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2005-10-31 21:49:39

『三半球物語』と『その他の物語』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
本書には、ペガーナの他、もう2つの短編集が収録されているのだ。
それが、『三半球物語』と『その他の物語』だ。
(その他の物語、は短編集ではなく、作品群と言うべきか)。

こちらは、ペガーナのような神話風物語ではないけれども、それぞれ、独特の雰囲気を持っていて楽しい。

『三半球物語』、これ、タイトルが面白いよな。
三半球って、なに?
推測だが、「ヨーロッパ」でも「アメリカ合衆国」でもない、第三の世界。
これを表したかったのじゃないかなあ。

事実、ここには、アフリカなどに着想を得た短編が幾つも収録されているのだ。
とはいえ、アフリカの泥臭さ、おそろしさ、理解できない異文化、というようなものがとりあげられているのではない。
ここでも、『ペガーナの神々』にあらわされているとおり、エキゾティックな美しさのなかに、
キリスト教あるいは白人の文明に圧迫される側の、そうだなあ、日本人好みの
「滅び行くものの美しさ」
これが描かれている。
ゆえに、アフリカを舞台にした短編も、他の作家には全く見られない、独特の美しさが感じられる。

そして、『その他の物語』におさめられた短編は、うってかわって、都会的であり、なかなか洒落たものが多いのだ(笑)。
幽霊譚である『谷間の幽霊』は、いろいろなアンソロジーにおさめられていて、有名な作品だけれども、
幽霊となった名プレイヤーたちが演じるクリケットを毎晩見に出かける老人の物語、『秋のクリケット』も同じくらい味わい深いし、
アイルランド人としてのダンセイニ卿が、そこはかとない皮肉と誇りをこめて描いた『もらい手のない〈国の種〉がヴァルハラから持ち去られた事の次第』や『白鳥の王子』などもある。
(白鳥の王子は、おそらく、リール王の子供たちの伝説をネタにしているのだと思う)。

だが、私が一番好きなのは、ちょっと変わった幽霊譚である『電離層の幽霊』だ。
SFといっても良さそうなこの短編、いろんな有名人の幽霊が、わらわら、わらわら、登場するもので、なんとも楽しいのだ(笑)。
そうだなあ、ハロウィーンには、この短編、きっとぴったりだ。
科学万能主義が、まだまだウブだった頃の、微笑ましい科学者像も登場する。


ロード・ダンセイニ, 中野 善夫, 中村 融, 安野 玲, 吉村 満美子
時と神々の物語
河出文庫
2005年9月20日新刊
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2005-10-31 20:06:00

『ペガーナの神々』そして『時と神々』

テーマ:海外SF・ファンタジイ
ダンセイニといえば、 打てば響くかのように、
『ハヤカワ文庫FT!の、ペガーナの神々!』
これが思い浮かぶ時代は、かなり長かったんじゃないか。
そう、荒俣宏訳の『ペガーナの神々』。
原本にあったシームの装画を使い、訳されていたあの本だが、じつは完訳ではなかったのだそうだ。

いや、正確に言うと、『ペガーナの神々』は良いのだが、
続編である『時と神々』が抄訳だったのです( ‥)/

それが、このたび河出文庫から完訳で出ました。
めでたい……!

そして、完訳を読みたいがために、私は河出文庫版も買うはめになったのであった(笑)。
(ダンセイニ短編集全てが、全4巻で河出文庫から出るのだそうな。今回はその第3冊目にあたる)。

さて。
ダンセイニの処女作である『ペガーナの神々』、そして続編である『時と神々』は、素晴らしく幻想的な、創り出された神話なのだ。
ダンセイニ(いや、ダンセイニ卿、と書くのが正しいな)は、アイルランド人。
アフリカに旅行したことがあり、アメリカの戯曲作家ベラスコによる、日本を舞台にした劇にも興味を持っていたんだそうな。
『ペガーナの神々』が1905年に世に出た事を思えば、まさしく、それは、ヨーロッパがアジアに目を向け、
かつ、アフリカの「探検」と「植民」が盛んに行われた時代なんだな。
ヨーロッパは、エキゾティシズムに沸いていた。
芸術家は、とくに、「東洋の文化」に対して、貪欲だったかもしれない。

しかるに、それらのエキゾティシズムを取り入れながらも、『ペガーナ』は基本的にアイルランドの、ケルト文化の色合いを濃厚に感じさせもする。
全体をいろどる寂寥感。
まぬがれえぬ、終末の予感。
そう、ペガーナをいろどるのは、夕暮れの空の、あの色彩だ。

そもそも、ダンセイニ卿のアイルランドというのは、どのような国なのか。
それは、プロテスタントのイングランドに抵抗し続けてきた国であり、それ以前から、キリスト教が深く根付いているにもかかわらず、ヨーロッパいち、「妖精民話」が多数残っている土地でもある。
すなわち、異教(pagan)が細々と、命ながらえた土地のひとつなのだ。

そういう背景のもとに、「小さな神々」の儚さ、
儚さから醸し出される美しさ、
キリスト教にはない宿命感、
それをダンセイニ卿は膚で感じ取ってきたのではないか。

そして、宿命だけが「現在」という「結果」の「原因」ではない、と考えるところに、
「偶然」と「宿命」による(チェスのような)ボードゲーム対決という構図、
しかも、
「宿命と偶然のどちらが勝ったのかは誰もわからない」
という謎が、描き出されたのではないか。

一方、全てを夢見ながら眠るマアナ・ユウド・スウシャイ(本書では、マーナ=ユード=スーシャーイ)は、荘子の、「蝶の夢のたとえ」のような、東洋的な思想も思わせる。

いわば、消えゆこうとしている「古い文化」への哀惜と、
微妙に姿かたちを変えながら、新しい世界にも残ってゆく「古いもの」への賞賛、
非キリスト教的なものへの興味と愛情から、『ペガーナの神々』が生まれたのかもしれない。


ロード・ダンセイニ, 中野 善夫, 中村 融, 安野 玲, 吉村 満美子
時と神々の物語
河出文庫
2005年9月20日新刊
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2005-10-30 20:11:26

『何かが道をやってくる』 ハロウィーンの物語

テーマ:海外SF・ファンタジイ
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秋、それも、そろそろ冬を感じさせるような10月。
一日の時刻でいうと、ちょうど、夕暮れあたり。
それは、ブラッドベリの季節だ。
ブラッドベリの時間だ。
ちょっとおそろしく、幻想的な、魔法の働く時間。
そんな場面には、巡業サーカス団ほどふさわしいものが、あるだろうか?

それは、ハロウィーンの日。
季節のかわりめ。

主人公のふたりの少年は、もうじき14歳。
子供と大人の、はざまに入る年齢だ。

なにもかもが、ふたつの側のどちらにも、ちょっとずつ所属している。
とても曖昧な、微妙な、そんな要素でいっぱいだ。

枯葉が風に吹き散らされて、激しいダンスを踊る。
それにつれて、太陽はどんどん低くなり、空は杏色を深めていく。
そして、黒い影とともに、怪しげな雰囲気が、町の石畳や歩道の割れ目、あるいはフェンスの隙間、塀の破れ目……そういうところから、もやりと湧き出してくる。

杏色と黒。
そういえば、色彩もハロウィーンの色じゃないか?

何かが道をやってくる。
昔の汽車を走らせて、あるいは暮れなずむ空を気球でふわふわ漂ってきて。
季節はずれのカルナヴァル、巡業サーカス団。

サーカス団って、洋の東西を問わず、
「あやしげなもの」
というイメージがつきまとう。
それに、人をさらって、畸形を作る……というような噂も。
もちろん、今でいう都市伝説なのだけれど。

昭和40年代ですら、おじいさんおばあさんは、
「早く帰ってくるんだよ。サーカスにさらわれて、お酢を飲まされて曲芸をさせられるよ」
と、子供を脅したものだ。

華麗だけれど、なぜか、どことなくうさんくさい。
どこから来て、どこへ行くのか、誰も知らない。
それは……。

それは、魔物が徘徊するハロウィーンの夜にぴったりだ。

そう、こういう雰囲気が、ブラッドベリの物語には、溢れている。
怖くて、美しくて、どこかせつない。
少年は冒険を好む。
冒険は、たいてい「こわいこと」だ。
それに耐えることが、だんだん、少年を大人にしていくのかもな。
なぜなら、そこで感じる怖さは、子供時代と密接に結びついているものだから。

もっとも、大人とて、じつは子供の心を片隅に残している。
だからこそ、少年の父は、おそるべきサーカスの団長に対抗する事ができたんだ。
そして、怖さを乗り越えてきたからこそ、彼は「おそるべきものたち」を打ち負かす術を知っているのだ。

笑ってしまえ!
笑いと太陽こそが、連中のおそれるものなのだ。

全てが終わったら、お母さんのところへ一緒に戻ろう。
うん、女は。
男と違って、自然に、物事の真実を知っている(だから、小難しく哲学なんかする必要も、冒険を乗り越える必要もないのだ)。

ほら。
黄色く灯火がもれているあの窓をめざしていこう。





レイ・ブラッドベリ, 大久保 康雄
何かが道をやってくる
創元推理文庫SF
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2005-10-30 13:40:01

『怪物の事典』 怪獣も載っています

テーマ:辞典・事典・図鑑
さて、ハロウィーン。
子供が仮装して、宵のあいだに、各戸をまわり、
"Trick or Treat!"(ごちそうしないといたずらするぞ!)
の声をかけ、お菓子をもらうという、あれ。
ヨーロッパ起源と言いながら、世界的にひろめたのは、アメリカ合衆国らしい。
ハロウィーン・パーティーが娯楽になったのも、おそらく合衆国発、だろう。

伝統的に、水に浮かべた林檎(横半分に切ってあったりする)を口でくわえて取る遊びをしたり。
パンプキンパイを食ったり。
そういや、配られるお菓子も、一応、なんでもいいはずなのだが、なぜか必ず、この時大きな顔して登場するのが、コーンシロップで作り、色を塗ったハロウィーン・カラーの、円錐状のキャンディとか、リコリス・キャンディ。
最近はどんどん商業的になってきて、仮装用の衣装も安く売ってるし、ハロウィーン柄の包み紙に包んだお菓子もたくさん売ってるようだ。

で、この仮装なんだが、べつに、魔女とかお化けでなくてもいいんだよな。
実際、海賊とかそんなのがいるかと思えば、
フランケンシュタインとか、ゴジラとか、そんなのもいるんですよ( ‥)/
まあ、お化けっぽいものが理想かもしれないけど(笑)。

ともかく、民話などに出てくるお化けや魔女だけでなく、現代の、映画とか漫画とかゲームに登場するものでもいいってことに最近は、なっているのだ。

しかしながら。
日本の、子供またはおおきなおともだちむけの、怪獣事典なんてものを別にすると、そんなものまで網羅した事典というのは、ほとんどない。
つか、私はこの一冊しか知りません。
ジェフ・ロヴィンによる『怪物の事典』だ。

すごいよ、これは。
古代の神話に登場する、ベヘモスとかミノタウルスみたいな、定番のやつがいるかと思えば、
20世紀に、映画などで有名になったフランケンシュタインの怪物とか。
うん、まあ、ここまでは予測の範囲だろう。
ところが、それに加えて、

ゴジラは当然、ヘドラに、火星人に、カニ怪獣。
カマキラスにギャオスにギララにギロンにクォックス、あるいはクトゥルー!

ホラー映画、怪獣映画、怪奇SF映画、
そういうのに登場するいろーんなものが、載ってるわ載ってるわ、
あれもいるこれもいる、
こんなマイナーなのまで載せていてどうするー!

てか、怪獣が好きな人はぜひとも座右に一冊です( ‥)/

そして、これだけマイナーなもんまで網羅しているわけですから、解説文もなかなかすばらしい。
マニア心を、ウットリ満足させてくれることは(たぶん)請け合い。
仮装のネタとか、ハロウィーン・パーティーの話のネタにつまりそうなら、ちょろっとページを開いてみよう。


ジェフ ロヴィン, Jeff Rovin, 鶴田 文
怪物の事典
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2005-10-30 13:28:37

『妖怪と精霊の事典』 ハロウィーンは妖怪の日

テーマ:辞典・事典・図鑑
明日は、ハロウィーン。
夕暮れになれば、そろそろ、妖怪が徘徊し始めるはずだ。
もっとも、これは日本の習慣ではないのだけどね。

あ、いや、最近は、ハロウィーンパーティーなんてのが流行ってるって?
ふぅん。そうかー。
だが、考えてみれば、秋祭りの季節でもあり、
日本のお祭りは、本来「宵宮」が本番であり、
その「とき」には、人外のものが歩き回ったりもしたらしい。
ならば、ハロウィーンと全く関係ないわけでもないか?

ま、ともかく。
ハロウィーンとは、「万聖節前夜」のこと。
全ての聖人が集まる日の前夜は、妖怪たち御解禁。
もっと古くは、季節がここから冬になるぜということで、「季節と季節のはざま」であるからこそ、妖怪だの亡霊だのが、地上を歩き回ることができた。
(時間や季節の区切りのとき、その「はざま」には、そういう事が許されます)。

日本では、お盆の時に、地獄の窯の蓋があく、なんていうが、
ヨーロッパでも、その日は「あの世」から亡くなった人が家族のもとへ帰ってくるという信仰があるようだ(土地による)。

であるから、ハロウィーン前日に読むのがふさわしいのは、なんといっても、これだろう。
ローズマリ・E・グィリーによる『妖怪と精霊の事典』。
じゃじゃーん。

じつは、神話とか、神々とか、妖精に関する事典は、今、とてもたくさん翻訳されている。
もとの本も、それだけ多いということだ。
しかし、妖精よりちょっとずれた妖怪とか、あるいは亡霊の種類。
そんなものが載ってる事典は、非情に少ない。
これは、そういう、稀な本なのだ。

幽霊や亡霊。
あるいは妖精というより、亡霊などに縁の深いような「妖怪」。
心霊関係のことごと(人物、団体、品物、現象)。
それらについて、網羅されている。
著者が西洋人である以上、やはり欧米のことが中心ではあるけれども、アジアのものについてもかなり掲載されている。インドとか、アッシリアとか。

掲載されている人物でいうと、たとえば、アーサー・コナン・ドイル。
ドイルが心霊好き、とくに妖精好きであったことはわりと有名だが、ドイルのそういった面について4頁にわたり、詳しく解説されているぞ。

現象の例としては、幽霊が直接たてる音、あるいは電子音を介してたてる音などについての解説などもある。あるいは、チャネリングについても。

さらに、心霊関係の各種団体についても項目がある。

ともあれ、ハロウィーンの時、お化けについて知りたければ、この一冊を!
事典なので、夜読んで怖くなることも、(たぶん)ない。


ローズマリ・エレン グィリー, Rosemary Ellen Guilly, 松田 幸雄
妖怪と精霊の事典
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2005-10-30 12:27:12

〈グイン・サーガ〉におけるグインと女性の関係

テーマ:海外SF・ファンタジイ
思えば、グイン・サーガとはずいぶん長いおつきあいになる。
そして、正直なところ、最近の〈グイン・サーガ〉には、ついていけない。
これは、私が、そもそも、ヒロイック・ファンタジイの熱狂的なファンだからだ。
つまり、最初の頃の〈グイン・サーガ〉は、明らかにヒロイック・ファンタジイをめざして書かれたものだったのだが、それは、年数と、作者の年齢および周囲の環境などが変化するにつれて、物語の性格がどんどん変わってしまった為だ。

長い長い物語の間に、話の焦点が主人公から逸脱した事も多い。
だが、この物語は、あくまでも「グイン」という存在を中心に、時代と国々が動いた物語であり、グインは主人公というよりは、「渦の中心」だと考えた方が良かろう。

その一方で、グインというキャラクターは何であろうか。
ノスフェラスにほど近い森の中で意識がめざめたその時、グインとは、「豹の頭の仮面を被った男」だった。
覚えてるかな?
そうです、その時には、仮面は仮面でしかなかった!

ところが、その豹頭が、どういうわけか、次第にリアルなものとなり、仮面ではなく、本物の豹頭になってしまった。少なくとも、そのように見える。

これがなぜなのかは、〈グイン・サーガ〉の謎のひとつだと思うが、さて。
この豹頭の効用は、一にも、二にも、
「グインが、本質的に、人間の枠からはずれている」
という事を示す。
もうちょっとつきつめてしまうと、
「グインは、人間の男ではない」
という事になる。

これは、次のような効用をもたらす。
すなわち、グインは、
「人間の女性に性的な衝動をおぼえたり、恋をすることがない」
……これだ。
性的な衝動というのは言い過ぎかもしれないが(笑)。
要は、本能に突き動かされて、女が欲しいっ、という行動を起こさない、という事が言いたい。

実に、正伝・外伝を通して、グインが、自ら、「女にせまった」ことがあっただろうか?
ないだろ?

豹頭がセクシイであるかどうかはさておき(人間の女性がネコ科の動物を好みやすいというのもさておき)、
実に、いろいろな女性キャラクターが、いろいろなスタンスで、グインには興味を持つ。
グインに恋したり、惚れたりすることもある。
あるいは、(不幸な)シルヴィアのように、グインを忌み嫌うということもあった。

しかーし!
行動は、全て、女性の側から発しているのだ。
グインがそれにたいして、相応に応じることはあっても、女性との関係は、全て、女性の側から起こされているのだ。

これは、豹頭がリアルなものとなっていくにつれ、それによる「人間性との隔絶」が、外部からグインに対してより、むしろ、グインから外部に対して発生しているという事なんじゃないか。

そして、それは何故起こるのかといえば、そのようにして、人間性(の、一部)を切り離すという事が、
グインを「英雄」として創り上げていくための、重要なプロセスなのだと考える。

また、全ては、最終巻として予定されている『豹頭王の花嫁』に集約されていく、ということもあるだろう。
おそらく、その時までに、グインというキャラクターは、「完璧な英雄」になっていると推測される。
しかも、その時までには、いかなる女性とも、能動的に関係してはいないはずだ(笑)。
このような存在が「結婚する」ことによって、物語のラストを迎えるということは、
おそらく、それは、「聖婚」として物語及び主人公が「完成」されるという意味ではなかろうか。

なお、秘術的な意味合いにおいては「聖婚」はものごとが「完璧」になるために行われる儀式だ。
(すごく簡単な説明だけどね)。
そして、そのためには、聖婚する双方が、「完璧」なものを形作る要素として、完成されていなくてはならない。

豹頭によって、人間性から隔絶されたグインが、さまざまな女性との関わりを経験しつつ、自らは受動的であり続けるというプロセスの繰り返しは、戦いと同様、グインを琢磨していくためのものなのだろう。


栗本 薫
豹頭の仮面―グイン・サーガ(1)
ハヤカワ文庫JA
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2005-10-29 23:28:29

『プラネテス(2)』 冒険家はみんなわがままだ

テーマ:日本SF・ファンタジイ
2巻は、ハチマキの物語。
そして、木星往還機に賭ける、男の夢の物語。
え?
女はいないのかって?
いや、乗組員には女性もいるのかもしれないが、悪い。
ここは、男、と言わせてくれ。

なぜかってな。
ただ、ただ、自分の夢のために、わがままになれるやつ。
それはやっぱり、男だと思うからだ。
子孫を残すために、精子をふりまく事しかできない。
そのかわり、男は、それ以外のところに命を賭ける事ができる。
(女は、子供を産むために、そんな無駄なことはしていられないのだ。たぶん)。

夢のためには、とことん、わがままになる。
とことん、非情になれる。
それは、実際には、難しいことだ。
たいてい、家族という強力なしがらみにとらわれてしまうから。
それをぶち斬る非情さ。
夢がでかければでかいほど、命がけであればあるほど、男は非情にならなくてはいけない。

周囲に対しても。
自分に対しても。
それができないなら、冒険なんてするべきではないのだ。

きっと、ほとんどの人には、冷血に見えてしまうのだろう、ロックスミス。
彼は、自分が設計したエンジンが実験段階で暴走したために、300人以上の死者が出た事にも、
「辞職して責任をとる」
なんて安易なことはしない。
どんな罵声をあびようとも、
「次こそは成功する。ご期待下さい」
と言ってのけられる。

たとえどんな理不尽な目にあおうと、
最終的な目標が、笑っちゃうようなものであっても、
ハチマキは、木星往還機に乗る事、それしか考えていない。
そのためには、自分も極限まで酷使するし、まわりの思惑なんて歯牙にもかけない。
かけまい、とする。
振り返ったら、夢を実現しない理由がみつかってしまう。
だからそんなものは、意地でも見ない。

なあ?
かっこいいよ、おまえら。

ところで、何かと「愛」を押しつけるタナベが私は嫌いなのだが、
そういう、「しがらみの権化」みたいな女性が、よりにもよって、ハチマキの前に現れるというのが面白い。
なぜなら、タナベを乗り越える事で、より強固に、ハチマキは冒険へ向かう事ができるだろうと思うからだ。


幸村 誠
プラネテス (2)
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2005-10-29 22:14:20

『プラネテス(1)』 軌道はいつか人間の生活圏になる

テーマ:日本SF・ファンタジイ
以前より評判を聞いていた『プラネテス』全巻を、ようやく手に入れた。
むむ……表紙がいい……!

いや、中身も良い(笑)。

どこが良いのかというと、それは、太陽系を「新たな生活の場」として描いている点だ。
けっして、スーパーエリートしか行けないような場ではない。
かといって、生活臭がこびりつき、あちこちに錆すら浮いた、地上の延長線でもない。

フロンティアである。
そして、かつての「海」と同じくらいには、手の届く場所になっている。
その世界は、今現在はまだだけれども、もうちょっとで手の届きそうなところにありそうな、そのくらいの距離に思える。

その距離感というか、間合いが、絶妙なのだ。

また、メインキャラたちがしている仕事も、面白いな。
「おいら宇宙のパイロット」
というわけではなく、なんと、軌道上のゴミ掃除屋なのだから。

そう、確かに、地球の衛星軌道は年々混み合っていく。
公表されているものだけでもたくさんなのに、国によっては、秘密裏に軌道上へ打ち上げてるものもあるようだし、いいかげんやばいんじゃないかっていうらいの混雑。
『プラネテス』くらいの状態になれば、よけいに、ゴミは多くなってるだろう。

でも、やっぱり、仕事としては、かなり地味だと思う(笑)。
実際、この世界では、一方で、木星往還機なんてものが、「最先端」のものとして建造されてる最中なんだものな。

しかし、1巻の焦点でありユーリが、そんな仕事をしている理由。
そしてその理由を乗り越える瞬間。
これは切ないまでのロマンスでありながら、
「結婚という絆によって結ばれていた男女」
の物語であるために、これまた、未婚の男女の火花を散らすようなロマンスとは全然違う、地味だが、いぶし銀のような、そんな光を放っているのだ。

うん。良いよなあ。
大人の物語だ。


幸村 誠
プラネテス (1)
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2005-10-29 12:49:28

『ブラッド・プライス-血の召喚-』 女探偵、魔物を探索する

テーマ:海外SF・ファンタジイ
舞台はカナダのトロント
ヨーク大学 があり、
市営地下鉄は最近運行が削減気味。
なんていうと、ちょっと活気が低迷している、地方の大学都市……みたいな感じかな? 日本で言うとね。
※ 日本ではいまいちなじみがない場所なので、どんなとこかわかりそうなサイトにリンクしました。

まあ、大学生の集団が、ちょっとした無軌道をやることは、あるだろう。
でも、全体的には、平々凡々、平和に過ぎていきそうな日々。
なお、年代はおそらく本国でこの本が出た1991年頃だと思えば良いだろう。
(といっても、パソコンがモデムで電話線とつながっていて、電話をかけるとモデムの音がする、という点以外は、たぶん時代は感じさせない)。

そんななか、発生するのだ。
事件が。
喉の肉を食いちぎられた死体。
その死体からは、血が全てなくなっている!

一件なら、単なる猟奇事件かもしれない。
だが、引き続いて、二件、三件と発生したら、どう思う?

「ヴァンパイア……ですかね?」
「まっさかー。この現代に?」

新聞はおもしろおかしく「ヴァンパイアのしわざ」などと書く。
すると、踊らされる者も出る。
あいつは昼間であった事がないけど、ヴァンパイアじゃねーのか、などと。

さて、その事件に挑むのは、まず、女探偵ヴィッキー(通称、勝利の女神ヴィクトリー)。
彼女は、元敏腕刑事なのだが、難儀な眼病にかかって、夜は目が見えないのに近いし、視野も狭くなっている。じつは、このために、天職であった刑事をやめて半年ちょい、たっているのだ。

もうひとりは、高級なコンドミニアムに住むヘンリー・フィッツロイ。
彼は実在する歴史上の人物、すなわち、イギリスのヘンリー8世の庶子である。
となれば、
「ああ、こいつがヴァンパイア?」
と思うだろう。
(不老不死は必ずしもヴァンパイアの専売特許というわけではないが……)

しかし、連続する事件の犯人が実際にヴァンパイアかどうかは?
また、「ヴァンパイア」が単数なのかどうかは?
……わからないわけですね(‥

この二名を中心に、いったい連続殺人事件の犯人が「なに」なのか、
いったい誰がその背後にいるのか、
なんのために、連続殺人事件を起こしているのか。
その謎を、解き明かしていく事となる。

タイトルに「血の召喚」などと入っているくらいだから、「ぬぬぬぬ」な感じの儀式魔術なども、登場。
もっとも、儀式魔術用語の日本語訳では、ほんとは「喚起」と呼ぶのが正しいようなのだが(笑)>魔物を実体化させてよびだす術
まあ、これは、一般的に「召喚」が使われている、ということで、パスかな。

全体的に、雰囲気は、アメリカのテレビドラマ『聖少女バフィー』 あるいはそこからスピンアウトした『エンジェル』 を思わせる。
いってみれば、それらのドラマをもうちょっとアダルトにしたような。そんな感じ。

なので、ああいった世界観が好き、という人には、かなりお勧めだ。

ヴァンパイア観としても、『夜明けのヴァンパイア』や、近年のスプラッタな吸血鬼ほど派手ではないが、それなりに新しいヴァンパイア像が描かれている、とも言える。
現代の吸血鬼の、ひとつのパターンということだろう。
また、
「なぜ従来の吸血鬼は貴族ばっかりなのか?」
という疑問について、ユニークかつ納得いく答を、ヘンリーがしているところが、面白い(笑)。

全体に、面白いアイデアはそれなり、入っているし、
元刑事が主人公ということで、アクションもそれなり。
だが、どうも、どんな点でも「それなり」に終わっている感じもする。
派手さはないが、ちと無難なのだな。
したがって、読後、少しものたりないような気分になる。
(逆に、スプラッタなものは苦手だが、ホラーは読みたいかも、というタイプの人には、向いているかも)。

なお、あとがきによると、これはシリーズの第1作にあたるのだそうだ。
とはいえ、続刊が翻訳されるかどうかは、全く触れられていないのだが。


タニア ハフ, Tanya Huff, 和爾 桃子
ブラッド・プライス―血の召喚
ハヤカワ文庫FT
2005年10月31日新刊(発売中)
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2005-10-28 17:44:23

『聖書』をちょっと変わったところから読む

テーマ:その他
『聖書』の日本語訳は、ふつー、「口語訳」だ。
なぜかって、そりゃあ、キリスト教を学ぶために使うのだから、日本語としてわかりやすい方が良いに決まっている。
そして、ふつーは、それ以外の用途に使うわけはないのだから、それが正しい。

とはいえ、欧米の文学を読んでいると、聖書はしばしばネタに使われたり引用されたりするし、これがまたどういうわけか、「文語訳」で引用されてたりしますね(‥
なぜか?
そりゃあ。文語訳の方が、なんとなく権威的だったりするってのもあるが、
やっぱ、美しいからでしょう(笑)。

なので、たしかにこちらで読むと、ちとしんどいところもあるが、海外文学好きが手元に置いておくと、なにかと「嬉しい」のが、文語訳の聖書だ。
またこれがね。浸れるんですよ。文章に。
かっこよさだけで、読みづらい点は全てゆるす。

しかし、この道を突き進んでしまうと、もうひとつ欲しくなるものが、ラテン語で書かれた聖書だったりも、する。昔むかしは、それが一般的だったのだろうけど、現代では、まず、あり得ません。
(そして、海外のホラーなどを原文で読むと、いやらしいことに、聖書からラテン語で引用があることもある)。
なぜって……。
日本語の聖書がふつー「口語訳」であるのと同じ理由だ。
ラテン語なんてしゃべれる人は、今ではほんのひとにぎりだ。
(もはや、ヨーロッパとて、『カルチェ・ラタン』 の時代ではないのだ)。
カトリック教会だって、今どき、ラテン語でミサをあげることなど、ない(さすがにバチカンではどうだか知らないけど)。

ところが、やはり、研究目的などには、使う事があるのだろう、
現代でも、ラテン語の聖書が手に入らない事はないのだ(笑)。
今現在、"Biblia Sacra Vulgata" は、欧米でも出されているという事が判明。
え、それはなにかって? 『ウルガタ聖書』ですよ( ‥)/

あ、なんでこんな記事を書いているか、それはそもそも、ここに理由が(笑)。
長年、どうしようかなーほしいなーとか思っていた、これが、
……高いんですな。英米で出ているものは、日本で購入すると、1万円をちょっと超えるのだ。
ところが、つい先日、ドイツで出版されたものが5~6千円くらいで買えるというのを紀伊國屋書店BookWeb で発見してしまったのだった。

本日手元に届きました(恍惚)。

文語訳を手にした時には、相当うっとりしたものだが、
ラテン語はもっといいぞ。

いや、すらすらは読めないですから( ‥)/
まだ、最初のところをちょこっと紐解いただけである。
創世記の頭のところ。

In principio creavit Deus caelum et terram
イン・プリンキピオ・クレウァト・デウス・カエルム・エト・テラム

神、初めに天と地を創りたまえり。

……かっこいー。(3分ほど、このままイッてます)

文語訳といい、ラテン語といい、なんでかっこいいのか。
やはり、世俗にまみれた言葉(口語)ではないからですかね(‥

しかし、やはり読むのに時間は食いそうだ(笑)。


日本聖書協会
クロス 文語訳 小型新約聖書 詩篇附

Biblia Sacra Vulgata
(C)1969,1994 Deutsche Bibelgesellschaft
Vierte,verbesserte Auflage 1994
(旧約、新約、及びマネッセ書、エズラ書などのじゃっかんの外典が含まれる)
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