるのもよし、笑い飛ばしてみるのもよし。
1篇々々の終わりに、必ずついてくる結び文句、
「信じるも信じないもあなた次第です」
とある通りだ。

なが~~い猫だって、まず、あり得ない絵なのだが、
「こんな長い猫がいるなんて!」
と想像してみると、ちょっと怖いような、面白いような気分になる。
そういう部分を楽しめば良いのだと思う。


関 暁夫
ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説―信じるか信じないかはあなた次第
2006年12月1日初版
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