【自由と不安7】 心の種まきと、”何もしない”優しさ | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

「まいたタネは必ず生える」

という信念のもとに、

「自分を見つめ直す」とき、必ず問題になることがあります。

 

それは、

「こころのタネまき」です。

 

「自分のまいたタネ」を振り返る時、

身体でやったことや、言った言葉は当然問題になりますが、

それ以上に、

「自分自身」を反省した時、

「自分の心」も気にせずにはおれません。

 

心のタネまきは、

態度や雰囲気を醸し出し、

言葉のニュアンスや抑揚となり、

眼差しや表情となって現れます。

 

見えるものを通して、見えないものがにじみ出てきます。


 「なぜ生きる」には、次のようにあります。

 

外にあらわれる体や口の行いよりも、

見えない心が大事にされるのは、なぜだろう。

体や口の行いは、心の指示によるからである。

火の元であり、体や口の行為は火の粉にたとえることができよう。

火の粉は、火の元から舞い上がるように、

体や口の行為は、心の表現であるからだ。
「戦争は心の中ではじまるのだから、平和の砦は心の中につくられねばならぬ」

と、ユネスコ憲章も宣言する。

残虐非道の戦争も、根元は心と見ての訴えであろう。
消火も火元に主力がおかれるように、仏教はつねに心の動きに視点がおかれる。

 

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心のタネまきは、また、

「しない」種まきとしても現れます。

 

良くも悪くも、「しない種まき」は、

決して小さくない結果となって表れます。

 

分かりやすいのは、「無視」でしょうか。

敢えて、視ない、話しかけない、何もしない。

しかしこれは「何もしていない」という種まき“ゼロ”なのではなく、

存在を認めない、否定するという強い心の種まきの表れです。

それは、相手に与える結果・影響の大きさからも明らかです。


 

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逆に、「何もしない優しさ」というものもあります。

見守ることは、何かをするよりも、

暖かく、大きな優しさとして相手に伝わることがあります。

 

人間関係の悩みや、

耐えがたいダルさや吐き気や痛みが襲う病気など、

つらく、打ちひしがれている時、

何かをしてもらいたいわけでも、

アドバイスがほしいわけでもないけれども、

そばにいてほしい、独りでは居たくないこともあります。

そんなとき、そんな気持ちを察して、

ただ、そこにいてくれる、寄り添ってくれることが、

何よりもうれしく、あたたかい気持ちになります。

 

doing よりも、beingがありがたいという事実も、

「心でまいたタネ」に、大きな力があることの証ではないでしょうか。