米村哲次【てつぢん】です。


12月4日(金)18:30~20:30 マツダミヒロさん広島ライブセミナー


宝地図の望月俊孝さんにつづく第2弾!

魔法の質問で大ブレークの あの

マツダミヒロさんを広島にお呼びします。

12月4日(金)18:30~20:30 ライブセミナー 

「すべてがうまくいく魔法の質問」

~人生を変えられる瞬間はいくらでもある~

場所:広島市南区比治山本町16番27号
広島市南区民文化センター2階 スタジオ
 料金:3,000円 (150人限定)

詳細・お申込みは、下記HPで↓ 

  http://matsudamihiro.ddo.jp/index.html

上記、セミナーに関するお問い合わせは
ドリームメイカーズ 
代表 米村哲次
kotobanotetsujin@yahoo.co.jp
まで、お願い致します。







1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
テーマ:偉人から学ぶことが成功となる 2009-11-20 18:58:13

偉人から学ぶ・・彼は歌舞伎の・・

彼は、1660年に生まれたが


どこで生まれたかは定かでない


歌舞伎界の世界に入り


12歳で役者になり、14歳では演出の


仕事も任されていた。


さらに作家としても活動して


一人で三人分の活躍をしていた。


その後、33歳の時に、名前を変更する


その彼の名は 市川団十郎(初代)


一座の中心的な役者となり


多くのファンを魅了した


しかし、初代市川団十郎は、44歳のときに、


同じ役者仲間の恨みを買って、


舞台の上で刺し殺されてしまう。



ご存知にように、昨日婚約発表した


市川海老蔵のお父さんが、現在12代目を


務めていて、今、歌舞伎界一の名家となっている


350年も続くには、人々を魅了し続けるものが


ないと続かないのだと思う。


市川海老蔵さんおめでとうございます。


13代目14代目へと伝統を引き継いで


歌舞伎を楽しむ人の憧れとなってください。


ペタしてね



テーマ:偉人から学ぶことが成功となる 2009-11-19 08:08:08

偉人から学ぶ成幸の秘訣№13

彼は、1628年に茨城県で生まれた・・


幼いときから、兄よりも優れていた為


33歳のときに、水戸藩の藩主となる。


彼は、農業を勧める政策をとり、藩士の規律を


高めるなど、藩の土台を固めていった。


また寺院の復興や、学問を愛していたので


藩の学校を建てたりもした。


そして全国に、学者たちを出張させて


397巻にもなる「大日本史」を書かせた。


そして各諸国を周り、政治の手直しを実行した。


みなのもの頭が高い ひかえおろ~


そう 彼の名前は、


徳川光圀 


ご存知 天下の副将軍 水戸黄門さまである。



黄門さまは、 兄を超えて藩主になったことに


こだわり、兄の息子を、自分の跡継ぎにして


水戸藩をまかせて、自分の子供には、


兄が任されていた、高松藩の跡継ぎにしている。


あはははははははははっ♪


と高笑いが聞こえてきそう・・


こういう器の人に、人がついて行くのである。


ペタしてね


テーマ:偉人から学ぶことが成功となる 2009-11-18 08:08:08

偉人から学ぶ成幸の秘訣№12

彼は、1621年に熊本県に生まれた・・


彼の故郷は、キリスト教を信じる大名


小西行長の領地でもあり、キリスト教の


信者が多かった。


彼自身も12歳でキリスト教徒となり、ジェロニモ


という信者としての名前も持っていた。


彼は、武士の子でもあり、頭もよく、顔立ちにも


気品があったので、みんなが、


天童(神の子)として尊敬していた。


彼は、たびたび奇跡を起こしていたと


言われている。


空中で飛んでいるハトを捕まえて


卵を産ませて、その中から聖書を


取り出す という具合だった。


彼が17歳になったとき、


住民は、重い税に苦しまれていて


とくにキリスト教徒へは、火あぶりなどの


嫌がらせが続いていた。


そしてとうとう彼は、立ち上がった・・


老若男女37,000人の住民が


彼を総大将にして、一揆をおこした


のである。


そう彼の名前は、


天草四郎


農民たちと幕府軍12万人と戦い


正義を貫いた17歳である。


ペタしてね










テーマ:偉人から学ぶことが成功となる 2009-11-17 14:46:37

偉人から学ぶ成幸の秘訣№11

彼は、1542年に愛知県に生まれる


6歳にして、今川義元のところへ人質に


出されようとされるが、行く途中に、


織田軍にさらわれて信長の人質となる。


その後、また今川義元の人質となり、


12年間の人質生活を過ごす。


このときに不自由なくらしでも、じっと


我慢をしていれば、必ずチャンスが訪れる


ことを学び、彼の性格の形となる。


18歳にして、人質生活から解放され


織田信長、豊臣秀吉の下で、次第に


実力をつけていく。


彼が、48歳になり東京に移り、関東地方を


治めていく。


そして、豊臣秀吉が亡くなり、彼にチャンスが


訪れた。


58歳のときに、関ヶ原の戦いにて、事実上


全国を支配することになる。


そう彼の名は、 言わずと知れた


徳川家康ビックリマーク


61歳にして、その後265年も続く


江戸幕府を開く。


73歳にして、完全に全国を統一させる。


苦労を重ねながらも実力をつけて


花を咲かせた男である。


世のおじさま方


まだまだ 私たちは若いですから


夢を持って 生きようビックリマーク


ペタしてね









テーマ:偉人から学ぶことが成功となる 2009-11-13 08:08:08

偉人から学ぶ功幸の秘訣№10

お待たせしました


彼は1536年に愛知県(尾張国)に生まれる


貧しい農民の家に生まれて


幼くして家を出て、針を売りながら


各地をさまよう


そして、静岡県(遠江国)の武将 松下之綱に


仕えることになる。


そして数年後、また各地をさまよい


尾張国の織田信長と出会う


生まれつき実行力があり、計画力もあった


彼は、次第に出世していくことになる


今川義元(駿河国)や斎藤道三(美濃国)


などを滅ぼし滋賀(近江国)や福井(越前国)


なども彼の働きにより、手に入れ


天下統一の足がかりをつかむ


そして信長が、明智光秀に暗殺された為に


明智光秀を倒して、天下統一の事業を


引き継ぐ、彼は1585年に大阪城をつくり、


1590年にとうとう全国を統一した。


彼の名は ご存知


豊臣秀吉


今も人気が高い武将である


今の大阪の明るい雰囲気を作ったのは


秀吉ではないだろうか?


「泣かぬなら泣かせてみせようホトドギズ」


というように、頭を使い工夫して


人を動かせる天才


秀吉を慕う武将が多かったのは、


なぜだろうか?


人の心が読めたのではないだろうか?


私は、秀吉は心理学を使っていたのでは


と思っている。



てつぢんのお願い

ペタしてね 広島ブログ





1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
このFlashをご覧いただくには最新のFlash Playerをインストールし、JavaScriptを有効にする必要があります。
powered by Ameba by CyberAgent