「川越style」

webマガジン川越styleは、「小江戸川越」のお店や人、イベント、行事、風景、文化、川越の熱い動きを伝える情報発信サイトです。過去記事もぜひどうぞ。


テーマ:

 

 


朝の8時半、本川越駅から真っすぐ北へ、連雀町交差点付近に停められたバスに集合した面々。どの表情にも川越まつりに臨む時のような張り詰めたもの・・・ではなく、楽しみいっぱいな期待感が溢れていました。着物以外の姿が逆に新鮮。

 

 


大量の荷物をバスに積み込み、席に落ち着くといざ出発。・・・した瞬間に車内で乾杯が始まってお酒を吞み始める一同。。。祭りに酒は切っても切れないものであるものの、朝からこのテンションは連々會だからこそかも。
2017年4月23日(日)今年も連雀町「連々會」の親睦旅行が開催されました。毎年開催されているもので、今年は群馬県へみんなで大自然を満喫&BBQへ!
連々會というのは連雀町の川越まつりの会であり、町内の人を中心に加入していて、川越まつりの運営には欠かせない存在です。町内自治会会長の言葉を借りるなら、「連々會がいなければ連雀町の道灌の山車は動かない」、そのくらい重大な責務を担っている会なのです。
同じ町内に住む者同士が多く、小さい頃から勝手知ったる関係で、幼馴染同士で川越まつりに参加し、大人になって今、川越まつりを運営する側に回っているという関係性。

連雀町と言えば、川越的ディープな人達が住まう地域で、川越の中でも特に川越まつり熱が熱い地域。
その祭り好き度は、もう祭りバカと言っても過言ではなく、一年を10月の川越まつりを中心にして組み立てて生活しているような人たちがごまんといる。
川越まつりと言えば、平成28年12月に「川越氷川祭の山車行事」を含む全国33件の「山・鉾・屋台行事」が、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことはご存知でしょう。
川越まつりが登録されたことは、豪華絢爛の山車が遺されているや曳っかわせの華麗さはもちろんのこと、山車を動かす祭り人たちがいて、川越まつりが今も続いているという、人の物語があることを忘れてはならない。ユネスコ無形文化遺産は、川越まつりに与えられた栄誉であり、その実質は現場を駆け回る人人人全てが授与したものだと言えた。連雀町に限らず、川越まつりに関わる人全てが祭りバカのようで、その好き度合の異常さが川越まつりの熱気になり、ひいてはユネスコ無形文化遺産登録の栄誉に繋がったとも。山車からの視点で語られることが多い川越まつりですが、なにより動かしているのは現場の人、ボトムアップで見たらそう表現できるかもしれない。
川越まつりは、人。

では、どんな人達が川越まつりを作っているのか。
どの町内も川越まつりとなったら尋常ならざる熱いものがありますが、中でも連雀町です。
川越まつりの時に、いろんな山車が通り過ぎるのを見ると思います。連雀町の道灌の山車が通る時の熱気には注目してください。参加人数の多さ、声の大きさ、熱気、どれもが圧倒される迫力を放ちます。
山車、と合わせ、それを曳く町内の人たちにも目を向けることで川越まつりの凄さの実感は倍増する。そんな風に山車曳行を見る事ができたら川越まつりの見え方も違ったものになるはず。
連雀町になぜこんなにディープな人たちばかりが集まっているのだろう。とずっと以前から思うことでもあります。
連雀町は「川越昭和の街」に代表されるように商店が多く、すぐ北にある一番街のように観光地化されておらず、すぐ南にある本川越駅周辺のように近代化もされていない、まるで谷間のような地域は、昭和初期からほとんど姿を変えずそのままの形で今に残っている。それ故、喜怒哀楽の豊かさ、人情味といった連雀町特有の気質が無事に遺り、ディープと言う前にもともとの川越がそうだった、のかもしれない。そんな意味でも貴重なエリアなのです。

 

 

 

 

 

(午前の部「川越まつり」町内曳き連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12210527955.html

 

 

 

 

 

 

(午後の部「川越まつり」他町曳き回し連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12210790743.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(夜の部「川越まつり」夜の曳っかわせ連雀町道灌の山車2016年10月16日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12211498228.html


祭りの時は揃いの着物に身を包んで一体となって山車を曳く。巨大な山車を曳くということは、単に綱を曳くということだけでなく、先触や高張、綱元、警護など様々な役割の人がいて成り立っています。細かく分担し、それぞれが自分の役を全うして初めて、山車はスムーズに、安全に動く。
そのような連雀町の道灌の山車曳行の各役に就いているのが、連々會の面々であり、連々會がないと山車が動かないというのはまさにそうなのだ。
祭りの時の着物を着た一体感は、着物を脱いでも変わらない。。。
いや、祭りの時より伸び伸びとしている感じがあるかも?
こうしたオフの時間が仲間の関係をより深くする。
祭りの会である連々會が、さらにメンバーの親睦を深めるために毎年行っているのが、親族旅行という名の遠足。
ちなみにですが、
川越市内、各地域に地元のお祭りがあり、伝統行事もある、そうした会を守る人達が毎年みんなで親族旅行に行っているのかといえば、そうでもない。むしろこんな風に仲間で遠足に行く会の方が珍しい。そのことを考えると、連々會がいかに変わっているか、あ、いや、親密かが分かるでしょう。
もうみな仲が良過ぎ、なにより川越まつりが好き過ぎるのです。
川越まつりは観光客向けのものではなく、本来的に地域行事としての意味が強くあり、
共に山車を曳くという体験が人と人を強烈に結び合わせる。
そして、祭り以外でも会おうと自然となって、親睦旅行が毎年続いている町内なのでした。
親睦旅行は単なる遠足ではなく、川越まつりに連なるもの。
川越まつりの余波であり、
川越まつりの期待でもある。
川越まつりから半年、川越まつりまで半年、ちょうど中間ほどに企画され、祭りのモチベーションに最適。
連々會の遠足はその年によって行先は変わり、ある年はみんなで屋形船に乗って盛り上がり、ある年には鋸山登山を行った。
そして今年のコースとして実行委員が選んだのが、群馬県。
「BBQは親族を深めるのにまさに打ってつけ」
観光とBBQをセットにした内容でした。

8時半に連雀町を出発した一行、バスは関越自動車道にのって一路、群馬県を目指して行きました。
相変わらず、朝からどんちゃん騒ぎになっている車内、ビールの空き缶がどんどん積み重なっていく。。。
・・・車内既にテンションはMAXで、そこはまるで川越まつりのような賑わい。。。ええ、まさにそんな感じ。
このテンションでずっといくのか、最後までこのテンションのわけがない、と誰もが思いますが、いや、本当にこのまま最後までこのテンションで続いていったのでした。。。さすが連雀町。

バスは関越に乗って真っすぐ北上、途中上里SAで休憩しながら、群馬県高崎市を目指して行きました。

 

 

 

 


群馬県は高速を使ってしまえばすぐ、2時間弱も走れば目的地へ。日帰り旅行としてはちょうど良い距離感でした。
バスの中から遠目に見えている時から車内は盛り上がり、「それ」に近づいていくごとにだんだんと大きさが増していくことにボルテージが上がっていく。
10時半には最初の目的地、高崎のシンボル、高崎白衣大観音に着きました。
バスから降りた瞬間、緑の中の空気に身体が生き返るよう。身も心も澄んで祭りにさらに身が入ると話していたとかいないとか。。。

 

 


坂道を登って木々の間からこちらを見下ろす観音様が覗き見える。なんて巨大。。。!「さすがに俺達の道灌の山車と比べものにならないくらい巨大だな」、間近にした時の姿に圧倒される一同だった。

 

 

 

 


今回の遠足でみんなで記念写真を撮るならここでしょと、高崎白衣大観音を背景にハイチーズ♪

 


・・・と、観音様は見上げるだけでなく、なんと観音様の胎内を登っていくことができるのです。
記念写真を撮るだけで終わらず、もちろん、観音様の中を登ろう!と意を決する面々。
受付を済ませ、いざ、高崎白衣大観音の中へ!と潜入していったのでした。
そこは、ひんやりとした空気が横たわっている空間で、人が10人もいれば一杯になるほどの広さ、急な階段が設置されていて、そこを上へ上へと進んでいくのだ。


高さ41.8mの観音様の中を階段を一段一段上がっていく。上がっていくごとに窓から見える景色が高くなっていった。
「高いの苦手なんだよなぁ。。。」なんていう弱気な声もどこからか聞こえつつ、ひたすら上へ上へと目指していくのだった。
これ以上階段がないという最上階まで来ると、そこから見える景色は絶景。自然を見下ろす風景というのは川越だとなかなかないので貴重な体験。
観音様はこんな景色をいつも見てるんだな~と妙に感心する一同なのでした。


最上階に着いた感慨に浸る・・・間もなく、着いた瞬間に階段を下り始める面々。
地表に下り立つと、みんなでおみくじを引いて何が出たかで盛り上がる、遠足らしいコースへ。
「ああ!俺末吉だよ・・・!」
「末吉かよ(笑)俺は・・・俺も末吉だ!」
「え、私も末吉なんだけど(笑)」
引く人引く人末吉が続く事態に場は逆に盛り上がり、その後に続く者はなんだかだんだんと末吉を引かなくてはという末吉フラグ立った逆のプレッシャーを感じながら、
『大吉がいいけど流れ的に末吉で・・・』
見事にその後も奇跡の末吉が続いて大爆笑に包まれました。こういうことで盛り上がるのも遠足ならでは。
さすが連々会、同じものを引き寄せる一体感。無理にこじつけてみる。。。
にしても盛り上がり方が半端なく、川越まつりのようなテンションでみな盛り上がるものだから、もう目立つ目立つ。!遠くからでも声が届き、はぐれてもその騒々しさを頼りに間違いなく合流できてしまう。
声量としては、山車を曳く時の「ソーレー!!ソーレー!!」と変わらないよう。
しかし、高崎観音ってここまで盛り上がる場所だったかなと思いますが、連々會の面々と来ると、ここが日本有数の観光地のような感覚になるほど盛り上がる(笑)
きっと、連々會の面々となら、どこに行ってもこうして楽しめてしまうだろうし、
どこに行くか以上に、誰を行くか、という真理を思う。

高崎観音と後にしたバス、そして次に向かったのがいよいよ本日のメインイベント。
車内は待ち遠しくて興奮のるつぼに。
また一本、こっちにも一本くれと、ビールがさらに減っていく。。。(メインイベント前にお酒がなくなってしまうのでは。。。?)飲み干してしまう勢い、メインイベント前に在庫が残るのか。。。!
お昼に着いたのが、同じ高崎市内にある「希望の丘農園」。
実はこの時はまだBBQシーズンが本格的に始まる前。それでも、連々會の面々にBBQを楽しんでもらおうと企画した幹部たちは、BBQスポット、それも40人弱という大人数で、屋根があり、景色も良いところ、と課せられた高いハードルをクリアすべく探しに探し回って、ようやく辿り着いたのが、この場所だった。
「ここなら、あのうるさい連中も満足してくれるはずだ」
納得の表情を浮かべていた幹部たちなのだった。
思惑通り・・・
バスが着いてみたら車内からすぐに歓声があがる。なんていう絶景。。。!
「こんなところでBBQができるのか!」
「景色最高じゃん!」
希望の丘農園は東京ドーム4個分の広さがあり、いろんな体験ができるレジャー農園。
いい景色を眺めながらのBBQも楽しめてしまうスポット。特にBBQは丘の斜面に造られていることもあって、眼下に見渡す景色が最高。当たり前ですが、川越では見る事ができない景色。
目的地に到着すると連々會の興奮は最高潮に。

 

 


バスに積み込んだ荷物を降ろし、各自分担してBBQ会場に運び込む。ここでも連々會の連携プレーは流麗、川越まつりで培った段取りをここでも発揮する。その様に改めて、川越まつりでの段取りのレベルの高さを見るようだし、心を一つにして巨大な山車を曳くということは、当たり前のように連携がみなに沁みついていないと無理なのだと思わされる。

 

 


祭りの時に急に連携が高まるものではない、こうした遠足など普段から連携プレーで鍛えているから祭りもスムーズなのだ、とどちらとも言えるかもしれない。とにかく、連携の手際の良さ、美しさが半端ないのだ。
連々會は着物を脱いでも凄いんです、着物を脱いだらより凄さが際立つようでもあった。
(例えるなら、サッカー選手がユニフォームを脱ぎ、私服で街中で連携プレーを見せることでより凄さが分かりやすいような。というあまり上手くない例えでした)
っと、とにかくなんだかんだと思い浮かべているうちに、連々會の面々は見事にBBQの荷物を会場に運び込み、息つく間もなくBBQの準備に取り掛かっていった。
・・・と、BBQ会場に向かう途中・・・男子たちがあるものを発見。すぐに駆け足で近寄っていく。
黄色く咲き誇る菜の花畑を見たら、それはもう少年に帰ったようになりますよね~。童心を忘れない連々の男子たち。

みないい大人ですが、まるで高校の修学旅行のようなノリではしゃぐようでもあり。。。しかし、いい大人がこんな風にふざけられるくらい仲良しというのも眩しい。それが、昔の学校友達でもなく、会社の仲間でもなく、地域の祭りの会同士という、間違いなく他の町内でこんなことありえないという繋がりによるところが凄い。
今回のBBQは大人数ということでABCDの4つの班に分かれていった。

BBQを始めるまえにまずはみんなで乾杯。


それぞれてきぱきと段取りしていく様子は、さすが川越まつりをみなで作っているからこその連携プレー!
全体として肉や野菜は実行委員が用意しつつ、班ごとに持ち寄った食材に個性があり、
「焼きそら豆美味しい~!」「焼きトマトも旨い!」などあちこちから声が挙がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


BBQと言えば、お肉とお野菜が基本としてあり、プラスαの部分で十人十色で好みが分かれるのが面白いところ。
ある人は、焼きたらこがないと始まらない!と宣言し、
ある人は、絶対スルメでしょ!と譲らず、
こちらではチーズフォンデュがBBQの楽しみと言い張り、
玉ねぎやカボチャのカットの仕方からしてそれぞれのこだわりがある。
焼きそばをとっても、塩なのかソースなのかで意見が分かれ、ちょっとした論争に。
BBQにはそれまでの人生経験が如実に発揮されるのだな、と思わずにはいられません。
用意した食材を焼ききり、食べ尽くし、お腹いっぱいになった一同。
食後には希望の丘農園さんからデザートが振舞われ、まったりと過ごしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 


まったりと・・・遠足の予定としてBBQの後は自由時間としてまったり過ごせるはずでしたが、
BBQの片づけなどを考えたらそんな時間があるはずもなく、慌ただしく撤収する連々會。
片付けもさすが川越まつりで培ったみなの連携であっという間に終わり、一路、川越へ。連雀町へ。
帰りのバスの中ではみんな一日はしゃぎ過ぎたののか、熟睡。。。
それにしても、この日一体どれだけのお酒を消費したでしょう(#^.^#)朝から夕方までずっと吞み続けていたような。


連雀町の連々會、親睦旅行でさらに親睦を深め、今年の川越まつりへ向けて気合が入っていきました。
川越まつりまであと5ヶ月、町内一体となって祭りを盛り上げていきます。
 

いいね!した人  |  リブログ(0)

テーマ:





平成28年10月16日川越まつり二日目最終日、

午前、午後と無事に山車曳行が終わり、いよいよ祭り人達の熱狂、夜の部へと突入していこうとしていた。

辺りは暗くなると、提灯が灯され煌々と輝く山車が妖艶に輝き出す。

もうすぐにでも山車を繰り出していきたい思いを抑え、山車の上の居囃子を見上げる。

18時、時は来た。

川越まつり総仕上げ、夜の山車曳行がついに始まる。


 


出だしの儀式で職方の木遣りが行われ、静かに終わると拍子木が打ち鳴らされて出発。

山車の上ではおかめがしとやかに舞い始める。

「ソーレー!」「ソーレー!」

熊野神社前会所を出発した道灌の山車は、まず北へ進路を取って進んで行った。 

「ソーレー!」「ソーレー!」

提灯の灯りは山車だけではない、

夜の部になると曳き手達も提灯を手にし(中には名入りの特注提灯も)、

あるいは扇子を広げて、山車から綱先まで灯りに彩られるのだ。
 


綱の内側は日中より人数が増え、掛け声はさらに力が入り、絶叫に近く、

これぞ、大人の本気の祭りという様相を呈していた。

山車に乗る雀会囃子連の囃子も力強さを増し、

曳き手の掛け声に囃子の音色、祭りのうねりは大きくなっていくばかりだった。

川越まつりの夜の迫力はやっぱり格別。


中央通りを進みながら、ここでも各所で山車を停めてはそちらに向ける挨拶していくことに変わりない。

日中は山車の正面を向けるだけでしたが、

夜は曳き手たちが間に入っていき、提灯を乱舞させて盛り上げる。

「オ~オ~オ~、オッオッオッオッ!!」

提灯の灯が激しく上下する様は、まさに百花繚乱という言葉がぴったり。

そんな様子を傍目に、頭(かしら)はクールに状況を見定めては拍子木を打ち、

さあ前進するぞ!と合図を送る。

曳っかわせに興じていた町衆は一転、元いた綱に走って戻っては、

「ソーレー!」「ソーレー!」と再び山車を曳いて行くのだった。

止まっては全力で駆け寄って曳っかわせ、

全力で走って戻っては山車を曳く、

午前・午後で5時間半曳行した後の、このハードさ、夜の山車曳行は実はとんでもなく大変。

そのハードさがむしろ祭り人のテンションを上げ、

さらに大声に、さらに全力で走り、囃子に囃され、さらに・・・という祭りの激しさの循環はどこまで続いていく。


中央通りから仲町交差点、そして一番街までやって来た道灌の山車。

先の方にも山車の姿が見え、後を追うように進んで行った。

今年の夜の初の曳っかわせはどこで魅せるのだろう?

夜の一番街の風情もいい、という話しも川越にはありますが、

確かに通り沿いの街頭に照らされる蔵造りの町並みの雰囲気は最高、

そしてもっと最高なのは、山車の煌びやかな灯りや町衆達の提灯によって照らされる様です。

川越的に、これ以上に美しい景色はないのではないでしょうか。



昨年はこの辺りで、曳き手たちから不安めいた声が聞こえたものだった。

「山車が見当たらない。。。」

そう、あの時は北を見ても南を見ても山車が一台も見えなかったのです。

曳き手たちだけでなく、

一番街で曳っかわせを観たいと構えていた沿道の観衆も肩透かしだったかもしれません。
他の町内は、夜はすぐに一番街を出ていくか、後から一番街に向かうかというルートが多く、

微妙にタイミングが合わなかったのだ。
それに昨年は参加山車が13台ということで、山車遭遇率が低かった。。。

山車同士が出合う曳っかわせは、人と人が道で出合うのとはわけが違う、

町内全体が巨大運動体として常に動き、

偶然の出合いから現場の人によって必然の曳っかわせへと繋げている。

その地点・その時間でということで言うと、

曳っかわせは偶然としか言いようがなく、だから一つ一つの曳っかわせ貴重で、奇跡なのだ。

(再び時の鐘を通り過ぎる)


一番街通りでの各所で挨拶していく連雀町。

昨年は札の辻を遠くに臨んでも山車の姿がなく、

無念の表情を浮かべながら、道灌の山車は川越まつり会館でUターンしたのだった。

しかし・・・!

今年は、札の辻に山車が停まっているのが既に見える!

どこの山車だろう・・・?

札の辻が近づいて来ると、追いかけるように後ろについていた松江町二丁目の浦嶋の山車と判明。

浦嶋の山車も、夜の部は会所を出発して道灌と同じく一番街方面にやって来ていたのだった。

先に辻に着いた浦嶋の山車は、続いて来た道灌の山車と合わせることになり、

辻の「真ん中」で曳っかわせを魅せるため、

浦嶋の山車はまず辻の北側に少し進んでから、山車を反対側に回転させて待機。絶妙な位置取りです。


そこに道灌の山車が辻に入って来ると、見事に札の辻のど真ん中で両山車が正面を向き合った。

職方達による、「魅せる」曳っかわせの職人芸。

観衆を魅了し、感動させる山車同士の曳っかわせは、

職方達の山車の位置・角度を冷静に計算した山車さばきがあるから実現しているのでした。

曳っかわせは、曳っかわせが「起こるまでの」流れがなにより美しい、

そこに至るまでの一連の流れがあるから、余計に曳っかわせは盛り上がるのだと思う。

山車を近づけ、さらに近づけ・・・ここで停止・・・

というところからさらにググっと近づけ、じりじりにじり寄らせて行く。

山車同士が近づいていくほどに町衆達から「オオオ!!」と歓声が上がり、

同時に、え!まだ行くの!?とハラハラしながら見上げていると、

提灯同士が当たりそうになる直前、ほんの30センチというところで、頭が拍子木を打って山車を止める。

この熱狂の中で、場に流されず冷静に状況を見ている頭、

山車を至近距離まで近づけるという神経を研ぎ澄ませた技を見せると、

目の前には煌びやかで巨大な山車が二台対峙している。という有り得ない状況が広がる。

囃子は混ざり合い、そのカオスに町衆達の興奮は一段と高まっていく。

連雀町の道灌の山車は、この日初の夜の曳っかわせは札の辻、

松江町二丁目の浦嶋の山車と魅せたのでした。雀会は獅子が華麗に舞う!

綱を持っている持ち場から、町衆達が山車と山車に間に走って入り込んで行くと、

松江町二丁目の町衆達と合わせ、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」何度も何度も提灯を上下させていった。


頭が拍子木を叩くと、すぐに綱の持ち場に走って帰る町衆達。

道灌の山車は進路を元来た道に定め、札の辻から一番街を南下して行くことになった。

来た道であっても、また一つ一つの場所で停まり、山車の正面を向けて挨拶して行くことに変わりない。

「ソーレー!」「ソーレー!」掛け声と共に山車を曳きながら提灯を高く掲げる、

山車の曳行自体が一つの曳っかわせのような華やかさを発していた。





一番街で埼玉りそな銀行が見えて来ると、山車が停まっているのが見える。。。

通りを人で埋め尽くされている中、掻き分けるようにして先触が状況を見るために走って行った。

どこの山車だろう・・・?曳っかわせの期待が高まる。

戻って来た先触が宰領に伝える、仲町の山車がこちらと合わせる、と。

埼玉りそな銀行前に居たのは、仲町の羅陵王の山車だった。

川越まつり二日目、午後の部から山車同士がすれ違ったり曳っかわせをしたり、

今年は仲町と縁がある年のようだった。

曳っかわせは本当にタイミングの差。。。

昨年はこの時間この場所で、野田五町や六軒町と曳っかわせを実現していた。

それが今年は、この時間この場所で出合ったのは仲町、

あったかもしれない可能性は無限にあり、

その中から起こった現実は・・・いつもたった一つしかない。

両台の合わせに向けて現場では大声で段取りを詰めていく。

仲町の羅陵王の山車に近付けて行く道灌の山車、

沿道を埋める観衆の歓声に、重なる囃子の演奏、町衆達の掛け声に包まれながら、

頭の指示によって山車が向き合わされ、さらに近く寄せられると、

山車と山車の間に提灯を手にした両町の町衆達が急いで入り込んでいく。

「早く!早く!急いで来い!」「ほら、行くぞ!曳っかわせだぞ!!」

囃子の競演に、町衆達の競演、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

老いも若きも男も女も、祭り人となった町衆達は提灯を揺らして狂乱していく。


その後、南から北上して来た大手町の細女の山車と曳っかわせ、

大手町とは午後の部でちょうど仲町交差点でも合わせた町内。雀会はもどき。



さらに・・・喜多町の秀郷の山車とも合わせと、断続的に続いていきました。





連雀町道灌の山車は引き続き南進、

大手町も喜多町はこのまま北へ進んで行ったのだった。

きっと二台は、この後北の方、一番街上で合わせて観衆を沸かせていたに違いない。

南を臨むと、山車がどんどん北に向かって来ている気配があった。

野田五町の八幡太郎の山車も南からやって来て、一番街の鍛冶町広場前で合わせる。

この時は末広町の住吉囃子連が居囃子を演じていたこともあって、

山車二台、居囃子という変則的に三者による曳っかわせを魅せた。


中央通りを南に進む連雀町道灌の山車は、各所で山車を向けて挨拶しながら、

ホームである熊野神社に戻って行く。
 




ちょうど連雀町の会所前で曳っかわせをしていたのが、

通町の鍾馗の山車と元町一丁目の牛若丸の山車。

日中から山車に遭遇する率が高かった今年の川越まつり、

夜になると山車曳行ルートが本川越駅~札の辻の区間に集中するため、

さらに山車と出合う率が高まっていく。というか、山車がこの一直線に密集しているようだった。

この二台に合わせていくか・・・、というのはさすがに無理で、

二台の山車がその後、どう進行して行くのか現場の先触が確認し、

牛若丸の山車が北上して行くということで、タイミングを合わせて道灌の山車と曳っかわせ。


続いて、その様子を待機して見守っていた幸町の翁の山車と合わせる。

合わせる度に町衆たちは全力で山車に駆け寄り、曳っかわせを盛り上げ、

そしてまた綱に戻って曳き始める。一回一回が全力の曳っかわせ。

曳っかわせはやはり、山車を向け合った囃子の競演だけでなく、

町衆達の狂喜乱舞ぶりがあってこそ盛り上がるもの。

そしてようやく道灌の山車が連雀町交差点に突入して行こうとすると、

現場はさらに慌しくなっていった。。。

連雀町交差点。連雀町にとっては目の前にある交差点で、

ここも川越まつりでは曳っかわせのメッカで、これまで幾多のドラマが生まれてきた場所。 

何かが起こるはず・・・と、胸躍らせている観衆ですでに交差点は埋まっていた。

(既に熱気渦巻いているところに、掻き分け、道灌の山車を押し込んでいく)

連雀町交差点では、既にもう曳っかわせが行われて熱い空気が充満している。

交差点に居たのは・・・

通町の鍾馗の山車、西小仙波町の素戔嗚尊の山車の山車、

既に二台は交差点で曳っかわせを行っているところだった。
西小仙波町の先触が息を切らして連雀町に駆け寄って来る、

「連雀町はこの後どう行きますか」

西小仙波町はこのまま交差点で待機して道灌が入って来るのを待つ、と。そこで合わせましょう、と。

鍾馗の山車と素戔嗚尊の山車が居る連雀町交差点に、

山車が到着!と連雀町の高張り提灯が交差点中央に足を踏み入れて行く。

おおお、もう一台来た、連雀町だ、と盛り上がる交差点を埋め尽くす観衆。

ここで三台による曳っかわせ・・・と思いきや、

なんと県道を東から近づいて来る山車がもう一台あった。。。!

松江町二丁目の浦嶋の山車だった。混沌はさらに混沌に。

浦嶋の山車とは、一番街北の札の辻で曳っかわせを行って別れたばかり。

浦嶋の山車はその後、市役所方面に向かって川越街道を南進、連雀町交差点に向かって来たのだった。

ここに、、、四台が集結。

交差点中央にゆっくりと進んで行く道灌の山車。

鍾馗の山車と素戔嗚尊の山車は既に山車を回転させて交差点中央に向け、

合わせる準備が整って臨戦態勢となっていた。

浦嶋の山車も中央に寄せてきて、四台の山車が少しづつ距離を縮めていった。

まだ近づく、、、まだ近づく、、、よし!と止められると、

四町内の町衆達が一斉に山車と山車の間に集結し、

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

「オ~オ~オ~!オッオッオッ!」

提灯を上下させて雄叫びを上げる。囃子も四つが混ざり、混沌状態に。これぞ夜の川越まつり。


ここから通町は南へ、西小仙波町は北へ離れて行くと、

さらに後ろから来ていた三久保町の賴光の山車が、

見事な山車さばきでするするっと脇を抜けるようにして交差点に入って来た。

あの狭いところを入れてくるなんて。。。

連雀町交差点の角のところで、

三久保町の賴光の山車、連雀町の道灌の山車、松江町二丁目の浦嶋の山車の三台の曳っかわせが続いていった。

道灌の山車は、連雀町交差点から南へ、本川越駅を目指して進んで行く。

「ソーレー!」「ソーレー!」


通りの各所で挨拶しながら進み、
本川越駅が近づいてくると、人だかりが出来ているのが見える。

人だかりの上から覗いている山車を見ると、どうやら三台が停まっているらしい。

川越まつり夜の部、本川越駅前交差点も曳っかわせの名所で、

ここに居ればきっと複数台の曳っかわせが見られるはずと、多くの人が待ち構えていた。

既に交差点にいたのは、先ほど連雀町交差点で合った通町の鍾馗の山車に、

新富町一丁目の家光の山車と脇田町の家康の山車だった。

既に三台による曳っかわせが行われているみたいだ、

遠くに臨みながら道灌の山車を曳いて行く連雀町、そこに合わせるのか・・・??

(本川越駅前交差点、通町の鍾馗の山車、新富町一丁目の家光の山車、脇田町の家康の山車による曳っかわせが既に始まっている)


先方の先触と話しを付け、連雀町は交差点西側に綱を入れていくことになった・・・

かと思われたが、ここで時計を見ると午後9時になろうとしている。

川越まつり夜の部も残り僅かとなっていた。

ここは時間との勝負だ。

祭り人なら当然あの三台の中に入れ込んで四台による曳っかわせを魅せたいのはある、

しかし、無理をすればいいというわけではなく、

無理を承知で行く場面なのか否か、冷静に考えなければならない。

交通規制が解除されるのは午後10時、それまでに町内に帰らなければならず、

時間がないからといって通りの会所や居囃子で停まって挨拶していくのを省略することもできない、

一直線の道を帰るだけでも相当な時間が掛かる。

それに、あの交差点にあの角度で山車を入れて行くとなると・・・

一番街方面から南進して帰って来る山車が続々と続くと、もう交差点を抜け出せなくなってしまう。。。

10時までに間に合わないかもしれない。

という総合的な判断から、宰領は、本川越駅交差点に入らず、

手前にある新富町一丁目の会所に挨拶してUターンすることにした。

その旨が曳き手達に伝わる。

相手町内も、「また来年お願いします!」と返してくれ、

「こちらこそ、来年よろしくお願いします!」、

本川越駅前での華麗な曳っかわせは来年に持ち越しに。

ここにも、あったかもしれない曳っかわせがあり、起こった確かな現実があった。


本川越駅を背にして中央通りを北に進路を取り、道灌の山車は連雀町へ向かうのだった。

途上で仙波町の仙波二郎の山車と遭遇、

川越まつり最終盤で初めて合うというのも不思議な縁、最初で最後の曳っかわせを魅せました。

この時も、ちょっとしたドラマチックな曳っかわせを魅せたのも、川越人らしい粋だった。

ちょうど仙波二郎の山車と合ったこの場所、タイミングで通りに沿いで居囃子を行っていたのが、

中原町の月鉾囃子連だった。

中原町と言えば・・・そう、

連雀町が午前の町内曳きの時に、会所前まで曳いて行った町内で、

中原町の重頼は今年は出ていないことは午前の部の記事の中で記した通り。

『中原町の河越重頼を言えば、平安時代末期の武将で、上戸に河越氏館跡が残り、

そして連雀町の太田道灌は、ご存知のように河越城を築いた人、

川越の歴史の基にある人物を人形のモチーフにしている町内がここで邂逅することになった。

重頼も道灌も、この光景にさぞ喜んでいることでしょう。』

と書いていましたが、居囃子では重頼の提灯を高々と掲げ、囃子を奏していた。

その中原町の居囃子を含めての曳っかわせをやろうと、職方達が山車の位置取りを考える。

そこに仙波町が近付き、

仙波町の仙波二郎と連雀町の道灌の山車の三者による曳っかわせが行われました。

山車同士だけが曳っかわせではない、居囃子の町内も尊重し、合わせるのが川越まつりの醍醐味。

朝から川越まつりを行っているからこそこのドラマ性が分かり、

また、川越まつりはこうした機微のドラマがなんとも最高なのだ。

「また、来年合わせましょう!」

仙波町に別れを告げ、さらに北上してく道灌の山車。


連雀町交差点近くで出合った南通町の納曾利の山車との合わせ。

午後9時半になろうとした時のこの曳っかわせが、

結果的に今年の最後の曳っかわせになったのだった。。。



この後は、中央通りを北上し、仲町との町境まで行くとUターン、

そして、ホーム熊野神社会所に戻って来たのでした。。。





 


午後10時、午前、午後、夜合わせ計10時間近く山車曳行を続けた今年の川越まつりも終わろうとしていた。

今年を振り返って、というより今年もになりますが、

午前中からに山車の曳っかわせを求める観衆の声もありますが、

午前は町内曳きをするところが多く、

町内曳きは町内の繁栄を願う祭事で、山車同士が近づいても合わせない事も多い。

「イベント」ではなく祭礼という川越まつりの本当の真髄は午前の部かも。

なので、「午前の部」と分けて書きました。

「午後の部」では、市役所前山車巡行の華やかさ、一番街を背景にした巡行を、

そして「夜の部」ではなんと言っても曳っかわせ、

その裏側にある、一回一回が多大な労力が注がれて実現していることも伝えたかったことでした。


今年の川越まつりもドラマチックな曳っかわせがいくつもありました。

川越まつりで毎回思うのは、単に曳っかわせが行われるだけでなく、

なんでこんな劇的な曳っかわせがいつも起こるのだろうということ。

それは、町の人が道を駆け回って合わせようとしている現場があるからこそで、

曳っかわせに偶然はない。

山車がお互い数百メートルも離れたところから話しを擦り合わせ、

たまたま擦れ違った時にやりましょう、ではない。

全ては人が作り上げていること・・・と前置きを押さえた上でも、まだ、思う事がある。

その時間に、その場所で、そんな劇的なタイミングで、

そこに居なかったら起こり得なかった曳っかわせがあって。

では、あの曳っかわせの脚本は誰が書いているのか・・・??

偶然という運任せ??

もしかしたら・・・いや、やはり、神様の見えざる手が働いているんじゃないか。

観たかったんじゃないか。

一年に一度の祭りを楽しみ、町民を楽しませようと、

ちょっとした匙加減があったんだろう、そう思うと妙に納得する。

それが川越まつりだと考えたら、しっくりくる。


熊野神社にたどり着くと、職方たちが山車を通りから中に入れる。

最後の舞い手、天狐が舞いながら、

「川越まつり~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

「連雀町~~~」「オ!オ!オ!オ!オ!」

と何度も提灯を跳ねさせて盛り上がる町衆達


今年の川越まつりの来場者は、
15(土)=508,000人
16(日)=477,000人
合計=985,000人

と発表されました。


来年はどんなドラマが生まれるでしょう。

来年に向けて動きはまた少しずつ始まっていくことでしょう。


平成28年10月15(土)、16日(日)「川越まつり」。

参加山車
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
松江町一丁目 龍神の山車
宮下町 日本武尊の山車
三久保町 賴光の山車
脇田町 家康の山車
新富町一丁目 家光の山車
仙波町 仙波二郎の山車
南通町 納曾利の山車
川越市 猩々の山車

喜多町 秀郷の山車
大手町 鈿女の山車
松江町二丁目 浦嶋の山車
今成 鈿女の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
連雀町 道灌の山車
西小仙波町 素戔嗚尊の山車
通町 鍾馗の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道眞の山車
旭町三丁目 信綱の山車 


いいね!した人  |  リブログ(1)

テーマ:

平成28年10月16日川越まつり、二日目最終日。

12時に午前の町内曳きが終わった連雀町太田道灌の山車は、

熊野神社前に山車を留め置き、しばし昼休憩となった後、

13時に午後の部、いよいよ町内を出て他町へ山車を曳き回して行くことになる。

祭りは神聖な町内行事から、他町との交流へと移り、祭り人達のボルテージも上がっていくようだった。 

午後の部の山車曳行の目玉としては、特に13時半~15時頃までの間、

市役所前に各町内の山車が集まって来る山車巡行。

この時間帯に市役所前に曳いて行くことが決まっていて、

それぞれの町内がルートに組み込んでいる。

観衆にとっては絶好の山車鑑賞ポイントでしょう。

また、一番街も多くの山車が曳かれて行き、

日中ならではの蔵造りの町並みと山車のマッチングは人気がある。

山車に関わる多くの祭り人達は、午後の部、これからどんなドラマを生み出していくのでしょう。


13時、熊野神社前から山車を連雀町交差点に進めてから、

山車曳き出しの儀式を始める連雀町、

「山車が動くみたいだ」、様子を察知した観衆で交差点はもうぎゅうぎゅう詰めだ。

さあ、綱を伸ばせ!川越日高県道いっぱいに綱を張り、町衆が綱を握り締める。

綱先まで人で埋まって、いつでも行かん!という興奮を鎮めるように、

職方達による厳かな木遣りが始まった。



職方達に習い、目を伏せながらその声に耳を傾ける曳き手達。

集中力を高め、神経を研ぎ澄ましていく。

木遣りは午前の部でも、午後の部でも、夜の部でも、

山車曳き出しの時の大切な儀式なのだ。

消え入るように静かにすっと木遣りが終わると、

頭(かしら)がみなの意識を覚醒させるように拍子木を二つ大きく打ち鳴らす、

前方にいる副宰領が拍子木を打って全体に進め!と合図を送る。

すぐに続いて囃子が始まり、天狐が舞い始める。もちろん午後の部も出だしは天狐に変わりない。

曳き手達が、「ソーレー!」「ソーレー!」と大きな掛け声と共に綱を曳くと、

山車は、ゆっくりと動き始めた。。。静から爆発的な動へ、

何度見ても感動的な山車出だしのシーン。

さあ、行くぞ、と気合を込め、「ソーレー!」「ソーレー!」の掛け声に力が入る。

綱の内側には午前の部よりさらに町衆の数が増え、立錐の余地もないほど。

これから3時間半を掛けて、ゆっくりと山車を町に曳行して行く長い旅が始まった。。。







 


県道を東へ進む道灌の山車。各所で停まっては、山車の正面を向けて挨拶して行くのはこれまで通り。

すぐ視界の先に・・・山車の姿がうっすらを見えてきた。

山車が停まっている、どちらの方向に進むのだろう?

連雀町の先触が前方の状況を掴もうと駆け出して行った。歩くのではなく、常に走る!

県道の先に居たのは、三久保町の賴光の山車だった。

三久保町はまさにこの通りの先にある町内で、連雀町とは県道で結ばれているので、

県道のどこかで「合う」可能性は高いのだった。

先触が見ているのは、山車の存在だけでなく、山車が今どちらを向いていて、

これからどちらに向かおうとしているのか、というところ。

それによって自分達の山車の進み方が変わる。

それを山車同士が近づく遥か前に調整しているのだ。

相手の情報を得て自町内に戻って来ると山車運行責任者の宰領に伝え、

宰領が山車の進行の判断を下すと職方に指示を出し、

あるいは綱先の人間が方向やスピードを調整し、職方が拍子木を使って全体に合図する。

これを山車が動きながらやりとりし、

刻一刻と状況が変化していく中で、また次の判断を下して全体は動き続けているのだ。

その間も曳き手は大声で掛け声を発し、囃子は絶えず続き、

山車曳行は、大勢の人による総合芸術のような美しさがある。


三井病院前に居た三久保町の賴光の山車は、

県道を西へ、連雀町が来た道へ進んで行くようだった。

「それではすれ違うところで合わせましょう」

うちはここで停まっています、ではうちはそこに入っていきます、お互いの町内は話しを付け、

停まっている賴光の山車の横に、道灌の山車を入れ込んでいった。

すれ違いそうになるところで、山車の位置を確認して頭が拍子木を打つ、山車を止める合図だ。

お互いの町内の職方が山車を回転させると・・・見事に正面を向き合う二台の山車!

川越まつり最終日、道灌の山車の初の曳っかわせは、三井病院前で行われたのだった。


曳っかわせはもともと、山車同士がすれ違う時の儀礼として奨励されたもので、

対戦なんていう意味合いは始めからない。

しかし、囃子が至近距離で向き合えば、負けるな負けるなと、見ている方はどうしたって熱くなる。

二つの山車の上では二つの囃子連が競演、連雀町の雀会囃子連は天狐が応戦。

熱くなる周囲をよそに、クールに状況を見ている頭が、

もういいだろうと拍子木を叩くと曳っかわせは終了、その冷静さがなんとも粋。

山車はまた向きを変えられ、三久保町の賴光の山車は県道を西へ、

道灌の山車は東、松江町交差点へと進み、別れを告げるのだった。

今後の時間でまた三久保町とは出逢えるだろうか・・・

これが今年の最初で最後の曳っかわせになるのか・・・?誰にも分からないこと。。。


山車は松江町交差点に近づいて行く、近づいて来たということは、

他町に足を踏み入れるということであり、

連雀町の先触はすでに松江町一丁目の会所で渉りを付け、入町許可を得ていた。

許可を得ないと川越まつりで町境は越えられないのだ。

そして、町境に立って連雀町が自町内に入るのを待ち構えているのが、松江町一丁目の案内人二人。

午前の部で、中原町との町境で案内人が会所まで先導したように、

もちろんここでも案内人が先導するのは変わりない。川越まつりのしきたりです。

松江町一丁目の案内人は、連雀町の山車が自町内に入る境から案内し、

その後も山車が自町内を出る町境までまた先導して見送る。

もちろんこれは、連雀町内に他町内の山車が入ってくる時も、

連雀町の会所で待機している人が案内人として迎えと見送りとしている。

迎えと見送り、が絶えず町中で行われている川越まつり。

(山車行列の先頭に居るのは、天狗を思わせる姿の猿田彦(さるたひこ))


さらに松江町交差点が近づいて来ると、頭が拍子木を打って山車を止めた。

前に進めない・・・??

どうやら交差点で二台の山車が停まっているらしい、

南通町の納曾利の山車と松江町二丁目の浦嶋の山車、 まさに曳っかわせの真っ最中だった。
 


それをただ指を加えて見ているだけではない連雀町、

二台の間に山車を入れ込んで三台の曳っかわせを実現させるのか?

現場の話しの調整が行われた結果、ここでは合わせないことになり、

南通町と松江町二丁目の山車が進行方向に進んで行った後に、

道灌の山車は交差点を曲がって行った。

南通町は川越街道を北に、連雀町と同じ進行方向なのでこの先で合わせるタイミングもあるかもしれない。

反対に、松江町二丁目は川越街道を南へ、午後の時間に再会するのは難しいはず。。。

南を臨むと松江町二丁目の山車の他に、別の町内の山車が姿が。

きっとそこでも曳っかわせが行われていたでしょう。

もうどこに行っても山車と遭遇するような今年の川越まつり。

道灌の山車は交差点で停止した後、綱を北側に急いで張って、町の人も大移動した後、

ゆっくりと山車の向きを変え、川越街道を北へ進んで行く。

松江町一丁目の交差点から市役所までの風情ある川越街道の風景と山車がよく合う。

やはり歴史ある道と山車の相性はぴったりです。 


この川越街道における数百メートルという区間の山車の曳行は、

今あまり見返されることはないかもしれませんが、

改めて言及すると、歴史ある街道は、

川越の古い建物が残り、川越の色濃さを残している通りはなんとも山車に合う。

さらに、広過ぎず、ちょうど良い狭さの道幅と建物の高さが山車をより映えさせていて、

かつては道幅から計算して曳行できる山車のサイズを設計したはずで、

街道の風景は時代で少し変わっても、当時熱狂的に賑わったであろう祭りの喧騒がどこからか聴こえてくるよう。

道灌の山車から響く囃子の音色を聞きつけた松江町一丁目の会所から人が出て迎えてくれる。

「ソーレー!」「ソーレー!」町衆達が曳いて来た道灌の山車がだんだん大きくなってくると、

頭が拍子木を打ち山車が打ち、会所に山車の正面を向けて挨拶する。
 


囃子に一層力が入り、松江町一丁目の会所の人達から拍手が送られる。

この間も現場は動き続け、綱の外の警護が周囲に気を配り、

先触が、街道北からこちらに迫って来ていた仲町の羅陵王の山車と話しを付け、

街道途中で「合わせる」ことが決まっていた。

常に前もって、次、次、と山車の予定は決まっていくのだった。

山車はまた向きを正されて、松江町一丁目会所を離れると北へ進んで行き、

川越街道上で仲町の羅陵王の山車と曳っかわせを実現。雀会はおかめが舞う。
 





その後は、松江町二丁目の会所に山車を向けて挨拶し、と進んで行った。





 



(川越街道に残った山車曳行の跡、もう既に何台通っているのだろう。。。)

「ソーレー!」「ソーレー!」

続いて町境で大手町の案内人が待機していて、連雀町の山車曳行の案内に立つ。

城下町の名残らしい大手町のクランクを見事な山車さばきで越えると、

大手町の会所に山車を向けるのも忘れない。





街道を真っ直ぐ進むと川越市役所が見えてくる。

川越まつりでは両日とも、市役所前に山車が揃うというのが恒例行事で、

初日は山車が勢揃いする「山車揃い」、

二日目は13時半から15時頃までに、時間差で山車が次々にやって来るという「山車巡行」。

なぜ時間に幅があるのかというのは、

ぴったりの時間に山車を一ヶ所に揃えるのは難しいというのは、

連雀町のこうした現場の様子を見てもらえば納得してもらえるのではないでしょうか。

思ったより早く運行している、思ったより時間が押している、とそれぞれの町内の当日の事情があり、

だから二日目の山車巡行は、13時半から15時頃までの間でと幅を持たせているのだ。



市役所前交差点、いや、正確に言うと、河越城の西大手門に近づく道灌の山車、

ついに道灌が、自身が築城した城の入口まで帰って来ることができたのだった。

ちなみに、市役所前には太田道灌の像が立っていますが、

それは道灌の鷹狩りの様子をモチーフにしたもので、

連雀町の道灌の山車の人形も、鷹狩りを再現しているもの、見比べれば瓜二つなのです。


14時、市役所にはどれだけの山車が残っているだろう・・・

「ソーレー!」「ソーレー!」と綱を曳く町衆たちも様子が気になるよう。

先触や宰領、頭が先に走って行って市役所前の状況を確認しに行くと、

なんと、四台もそこに居た。。。!やっぱり今年の川越まつりは山車の遭遇率が高い。

市庁舎を目の前にすると、そこには駐車場を詰め尽くす人人人、

いろんな山車がやって来るのを心待ちにしていた観衆が詰め掛けていた。

時間差はあっても山車が集まれば、期待して人も集まる、

山車にとっては現代の晴れ舞台が市役所前でもありました。

西大手門から城内に入ると、

旭町三丁目の信綱の山車、
新富町一丁目の家光の山車、

川越市の猩々の山車、

今成の鈿女の山車が既にやって来ていた。

絢爛豪華な山車がここに四台揃い踏み、囃子も重なりカオス感がまさに祭り。


旭町三丁目の信綱の人形の松平信綱は、

太田道灌が築城した川越城の城主として新河岸川の舟運など川越を飛躍的に発展させた立役者。

(旭町三丁目の信綱の山車)

そこに太田道灌が迫る!川越の歴史上の人物があいまみえるというのも、川越まつりの楽しさでもある。

四台の山車が集まっているということは・・・

現場の祭り人達が走り回っていることは想像できるでしょう、、、

各町内の山車はこれからどこへ進もうとしているのか、

情報収集してお互い話しを付け、自分達の動きを決める。

四台いれば手間は四倍かそれ以上。

旭町三丁目の信綱の山車が先に市役所を出て行くということで、道灌の山車は交差点で待機。

・・・と、待機していたところに、信綱の山車が通り過ぎて行く時に曳っかわせを披露、

道灌像の目の前で道灌の山車と信綱の山車による貴重な曳っかわせが行われました。

雀会は再び天狐へ。



この後、道灌の山車は観衆に向け囃子を披露した後に、川越市の猩々の山車と合わせ、市役所を出発。



市役所から札の辻方面へ、本町通りを進んで行くと、

本町通りの向こうからやって来ていたのが、野田五町の八幡太郎の山車。

そう、午前中に出逢ったあの山車とここで運命の再会。

向こうから来る・・・どちらかが引く?待つ?どうするのか、、、

・・・と、この狭い道でそのまますれ違うことに。

お互いの町内の職方が細心の注意を払いながら、ぎりぎりのところで通り過ぎて行った。


雀会の舞は三番叟へ。行き違いが出来た瞬間、ほっと胸を撫で下ろす町衆だった。


通り沿いにある元町一丁目の会所に挨拶し、札の辻まで来ると、

頂上に設置していた道灌の人形を収納する。

この先の道すがらにある電線を考慮して、事前に山車の高さを低くしておく職方の対応だった。

名残惜しそうに姿を消していく道灌、しばしお休み頂いて、

また勇んで山車を曳いて行く町衆たちは、

札の辻を越えて菓子屋横丁方面にある高澤通りへ、元町二丁目に挨拶にやって来た。




舞はもどきに。


午後の部、連雀町から一番離れたここまで来るのが一つの到達点、

ここを折り返し地点として、あとはホームの熊野神社まで帰って行くことになる。


高澤通りの途中、休憩で山車を留め置いた際には、雀会の天狐が観衆の目を釘付けに。



札の辻まで戻ると、辻では既に人だかりが出来、山車の到着を待ち構えている人が大勢居た。

札の辻という場所は、川越まつりではいつも何かドラマが生まれる場所で、

数台の山車が合わされる場に立ち会える確率が高まる。

特に午後になると市役所から札の辻に向かう山車が多いので、

ここに居れば間違いなく、断続的に曳っかわせに遭遇する。

市役所方面からやって来たのが、通町の鍾馗の山車。

道灌の山車と札の辻で対面し、山車の位置を慎重に決め、お互い合わせた。。。!


その後、札の辻で再び道灌の人形を山車の頂上に掲げ、一番街を真っ直ぐ南進して行く。

ここからはいよいよ蔵造りの町並みの一番街。

町並みを背景にして山車が通る様子を観たいと、沿道で見守る人の数が特に多くなる。


ちなみに太田道灌と言えば、河越城を築城したのが1457年のことでした。

ということは・・・??

そう、来年2017年は河越城築城560年というメモリアルイヤーとなります。

太田道灌の存在はさらに注目されるでしょう。

一番街各所で山車を向けて挨拶して行く連雀町。

今年の一番街で話題となったのはなんと言っても、川越のシンボル、時の鐘。

耐震工事が続いていましたが、川越まつり前にシートが外され、

(職人達がまつりまでに間に合わせようとしたので)

真新しい銅板が光る時の鐘を背景にした山車曳行というのは、

おそらく今後100年はないのでは?という貴重なものでした。


ここまでで山車曳行は午前から数えて曳き続け、囃し続け、4時間は超えている。

ハレの舞台の一番街ではあってもさすがに疲れが見え始めた山車の曳き手たち、

だが、「一番街に来ると自然とまた力が湧き上がってくる」と話し、

「ソーレー!」「ソーレー!」の掛け声も大きくなっていった。



「ソーレー!ソーレー!」

綱を握る手にさらに力が入り、道灌の山車を誇らしげに曳きながら一番街をゆっくりと進んで行く。

囃子台では獅子の舞。躍動感ある舞が沿道の観衆を魅了。

埼玉りそな銀行前で幸町の翁の山車と曳っかわせを行った後、

仲町交差点が見えてくると、どこかの山車が向き合っているのが遠くに見える。

大手町の鈿女の山車と通町の鍾馗の山車が合わせているところだった。

曳っかわせの名所として知られるこの交差点も人で埋め尽くされていた。

あの混雑を見たら、二台の曳っかわせが終わるまでしばらく待機したいくらいの思いになりますが、

いや、道灌の山車は、

どうにか交差点に入れ込みたいと現場の祭り人達は動いていた。

通町の鍾馗の山車が引いた後に、道灌の山車を入れることで話しがつき、

人と山車でぎゅうぎゅう詰めになっているところで、見事に山車の入れ替わりを実現。

交差点中央に道灌の山車を慎重に進めて行った。

一旦、鈿女の山車を通り過ぎてからの、山車を回転させ、相手に合わせるという職方の職人芸が光る。

こうして交差点の「真ん中」で合わせることができるのです。雀会は再び天狐へ!


仲町交差点で午後の部クライマックスの曳っかわせを魅せた後は、

央通りを南下し、仲町の羅陵王の山車と合わせ、

ホームである連雀町の熊野神社に帰還した道灌の山車。







午前の町内曳き、そして町内へ出て他町の山車と合わせていった午後の部、

ここまでで5時間半の山車曳行が終了しました。

祭り人達は疲れも見え始め・・・・いやいや、祭りはここからが本番!と

いよいよ目が輝き出していくのだった。

日が暮れ始め、辺りが薄暗くなっていく頃、川越まつりはついに夜の部へと突入していく。。。

祭り人達の本当の熱狂はこれから。


夜の部は18時から、それまでしばし休憩に入り、エネルギーを補充。

2016年川越まつり最終日夜の部、百花繚乱の曳っかわせは、もうすぐ始まろうとしていた。



いいね!した人  |  リブログ(1)

テーマ:

平成28年10月15日、16日に開催された川越まつりは、

川越氷川祭として14日に氷川神社の例大祭が執り行なわれ、

15日に神幸祭、川越まつりの初日山車行事、

そして10月16日には、山車行事の最終日が行われようとしていた。

昨年の13台の山車の参加から、今年は23台の参加と大幅に増え、

いやが上にも川越中の期待が高鳴り、盛り上がることは必至だった。

初日の山車行事も熱気に包まれ、いよいよ祭りが最高潮となる日を迎える。

16日は朝から青空が広がり、祭礼にまつわる全ての催しが天候に恵まれた今年の祭り。


 



朝の9時、初日の熱狂の残滓がまだ街の至るところに見られる中、

さあ、これから最終日の川越まつりを始めようと連雀町の道灌の会所には、

揃いの祭り装束に身を包んだ祭り人達が集結し始めていた。

おはようございます、今日はよろしくお願いします、

顔を合わせてあちこちで挨拶が交わされ、中には久しぶりの再会に嬌声が上がったりする。

ここには道灌の山車で繋ぎ合わされたコミュニティが在り、道灌の山車を曳く運命共同体なのだ。

連雀町の太田道灌の山車は、初日は熊野神社会所前に留め置いた一日で、

神幸祭に山車参加した後は、宵山、居囃子で観衆を魅了。

川越まつりに参加する町内で、毎年山車参加をしている町内は少ない。

連雀町は毎年山車を出している貴重な町内で、その代わり山車曳行は最終日のみとなっているのが通例。

初日、目の前を通り過ぎて行く他町の活気ある山車曳行を眺めながら、

祝いながらも明日こそは自分たちも・・・と内に秘めていた連雀町だった。

そしてうずうずしたエネルギーをついに発散させる時が来たのだ。

川越まつりはなんと言っても山車曳行が最大の見せ場であり、華。

「この日のために一年間があった」

「この日のために生きているのようなもの」と興奮気味に話す連々会の面々。

やる気みなぎる町衆に、それに何より、

道灌自身が早く町に繰り出したいような表情を見せていた。
 


 



 





川越まつり最終日の山車曳行の予定は、

午前の部がまず連雀町町内曳き、午後の部が他町曳きで市役所前や一番街巡行、

そして夜の部の百花繚乱の曳っかわせへと続き、町内は一日を通して山車を曳き廻して行きます。

山車曳行の予定ルートは連雀町だけでなく、全ての町内で事前に運行ルートを決めていて、

好きなところを好きなように進んでいるわけではない。また、ルートのみだけでなく、

午前の部会所出発・帰還時間、

午後の部会所出発時間・帰還時間、

夜の部会所出発・帰還時間を決めていて、それを考えながら山車全体は運行されている。

もちろん予定は予定で、予定通りに行かないのが現実の難しさ・・であり面白さ。

だから予想もしなかった時、場所で曳っかわせが起こることもあって、祭りの醍醐味がある。

今年は一体、どんなドラマが生まれるのであろう。

いや、川越人はどんなドラマを生んでくれるのだろうか。。。


連雀町会所周りに祭り人が続々と集まり、道灌の山車の前には祭壇が作られる。

交通規制が始まる20分前、9時40分に静かに始まったのが、

熊野神社宮司を祭司とした山車曳行安全祈願祭だった。

神様が降ろされた道灌の山車の前に町衆が集う。

祭りは祭礼として、熱狂だけでなく、そこに祈りが根底にあるため厳かな時間は当然ある。

厳粛の雰囲気の中、祝詞奏上に続き、

実行委員である自治会、連行事、道灌の会、職方、雀会、育成会、連々会の代表が玉串奉奠し、

町衆の山車の曳行、山車の上での囃子、山車の上・周辺の鳶、

全てに置いて無事に山車の曳行ができますようにと、一同祈りを籠める。 


最後は清めの酒で乾杯し合うと、気持ちは一つに、

みなの表情が本気の祭りモードに染まっていったのが分かる。一年間待った川越まつりが、始まるのだ。


時計の針は、道路が交通規制になる10時まであともう少し。

「あと5分」「今日は頑張りましょう」

町内の人が挨拶を交わしながら、今か今かと表情が紅潮していく。

あと4分・・・あと3分・・・、山車の出発を一目見ようと沿道に人が集まり始める。

さあ、と留め置かれた道灌の山車を下り坂になっている会所前から

職方によって一気に通りに山車が下ろされると、

連雀町内はもちろん、沿道で出発を見守っている観衆から拍手が沸き起こった。

 


自分達町内の山車が通りに出される瞬間は、やはり町内の人にとっては最高に興奮する場面。

また、坂や段差を考慮しながら山車を通りに下ろす、中に押し上げるというのは職方の職人芸で、

祭りならではの見ものの一つであります。

「さあ、綱出して!」山車に巻かれた綱を前に伸ばしていく。

青空の下道路にぴんと伸ばされていく綱は、

参加者が多いということで昨年長さを伸ばしたそうだったが、

今年はさらに参加者が多いようで、綱が足りないくらいの大人数。

綱の内側が人で埋まり、みなで綱を握り締め、その時を待つ。

山車の上や周りには職方が控え、山車の上では雀会囃子連が今か今かと待つ。

10時。出発の前に辺りの音が一瞬消える。

みなの高揚を抑えるように、鳶たちによる木遣り(きやり)が始まると、静かな声が辺りを包む。
 


川越まつりの醍醐味はと問われれば、曳っかわせと答えるのはもちろんですが、

実は川越まつりのしきたりにのっとった「山車の曳き出し」の瞬間も鳥肌を誘うもので、これも川越まつりの醍醐味です。

静かな木遣りが終わるとのタイミング合わせて、

山車の前に陣取っていた頭(かしら)が拍子木を二つ打ち、

それに続いて雀会が笛を高らかに吹かせる。出だしで舞うのは神の使いである天狐と決まっている。

天狐が舞いを始め、綱前方に居る副宰領が全体に知らせるように拍子木を叩くと、

綱を持つ人々が綱を握る手に力を込め、

「ソーレー!ソーレー!」とゆっくりとゆっくりと山車を曳いて行く。 

巨大な山車が前に進み始め、綱元の連々会の面々に緊張感が高まる。

「ソーレー!ソーレー!」の町衆の掛け声は力強さを増していき、

ついに、道灌の山車が町全体で動かし始めたのだった。

沿道からは、それは思わず凄いものを見た時の条件反射として、自然と再び拍手が沸き起こりました。


10月16日10時、これにて、熊野神社を出発した道灌の山車は、

午前の部の町内曳きが始まりました。

連雀町という町名が書き込まれた提灯を高く掲げる高張り提灯、

綱先が姿を現すと、それに続いて華やかな衣装が目を引く手古舞、

他町との調整に駆ける先触(さきぶれ)が様子を窺い、

いよいよ綱を持った人々、綱の内側にいる人々は練り歩く。

山車の曳行は綱の内側だけの世界ではない、

綱の外には警護の提灯を持った連々会の面々が沿道の観衆に注意を促し、

最も危険な山車付近の綱元には、経験豊富な祭り人が陣取り、

山車の周囲には職方がぴったりとくっ付き見守る。

そしてその間中も、山車の上では囃子も舞も途切れず続き、壮大な物語は続いていくのだ。







熊野神社を出発した連雀町は、すぐに連雀町交差点を曲がり、川越川越日高県道へ。

町内曳きのルートとしては、連雀町をまず東端へ向かい、

そこから北へ進んで北端から今度は西端まで行く、

そして南へ戻って来て熊野神社に帰って来るという行程。ぐるっとくまなく町内を一周します。

外から見る川越まつりは、夜の曳っかわせは祭りの華ですが、

その前に、祭りの内部として重要なのはこの町内曳き。

神様の依り代である山車を町内をくまなく曳いて回り、神威を行き渡らせる。これはどの町内でも同じ。

曳行では、各辻で山車を必ず停め、各方面へ山車を向けるのも祭りのしきたりだ。

川越まつり(山車行事)で最も神聖で大事なのは日中の町内曳き、この認識は祭り人はみな徹底しています。町内を山車を曳いて、地域の発展を願った後に初めて、

山車は町内を出ることができ、他町内との交流を図って、曳っかわせも生まれていくのだ。


「ソーレー!ソーレー!」と巨大な山車を大勢の人の手によって動かしていく。この壮大な人の物語。

綱の内側は地域のコミュニティになっていて、

普段から見知った人との交流、普段顔を合わせていても話す機会がない人との交流、

山車曳行はさながら、町全体が大移動しているとも言え、

共に祭り装束に身を包んで一体感は、心を一つにさせる。

町の人の心を目に見える形で一つにまとめている証しが山車の綱で、

共に曳くことで結束が生まれ、地域は強くなる。

これだけの大勢で曳いていれば速く曳くこともできるはずだが、

実際には人が歩く速度よりもずっとゆっくりの速さで進むのが山車。


道灌の山車は県道から信号を南へ、両側に屋台がひしめく細道へ入り込んでいく。

舞は天狐からもどきへ。





 


この道は道灌の山車にとって、実は難関。

もともと広くない通りに屋台がひしめき、頭上には電線が張り巡らされている。

屋台の上部を持ち上げてもらい、山車の上の鳶が電線を確認しながら、

すれすれの間隔に山車を入れ込んでいく。

頭が山車の位置、角度を気にしながら、時に拍子木を一つ小さく鳴らして山車を止めて指示を出す、

曳き手たちが思い切り山車を曳くことができるのは、冷静に状況を見定めているこうした存在があるから。

よし、それで大丈夫と決めると、拍子木を大きく二つ鳴らして合図を送る、

「ソーレー!ソーレー!」、再び町の人たちが綱を曳いて山車を進めて行った。
「ソーレー!ソーレー!」、じりっと山車を細道を進める。

午前曳きには子どもたちがたくさん参加して、それぞれ着物などを着込んで祭り人に変身し、

大きな声を出しながら力一杯に綱を曳いていた。

今年の午前の部の先触は昨年に引き続き女性が務め、高張り提灯も女性二人が担当、

女性が活躍している町内でもあるのだ。


通りの途中で頭が拍子木を打ち鳴らして全体に山車を停める合図を送ると、

綱を持った人々はすぐに歩みを止め、山車を振り返る。

拍子木の打ち方一つで町内全体が統一されて動く一体感。

止まった山車を職方が注意深く回転させて山車の正面を向ける、

午前の町内曳きでは、山車は町内を回りながら町内各所で止め、回転させて挨拶していく。

この狭さで山車を回転させるのも一つの職人技。

山車を回転させるのは、なにも曳っかわせの時だけではないのだ。

こういう場面に町内行事としての川越まつりがあり、本来の祭事の姿があるよう。

曳き手の掛け声は止み、囃子の音色が一層響き渡り、みなが見上げながら見守っている。
山車を迎える側は軒先まで出て山車を見上げ、挨拶に来てくれたことに感謝する。

連雀町という町は今はマンションも立ち並んでいますが、昔から商店が特に多い地域でもあり、

川越まつりの二日間、お店の営業でなかなか祭りに参加できないところも多い

こうして山車が挨拶に来てくれることで、祭りに参加している気持ちになる。







 


細道に入れ込んだ山車が来た道を戻るのはどうするのか??

山車は横田屋電気店まで来て挨拶を済ませると、Uターンして行くことになる。

しかし、山車で道が塞がった状態ではUターンは不可能なので、

ここで山車曳行の知恵が発揮される。綱を一旦収納して逆側に張り直し、町衆も反対側に移動する。

そして山車を回転させてから来た道を戻って行く。

山車は前にも後ろにも移動できる構造になっていて、後は回転させればいいのだ。

道灌の山車は来た道を戻り、県道を越えて今度は町内東、大正浪漫夢通りを北上して行くことになる。





ここでも通りの両側に屋台が詰まっているため、山車を入れ込む前に

「山車が通りますので屋台を上に上げてください!」と町の人が声を張り上げる。

さらに電線や信号が山車の行方を遮り、対応に時間が取られる。

この辺りではまだ山車の上には道灌の人形は出していないのはそのためで、

上空が開けた場所まで来ないと人形を出すことはできないのだ。

もともと江戸城の城門をくぐるのに役に経った伸縮自在の二重鉾台型山車は、

川越に伝播し今に残っても、現代の町の中を曳行するのに適しているのだ。

今はまだ人形は収められ、本来の姿を見せるのはあとのこと。

大正浪漫夢通りも町内難関ルートで、屋台と屋台の間を見ながら、

さらに観衆の様子を見ながら、山車を前へ進めて行く。

山車を動かすというのは、いや、単に綱を引っ張っていくというだけではなく、

山車の位置を冷静に見る職方がいて、綱の外の状況を見る警護がいてこそ、

これだけ通りを屋台や人で埋まったところを進んで行けるのだ。

囃子が響く中、大声でやり取りしながら情報を共有し、

慎重の上にも慎重を重ね、神経を張り詰めさせながら山車を進めて行く。

山車を進める段取りだけでもこれだけの労力が必要で、そしてそこには神聖さもまとう、

山車曳行は知れば知るほど人の動きが感動的。

川越まつりは山車が主役なのは疑いないところだが、まつりを作っているのはやはり、人なのだ。
 

大正浪漫夢通りでも山車は各所で止めると、正面を向けて挨拶していく。


 

山車が店の前まで来て、止まり、さらに正面を向けて囃してくれるというのは、

受ける側はどんな気持ちなのだろう。こんなに幸せ感に浸ることは他にないのではないか。。。

町内曳きでは、各辻(交差点)で停まるのも欠かせないしきたり。

辻で停まると職方は山車を左右の方向に向けて挨拶する。

それは、本当なら辻を曲がって山車を進めて挨拶に行きたいところを、

こちらからすみませんとその場で山車の方向を向けるという意味もある。

辻の先にあるお店なども、山車の方向が変えられれば囃子の音の聞こえが微妙に変化するので、

挨拶に来てくれた事が分かる。そんな風に山車のやり取りで町内のコミュニケーションをしているのだ。


大正浪漫夢通りを着々と北上する道灌の山車、

通りを慎重に進みながら、さらに曳き手の掛け声は大きくなる。山車の上では舞がおかめに。










通りを進む山車は、途中から連雀町から仲町の境界線を超えることになり、

とすると、いよいよ先触の出番だ。

仲町に入って行こうとする手前で、先触が仲町の会所に飛んで行き、

会所に居る責任者に対し、「山車を町内を通させていただきます」と

挨拶する渉り(わたり)を済ませるのも川越まつりの大事なしきたり。

相手町内の会所にて入町許可を得て初めて、山車は自町内を出て、

他町に踏み込んで行けることができるのだ。

現代的な感覚では実感できないかもしれませんが、

こういう山車曳行にまつわる一つ一つのことを、大事に守っているのが川越まつりで、

同じ作法を川越まつりに参加する全ての町内が行い、祭りの伝統は今に続いている。

時代が変わってもこの作法は絶対になくならないものなのだ。


川越商工会議所が見えてくると、前方の様子を窺っていた先触から情報がもたらされた。

「商工会議所のところに山車が停まっている」。

どうやら突き当たりのT字路のところで二台の山車が居るらしい。

それは・・・川越市の猩々の山車と元町二丁目の山王の山車だった。

さあ、そこでどうするか。

山車を間に入れ込んで合わせるのか(曳っかわせ)するのか、

相手町内の先触も連雀町に飛んで来てどうするのか確認に来る。

ここで山車運行の責任者である宰領が下した判断は・・・

「いや、ここでは合わせないので先に行ってください。その後うち(連雀町)が行きます」。

相手の二台に先に行ってもらい、空いてた後に道灌の山車を進めて行こうと判断、

その旨を先触や職方にも伝え、道灌の山車を停めて先の二台の山車が進んで行くのを待った。

午前中は町内曳きであって、主目的はあくまで町内をくまなく山車を曳いて行くこと、

他町との交流は午後の時間からで良いとしたのだった。

「また午後タイミング合ったらよろしくお願いします」と相手町内に挨拶し、

商工会議所の前が空くと道灌の山車は左折して、そのまま西へ、仲町交差点を過ぎて進んで行った。

山車が曲がる時ももちろん囃子は止まらず続いている。ここで舞はもどきからおかめが登場。
 

(後方に川越市の猩々の山車が見える)



山車が止まっても、動き出しても、動いている最中も、常に囃子は響かせている。

山車と囃子はそれが川越まつりの当たり前のようになっていますが、

山車曳行を見た人ながら、決してスムーズに動いているわけではなく、

ガタガタと揺れながら進んでいることが分かるでしょう。

その間も演奏はストップすることなく高らかに奏し続けている。

このことの大変さも川越まつりでもっと知られていい。

特に舞い手は、山車が急に止まったりすると囃子台から下に落ちそうになることもあるという。

そのために舞い手などは、後ろに命綱をつけながら舞っている意外な事実があります。


仲町交差点を過ぎると、前方に高張り提灯がうっすらと見えてきた。

他町の山車が近づいているのだ。。。!

先触が走り、相手町内の様子を確認しに行く、

その山車はどの方向に進めようとしているのか、

こちらの山車と交差するなら合わせるのか否か。

だんだんと近づいて来た山車は、元町一丁目の牛若丸の山車 だった。

今年は23台も山車が出ていることもあって、市内各所で山車と遭遇する率が高い。

ここでも連雀町は町内曳きということでそちらを優先し、

午後以降合うタイミングがあったらまたよろしくお願いしますと挨拶し、通り過ぎて行った。

「夜にまた会いましょう、曳っかわせしましょう!」

あの商工会議所で会った二台の山車含めて、

午後以降の時間にまた合うことがあるのか、これは誰にも分からないこと。。。

それぞれの町内に運行ルートがあり、制限時間がある、その中で出逢えれば。。。

合う機会がなかったらもう来年以降に持ち越しで、

その町内が来年山車を出さないならさらにそれ以降となり、

また、次回出る年に合えるかどうかも分からない。

その条件の中で「合う」という曳っかわせが起こっているのが、どれだけ奇跡か分かるでしょうか。

神の采配としか言いようのない妙を感じます。


道灌の山車は仲町を進み、大工町通りを今度は南進して町内の西端を練り歩いて行く。


この通りは幅は広いのだが、電線が張り巡らされ難関箇所。

山車の高さと電線の高さを確認しながら、山車の上と地面の職方が密にやり取りする。

現代の山車曳行ではどの道も簡単なところはないのかもしれませんが、

電線一本一本を丁寧に避ける職方の仕事があって、山車は運行されているのが分かる。
中央通りの喧騒を離れ、観衆が少ない大工町通りは、

綱を道いっぱいに広げることができ、悠々と山車を曳いて行ける楽しみがある。

開放的な雰囲気の中、道灌の山車はゆっくりと南へ進んで行く。


・・・と、大工町通りを半分まで来たところで、綱先にいた先触が前方に目を凝らしている。。。

あれは・・・間違いない・・・山車だ!どこかの町内が先にいるようだった。

自分達が進む道の先に他町の山車が停まっていれば、先に状況を掴むのが先触の使命、

すぐに駆け出して行く先触二人。

走って行くと大きく見えてきたのが、野田五町の八幡太郎の山車だった。

ちょうど中原町の会所に挨拶しているところのようだった。

野田五町の先触の所に行き、

これからどの方向に進むのか、自分達の進む方向も伝え、お互い調整していく。

野田五町の八幡太郎の山車と言えば、

東武東上線川越市駅の踏切を越えて市街地に入ってくる町内であり、

ちょうど県道の交差点のところで道灌の山車と鉢合わせになることも多い。

そう、昨年の川越まつりでも、午前の部この時間でここで出合っていたのだった。

連雀町と野田五町の先触が話し合い、

野田五町が「先に県道まで出て連雀町方面に山車を出します」、

連雀町が「では、うちはその横を中原町方面に入って行きます」、

と両町の宰領が確認し話しが付いた。また、ここでは合わせないこともお互い確認する。


連雀町の先触はこれに終わらず、さらに動く。

昨年同様連雀町は、大工町通りから県道を越えて、

交差点先にある中原町の会所まで山車を進めて挨拶しようという計画を立てていた。

そのために野田五町と話しを付けたその足で、

道灌の山車を中原町に入れる許可を得るため会所へ走って行った。

 


相手会所まで辿り着くと、迎えた中原町の責任者を前に、

「おめでとうございます。連雀町太田道灌の山車です。

こちらさまのご町内を渡りたく、ご挨拶に伺いました。

どうぞ通行のお許しを宜しくお願い致します」と連雀町の先触が口上を述べると、

中原町からは、

「本日はおめでとうございます。どうぞお気をつけてお通りください」という返事をもらう。

それを受けて連雀町が、

「ありがとうございました。宰領にその旨を伝えます。

後程山車を向け、ご挨拶をさせて頂きますので、何卒宜しくお願い申し上げます」と返す。

このやり取りを済ませることで、山車を正式に他町に入れることができる、

現代の生活では町内の境は意識しないでしょうが、

川越まつりの時だけは境界線はくっきりと浮かび上がる。

連雀町と中原町、隣接している町内でも、

この二日間だけは正式な儀式なくしては気軽には足を踏み入れることはできないのだ。


中原町の入町許可を正式に受けた先触は、道灌の山車に戻って宰領に報告する。

「中原町に挨拶して、通行させてもらえることになりました」。

宰領がそれを職方に伝え、頭は拍子木を使って全体に意志を伝える。

そうして山車;町内の動きの方向が決まっていくのだ。

さらに、中原町からは金棒を持った露払いがやって来て、町境で待機し、

連雀町が自町内に入ると先導して会所まで案内する。

これも川越まつりの大事なしきたりで、どの町内でもこの対応はしている。


道灌の山車は県道を越え、中原町へ踏み込んで行った。

県道の信号から少し進んだところにある中原町の会所。

中原町の河越重頼の山車は今年は出ていませんが、会所は開いている。

すでに会所前では中原町の人たちが、連雀町の山車が到着するのを待ち構えていました。


中原町の河越重頼を言えば、平安時代末期の武将で、上戸に河越氏館跡が残り、

そして連雀町の太田道灌は、ご存知のように河越城を築いた人、

川越の歴史の基にある人物を人形のモチーフにしている町内がここで邂逅することになった。

重頼も道灌も、この光景にさぞ喜んでいることでしょう。

会所前まで山車を寄せると頭が拍子木を二つ打ち、山車を止め、会所に山車の正面を向ける。

囃子の演奏に一層力が入り、その様子を会所前に並んだ中原町の人たちが見上げる。







会所に挨拶を済ませて別れを告げると、連雀町は来た道を戻る。

「また山車を出す年に出逢えますように。。。!」

「ソーレー!」「ソーレー!」の掛け声と囃子を響かせ、

山車は川越日高県道を一路連雀町へ向けて進んで行った。

(先ほど会った野田五町の山車とすれ違う)


(連雀町交差点に帰って来た道灌の山車。これだけの人で山車を曳いていた)


そして交差点を曲がり、自分たちの会所がある熊野神社に無事に戻って来ることができた。










 


10時に出発し、12時前に帰還、たっぷりと2時間かけて曳いて廻り、

これにて町内をぐるっと一周した神聖な午前の部の町内曳きは終了。

昨年の川越まつり以来、一年ぶりに町全体で曳く曳行は、

みなが感覚を取り戻す前の段階で慣れない部分があり、

運営責任者は気が抜けない時間でもあった。

何事もなく帰って来られたことでまずは安堵し、次へ備える。

熊野神社前に山車を留め置いて一時間の昼休憩となりました。

道灌の山車はその間も居囃子が続けられ、観衆を魅了し続けている。

午後の部まであと一時間。。。

川越まつり、二日目最終日はまだ始まったばかり。


いいね!した人  |  リブログ(1)

テーマ:

2016年10月15(土)、16日(日)「川越まつり」。

川越まつり参加山車一覧
幸町 翁の山車
元町二丁目 山王の山車
仲町 羅陵王の山車
志多町 弁慶の山車
松江町一丁目 龍神の山車
宮下町 日本武尊の山車
三久保町 賴光の山車
脇田町 家康の山車
新富町一丁目 家光の山車
仙波町 仙波二郎の山車
南通町 納曾利の山車
川越市 猩々の山車

喜多町 秀郷の山車
大手町 鈿女の山車
松江町二丁目 浦嶋の山車
今成 鈿女の山車
元町一丁目 牛若丸の山車
連雀町 道灌の山車
西小仙波町 素戔嗚尊の山車
通町 鍾馗の山車
野田五町 八幡太郎の山車
菅原町 菅原道眞の山車
旭町三丁目 信綱の山車


川越まつりの見どころ
○市役所前の山車揃い
1ヵ所で多くの山車を見られるチャンスです。
15日(土)14:00~15:00頃 山車が市役所前に勢ぞろいします。
16日(日)13:30~15:00頃 山車が市役所の前を集中して通ります。


○宵山の山車展示
15日(土)18:00~19:00頃
会場内に山車が飾り置きされ、じっくりと山車と囃子をご覧いただけます。
※旭町三丁目は宵山の山車展示に参加いたしません。
各山車の場所は参加町の会所、宵山の山車展示位置情報でご確認ください。
http://kawagoematsuri.jp/matsurimap2016.html
※各見どころの時間は、前後することがあります。
 
○夜の曳っかわせ
交差点で山車と山車が出会うと、
山車の正面を向けあって囃子と舞いを披露し合います。
川越まつりの一番の見どころです。
場所:仲町、札の辻、連雀町、本川越駅前の各交差点ほか市内各所
15日(土)19:00~21:00頃
16日(日)18:30~21:00頃


○交通規制
10月15日・16日は市内に交通規制が敷かれます。

周辺道路は大変混雑しますので、公共交通機関をご利用下さい。
15日・16日車両通行禁止 10:00~22:00
 交通混雑が予想される区域・車両通行禁止区域は、

下記のサイトから「川越まつり交通規制マップ」でご確認ください。
また、交通規制区間は、自転車に乗って通行することもできません。(自転車は押して通行してください。)
<川越まつり協賛会からのお願い>
川越まつり開催期間中は、来場者の安全を確保するため、
会場内における「ドローン等(無人航空機)」の使用はご遠慮ください。


「川越まつり 公式サイト」

http://www.kawagoematsuri.jp/index.html





(夜の部「川越まつり2015」10月18日 百花繚乱の曳っかわせ

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12087021872.html


2016年川越まつり、今年はどんなドラマが見られるでしょうか。

山車の曳以外にも、特に本川越駅から一番街までの中央通り沿いには、

川越市内各地からやって来る囃子連が櫓の上で囃子を演奏する居囃子も行われます。

各囃子連を聞き比べてみてはいかがでしょうか。


川越まつりは、10月になったら期待が高まり、当日盛り上がり、

祭りが終わったらしぼんでいく、一瞬の華、ではなく。

一年を通して、川越まつりに繋がるもの、行事は常に街に通奏低音として流れ続けている。
その年中行事の一つの集約、「到達点」が川越まつりで、

また別の言い方をすれば、全体の中の一つの「通過点」が川越まつりでもある。

祭りに深く携わる人ほど、川越まつりが全てとは思っていない。

ただやはり、中心があるから周りの物事が決まり、一年が回っていく、

川越まつりが川越の中心にあるから、今こうして街は回っているのだ、というのは確実。

街が、街の人が、一つに集約される日というのはこの日以外にないので、

盛大に楽しむことが、川越まつりの継続・発展になると信じたい。

・・・という前置きをした後に、

川越の祭りや行事は季節折々に様々なものがあり、川越まつりだけではないこと、

耳を澄ませばいつだってお囃子の音色が届き、山車を見上げることができる、川越の街。

2016年も、元旦からお囃子の音色に包まれた川越、

連雀町の雀会囃子連は町内などの家や店を挨拶に回る「門付」で新年を祝っていた。




(「連雀町雀会囃子連による元旦の門付」2016年1月1日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12112998070.html


寒さが厳しくなる冬も、お囃子の毎週の稽古は欠かさず続き、

来たる春に向けて稽古場では熱を帯びた稽古が行われていった。

また、お囃子に携わる人たちの個々の活動も発展を見せ、

雀会の一員で「天狐」を舞っている緑さんは、yoga講師として、

あるいはウェスタ川越のジャズダンス講座の講師も担当していました。



(「ウェスタ川越の講座」ジャズダンス講座全12回 2015年12月7日~3月14日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12134640833.html

そう、川越まつりの山車に乗る舞い手は、こうしてプロのダンサーもいるのです。

2016年3月始め、2015年12月から始まった講座は、

ウェスタ川越2階市民活動・生涯学習施設 活動室3にて

毎週月曜日19:30~21:00に行われてきました。

全12回の講座で、最後の3月14日はスタジオパフォーマンスとして、

練習の成果を一般の人の前で披露しました。

応募した参加者の顔触れは、ダンス経験者から

踊ること自体初めてという人もいて、広く市民が参加していました。

ここまで練習を重ねてきた参加者を、

「この講座はプロを目指すのではなく、

健康な体作りという趣旨で、皆さんに楽しんで踊ってもらうことを考えています」と緑さん。
ただ、エクササイズとしてだけでなく、ジャズダンスは舞台芸術であるので、

衣装、メイク含めた非日常感も楽しんでもらいたい、と話していました。


緑さんは、川越でyogaスクール「LOVE LIFE YOGA」を主宰している人で、

お寺でyoga、あるいは川越Farmer'sMarketの朝yogaも担当し、

先に触れた、連雀町雀会囃子連に所属し、川越まつりでは道灌の山車で天狐を舞っている人でもある。

(午後の部「川越まつり2015」10月18日市役所前の山車巡行から一番街

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12086584994.html


さらに言えば、昨年川越在住の写真家、須賀昭夫さんの作品作りに密着した際に、

花を担当していたのが、連雀町交差点近くの花屋「花鐵」の相曽さんだった。

連雀町の連々会の副会長です。


 


(「team R」花の作品 制作の現場に密着

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12109663140.html


寒さが柔らいできた2016年春、

昨年の川越まつりから祭り熱が落ち着いていた川越は、

暖かさと共にいよいよまた、祭りの活気が甦ってきました。


(連雀町にある蓮馨寺の桜は満開に)

3月下旬から小江戸川越春まつりがスタート、毎週のように川越各地で催しが行われ、

4月になると各地でお囃子などが披露される機会が増えていった。

石田の獅子舞、

南田島氷川神社の足踊り、
中福の八雲神社、今福の菅原神社での川越祭りばやし、
中福の稲荷神社での中福の神楽、
石原町の観音寺での石原のささら獅子舞、

そして、5月のGWの小江戸川越春まつりフィナーレイベントでは、

新富町一丁目や元町一丁目、連雀町が山車展示と居囃子実演を実施。

連雀町は熊野神社で太田道灌の山車の展示と居囃子実演を行い、

これにて一ヶ月以上に及んだ今年の川越の春祭りが幕を閉じました。
 




(2016年5月GW熊野神社 道灌の山車と居囃子より)

ちなみにこの5月のGWでは、連雀町の中央通りや蓮馨寺を舞台に、

川越青年会議所による「こころおどるKAWAGOEフェスタ」が開催されていました。

山車が曳行される通りで、子どもたちが陸上競技などのオリンピック競技を体験、

子ども神輿を担いでいたのも、川越まつり的になんとも印象に残る光景でした。



(「こころおどるKAWAGOEフェスタ」2016年5月5日仲町交差点~連雀町交差点、蓮馨寺

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12157801130.html


GWが過ぎると観光客が押し寄せる怒涛の日々がひとまず落ち着き、

蓮馨寺の桜はピンクから青々した葉に衣替えをしていった。

梅雨に入り、夏を目前にすると、今年もまた川越Farmer’s Marketの季節が到来。
蓮馨寺に川越の農産物が集まり、

食べ物や雑貨、ワークショップ、音楽が詰まった収穫祭が行われました。

この日の朝には、雀会の緑さんの朝yogaも実施。


 



(「川越Farmer’s Market2016夏 後編」2016年7月3日蓮馨寺 

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12178471293.html


7月、梅雨が明け、本格的な夏を迎えると、今度は川越の夏祭りの季節。

7月30日、31日に開催された「川越百万灯夏まつり」では、

町内囃子連が居囃子で祭りを盛り上げ、

また、市内のいくつかの囃子連が山車・・・ではなく、移動式屋台を作って街を練り歩き、

お囃子の音色で祭りの空気を染め上げました。

連雀町の雀会囃子連も町内を中心に屋台を曳行、

そして、町内を出て行った先、

小江戸蔵里の山車蔵前に陣取る新富町一丁目の榎会囃子連の屋台に近づき、向き合うと、

山車同士の囃子の競演、曳っかわせ・・・ならぬ、屋台同士で囃子の競演、曳っかわせを魅せました。

お互い山車に乗る囃子連同士、ここにも川越まつりが。川越まつりは既に始まっていたのです。




(「第35回川越百万灯夏まつり」2016年7月30日、31日連雀町囃子連『雀會』屋台曳き回し

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12186554372.html


8月になると、熊野神社の盆踊りがあり、

川越まつり会館に展示していた道灌の山車を町内に戻すため、

朝の5時前にまつり会館に集結した連雀町の面々。

川越まつりの山車の、もう一つの物語。

川越まつり会館に常時二台の山車が展示されていることはお馴染みですが、

あの山車展示が、定期的にいろんな町内の山車に入れ替わっていたことをご存知でしょうか。

二ヵ月間隔で入れ替わり、そのタイミングが来ると

山車保有町内自身がまつり会館から山車を町内に戻します。
もちろん展示する時も同様、町内の人がまつり会館に曳いて行き、展示される。

6月に展示が始まった連雀町の道灌の山車は、8月、入れ替わりの時を迎え、

山車を町内に曳いて戻していた。そしてここにも、川越まつりの山車曳行の、もう一つの物語があった。

 


 


 

(「川越まつり会館 山車の展示入れ替え」道灌の山車をまつり会館から熊野神社へ

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12194797650.html


9月になると、だんだんと川越まつりの足音が聴こえてくるようになる日々。

蓮馨寺では周辺商店街による「昭和の街の感謝祭」が開催されました。

 


 



(第三回「昭和の街の感謝祭」蓮馨寺と周辺商店街 2016年9月10日

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12199339321.html


10月に入り、街中に紅白の幕が下げられる「軒端揃え」が見られると、

いよいよという雰囲気が漂ってくる。

川越まつりを明日に控え、各町内慌しく準備が進められている中、

連雀町内では、熊野神社にある山車蔵から道灌の山車を曳き出し、

所定の位置に移動させようとしていた。

そう、前日に山車を出して、いつでもスタンバイOKの状態にしておくのが恒例。

いよいよこの時が来たか、と町内の人はもちろん、山車自身もやる気がみなぎっている様子。




他の町内でも山車を表に出して準備しているところがあり、

川越まつり前日、地域の子どもたちが山車を見て回るのを散歩コースにしているのも、

この日ならではの風景。大きな山車を目の前にして、子どもたちが歓声を上げている。

観光客などが立ち止まって山車を見上げている中でも淡々と準備の手は進み、

地面に木の板を置いて、山車の通り道を作っていく。

そして山車の周りの人が集まると、ゆっくり、ゆっくりと山車を前に押し出し、

山車蔵から社務所横の駐車場まで押して行きました。



 



 
この位置で山車を留める。一晩明かし、明日の川越まつりを迎えることになります。
祭りの準備はこの後も慌しく続いていきました。

晴天に恵まれそうな今年の川越まつり。

川越が一年で一番熱くなる二日間が始まろうとしています。。。


「川越まつり 公式サイト」
http://www.kawagoematsuri.jp/index.html


 

いいね!した人  |  リブログ(4)