こころのいばしょ、じぶんのありか。

いっぽずつ、自分らしく生きていくために。

感じたこと
考えたこと
気づいたこと

すべての自分を認めてあげるために、

その先にある「答え」 にたどり着くために。


テーマ:

カウンセリングをさせていただいていて、

 

煮詰まってしまって、

どうしたらいいのか見えなくなった中から抜け出す

その糸口をつかむために、

 

自分自身が、たどって来た「これまで」を

見ていくと、

だいたい、たどり着いてしまうのは、

 
おとうさんとおかあさんへの想い
本当は、「言いたかったこと」になってしまいます。
 
 
入り口がどこであれ、
どんな道順を通ったとしても、

何とかうまく回避しようとしても、

 

ここは避けて通れなくなってしまう。

 

 

だって、

「これまで」の自分の生き方、やり方の、その延長上に

「いま」の大人になった、自分の生き方、やり方があるのだから、

 

そのスタート地点である

幼い頃、「かつての自分がしてきたこと」と、

 

その生きていく、過程の中での

「やり残し」を見ていくことには、どうしてもなってしまう。

 

 

その辺りを、バッサリと切り離してしまうと、

かえって、不自然な感じになってしまう。

 

(別に無理にやる必要はないのだろうけど、ウチは基本やります)

 


でも、この、「育ち」「両親のこと」「親子関係」については、

実際にカウンセリングを受けていただくまで、完全にノーマークだったかというと、
割とそんなことはなく、
 
「昔、やったことはあるんです」って方は、

結構な割合でいらっしゃいます。

(両親がケンカばっかりしていたり、

 家庭が荒れていたりしたら、まず無視はできないはず)

 

 

で、

お話していただく、その内容は、

だいたい10代後半くらいから20代前半ぐらいの年齢のとき、

 

それこそ、自分が社会に出て行く、そのタイミングで、
「親に不満を言ったことがあります」
「苦しくって感情をブツケテみました」
みたいなことを、お話していただくことが多いです。

 

(まあ、この時点で、解決の手ごたえがあったり、

 このときのやり取りでスッキリしていたら

 のちのちカウンセリングを受ける必要なんてないのでしょうけど。。。)

 

 

 

で、

ここで「問題」になるのが、

 

せっかく、せっかく

両親に伝えたのに、
 

 

「うまく伝わらなかったとき」

 


かつての苦しい自分が、わかって欲しかった気持ちの、
その「受け皿」すら、

伝えたい相手には、存在していない
そう感じてしまったとき。
 
 
いっぱい、いっぱいの自分が
たどたどしいながらも、必死の思いで伝えた
その時できる、精いっぱいの言葉。
 
そして、それに対する親からの反応。
 
不安と期待を込めた言葉への、その結果が、

 

「思ってたのと、ちがう」

 

そんなとき。

 

 

 

それは、

 

「そんな悩みや不安は、誰にでもあるんだよ」な

肩透かし的な、スルーだったり、

 

上っ面だけの、うすっぺらな

「わかっているよ、うんうん、つらいんだよね」だったり、

 

こっちが感情をブツケテみたら、ビックリするぐらい逆切れされて

「なんで、そんなコトいうの?、ナニ?全部こっちが悪いの?」だったり、

 

 

自分でも、よくわからない状態の

期待よりも、飲みこまれそうな不安の方が大きい、その渦中で、

そんなことをやられるの本当にキツイ。傷つく。

 

 

 

でも、

このとき、一番マズイと、私が考えているのは、
「親からの返答」そのものよりも

(↑もちろん、めっちゃくちゃ、キッツいけど)

 

 

あ、
「思ってたのとちがう」

で、

「終わり。」

になってしまうこと。
 
 
だって
つらい自分の言いたいこと、伝えたいことが、
わかってもらえなかった、そのときって、
 

 

それは、それは、
悲しいだろうし、
つらいだろうし、
ムカつくだろうし、、、な、はずなんだけど、
 
 
なぜか、不思議と
「言ってはみたけど、わかってもらえませんでした」に

シュ~っと収まって、

 

ものの見事に

はい、

「終わり。」に、なっている。

 

 

「やっぱり、何でもありませんでした」みたいな。

 

 

 

なんで、「その先」が、なくなってしまうのか。

めちゃくちゃイヤな思いを、したはずなのに。

 


「終わり。」に、もれなくついてくる
「やっぱり」という感覚は、いったい何なのだろう。
 
 
これって、
かつての「自分の伝えたかったこと」が、たいしたことなかったのだろうか

 

ちゃんと「相手にわかる言葉にできない自分」に責任があるのだろうか

 

そもそも、「わかってもらうコト」自体、必要なかったのだろうか
 

 


そんな風には、どうしても思えない。

 

あのとき、ギリギリの自分が放った言葉に、


つらく、おんなじところをグルグルまわっているような
先の見えない苦しさの中から
搾り出すように出た言葉に、

 

嘘などない。

 

そんな余裕など、微塵も存在しない。

 

もし、一握りでも、そんな自分を省みることができたのなら、

そんなことを、言うはずがない。

 

それぐらい、きつかった。

 

 

できれば言いたくはなかったけど、

でも、まだ「もらっていない何か」を

無意識の中で期待して、

抑えきれず差し出した言葉だったはず。

 

 

 

じゃあ、いったい、何が、

「やっぱり」なのか。

 


自分をあきらめるために、

 

それこそ無感覚になってしまうほど、

自分の気持ちを抑え込むためには、

 

その「代償」が、いる。

 


自分の伝えたいことを、あきらめようとする
その代わりに、
 
自分のつらさ、感情よりも
おとうさんとおかあさんの生き方、やり方、世界観を尊重していたのではないか

それは、もう、無意識のうちに。

 

 

もっと言えば、
親のやり方をどうしても壊せなくて、

「もとの位置」に還ってきてしまうのではないか。


そもそも、
その苦しくなってしまうやり方、生き方の出所自体が、

おとうさんとおかあさんと、その「間」に生まれた自分が

その場で生きるために、つくりあげたやり方なのだから


つらくって、未来なんか見えなくって、

でも、

それは、ただ、ほんの一瞬、
自分の生み出した枠の外に出そうになっただけ、なのだから。
 

いつでも、そこには戻ってこれる。
むしろ、慣れてる。


枠の中で、どう振る舞えばいいのかは、
いっぱい、いっぱい、知っている。 どうせ。

 

 

自分が「当たり前」に選んだ、

住み慣れた生き方、やり方

だから、いくらでも続けられる。

 

なのに、不思議と「先」が見えなくなるのは、なぜなのだろう。

 

 

 

つらく、苦しくなってしまうときには、

だいたい、自分の中に「ある」ものを「ない」ことにしている。自分で。

 

 

自分よりも大切にしたい「何か」のために、

自分で、自分の「何か」にフタをしている。

 

 

「ある」ものを「ない」ことにしたら、

自分という存在があやふやになる。

当然、「この先」なんて、見失う。

 

 

ただ、

自分自身が「ない」ことにしたかった、

自分の求めていた世界は、

おとうさんとおかあさんにも「ない」のだろうか。

 

「ない」ものは「ない」と

「ある」はずなのに「ない」は、まったく違う。

 

 

おとうさんとおかあさんも、かつて、

その、たどって来た道のりの中で、

「ある」ものを「ない」ことにしたのではないか。

 

それを、まさに同じ境遇に置かれた自分が

本当は、「わかってしまった」のではないだろうか

両親がフタをした何かも、そのやり方も。

 

 

 

おとうさんとおかあさんが、あのとき、くれた

「思ってたのと、ちがう」、ソレは、

 

「ない」からあきらめろとか、捨ててしまえという意味でなく、

 

「ない」というメッセージの中から

自分自身の求めているものの、

そのありかを伝えてくれているのかもしれない。

 

 

 

かつての自分がつくりだしたやり方、

生き方の「枠」の

そのギリギリの崖っぷちに来て、途方にくれている

 

 

「あのとき」

 

 

おとうさんとおかあさんが、

 

 

地の底みたいな真っ暗な場所でうずくまっている

その場所まで、降りてきてくれたのなら

 

どうしたの?って、そんな自分の姿を受け止めてくれたのなら

 

大丈夫だよって、ほんの少しだけ背中を押してくれたのなら

 

 

「そのとき」は

 

その先へ、行けると思っていたのに。

 

 

 

おとうさんとおかあさんのためにつくった世界は、壊したくないけれど、

 

その世界を守ることが、自分がここにいる理由だと信じていたけれど、

 

その「許可」を待っていると、それをずっと続けてしまうと、未来が見えなくなってしまう。

 

 

 

「おもったのと、ちがう」のは、

思い描く世界が、すでに「ある」から。

 

自分もそうだし、

 

おとうさんとおかあさんにも「ある」はずだから、

すくなくとも「あった」はずだから、

いま目の前に手渡してくれたソレじゃないものが。

 

それがつらいのだと思う。

 

 

 

自分が産まれた、その瞬間に

目の前に「ある」はずだった世界を

 

これから自分が築いていくなんて

 

おとうさんとおかあさんから、もらえないことすら、

その大切な未来への材料の、一つだなんて

 

 

ちょっとだけ、時間のズレがあったり、

ちょっとだけ、家族の中での自分の役が変わったり、

ちょっとだけ、いっしょにいる人が違ったり、

 

ただ、それだけなのに、

どうしても、さみしいのは、なぜだろう。

 

 

ずっと欲しかったものは、ずっと手の中にあった。

 

そんなの、「思ってたのと、ちがう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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