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2006-10-31 21:25:29

『ラヴクラフトの世界』

テーマ:ホラー
ラヴクラフトといえば、クトゥルー。
クトゥルーといえば、ラヴクラフト。
いかに多くの作家が、今にいたるまで、クトゥルーものを書いていようとも、
ラヴクラフトといえばクトゥルーであり、
クトゥルーといえばラヴクラフトなのだ。
それほどこの作家と作品世界は強く結びついている。

そしてもうひとつ。
ラヴクラフトは、生涯、自分が暮らした合衆国の一地方から「地上的には」世界を広げる事がなかった。
ゆえに、ラヴクラフトとクトゥルー(神話)には、常に、プロヴィデンスと、アーカムと、ミスカトニック大学と、キングスポートなどの地名がついてまわるのだ。

さて、ボストンのように実在の地名を一部含みながらも、これらの「背景世界」が、かりに現実のものだったとしよう。
もしそうならば、ラヴクラフトが送り出した登場人物たちが生き、あるいは死んだその後も、それらの土地は存続しているはずで、存続していれば、そうだなー、ミスカトニック大学の学生は、合衆国の他の地方大学の学生同様、車で通学しているかもしれないし、いかにもなにかありそうな郊外の農場でも、トラクターが動いているのかもしれない。
郵便のかわりに、アーカムの変人は、ネットで稀覯書を探しているかもな。

本書は、まさしく、そういう視点で書かれた作品群。
ラヴクラフトが作り上げた作品の「舞台」を使って書き下ろされた短編集なのだ。
従って、いかにもクトゥルー神話らしいものもあれば、一見、全くそうとは感じられないものもある。
しかし、どの一編を取っても、それはまさしく、プロヴィデンスの物語であり、アーカムの物語である。
ラヴクラフトの「影が落ちる」土地の物語なのだ。

そのため、クトゥルー神話を全く知らなくても、不気味な恐怖短編として楽しむ事ができるし、
逆に、クトゥルー神話のファンならば、非常にマニアックに、
「ああっ。そこがほら、あれだー!」
的な楽しみ方をする事ができるという趣向。

特にクトゥルーな世界が好きな人には、1200円は、決して惜しくない金額だと思われる。
……買おうよ(笑)。
絶対に損はしないはずだ。


スコット・デイヴィッド アニオロフスキ, Scott David Aniolowski, 大瀧 啓裕
ラヴクラフトの世界
青心社(文庫)
2006年10月7日初版
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2006-10-30 21:10:05

『後巷説百物語』

テーマ:ミステリ
「後」とつくからには、『巷説百物語』の続編になるのであって、実際、時はすでに明治。
百介は老境に入り、まだ江戸の雰囲気が残る東京の片隅でひっそりと隠居をしている。
そこに、かつての北林藩士や幕臣の子弟(でもって洋行帰り)などからなる気の置けない仲間が集まり、百介老人の物語を聞く。
そういう趣向。

『巷説百物語』で百介が経験したいろいろな事件の、そのまた合間に、体験した事が、ひとつひとつ語られていくとか言うと、いたって平凡な仕立てのようだが、実はそうではない。

それらを「物語する」事を通じて、百介が、なぜ、百物語を開板しなかったのか、
又市たちは、その後どうなったのか、
たとえばそんな事が、少しずつ明らかになっていくのだ。

そこには、「ものがたる」ということの不思議、「ものがたりする」という事の意味が折り重ねられ、しかも、ラストでは、まさしく、「百物語」が仕掛けられるという仕組み。
さすが、なかなか凝っている。

しかもそれだけではなくて、百介のところに集う若者たちが(ひいては百介自身が)関わり合いになる事件や人物は、さらに後の世の事となる、京極堂や榎木津が体験する(そして関口らが酷い目に遭う)いろいろな事件とも、微妙に関わり合っていくのだ!
京極堂シリーズの読者には、二度美味しい話になるわけだ。(もちろん、逆も真なり)。

もっとも、全てを満遍なく楽しみ尽くすためには、京極堂シリーズと、榎木津探偵の百器徒然袋と、そして巷説(ぷらす、嗤う伊右衛門)を全部読んでいなくてはならないわけで、そうだなー、読書家は「嬉しい悲鳴をあげるがよい」。

ところで、「不思議」というものを、人は常々、否定しているものなのだろうか?
たとえば、京極堂などは、定番のように毎回、不思議な事なんか何もない、と言い切るよな。
又市とて、神も仏もおそれぬ無信心者。
面白いことに、京極堂も又市も、そういう不思議なものとか妖怪を信じないと言いつつ、それらを、うまいこと利用している。
信じないからこそ、利用できるのだという言い方もできるだろう。
作者自身、妖怪やお化けが現実にいるわけはない、と理性では強く思っているのではないか。

しかし、その実、人間は、不思議なものを、どこかで求めてやまないのだ。
だからこそ、たとえば、唐傘お化けは信じなくてもUFOは信じちゃったりとか、するわけだろ。
否定すればするほど、実はその傾向は強いのかもしれない。

京極堂も、又市も、実はどこかで、ほんとうは不思議を信じているのではないかと、思わせるところがあるように思う。


京極 夏彦
後巷説百物語
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2006-10-29 20:25:54

『魔教の黙示 (3) 』 戦争と結婚

テーマ:海外SF・ファンタジイ
例によって、本シリーズは原書の1冊を平均5分冊しているため、本巻では、冒頭でリチャードの近況が少し語られ、あとはもっぱら、秩序団との戦争という話になる。
ストーリーとしてはちとアンバランスになってしまっているが……分冊だから仕方ないのだろうな。

さて、戦争です( ‥)/
リチャードと違って、きっちり、幼少時から「帝王教育」を受けたカーランが、ヴァーナとゼッドに合流。
彼女の指揮のもと、かつてのエイビニシア-ケルトン戦を大幅に上回る、「戦争」が始まるのであった。
ていうか、この世界におけるベトナム戦争になるのだ。
100万はいようかというジャガンの軍勢に対して、精鋭とはいえ、ダーラ帝国軍はあまりにも寡勢。
そして、戦場はダーラ帝国内。
というわけでの、ゲリラ戦であります。

もちろん、ゲリラ戦というのは、情け容赦のないものなのだけど、それを率いるカーランが、ほんとにもー、情け容赦ないのだよねえ。
戦争は決してきれい事ではないぞ!
という事がストレートに描かれているのは、好感が持てるかな。
いや、もちろん、戦争賛美ってわけではないよ。
ただ、戦争を、平和な国に住む我々の倫理観と視点で「きれい事」に描くのは、やっぱリアリティに欠けるでしょう。
その点、容赦なく描いているところは、面白いと思うわけだ。

しかし、その「キタナい戦争」になる前提には、この世界に、貴族階級はあっても、騎士階級はない、という部分も大きく影響していると思う。
つまりね、この世界には、「騎士道」とか「武士道」にあたるものは存在しない。
ゆえに、この世界の軍人には、そういった、特殊なモラルがないのだ。
そういや、ダーラ軍も、ジャガン軍も、文化レヴェルのわりに、近代的な軍隊に近いイメージがあるようだ。
それは、こういった、「戦士階級と名誉」というものが存在しないからなんだろうなあ。

であるにも関わらず、実は、本作の訳文で、これらの軍隊の階級が、いまひとつ曖昧かつしっくりきていない気がする。
たとえば、本巻では、ある将軍が、いきなり、中尉に降格されるのだ。
まあ、それは、絶対にあり得ない事ではないかもしれないが、それでも、彼は自軍そのものを率いている事にかわりはないのな。
明らかに、中尉が率いる事のできる領域を、それは超えている。
また、今のところ、佐官が登場しない。

これは、おそらく、文章中に登場する階級名を、漫然と現代の軍隊に準じて訳してしまっているせいではないかと考える。
しかし、現代の軍の階級名は、いちおう、近代的な軍になる前にも使われていたものが含まれるわけだな。
たとえば、lieutenant という階級名。
確かに、現在では、尉官のあてはめられるわけなのだが……。
帆船小説ファンならおなじみのこの言葉、ホーンブロワーなどでは海尉、という新たな訳語をあてられております。
なぜかというと、当時の lietenant が、現在の少尉-中尉-大尉 というようなものとは、ちょっと使われ方が違うようなんだね。
もちっとフレキシブルというか、曖昧。
艦長以外の艦内の士官はみんな liutenant で、先任順に一等二等三等……。
当然、乗艦が変わったり、人が異動したり亡くなったりすると、その順位もかわってしまう。

で、さらに、このlieutenant ですが、本来、上官の代理をつとめる者、副官、という意味があるそうだ。

するとね、「将軍から中尉に格下げに」というより、「将軍から副将に格下げに」という方が、物語の中ではしっくり来るような気がするんだよねえ。
いや、残念ながら本巻の原書が手元にないので、ここでの「中尉」が liutenant になっているかは、推測なんだけど(汗)。

本シリーズの訳文には、おおむね違和感は感じないのだが、軍隊関係だけ、以上、気になるものがあるのであった(笑)。


テリー グッドカインド, Terry Goodkind, 佐田 千織
魔教の黙示〈3〉戦争と結婚―「真実の剣」シリーズ第6部
ハヤカワ文庫FT
2006年10月30日初版
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2006-10-28 23:23:24

『星の王子さま』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
サン=テグジュペリの『星の王子さま』といえば、世界では聖書につぐベストセラーなのだそうで、日本でもそりゃあたくさんの版が出ているようだ。
文庫ですら1種類ではないのだが、その中では、新潮文庫版がなかなかおすすめだ。
なぜかというと、文庫であるにもかかわらず、挿絵は、原画のとおり、全てカラーだからだ。
他の文庫では、挿絵が入っていても全てモノクロになったりしているので、ここはやはり、カラーのものをとりたい。
なぜなら、サン=テグジュペリによる挿絵の魅力は、その色遣いにあるとも思うからだ。
訳は今年の4月に上梓されたばかりの新訳だが、なかなか良い文章ではないかな。
少なくとも、違和感は全くない。<訳文の場合、非常に大切なことだ。

さて、物語だが……。
どことなく、全体に寂寥としていて、「傍目には」決して幸せそうではない物語だ。
そりゃねえ?
王子さまといっても、彼は小さな小さな星に住んでいて、わがままな薔薇の世話も、三つあるちっちゃな火山のメンテナンスも、もちろん、星そのものの維持管理(たとえば、星の破滅になるバオバブを発見したらすぐに抜くということ)も、みな、自分の手で行っている。
実は、勤労少年なのだし、経済的に豊かであるとは言えなさそうだ。

しかも、薔薇の世話に疲れて、その星を出て旅立ってしまうという仕掛け。
いろいろな星(いずれも小さい)で、それぞれ、幸せそうには見えない人たちに出会い、地球に降りてきたかと思うと、それはアフリカの砂漠らしく、出会えた人間は、不時着した飛行士のみ。
おまけに、薔薇のもとに戻るためには、ある重大な決意を必要とするのだ!

けれども、そういった王子の生涯が、いかにも不幸せそうに思えるのは、全て「大人かんがえ」なのだ。
なぜなら、王子のしあわせは、そういった見かけの不幸さ、あるいは恵まれなさとはうらはらに、まったく目に見えない王子の気持ちと、他者との大切な絆の上にあるのだから。

それは、しばしば指摘されるように、耳のやけに長い狐が、王子に教えること……
ものごとは、心で見なくてはよく見えない、ということ。
そして、大切なのは、たとえ苦しく悲しいプロセスを含むのだとしても、「絆を結ぶ」ということなのだ。
それがあれば、もたらされる苦しみより層倍のしあわせが生じるものなのだ。

そこでふりかえると、王子が数々の小惑星で出会った「おとな」たちは、そういう絆を持たず、目に見えるものしか追いかけていない事がわかる。
文字通り、物語の冒頭にかかげられた、「ゾウを飲み込んだボアの絵」に象徴されちゃうんだね。
おとなになると、残念ながら、その絵は、ただの帽子に見えてしまうのだ!
なぜって、見かけは単なる帽子とかわらないからね。

けれども、これは、人生におけるものの見方を教える、教育艇な本というわけではない。
結果的にそういう事がくみ取れるのだとしても、やはり、人の心をうつのは、美しい絵と文章でつづられる、寂寥とした世界と、そこに「しあわせであること」をみつけている王子の存在に違いないのだ。


サン=テグジュペリ, Antoine de Saint‐Exup´ery, 河野 万里子
星の王子さま
新潮文庫
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2006-10-27 22:44:41

『竹島は日韓どちらのものか』

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
最近は、インターネットという実に便利なものがあるので、竹島問題、などといっても、さささっとぐぐってみるなり、まあ、Yahoo!なんかでもいい。
検索エンジンを使ってみると、いろいろとすぐにみつかる。
近年、韓国が竹島でいったいなにをやらかしているのか、
韓国が竹島領有の根拠のひとつとしているらしい「八道総図」(朝鮮をあらわした古地図)で、竹島の位置を改竄しているぞ~とか、
そもそも安龍福という男がいけないらしいぞ、とか、
そういった情報だな。

たしかに、たとえば実際に鬱陵島の独島博物館を訪れた人の体験談や、
韓国に在住する日本人が実際に見聞きしたことなどは、
貴重な情報であるのだけれども、
研究者が調査研究した結果とは、おのずから異なる。
インターネットで検索した情報は、えてして、断片的かつ玉石混淆であるため、総合的に問題をとらえる事がかえって難しくなる事があるのだ(笑)。

さて、そこで本書の登場というわけなのだが……。
ひととおり読んでみると、想像以上に、竹島問題は根深いという事がよくわかる。

たとえば、そもそも、竹島問題は、江戸時代に起因している。
当時の朝鮮と徳川幕府が、すでに、竹島の帰属について争っているというのだな。
ところがですよ。
その時に争われた「竹島」ってどこのことか。
……今の竹島とは違うよ?
鬱陵島のことなのです!
(この時の経緯から、鬱陵島「も」日本領だ、と主張する人も、いるんだそうな)。

で、この時から始まっている竹島問題、ややこしくしている大きな原因は、名称の混乱ってやつなんだよな~。

前述の事情からわかるように、昔は、鬱陵島が竹島と呼ばれてたのな。
じゃあ、今の竹島は?
……松島と言われてたんだそうな。

この「竹島」だけとっても、松島だとかリャンコ島とか竹島とか、時代とか状況によって、名前が変遷しているというか、幾つもあるというか、めんどくさいのだが、その中の「竹島」という名前が、またまた、他の島にも適用されたりしてしまう。
これはわかりにくい。

しかも、これらの島々は、朝鮮政府(当時)にとっても、徳川幕府にとっても、辺境の話なのだよ。
沿岸部では日本の場合、漁民の活動は活発だっただろうけれど、幕府が音頭をとって海洋事業に着手しているっていう事がないわけだろ。
一方の朝鮮も、倭寇対策などのため「空島政策」なんてものをとってたりして、あまり遠い海上の事情には通じていない。
現地の人や当時の地方自治体(から派遣された人) の報告をもとに判断するしかないわけなのに、また、それらが曖昧だったり、いい加減だったりする。
そりゃあ、科学的に正確な測量方法などない時代だろうから、無理もないのかもしれないが……。

そして、その「証言」を、自分や自国に都合の良いようにしちゃっている人もいる。
その典型が、冒頭にもちらっと出てきた安龍福という男だったりするわけなんだな~。
(この男だけでなく、役人なども、自己保身のため上が喜びそうな事をどんどんリップサービスしちゃうのな)。

それだけではない。
今もしばしば批判される、韓国朝鮮の、
「何事も自分たちに都合の良い結果をもとに判断する」
という傾向は、江戸時代からすでに見られたようだ。
実地検証をしないで、一番都合の良い説をとっちゃうんだね。
(これに対して、これまた江戸時代から、日本ではいろいろな人が、竹島について検証をしてきているようだ)。

現在、韓国が領有の証拠としてあげる当時の政府の資料も、実は、さように実地検証抜きで自国に都合の良いように作られてしまっているものだ、と著者は本書で検証している。

つまり本書は、竹島にまつわる歴史として読んでも面白いし、
パズルのような地誌学としても面白く、
かつ、現在の、日韓双方の対応のまずさについても指摘しているという興味深い視点もあり、
難しい問題を扱っているにもかかわらず、なんだか一気に読めちゃう面白い新書なのだ。


下條 正男
竹島は日韓どちらのものか
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2006-10-26 21:10:30

『どすこい。』 遠くから、四十七人の力士がやって来る!

テーマ:その他
地響きがする--と、思っていただきたい。
それは、読んだ人が腹をかかえて転げ回るために発する、どしんばたんという音なのだ。
笑い声は、これが似合う。
「ひっひっひっ……」
読み進むほどに、笑いは止まらなくなるかもしれない。
「ひーっひーっひーっ」
こうなると、笑い声だか苦しみの声だかよくわからないが、まあ、笑いなんてそもそも、そんなもんだ。

さて、本書は、京極夏彦によるシュールなギャグの連作短編集であり、いずれも、この記事の冒頭に掲げた一文……
「地響きがする--と、思っていただきたい」
から、始まる。
ただし、その地響きは抱腹絶倒する読者のものではなく、四十七人の力士の跫(あしおと)による。

早い話が、おすもうさんをテーマにしたギャグ小説なのだけれども、一編一編が、いろいろなベストセラーのパロディ仕立てになっており、かつまた、四十七というところで連想されるがごとく、全体が、忠臣蔵のパロディでもあり、そもそも本書は、かの四谷怪談もの『嗤う伊右衛門』の合間(?)に、書かれたものなのだそうだ。<歌舞伎の構成(忠臣蔵の幕間として四谷怪談が上演されるらしい)とは逆なのだということだ

ところどころで、
「太った人、あるいは力士を小馬鹿にしてるのではないかっ」
と 作中人物(!?)が指摘している、自虐的(いや、自ギャグ的)なところもあるが、どういたしまして。
行間からは、どちらかというと、「相撲」への愛情が感じられると思う。
また実際、作中人物としての京極夏彦は、太った人をキャラクターにすると、どうしても憎めないものになってしまうんだっ と述懐もしている。

目次と、各々の元ネタは
----------
四十七人の力士(四十七人の刺客)
パラサイト・デブ(パラサイト・イブ)
すべてがデブになる(すべてがFになる)
土俵・でぶせん(リング)
脂鬼(屍鬼)
理油(理由)
ウロボロスの基礎代謝(ウロボロスの基礎論)
----------
……わかります?

なお、文庫版の表紙と口絵を飾るのは、特別制作された「どすこいロボ」なんだそうだ。
これにも大受けした。


京極 夏彦
どすこい。
集英社文庫
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2006-10-25 23:00:17

『XENON』 連載再開される!

テーマ:海外SF・ファンタジイ
先月、徳間書店から『リュウ』という雑誌が復刊された。
そう、創刊というより復刊なのだ。

むかーし、私がまだ「ガキ」だった頃の話だ。
たしか最初はアニメージュの増刊という形で出たのではなかったかと思うが、リュウという漫画雑誌があったんだよ。
主にSFぽい漫画を主体にしていて、そりゃ面白かったのだ。
もちろん、その趣味を持つ読者には、だが。
参加している漫画家には少女漫画から来た人もけっこういて、おかげで少女漫画、読むようになった(笑)。
そう考えると私にとっては、恩人のような雑誌でもあるわけだが……。

長らくの空白期間を経て、先月、徳間書店から再び『リュウ』が月間漫画誌として出るようになったのだ。
かつての雰囲気をもちっと今の時代にあうようにして……という感じなのだろうけど、人気作家を原作に迎えたものも目に付く。

京極夏彦とか。
梶尾真治とか。
宮部みゆきとか。
(ただし、宮部みゆきのは、『ドリームバスター』の漫画化)。

今月発売された号からは、伝説的な(らしい)、道原かつみ版『銀河英雄伝説』も再開、と表紙に堂々書いてある。

しかしな、私にとってはもうひとつ感動的なニュースが……(笑)。
それが、神崎将臣の『XENON』連載再開だ。

もっとも、『XENON』がもともと連載されていたのはリュウではないのだけどな(笑)。
(講談社コミックスだったから、マガジン連載だったのかな。たぶん)。
  ↑SOW師から、連載当時はサンデーというご指摘をいただきました(感謝!)。最初のコミックスがサンデーコミックスであった事も確認。
これがね、往年の仮面ライダーファンのハートをがっちりとつかむような、そういう物語なんだよな~。

すなわち、世界征服を企む(たぶん)、悪の秘密結社(たぶん)により、望まずしてサイボーグとなってしまった高校生が、その「悪」に立ち向かうSFアクション漫画なのだ。

『鋼』と同じワールドだと言った方がわかる人は多いのかもな。
(おそらく物語中の時間軸でいえば、XENONの方が鋼より少し前になるのではなかろうか)。

しかし、残念なことに、『XENON』は、完結していなかったのだよ。

まあ確かに、物語はいささか、暗い。
希望も見えない。
なんつっても、絶望的な状況にありながら「闘う」というところがミソなわけだから。
巨大な悪に、悲運を乗り越えて闘う。
蟷螂の斧と知っていても立ち向かう。
そこがツボなのだ。

……いいんだよクサくても(笑)。

たとえば『仮面ライダー Spirits!』が好きな人は、きっと気に入るのではないかと思う。
ちなみに、リュウ創刊(復刊じゃねーのかよ!(笑) 記念として、廉価版コミックスがコンビニで発売されているらしい。
本誌中の広告によればね。


神崎 将臣
重機甲兵ゼノン 1 (1)
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2006-10-24 21:16:38

『どろんこハリー』 その犬はお風呂がきらいでした

テーマ:絵本・児童文学
幼い頃、友達の家にあった絵本を、ついに発見した!
それが本書『どろんこハリー』だ。

ストーリーは、まあ、たわいがない、と思う。
主人公のハリーは、黒いぶちがある白い犬。
犬にはありがちな事だが、お風呂がだいきらいなのだ!
そこである日、お風呂に入れられる前に、(お風呂用の)ブラシを隠してしまい、意気揚々と冒険に出かけちゃうんだね。
飼い主の家を出て、ともかく、あっちこっちで、思い切り、汚れるような事をするわけだ(笑)。

たしかにな~。
犬は、やるよな。
でも、犬だけじゃなくて、たぶん、そういう汚れる遊びは、子供も、好きな遊びだと思う。
あちこちで汚れほうだいに汚れたハリーは、表紙の右側の犬のようになってしまう。
で、どうなるかというと。
遊び疲れてそのまま家に帰ると。
「あれ? ハリーみたいだけど、これ、違う犬だよね……?」

犬も子供も、好きそうな遊びをハリーがいっぱいするというのと、
色の逆転の面白さ、
そして、これを書いた人と、この本が好きな人は、そりゃもう絶対に、外遊びと犬が大好きだよな?
という内容。

もちろん、ハッピーエンド。
実に楽しいお話なのだ。


ジーン・ジオン, わたなべ しげお, マーガレット・ブロイ・グレアム
どろんこハリー
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2006-10-23 21:39:48

『トッキュー!! (12) 』

テーマ:冒険・アクション
人命救助というのは、たいていの場合「命がけ」だ。
どんなに「助けたい」と思っても、それに見合う技術や装備がなければ、いとも簡単に二次災害が起こってしまう。
(溺れた人を助けるために飛び込んだ人が、溺れた人ともども溺れたり、助けるには助けたが自分が溺れ死んでしまうというのは、物語でもよくある話)。

本巻は、まさしく、そういう危険を中心においた話だ。

トッキューという、人命救助のエリートでも、不可能なような事故現場というのが、まず登場する。
これが、一般人ならば、
「ああ……ここに救助のプロがいたらなあ」
と思うだろうし、平均的なプロならば、
「ここにエリートの○○がいればなあ」
と思うだろう。
自分の力不足を嘆く時に、でも、そこにもっと技術のある「○○な人」がいれば、助けられたかもしれない、と、重荷を転嫁する事ができるのだ。

しかし、まさしくその「○○な人」にあたるトッキューだったら?
自分たちよりも上はいない、それがトッキューなのだから、もしそういうケースに遭遇してしまったら。
「次はない」。
つまり、次こそはそれを克服していなければならない、と思うのだろう。
転嫁できない重荷は、自分たちで背負うしかないのだ!

そのためにはどうするのか。
新たな装備を開発するか?
それとも、今までの技術をもっともっと高めるのか?
難しい選択だ。

実際、本巻のストーリーは、今までになくシリアスで重いのだ。
しかも、このテーマは本巻で解決されているわけではないので、単行本で物語を追う読者は、またしばらく、やきもきする事になりそうだ。

さて、画像にも腰帯がうつっているので、わかるかもしれないが、今回、講談社はちょっと面白い事をしている(笑)。
同じ少年マガジン連載の『ゴッドハンド輝』との共作である読み切り短編が巻末に収録されているのだ(『ゴッドハンド輝』の最新巻にも収録されており、そちらにはトッキューキャラを飾った帯が巻かれている)。
確かにな~(笑)。
かたや救助隊、かたや外科医。
共闘する事は大いにあり得るよなあ。

本編が今回重苦しいだけに、巻末のこの読み切りが、スカッとしていて余計に良い感じだ。


小森 陽一, 久保 ミツロウ
トッキュー!! 12 (12)
2006年10月17日初版
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2006-10-22 20:15:00

『オカマだけどOLやってます。』

テーマ:その他
『逮捕しちゃうぞ』とか、そうだなあ、古くは『ストップ!ひばりくん』とか、どういうわけか、少年漫画には、美少女とみまごうばかりの男が登場する漫画が、たまにある。
『逮捕~』の方は婦警さんをしてたりするようだが、現実にそれはあり得るのか?

う~ん。
公務員では難しいかもしれないけど……。
OLなら現実に存在するらしいぞ!
……えええ(笑)。
まじで?

……まじで。

本書は、まさしく、都内でOLをやっている、本来の肉体的性別は男であるはずの人……が、いかにして性同一障害であるかを自覚し、カミングアウトし、名前もちゃんと変更して、OLデビューし、OLとして働いているか……という事を、エッセイとして。つか、ブログとしてつづったものが本になったのだ。
ブログ自体はアメブロにあるそうな(だが、本は竹書房から出ている。アメーバブックスではない!)

もちろん、現実にOLをしているその人は、漫画に出てくるキャラのような「美少女」とか「美人」ではなさそうだ。
そして、こういうタイトルの本を手に取っちゃう動機は、やはり、最初の最初は、
「オカマの人。んでもってOL。どうやって? ていうかどんな?」
という、野次馬的興味である事は、否定できない。

しかし、実際に読んでみるとこれが面白いんだな(笑)。

古くから、男にとって、「女は謎である」なんて言われている。
そりゃもちろん、体の構造が違うのだし、生理的な差からくる理解の難しさというのがまず第一にある。
しかし、それだけでなく、どう考えても、男文化と女文化の違いというのも、あるのだ。

そして、言うなれば、性同一障害である人、というのは、本来の肉体が備えている性に準じて、まず、その肉体的性別が属する社会(この人の場合は、男社会)にいる。
でもって、そこから異性の社会に移る。
なので、 橋渡し役とか、解説役としては、非常に適任だということなのだ。

単に、
「女の人はどうやって化粧してんの?(ていうか化粧ってどんなの?)」
みたいな、「男が考える女の世界」の典型的質問リストの、答えのようなものもあるが、
それよりなにより、男感覚と女感覚の違いというのが、うまく説明されているのだなあ。

ゆえに、おそらく本書は、男にとって、
「現実の、女の世界とはどういう感じなのか?」
というものを、うまくガイドしてくれる本とも言えそうなのだ。

もちろん、普通はかいま見る事が難しい、女の日常生活を、なんとな~く「かいま見る」という、(当初の)野次馬的興味も、かなりのところ、充たされてしまう(笑)。
「うひゃあ~(笑)」
なんて声をあげたくなるような箇所もある(笑)。

一方、こういった障害に悩む人が、その事に自ら築くまで、どういう「こまったこと」があるか……という、シリアスな話も本書には含まれていたりする。
(あたりまえの事だが、やっぱ大変だよねえ)。

もともとがブログであるだけに、文字通り、ブログ感覚でささっと読めるのも、嬉しいといえば、嬉しい。


能町 みね子
オカマだけどOLやってます。
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