オストメイト、人工肛門、最近この話題が時々メディアに出てきてると聞く。

 普通の肛門と違うのは、腹筋に穴を開けて、そこから腸を出し、その腸の出口を覆うように防水・防臭効果のある特殊なパウチ袋と粘土で皮膚にくっつける。

 袋に便が溜まったら、その都度にトイレで排出しなければならず、その袋の交換も毎日行なうモノもあれば、2~3日に1回というモノもある。

 その交換時には雑菌が入らないようにと、身体にもパウチや粘土にも清潔な状態を保って丁寧に取り扱うことをせねばならず、なかなかに面倒なことではある。

 普通の健常者の肛門は年中丸出しだけんども、健常者よりも常に意識して綺麗にしているオストメイトは、はるかに清潔な状態を保っている訳だ。

 風呂に一緒に入りたくないだとか言われるのは、そもそもがおかしな話で、ならば肛門丸出しの健常者よりも綺麗な俺が、それを言いたいくらいだ。

 特にいまのようにパウチの下の傷が長引いている時には、余計に清潔にしてなければいけない訳だから、そう想う。

 便の付いてる肛門丸出し野郎どもが、なにを偉そうに抜かしてやがるか? 

 健常者でありながら満足に家族ひとつさえ養って育ててやれない癖に、身障者がどうのと一丁前の発言をしてんじゃ~ね~の! ってことだ。

 ということで、今朝もクラクション喧しいタクシーがおったから、車を前に停めて降りてゆき・・・空車の癖にガタガタ喧しいわい!! 能無し野郎が!! なんでイライラしてやがんだ?! 薬でもうってんのか?! 文句があるなら降りて来い!! と、朝の営業の発生練習を銀座の駐車場の入り口でやっといた。


 なんでもそうだが、知識の無い者らは、好き勝手な妄想ばかりで、理解しようとはしないから、まだまだ我が国では遅れている対応は、これは仕方が無いんだろうと想うよ。

 そもそもだ、無知な自分を他人の棚にあげて、洗脳されやすく群れで歩いて安心してるような我が国では、なかなか現代でも少数派になるんだろう。

 昨年末からオストメイトになった俺は、ぜんぜん気にしてないし、広言して笑って生きているが、偽身障者マークをつけて身障者専用スペースに平気で駐車するような連中の多いことや、いろんな発見は多い。

 どこにでもいる調子が良いだけの軽薄モノ。

 便秘のわが子たちの肛門に指を入れて固まった便をかき出してやったり、詰まった鼻水を吸い出してやって生きて来てる俺なんか、別に萎縮したり、気後れしたりすることなどなにも無く、卑屈に隠すから理解されないんだとばかりに、色々と話すことにしている。

 ・・・なかなか言い出せなくて・・・

 ・・・引け目になってしまってて・・・

 ・・・もう、普通には生きていけない・・・

 そんなオストメイトたちの発言を聞いていると、馬鹿じゃ~ね~のかと笑ってしまう。

 40歳も50歳にもなって、独身で良い人がいないと嘆いている連中とおなじことだ。

 それはオストメイトだからの話ではなく、ただ単に人間として自信を持って個として生きてないからの悩みだろう。

 ・・・俺はよ~、腹に便袋ぶらさげて生きているんだよ・・・

 そんなことを子供たちに言ってやると、みなキョトンとして聞いている。

 細かく話してやると、なるほど~! 楽なんだね~! と言われることもある。

 楽? そうかある意味で楽には違いない・・・そうも想う。

 ただね~、たいして儲からない医術は、なかなか進歩しない資本主義社会では、まだまだ良いパウチや粘土や、もっと楽に対応できる装具が開発されるのは難しいことなんだろうとは想う。

 しかもだ、おなじメーカーのおなじパウチを買ってみても、その購入場所によって品質が違うのも不思議なこった。
聖路加の売店で買ったパウチは酷いもんだった、ぜんぜん違う。

 劣化が著しいのか、色や材質さえ違うような不良品ばかりで、半日持たないような粗悪品ばかりだった。

 オストメイト後進国ならではの、おかしな話ではある。


 現代は欲ボケ社会だから、人間さえその価値観を変えることが出来ないのだから、そこで生じる傷や痛みへの理解なんて、望むだけ無駄なことだろうよ。

 そんな時代を生きているんだと、納得するほうが愉しくもある。     

 オストメイトが集まった組織や協会にしても、俺はあんまり興味もないね。

 俺は独りの人間として、いつの時も生きて来てる。

 健常者であった時も、すでに他人や社会とは相当にかけ離れた場所で生きていたから、身障者となった今でも、あんまりなにも変わらない。

 身障者だけが集う光景って、高速道路のSAやPAで集う外車のオーナー連とおなじ、部外者にはなんの興味も湧かない。

 そういう意味では、身障者も、身障者を囲む我が国の国民も、オツムは旧時代のポンコツばかりさ。

 恋愛に奥手だと自画自賛してる独身者では、新しい恋愛など出来るわけも無く、ましてやそんな自己の確立してない受動的な大人なんざ、新しい命を産み育てる相手としては到底選択肢には成り得ないのとおなじで、身障者自身もまた人として社会への関わり方を考えるべきであって、受身でお涙頂戴ばかりじゃ~、これからの時代、もっと酷い差別に遭うこともあるだろう。

 そういう馬鹿な大人が大勢溢れかえってる時代だ。
 たとえば俺が風呂に入ろうとするとき、オストメイトだから遠慮してくれと言われれば大騒動になるだろうけんども、堂々と入って行くだろうことは間違いない。


 ところで、身障者向けの福祉に、セックスについての項目も入れることが欧米では進んでいるけんども、いまだに従軍慰安婦が良いだの悪いだのと言った騒動をやってる東洋の国では、そんなことは夢のまた夢、遅れているなんてもんではなく、健常者すら自らを解放できずに変態化して行ってる姿は、哀れな獣でしかない。

 そうして幼くして身障者となった者らには、それはとても大事な話になると想う。

 乙武君の騒動だって、見世物・ゲテモノ河原乞食の化け物小屋の話にしかなっておらず、そこから福祉やセックスに対する価値観の話にはぜんぜん進まない。

 だから我が国の国民は阿呆ばかりだと、俺は笑って生きている。

 儲けようと思えば、いつでも儲けることが出来る、そんなテイタラク。 

 福祉や国民がナニもしないのなら、身障者は、それを武器に健常者からあの手この手で儲けさせてもらうことくらい、別に問題はないだろう。

 身障者とか健常者で区別するのは、肩書きや学歴で人を判断するのとおんなじさ。

 それが通用してると思ってるのは、単なる錯覚、これからの時代は、落とし穴になる。


 普通でいることを信じてる阿呆や、普通で良いのと呟いてる阿呆には、自分たちの異様さには気がつく知能さえない。

 そういう連中が五体満足なだけの自分に自惚れて、身障者に優しい対応を見せる。

 なんだかね~、俺がガキの頃に多くいた森永ヒ素ミルクや公害の影響で誕生した奇形の同級生らに対する、社会や大人たちの対応とおんなじまんまだ。

 もう、半世紀経ってるのに、俺は呆れ返ってしまうがな。

 その間、高度経済成長したんだとさ・・・はなはだ、遺憾ですがな。


 最後にパナマ文章うんぬんかんぬん・・・20数年前の不動産バブル崩壊後、ずいぶんと日本の企業もタックスヘイブンの金融会社のお世話になっていたりしてたが・・・当時売買の取引をしてる時には、不動産の登記簿謄本に色んな怪しいタックス・ヘイブンの金融会社の名前が並んでおったわな。

 いまさら? だけども、相変わらず日本の報道には、日本企業や日本人の名前は公には出て来ない。

 北朝鮮や中国の報道規制を言うのなら、我が国もおなじレベルだろう。

 これは素直に笑う場面だ。

 政治だって大企業だって、このところは悪い話ばかりを隠すことに躍起になってるようだから、どうでも良いメクラマシのスクープが欲しい。

 そこに煽動されて単細胞にも登場するのが芸能人やスポーツ選手、ヤクザの抗争・・・。

 退屈なんだよ、変わり映えしない内容がさ。


 さ、煩わしい汚いサクラの季節も終わり、新緑映える季節になったから、腹の傷は治ってないけんども、山を歩いてくるさ。
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