1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /
2005-06-30 21:20:07

『平成都市伝説』 都市伝説がテーマのホラーアンソロジー

テーマ:ホラー
これを見た時、
「なんか贅沢な面子だなあ」
そう思ったのだ。

梶尾真治、井上雅彦、牧野修、田中啓文、友成純一……
好きなホラー作家がそろってるんだよな(笑)。
しかも、テーマは都市伝説だ。
こりゃあもう、買うっきゃないだろう!

うん、後悔はしなかったぜ。
モダンで、うまく組み立てられた、ホラー短編がそろっている。

たとえば、『わが愛しの口裂け女』(梶尾真治)。
あったなあ、子供の時。口裂け女のウワサ。
もう、小学校の中学年にはなっていたと思うから、別に信じちゃいなかった。
でもね、
「なあ、口裂け女が出たって話、聞いた?」
……なんか、その話をする事そのものに、スリルを感じる。
その口裂け女が、本物の人間だなんて、みんな信じていなかっただろ?
だけどさ。
この話を読むと、
「ああ、こんな口裂け女なら、いたかもな。いてもいいな」
そう思えちゃうのだ。
たとえ、100mを3秒で走るなんていう、荒唐無稽な能力があっても。いや、なくても。

あるいは、『怪人撥条足男』(北原尚彦)。
もともと、19世紀のロンドンを舞台に小説を書いている作家だけれど、これはうまいっ。
じつに、うまいっ。
といっても、テーマになってる撥条足男……バネ足ジャックは、日本ではマイナーな存在だ。
よくまあこんなもん、とりあげたな。
ところが、ラストで、もっとスゴイものが、ちらりと顔をのぞかせる。
これを、はっきりと書いていないところが、実にいい。
ホラーの真髄は、全貌が見えないというところにあるんだからな。

『飢えている刀鋩』(井上雅彦)に、『コウノトリ』(山下定)。
複数の都市伝説に、民間伝承までからませながら、まるでジグソーパズルのように話が組み立てられていく。そして、どちらも、現代のひずみというものを、巧妙に演出している。
こういったひずみから、都市伝説が生まれてくるのだという事を、熟知した作家の作品だ。

『風聞』(奥田哲也)と、『名残』(斎藤繁)。
これは一転して、幻想味を感じさせるなあ。ホラーというより、怪奇短編。幻想譚と言っても、いいかもしれない。とくに、『名残』が美しい。都市伝説でも、こんなきれいな話が作れるのか。

逆に、スプラッタ系の怖さを押し出してくるのが、『見るなの本』(田中啓文)と、『悪魔の教室』(友成純一)。
これを読んだら、うひゃひゃひゃひゃひゃっと理科室の骨格標本が笑い出しそうだ。
スプラッタ系であるだけでなく、どちらも学校の怪談だ。
ローティーンの頃特有の、なまなましいキタナさ、ちょっと恥ずかしいような異臭、そこに潜む恐怖。
おっと、どちらも「いじめ」が関わっているのも同じだな(‥
そうだよな。学校という特殊な場所では、「いじめ」って、やっぱ、恨みの積もる原因としては、トップにあげられそうだもんな。
とうぜん、怖い話のネタに、「恨み」はつきものだ。

トリを飾るのは『伝説の男』(牧野修)。
さすが、トリをとる作品! これでもか、これでもかと都市伝説を絡ませて、アンソロジーのグランドフィナーレを飾ります、というようなお見事な短編になってる。
あれも、これも。
世界的にメジャーなものから、日本ローカルなものまで。(どちらかというと前者が多いかもしれないけど)。
さながらこの一編だけで、都市伝説の博覧会みたいな感じがした。
やっぱり、贅沢だ。
このアンソロジー。
ただし、一部の物語は、食事の直前および最中に読むのは薦められない。
一応、書き添えておく(笑)。


著者: 井上 雅彦, 牧野 修, 山下 定, 田中 啓文, 奥田 哲也, 友成 純一, 斎藤 肇, 北原 尚彦, 尾之上 浩司, 梶尾 真治
タイトル: 平成都市伝説―ホラーセレクション
C☆NOVELS
AD
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
2005-06-30 15:40:56

『東京怪談ディテクション』 ほんとにあった怖い話!?

テーマ:ホラー

欧米では、怖い話っていうと、クリスマスのものなのだが、日本じゃ、なんたって、暑い時だ!
暑くて暑くてたまらんから、怖い話でも聞いて、寒くなってみよう、という心意気。
そういや肝試しも、夏がシーズンだね。

もし、実施するならば、そろそろ、場所の目安をつけておいた方がいいんじゃないか。
でも、怖いスポットってあったっけ?
よくしたもので、たいてい、宝島あたりが夏に特集を組んでくれたりするみたいだが、常設展ならぬ、1年通して参照できるように(違)、本などもあるわけだ。

東京ローカルの話だけど、『東京怪談ディテクション』、これがなかなか、まとまっていて面白い。
今! 現在! まだまだ!
東京近辺のここが怖い。
そういうスポットを、怪談つきで集めてあるのだな。

私も首都圏に住んでいるので、ここに載せられているスポット、あるいは怪談のひとつやふたつやみっつやよっつくらいまでは、耳にした事がある。
(スポットはいざしらず、怪談のネタを目にしたことはない)。

載せられている怪談の、面白いところは、
「怪談のもとになった話」から、それが発展・定着した様子まで、書いてあったりする事だ。
怪談が発生し、広まっていく様子がわかるわけで、なかなか面白い。

そういえば、ここには載っていない怪談をひとつ思い出した。
私が通っていた八王子の大学は、地方から出てきた学生のための、男子寮と女子寮を持っているのだが、その男子寮の話。
この本にもあるように、八王子には、八王子城という城があって、そのあたりは戦場にもなり、八王子城からの落武者が、幽霊となって出る、なんていう話は、たとえば平山城址公園あたりにもある、らしい(こっちは良く知らない)。

さて、男子寮は、山奥にあるのです。
なんでかって、八王子の大学は、みんな、「ひと山」もってるからな(笑)。
1大学、1山(昔のお寺かよ!)。
なので、寮も、町中から離れた山の中にあるっていうわけ。
これがまた、近くに、八王子城の支城があったといわれている場所なんだけど、寮生が、なんか、
言っても信じないだろうけどさあ……
みたいな、うっそりした表情で語ったところによると、
夜中、蛍光灯が、薄暗くなるんだと。
点滅したりもするそうだ。
別に古い蛍光管だからってわけじゃなく。
そして、すうっと薄暗くなったところに(真っ暗じゃないところがミソ)、人影のようなものが見えてくるんだって。それがね、血刀を下げた、落武者に見えてくる。
別に何も悪さをするわけではなく、そのまま廊下だか、寮室だかを、すうっと通り抜けていくだけなのだ。

ちなみに、ここの寮生には、とある宗派の信徒が非常に多かったんだが(当時の話)、
彼らの信ずる宗教の力は通じなかったのであろうか!(笑)

しかし、ヤツの、この話を語った時の表情がね。
いかにも怪談を話すぞ、というのでもなし、
笑い話にしてごまかそうというのでもなし、
こうなんともいえない、「うっそり」としか表現のしようもない、暗いといえば暗いし、気がないといえば気がないし、そこはかとなく「なんかいやだな~」という、そんな雰囲気だったわけだ。
これがね、ほんとの話かもな、と私に思わせる一番の要因となったのだ。

はたして、この怪談は、大学にそのまま伝わってるんだろうか。
確認した事はない。


著者: 広坂 朋信
タイトル: 東京怪談ディテクション―都市伝説の現場検証
AD
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2005-06-30 14:12:27

『クロマティ高校』 告訴されちゃった? えぇぇ?

テーマ:その他
巨人には、昔、クロマティという選手がいました(過去形で語ってやるぜ)。
なんかしらんが、今は、USAで、サムライベアーズ とかいう野球チームの面倒を見ているらしいぜ。

日本の球団に助っ人に来ていた外人選手って、昔も今も、いるわけで、
助っ人に来るからには、それなりにウデが良くて(たぶんな)、
まあそれなりに活躍をして(たぶんな)、
日本で稼いで、帰っていったわけだ。

あえて言うが、日本には、稼ぎに来たんだろ?
それで、日本人の間に人気があったのなら、それで良いじゃん?

何が言いたいかというと、このクロマティ氏、告訴をした のです。
リンクしたデイリースポーツの記事によると、漫画の方にも、去年の夏連載中止を要請し、講談社に拒否されているらしい。
へえ~。
ふぅ~ん。
懲りずに今度は映画を告訴ですか~。

『クロマティ高校』は、ここで、すでに2回とりあげたのだが、私の愛するギャグ漫画である(笑)。
たしかに、この作品世界では、いくつもの高校があって、
登場する高校は全て、不良高校生が跋扈しており、
高校の名前は、みな、かつて日本の球界で活躍した外人選手の名前を取っている。
クロマティ高校も、もちろん、クロマティ選手の名前からいただいたものなのは、隠せない(笑)。

しかし、単行本1~13巻の中で、野球が登場したのは、
「野球部を作ろうぜ!」(しかし用具もなければメンバーのほとんどは野球がどういうものか知らない!)
というネタが一度あったくらいだな。
もちろん、クロマティだ、マニエルだ、バースだ、デストラーデだ……というような名前が、野球と関係のあるような事は、一切、明言されていない(読者が、ああ、元ネタは野球選手と勝手に連想できるだけ)。

さらに言うと、たしかに登場人物は不良高校生だけど、べつだん、
「不良がやる悪いこと」
は、ほとんどしていませんね(‥
シンナーやるわけじゃなし、それどころか、日本酒も、ビールすらも、飲むシーンはないよなあ。
もちろん、レイプどころか、女性や子供、年寄りをイジメるシーンもない(むしろ年寄りを大切にしているシーンはあったような……)。
まあ、1万歩ほど譲って、「殴り合いくらいはしてるよ」といってもいいが、その内容はあくまでも、ギャグに終わっている。

そりゃそうだろ。
ギャグ漫画だもんよ!

たとえば、デストラーデ高の不良たちが、大挙して、クロマティ高校になぐりこみに行く。
ところが、わけのわからんシュールな口車にのって、なぐりこみはなしくずしに、なかったことに。
あるいは、クロマティ高校の不良たちが、なぐりこみに行く。
ところが、待ち合わせ時間になっても、みんな遅刻しちゃって誰も来ない。なしくずしに、なかったことに。

いや、それよりも、
誕生日を祝ってくれてありがとう、でも俺の誕生日は「先月だった」んだよ、とか。
なんで教室にゴリラがどんどん増えていくんだ、とか。
誰が最強の男かを決めようぜというテストとして、「お灸を背中に据える」とか。
……別に不良のやることと、なんの関係もない……。

最近は、絶滅危惧種になってるんじゃないかという気もする、「不良高校生」という属性は、キャラクターにとって、ただの「属性」にすぎない。
いってみりゃ、洋服とたいして変わらないんだよな。

自分自身がギャグとしてからかわれているならまだしも(それでもなんだかなとは思うが)、
ギャグに目くじらたてるというのは、おとなげない。
ケツの穴小せぇぞ、ミスター・クロマティ!

映画の配給元となるメディア・スーツ は、サイトのトップページの「お知らせ」欄に、
「ウォーレン・クロマティ氏の仮処分申立に関する当社の見解」
を掲載している。
それによると、メディア・スーツ社は、この映画が、決して、
「クロマティ氏の名誉を傷つけるものではないことを確信している」
そうだが、そんなもの、クロ高を読んでいる人には自明の理では……。

メディア・スーツ社の苦労がしのばれる、というか、困惑ぶりが、なんとなくうかがえる(^^;

いっそ、この訴訟騒ぎで映画が話題になり、レイトショーとモーニングショーだけでなく、昼間もフルにロードショーしてくれんものか、とすら思ってしまうのだが、なにはともあれ、クロマティ氏には、ちゃんと『クロマティ高校』を読んでみてもらいたいなあ。
たしかに、青少年の健全な育成に役立つ内容ではないだろうが、
健全な育成を妨げる内容でもないぞ。
(毒にも薬にもなりません)。

いや、この鬱陶しい世相を考えると、
笑いをもたらしてくれる!
これだけで、健全な育成にいくらかは役立っていると弁ずる事は、できそうだがな(笑)。

まてまて。
大切なことを忘れていた。
主人公の神山自身は、不良じゃないのだ。
しかも、神山がクロ高に入った動機は、友人を励まして、
「どんな学校であっても、勉強はできる!」
ということを、立証するためだったはず。おまけに神山は、
「クロ高を普通の高校にすること」
これを諦めていないじゃないか(笑)。

なあんだ。
クロ高って、りっぱに、青少年の健全な育成に役立ってるんじゃないのか(笑)?

この記事は日本語で書いているし、英語サイトを作る気はこれっぽちもないが、まあ、ファンとして、クロ高擁護の筆はとっておくかと思った次第だ。
面白いもんには、ことさら、擁護の記事なんか、必要ないかもしれないけどね。

良いものは、良い。
これに尽きる。

AD
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2005-06-29 22:52:24

『イディッシュの民話』 東欧のユダヤ人はこんな風に暮らしていた

テーマ:神話・伝説・民話
イディッシュとは、なにか?
簡単にいうと、東欧に住んでいたユダヤ人をさす言葉。
かれらに共通するイディッシュ語というのもあるのだけど、これ、ヘブライ語ともちょっと違う。ヘブライ語とドイツ語の中間みたいに聞こえる言葉だ。(事実、イディッシュをしゃべるユダヤ人は、ドイツ語が得意っていう話がこの本にもある)。

日本人には、とっても馴染みの薄い言葉なので、
「なんかよくわからん」
という場合は、もっと簡単に、
「ユダヤ」
そう考えておけば、いちおう、間違いではないよ。

さて、これは20世紀に採取された民話集で、そのせいか、かたやロシアのツァーが出てくるかと思えば、ナポレオンや、ロスチャイルド男爵も登場する。
内容は、なんとな~く想像されるかと思うんだけど、やっぱ、宗教的なものが、他の民族に比べて多いような気がする。

それも道理。
ユダヤ人は、まず、民族宗教(ユダヤ教)を持っていて、その信仰をよりどころに、独自の文化を築いているわけだ。
ということは、彼らの生活はユダヤ教徒切ってもきれないわけで、それならば民話にもその影響が出ようというもの。

でも、理由はそれだけではない。
じつは、ユダヤ人は、ことのほか、「おはなし」が好きらしいのだ!

聖書に親しんでいる人なら、その中に、しばしば「たとえ話」が出てくる事を思い出すはず。
イエス・キリストも、、人々にわかりやすく神様のことなどを説明するため、たとえ話を用いたんだな。
とくに、イエスの場合は、教育を受けていない人々、たとえば女性にむかって、たくさん、教えを説いたわけで、そのためにもたとえ話が必要だったのだと思われる。

この本でも、まさしくそれと類似のシチュエーションで、たとえ話がひんぱんに使われているし、話者の思い出話、お話を聞いた時の状況説明として、
「シナゴーグ(ユダヤ教の教会)や、ユダヤ教の学校で、お話を聞いた」
というのが、やまほど出てくるのだ。

とはいえ、べつだん、宗教がかった話ばかりじゃないぞ。
むしろ、そういうのは少数派。
笑い話もあるし、魔法昔話もあるし、なんと妖精譚だってある!
ユダヤ教と妖精って、なんだか相容れないような気がするけれど、ちゃんと、ユダヤ人も、自分たちの妖精や小人や悪霊などを持っているわけだ。
なかには、イギリスやフランスなどでおなじみのものが違う形で出てくるのもあるし、
全然そういうのとは関係ない、独自のものと思われるのもある。

故国を持たず、ヨーロッパ、とくに東欧を流転していたユダヤ人……イディッシュたちの、生活がうかがわれる民話集。なんとなく、胸にじんわりとくる話が、たくさん入っているんだ。


著者: ビアトリス・S. ヴァインライヒ, Beatrice Silverman Weinreich, 秦 剛平
タイトル: イディッシュの民話
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2005-06-29 17:49:00

『落窪物語』 平安のシンデレラ

テーマ:古典・文学
十代前半の頃っていうのは、ともかくマジで手当たり次第に読んでいた。
本を買うためのカネなんてないから、図書館、図書室、親父の本棚。
あるやつを読むしかないっていう環境だった事もある。
なので、古典の全集なんかも、読んでたんだな。
その中で、
「ヘンなタイトル」
と思ったのが、こいつだ。
『落窪物語』。
なにそれ?

荻窪でもなければ、恋ヶ窪でもない。
まあ、こんな風に、武蔵野には「窪」がついた名前があって、たいてい、平地の中でちょっとくぼんだ地形をさしているようなんだが、落窪もそうかというと、ほとんど違うんだな。
くぼんだところはくぼんだところだが、地面ではなく、床の事です。
京都の話だしな。

平安時代の、有名な寝殿造り。
想像するからに広壮な、あの手の屋敷には、他より一段床が落ちくぼんだ部屋(?)というのが、あったらしい。落窪とは、それをさすのであります。

それにしたって、なんでそんなもんがタイトルになるのか?
……ヘンだよねえ?

理由は、こういうことなのだ。

あるところに、平安貴族の夫婦がいて、かわいい姫君が生まれました。
ところが、母君は、運悪く、姫君が幼いうちに、亡くなってしまうのです。
やむなく、父君は新しい妻をめとりましたが、この女性が、そりゃあもう、俗物でして。
なさぬ仲の姫君を落窪へ追いやり、着せるものも着せず、食べるものも食べさせず、もちろん、ろくろく女房などつけるわけもない。
それどころか、針仕事はおしつける、亡母のかたみからなにから、どんどんとりあげる!
あげくのはてに、姫君を卑しめて、「落窪の君」などと呼ぶのですよ。
典型的な、「悪い継母」なのだ!

当然、この姫君は、おとなしく、美しい。
まあ、かなり流されやすい性格かな、とは思うが、そこらへんも、はかなげで同情心をそそる(笑)。
ともかく、継母による継子いじめが、はんぱじゃないのだ。
すんげー間抜けで頭の悪そうな、身分もぱっとしない爺さんと、姫君を結婚させようとしたりね。
(このくだりは、読んでいてかなり笑えるんだけど、当人にしてはたまったもんじゃあるまい)。

設定、ストーリーをそのまま現代にもってきたら、もう、思いっきり、昼メロですね( ‥)/

幼なじみの侍女が、そりゃあがんばって、うまく立ち回るんだけど、姫君本人は、
な~がされるまま~。
見ていると、非常~~~~~に、歯がゆい!
いいのかそれで!
よくないだろ!

でも、平安版「白馬の王子様」と無事結ばれ、ちゃんと、めでたしめでたしになる。
もちろん、例の継母にも、ちゃんと意趣返しをするのだが、実はここが、なかなかほほえましい(笑)。
姫君をめとった「白馬の王子」は、事情は知っているわけなので、びしぃっと仕返しをしたがるのだが、姫君がそれを止めるんだね。
で、ちょっときのきいた歌を、かつて無理矢理ひどいものと交換されちゃった鏡箱の蓋かなんかに、さらさらと書いて、お使いにもたせてやるわけです。

これが他の国の話なら、悪いヒトは、いきなり最後で、スプラッタなことになってしまうのだが、日本人の感性でいくと、やはり、こうだよね。
鉄製のハンマーをぶぅぅぅんっ! ではなく、
縫い物上手な姫君なだけに、針の一刺しなのだよ。
雅に、ちくりといくわけだ。

読者の方も、それまで継母の所行に、がまんにがまんを重ねた状態となっているから、別段、ハンマーでずしぃぃぃぃん! でなくとも、これでけっこう、爽快感があるのです(笑)。

話は、それなりに、なかなか面白いし、ミニイベントをせっせと積み上げていくあたり、読者を飽きさせないのだが、落窪の君は、日本一(いや、世界一?)、状況に流されてる姫君であるのは、間違いなさそうだ。


著者: 三谷 栄一, 稲賀 敬二, 三谷 邦明
タイトル: 落窪物語・堤中納言物語
いいね!した人  |  コメント(14)  |  リブログ(0)
2005-06-28 21:46:19

『真夜中の戦士』 将棋のコマでなくなった時……

テーマ:日本SF・ファンタジイ
永井豪は、物議をかもしてきた漫画家である。
そりゃもう、いろんな意味で、スゴイ漫画がたくさんある!
私のイチオシは、『デビルマン』、あるいは『手天童子』などの、暴力シーンあふれるSF漫画なのだが、
同じSFでも毛色の違う『キューティー・ハニー』もあれば、
お色気むんむんのコメディ、
『ハレンチ学園』や、『けっこう仮面』などなど。
世の中に「衝撃」を与えた漫画は、枚挙にいとまがない。

そういう作品群のなかで、これは、埋もれているかもしれないが、どうして、永井豪の言いたいことを、明確に打ち出した作品だ。
のちにシリーズになったけれど、私は短編として発表された、最初のストーリーが好きだ。

話の筋は、簡単なものだ。
将棋がプレイされているのだけれども、そのコマが、ロボットなのだよ。
なぜ、ロボットに、王将から金、銀、桂馬などなど、将棋のコマの役をやらせるのか?
それは、盤上でルールにそった形でコマを動かす、あの将棋を大幅にアレンジして、コマ同士で、実際に戦わせるというゲームになっているから。
ロボットは、大元の将棋のコマの特徴をあらわした能力を持っているという仕掛けだ。

なあ~んだ。
そういうものなら、ロボットではなくても、まず、バロウズがやってるよね。

では、どこがポイントか?
それは、
「将棋のコマにされており、自分の意志と関わりなく戦わなければならない運命」
ここから、主人公たちが、抜け出そうとする。
そして、抜け出したならば、もはや彼らは「ロボット」とは言えないんじゃないか?

ここにあるわけです( ‥)/。

ロボットであれ、
鬼であれ、
あるいは悪魔と合体してしまったデビルマンであれ、
しばしば、永井豪の創り出したキャラクターは、自らの意志ではない、「戦士」とされている。
だが、彼らは決してそのような「戦士」であることを、よしとはしていない。
その運命から抜け出すために、新たな戦いに臨むのだ。

そしてね、負けてしまうんだよ。

不思議と、必ずといっていいほど、彼らは、勝たない。
目指したゴールに、到達しないのだ。
その姿に、いつも、胸をうたれてしまうのだけれど、もしこれが、戦いに成功したという結末だったら、どうだろう?
これほど、胸をうたないのではあるまいか?

それは、それらのキャラクターがめざしているものが、「理想」だからなのだと思う。
理想というのは、手にした瞬間、理想ではなくなってしまう、というか、決して手にできないものだよな。
それでも、目指すというところが大切。
また、そうでなければならない。

そういう、見ようによっては非常に哀しいし、
逆に、とても素晴らしいように見える人間の姿というやつを、永井豪は描きたいのだろうな。
そして、読者がそういうキャラクターに共感してしまうのは、たとえ自分が、鬼や、ロボットや、デビルマンでなくとも、なんとなく決まり切ったレールの上を走っているような、そういう人生が、それらのキャラクターの、エコーのように感じるからじゃないのか。

『真夜中の戦士』では、永井豪のそんなスタンスが、非常にわかりやすく、明示されていると思う。


著者: 永井 豪
タイトル: 真夜中の戦士
いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2005-06-28 14:46:51

『はてしない物語』 夢を捨てない限り物語が終わることはない

テーマ:絵本・児童文学
いろいろな理由で、うまくまわりにとけ込めないという事があるならば、どうしたって孤独を感じてしまうだろう。
でも、人は社会的な動物だから、孤独には、基本的に、耐えられないのだ。
だから、代償行為として、夢を見る。
夢の中で冒険をし、そこで、無意識に、人間関係をシミュレーションし、再び現実に戻ってくる。
次は、他の人とうまくいくかもな。

でも、そんな「大人の考え」はまるっきり別として、夢の世界に入り込むことには、誰でも憧れるんじゃないか?

夢の世界で、思い切り、冒険をしたい。
なにか、スゴイ活躍をしてみたい。
たいてい、そういうことは、ごっこ遊びなり、テレビゲームなり、あるいは物語の中で、楽しむものなのだけれど、そうだ、物語だよ。
本を開いて、空想をするのではなくて、ほんとに本の中に入れたら?

でも、よくよく考えると、それはちょっと怖いことだ。
なぜなら、物語は、全てを語っているわけじゃないだろ。
どうでもいいようなささいな事は、はぶかれている。
もしそれが重要でなければ、つらいこと、苦しいこと、汚いこともな。

それに、忘れちゃいけない。
もし、主人公として物語の中に入るのなら、
「主人公とは、すべからく、苦難を乗り越えなくてはならないものなのだ」
ということを。

この物語でも、主人公は、なかなか大変な思いをする。
現実でひどい目にあってるな、と思っていたら、なんのことはない、空想(?)の世界でも、やっぱり、大変だったというわけ。

でも、冒険には苦難がつきものだし、
苦難を乗り越えるからこそ、冒険ってものになるわけだ。
まあ、考えてもみたまえ。
自分でいかだを作って、ちょっとした川を渡ってみる。
これは、かなりの冒険だ。いかだがばらけたら、泳いで渡れる程度の川でも、いきなり危険度がうなぎのぼり!
でも、政府がかけてくれた橋で、同じ川をすっと渡ってしまうのなら、安全だし、従って冒険にはならないわけだ。

もしかすると、「冒険」というやつは、バスチアンがめぐりあったのと同じように、意外なところで待っているものなのかも。
ただ、それを「冒険」にするかどうかは、本人次第。
冒険を終える事ができるかどうかも、本人次第。

そして、最初にかえって『はてしない物語』というタイトルを見る時、いつも、考えてしまう。
夢を見ることを忘れないでいる限り、物語は、終わらないのだろう。
でも、もし、現実に埋もれて夢を見ることを忘れてしまったら、自分の物語は、そこで消えてしまうのかもしれない。


著者: ミヒャエル・エンデ, 上田 真而子, 佐藤 真理子, Michael Ende
タイトル: はてしない物語
いいね!した人  |  コメント(12)  |  リブログ(0)
2005-06-28 12:31:06

『ドリトル先生航海記』 動物や鳥と、話してみたい

テーマ:絵本・児童文学
動物と話す。
あるいは、鳥と話す。
これって、普遍的に、人間が
「やってみたい」
と、思う事なのかもしれない。
洋の東西を問わず、動物や鳥の言葉を話せる(理解できる)ようになる物語は、たくさん存在する。

でも、動物と会話をするだけでなく、動物と友達にもなってしまう人。
その第一人者は、なんたって、ドリトル先生だろう!

小学生の頃に大好きだったこの物語を、高校の頃、英語の勉強のため、英語で読んだ。
その時、ついていた先生によると、
「ドリトル先生の名前は、実はあまり上等な名前ではない」
のだそうだ。
イギリスに滞在経験のある先生によると、ドリトル先生の名前は、do little 、つまり、「(ほとんど)何もしない」という意味。
イギリス流の階級意識とか、背景にはいろいろなものがあるのかもしれないが……。
たしかに、半ば隠遁しているように見えるドリトル先生、社会的地位は、上等じゃないのかもなあ、などと思わぬでもない(笑)。

そう、ドリトル先生は、人間社会からみると、はみ出し者なのだ!
アウトサイダーと言ってもいい。
これって、
「人間は霊長(他の動物より偉い)である」
という、ヨーロッパ的な考え方からしても、そうなんだよな。
動物と同じラインに立っているドリトル先生、この点でも、すでに、はみだしちゃってるわけだ。

また、「だからこそ」、動物たちの仲間に入って、ふしぎな冒険をする事ができるのだろう。

人間の(あるいは大人の)常識的な考えからすれば、
人間の限られた五官や、体の表現力では、動物や虫などと話をする事など、できるはずがない。
単純な話をすると、たとえば人間にはしっぽがないよな。
犬がしっぽを振ってあらわすものを、人間は、同じように犬に伝える事ができるか?
……かなり難しそう。

ドリトル先生が、実際にはどうやって、他の動物と話をするのか、それは、明確にはされていない(笑)。
ともかく、ドリトル先生は、どうにかこうにかして、他の動物と話ができる。
それがお約束で、それで良いのだ。

しかし、はみ出し者であるという見方で良いのか?
別の見方をすれば、新たな世界を知る為には、自分の生きている世界から、一歩外に踏み出さなくてはいけない、という事にもなりそうだ。
ドリトル先生の冒険も、一歩踏みだしたところから、始まっているわけだね。

ドリトル先生のシリーズ、何冊も出ているけれど、その中で一番好きなのは、やはり『航海記』。
虹色の大きなカタツムリが出てくるのって、確かこれだったはず。
いいなあ!
でーっかい、虹色のカタツムリで旅行。
ちょっと、やってみたい気分になってしまう。


著者: ヒュー・ロフティング, 井伏 鱒二
タイトル: ドリトル先生航海記
いいね!した人  |  コメント(6)  |  リブログ(0)
2005-06-28 12:14:10

『宝島』 もし、宝の地図を手に入れたなら?

テーマ:絵本・児童文学
絶海の孤島に、有名な海賊船長の宝が埋められていて、そこに取り残された海賊が(あるいは海賊の屍体が!?)、宝を守っている。

この、通俗的なイメージは、いったいどこから来たのだろう。
スティーブンスンから?
それとも、スティーブンスン自身、そういう海の説話か噂話をもとに、この物語を書いたんだろうか。

いずれにせよ、海賊というものに対する一種のロマンティシズムと、
シーチェスト(いわゆる宝箱ですよ。ほんとは水夫の衣類箱らしいけど)いっぱいに詰められた、金貨や宝飾品の山!
これは、世界中の子供たちの胸を躍らせてきたわけで、私もその一人であった(笑)。
大人向けの、いわゆる帆船小説にハマる前まで、海のヒーローといえば、フック船長であり、キャプテン・キッドであり、海賊シルバーであり……。
(ほんとは、みんな、悪党なのです)。

しかし、『宝島』にしろ、べつだん、海賊をもちあげてるわけじゃないよな。
では、なぜ、海賊にそれほど憧れちゃうのか?

まず第一に、彼らは海のプロフェッショナルである。
プロフェッショナルということは、それだけで子供の心をくすぐるものがある(笑)。
そして第二に、彼らは、船に乗っている。
船という乗り物は、もうそれだけで、子供が大好きなものなんだよ。
最後に、彼らは、「世間の」規則とかきまりに縛られていない。
仲間内の決まりがあるのは、別に良いのだ。うるさい親とか教師のような、そういう存在とは無縁である。ここが、重要なのだな(笑)。
海という、未知の世界をゆく、自由な男たち。
そういうイメージに、憧れてしまうのだ。

ここに、「宝物」ときては、決定的ではないか(笑)。

しかしながら、改めて考えれば、子供にでもわかるとおり、海賊は、悪者だよね。
海賊というものへの興味(魅力)、
宝物というものへの憧れ(宝を手に入れたいというより、宝を発見したい、という方がでかい)、
ここに、
「海賊との知恵比べ」
子供でも、海賊と対抗する事ができる!(かもしれない)。
たまらなく、胸躍るじゃないか。

現実的に考えてみれば、あやふやで、あやしげで、あり得ないようなことばかりだけれども、やはりそれは、「夢と冒険でいっぱい」の物語でもあるのだ。

海を見る。
どうですか?
今でも、水平線のかなたに、宝島があることを、信じることが、できますか?


著者: 山元 護久, スティーブンスン, 池田 龍雄
タイトル: 宝島
いいね!した人  |  コメント(9)  |  リブログ(0)
2005-06-28 11:58:54

『ニルスのふしぎな旅』

テーマ:絵本・児童文学
むかーし、NHKがアニメにした児童文学なんだけど、私はアニメの方はほとんど知らないのだ。(でも、なぜか歌は歌えます。タケカワユキヒデだったような気がする)。

実は、この物語の一番の思い出は、
「えーっ。薔薇の実って食えるの?」
これであった(笑)。

物語の中で、ニルスがもらう食べ物に、薔薇の実というのがあるのだ。
庭に咲いている薔薇が、実をつけ、しだいにそれが黄色くなっていくのを見て、子供の頃はずいぶんと、
「食えるのか~。ほんとに食えるのかなあ」
と、思っていたものだ。でも、食べなかったのは、ニルスと違って、小さくなっていなかったからです(ほんとかよ?)。

近年、ローズヒップなんていうのがはやって、
「おおっ。ニルスのあれか!」
と心躍ったのだが、実際には、ちょっと違うものらしいね。

ことほどさように、ニルスといえば薔薇の実、というイメージが強烈に残っているのだけれども、なぜ、ニルスがそんなものを食わなければならなかったか。
それは、ニルスが、小さくなってしまったからなのだ。
それはもう、小さい。
ガチョウより、うんと小さい。
……う~ん?

ガチョウといえばヨーロッパの民話などには、しばしば出てくるけど、日本ではあまりなじみがないよね。
どれくらいの大きさだろう。
物語の中では、ガチョウがカモたちと旅をすることになるので、カモとそんなかわらない大きさと考えれば良いかな?
うん、カモならば、本州ではわりとそこらじゅうに、いるね。

そして、ニルスは「小さくなっている間だけ」、鳥や動物と、話をする事ができた。
ガチョウと一緒に、カモたちの旅に加わる、それが「ふしぎな旅」。
普通の、人間のままでは、見る事ができない大自然を、カモたちとほぼ同じ視点で、ニルスは見る事ができたわけだ。

「人間であること」と、
「両親に保護されている子供であること」
この、ふたつの立場から解放されたニルス。
(まあ、ガチョウくんが、ニルスのいわば保護者になってくれるのだけれども)。
生きていくことが、難しく、おそろしく、だからこそすばらしいのだという事が、旅の間にわかってくるわけだ。

しかし、なんといってもこの物語の面白さっていうのは、
「一瞬のうちに、主人公の視点が、強制的に変えられてしまうこと」
これなんだろうなあ。
最初は、いきなり、小人に。
最後は、いきなり、もとどおりに。
視点がかわると、世界そのものが、まるで変わってしまうのだ。

逆に考えれば、今、自分が見ている世界は、見えているだけのものではない。
実は、多様性に満ちているのだ!
子供の頃は、ニルスと一緒に、このことが一番の驚異として感じられたと思う。
カモたちの目で世界を見ることの、不思議さ。
日常、自分がよく見知っているはずのものが、いきなり、見知らぬものになってしまう不思議さ。
これが、「全くの異世界」より、もっと心を躍らせてくれるんだな。

しかし、そんな考えは大人のもの!(笑)。
これを最初に読んだ子供の頃は、やっぱり、
「ガチョウに乗って空を飛び、薔薇の実を食ってみたい」
これだったんだよね(笑)。

夏だと、この物語のシーズン(これは秋の物語です)より、ちょっと手前になってしまうのだけど、
「山野で冒険をする」
これは、夏休みが一番、良いかもな。
ハイキングなどで山に入ったら、ちょっと腰をかがめてあたりを見て、ニルスの気分になってみると、面白いかもしれないな。


著者: セルマ ラーゲルレーフ, 山室 静, 井江 栄
タイトル: ニルスのふしぎな旅
いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >> ▼ /

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。