【医療と無常観2】 変わること、変わらないこと | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。


「退屈・・・」

手足の骨折などで入院した患者さんや、
点滴で治療するために入院している患者さんは、
ベッドの上で安静にしていることが治療の一環となるため、
ひたすら続く、刺激のない毎日・・・。

変化がないことは、時に耐えがたい時間になります。

正確には、
自覚できないほど小さな変化しか起きない、
マイナーチェンジばかり、ということですが。

そんな小さな変化に気づけたら、
見える世界もまた変わってくるかもしれません。




■変わること、変わらないこと

私たちの願いは、今の状態が「変化する」ことでしょうか、
「変わらない」ことでしょうか。

変化があったほうが、刺激があって楽しい。
同じことの繰り返し、変化のない毎日は退屈でつまらないと感じることもあります。

でも、変化し続ける日々は、
常にストレスにさらされることにもなり、
心も身体も落ち着かず休まらず、疲れてしまうこともあります。

楽しい時、嬉しい時は
「ずっと今の幸せが続くといいのに」と、そっと、強く願います。

健康もまた
「この状態が続いてほしい」と思える心や体の状態と言えるかもしれません。

ドイツの文豪ゲーテは、生涯をささげた大作「ファウスト」で、
人間の幸せとは「時よとまれ、お前は美しい」と心の底から思えることだと描いています。

でも、この幸せの定義は、
その願いは決して叶わないという、悲しい現実「諸行無常」が前提でもあります。
幸せのことを「怖いくらい幸せ」と表現するのも、
心のどこかで、この「無常」に気付いているからなのかもしれません。



■無常は無情

大会直前に怪我をしてしまう運動部の学生。

仕事が忙しくて休めないのに、通院・入院せざるをえない人。


病気や怪我に苦しむ人を見るたびに思います。

無常は無情。

情け容赦なく襲ってくる無常の風は、
平穏な日常に、何の前触れもなく突然やってきます。
私達の都合など、おかまいなしに。

やり場のない怒りを、あからさまに爆発させる人は少ないですが、
心の中で葛藤、苦悶する姿には、かける言葉もありません。


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■悲しみも無常だからこそ・・・

時の流れは、非情でもありますが、
心を慰めてもくれます。

心もまた無常。
悲しい気持ちや、ツラい思いも、
永遠に続くわけではありません。
寂しさそのものは変わらずとも、
形を変え、色を変え、自分なりに受け止められるように変化していく気がします。



無常観は、無情な現実を納得するためではなく、
現実を見つめて、少しでも早く次の一歩を踏み出すためにあるのだと思います。



♪ Starting over Mr.Children

 今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く
 眩い 儚い 閃光が駆けていった
 「何かが終わり また何かが始まるんだ」
 こうしてずっと この世界は廻ってる
 「何かが終わり また何かが始まるんだ」
 きっと きっと