さえないサラリーマンの日記。

普段は『さえないサラリーマン』ですが、ブログサイト上では芸能人・タレントの情報をはじめとして、豊胸・バストアップ関係のプロフェッショナルとして活動しています。
ただ"それ"だけと言われればそれまでだが、"それ"に特化した10年以上続いている老舗ブログ。


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今回はこのサエサラというブログにはぴったりの人物ではないだろうか。



このブログのイメージキャラクターは現在田代まさしさんに務めてもらっているが、蛭子能収(えびすよしかず)さんが務めていてもあまり違和感がない。

【画像】田代まさしは今・・・|出所後の死亡説とその後

今日はクズ人間という言葉が芸能界一似合う蛭子能収さんについての記事だ。



予めお伝えしておくと、私は蛭子さんの事が嫌いでクズ人間と批判して書いているわけではない。逆にイメージや好感度を上げようと偽善ぶっている俳優や女優なんかより、蛭子さんのクズぷっりが偽善ぶってなくて潔すぎて、逆に好きだからこそ書く記事になる。



最近ではテレビ東京のバスの旅の番組が大人気で再び注目を集めてきた蛭子さんだが、若い人は元々漫画家って事を知らない人も多いのではないだろうか?



ということで恒例のプロフィール経歴から、

プロフィール

本名:蛭子能収(えびすよしかず)
性別:男性
生年月日:1947年10月21日
年齢:66歳(2014年現在)
身長:174cm
体重:91kg
出身:熊本県牛深市(現天草市)
職業:漫画家・タレント・俳優・映画監督
芸能活動期間:1973年~
好きな女性のタイプ:巨乳
:飲まない
タバコ:吸わない
公式サイト:蛭子能収 OFFICIAL WEB SITE


経歴
父・鹿之助は遠洋漁業の漁師で、兄も船に乗っていた。
中学時代はいじめに悩んでいた。
不良グループから強制的にグループ入りさせられ、使い走りや、持参した弁当をご飯と梅干しだけの日の丸弁当に無理矢理交換させられたり、また、学校で事件が起こると、その不良グループの責任にさせられ、蛭子も濡れ衣を着せられることがあったという。
本来はグラフィックデザイナー志望であったが、高校卒業後に看板店に就職。
4年半勤務した後、1970年に無断で上京する。
ちり紙交換やダスキンのセールスマンなどの職に就く。
また、映画監督を目指し、同時期にシナリオ学校に通っていたこともある。
1973年『ガロ』での入選を機に漫画家デビューしたが、原稿料が出なかったという。
その後一時期、漫画家を辞めていたが、1970年代後半、高杉弾、山崎春美らの依頼により自動販売機本に漫画を執筆したのをきっかけに再び描き始め、ガロ以外の媒体へも進出。
つげ義春や前衛映画に影響された、シュールで不条理なギャグ漫画を描くようになる。
ほかにも、自身の趣味でもあるギャンブルについての4コマ漫画、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界も描いている。
また、推理作家・吉村達也の初期のサラリーマン小説にも挿絵4コマを書いている。
絵は決して上手とは言えないながらも、「ヘタウマ」という作風で注目される。
その一方、1976年から劇団東京乾電池の旗揚げに参加。
俳優として舞台活動もこなし、テレビドラマ『教師びんびん物語II』への出演を皮切りにテレビにも進出、近年は特異なキャラクターを活かした芸能活動に比重を移し、多くのバラエティ番組に出演している。
2003年短編映画『諌山節考』で映画監督としてデビュー。
この作品は元々、シンガーソングライター・諫山実生のプロモーションビデオとして作られたものである。
監督第二作目は2007年の『歌謡曲だよ、人生は』の「いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー」(脚本も兼任)。
2008年には、『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーでもある根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成。
2011年、故郷・長崎の長崎歴史文化博物館において初の個展『えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-』を開催。


経歴(家族編)
前夫人との間にもうけた1男1女の父であり、旅行番組などに家族揃って出演したこともある。
両親は徳島県海部郡日和佐町(現・美波町) 出身。
父親は漁師であり、縄に絡まった仲間の手をナタで切り落としているエピソードは尊敬したと蛭子が話している。それを聞いたみうらじゅんは「縄を切ればいいじゃん」と回想している。

長男はKID所属の元ゲームプログラマーで、現在はノイジークローク所属のサウンドデザイナー・蛭子一郎(本名同じ、1974年 - )。


蛭子能収の息子というキャラクター性もあってか、秋葉原での販売イベントに参加したことがある。また、かつて『スーパーJOCKEY』の熱湯風呂に親子で入らされたこともある。


愛妻家として広く知られており、以前出演した『おしゃれカンケイ』で、「奥さんと仲の良い秘訣は?」と聞かれ、「一緒の布団で寝ること」と答えていた。
曰く、「激しい夫婦ゲンカをしても、同じ布団で寝れば肌も触れ合う。そうすると自然と仲直りしているんですよ。」と語っていた。
そんな不遇の時代を支えてくれた前夫人は2001年に肺高血圧症で死去。
その2年後の2003年4月に雑誌・女性自身の企画のお見合いパーティーで19歳年下のハリセンボンの近藤春菜似の女性と知り合い、3年半に及ぶ交際の末、2007年1月に再婚した。
再婚を機に、それまでずっと住んでいた埼玉県所沢市の家を離れ新居を構えた。

この再婚相手の女性の娘・蛭子希和は「蛭子さんの娘」としてテレビに出演している。

出展Wikipedia



プロフィールや経歴を紹介しましたが、この人の魅力はなんと言ってもここには載っていない数々のクズ発言(失言)クズエピソードにある。



今回の記事の本題はそこなので、数えきれない程のクズ発言・エピソードをまとめたのでご覧ください。



蛭子能収クズ発言クズエピソードまとめ


・突然、500円玉を落としたと騒ぎ始める蛭子。あまりに必死なので、一緒にいたみうらじゅんも仕方なく探してあげる。30分以上探し続ける蛭子に、疲れ果てたみうらじゅんが「もう帰りましょうよ」とうながすと蛭子が悔しそうに一言。『じゃあもういいですよ、あげますよ500円』

・みうらじゅんが蛭子と対談する時に、楽屋で蛭子の手帳を勝手に読んだ。当日のスケジュール欄に『つまらない人と対談』と書いてあった。

・みうらじゅん「うち、子供が生まれたよ。」と言った際に、「赤ん坊はですね、頭のてっぺんが柔らかいから、親指でギューと押すと中まで入りますよ」と笑いながら話していた。

・大竹まことが交通事故で被害者を死なせてしまった頃。謹慎が明けてまもなく蛭子とテレビで競演。大竹まことに激しく突っ込まれた蛭子がボソッと一言。『人殺しのくせに・・・・・・・。』

・さんま御殿でも岸部シローが妻を亡くしてからの独りで寂しい生活について語っていた。
えびす「奥さんと別れたんですか?」
きしべ「死んだんだよ!」
岸部は明らかに不愉快そうだったが「へへ、すいません」と蛭子はにやにや顔。絶対に反省などしていない。

・3子の父親であるが子供に興味がなく「子供は好きではない」「子供と二人きりになると気まずい」「子供の成長に興味がない」など公言しており、4人の孫がいるも「孫の名前が覚えられない」など、孫にも興味がない。

・『スーパーJOCKEY』の「熱湯コマーシャル」で熱湯風呂に入る破目になった際、上島竜兵やたけし軍団らに体を押さえ付けられた上にひしゃくで熱湯を浴びせられたことに生放送中なのにマジギレした。


・ビートたけしが番組で蛭子さんと共演した際、蛭子さんからサイン本を貰った直後、あの有名なバイク事故を起こした。その後、蛭子さんと番組で共演した大竹まことや山田まりやも、共演直後に交通事故を起こしている。

・実の息子をマンガに登場させ「いらない」と丸焼きにするシーンを描く。

・セックスの際は、避妊はしない。できた子供は堕胎させる。これだけでも最低なんですけど、
あるとき、できた子供が障害児がだったため医者に「標本として欲しい」と言われたら喜々としてあげますよと言ったそう。

・うちの子供見に来ませんか?とホルマリン漬けの奇形の胎児を見せられて「これが最初の子供なんですよ」と笑顔で紹介。

・ラジオ番組で「徹子の部屋とタモリさんのテレフォンショッキング出るならどっち?」と聞かれ、
「タモリさんのテレフォンショッキングは、こっちの話しても、タモリさんが自分の話に持っていくので面白くない。」と発言。
後日笑っていいとものプロデューサーから事務所に電話がかかってきて、それから笑っていいともを干されてしまった。

・難民キャンプでの食料配給の場面を見て蛭子さんが一言「あれ、全部腐ってたら面白いね。」

・1998年11月に、東京都新宿区歌舞伎町の麻雀店で麻雀賭博の現行犯で逮捕、約4か月の間タレントとしての活動を自粛した。その際に、「自分があんな(あの程度の安い)レートで警察の御用になるんだったら、東尾なんか懲役ものじゃないのか」と語っていた


・タモリ倶楽部に出演の際、賭け麻雀で逮捕されてタモリなどに詫び状を送ったエピソードを公開。はじめは、まじめに謝罪をしていたが後半には『とはいってもみんなやっていることなんですけどねぇ。』と反省している様子はなかった。

・ギャンブル時にも熱くなることがあり、『オールスター感謝祭』の企画で麻雀をしていたとき、別の企画で用意した子羊の鳴き声がうるさかったため「うるせえな!」と怒鳴った。

・実は非常にせっかちで、自動車の運転でも同様で、右折レーンの右折待ちの列すら待てない。最後尾には並ばず、直進レーンから右折レーンの一番前に割り込み、そのまま右折していくマナーの悪さを自ら悪びれることなく語っていた。

・出演するテレビ番組で、悲しい場面で笑ってしまい(笑いのツボが多少ズレているとのこと)、生放送だったため、CMに切り替えられたことがある。

・きたろうは以前に蛭子と共演した際、蛭子が「きたろうさんが刑事役をやるのがおかしい」と笑ってばかりでNGを連発してしまい、ひどい目に遭っている。
その後何回かの休憩を挟み、Take15位まで撮り直したと、共演したきたろうや山下真司が述べている。

・朝鮮半島の軍事境界線を訪ねるツアーに参加し、絶対不謹慎な笑いをしないことと、真っ直ぐ歩くようにとの指示があったにもかかわらず、わざとジグザグに歩き、さらにいつものクセでシリアスな場面で笑ってしまったため、警備の米兵に殴られたことがある。

・知人の葬式で「参列者全員が神妙な顔をしている」ということがおかしくて笑ったという。
自身のファンクラブ会長の葬儀に参列し、棺の中に自著『なんとなくビンビン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなり、会葬者をあ然とさせ、連れだされた逸話がある。

・ファンクラブの会長だった高校生がバイク事故で死んだ時、その葬式で笑いをこらえるのに必死。その後、お化け屋敷の壁に絵を書くという仕事をもらった時に、こんな事なら会長の死体もらってくれば良かった発言。

・逸見政孝の追悼コメントをテレビ局から求められた際、本当は悲しいのになぜか笑顔で話してしまい、以降追悼コメントを求められることはなくなり、葬儀にも呼ばれなくなった。

・ビートたけしの母が1999年に亡くなった際に葬儀に参列し、ニヤニヤ笑っていたため北野家の遺族達を激怒させたと言う。
たけし曰く、「蛭子さんは旧日本軍のような残忍さを感じる」という。
こうしたエピソードを番組で披露し、明石家さんまから「笑う悪魔」というニックネームを付けられた。

・自身の親の葬式でも終始笑顔で、親類にたしなめられたという。
実兄も蛭子と似た倫理観を持ち、兄弟揃って葬式を笑顔で過ごし、葬儀終了後に2人でパチンコに出掛けようとして親戚一同に止められた。





纏めてみるとこんなにもクズなのかと驚かされてしまったが、法を犯すような犯罪行為はしないものの(麻雀を除く)、全体的にモラルのかけらもない人だ。



人の死に対する感覚が一般的な人と大きくズレており、恐らく脳に何らかの異常をきたしているのだと思う。



ただ、最愛の元妻が死去した際は涙を流したらしいので何とも言えない。


 

しかし、ここまで芸能界で生き残れたのは、蛭子さん自身が子供のような無邪気で素直な心を持っていて、あの屈託のない笑顔をお茶の間に届け続けたからではないかと思う。




冒頭にも述べたが、現在テレビ東京系列の『土曜スペシャル』の人気企画「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という大人気番組では、彼のマイペースぶりが番組の名物になっている。例えば、

・出発時刻を調べてくれたバス営業所の受付の人を「一生忘れない」と言いながら、その人の名前を5分で忘れる。

・地元の特産物やその店のおすすめメニューは一切注文せずに、1人カレーライスなどを注文する(本人曰く「食い物に興味がない」「食えれば何だっていい」)など。

・トイレに行った後、洗った手を履いていたズボンで拭き、それをテレビで見ていた妻にハンカチ持参を強要される。

・彼が怒りオヤジに登場以降、低視聴率の結果を出し、それ以降低迷し番組終了のきっかけを作った戦犯として、出演者から恨まれていた。

・池袋駅の立ち食いうどん屋で、大きないなり寿司を食べようとして、あごがはずれたことがある。

・当たり外れがある旅館を毛嫌いしており、無理にでもビジネスホテルに泊まりたがる。

・自営業の商店で「こんな店で食っていけるのか」と図々しく聞く。

・風俗店通いする男性に対し「家に帰ればタダでヤレるのに、なぜ、金を払い店へ通うのか」と発言。



人は大人になると思った事を発言する前に、自分が恥ずかしくないように、人が傷つかないように、噛み砕いたり、発言を撤回したりするものだが、蛭子さんは違う。

 
 
 
 
 


ある意味、テレビを通して人が思っていて言えないような事をストレートに発言して代弁してくれているのかもしれない。



 蛭子さんにはこれからもあの屈託のない、恵比寿さまのような笑顔でお茶の間に幸せを振りまいてほしい。





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