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2005-07-31 23:34:28

『ビリー・ジョエル詩集』 なぜ、ビリー・ジョエルにはまるのか

テーマ:音楽・舞踊
久しぶりにビリー・ジョエルが聞きたくなって、帰りがけにCDを1枚買ってきた。なぜかというと、ちょうど聞きたかった数曲のうち、
アップタウン・ガールと、
あの娘にアタックと、
ピアノ・マンと、
オネスティが、
ちょうどこの1枚に全部入ってたからだ。

まあ、グッドナイト・サイゴンは手元にあるもう1枚……NYLON CARTAINにも収録されているのでダブってしまったけれど。
こちらには、アレンタウンとプレッシャーが入っているので、以上2枚をPCのHDDに入れておけば、自分のベストが作れるというわけだ。
いやはや。HDDに曲を入れると、聴きたい曲だけのリストを作るのが楽なのは驚くほどだ(笑)。

思えば、ビリー・ジョエルにはまったのは、高校の頃だったと思う。
なぜかというと、ちょうどこのころ、クラシック一辺倒から抜け出して、「それ以外のもの」も聴くようになったからだ。もっともあの頃は財布の中身が極度に不自由だったから
(それもそうだ、まずは輸入版の楽譜に、次はSF小説に捧げられていたのだから)
もっぱら当時はFM番組をエアチェックして聴いていたんだなあ……。
ポップスやロックも、日本のものより、英米のものを中心に好きになったのは、FMを利用したからだったかもしれない。

それはそれとして、なぜ、ビリー・ジョエルなのか。
もちろん、メロディラインが美しい、歌声が、音程をはずれていない、この2点が、凄く重要だ(笑)。
でも、何より、歌詞が良かった。
子供時代をもがきながら抜けだし、若者になりつつある、あるいはなったばかり、なっている最中。
都市で生まれ、都市近郊で育ち、貧乏ではないけれど、べつだん、上流ってわけでもない。
あたりをメチャクチャにしてみたいけど、
「そこまでバカになれねえ」
そして、なんかもやもやしたものがあるのに、うまくふっきれない。
ともかく、突っ走りたい。

そんな心境の頃、ビリー・ジョエルの歌詞が、きっと、ぴったりだったのだ。

では、そんな段階を抜け出しているはずの今、なぜ、もういちど聴きたくなるのだろう。
決して、それは、懐古趣味から来るものではないと思うのだ。
「若い頃は」
なんて、過去を振り返って懐かしむような齢でもなし(笑)。

不思議と、十代の頃、二十代のはじめとは、別の視点から見ているはずなのに、やはり、ビリー・ジョエルの歌は、とても等身大で、そばに立って話している友人の誰かのように感じられるんだな。

『ビリー・ジョエル詩集-1971-1986』は、ちょうど、そんな詩がたくさん入っている本だ。
単に歌詞を集めたものだろうって?
いや、そもそも、詩というものは、歌うために作られたものじゃないか。
だから、そんな事を気にしてはいけない。

しかし、等身大の、自分と同じような人物が語っているかのような「詩」、それが、たまらなく良いなあ、と思うのは、単にそれが等身大であるからではなく、その詩を読む誰かの心を
否定することなく、
ありのままの姿を通して、
誰もが同じなのだということを歌い、
それを通じてひとをなぐさめ、
そして、なにより大切なことには、
「それで良いのだ」と、だまって未来を指さしてくれること。

あからさまにではなく、さりげなく、そうしてくれるというのが、良い。


ビリー・ジョエル, 山本 安見
ビリー・ジョエル詩集―1971‐1986


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2005-07-31 21:59:44

『ブラウン神父の童心』〈ブラウン神父1〉

テーマ:ミステリ
ミステリとしては、これって、とっても古い時代の作品だ。
チェスタートンによって世に送り出されたのが、1911年。
ということは、物語の舞台は、おおむね、19世紀末のイギリスだと言って良さそうだ。
コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズものとおおむね同じ時代であり、
後に続く大量の推理小説に、多大な影響を与えてもいる。

そして、ホームズは確かに大変魅力的だけれど、探偵の人物像としては、私はブラウン神父の方が何倍も好きだ。

ブラウン神父は。
人の良さそうな(あるいは、まぬけそうな)丸顔をしたチビで、
いかにも貧乏な田舎神父といった雰囲気で、風采はまるっきり、冴えない!
下手すると、
「この神父は、主の祈りしかまともに唱えられないんじゃないか?」
とすら、思えるほどだ。

ちなみに、神父といえば、カトリックの坊さんだぞ。
プロテスタントではない。<こちらは、牧師ですね
ということは、国家的にプロテスタントであるイギリスにあっては、社会的には、どちらかとゆーと、低く見られがちとも言える。

従って、こういう風采で、しかもカトリックの神父であるということは、
いかにも、科学的なことや、論理学などとは、無縁に見えるっていうことでもある(笑)。

ところが、実際には、ブラウン神父の頭の中には、明晰な頭脳がおさめられており、
神父の持論は、教会(カトリック教会)こそが論理と神をともに尊重するものである、というものなのだ。
へええ~?
ほんとー?

(しかし、考えてみれば、イエズス会など、まさしくそういう存在じゃあないか?)

さて。
ここで、「神父」という職業(?)が、重要な特徴を持っている事を、考えてみなければいけない。

カトリックにあっては、人は、懺悔をする。
つまり、自分の犯した大なり小なりの「罪」……
すなわち、
「ごめんなさい、神父さま、ぼくはお母さんに、バカヤローと言ってしまいました」
というようなものから、
「お許し下さい、神父様、私は隣の女房を寝取ってしまいました」
あるいは、
「私は……殺人を犯してしまったのです」
というようなものまで。

そして、神父こそ、最も古くから、「守秘義務」を固く守らなくてはならない職業(?)だったのだ!

真面目な話、もしも、殺人を懺悔されたとしても、神父は、それを警察だろうがなんだろうが、他人には一切、話してはならないのだ。

このことは、探偵小説の主役たる探偵として、良いようにも働くし、話運び上、悪くも働くと思う。
そういう、難しい条件を、チェスタートンは実にうまく、活かしているのだ。

こういうつとめをもった神父であるからこそ、ブラウン神父はなみいる名探偵の間で、かくも異色なのだろうと思う。
また、神父であればこそ、ブラウン神父は、
「犯人をつかまえる」
ことを、目的としない!
神父の考えは、あくまでも、
「罪人を悔い改めさせ、その魂を救うこと」
だからだ。
(これがあればこそ、懺悔というものが活きてくるんだけどね)。

これは、ブラウン神父ものの、最初期にあたる12編をおさめている。
そして、ブラウン神父の、いわば生涯の友であるフランボウが、どのようにしてブラウン神父と巡り会い、その朋友となったかがここで語られている。
フランボウというのは、フランス出身の、ワルあがりの探偵なのだけれど……(笑)。
そういえば、このフランボウという男は、ブラウン神父とは正反対の人物であり、話の上では、神父の引き立て役にもなるのだけれど、二人のめぐりあったいきさつなどを考えると、それを物語る『青い十字架』などは、非常に含蓄の深い作品になっているんだなあ。

目次---------------------
青い十字架
秘密の庭
奇妙な足音
飛ぶ星
見えない男
イズレイル・ガウの誉れ
狂った形
サラディン公の罪
神の鉄槌
アポロの眼
折れた剣
三つの兇器
-------------------------


G・K・チェスタトン, 中村 保男
ブラウン神父の童心
創元推理文庫
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2005-07-30 22:43:20

『竹の民俗誌』 日本のいたるところにある、竹

テーマ:人文・社会・ノンフィクション

『竹の民俗誌』。
この本を、喜八さん のブログで紹介 されているのを見た時に、なんだか面白そうだ、と思ったわけだ。
それにしても、竹か。

どうでしょう、竹って?

本を読む前に、竹と民俗というキーワードでどんなものが出てくるか、ブレーンストーミング風に言葉をあげてみることにした。

たとえば、地鎮祭の竹のかこい。
四方にたてた四本の竹にしめ縄をはっている、あれは竹で結界を作ってるんだよな?

たとえば、門松。
言うまでもなく、正月に門先へゆわえつける縁起物だが、あれも真中に三本の竹が入ってる。

たとえば、七夕。
子供の時は、誰でもやった事があるだろう。
星を祀る行事だけれど、その際、いろいろな飾りを「笹(竹)に」結びつける事になっている。

たとえば、出産時の古い習俗。
私は実際に見た事はないが、安産となるように、米を「竹の筒に入れて」、産婦の枕元で揺り動かしたという。ふつう、これは、米の持つ呪力という視点から語られるのだが、容器としては、必ず「竹筒」が用いられる事は、重要ではないか?

そして、竹取物語。
光る竹の中からあらわれた小さい女の子が、みるみる大きくなって……という、日本で最初の「物語」(あるいは、小説)だと言われている。

不思議なものでなくても良い。
竹で作られたものは、じつにたくさん、身の回りに満ちている。
もっとも、そのかなりの部分が、ビニールだのプラスチックだのステンレスにおきかえられてしまったけれど、たとえばザルとか、せいろとか。
みんな、竹で作られてたのだ。
昔の生活用具は、竹で作られたり、竹が使われたりしていたものが、やけにたくさんあった。
そして、考えてみると、竹って、葉っぱも皮も、根っこも、何もかもまるごと、使用されていたように思える。

じゃあ、今はだんだん姿を消してしまい、もっと現代的なマテリアルにおきかえられてしまって、竹は忘れられた素材になったかというと、さにあらず。
最近、竹炭ってやつが、いろんな意味で注目を浴びているんだそうな。
もともと、いろいろな薬効とか有用な成分もあるという竹なのだが、喧伝される「竹炭の効用」は、化学的または薬学的に信じられそうな感じのものから、
「いやーそれは現代の迷信だろう!」
と言いたくなるようなものまで、幅広くあるようだ(笑)。

そして、ともかく、日本の里山はどこへいっても、竹が見られない場所はない。
という気がする。
それほど竹藪も竹林もポピュラーだ。
ああ、日本って、昔から、竹、竹、竹の国だったんだな?

ところが!
この本のページをめくって、まず最初に驚かされるのは、こう書かれている事だ。
「古代の日本には、今のようには、竹がありませんでした」
……はい?
じゃあ、あのおそろしく種々さまざまの、数多の竹器はなんなのだ。

竹って。
そもそもは、熱帯または亜熱帯の植物なんだそうだ。
日本列島では、暖かい南西部にしか、竹はなかった。
それより北にはえていたのは、竹の仲間ではあるが、竹とはいえない、笹だけだったんだって。
あーなるほどね、そういや、熊が出そうな山の中って下生えは全部熊笹だったりするな。
あれは山歩きする時すごくうっとうしくてさ……って、違う、そういう話じゃない!(笑)

では、いったい、竹はどうやって日本に広がっていったのか。
竹器は、どうやってポピュラーになっていったのか?
いったい何者が、竹とか竹器をもたらしたのか?
日本人の源流に関する話とあいまって、これがなかなか面白いんだな。

そして、当然、『竹取物語』についても大きく紙数が費やされているのだが。
ええっと。
『竹取物語』って、ものすごい量の注釈書が、近代から現代に至るまで、出されているんだそうな。
(まあ、そうだろうな)。
でも、そういう「注釈書」を読んでいるかって言われたら、ふつー、そういうのに手を出すのは、国文の人くらいだろう。
正直、私だって、読んだ事がない。
川端康成が竹取物語マニアだったなんてのも、これっぽっちも知らなかった!

と、まあ、そういう事を前置きにしながら、『竹取物語』についても、非常に面白い切り口で、いろいろと解釈してくれる。
不詳である作者の人物像や、竹取物語で語られている事の意味などは、それこそ、大学の国文科でそういうものを研究した人ならば、常識として知っているのかもしれないけれども、
「かぐや姫の物語」
としてしか読んだ事のない者にとっては、新鮮で、非常に興味がわきます。

なぜって。
竹取の翁が、田畑すら持つことのできなかった、貧しい庶民であった、まあこのあたりは、単純に読んでいても、想像がつくことだ。
しかし、竹取りをする階層の人が、いったいどういう人々であったのか。
ここまでは考えなかったなあ。
それが、サンカ、あるいは古代の「隼人」に連なる人々、あるいは文化であるという見方を、著者は説得力あふれる筆致で、書き表している。
いやあ、これを読んでいると、『竹取物語』がミステリに思えてくるから不思議だ。

『竹取物語』に含まれるいろいろな伝説と、その素晴らしい構成力についても語られているが、
どうして、竹の伝来、竹器の技術を伝える人々の正体、そして竹取物語を通過して、竹、海洋民、月……ともっていくところは、著者の構成力も『竹取物語』に劣らないではないか(笑)。

新書なので、こういった内容であるにもかかわらず、比較的あっさりと通読できるところも良い。
旧七夕を控えて、ひとつ、この本はいかがですか。


沖浦 和光
竹の民俗誌―日本文化の深層を探る
岩波新書
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2005-07-29 17:12:36

『蹴りたい田中』 SFとはダジャレである。ほんとか?

テーマ:日本SF・ファンタジイ
第130回(平成15年度下半期)
茶川賞受賞作

41歳の瑞々しい感性が描く青春群像

これが……。
これが…………。
これが………………。
新刊当時ついていた腰巻を、テキストで再現してみたものだ。

えっ。
これって、芥川賞受賞作なの、と早とちりをしてはいけない。
よーく見たまえ。
ちょっと、違うでしょう?

なんだ、パチモンか、などと言ってはいけない。
いいですか。
これは、あくまでも、「茶川賞受賞作」なのだ。
そんな文学賞なんかないじゃんかよ、などと言わずに、まあ、ともかく、そういう賞があるのだと思って読みたまえ。
SFが好きな人、
あるいは怪獣が好きな人、
グロいものが好きな人、
なによりも、笑えるものとダジャレが大好きな人、
そのどれかに該当するなら、手にとって読みたまえ。

はっきり言って、笑えます( ‥)/

とりあえず、芥川賞ではなく、茶川賞。
ここで笑った人は、絶対、読んで損はない。

中身は、いちおう、あちこちのSF雑誌に掲載された田中啓文の短編集なのだ。
そうではあるのだけれど、それをうまくひとつながりにつなげて、全体がナンセンスなSF長編として読めるような工夫がしてある。
つまり、これは、はるかな未来あるいは並行世界で、(いや、もしかするとこの現実世界で)、いきなり消息不明になってしまった田中啓文という作家の、「遺稿集」という体裁を取っているのだ。

「遺稿集」であるからには、とうぜん、作品のひとつひとつに、いろいろな人が短文をよせているわけで、
実はそれらの人々は、(ほとんどがSFに関係のある)実在の誰それ、なのだが、
いやー、みなさん、この本の内容にふさわしく、凝ってらっしゃいますねえ。
名前をちょっとあげてみようか?
浅倉久志、山田正紀、大森望、恩田陸、菅浩江……
SFマガジンの編集長がいるかと思えば、落語家もいる。

田中啓文の芸風として、収録されている短編の中には、正直、
「おまえはスカトロ作家なんかいっ」
とツッコミを入れる、いや、5mくらいある棒の先でつっついてよけたくなるような、クサ~イ作品もあれば、

「いや、これは。短編じゃなくて、ただのダジャレなんじゃないの?」
と言いたくなるような、別の意味で、クサ~イ作品もある。

また、いくつかの作品は、怪獣映画であるとか、
あるいは、初期の日本SF界というか、その時代のSF作家たち(たとえば星新一)について多少の知識があると、
「その分おまけしときまっさ」
とでもいおうか、爆笑できるネタもつめこまれている。
しかも、マジで、容赦ないです( ‥)/


田中 啓文
蹴りたい田中
ハヤカワ文庫JA
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2005-07-29 10:01:07

『ギリシア・ローマの神話』 大人になって初めて読むならば……

テーマ:神話・伝説・民話
うちの母が、私を百科事典がわりにするのだ。
「Penelopeって、なぁに?」
「ペネロピー。あるいはペネロープ。女の人の名前」
どうやら、歌のタイトルらしい。
「なにか神話に関係あるのかしら?」
歌詞の中でそんなような事を言ってるらしい。
「……ギリシア神話だけど(汗)?」
「どんな話か、知ってる?(期待の目)」
「オデュッセウスの奥さんなんだけど……オデュッセウスは知ってるよね?(大汗)」
「……オデュッセウス……?」
「トロイ戦争に参加した英雄なんだが(滝汗)」
……母は、ギリシア神話を読んだ事がないらしかった。

「あなた持ってるの? 貸してくれる?」
「そりゃギリシア神話関係の本なら山ほどあるけど……専門書だよ(ぼそ)」
「それじゃ難しくてだめね(汗)」

さて、世の中には、ギリシア神話の本は、ほんとに、山ほど出ているのだ。
比喩的な話じゃなく、積み上げたら、実際に山ができるんじゃないかと思う(笑)。
ギリシア神話といえば、もちろん、世界一有名な神話群で、なんとなーく知ってるような気がするけど、実は良く知らない。じゃあ、どれを読もうか?
という時、私の母のように、困ったことになるわけだ。
もちろん、その方面に興味のある人なら良いのだが、普段、そんなものには目もくれていないよ、という場合、たとえ入門書程度のものであっても、「専門書」はかったるいだろう。
ほんとは、子供向けのものが、ある程度まとまっていて、かつ、読みやすく、おすすめなのだが、
「いい年をした大人がそんなものを読めるか!」
というプライドの問題があったり、
「いやー。ハードカヴァーは持ち歩きにくいからさ」
という現実的な問題があったりする。

そういう場合、私がおすすめしたいのが、この本だ。
実は、これ、もともと筑摩書房の「世界の神話シリーズ(全10冊)」に入っていたはずのものだ。
このシリーズは現在絶版みたいなのだけど(いや、きのきいた図書館なら、多分児童書コーナーにあるんじゃないかな)、幸い、大人向けにあらためて、文庫に落ちているわけだ!

・ 先に子供向けに書かれたものがあるので、内容がかなりこなれている。
・ 文庫なので、値段も携帯性も、手頃。

ちょっとギリシア神話でも、と思った時には、最適じゃあるまいか?

もっとも、うちの母のように、年を取って目が悪くなった、という場合には、やはりもとのハードカヴァーを探した方が良いかも。こちらは、文字組みも大きいからね(笑)。


吉田 敦彦
ギリシア・ローマの神話―人間に似た神さまたち 世界の神話
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2005-07-28 22:12:43

『欧米クラブ社会』 クラブって、どんなもの?

テーマ:人文・社会・ノンフィクション
〈シャンディ教授シリーズ〉の最終巻で活躍(?)する、ジム・フェルドスター教授は、長年、バラクラヴァ郡にある、男性のみで構成されるクラブの全てに入会しており、いつも、そのクラブの記章をじゃらじゃらと胸にさげ、ありとあらゆる「秘密の握手」や、「秘密の合い言葉」を知っている人物として描写されている。

いやー。これって、日本人には、とってもなじみのないものなんじゃあるまいか?

それでも、たとえば、「フリーメーソン」という言葉は、広く知られているだろう。
あれは、たいてい、秘密結社と呼ばれているし、確かに、そういった、秘教的な面も、ないとは言わない。
だが、ほとんどの場合、アメリカ人社会でのフリーメーソンって、一種の、「社交クラブ」として機能していると思えば良いようだ。
(ただし、フリーメーソン自体は世界中に支部があり、内部で複雑な各組織にわかれ、それぞれの関係や系統が錯綜しているため、一概に「全てがそうだ」とは言えないと思う)。

ただし、これはあくまでも、私の両親や、両親の、アメリカ人の友人たちが、
父親はフリーメーソンであり、
母親はフリーメーソンの外郭婦人団体であるイースンタンスターであり、
息子は同じく外郭少年団体であるディモレーであり、
娘は同じく外郭少女団体であるレインボーに所属していて、
すなわちディモレーやレインボーには私の(当時の)友人たちもいて、
これらの団体の一部の儀式では、「栄誉あるゲストメンバー」として、ある特定の役割を果たした事がある、
それらを通じて得た印象であることを、おことわりしておく(笑)。

始めに言ったように、おおむね、それらは、社交クラブとして機能しているんだけれども、
内部のいろいろな約束事や、そこで行われた話し合いは、一切外に漏らせないというのが一般的で、
会員は、集会の時は、特定の衣装を身にまとい、
あるいは記章とか特定の装身具に類したものを身につけ、
会員同士でしかわからない言葉や身振りでやりとりをする。
もちろん、入会にあたっては、会員複数の推薦と、支部での面接、入会させてもいいかどうかの投票(ふつう、一人でも反対だと、入会できない)などがある。

なんつうか、アメリカの中流以上の(?)家庭ではメジャーな、アメリカ文化なんじゃないのかなあ。

秘密を共有する仲間を持ち、それは、普段の家庭生活や、表向き(!)の社交生活とは一線を画している。
秘密(儀式とか、まあ、単なる特殊な握手とかでもいい)を共有するということで、結びつきが強くなり、お互いを助け合い、より親密になっていく。
また、ひととき、日常から解放され、それが日常生活の大いなるガス抜きとして作用する。

実際、ジム・フェルドスター教授の場合は、大いにそういう活動が、悪妻との生活を継続するにあたってストレス解消になっていたわけだ(笑)。
また、ドクター・メルシェットや、ストット教授までが、一事はフェルドスター教授と一緒に、そういったクラブのどれかに所属しており、今、その活動をしていなくても、一種の「友愛感」を共有しているというのも、そんな文化を感じさせる。

こういった、クラブ文化みたいなものは、おそらく、イギリスの、「男の社交の場」としての「クラブ」の影響も大きく受けているのだろうけど、アメリカ人が自家薬籠中のものとした時、そういう性格を保ちつつ、
「男だけの世界」ではなく、
「家族のそれぞれが独自に参加する活動」
に変化しているところが面白いなあ、と思う。

そして、実際、バラクラヴァ郡の人々は、大学の教職員も含め、善人はみな、家族思いだ。
土地と家族がたがいに強く結びつく。
これは、また、「農民の生き方の典型」とも言える。
それを言うなら、形はちがっても、日本人も農耕民族なわけで、そういうバラクラヴァの人々の暮らしが、日本人の共感を呼ぶのも、当然といえば、当然なのかもしれないね。


木下 玲子
欧米クラブ社会
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2005-07-28 21:52:06

『牛乳配達退場』〈シャンディ教授シリーズ〉

テーマ:ミステリ
私の知る限りでは、これがシャンディ教授シリーズの最終巻。
少なくとも、日本語に訳されたものでは、これが最後という事になる。
作中に流れる時間でいうと、なんと、シャンディ教授がヘレンと巡り会い、結婚してからはや10年。
クロンカイト・スウォープがつとめる、バラクラヴァ郡フェイン&ペノン紙は、かつての週刊紙から、日刊紙にまで成長し、新米記者も花形事件記者に。
一方、ただでさえオンボロさではバラクラヴァ郡第二の存在だった、バラクラヴァ・ジャンクション警察署唯一のパトカーはとうとう路上のポンコツとなりはて、オッターモール署長は気の毒にも、新しいパトカーを買う予算をもらえず、一番上の息子の自転車でパトロールをするはめに!

物語の中といえども、月日のたつのは、思いもよらず早いものだよな。

さて、ところで。
世の中には、たいてい、「隣人」という存在がある。
聖書にある「隣人」ではなく、文字通り、我が家の戸口から数えて、隣の家に住む人だ。
その人の事を、どれくらい、知っていますか?
これが、田舎、それも昔の田舎であるなら、同じ村に住んでいる人の事ならなんでも知っていて当然、というような事があるかもしれないが、
そして、たしかに、マサチューセッツ州バラクラヴァ郡はど田舎だが、
少なくとも、バラクラヴァ農業大学は、必ずしも根っからの地元の人間だけが集まっているというわけではないし、教職員住宅での隣人関係は、一般のバラクラヴァの住人に比べ、やや、都会的なのかもしれない。
つまり、
「隣の人とそこそこ親しくはしていても、実はあまりその人の背景については知らない」
ということだ。

今まで、シャンディ教授の同僚は、いろいろな形で、物語の準主役をつとめてきた、と思う(笑)。
たとえば、ストット教授は、大学の優秀な雌豚ベリンダが誘拐された時に。
エイムズ教授は、ホースフォール農場がだましとられようとしていた時に。
図書館長のボーブル博士はうーザック沼の事件の時に。
ウィニフレッド・ビンクス準教授は、その遺産の投資先をめぐる事件の時に。
だが、その間じゅう、シャンディ教授の隣人たる、フェルドスター教授は、たいして活躍する事がなかった。
なんつうか、「ぱっとしない人物」っていう印象があったはずだ!

でも、今回は、ジム・フェルドスターと、その嫌われ者の妻、ミレールが事件の主役といっていい。
シリーズ中でも群を抜いて猟奇的な殺人もあり、
また、どちらかというと、物語は推理小説というより、サスペンスに近い形で進行する。
また、メイン州に住むヘレンの親友、カトリオーナ・マクボーグルが、その生来の方向音痴ぶりを遺憾なく発揮し、素晴らしい役回りを引き当ててもいる(笑)。

だからといって推理小説として物足りないかといえば、そういう事でもないんだな。
読者が見落としそうな手がかりがあちこちにばらまかれ、いったい、誰が、なんの理由で、事件を引き起こし、ひどい殺人をしたかは、ラストに、まことに「にやり」とさせられる方法で、明かされたりもするのだ。

ところで。
常々思って来たのだが、このシリーズ、ミステリでありつつ、なかなか勧善懲悪的な感じがしないか。
いや、「悪」というのとはちょっと、違うかな。
もちろん、結果的には、「悪」なんだけれども……。
善人は最後に必ずむくわれ、
イヤなやつは、結局悪いやつ。これまた、それ相応の最期を遂げるのだ。

そして、シャンディ夫婦がめぐりあってから10年というならば、平均、1年1回、発生したことになる、残酷な殺人事件も、そろそろ、種が尽きたのかもしれない。
だって、少なくとも常連キャラクターの中には、もう、鼻につくような、イヤなやつがみつからないからな。

惜しくも、作者シャーロット・マクラウドは、大往生してしまったが、この事件の後も、バラクラヴァ郡では楽しい日常が続き、ようやく、シャンディ教授は素人探偵の役回りを逃れる事ができたのだろう。
平凡だが、明るく楽しく、善きものすべてが、なぜかとっても巨大な、バラクラヴァ。
それは、古き良きアメリカの象徴であり、
シャーロット・マクラウドによって世界のミステリ・ファンに送られ、
読者の心の片隅に、永遠に存在しつづける理想郷でもある。

追悼記事としては、大変時機を逸してしまっているのだけれど、世にも楽しいミステリのシリーズを送り出してくれたシャーロット・マクラウド女史の冥福を、心よりお祈りしたいと思う。


シャーロット マクラウド, Charlotte MacLeod, 高田 恵子
牛乳配達退場
創元推理文庫
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2005-07-27 17:29:14

『水のことのは』 日本人の愛する水

テーマ:自然と科学
「みずみずしい」という言葉がある。
これは、本書によると、最も外国語に翻訳しにくい言葉なのだそうだ。
言語すなわち文化であるとするならば、日本人の文化は、水の文化だと言えるのかもしれない。

海に囲まれ、川多く、湖や沼、池が多数あり、山には滝、あるいは泉。
一年を通して、四季おりおりの雨が降り、あるいはまた、雪が降る。
朝夕には霞立ち、あるいは山野に霧が流れ、
季節によっては台風なども訪れる。

日本人をとりまく水の姿は、まことに、千変万化だというほかはない。

たとえば、タイなどに行くと、あちらも見渡せば水が目に入る、水の豊かな土地であるのに、ホテルの部屋に入るや、バスルームはもとより、館内サービス案内など、ともかくいたるところに、めだつように、何カ国語も使って、かしましく、
「水を飲むな!」
と書いてある。細菌だかなんだか、ともかく病気のもとになる微生物が水道水にまで入り込んでいるため、水道水といえども水を飲んでは危険なのだ、と聞いた。
(一応、これは、私が90年にタイへ行った時目にした事実だ)。

だが、幸いなことに、これまた見渡せば水が目に入るような日本では、そういうことがない。
確かに、
「生水を飲んでは毒だ」
などと言われる事はあるけれども、基本的に、日本の水は安全ということだ。
なにしろ、いやなことは「水に流し」、水をもって罪や汚れを「そそぎ」、清い状態となるのだという事が信じられているほど。こういう信仰は、「水とは清いものだ」という前提条件がなければ、成り立たないよな。

詩歌にせよ、水を読み込んだ歌の、なんと多いことだろう。
水をあらわす、あるいは水にちなんだ言葉の多さとあいまって、やはり日本人は、水の文化を持っているのだなあ、と感じさせられる。

また、日本人の心は、水と共にあるといってもいい。
心の動き、あるいは心が澄んだ状態などが、水にたくしてあらわされる。

そんな日本の、水の文化を、いろいろな「言葉」を通じて写真集にしてある『水のことのは』。
写真の方は、日本にこだわらず、世界中の、水と関係のある景色を集めてあるようだ。
また、言葉の方も、古い言葉、伝統的な言葉にこだわらず、カタカナ言葉なども入っているから面白い。

夏は暑いけれど、水浴びをしたり、打ち水をしたりして、涼をとろうか。
え、それもちょっとかったるい?
それなら、水の写真集でも開いて、涼を感じよう。


ネイチャープロ編集室
水のことのは
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2005-07-27 15:14:30

『水のなかの何か』〈シャンディ教授シリーズ〉

テーマ:ミステリ
メイン州に住むヘレンの親友カトリオーナ、そしてシャンディ教授の旧友ガスリー・フィンガルとの物理的交流がひんぱんになってから、物語の舞台はバラクラヴァ郡から大いに外へ広がり、今回などは、とうとう、バラクラヴァ農業大学はおろか、バラクラヴァ郡そのものが、背景としてしか出てこない(笑)。

今度の物語は、メイン州の海辺、これまたすごい片田舎の町で展開されるのだ。
とはいえ、そこにシャンディ教授が来た理由というのは、
ヘレンが女友達をたくさん招いて、パジャマパーティーをする、その邪魔をしないため、カトリオーナに教えてもらった、名品のルピナス を見るというのが目的だったのだ。

ルピナスという花がどういうものか私は全くといっていいほど知らないのだが、どうも、物語の中で説明されているところによると、薔薇や牡丹同様、肥料喰いで、育てるのがけっこう大変らしい。
でもって、白から赤、紫にいたる、様々な色あいの花があるんだそうだ。
ところが、シャンディ教授が見たルピナスは、痩せた岩山の上で潮風に吹かれていて、
「こんな貧弱な土地で、こんなすばらしいルピナスができるとは!」
と、どぎもを抜くのであった。

ところが、この岩山とルピナスの主は、どうも秘密の泉を持っているらしく、その水は、ミネラルウォーターにはちょっとうるさいシャンディ教授をまたまた唸らせるもので、土地の人は、若返りの秘薬のように思っている、らしい。

そして、この岩山には、まだ、シャンディ教授のどぎもをぬくものがあった!
それは、芸術にうとい教授の目にも、すばらしいと見えるどころか、ぞっこん惚れ抜いてしまうほどの、無名の画家によるたくさんの油絵だったのだ。

とはいえ、シャンディ教授の行くところ、事件がおこらないはずはないよな(笑)。
まず、教授が泊まっている小さな宿屋で、不可解な頓死事件が発生。
なんともいやな感じの男が、いきなり、シチューの上につっぷして死んでしまうのだ。

いやあ、話の舞台が、メイン州の片隅からほとんど動かないにもかかわらず、
・ シチューに顔をつっこんで死んだ男(みんながその葬式をお祝い事だと思っている)
・ 山猫のような、得体の知れない、品行の悪そうな女(死人の女房だと自称)
・ なんともいえず素晴らしいルピナスと、油絵と、年齢不詳の泉の主
・ むかーし亡くなった宿屋の女主人の夫(フランスの元レジスタンスであった身体障害者)
・ 詐欺によって引き裂かれた夫婦の劇的な再会
・ 山猫女の不可解な殺害
・ 引き裂かれていた夫婦が実は二重の詐欺にあっていたこと
などが、あいついで発生するわけだ。

ところで、シャンディ教授シリーズの「真犯人」は、(本格ものじゃあるまいし)わりと見当を付けやすいのだが、今回ばかりは、(初読時には)最後までわからなかった。
正直にいうと、こいつに関する謎解きには、ちょっと、とってつけたようなところもあって、
「納得いかない分もあるけど、まあ本格じゃないし、いいかー」
な感じなのだ。

しかーし!
それを補ってあまりあるのは、悲劇の女性アイオランシの家族、そして謎の画家の正体だ。
いやあ(笑)。
実を言うと、画家の正体は、最後まであかされないにしても、見当を付けやすく、ラストに何が起こるか、そっちの方でわくわくさせられたのな。
また、それがあったために、いつものハッピーエンドが、さらに、当社比2倍くらい、ハッピーであったような気がする。

なので、ミステリとしてはそれほど出来が良くないと思うけれども、これはシリーズ中、私がベスト5に入れたい、雰囲気の良い、ステキな物語のひとつだ。
あえていうと、アメリカの、ハートウォーミングなホームドラマを見ているような感じと言おうか(笑)。
マクラウドのファンは、女性が多いとか言われるが、やはりこういう雰囲気に理由があるのかな。
おっと、これは、女性差別的発言になっちゃうかな?
(言うまでもないけど、そんなつもりは毛頭ないぞ)。


シャーロット マクラウド, Charlotte Macleod, 高田 恵子
水のなかの何か
創元推理文庫
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2005-07-26 20:36:59

『ナチュラルCOOKING』 自然食は菜食主義?

テーマ:グルメ・料理・ドリンク
〈シャンディ教授シリーズ〉に登場するウィニフレッド・ビンクスは、長年森の中で完全に自給自足していたから、その食生活はほとんど菜食主義に近い、と描写されている。
もっとも、彼女の場合、森の中では、不運にも死んで発見された鹿の肉を有効利用していたから、100%ベジタリアンというわけではないし、食べられる時には肉も食べるって事になっているわけだ。

で、彼女の食生活がなんか魅力的で、自然食品ってどういうもんかなあ、などと想像してしまうのだが……。

どういうわけか、この手の本をめくってみると、ひたすらひたすら、ほとんど菜食主義、という内容になってるんだな(笑)。
また、必ずしも「自然」から採取した食物を扱っているというわけでもない。
たとえばこの本は、雑穀なども扱っているわけだ。

はて。
それってナチュラルなんだろうか?

もし、ほんとのほんとに、「自然がくれたもの」を食べよう、ということであれば、人がわざわざ自然を改造してつくりあげた穀類は、ナチュラルとは言えないんじゃないか?

もちろん、雑穀が悪いというのではなく、なんか言葉の使い方が間違ってるような気がするのだ(笑)。

ウィニフレッドは、もしその手段があれば、必要な程度の肉は手に入れて食べた。
そして、彼女の考え方は、
「ほんとうに体に良いもののみを使った食生活をおくる」
というところに尽きるようだ。

ナチュラル、という言葉は、やはり「人間が種をまき、作りました」というものを含まないように私は思う。
たとえば、どんぐりを集めてきて殻を割り、渋を抜き、砕いて製粉して食べる、というのなら、ナチュラルかなあ、などと思う。
どんぐりじゃなくとも、トチの実とか、そんな風にして昔は食べられていたわけだし。

雑穀などを使ってミネラルや食物繊維をとり、添加物のない食品を食べることで健康を保ちましょう、というのなら、「自然食」ではなく、やっぱ「健康食」というのが正しいんじゃあるまいか?

いや、いずれにせよ、雑穀米とか食べるのは好きなんだけどな(笑)。


尾形 妃カ怜
ナチュラルCOOKINGレシピ―自然の食卓
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