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2005-12-31 19:19:49

『サライ(15)』

テーマ:日本SF・ファンタジイ
随分な大長編になってきた『サライ』だけれども、長編化した漫画にありがちな、「話の展開のなさ」が見られないのは、さすがと言うべきか。
その一方で、話の核心が、サライの正体にいよいよ迫りつつあるということは、物語が終盤に近づいているのかもしれない。

と、思ったのは、途中まで(笑)。
サライ、脱走か?
ジスカールの廃墟には、サライの出生にまつわる、どんな秘密が隠されているのか?
瀕死の「御所代さま」は、サライとどのような関係があるのか?
うむむむ……。

などと、物語の展開を追っていくと、いきなりその途中でサライは時空を飛ばされてしまう!
どこへ?
昭和50年代の、日本へ。
そこで、普通の女子高生として暮らしているらしいサライ!
ひょんな事で、彼女の「黒髪」は、一瞬にして「真紅」となってしまうのだが……。

いったい、どんな風にこの先話が進んでいるのか、また、面白くなってきた(笑)。

でも、やっぱ、サライのセーラー服といい……。
この部分、作者が大いに、趣味にはしってるな( ‥)/


サライ 15 (15)
2006年1月15日新刊(発売中)
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2005-12-31 19:04:20

『ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常 II』

テーマ:ゲーム
再び、5121小隊の「日常」が描かれる。
とはいえ、『ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常』からみて、パイロットの面々は、ずいぶん成長したなあ、と感慨深い(笑)。
そう、「パイロットたちは」だ。
残念ながら、整備斑は今回大幅に出番が削られているだけでなく、2番機の整備をリードする狩谷を別とすると、いいところが全くない。
(そして、原はますます、暴走している)。
また、そういう意味では、最も成長いちじるしいのは滝川かなあ。
なんせ、4人のパイロットの中で、一番能力的に普通だもんね。
とはいえ、滝川の、思わぬ過去というのが本巻では語られるのだが。

思わぬ過去といえば、個人のそれだけではなく、「人類の」思わぬ過去も、ちらりと明るみに出る。
そもそもこの世界では、「我々の世界の歴史では」第二次大戦が終わった1945年に、黒い月が出現し、幻獣が人類に戦いをしかけてきた、という事になっている。(そして、その戦いが50年以上続いているというわけだ)。しかも、幻獣などという呼び名からはちと想像もできないような、怪物ども。
だが、はたして人類あるいは地球にとっての「異物」は、幻獣だけだったのか?

「芝村」についても、なかなか、興味深い(笑)。

本巻は、先日刊行されたばかりの新刊だが、話はここで終わっているわけではなく、まだ、続くようだ。
おそらく、ゲームの中や、公式サイトですでに明らかにされているような、「あれ」とか「これ」などが、今後ちょっとずつ登場するのだろう。
そういう意味では、なかなか、先が楽しみだ。

ただ、作者に一言、苦言を呈するならば。
……誤変換にもっと気をつけてくれ!(笑)
いや、誤変換と信じるのだけどね。
漆黒の髪を「濡れ葉色」とかね。(鴉の濡れ羽色、じゃないのか?)
『葉隠れ』とかね。(本の表題ですから! ”れ”という送りはいらない)。
ひとつふたつなら見逃せるが、たくさん、しかもものによって繰り返し出てくるのは、いただけないぞ~。
いや、これはひとえに作者だけの責任ではなく、編集者の責任でもありますがね(‥
※ 古武道関係のつっこみなどは、まあ……もういいや。

正しく、面白い軍隊小説、かつ、望むらくはSFとなるように。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常〈2〉
電撃ゲーム文庫
2005年12月25日新刊
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2005-12-30 20:45:04

『ガンパレード・マーチ もうひとつの撤退戦』

テーマ:ゲーム
九州全土は、幻獣の手に落ちる。
ということは、自動的に撤退戦が行われるということで、5121小隊の撤退戦については『九州撤退戦(上下巻)』で語られているようなのだが、いわばこちらは、戦争の表側。
表があれば裏があり、それがこちらだ。

つまり、もともと末期的な状態の軍が、撤退戦をやるとなれば、弱者は切り捨てられるという暗黒面が見えてしまう。
たとえば、いまだ正式な学兵になっていない訓練兵はどうなるのか?
そういうサイドストーリーが展開されているのが本巻。
もっとも、そのストーリーのみで1冊になっているわけではなく、短編集という体裁だ。(しかし、いずれも5121小隊の通常の活躍ではなく、小隊の外で繰り広げられるサイドストーリーという形だ)。

もちろん、タイトルにある「もうひとつの撤退戦」が、一番面白い。
これは、かつての第62戦車学校の生徒たちを教えた、坂上、本田、芳野の3教師と、彼らが「その時」教えていた、だめだめ訓練兵たちの話だ。
「もうじき戦争は終わる(休止する)かも?」
という雰囲気濃厚な中、厭戦ムードが蔓延し、当然、生徒たちのやる気も、めちゃくちゃ低空飛行。
しかし、その「雰囲気」はまやかしで、実は戦況は撤退直前であった、というわけだ。

太平洋戦争当時、日本軍が敗退に敗退を続けているなか、国民向けに放送されるラジオでは、戦果かくかくたるものであるかのようにニュースが流されたというのは有名だけれど、実際、戦況が悪くなればなるほど、末端には情報が正しく伝わらず、その一方で、
「なんかやばくね?」
というような状況が、ひたひたと迫っている事が、肌で感じられるというのは、どこでもある事なのだろう。

気の毒なのは、現地で訓練されている兵というのは当然考えられる事で、それまでの「自衛軍」のやりかたを見れば、かれらが捨て駒というか、撤退戦の「盾」としておいて行かれるのは、もちろん、目に見えている。
いや、そもそも、学兵という存在そのものが、
「自衛軍たてなおしまでの捨て駒」
であることは、ここまでの話で読者には明らかになっているわけだが、こうなると、捨て駒の中の捨て駒とでも言おうか。
ろくな兵器もなく、ほとんど訓練も行われていない十代後半の少年少女が、放棄される陣地を死守するという命令のもとに、残されるのだ!

これを知って、かれら教師はどうするのか。

状況は、なかなかスリリングだ(笑)。
最後の方で、5121小隊の姿を見ることもでき、佳作となっているかと思う。

他に、士魂乗りの中では「もっとも目立つ」荒波千翼長もはしばしに顔を出すし、
なんと、5121小隊ではいちばん普通で地味な存在となってしまっている滝川が、
「そうかー、滝川も外に出すとこれだけ優秀な働きをするんじゃん」
と読者が瞠目するようなシーンもある(笑)。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ もうひとつの撤退戦
電撃ゲーム文庫
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2005-12-30 20:02:30

『ガンパレード・マーチ episode TWO』

テーマ:ゲーム
前巻に引き続き、5121小隊発足前の物語。
とはいえ、ちょうどこの巻で、第62戦車学校(といっても、この世界での「戦車学校」は学校=1クラス=後の小隊、みたいだが) から、第5121小隊になるところ。
もちろん、キャラも全員出そろう。

いよいよ雛が巣立っていくというわけで、「戦車学校」の教師たちの中でも、唯一、元軍人ではない芳野がいい演技をしている。
単なる、酒に溺れた教師ではない、という横顔がかいま見えるのが、
そしてパイロットたちがそんな芳野を見守る目が、非常に雰囲気として良いのだ。
このシリーズには珍しく、心温まる一コマといえる。

一方、そのパイロットたちだが、初陣の描写も、生硬ながら、けっこういいかなあ、と思える。初めての戦場でまわりを見る余裕がない。
あるいは、思いもかけず、戦闘後に胃がでんぐりがえる。

もっとも、壬生屋に関してのみ、どうしてもいろいろひっかかってしまうのは、
彼女が古武道の一流を継承する立場だという設定で、
かつ、作者がいまひとつ、「そういったもの」についてはわかっていないな、と感じるからなのだろうな。
ここらへん、つっこみ始めると止まらないので、1巻からこのかた、どうしても目についてしようがない些細なポイントをひとつだけ(笑)。

なぜ「胴着(または胴衣)」なのだ!(笑)
……いや、もちろん、その表記が完全に間違いとは言わない。
しかし、武道/武術にあっては、通常、これは、「道着(道衣)」と表記するのだな。
「胴着」と表記する場合は、たとえば剣道衣の「上」の部分だけかな。
たしかに、そういう意味で書かれているところもあるが、全体をさして「胴着」と書かれるとどうも違和感が(笑)。
そして、なんだって足袋と草履なのかとか、
鎧の試割りなどはまたちょっと技とやりかたが違うしとか……。
あ、しまった、次々つっこんでしまった(笑)。

壬生屋のことはともかく。
そうだなー、作者は、「ガンパレード・マーチ」というゲーム作品をベースにして、やっぱり、軍隊ものを書きたいのだろうな。
そういう意味では、そもそも、女性キャラの比率がちょっと高すぎて、それゆえ、いまひとつ女性キャラの扱いが雑というか、おざなりな感じもする。
そして、だからこそ「軍人ではない」芳野先生の日常の一コマが、よけいに良く見えるのかもしれない。

逆に割を食ってるのは、原なんだろうなあ。
(いや、ゲームの時から原は、という話もあるが、それは置いといて……)
本巻でも、原は、部下のマネジメント面で失策をしているし、部下の怠慢を、
「パイロットの命を戦場で危険にさらす」
という理由でとがめていながら、自分は同様にパイロットの命を危険にさらすいたずらをして恥じないというダブルスタンダード。
原が悪役なら、納得してもいいんだけどねえ(笑)。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ episode TWO
電撃ゲーム文庫
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2005-12-29 21:32:01

『ガンパレード・マーチ episode ONE』

テーマ:ゲーム
5121小隊の物語は、前巻で熾烈な戦いをくぐり抜け、なんとか小休止という形で終わっていたのだが、本巻はそこからうってかわって、小隊結成前の「昔話」だ。
episode ONE、ですか。
ふふふ。
まあたしかに、かの映画と同じように過去へ物語がさかのぼっているわけではあるが。さあて。

改めて、きわだつのは、小隊を構成していく面子の「ユニークさ」だ。
面白いことに、軍隊というのは、基本、人を没個性的な鋳型に押し込めていくスタイルの教育を行うのだけれども、
その軍隊に徴兵されてきた人々の前歴はさまざまであり、
当然、規格外の兵員が出てくるということになる。

この場合、その兵員の素質が、レベル以下でも、レベル以上でも、「規格外」となる可能性は高い。
したがって、単に、
「こいつは使えねーよ」
とレッテルをはられた兵員は、実は、訓練次第で非常にすぐれた兵員となり得るのかもしれない!

5121小隊となるはずの面々は、まさしくそういう、「素材」の状態で戦車学校に集まってくるわけだ。

しかし、これがまた厄介な話なので、そういう「企画外品」を優秀な兵員に育てられるかどうかは、一にも、二にも、三、四がなくて五になっても、いやどこまていっても、
「指導者の力次第」
って話になるのですな。

実際、英米の軍隊小説には、実によく、このシチュエーションが登場する!

箸にも棒にもひっかからない連中が、有能な指揮官の下で、みごとな精鋭部隊に変身するというのは、いわば軍隊小説の定番なのだ。

この場合は、とうぜん、「委員長」こと善行千翼長、そして整備斑の主任であり、その意味で善行の片腕であるはずの、原百翼長が、その役割をになわなくてはならない。

でもなあ。
いや、善行はいいんだ。
ある意味これまた、この手の軍隊小説では典型的なキャラとも言える(それほどクローズアップはされてないけど)。
しかし、原はそうではない。

いちじるしい情緒不安定さを最初から露呈しているだけではなく、
なんと指導者にあるまじき、卑劣な行動に走る。
もちろん、原が、ダメ士官、悪役として描かれるのであるならば、それでも、
「軍隊にはいるよね。必ずそういうキャラが」
と考える事はできるのだが、始末が悪い事に、むしろ良いキャラとして配置されているだけに、大変始末が悪いのだ。

整備員の、パイロットに対する嫉妬や確執、そういうのがあるというのも、ドラマとしては良いだろう。
でも、それはあくまでも、ベビーフェイスをふられているトップがやっちゃあ、いけない。
過酷な戦場、末期的な社会において、かれら学兵は、存分に揉まれているはずで、
とくに肩書きがあがればあがるほど、そういう人間的な錬成は平和時とは比べものにならないくらい、高められていなくてはならない。
(重ねて言うが、悪役なら、ここで歪んで壊れていてもよろしい)。
その背景を考えると、原の行動は、あまりにも幼稚すぎるのだ。

本巻では、格別目立つ、中心的なキャラというのが存在しないと思うのだが、
だからこそよけいに、原が悪目立ちをしている。

彼女が最終的に行った事は、殺人未遂に問われてもしかたがない。
それを許してしまえるのが、標的となったキャラの良いところではあるのだが、
それ以外の仲間が、原を許してしまうのが、あまりにも唐突かつあっけなさすぎ、それがまた、原への嫌悪感としてはねかえってしまうんだよなあ。

まあ、そこらへんは、作者が「原」というキャラを、うまく使えていないという事なのかもしれないけどな。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ episode ONE
電撃ゲーム文庫
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2005-12-29 20:16:04

『ガンパレード・マーチ 5121小隊 熊本城決戦』

テーマ:ゲーム
前巻の後半部分と重なるようにして本巻は始まる。
つまり、前巻は、思わずも襲われた整備斑の奮闘を描いているのだが、本巻は、その士魂が何をしていたかを、士魂と彼らと共に戦う戦闘員たちの側から描いている。
脳震盪を起こしたとかいう壬生屋はいったいどういう状況だったのか?
スカウトたちはなぜ地下へ潜っていたのか?
読者は都合が良いことに、この戦闘を、両方の地点からつぶさに見る事ができるわけだ。

いや、基本的には、それだけという感じなのだが……(笑)。

しかし、ここまでの間に、ちらりちらりと顔をのぞかせていた、「士魂にまつわる謎」が、もうちょっとあらわになってもいるようだ。
そもそも、5121小隊に属する士魂のパイロットは、
「士魂ともっとも遺伝的に適合性の高いもの」
とされていた。

……遺伝的適合性ねえ……(‥

実のところ、士魂というのは、かなりグロテスクなものだと思う。
たとえば、そこには(たぶん)演算ユニットとしての、ヒトの脳が組み込まれ、
ロボットの動きを補助する部品……ふつうなら、骨格に付属して多数のアクチュエーターを使うのだろうが(いや、ロボット工学には詳しくないですけども)、士魂に使われているのは、人工的な生体部品だ。
つまり、士魂というのは、純粋にメカニカルなロボットというわけではない。
半分がた、バイオロニカルなロボットと言えるのでは?

その士魂と、理論はよくわからないが、なんらかの形で結合しているパイロット。
彼らが士魂を操るために消耗するエネルギーの大きさが、今回は強調される。
はたして、「士魂とはなにものなのか?」。
敵である幻獣以上に、謎めいた存在だという事が、さりげな~くアピールされているのだ。

物語世界の中では、
士魂開発にまつわる全ては、芝村一族が握っており、開発に関わったものは、いろいろな形で謀殺されている、ともある。

うぅ~ん。
士魂って何なのだろう?
激しい戦闘の描写よりも、むしろそっちの方に興味が向いてしまうのだよな。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ 5121小隊 熊本城決戦
電撃ゲーム文庫
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2005-12-28 16:08:05

『夢の手ざわり』 夢のなかを歩き、夢に触れる

テーマ:詩・叙事詩・戯曲
「夢」と、ひごろ人は簡単に口にするが、それはいったい、何であろうか。
夢のなかでは、なにもかもが、とてつもなく奔放である。
ドキドキする、
チリチリする、
冒険する、
うれしい、
こわい、
かなしい、
それら全てが日常感じるレベルよりさらにハイレベル、またはディープなのだが、
不思議や、必ず、そこにある世界と「我」の間には、一枚のガラスがあるがごとく、
感覚にワンクッション置かれており、
たいへんもどかしい思いもする。

これはまさしく、そのような夢の世界を、ことばと文字でつづろうとしたものかと思う。
詩によっては独特のリズム感が重視されているため、脳内ででも良いから、音読してみるのが良い。
ただし、それは、心地よいリズム、たとえばワルツの三拍子であるとか、ロックのビートのきいたリズムとは違う。もっと荒削りな、または、うまく舵取りできずによろめいているかのような、
まさしく、夢の中で泳ぐように歩いているかのような、
そういう不規則なリズムだ。

聞くところによると、たとえばオーストラリアやニュージーランドの原住民は、ドリームタイムで時を過ごし、目覚めている間は見えないものを見るという。
また、北米原住民は、「夢を歩いて」重要な掲示を得るのだそうだ。それは、しばしば、自分を発見するためのクエスト、その原点となるそうな。

されば、夢とはいったい、人間にとって、何を意味するのだろう?
おそらくそれは、正気では受け止める事ができないほどの「真実」を、
ワンクッションおいて、
人に示しているものではなかろうか?

もちろん、人によって、見る夢の断片はそれぞれ違うのだけれど。
また、その夢をどれほど感じようとしているかも、人によって違うのだけれど。

森山恵は、いわば、そんなおそろしい夢の世界にどっぷりと全身を浸してみている。
いみじくも、荘子が夢と現実を、違うものであって、かつ、交換可能なものであると示唆しているが、
森山恵の世界では、夢と現実は、その水平線で相互に少しずつ混じり合っているかのようにも思われる。

高く、高く飛び、
オレンジ色の小鳥のさえずりに耳をすませ、
夏の空の青さにきりきりと昇りつめ(あるいは落下し?)、
そしてまた、高く登り詰めたのと同じほど、深く深く、夢の闇に沈んでみる。

詩に親しむうち、読むものもまた、深い海の底へと沈み、まどろみそうになるかもしれない。

とはいえ、この詩は、いわば夢を歩く者の「旅行記」であるから、
誰もがそれを手にして夢の中に入っていって、同じ道をたどるとは限らない。
道は同じでも違う景色が広がっているかもしれない。

さて、どうでしょう。
薄青く、向こうは青黒くすらある、夢の世界に踏みだしてみたいですか?


森山 恵
夢の手ざわり―森山恵詩集
2005年11月15日新刊
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2005-12-28 14:36:36

『ガンパレード・マーチ 5121小隊決戦前夜』

テーマ:ゲーム
思うに、ガンパレの世界というのは、非常に末期的な世界だ。
もちろん、末期的世界を描いたものは、SFにならば、数多くある。
とくに60~70年代の作品なぞは、これでもか、これでもかと、
「もう、地球は終わり~、人類に未来な~しっ」
みたいなやつがたくさんある。
そうだな。
たとえば、ネビル・シュートの『渚にて』なんてむちゃ有名か?
(ラストがたまらなくせつなく、かつ、無常感に溢れている)。

しかし、それらは全て、人類が「人類」として総括されていて、しかも、当然のように、大人中心に描かれているのな。

ガンパレの場合は、主役となるのがおおむね高校生だ。
高校生転じての学兵というやつだ。
そう、この世界では、幻獣という謎の敵と戦うために、高校生が一律兵士として編成されている。
赤紙(召集令状ですよ)を出す手間もなし。
学校のクラスが明日は一気に小隊。
末期的な世界を描くのに、これは大変ユニークだ。

というのはね。
戦争というのは、人が命をかけて何かを争う、非日常なわけだけれども、
あくまでもそれは非日常であり、どうしても戦争するのなら、理想的には(語弊のある言葉かもしれんが)、
平常の社会活動が維持されており、その余力として戦争する。
これでなくてはいけない。

なぜなら、人間の最優先課題は、「人間社会が継続すること」だからだ。
国と国が戦争するなら、その国が生き残らなければならない。
人類対エイリアンならば、人類が生き残らなくてはいけません。
そのためには、銃後の社会が維持されてなくてはいけないのだ。

さて、人間として最もその際、消耗できるのはどれか。
答は簡単、「成人男性」だ。
心身能力の問題というだけではない。

考えてもみたまえよ。
人類社会を存続させるためには、一定数の子孫を残さなくてはならないが、子孫を残すにあたり、まず、子供を産むのは成人女性である(年老いていても妊娠できず、年若すぎても妊娠できない)。
しかも、いちど妊娠すれば、産むまででも最低10ヶ月ちょい。
かかってしまうのだ。もちろん、その間は、腹の中の子を守らなくてはいけないという条件がつく。
これに対して、子孫存続のため、男が果たす役割は、そうだな……10分以内でことたりてしまう。
10分対10ヶ月ですよ( ‥)/
人類存続のために、まず、女性は銃後に置いておかなくてはいかん!

そして、当然の事ながら、子供の世代も、手つかずで置いておかなくては、社会がなりたたない。

ゆえに。
女性と、次以降の世代を銃後に置き、
かれらを支えて社会を営む最低限の成人男性もそこに配し、
以上の条件を整えて、「余剰人員」とし得る成人男性を、訓練して戦場へ送りこむ。
こうでなくてはならない。

もちろん、出産してもらわなくてはならぬ女性をサポートする態勢があればあるほど、成人女性も、なんらかの形で戦闘集団に参加はできるであろう。
しかし、子供はいけないよ。
次世代を失ったら、社会の機能不全はとんでもない事になってしまいます(‥
その場は生き延びられたとしても、人類の未来ははてしなく先細りになってしまう。

だからこそ、高校生が皆、学兵となる。
高校入学年齢となれば、イクォール、学兵としてどこかに配属される。
そういう世界が、背景として見て、非常におそろしく、かつ末期的世界を描いたものとしてもユニークになるというわけだ。

……生き延びられても、
アメリカ合衆国がベトナム戦争の後遺症に苦しんだ以上の十字架が、先の社会には、科せられる事だろう。

勝っても負けても、明るい未来がほとんど期待できない。
ガンパレの世界は、そういう世界だ。

しかし、この「決戦前夜」で、いや、タイトルは決戦前夜でも、内容は、もうほとんど決戦? てな感じだが、
5121小隊の少年少女は、それほど深刻には見えない。
もちろん、そこまで大局的には見られないだろうし、
かつ、
「前線は、えてしてこういうものか」
というのもある。
その点、ここでの戦場と、戦闘の合間の日常は、トルストイの『戦争と平和』で描かれた戦場にも、少し似ている。

さて、本巻で注目するキャラは、そういった背景をふまえて、まったくの凡人である2号機パイロット、滝川君。
彼は、図抜けて有能な芝村舞、速水厚志、あるいはいささか生硬ながら常に獅子奮迅の働きをする壬生屋と違い、
「戦うのは怖い」
ということを、正直に認める、平凡な少年だ。
整備斑も含め、この小隊には、能力的・経済的・性格的にユニークな人材が集中している中、彼の平凡さは、いっそきわだって見えるほどだ。

「ふつうは、たいてい、こんなものだろ」
滝川君を見ていると、そんな言葉が思い浮かぶが、こういった、「平凡な少年」が描かれているからこそ、他のキャラがいよいよユニークさを発揮するのだな。
平凡であることがユニークたり得る、滝川君はそういう存在。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ 5121小隊決戦前夜
電撃ゲーム文庫
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2005-12-27 21:09:32

『あらしのよるに』

テーマ:絵本・児童文学
今月からアニメーション映画が公開されている『あらしのよるに』。
大型版では6冊、通常の版では全7巻、このシリーズが結末まで全て、映画になっているようだ。

絵本と映画では、演出の細部が異なるが、ストーリーの点では、どちらに軍配があがるというものではないように思う。
ただ、絵本の絵を見る事が好きな人には、やはり、1巻だけは絵本で読む事をおすすめしたい。
というのは、闇の中の二頭の表現が、とても良いのだ。

クレヨンでいろいろな色を、紙に塗っておく。
その上から、黒いクレヨンで分厚くぬりつぶす。
しかる後に、ようじなどの先で線をひっかくように描いていくと、下に塗ってある色が黒の中に浮き出て、実にファンタスティックな絵になるのだ。
この画法が、実に効果的に使われている。

この絵だけで、1巻は絶対に買う価値があると思うが……。
さて、ストーリーはいかに?

この物語は、嵐の夜、お互いの姿もにおいもわからない状態で、小屋に避難した山羊と狼が、それぞれ、自分と同じ種族の相手と思いこんだまま話をしていて、友人となってしまった、というところから始まる。
しかし、そもそも、狼は山羊を食べるものですね?
この二頭の友情は、お互いの間ではだんだんとうまくいくのだけれど、それぞれの群にばれた時から、不幸が始まります。

さて、山羊のメイだが、いくら状況が状況とはいえ、狼の本質的な危険性を無視して友達になってしまおう、なんていうのは、やはり山羊として、まぬけすぎるし、それは個体としては劣っているという事になる。
また、ガブの方も、狼としては、実はグズである、という事が、物語が始まってわりとすぐに判明する。

このような、劣った個体が、群から、いろいろな理由ではじき出されてしまうというのは、ある意味、自然の摂理ではある。
たとえば、なんかかっこいいアウトローの代名詞のように用いられる「ローンウルフ」も、実際には、群についていけない、劣った個体なのだそうだ。

こういった、はじき出された個体が巡り会い、種族間にまれなる友情を育てていくというだけの話ならば、美談では、あろう。

だが、この話、かなりいやらしい展開だ。
たとえば、ふたりの友情が露見した時、狼も山羊も、それぞれ、山羊狩りのため/狼から逃れるため、ガブとメイに恩着せがましく、
「今回は見逃してやるから、もう一度会って、相手をスパイしてこい」
と言うんだよな。
これは、群の行動原理としては、わからないでもないが、しかし、物語の展開としてどうよ、と思う。

それだけではない。
はぐれた二頭は、一緒に、
「あの、誰も超えたことのない山をこえてみよう、そうすれば、狼と山羊が一緒に暮らせる緑の森があるかもしれない」
と、長い逃避行を決意する。
しかし、こういう展開の後で、それは読者(映画だと観衆)として、信じられるか?

いやー( ‥)/

むりむり……。

そして、その途上でも、ちょっといやらしい事が起こる。
友人であり、今や互いに唯一の仲間でありながら、メイが、ガブの肉食をいやがる(ガブはそれでも、気を遣って、メイが眠っている間に狩りをしているというのに!)、というのあたりも、それなりにいやらしくはあるが、
問題の山は、誰もこえた事がないだけに、非常に高い。
最初から、頂上は雪が深いだろうというのは、二頭ともわかっている。

にもかかわらず、
「山羊は寒さに弱いから」(ほんとかよ?)
という理由で、メイは、ほとんど、参ってしまうのだ。
しかも、ここに至るまでに友情はますます緊密になっているにもかかわらず、
「どちらか一人だけでも助からないと。だから、ガブは、ぼくを食べて」
と申し出るのだ。

後に、メイは、
「ぼくがあんな事を言ったから、ガブは出ていってしまったのだ」
と後悔する事になるのだが。

さてさてさて。
実際、ガブは、
「いまさら、メイのことを食べるなんてできない」
と、メイをかばい、あたためていた洞窟を出てしまうのですが、
いずれも劣った個体であるメイとガブ。
しかし比べれば、やはり、ガブの方が強いのですな。

いいですか。
これは、狼として劣っているガブが、ひとりで生き抜くのすら大変であるはずなのに、メイという存在に足を引っぱられているということになる。なぜなら、どちらか少しでも強い方が、弱い方を支える事になるのは、ましてや友情に結ばれていれば、自明の理でしょう。
二頭を比べると、圧倒的に、ガブががまんし、がんばり、努力することになる。
にくたらしいことに、メイは、かわいいだけが取り柄の存在に見えてしまう。
なんとなれば、メイはこの逃避行で、一切、「がまん」というものを、「努力」というものを、していないですから!
これまた、表現として、かなりいやらしいなあ、と思う理由。

そもそも、友情を結ぼうという時から、
お弁当をなくしてしまったガブの鼻先で、メイは平然と自分のお弁当を食べるし、
後には、ガブが生きるために、(自分のような山羊以外のものを)殺して食べる、しかもメイが眠っている時にそれをしていることをなじったりもする。
ついには雪山の中で、かりにほんとうにメイの方がはるかに弱い存在だったとしても、弱いなりの努力というものは、しない。
「食べて」というのも、そもそも、相手を思いやっているようで思いやっていないですね。
むしろ、努力をする前に放棄しているがゆえに、その言葉が出たともいえる。

さいごには、一度わかれわかれになった二頭がめぐりあい、ハッピーエンドになったかに見えるけれど、
もちろん、二頭がたどりついた森はなんら特別なものではない、
夢見た、狼と山羊が平和共存できる楽園ではない。
並んで満月を見る二頭のこの先はどうなるのか?
ハッピーエンドに見えながら、非常な不安も残るわけなんだ。

単に、喰い喰われるものの間にも美しい友情が育ちます、で済む物語ではない。
なんかこう、微妙に、いやな後味が残るのだ。





木村 裕一, あべ 弘士
あらしのよるに ちいさな絵童話 りとる
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2005-12-27 17:12:00

『ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常』

テーマ:ゲーム
「ガンパレード・マーチ」といえば、一時期一世を風靡したゲームだ。
簡単にいうと、幻獣と呼ばれる、異次元からきた魔物的な敵を相手に、高校生がそのまま軍隊に編成され、人型兵器に搭乗してこれと戦っていく、というもの。
本筋の「ガンパレード・マーチ」がアニメ化され(これは、二作目「ガンパレード・オーケストラ」に続く)、いまだにファンが多いゲームだが、そのファンである友人が、
「ノヴェライズもなかなかイケルよ」
と、どっさり本を貸してくれたのであった。

借りたからには、さっそく、読まねばなるまい!

さて、本作は「日常」と題されてはいるが、そこから想像されるような、「戦闘以外」の日常がメインに語られているとは、ちと言いにくい。
むしろ、戦闘を中心に、その合間の日常が描かれているという方が良さそうだ。
話の中心となる5012小隊は、廃棄されるはずだった人型戦車(人型兵器をこのように呼ぶ)、士魂3機が配属されている小隊で、一般の学兵(兵士として再編された高校生)が、もとの学級を小隊に編成されているのとは違い、あちこちから集められたり選抜されたりしたものという設定。
しかも、人型戦車そのものが、いわばイレギュラーな兵器であるため、パイロット4名(1機のみ複座)は、みな、短期集中促成された「新米パイロット」なのだ。
彼らが、まずは、パイロットとして一人前になっていく過程が、本巻では描かれているわけだ。

ここで面白いのは、特別あつらえの大刀をふるう重装甲単座式士魂を操る女性パイロット壬生屋と、整備斑を率いるベテラン、原。
壬生屋は、古武道の一流派を受け継いでいて、普段から、巫女装束を思わせる道衣を身につけている。
直情型かつ潔癖な性格だが、それが先走るあまり、最初の頃は防御軽視、攻撃重視。
そのため乗機の損耗率が最も高い。

しょっぱな、乗機の片腕を失って戻った壬生屋に、原が切って捨てるんですよ。
士魂の片腕より、パイロットの命の方がずっと軽い。
なぜならパイロットはいくらでも替えがきくが、士魂の部品は調達するのが非常に難儀であり、高価であるだけでなく、激しい損耗は整備斑の消耗をも招くのだからと。

確かに、そういうケースはあり得る。
しかし、それは、近代的な軍隊であればあるほど、ナンセンスでもある。
というのは、兵器が、操作に技量を要求するものであればあるほど、その搭乗員にも、カネがかかるからだ。
すなわち、相応の訓練をパイロットにほどこさなくてはならないが、そのための期間と、それに要する人員、設備投資が、ばかにならない。
(おまけに、才能あるパイロットが必要という事情が加われば、到底、すぐにかえがあるなどとは考えられない)。
実は、パイロットが、最も「高価かつ調達しにくい」部品であるとも言えるのだ。

後に、小隊の司令が、パイロットの損耗はなるべく抑えたいという、読者へのフォロー的な台詞を吐くが、それは、発言の背景が異なるため、実際には、原発言の正しいフォローにはなっていない(単なる感情面のフォローでしかない)。

さらに、新米パイロットにそのような言葉を浴びせれば、モラールに大きく影響し、結果的に兵器の運用効率が下がる事は目に見えている。

まあそこを、ドラマ的にうまく「パイロット壬生屋の成長」に持っていってはいるが、原というキャラクターが、
「司令に見込まれているベテランの整備員であり、かつ、士官」
という設定のキャラである事を考えれば、原に上のような台詞をのっけから言わせる事は、原というキャラの、「司令が期待する存在価値」をも、ある意味損なっているのだ。

ここから思うのは、まあこれって、ミリタリーものなわけだけれど、
ミリタリーものを描く場合、兵器の運用がリアルであるというだけでなく、
将兵の運用にもリアリティが必要だなあ、ということだ。
悪い将兵は、それはいてもいいのです。
横流しをして私腹を肥やす主計士官・下士官とか、
部下をいじめる悪い士官・下士官とか、
盗みやサボタージュを働く兵士とか……。
しかし、それは、すべからく、「そのキャラが設定されている状況を裏切らない」言動でなくてはなるまい。
原の場合は、まさしく、そこに描写上の問題があるわけで、残念なことだ。

もうひとつ気になるのは、壬生屋というキャラクター。
古武道の一流派を継承する、長い黒髪の十代の女性で、人型兵器を操る。
なんかこれって、「サクラ大戦」を連想しちゃうんだよなあ。
どちらが先かはともかく、「サクラ大戦」の方がよりメジャーであるだけに、これまた、ちと残念な結果となっている。
いや、もちろん、ちょうどサクラ大戦やガンパレがはやった頃、この手のキャラが流行していたってのはあるんだろうけどさ。


榊 涼介
ガンパレード・マーチ 5121小隊の日常
電撃ゲーム文庫
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