1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /
2006-04-30 21:56:22

『策謀のイェンディ』〈暗殺者ヴラド・タルトシュ〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
これって、日本でのシリーズタイトルが〈暗殺者ヴラド・タルトシュ〉となっているのだが、実際には、この主人公、どちらかというと、ヤクザの親分である。
縄張り内の売春宿や故買屋などからミカジメ料をとりたて、一部を組織(もとい、この世界にあっては一族)に上納金としておさめ、一方、縄張りを守るためにカネと血をかけて争いあう。
しかーし。
それは単なる、主人公の「属性」であって、物語の本筋とは、実はあまり関係ない(笑)。

主人公ヴラドの住み暮らす「帝国」は、我々のような人類とはほんのちょっと違った種族、ドラゲイラ族のもの。
ドラゲイラは、血筋の源流に、それぞれ、特定の獣がまじっているそうで、たとえばヴラドがカネで身分を買った一族、ジャレグにしても、ジャレグという名の一種のワイヴァーンの血が流れているのだそうだ。

また、ドラゲイラは一族ごとに特徴が違い、場合によっては、なりわいも違う。
たとえば、ジャレグは、マフィアみたいなタイプの一族となっている(ヴラドも、一族の中の、偉いヒトに上納金をおさめているのだ)。
記録を残す事を重要だと考える一族とか、
軍務が得意な一族とか、
いろいろとあるなかで、今回タイトルに入っているイェンディというのは、陰謀術策が得意ということになっているらしい。

ゆえに、一見、ジャレグ内部の抗争としてスタートする物語だが、実際には、帝位をめぐる大がかりな陰謀であることが、少しずつわかっていくというわけだ。
こういうのって、現実世界を舞台にした冒険小説ならば枚挙にいとまがないが、全てをつじつまあわせて組み立てなくてはいけないファンタジイでは、ちょっと珍しいかもしれない。
なぜなら、何もかも作者が創造する必要のある世界では、それらに充分なリアリティを持たせるための緻密な設定とイベントの作成が、難しいからだ。
しかも、世界設定や陰謀の動機、手段などがそれなりにユニークでないと、ファンタジイで展開する意味がなくなってしまう。
その点、この作者は、実に巧みだと言わざるを得ない。

それなのに、だ(笑)。
1巻~2巻で、いかにも、そうした、マフィアっぽいジャレグとしてのヴラド・タルトシュを描いて面白さを演出しているにもかかわらず、あとがきによると、3巻ではぐぐっと方向性が変わるのだそうだ。
えー(笑)。
ふつう、ここまで筋立てを調えていけば、同じ路線で話を作らないか?
いやー、どんな風に新展開するのだろう。
7月に刊行されるという続きが、非常に楽しみじゃないか。


スティーヴン ブルースト, Steven K.Z. Brust, 金子 司
策謀のイェンディ―暗殺者ヴラド・タルトシュ
ハヤカワ文庫FT
2006年4月15日新刊
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2006-04-29 22:37:32

『危機を呼ぶ赤い太陽』〈キャプテン・フューチャー全集9〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
危機を呼ぶ赤い太陽……!
なんとスペオペ的なタイトル。
しかし、これ、物語の内容をいまひとつあらわしてはいないような気もする。
なぜなら、まず第一に、ここでいう「太陽」とは、我々の「太陽」ではなく、別の恒星のことだし、
危機を呼ぶといっても、別にその太陽(恒星)になんらかの危険が生じるわけではないのだ。

キャプテン・フューチャーものでは、ほとんどの物語で、太陽系における政治的な/経済絵tきな覇権を狙うため、いろいろな方法で、なんらかの「危機」を引き起こすということになっているのだけれども、今回、そのために狙われるのは、人間に健康と長寿をもたらすサプリメントの、原料となる植物なのだ。

しかし、これ、今読むと、ネタとしてはあまり面白いとはいえない。
なぜかというと、人間の寿命は、たとえば日本では、そろそろ、80歳なんか普通になっちゃって、100歳だって、さほど珍しくはなくなってしまった。
また、サプリメントそのものが、非常に日常的なものになってしまい、それだけに、
「すごい機能をいたっていたとしても、それがなくてはどうにもならないというほどスゴイものはない」
というのが、常識になってるよな。
いや、もちろん、いずれはそういうものが出てくるのかもしれないけど、そこまで、社会的に依存性の高いものが、はたして認可されるかは疑問。

ただ、これは、物語の発想に現実が追いつき、差異を生じてしまったためなので、痛快なシリーズといっても、ものによってはこいういう事が起きてしまうのは、仕方のない事なのかも。

むしろ、物語の本筋とは関係が薄い、かの人工惑星についての言及の方が、にやりとさせられてしまう。
キャプテン・フューチャーが主導したものとはいえ、この人工惑星ができあがると、それこそ「政治的に」、許可を得ずに、いろいろなマイノリティが惑星上へ侵入し、そのため、惑星上の環境が、当初の予定とはずいぶん違ったものになっていくという話。
こういう発想の方が、いろいろなシミュレーションになじんだ現代の我々には、むしろ面白く感じるのだ。


エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
フューチャーメン暗殺計画/危機を呼ぶ赤い太陽 <キャプテン・フューチャー全集9>
創元SF文庫


旧ハヤカワ版はこちら。
エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
危機をよぶ赤い太陽
ハヤカワ文庫SF
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-04-28 21:20:58

『フューチャーメン暗殺計画』〈キャプテン・フューチャー全集9〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
物語の内容をわかっている画家が、表紙を描く。
実に、読者にとってはラッキーなことだ。
この全集、合本形式であるのにあわせて、表紙は必ず、2分割され、左と右で、それぞれの物語の内容をあらわしているという形式なのだが、今回の表紙ときたら、2分割されているようでもあり、されていないようでもあり。
いや~、主人公とヒロインだけ見れば、全く分割されていないようだが、背景はきっちり2分割。やるな!

さて、本作はハミルトン自身によるものではなく、実際には、これまた、サマクスンの手によるものなのだ。
サマクスンがフューチャーものを書く場合、それまでにハミルトンが使ったキャラクターやガジェットを利用するというのがおきまりだったのだけれど、今回はそうでもない。
また、科学的な着目点は、サマクスンの方が、やや、こだわりがあるように見える(単なる使いこなしの問題や、作品に対するスタンスの問題かもしれないが。ハミルトンに科学知識がない、というわけではないから)。ちと表現が微妙になるのだが、サマクスンの方が、たぶん、ハミルトンよりも若く、少しばかり、後の時代のSFやスペオペに近い創作姿勢なのだと思う。

つまり、ガジェットはガジェット、ストーリーの展開はストーリーの展開、と魅力がふたつにわかれており、ハミルトン自身の書いたフューチャーもののように、それらが渾然一体とはしていないのだ。
どちらが良いかというのは、これは読者の好みによって、違ってしまうだろうと思う。

さて、今回のネタは、なんつっても第一番に、
「カーティス・ニュートンが暗殺未遂され、記憶喪失に!」(しかもご面相が一時的に変わってしまう)
というものだ。
ああ、言い忘れた。
上の画像、右側が、そのカーティス・ニュートンなのだよ。
髪の毛が黒っぽくて、ヒゲがあるだろ?
ここには描かれていないが、いささか醜い傷跡まで、顔にあるという。
その変貌ぶりときたら、ジョオン・ランドール(左側の女性ね)ですら、ひと目では咄嗟にわからないほど。

そうこうしているうちに、キャプテン・フューチャーとフューチャーメンのニセモノが現れて、物語は、
ホンモノのフューチャーメンおよび記憶喪失のカーティス・ニュートン、
まるっこニセモノのキャプテン・フューチャーとフューチャーメン(しかもコメット号は彼らに奪われている)、
キャプテン・フューチャーとフューチャーメンを暗殺しようとしたやつ、
この三者が、ある意味、三つどもえで虚々実々の駆け引きをする事になる。

暗殺のそもそもの原因になったのは、キャプテン・フューチャーたちが主導して、太陽系内にもうひとつの惑星を人工的に作ろうという計画だが、
それが、各惑星の人口増加問題によるもの、とされているのは、興味深い。
今でこそ、地球の人口問題など、誰でも知っているような「問題」だが、40年代には、どれほど注目されていただろうか?(まだ注目など、されていなかったかも?)。

人工惑星にしても、今なら、SFファンは即座に、
「ダイソンスフィアは? せめてリングワールドは?」
と言ってしまいそうだが、この作品が書かれた時代ならば、人工惑星という発想は、まだまだ壮大だったと思われる。
そして、太陽系内にそういうものができるという事は、物語世界にとって無視できないし、面白いとも考えたのかもしれない、後にハミルトンは、ちゃんとこの人工惑星について、物語の中で言及しているのだ。
ただし、ちゃんとひとひねりした上で(笑)。


エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
フューチャーメン暗殺計画/危機を呼ぶ赤い太陽 <キャプテン・フューチャー全集9>
創元SF文庫


旧ハヤカワ文庫版はこちら。
エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
フューチャーメン暗殺計画
ハヤカワ文庫SF
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-04-27 21:47:27

『六千人の命のビザ』 ほんとうの勇気というやつ

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
命のビザ これは、杉原千畝の夫人、杉原幸子が、かの名高い「杉原ビザ」発給の経緯と、夫妻のその後(氏の死後まで)を回想し、つづった本だという。

え。杉原ビザを知らない?
では、簡単に説明しておこう。
第二次大戦が始まる前、リトアニアに領事代行として赴任していた杉原千畝(すぎはらちうね)は、ナチスドイツによるポーランド侵攻を逃れてきたユダヤ人に対し、外務省の命令に反して、可能な限り多数のビザ(日本を通過しても良いという許可証)を発行した。
このビザのおかげで、多数のユダヤ人がナチスドイツの手を逃れて、日本を通過し、安全圏へ脱出する事ができたのだという。
そして、この時に杉原千畝によって発行されたビザが、通称、杉原ビザ。

これは、当人の妻が書きつづったもの、すなわち、自身もその場に居合わせて、つぶさに状況を見てきた第一人者の筆による回想記であり、当時の緊迫した状況と、その後の展開が、誇張のない迫真性をもって語られている。

日本人にはなかなかなじみのない、第二次大戦前夜~枢軸国敗戦後のヨーロッパを、日本人の目から見た記録としても、非常に興味深く、
自らの危険をかえりみず、多数の人の命を救うために働いたという感動のノンフィクションとして読む事もできる。
あるいは、本書の後半において、これまた普通の日本人にはほとんどなじみのない、ユダヤ人という特殊な民族の、側面を知る事も可能だ。

しかし、何よりも素晴らしく思えるのは、ここで語られている杉原千畝の横顔が、真の勇者であるという事だ。
聖書には(ちなみに、杉原夫妻は、ともにロシア正教の信者であるということだが)、
「他人のために命を捨てるほど尊い”愛”はない」
という事が説かれている。
たしかに、誰かの身代わりになって死ぬということは、尊い行為だと言えるだろう。
多数の人のために命を捨てるのならば、さらに崇高な死だと言えるかもしれない。
でも、死んでしまったらそれっきり。
また、「自分のために命を捨ててもらった」人は、残されて、どんなにかやるせない気持ちになるだろうか。

そう考えるならば、
「その行為は、一面正しくないかもしれず、従って、その責任は自分がとらなくてはならないが、その結果として多数の命を救う事ができる行為を、覚悟の上で敢然と行う」
これには、死ぬこと以上の勇気が必要なのではないか?
しかもこの場合、犠牲となるのは自分の将来だけではなく、妻子にも、大きな影響が出てしまうかもしれないのだ。
(また、その事は全て承知で夫を支援した夫人も、同様に、大いなる勇気があったと言うべきだろう)。

実際、杉浦千畝は苦難の末に帰国すると、外務省から解雇されてしまう。
それが、「この行為」が原因によるものなのかどうかは、全く不透明という事だが、
最低限、外務省が、ユダヤ人との間に太いパイプを持ち得た外交官の利用価値を認めず、全く評価しなかったというのは事実だろう。

杉浦千畝当人にしてみれば、やはり、リトアニアにおけるビザ発行(命令無視)のために解雇され、その後大変苦労をしなければならなくなった、と感じざるを得なかっただろうと推察する。

しかし、幸子夫人によれば、たとえそう思っているような節が、まれに見られたとしても、
表だって不服を言うことなく、
何者をも非難することなく、
また、その行為を自ら誇ることなく、
「ただ、人間としてあたりまえの行為である」
とみなした杉浦千畝(そして、同様の態度をとり続けた幸子夫人)の、そのスタンスこそ、真に勇気のある決断であり、勇気のある行為だったと思えるのだ。

いついかなる時も、どのような状況でも、
命を捨てることより、生き延びる事の方が難しく、
生きて自分のなした行為の結果を受け容れる事はさらに難しい。
だからこそ、それを成し遂げた杉浦千畝という人物は、まことの勇者なのだ。

今、杉浦千畝は、「異邦人(非ユダヤ教徒)のなかの聖なる人」として、イスラエルで永遠に記念され、記憶されているという。


杉原 幸子
新版 六千人の命のビザ

※ 遺憾ながら、本記事に対する海外からのコメントスパムが激増している為、本記事に限り、コメントの受付を停止いたします。ご面倒ですが、本記事へのコメントは掲示板 をご利用下されば幸いです。(2006/05/30)
いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-04-26 21:52:30

『火星航路SOS』 1931年、人は宇宙を夢見た

テーマ:海外SF・ファンタジイ
E・E・スミス、または親愛をこめてドク・スミスと呼ばれたアメリカの作家は、かの〈レンズマン〉および〈スカイラーク〉、両シリーズを生み出した、「スペオペの父」である。
そんな事は、SFファンならたいてい知っているわけだが、あまりにもこのふたつのシリーズが名高いため、ドク・スミスの単発作品については、ほとんど語られる事がない。
しかし、『火星航路SOS』という作品が、かつてハヤカワ文庫SFからはしっかりと刊行されていて、それは、めでたく今年になって復刊されたのだ。この画像が、新装版『火星航路SOS』の画像。

さて。
この物語が世に出たのは、1931年のこと。
巻末に堺三保が解説しているとおり、この時代には、まだ、コンピュータもなければロケットもない。
そうだろ?
1930年代だよ。
ロケットの原型が登場したのは第二次世界大戦なのだから……それよりだいぶん前ってことだ。

ゆえに、これは1930年代に想像された「未来の太陽系」だ。
宇宙空間には「エーテル」が満ちており、
コンピュータなどというものはまだ想像すらされておらず、いや、それどころか、トランジスタ「すら」ないため、想像された宇宙船や惑星巻通信機には「真空管」が使われており……。
そして、地球の人間とはいささか異なる形ながら、金星にも火星にも、それどころか、木星系にも土星系にもヒューマノイドがいる。
そうだなあ。
我々の宇宙とは似て非なる「並行宇宙」とでも考えれば、現代人にはすんなり読めるだろうと思う。

とはいえ、ドク:スミスは、30年代なりの科学知識を用いつつ、
異質な環境下で生活する人々にとっての判断基準は、地球人とは全く異なるだろうということなどを、みごとな例をあげて主人公に説明させるなど、物語中のSFマインドは、やはり、すばらしい。

一方、後年〈レンズマン〉シリーズなどに登場する、トラクター(牽引)ビームの原型などが、すでに登場している事などは、なかなか興味深い。
思えば、その発想は、アメリカのSF界に大きな影響を与えたに相違ない。
70年代くらいまで、ある種の光線(など)によって、人や物体が移動するという光景、またそのようなガジェットは、頻繁に「SF作品」に登場しているのだから。
今の我々が考えれば、
「いや、それはちょっと……?」
と首をかしげてしまうようなものだけれどね。
(もっとも、SFファンとしては、そこでトラクター・ビームを否定するより、なにかうまいことつじつまをあわせて、それが「可能」になるような、現代風のガジェットを考えてみたいところ)。

もちろん、この作者の手によるものなのであるから、ストーリー展開は文句のつけようもない冒険物語であるし、ある意味レトロな、その作品世界は、かえって新鮮で楽しめるものと言えるかもしれない。


E.E. スミス, E.E. Smith, 井上 一夫
火星航路SOS
ハヤカワ文庫SF
2006年3月31日リニューアル新刊
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-04-26 15:01:28

『嫌韓流2』

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
嫌韓流……。
非常にわかりやすく、かつインパクトのあるタイトルなのだが、その一方で、誤解を招くタイトルだとも思う。

実はこの漫画、タイトルのような、
「韓国(韓流)が大嫌いだ!」
……と、言っている漫画じゃあ、ないのだ。

しかし、韓国が嫌い、という現象を否定しているわけでもない。
実際、
「韓国は、知れば知るほど、嫌いになる国だ」
という事は、明確に書いている。

シンプルにまとめてしまおう。
今まで日本人が、ほとんど興味を持たなかった韓国という国が、お隣にあります。
実はその国というのは、日本に似ているようで全然似てはおらず、
しかも、知れば知るほど、日本人には馴染みにくい、嫌いになるような特徴が多々ある国である。
それは単純に、朝鮮民族の民族性に理由があることもあり、
韓国(または朝鮮)という国の、国策から生じる現象でもある。
しかるに、今まで日本のマスコミが喧伝し、あるいは隠蔽してきたことにより、かたちづくられた、かりそめの「韓国と日本(北朝鮮と日本)」という姿ではなく、たとえ嫌いになるような部分があったとしても、韓国や朝鮮民族のほんとうの姿を知り、それを乗り越えて、真の友好というゴールへ向けての手探りをしてみよう。
そういうアピールをしているのだ。

つまり、嫌韓流、という本は、今現在、日本に、韓国(朝鮮)が嫌いである人が増えてきているという現象を踏まえた上で、
なぜ、そういう事がおこるのか、実際の韓国や朝鮮はどういう事をしてきているのか、どういう国であり民族なのかという事を、かなり手際よくまとめて提示し、
かつ、そこから目をそらさない事が、ほんとうの友好につながるんだ、と主張しているというわけ。

漫画とは、そもそも、カリカチュアという技法の上になりたっているものであり、
絵柄も、ストーリーの組み立て方についても、
有る程度パターンを踏んだり、特徴を誇張するかのように描いたりするのは、別に、不自然ではない。
(もっとも、わざわざ、それについて今回の2巻で断り書きが途中に挿入されているということは、まさしくその点について、クレームがあったのだろう)。

とはいえ、2巻は竹島の日(2月22日)にぶつけて発売するなど、確かに、一見、あざといと思われるような売り方をしている事も事実だ。
出版社側は、少しでも日本の読者に、日韓問題のひとつとしての「竹島の日」や、それにつながるさまざまな日韓問題に思いをいたしてもらうため、と理由を述べてはいるのだが。

さて……。
前述の通り、「手際よくまとめている」という事は、たとえばネットや、その方面の書籍を通じて、日韓関係や韓国の現代の事情について読み聞きしている人にとって、本書はなんら珍しい問題や情報をあつかっているわけではない(笑)。
あくまでも、この問題について、入門書的な啓蒙漫画であるというスタンスは、変わっていない。

しかし、1巻ではあまり目立たなかった、
在日韓国人(朝鮮人)の問題が、今回はより大きく扱われている。
日本に帰化するのか、それともしないのか。
帰化問題には、いったいどういう影響があるのか。
考えてみれば、外国に帰化せず、居住する朝鮮民族は、別に、「在日」に限らず、「在米」(あるいは、在欧)も含め、世界の中で、ちょっと特殊な位置にあるようだ。

不思議にも、彼らは、韓国に住む事をよしとせず、
それでありながら、外国に住んでそこへ帰化する事もしない。
日本の場合、他の国とはもちっと違う事情が彼らの間に存在する事が、本書にも述べられているけれども、実は、居住国に帰化せず、外国に住んでも祖国への過度とも見える愛国心を捨てず、排他的である、という特徴は、居住国によらず共通らしい。

そういう問題を扱う事で、1巻では、日本と韓国という、2国間についてのみ、スポットをあてていたのだけれども、2巻では、もうちょっとグローバルな視点から、「韓国」または「韓流/嫌韓流」という現象を見ようとしていると言えば良いだろう。

ただ、漫画という、ある意味、ただのテキストよりも紙幅を多く必要とする媒体であるだけに、とりあげている問題ひとつひとつについては、かなりかけあしになっているとも言える。
入門書、と私が評する原因も、ここにある。
だから、この漫画で
「へえ~、こんな事もあるのか~」
でも、その詳しい情報はどこ、と思った場合は、とりあえずネットで検索してみて、
更に興味がわいたならば、その方面の書籍を複数著者にわたって、読んでみるのがよろしかろうと思う。

なににせよ、ほんとに相手と仲良くなろうと思ったら、美点ばかり見ているわけにはいかないし、欠点は直視した上で、受け容れるべき部分は受け容れ、毅然として拒否すべきところは拒否しなければならないだろう。
それは、個人間でも、国家間でも、同じ事だ。

ところで。
最近は、インターネットという便利な媒体があるため、場所によっては、日本の個人と、韓国人(あるいは、韓国の外に住んでいる在外韓国人)と、直接やりとりができるようになってきてるよな?

たまたま、そういうチャンスを得て、コメントなどをかわしあった時に改めて気づいた事だけれど、
韓国の「反日活動」が日韓のマスコミによって喧伝されてしまうために、
韓国人は、日本の箏を良く知っているのではないか、という錯覚が生じてしまうことだ。
たしかに、韓国人は、日本人が韓国に対して持つ興味より、はるかに大きな関心を日本に対して持っているかもしれない。
しかし、彼らが日本や日本人について持っている知識は、
韓国政府による教育(歴史教育をもちろん含む)、
韓国マスコミによる報道、
といったようなフィルタを通したものなのだということ。

たとえば、韓国人の多くは、日本の教科書が「国定教科書ではない」という事を、知らないようだ(韓国の教科書は、国定教科書一種類だそうだ)。
したがって、日本人の歴史観が、学校教育外でも、いろいろと入手できるさまざまな本によって育てられ、個人の格差が大きく、かつ、視点もそれぞれ違うという事も、あまり知られていないようだ。
そして、中国や韓国の歴史が、古代から連綿と、「現体制によって現体制を正当化すべく、選択的に歴史的事実を編纂したものを正史とする(歴史的事実の検証を行わない)」という事も、どうも知られていないように思われる(知っていたとしても、日本の歴史もそうだと思っている人がいる)。

また、本書にも(もちろん、いささかの誇張を含めて)描かれているように、
遺憾ながら、現在の朝鮮民族は、まだ、
「議論をする時に、証拠となる事実を提示する、しかもその証拠を検証する(または検証されている事実を示す)」
という事を、知らないようにも思われる。
これは、国際的なつきあいをする場合、大変困った事だし、ぜひとも、韓国には学んでもらわなくてはならない事だけれど、そのためには、継続的に、韓国(人)を相手とする国(人)が、いろいろな形で示していかなくてはいけない事だとも思うねえ。

もっとも、私は、だからといって相手(韓国)を見下すような言辞には、大いに反対するが。



山野 車輪, 山野 車輪
マンガ嫌韓流2
いいね!した人  |  コメント(15)  |  リブログ(0)
2006-04-26 12:18:42

『創竜伝』 あるいは理想の兄弟関係というもの~あいつバトン

テーマ:日本SF・ファンタジイ
大学時代、教養課程で履修した社会学によれば、「家族」とは、最小の社会の単位であるそうだ。
それゆえ、構成単位相互の関係は、良くも悪くも濃密である。
濃密であるからこそ、いやなところが鼻につき始めると、たとえようもなくいやになってしまうのであり、現実の家族関係は、「子供が成長するほど」、年上の家族との間柄に、歪みやヒビが入りやすくなるものだと思う。
また、家族(というか、親子兄弟の関係)は、自ら望んで相手を選んだものではないため、血縁関係があろうとも、
「どうもしっくりいかない」
などという事もあるだろう。

とはいえ、良い面での濃密さは、非常に心地よいものであり、したがって、人はある意味、常に理想の家族関係を追い求めていると言っても良い。
いや、まあ、現実に難しいから余計に、「良い面だけ」味わえそうな、架空の家族関係というのが好まれるのだろう。
そういう点で、私が、ちょっと理想だと思うのは、『創竜伝』の家族関係だ。
つっても、これ、兄弟だけだけどね。

両親が既にいない。
若い長男に家長の責任がかかる。
これは、現実的に、客観的に見ると、決して理想とは言えないが、四兄弟の関係というのは、実にバランスが良く、かつ、ほほえましく、読んでいて心地よいものなのだ。
四人のキャラクターは、みごとなまでに、それぞれ違うのだが、長幼の力関係にストレスを(さほど)感じることなく、互いを尊重し合った兄弟として機能している。

基本的に一話完結式ではない長編として、長年続いているため、最近の巻では、いささか物語が冗長であったり、脇道にそれすぎていたりして、読者として、ちょっとついていけない感じがしなくもないが、1巻だけは、絶対に面白い。
名作である。
四兄弟の人間関係が読者に「心地よさ」を提供しつつ、
アクションとしても派手であり、
かつ、「善悪」の構図がシンプルでわかりやすく、
しかも、主人公である四兄弟が、いわゆる「正義」を鼻にかけないため、昔の勧善懲悪劇のような、ストレートすぎて(現代の)読者が鼻白む、という事もないからだ。

いやー、こういう兄弟関係が実現できたらなあ(笑)。
しかし、現実には、家族関係は(夫婦や養子縁組を除き)自分で選択できるものではないため、なかなか難しい。

しかし、心やすくなった相手、しかもネットというワンクッション置いた世界では、こういう疑似的兄弟関係を結びやすい。
古くはパソ通でもしばしばあった事だし、
インターネットになってからでも、ある程度密度の濃いコミュニケーションが生まれる場所では、そういった関係が芽生える事がしばしばあるようで、私の場合、まず、インターネット上のゲームで。
次に、ブログで。
そういう関係を結んだ相手がいる。

前者は、ある学園ゲームで知り合った相手で、偶然にも同じアメブロにブログを開設している「りゅうり(流離) 」氏。あちらが兄貴、私が弟である。
面白いことに、こういう関係は、現実の年齢性別学歴経歴とは全く違う、
コミュニケーションの上でにじみでてくる人格(キャラクター)
の相互関係のみによって生じるものなので、たとえば、ネットで出会う前に現実(オフライン)で出会っていたなら、まずこういう関係は結ばれなかったであろう。
なのに……、というところがネットの面白いところでもあるわけだな。

さて、この兄貴から、
「バトンをまわそうと思ったが」
指名されかけた記事 があるのだが、これがなかなか、面白そうだ。
『あいつバトン』という名前で、なんと、バトンを回してきた相手についてとことん語るというものなのだ!

つまり……言いたい放題OK?(笑)

ある意味、まわすのに度胸がいるバトンだよなあ。
逆に言えば、信頼関係のある相手にしか、まわせません( ‥)/

では……。

1 あいつの名前を教えてください。
  本名はもちろん、オフレコである(知ってるけど)。
  知り合った時は、ゲームのキャラクターの名前だった。
  しかしここはアメブロなので。
  アメブロでのHNは、りゅうり(流離)。
  しかーし!
  その名前で呼んだ事は(ほとんど)ない。
  兄貴だし。

2 ぶっちゃけあいつとどういう関係?
  ネット(ゲーム)上での兄弟。
  たまたま、キャラの誕生日が1日だけ、あちらのが早かったんだよな~。それで強引に、ゲーム内のチャットで「こっちの方が兄貴!」と主張されたのだが、もしかすると、それ以外にもいろいろと、そうなる要因が、あったのかもしれない(笑)。いや、たぶん、あったのだろう。でも、そういうことは、暴かぬのが花というものだろう。

3 あいつを色でたとえると?
  水色。アクアブルー。#00FFFF。RGBなら[r000g255B255]という色。
  しかし、この色名はくせ者だ。水色というのは、空の色と同様、可視光線の一部が散乱して生じる、仮想の色だからだ。すなわち、状況によっては、色合いがかわるものなのだ。私にとっては、「この色」なのだが、別の状況では、おそらく、違うトーンに見えるだろう。それがわかっていて、なおかつ、「この色」であるところが良いのだよ。

4 あいつを四文字熟語で例えると?
  春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)。
  辞書をひもとけば、「春の風がおだやかに吹く様子」であり、転じて「態度や性格がのんびりとしておだやかなようす」という意味だ。しかーし。そういう外見状況にのみだまされていると、うっかり花冷えで風邪をひいたり、春一番の強風で吹き飛ばされたり……。いや、駘蕩ならそういうこともないか? たぶん(笑)。とはいえ、単にのんびりしているように思えても、実はなにかただならぬものがあるのかもしれない。そういう一抹のスリルは、ひそんでいるのだ。

5 あいつの良いところ、ひとつ教えて。
  え。ひとつで良いのか(笑)?
  それはやはり、まず第一に、滅多な事では怒らないというところ。それも、単に「耐えている」というのではなく、「気持ちに余裕がある」という方向で、という点が大事。しかし、別にヌルい人間(なのか?)というわけではなく、親身になるところはきっちりと、親身に尽くせるというバックボーンがある。
これがあるから、「兄貴」と呼べるのだ。

6 あいつの嫌な所ひとつ教えて。
  ない。

7 あいつに唄わせたい歌は?
  子守唄。但し私がいないところで!(なぜ)

8 あいつと遊びに行くならどこ?
  目黒の寄生虫館。きっと「いやだ」とは言わないと信じている(笑)。

9 あいつと一日入れ替われたら、何をする?
  逆転した兄弟関係を楽しむ。たぶん。

10 この場を借りて、あいつに言ってやりたいことがあれば。
  一緒に道場に行こう!(謎)

11 あなたについて答えさせたい、次の回答者を最大5人まで。
  では、ネットの(疑似)兄弟関係でつなぐということで、ペトロニウスさんとつなさん。
  もちろん、全く強制ではないので、気が向いたらでOK。
  そして、お二人以外の人でも、もちろん、OK(笑)。
  



田中 芳樹
創竜伝〈1〉超能力四兄弟
いいね!した人  |  コメント(14)  |  リブログ(0)
2006-04-25 23:12:12

『魔法の月の血闘』〈キャプテン・フューチャー全集8〉

テーマ:海外SF・ファンタジイ
魔法の月……。
このフレーズだけでは、まるでファンタジイのタイトルみたいだが、違う。
キャプテン・フューチャーである!
スペオペである。
では、魔法の月というのは何か?
キャプテン・フューチャーのスゴイ科学力による、月の事なのか?
いやいや。
月といっても地球のじゃあ、ない。
冥王星の第三衛星ステュクスのことだ。

ステュクス人というのは、その「想像力」を「創造力」にしてしまう、面白い衛星人なのだが、その能力によって、ステュクスは、「魔法の月」と呼ばれているわけなんだな。
ここに、富を求める者なら、誰でもほしがるダイヤモンドの鉱脈がみつかり、
機械文明を忌み嫌うステュクス人の反対を押し切って、太陽系各地からいろいろな「悪人」が集まってくる。
中でも瞠目に値するのは、ある企業家の、とんでもないアイデアだったのだ(笑)。

それはなんと、映画のロケ隊を使って、現地へ赴き、権益を(なしくずしに?)手に入れよう、というもの。
あ、いや、シンプルにまとめているので、実際にはもうちょっといろいろあるのだが。

でね、何の映画をとるか、それが笑えるのだよ。
キャプテン・フューチャーの映画をとる、というのだ。
しかも、陰謀を暴くために、キャプテン・フューチャー自身が、身元を隠して映画のキャストに応募するときては、なかなかこたえられない展開じゃないか。

映画、とくにアメリカ人と映画、なーんていえば、当然ハリウッド映画が浮かぶわけだし、あの華やかな世界と、スペオペなんていうやつは、とっても相性が良さそうなのだが、それが意外と、映画を題材にしたスペオペってないんだよなあ。
(ヘンリー・カットナーの、九惑星映画社シリーズくらい)。
そういう意味でも、これはシリーズ中の白眉といって良さそうだ。

もっとも、ステュクス人に関しては、今回大活躍する分、神秘性はいまいち薄れてしまい、その点に不満が残るのだが、どんなに神秘的な存在であっても、見慣れてしまえば日常になってしまうものなので、それはそれで仕方ないのかもな。


エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
人工進化の秘密!/魔法の月の血闘<キャプテン・フューチャー全集8>
創元SF文庫


旧ハヤカワ版はこちら。
エドモンド・ハミルトン, 野田 昌宏
魔法の月の血闘
ハヤカワ文庫SF
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2006-04-24 22:53:32

『陰陽師 太極ノ巻』

テーマ:歴史・時代小説
本作における晴明は、陰陽師として、人間と妖しの世界の、あわせめにいる。
それゆえに、とらえどころがなく、
とらえどころがないために、博雅という存在を切実に必要としている。

晴明にとって、博雅は人間の世界に存在し続けるための、錨のようなものなのだろう。
読者にとっては、博雅という「ワンクッション」があることで、平安京の異界と、晴明の異形さと、それらがおりなす「呪(しゅ)の世界」のわけわからなさに、入り込みやすくなっているのだ。

逆に言えば、博雅という存在があることで、晴明というキャラクターと、
『陰陽師』の作品世界は、自由奔放に、「妖し」くいられるというわけだ。

ゆえに、
人間としての日常から、平安京のトワイライトゾーンへ踏み出す時に、必ず、

「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。

というお定まりのパターンを踏む必要があるのだろう。

しかしながら、巻が重なるごとに、新たな登場人物も増え、その分、織り出される模様は複雑になりつつある。
たとえば、賀茂保憲がそうであろうし、
道満法師や、蟲愛ずる姫君もそうだろう。
今回はたまたま、姫君が目立って活躍する話が含まれ、彼女に反応する博雅などもなかなか微笑ましいのだが(笑)、
やはり、味わいが深くなってきたというと、道満法師だろうなあ。

そもそも、この陰陽法師は、いろいろな意味で、晴明とは対極の存在なのだが、
多くの、晴明を描いた物語とは異なり、次第に道満と晴明の間柄が、対立ではなく、微妙な協力関係となってきているのが面白い。
これはやはり、作者自身、道満法師を気に入っているのだろうな。
思えば、〈キマイラ〉シリーズの昔から、夢枕獏は、飄々とした爺さんキャラに愛着があったように思う。
もしかすると、晴明や博雅より、道満の方が、今、作者の中では大きなスペースを占めてすら、いるのかもしれない。

とはいえ、道満の存在意義というのは、博雅ほどにまだ作品中に明確となってはいない。
そういう点で、これからが楽しみなのだが……(笑)。
本作の道満法師に、「どうよ?」と尋ねたところで、飄々と逃げられてしまうような気がするなあ(笑)。
と、考えてみるに、もしかすると、道満法師の役割というのは、ワイルドカードのようなものなのかも。
神出鬼没だしね。


夢枕 獏
陰陽師 太極ノ巻
文春文庫
2006年3月10日新刊
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2006-04-23 23:02:13

『トッキュー!!』

テーマ:冒険・アクション
トッキューとは、特級でも特急でもなく、「特殊救難隊」の略称。
所属は海上保安庁。
本拠地は羽田。
ここから航空機を使い、出動要請があり次第、全国に急行するのだそうだ。

海上保安庁といえば、たまたまそこに入った知人が数名いて、女性には絶対に、耳に入れられないような、非常に野郎臭いエピソードなどもいろいろ伝え聞いているのだが、この物語も、99%「男の世界」であり、非常に野郎臭く、しかも、熱い。
暑苦しいほd、熱い。
そして、すがすがしい。

主人公は長崎出身で、実は、前半5巻目くらいまで、
「こいつは救助隊員としては、すげーやばいだろう」
と思っていた。
実際、仲間に、しばしばそういう懸念を表明されるキャラなのだ。
なにがって。
冷静なチームワークと状況判断が要求される救助活動で、彼は、上官の命令を無視して前に飛び出てしまうのだ。

命がかかっている場所で、これは単に本人が危険なだけでなく、
結果的に、仲間をも危険に巻き込む事となってしまう。
こういう現場では、「意気込みと熱血」だけでは、だめなのだ。
単にやる気のない隊員より、むしろ、危なっかしいとも言える。

だが、そういう主人公が、実は天性の「救助カン」を備えており、
未熟さ、未経験さと血気のせいで、突っ走ってしまうところから、だんだんと、仲間を引っぱる存在となり、的確に行動できるようになっていく、その過程が、実に良い。

単に汗臭く熱血な根性ものなのではなくて、
陰険な奴がいたとしても、ぶつかりあいながら少しずつ理解を深める事もでき、
非常に明朗かつ前向きで、
読んでいて元気がわいてくるような、そういう漫画になってるのだ。

海上保安庁という、どちらかというと、あまり活動を知られていない組織が舞台になっているというのも、面白さの一因だし、悩みや苦しみがあっても、決して「超人的な」プロセスを経ることなく、等身大の若者像を描き出しているところも好感が持てる。


小森 陽一, 久保 ミツロウ
トッキュー!! 5 (5)
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。