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2006-09-30 22:22:21

『ローゼン メイデン (7)』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
今、SF/ファンタジイ的に、非常に面白い展開になっていて、注目度の高い『ローゼン メイデン』。
単直にこの物語を説明すれば、ある天才人形師が、究極の少女(アリス)をめざして制作した一連のドール、薔薇乙女(Rozen Maiden)。彼女らは、絆を結んだ人間から「力」をもらうことで、互いに争い、「アリス」の座を得ようとする。
これは、そんな薔薇乙女のひとり、「真紅」に見込まれた引きこもり少年ジュンと、真紅はじめ、そこにつどう薔薇乙女たちの物語である。

こう要約してしまうと、
「なーんだ、ようするに、萌えな話?」
というように思えてしまうのだが、人形たちが力をふるう「n次元」、そこに跳梁する不思議な兎(もちろん、不思議の国のアリスといえばチョッキを着た兎はつきものなのだが)、このあたりがSF的な視点からもなかなか面白いのだ。
なぜなら、ここでのn次元は、あきらかに、人間の「無意識」と、夢を介してつながっているわけで、突き詰めていくと、n次元とは、一種のゲシュタルトでもあり、そうではない、虚無の海につながるような、反世界のようなものでもありそうだ。

下手すると、非常にスペキュレイティヴなSFにできそうな設定の上で、あえてユニークな人形たちを動かす、そして引きこもりの中学生を主人公(というか、主役の真紅に対するパートナー)として置く事で、物語を魅力的に、かつ、入り込みやすくしているのは、実に手際が良い。

逆に、そういう「人間的成長」の物語として読む人や、ひたすら、愛らしい人形たちにハマって読む人にとっても、このn次元が存在する事で、底知れぬ深み、あるいは「脅威」が物語に微妙な陰影を与えているように感じられるのではないか。

つまるところ、物語を構成している「SF的」「萌え」「成長ドラマ」が、大変バランス良くミックスされている、と言えそうだ。


PEACH-PIT
ローゼンメイデン 7 (7)
2006年9月24日初版
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2006-09-29 22:01:23

『グラン・ヴァカンス』〈廃園の天使 I 〉

テーマ:日本SF・ファンタジイ
インターネットがまだ産声をあげる前、パソコン通信というやつがあり、夜な夜な(いや、昼間も)そこでチャットしているヤツらがおり、
「こいつはもしかして、ネットに常駐している仮想人格なのではないか?」
というような噂が、当人のいるところを含めて、飛び交った事がある。
(SF者は、えてしてそういうことをやって楽しむ)。

実際に、一部のチャットサーヴィスには、低位な自動応答用人工知能、通称「人工無能」が設置されたりなどして、
「実体のないネットの仮想人格」
というものに関する妄想を盛り上げる一助になっていたかもしれない。

まあ、何にせよ、パソ通を含む「ネット」というものは、お互いの顔が全く見えない、基本的には、テキストベースのみのやりとりになるため、どうしても、このような、「仮想人格」……つか、ネット間の幽霊みたいなものが存在するという想像は、しやすいのだろうと思う。

では、これが、(まだ実現・普及していない)ヴァーチャル・リアリティの中なら、どうだろうか。

正直な話、VRによる「世界」で、人が「リアル」ではできない事をし、遊んだりくつろいだりするという発想は、SFとしてはすでにオーソドックスだ。
そこで何をするにせよ、そのVRがどんな世界であるにせよ。
そして、そのような空間に存在する「幽霊」もまた、オーソドックスなものとして扱われる。
(SF者は、えてしてそういう風に考える)。
しかし、たいていのSF作品は、そのメディアによらず、主人公は「リアル」から「VR」を訪れた人間ということになっているようだ。

しかし、ゲーム機でやるRPGなどを想像してみてもわかるとおり、特定の「架空の空間」には、主人公たちを支えるための、多数の「脇役」……RPGでいうところのNPC(プレイヤーが演じるのではないキャラクター)が存在しなければならない。
もし、それがVRであるならば、それらのNPCも、限りなくリアリティのある存在でなくては、興ざめしてしまうはずだ。
なぜならば、彼らのリアリティこそが、世界のリアリティを支える要なのだから。

では、そこから一歩進んで。
今のネットゲームのように、ユーザーがログインして遊びに来るタイプのVRがあった、としよう。
しかし、これまた今のネットゲームがそうであるように、人は流行にそって動くものだし、作り物は飽きられ、忘れられる事があるし、あるいはそのサーヴィスを提供している会社が、なんらかの理由でサーヴィスを打ち切る事もあるだろう。

ユーザーが来なくなったVRのなかは、どうなるのだろうか?

その世界を構成するNPCが、仮に、限りなくリアルなパーソナリティを備えた「キャラクター」であるとする。
彼らは、ユーザーの来ない世界でどのように暮らしていくのか……?
また、自分たちが人工のキャラクターである事を知りながら、かつ、リアルなパーソナリティをそなえたキャラクターとは、どのように生きて行動するものなのだろう?

そう考えると、なんか、不思議な気がしてこないか?

そう、この物語の登場人物たちは、まさしく、そういう「キャラクター」たちだ。
彼らは自分たちが、ひとつの仮想世界で「ゲスト」をもてなすためのキャラクターだという自覚がある一方、
あたかも、生身のふつうの人間のようにその世界で暮らしている。
ごくふつうの、
海岸のリゾート地の住人として、
千年もの長きにわたり、ゲストが一人も訪れないまま、過ごした。
それだけならば、もちろん、代わり映えのしない、退屈な物語になってしまうだろう。

だが、その「長すぎる休暇」を打ち破る、不可解な侵略者があらわれるのだ!
(SF者は、えてしてこういうシチュエーションに胸を躍らせる)。
いったい、その侵略者は、何を目的にしているのか?
どのように侵略していくのか?

そして、侵略を防ぐことは、できるのか……。

とても、とてもイノセントな、夏のリゾート。
それは、壊されていくごとに、実はその無垢さが、「汚され、虐待されるための純真無垢」である事が、多様な面から暴かれる。
そのプロセスは、レース編みのようなレトロさと、ヴァーチャル空間という最先端技術をうまくミックスさせた、不思議な魅力と、美しさと、そしてグロテスクさに満ちている。
歪みがあるゆえの美しさ。
まさしく、それは、バロックである。
(SF者は、えてしてバロックに恋着する)

今年の夏が崩壊した今、本書を手に、不思議な崩落感を味わうのは、興なるかな。
そういや、秋は、英語では fall ということだし(笑)。


飛 浩隆
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉
ハヤカワ文庫JA
2006年9月30日
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2006-09-28 20:43:54

『名誉王トレントの決断』〈魔法の国ザンス17〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
魔法の国ザンス、いよいよの17巻は、ハーピーとゴブリンの間に生まれた娘(翼あるゴブリン)、グローハが主人公。
ザンスは、必ず、主人公が何かを探索するという物語になっているのだが、グローハは自分の結婚相手となるべき人物を探求するのが目的なので、ある意味非常に「クエスト」としてオーソドックスな仕立てだ。

しかし、作者がピアズ・アンソニイである以上、オーソドックスといえども無事ではいられないわけで(違、
ザンスの物語にアダルトなシーンを持ち込まないためのユニークな発想、「大人の陰謀」を巧みに使い、
通常の……そうだな、D&DみたいなTRPGでおなじみのモンスターの性格とは異なる(つか、正反対の?)キャラクターをキャスティングし、にやにやできるダジャレ満載の物語になっているのだ。
しかも、最初からのザンス・ファンにとってはあまりにも懐かしい、トレントやクロンビー、アイリス、ビンク、カメレオンなどがゲスト出演するとあっては、さらに「あほみたく」にやにやせざるを得ないではないか(笑)。

とくに、このクエストのため、一時的に若返ったトレントが、すんげ~面白い(笑)。
彼がマンダニアに行っていた時どんな風に暮らしていたかとか、そういう謎も今回明らかになるのだ。
また、生きた類語辞典である女悪魔メトリアも、今回は「いままでにない」活躍をする。注目だぞ!

一風変わった、ザンス版『オズの魔法使い』的物語は、主人公が若い女性である事への期待を裏切らず、ザンスの物語としては驚くほど情熱的なロマンスとして終了する。
これまた、ある意味ユニークな事かも。

ところで、ザンスというと、ダジャレの国であるだけでなく、途方もない植物がたくさん存在する国でもあり、
たとえば、できたてのいろいろな種類のパイが実る「パイの木」とか、
さまざまな色や形のクッションが実る「クッションの木」のようなものが、
それこそ全土にありふれた植物として存在していて、ザンスの人の役に立っているのだけれども、
こうしてみると、アメリカ人って、ほんとのほんとに「パイが好き」なんだね(笑)。
しかも今回は、マンダニアからザンスに移住した人のひとりが、自家製の「ポテトチップス」を提供するシーンがあり、
(マンダニアでは南仏で暮らしていたはずの)トレントが、それを
「マンダニアのとてもうまいもの」
と表現するのは、う~ん……(笑)。

アメリカ人は、パイとオニオンリングとポテトチップスとポップコーンで生きているのか?
……と、言いたくなるほどなのだ(笑)。
まあ、ザンスでは、そういう食事も、ごくごく平凡なものに思えるんだけどね。

そういえば、トレントの過去があらわになる部分では、実名こそあからさまに書かれないものの、わかる人にはわかる、世界的に有名な画家も登場する。
さあ、ここでもにやりとしよう!
……え?
画家には詳しくない?
どうしても答を知りたい人のために、いちおう、記事の末尾に白文字で書いておきます。


ピアズ アンソニイ, Piers Anthony, 山田 順子
名誉王トレントの決断―魔法の国ザンス〈17〉
ハヤカワ文庫FT
2006年9月30日初版

問題の画家はヴィンセント・ファン・ゴッホ。彼は狂気に見舞われ、また精神病の発作なども手伝ってか、自らの片耳を切り落として親友におくりつけたという有名なエピソードがある。
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2006-09-27 23:30:37

『七王国の玉座 V』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
最近、日本のエンタテイメント作品では、ほんとうに、登場人物が死ななくなったと感じる。
それは、キャラ主体のエンタテイメントになると、制作者がキャラに愛着がわいて、殺すにしのびなくなったり、ファンの怒りが怖かったり(笑)、
あるいは非常に「現代人的な」ものの考え方を安易に適用してしまった結果と思えるものもあるわけだが、
人は、過酷な状況下では、たやすく死ぬものなのだ。
そして、ドライな言い方をあえてするが、
「人の命がなにより重いのは、平和で安定した社会でだけ、通用する話」
なのだ。

人が死ぬのは悲しい事であり、
人を殺すのはどんな理由であれ罪であるだろうけれども、
それでも、リアルな社会においては人は死に、あるいは殺される/殺すものなのだ。

小説も、ひとつの世界を創造するのであれば、そしてそれが平和で安定した社会でないのであれば、ある程度のリアリティを出すなら、当然、登場人物は、相応の状況で死に、殺され、あるいは殺さなくてはなるまい。

その点、本シリーズは実に的確に「登場人物が死ぬ」。
処刑されることも、暗殺されることも、闘って死ぬこともある。
端役だけではない。
舞台の中央にいた人物も、相応の状況で容赦なく退場させられるのだ。

おそらく、そういう「容赦のない描写力」が、ジョージ・R・R・マーティンという作家の魅力なんじゃないかと思う。
とくに、原書第1巻(文庫版だと第1部)の最後にあたる本巻では、ダニーの章が圧巻。
世間知らずの箱入り娘だったダニーは、みごとに「化ける」のだ!
今まで、歴史上のものであれ、架空のものであれ、みごとに戦国を描いた物語は多数あると思うけれども、女性キャラにここまでやらせる作家もそうはいないだろう。

文庫版は、毎度毎度、腰帯にいろいろな有名作家の推薦文が踊っているのだけど、それが単なるリップサービスに見えないのがスゴイ。


ジョージ・R.R. マーティン, George R.R. Martin, 岡部 宏之
七王国の玉座〈5〉―氷と炎の歌〈1〉
ハヤカワ文庫SF
2006年9月30日初版
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2006-09-26 23:14:53

『七王国の玉座 IV』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
いよいよ、七王国分裂の兆し。
スターク家は、長男がギリギリのところまでがんばるしかなく、急激な成長を見せる事になる。
一方、サンサとアリアの姉妹も、対照的ながら、大きな危機に見舞われる。
現在進行形の大河ファンタジイの中では、最も「ウォーゲームっぽい」のが本作だと思うが、政治的な駆け引きというか、そのための虚々実々のやりとり、人の動きが実に面白い。
登場人物同様、読者も、
「誰がどの陣営に属しているのか」
非常に読みにくい。
そう考えると、宦官のヴェリーズなどは、実に面白い特性のキャラだと言えそうだ。

一方、権力争いに参加する登場人物のうち、唯一の女性にして、七王国の島の外にいるダニーも、いちじるしい成長をするのが、たぶん、本巻。
次第に、兄と彼女の精神的な立場が逆転していくのも面白い。

ところで、権力争いといえば、とうぜん、そのゴールは「玉座」であるわけで、そもそもロバート王自身が、「王位簒奪者」だ。
もちろん、悪政をほしいままにしていた前王を倒したという形になっているのだけど、ファンタジイの(悪役ではない)登場人物としては、なかなか珍しいよなあ?
さらに、この玉座というのがなかなか興味深いのだ。
昔の王が、敵対者の武器を使って作り上げたとされるこの玉座は、まず、鉄でできている。
しかも、武器を「溶かして鋳造ないし鍛造しなおした」というわけではなく、武器そのものをぶっ叩いて、押し曲げて作ってあるんだな。だから、あちこちにギザギザとかトゲトゲがあるらしく、ただでさえ鉄で硬く冷たく座り心地が悪いのに、そういう特徴のせいで、ますます、長時間坐っているのが困難な椅子だとさrているのだ。
権力というものを、非常に皮肉っぽく表現したアイテムではあるまいか。


ジョージ・R.R. マーティン, George R.R. Martin, 岡部 宏之
七王国の玉座〈4〉―氷と炎の歌〈1〉
ハヤカワ文庫FT
2006年8月31日初版
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2006-09-25 21:22:27

『柳生忍法帖』 下巻

テーマ:歴史・時代小説
下巻では、いよいよ物語の舞台が、敵の本国である会津にうつる。
季節は秋から春にかけてなのだが、実は、考えてみると、物語の発端からラストまでで、ちょうど一年を経過する事になるのだ。
桜の季節から、桜の季節まで。
雪月花それぞれが、物語に風趣を添えている。

それにしても……。

下巻になると、十兵衛も「堀の女たち」も、活躍することはするのだが、
なーぜーかー、
武芸などその身に微塵も持たない坊さんたちが、一番目立った活躍をしてしまうのだ!(笑)

坊さんというと、一部の漫画や小説では、やたらと美形な坊さんが出てきたりなどして、「(いうところの9腐女子」の坊さんマニアなどもいるという話だけれど(笑)、
本作に登場するスゴイ坊さんたちは、ぜ~んぜん、美男でもなんでもない。
ただもう、
「死ぬことも修行のひとつ」
という一言に尽きる、犬死にではなく、かつ、全く命に執着する事なく激烈な最後を遂げちゃうのが、ほんと、読んでいて凄いのだ。
これに比べれば、芦名衆の異常さも、十兵衛の武芸の冴えも、どうってことないように思えるほど。

さらにもうひとつ、
敵の親玉芦名銅伯の娘にして、悪藩主の側妾である、おゆら。
彼女の妖艶さと、不思議な心の動き、なんともいえぬ恋心など、ほんとうはむちゃくちゃ残虐な女のはずなんだけど、なぜか可憐で儚く思えてしまうのだ。
いや、実際、本作のヒロインは、おゆらであるといって、過言ではないだろう(また、それは、物語のラストでも示唆される)。

彼女の残虐さは、ある意味、子供の残虐さと似ている。
どこか、純心なのだ。
あるいは、天衣無縫とでも言うべきか。

そういえば、山田風太郎って、こういう「どこか純心なところのある」妖艶な悪女を描くのがうまいよなあ。
おゆらは、その典型なのかもしれない。


山田 風太郎
柳生忍法帖(下)―山田風太郎忍法帖〈10〉
講談社文庫
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2006-09-24 22:33:12

『柳生忍法帖』 上巻

テーマ:海外SF・ファンタジイ
山田風太郎といえば、妖美華麗な忍者アクションというイメージがとても強い。
いや、エロティックさとグロテスクさが非常にうまくミックスされた「怪美な作品」と言う方が当たりか。
もちろん、これも、そういう雰囲気濃厚な物語なのだけれども、「忍法帖」と題されているわりには、即座に連想されるような、忍群と忍群のぶつかりあい!
……にはならない。

なんとも怪しげな能力をその身に備えた「芦名衆」、これは敵役であるから、山田風太郎作品らしく、華麗にかつ残酷に、闘って見せてくれるが、うーん、べつに、忍者というわけじゃないんだよな~(設定上も、いわば藩主の親衛隊みたいなもの)。
対するは、この連中に血族をむごたらしく殺された堀一族の女性七人、ということなのだが、もちろん、敵討ちを決意するまでは、たんに武士の娘というだけで、武芸を精進していたわけですらない。
もちろん、忍者ではない。
彼女らに味方する、沢庵禅師以下の禅僧も、もちろん、忍者とは違う。
また、彼女たちには、柳生十兵衛が「師匠」としてつくことになるんだけど、彼とて「忍者」とは違う。

では、忍法帖じゃあないじゃん!
……と、思うことなかれ(笑)。

そもそも、忍者とは、詐術や奇計を用いて、敵をあざむいたり攪乱するという存在なわけだ。
でもって、芦名衆がいかに異常な能力を持っていようが、
十兵衛が凄まじい剣の冴えを見せようが、
実はこの両者は、奇計と詐術をもって「虚々実々の駆け引き」により闘っているのだ。
その点がまさしく、本来の「忍術」合戦と言えるので、つまるところ、忍法帖というタイトルに間違いはないのだ。

しかし、たとえば『魔界転生』などに見るような、ともかくすごーい異能力者がめいっぱい活躍するような物語とは、やはり違う。
何しろ、いくら沢庵禅師の弟子僧とはいえ、なーんの武芸のたしなみもない坊さんが、禅僧らしい「覚悟」(つか、悟り?)を詐術にかえて、立派に敵に立ち向かっちゃうなんていうのは、全然、華麗な忍術(?)とは違うのだけど、シーンとしては凄まじい「冴え」があるのだ。
むしろ、十兵衛のスゴイ剣術シーンより、そっちの方が迫力がある。

また、武芸をそれまでたしなんだ事がないという設定上しかたがないところもあるのだろうが、「堀の女たち」も、常人離れした活躍をするわけではないため、山田風太郎作品にしては、
「華麗だがある意味、地味」
な作品にも思える。

思えるのだが、それでも、冒頭、いきなり鎌倉の東慶寺(あの有名な縁切り寺)に暴れ込む芦名衆という、もの凄まじいシーンが展開されるため、まずそこで読者は引き込まれてしまう。
そして、山田風太郎作品としては、なんとなくひと味違う(ようにも思われる)、物語の中に、ずぶっとはまりこんでしまうのだ。

さて、本作、文庫では上下巻になっているのだけれども、上巻は主に物語が江戸近辺を舞台とする。
幕府のお膝元であって、敵側も思い切った行動ができないという枷があり、
一方の「堀の女」は、敵討ちのために修行に励む段階というところで、
いろいろな制約のあるなか、戦いが繰り広げられるという、非常にテンションの高いものになっている。


山田 風太郎
柳生忍法帖(上)―山田風太郎忍法帖〈9〉
講談社文庫
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2006-09-23 22:18:27

浅羽莢子・斉藤伯好両氏のご冥福を祈ります

テーマ:海外SF・ファンタジイ
日本でSFとファンタジイのファンをしている者ならば、必ず訳者として見ているであろう名前、浅羽莢子。
この方の訃報が、一昨日あたりから、各所の知人を通じて伝わってきた。
公式の訃報があればと、待つつもりだったのだけど、なかなかニュース検索には出ない一方、ネットの口コミで伝えられつつあるようなので、ここでは友人のブログ をネタもととしてあげさせてもらおう。

浅羽莢子訳といえば、あれもこれもたくさんありすぎて枚挙にいとまがないけれども、SFでは昨日、一昨日記事としてとりあげておいた『クリスタルシンガー』及びその続編。
ファンタジイではなんといっても、タニス・リー作品が記憶に鮮やかだ。
流麗でありながら華美にに溺れることなく、醜いところは醜く、グロテスクなところはグロテスクに、野卑な部分は野卑に。
それでいて、一本芯の通った日本語としての上品さのある、すばらしい訳文を各所で堪能させていただいた。

また、斉藤伯好氏も亡くなられたとのこと。
浅羽莢子氏同様、あまりにも多数の、SFやファンタジイの訳書が並ぶが、SFファンは〈スター・トレック〉が脳裏に浮かぶだろうし、ファンタジイのファンなら、古くは〈紅衣の公子コルム〉、近くは〈時の車輪〉を連想するのではなかろうか。

惜しい方々が逝かれたと思う。
もはや、お二人の訳文が読めないのは、ほんとうに残念だ。

しかし、今はただ、お二人の上に冥福がありますように。
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2006-09-22 21:27:04

『キラシャンドラ』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
前作『クリスタルシンガー』では、大いなる挫折を経験し、なかば自暴自棄とも言える道を選んだかに見えたキラ。
実際、歌う水晶の星も、実に荒々しく、彼女の「当時の」感情にぴったりの世界だったといえる。

ならば、今回キラが向かう事になる星は?
イメージ的には、ハワイかタヒチあたりを思わせる島々を擁するその世界、血湧き肉躍る陰謀もあるのだけれども、その島々が、まるでキラも読者も包み込むかのような、心地よさを醸し出している。
前作と比較して、そこはある意味、パンチのなさにも感じられるのだが、キラの深く傷ついた心が、少しずつ癒される過程を描く部分でもあり、マキャフリイ作品としては意外にも(笑)、これ、癒し系なのですな。

かといって、キラが苦労しないかといえば勿論そうではないのであって、たとえば、パーンのシリーズでいうと、メノリを主人公とする〈竪琴師ノ工舎〉1作目と、傾向が似ているかもしれない。

そういえば、マキャフリイ作品には、主人公(とくに女の子?)が、見知らぬ土地でサバイバルする事になるストーリーがわりかしあると思うのだが、本作では、まさしく、定番の「無人島でサバイバルする」シチュエーションが登場。
といっても、ロビンソン・クルーソーみたいに苦労するわけではないのだが、どちらかというと都会派っぽいキラの、別の一面を見る事ができ、そういう意味でも楽しい。


アン・マキャフリイ, 浅羽 莢子
キラシャンドラ
ハヤカワ文庫SF
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2006-09-21 21:55:31

『クリスタルシンガー』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
マキャフリイ作品というと、鼻っ柱の強い女性が主人公というイメージが強いように思うが、その中でも、本作の主人公キラは、ベスト3(あるいはワースト3?)に入るかという鼻っ柱の強さ。
ちょっと立ち入った事を質問されようものなら、
「プライヴァシー!」
と厳しくはねつける。
その傲岸不遜なまでの態度が、まさしく「鼻につく」という理由で、読み手を選ぶというか、他シリーズに比べてファンの少ない作品だと思う。

しかし、そのSF的背景は、かのパーンのシリーズより、イマジネイティヴで、すばらしい。
それはひとえに、「歌う水晶」という秀逸なギミックによる。

ある惑星で切り出される水晶は、その独特な性質から、宇宙船の推進装置や通信装置、そして楽器にも用いられる。
稀少であり、当然、高価であり、また、美しい。
しかもこの水晶を切り出す鉱夫は、絶対音感を保有していなければならず、水晶に共鳴する「音」を、歌う事ができなくてはいけないのだ!

もちろん、それは、音楽的な意味での「歌」とは言えないし、途方もない嵐との競争でもあり、水晶を切り出すもの=クリスタルシンガーの生活は、美しくも荒々しいものとされている。

主人公キラは、プリマドンナ歌手をめざしていたのだけれども、その声に「瑕がある」ために、プリマドンナへの道を閉ざされてしまった学生という設定。
もちろん、プリマドンナになれないからといっても、たとえば合唱首唱者や、教育者という別の道に進む事はできるわけだが、しかし。
プリマドンナという地位をめざすような人物は、当然、高い自尊心を持っているわけで、
「舞台から退場する悲劇のヒロインのごとく」
キラは学校を去り、(声楽家からはさげすみの目で見られる)クリスタルシンガーの道を選んでしまうのだ!

自分がどうしても進みたいと思っていた道を、自分自身には何の落ち度もなく諦めなければならない、というシチュエーションは、ある意味非常に痛いものだが、そういった挫折感を味わう機会の増えた現代社会では、共感を得られやすいシチュエーションでもあるのではなかろうか。
過去に触れられる事への、彼女の強い反発心も、彼女が深く傷ついている事のあらわれなのだし、また、それを克服しようとするプロセスでもあるのだ。

「歌う水晶」というユニークなアイデアを背景に、キラというキャラクターそのものが、美しさの点でも、荒々しさの点でも、それと共鳴し合っている。
そこが、なんとも言えず、良い。


アン・マキャフリイ, 浅羽 莢子
クリスタル・シンガー
ハヤカワ文庫SF
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