「退屈・・・」
手足の骨折などで入院した患者さんや、
点滴で治療するために入院している患者さんは、
ベッドの上で安静にしていることが治療の一環となるため、
ひたすら続く、刺激のない毎日・・・。
変化がないことは、時に耐えがたい時間になります。
正確には、
自覚できないほど小さな変化しか起きない、
マイナーチェンジばかり、ということですが。
そんな小さな変化に気づけたら、
見える世界もまた変わってくるかもしれません。
■変わること、変わらないこと
私たちの願いは、今の状態が「変化する」ことでしょうか、
「変わらない」ことでしょうか。
変化があったほうが、刺激があって楽しい。
同じことの繰り返し、変化のない毎日は退屈でつまらないと感じることもあります。
でも、変化し続ける日々は、
常にストレスにさらされることにもなり、
心も身体も落ち着かず休まらず、疲れてしまうこともあります。
楽しい時、嬉しい時は
「ずっと今の幸せが続くといいのに」と、そっと、強く願います。
健康もまた
「この状態が続いてほしい」と思える心や体の状態と言えるかもしれません。
ドイツの文豪ゲーテは、生涯をささげた大作「ファウスト」で、
人間の幸せとは「時よとまれ、お前は美しい」と心の底から思えることだと描いています。
でも、この幸せの定義は、
その願いは決して叶わないという、悲しい現実「諸行無常」が前提でもあります。
幸せのことを「怖いくらい幸せ」と表現するのも、
心のどこかで、この「無常」に気付いているからなのかもしれません。
■無常は無情
大会直前に怪我をしてしまう運動部の学生。
仕事が忙しくて休めないのに、通院・入院せざるをえない人。
病気や怪我に苦しむ人を見るたびに思います。
無常は無情。
情け容赦なく襲ってくる無常の風は、
平穏な日常に、何の前触れもなく突然やってきます。
私達の都合など、おかまいなしに。
やり場のない怒りを、あからさまに爆発させる人は少ないですが、
心の中で葛藤、苦悶する姿には、かける言葉もありません。
■悲しみも無常だからこそ・・・
時の流れは、非情でもありますが、
心を慰めてもくれます。
心もまた無常。
悲しい気持ちや、ツラい思いも、
永遠に続くわけではありません。
寂しさそのものは変わらずとも、
形を変え、色を変え、自分なりに受け止められるように変化していく気がします。
無常観は、無情な現実を納得するためではなく、
現実を見つめて、少しでも早く次の一歩を踏み出すためにあるのだと思います。
♪ Starting over Mr.Children
今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く
眩い 儚い 閃光が駆けていった
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
こうしてずっと この世界は廻ってる
「何かが終わり また何かが始まるんだ」
きっと きっと