LE CARNET DES NUITS|夜の手帖

映画監督|小谷忠典 (kotani tadasuke)のブログ


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$LE CARNET DES NUITS|夜の手帖/小谷忠典監督オフィシャルブログ

「ものをつくるという作業は、非常に孤独なものであるようです。孤独をかみしめて、作って行くものだと思います。小谷くんも、やはり、どんな場所にいても、自分を信じて、自分と向き合って、孤独に真実のものを、作りつづけて下さい」大切な手紙の一節である。封筒の裏には市川準と記されている。「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京」の上映会場であるポレポレ東中野のスクリーンは客席の数とは合わないほど大きかった。その広大なスクリーンに映し出された僕の父親を眺めていると、7日前に死去した敬愛する市川準監督の姿と重なって目頭が熱くなった。

上映後、塾をサボってきてくれた高校生から「ずっと胸が痛くて困りました。映画に出てくる監督の家が、子どもの頃、父に置いて行かれて一人で暮らしていた家にそっくりだったから。もっと、悲惨だったような気がするけど、あの頃は何も感じなかったような気もします。なぜだか分からないけど、この作品、本当に観て良かった。作ってくれてありがとう」 と言ってもらえた。僕もそうだった。“あの頃”は何も感じなかった。只、無に寄りかかるような姿勢でバランスを欠いていた。けれど“あの頃”は消えていないのだ。愛しさのようなものに近づこうとすると、突如、そして必ず“あの頃”は姿をあらわし、愛しさから僕を遠のけるか、もしくは木っ端みじんに愛しさを破壊する。「おまえは、そんな人間じゃねぇんだよ。バーカ、死ね」と“あの頃”はあざ笑うのである。だから、僕は、何度も消そうとしたが、決して消えなかった“あの頃”を解放しようと思い『LINE』を作ったのだ。高校生、こちらこそ、ありがとう。打ち上げの席では、山形国際ドキュメンタリー映画祭の代表の方に「海外など、まだ、見えない観客と出逢って下さい」と言われる。その日以来、友人の榎本美保(英語字幕作成)と光成菜穂と大森博之の力添えで、海外の映画祭に出品を試みた。観てもらう為に作った『LINE』の“観てもらう”とは何だろうか。結果的に、4カ国のヨーロッパの国際映画祭に入選・招待上映されても、その問いはぬぐい去ることができなかった。

旧友の木村文洋監督の『へばの』公開記念オールナイトイベントに招かれ『LINE』を再びポレポレ東中野で上映して頂いた時、喫煙所で大澤一生にのんびりした口調で「面白かったですよ」と話しかけられた。大澤とは、これまで、映画祭やシンポジウムで幾度か顔を合わせてきた。挨拶を交わす程度だったが、才気ある野本大監督の傑作『バックドロップ・クルディスタン』の背景を創り出している人物であることは一目瞭然だった。きらびやかな海外の映画祭での上映は楽しかったし、大変勉強にもなった。けれど“観てもらう”ことを望み、三十路で上京した僕自身がこれまで映画を観てきた場所はどこか。それは、何かから逃げ込むように潜入した暗くて、狭くて、人気のない映画館だ。区切られた空間に投光される個の表現に見えなかった己が見えたのも、ささやかな映画館だ。星の数ほどの他人の哀しみやぬくもり、生と死を観てきたのも、土地に馴染んだ映画館だ。映画を作ってみたいと意気込んだのも、かけがえのない映画館だ。“観てもらう”とは何かという問いの答えは、もうとっくに出ているではないか。

次の日、ダメもとで大澤にメールを出す。「観てもらう為に作った『LINE』を劇場公開したいんです」と。間もなく颯爽とした言葉が返ってきた。「意思表示、了解しました」と。小学校の時、机の落書きを見つけても「上手いなぁ」と言って皆に落書きを見せ回ってくれたメガネの先生みたいな大澤と繋がった瞬間だった。栗の木の異臭は、つい鼻歌を誘う匂いに変わっていた。「大きな栗の木の下で 大きな夢を大きく育てましょう 大きな栗の木の下で」我ながら、淡白な人間である。

continue.

現代美術のメールマガジン「カロンズネット」で『LINE』が紹介されて
います。よろしければ、読んでみて下さい。
http://www.kalons.net/j/report/articles_2904.html

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