
大阪の専門学校講師の仕事を辞めて、ちょうど2年前の5月中旬に三十路の僕は上京した。山形国際ドキュメンタリー映画祭に落っこちた後も国内の映画祭全滅のドキュメンタリー映画『LINE』だけを持って。思い返すと、臆病な僕にそのような勇気がどこにあったのだろう。いや、勇気も自信もない。ただ、グチャグチャでも映画とともに生きたいだけだった。
新しい街の最寄り駅は、JR山手線・目白駅。ホームに下り立った時、鼻を覆った。その異臭は、他に例えようがないほど、男性の精液と類似していた。駅を出ると同居人の従兄弟が待ってくれていた。皆目見当がつかない臭いの正体をいち早く知りたくて、出会い頭に「これ、何の臭い?」と尋ねた。「あ、これ、栗の木の臭いだよ」と従兄弟はあっさり応えた。「これ」という従兄弟の目線を追うと、学習院大学の周辺に立派な樹々が立ち並んでいた。(自分の鼻が狂ったのかと思い、後に辞書を引いたら「男性の精液の臭いとも評される」とあった)その猥褻で重たい臭いが漂った歩道を、上品な制服を着た学習院の女子生徒の群れが、アイドルの話に黄色い歓声を上げながらすれ違っていく。その日から、僕にとっての東京は“栗の木”になった。
上映の機会を得るために『LINE』を持ってあちこち駆け回るが「52分ね…」「セルフ・ドキュメンタリーか…」「こういう作品がいちばん、扱い難いんだよなぁ」「AVに売り込んだら。なんて無理か。ハハハ」と慣れない標準語でことごとく、相手にしてもらえなかった。当然だ。作品のことも監督のことも、誰一人として知らないのだから。夏に差し掛かるにつれて“栗の木”の臭いは勢いを増す。絶望という名の刃に切り裂かれた心の隙間に、否応なく異臭が入り込むことで、自分を見失いかけていた。観てもらう為に作った筈の『LINE』を自分自身が見捨てようとしていた。いつものように、微かな手応えもなかった帰り道、従兄弟に合わせる顔もなく、自宅マンションの脇の非常階段に座り込んで「甘かったかな」と大阪の方を向きアイスを食べながら思った。そう言えば、小学校4年生の頃、隣町に転校した時も、もといた場所の方を向いてアイスを食べたな。従兄弟が寝静まるのを見計らって、コッソリ、部屋に入ると、一通のメールが届いていた。相手は、山形国際ドキュメンタリー映画祭の代表の方からだった。
「『LINE』は、作者の女性たちとの向き合い方、迷い方、撮影のセンス、作品の構成などの丁寧でナイーブな姿勢にこちらも背筋を正して見る思いでした。後半のフィクショナルなほどの展開に解放されました」との講評文の後に「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京」で『LINE』を特集上映したいと記してあった。絶望の果ての希望だった。でも、アイス食って凹んでないで、早く部屋に入っときゃ良かった。上映場所はポレポレ東中野。どこだ、その映画館は?“栗の木”は硬く耐久性が高い。その耐久性の高さから風雨にさらされる鉄道の枕木に使用されているそうだ。『LINE』は“栗の木”でできた枕木にしっかりと支えられたレールの上をのろのろと走り出した。ポレポレ東中野での劇場公開に向けて。
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