伝説のボス猿 | 寿建設 社長ブログ

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今回の2泊3日大分・熊本行は結構な強行スケジュールで動き回り、いろんな人に会って来た。
同行してくれた小学4年の娘にもちょっとは子供向けの場所にと思い、大分空港までの帰路にて猿で有名な「高崎山自然動物園」に寄ってみた。
私自身も20数年ぶりだと思う。

 

園内は野生の猿が檻もないまま来園者のすぐそばでウロウロしている。
娘も最初はとまどっていたが、喜んでいたようである。

 

一番奥にあった「サル寄せ場」というところで、とても話上手な説明員の方が高崎山の猿について解説をしていた。

猿たちは現在2つの群れをなしており、それぞれボスを筆頭に700頭以上生息しているらしい。


かつては3つの群れがあったのだが、そのうちの1つの群れたった一匹の猿が壊滅させた、という話があり、とても興味を持った。
園の帰路でも、その猿のPRポスターが掲示されていた。

伝説は語り継がる。
その轍(わだち)、並ぶモノ無し

というコピーが渋い。

 

「ベンツ」という名のその猿は、2年前に亡くなっている。
彼の戦いの人生(猿生?)がすごい。長くなるが、ネット情報をざっとまとめるとこうだ。

 

ベンツは大分県大分市の高崎山自然動物園で1978年ごろに誕生。
身体も大きく貫禄ある風体からドイツの自動車にちなんでベンツと名付けられた。

9歳だった87年10月に同園史上最年少でB群ボスに就任。
気性は荒いが一旦事あれば、喧嘩・もめごとの仲裁解決手腕は抜群だった。

ところが、「英雄色を好む」の諺通りC群の美人猿に恋をし、事もあろうかB群のボスの座を捨て、90年1月にリズと駆け落ちする。

その後C群に移籍、最下位から始め徐々に地位を上げていく。

そして2002年(平成14年)6月、「高崎山」史上初の大抗争が勃発する。

当時の最大勢力A群を背景に餌場を独占しょうと画策していたが、C群の当時のボス猿はA群の勢力を恐れ手が出せない。
そのころC群は700頭あまり、A群は800頭以上もいる世界最大の群れだった。
C群とA群は約1年に渡ってにらみ合いを続け、お互いにオス猿たちが前列に並び、その後ろに他の猿が並ぶという、昔の合戦さながらの配置で、睨み合っていたそうだ。

そんな折、業を煮やしたベンツが一匹でA群の中に飛び込んでいき、投げる、噛み付く、蹴っ飛ばす大暴れ。
C群の血気盛んな若者猿もベンツに従い突入していった。
A群は山に逃げ帰り、次の日もベンツが大暴れをしたので、A群はまた逃げ帰り、ついにはベンツが遠くに姿を見せただけでA群は山に逃げ帰るようになった。
そのときの様は、まるで天敵である犬などを見るような恐れ方だったそうだ。

そして、「高崎山」開園以来何十年と続いた最大勢力のA郡は消滅してしまうのである。

その後、2011年2月に32歳でC群ボスに昇格した。
史上最高齢での就任、かつ二つの群のボス就任も初めてだった。

2013年9月に突然姿を消すが半月後に山から約7キロ離れた所で無事保護され、ベンツはボスの座に復帰。
しかし12月、再び姿を消し、1か月の捜査にもかかわらずベンツを見つけることができず、
高崎山自然動物園は2014年の1月17日にベンツの死を認定した。


ちょっと背筋がざわっとするような生き様である。

「伝説」の名に相応しい。

 

ベンツに関するニュース動画