「時の鐘の除夜の鐘」大晦日~年明け 時の鐘耐震工事初の実施 | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

2017年12月31日、23時。

静まり返った一番街、ただ、普段の夜の街と若干異なるのは歩く人がちらほらいること。

そこには話し声や笑い声も混じって薄っすらと明るい雰囲気すら漂っていた。

大晦日、初詣に向かう人たちが行き交う夜でした。

一番街を北に進み、喧騒すら耳に届いてくると、そこにあったのは、時の鐘。

時の鐘の周辺に人が集まり、既に準備が整い、これから鐘を搗きが始まろうとしていた。

 

大晦日恒例となっている除夜の鐘。

川越市内では、蓮馨寺や成田山川越別院など除夜の鐘を搗くことができる寺院は各地にありますが、ここ時の鐘でも行っている。

他の除夜の鐘と決定的に違うのは、お寺の鐘を搗く除夜の鐘と違って、時の鐘が時を告げる時計塔であること。全国的にも、時計塔の鐘を搗く除夜の鐘というのはめったに見られない、体験できないものです。

正確には時の鐘で「行っていた」、と言った方がいいでしょう、時の鐘はご存知の通り、耐震工事により立入り出来ない状況になっていて、もちろんその期間は除夜の鐘も中止されていました。

耐震工事を終えて今年は実に3年ぶりに行われました。

再び除夜の鐘が再会されて初の開催に、待ちに待った多くの人が時の鐘に詰めかけ、時の鐘で新年を迎えました。

「時の鐘の除夜の鐘」は、時の鐘がある薬師神社の「薬師講」主催でNPO法人川越蔵の会が全面協力して続けられています。時の鐘を潜った先に、神社があります。薬師神社です。

薬師神社を崇敬する周辺の氏子衆から成るのが、薬師講です。かつては薬師講だけで除夜の鐘を行っていましたが、近年の人手不足から蔵の会が協力する今の形になって続いています。

蔵の会が全面協力という実質であることから、他の寺院の除夜の鐘とは異なり、一般参加者向けの除夜の鐘というより、薬師講の人たち向けに行われ、一般向けにも、という建付けで行われています。

他の寺院の除夜の鐘では、当日の年越し前に現場に並ぶという段取りが多いですが、時の鐘の除夜の鐘は、大晦日の日中に一般参加者向けの整理券を配布し、それを持って深夜の時の鐘に来てもらい、整理券を持った人先着順で搗いてもらう段取りになっています。3年ぶりとあってさすがの長蛇の列であっという間に配布終了という盛況ぶり。そしてあの、夜の時の鐘の喧騒に繋がっていたのでした。

蔵の会と言えば、2017年11月には一番街の鍛冶町広場にて、「」を開催したばかり。

また、恒例となっている「長屋バー」も今年も5月のGWに開催する予定ですので、川越に遊びに来たらぜひ立ち寄ってください。

(2017年11月「川越の職人の技体験市」鍛冶町広場)

 

(「長屋BAR(バー)」年に二日間だけオープンするバー 本町の長屋 NPO法人川越蔵の会

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11843207873.html

時の鐘の除夜の鐘に備えるために。

舞台裏で会の活動があることにも川越人なら目を向けてもらいたい。。。
年越しの除夜の鐘に先立って、2017年12月7日に、恒例となっている蔵の会による時の鐘のお掃除会を行いました。「素」の時の鐘のままだと、内部は埃などが溜まっているため、除夜の鐘に気持ちよく除夜の鐘に参加してもらおうと、10人ほどの会員有志(一番街商店街のお店の人含む)が時の鐘内部の床や手すりなど丁寧に拭き・掃き掃除し、綺麗にして当日に備えました。

時の鐘の除夜の鐘は、事前の掃除と当日の運営、二つが一体となっているものです。

(2017年12月7日時の鐘お掃除会)

それまでのお掃除会と比べると、内部の埃が思ったほど多くないことに一同気が付きました。

今までは、時の鐘の内部に入ると、埃が舞うのが目に見えましたが、今回の立ち入りではそのような光景は見られず、綺麗な状態に虚を突かれような心境でした。

どういうことかというと、時の鐘の壁には今まで隙間があちこちに空いていて、そこから埃が入り込んで溜まっていく一方だったのに対し、あの耐震工事の時に壁の隙間もきっちり埋められたことで、外から埃が侵入することがなくなったのだろうと一同想像していました。

変化と言えば、実は時の鐘の壁の各所に小窓があったのですが、それが全て塞がれたことも変化で、これも結果的に埃などを防いでいるものと思います。

お掃除会でピカピカに磨き上げられた時の鐘内部、いよいよ、大晦日の除夜の鐘を迎えるのみとなりました。関わった面々は、最後に時の鐘の最上部、鐘楼部から川越の街の四方を眺め、3年ぶりの眺めに感慨ひとしおなのでした。

「蔵の街川越」という名称は、時の鐘から街を見下ろすとことさらに実感できる。これが、川越なんだと。

 

街を見守り、今でも街に時を告げている、

川越の代名詞、川越のシンボル、川越と言えば真っ先にこれが出てこなければならない、時の鐘。


「時の鐘」は市指定文化財で、高さ約16メートルの3層構造。最上層に約700キロの鐘がつるされている。江戸時代初期の川越城主・酒井忠勝が建てたとされ、以後、火災で3回焼失。4代目となる現在の鐘楼は「川越大火」の翌1894年、蔵造り店舗などを手がけた地元の大工、関根松五郎の設計で再建された。
時の鐘の今回の耐震補強を兼ねた改修工事は、実に57年ぶりの出来事。
工事は2015年7月から始まり、約18カ月間をかけ、約1億円で基礎部分の耐震補強や老朽化が進んだ屋根のふき替えなどを実施。工事中は仮囲いや素屋根が設けられ、一時は鐘楼本体が外部からは見えない状態で工事が進められていました。

生まれ変わった時の鐘は、2017年1月9日にお披露目の式典が催され、一般公開が再開されました。翌1月10日からは1日4回の鐘つきも再開され、川越の街に時を告げる鐘の音が響いた。
そして、工事から一年経った今、あの大規模工事などなかったかのように、過去から未来へ繋ぐ鐘の音を響き続かせています。

大きな歴史の流れの中で、あの工事期間はほんの一瞬の時間だったのかもしれませんが、川越的歴史的出来事だった、シンボルである時の鐘の耐震工事。

時の鐘の工事中の姿の変遷を振り返ります。

2015年9月。耐震工事が始まったばかりの時の鐘は、足元に囲いが造設され、これから工事が本格化していくことを告げていた。


外観の見た目としては大きな変化がなかった時の鐘ですが、年を越した2016年度になると、誰の目にも分かるような外観の変化を見せ始めていきます。2016年春から半年間の急激な変化が、街の大きな話題を呼び、工事の経過を観察する人たちが続出しました。

観光客にとっては、せっかく川越に来て時の鐘が工事中というのは残念に思ったでしょうが、別の観点から言うと、時の鐘の工事というのは、数十年に一度であろうレアな時の鐘の姿を見ることができる言うこともでき、それを知るからこそ、川越人は工事中の時の鐘の姿に逆ベクトルで盛り上がっていったのでした。

2016年4月、時の鐘を覆うように頑丈な骨組みがされ、いよいよ、今まで誰も見たことのない時の鐘の様相を呈していった。この姿は・・・打ち上げ台に設置され発射を待つばかりのロケットにも例えられていた。

 

2016年10月。





 

2016年5月。ロケット台の光景はここまで、やがて完全にシートで覆われて、中の様子は窺い知れない状況になっていく。ここからしばらくの期間は川越の街から時の鐘の姿が全く消え失せる時となっていった。古い建物の立ち並ぶ街並みに、巨大な覆いの塔がそびえる光景は、確かに異様。そして川越的レア過ぎて妙にテンションが上がっていった。

 

2016年6月。

 

2016年7月。



 

2016年8月。

 

2016年9月。事態はついに動き出した。外の覆いが外される時がやって来たのでした。上部が取り払われ、時の鐘の屋根部分がちらりと覗いている。一体どんな姿になって街に現れるのか、街の反応も敏感で、「ついに外された!!」と時の鐘に駆けつけて写真に収める姿が見られた。地元の人がこんなにも時の鐘の写真を撮るなんて、もしかしたら・・・後にも先にもこの時だったのかも、と今になって思う。

9月に変化があったのは、当然ながら川越まつりを意識してのことは川越の人ならみな知っていました。そう、つまり川越まつりまでに覆いを外せるよう工事を進め、まつりの時に生まれ変わった時の鐘を見せるためということだろう、と。そのスケジュール感にも川越人は胸を熱くさせ、工事に携わる職人たちにエールを送っていたのでした。

そして・・・運命の2016年10月某日夜。

人知れず、時の鐘に設置された覆いが外される工事が行われた。大がかりな工事ということで夜間に行われ、この現場を目にした人はほとんどいなかったでしょう。一夜のことでした。





 

翌日、日が昇り、時の鐘が誰の目にも捉えられるようになると、その姿に街が、あ!と驚いた。たった一夜で覆いが外され、半年近くぶりに、ついに時の鐘が川越に姿を現したのだった。歓喜した川越人たち。


ここからは一日一日が目まぐるしく変わっていったと言っていい。つまり、川越まつりの日からの逆算で、急ピッチで工事が進行していったのでした。




 

2016年10月、工事用のネットが剥き出しになっていた状態から、ここである施しがされたことに川越の人はめざとく気が付いた。

グレーの覆いが掛けられた変化に、「??」という反応を示しましたが、2016年10月14日川越まつり前日に、その真意が解って、みな膝を打って「なるほど!!」と感動の声を挙げたのでした。

工事中をそれと伝えずに、川越まつりの時にしっかりと時の鐘を見せる。

川越のまつりのために、なんという心憎い粋な演出だったのでしょう。

川越まつりの時には、街中が紅白幕で彩られる軒端揃えが行われます。

それを命名するならば、「軒端揃え 時の鐘スペースバージョン」。

職人たちの意地とプライド、心憎い演出、2016年の川越まつりで時の鐘がお目見えしたのは、そんな舞台裏があったことは語り継ぎたいエピソードでもあります。

そして、2016年10月15日、16日の川越まつりでは、見事に時の鐘を背景にした各町内の山車曳行が行われました。

(午後の部「川越まつり」他町曳き回し連雀町道灌の山車2016年10月16日

https://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12210790743.html

 

川越まつり後、時の鐘に組まれていた足場などは徐々に外されていき、2016年末に工事終了。2017年1月の式典を迎え、次の100年に繋ぐ時の鐘のリニューアルに街は歓喜したのでした。

という、時の鐘の歴史的耐震工事から一年。

迎えた2017年12月31日大晦日。時の鐘に集まった整理券を手にした参加者は、3年ぶりという以上に、まさか時の鐘の内部に入れるなんてと、どの顔も紅潮しているのが伝わってくる。
除夜の鐘当日はこれも蔵の会会員有志が運営に携わり、薬師講の皆さんを中心に、一般参加の方がスムーズに鐘を搗く段取りを支えました。

今年除夜の鐘運営のお手伝いに手を挙げたのは、15人ほど。

除夜の鐘のお手伝いしながらも、お手伝い側で楽しんでしまおうという気持ちも胸に。そういう気持ちがないと運営できないだろうという真実もある。。。

冬の深夜というのは半端なく寒い、特に時の鐘の最上部になると四方から風が吹きつけてくるため、凍えるような寒さに打ちひしがれます。

という時の鐘事情に詳しい運営の面々は、みなの寒さ対策も完璧で、雪国に飛び込んでいくような重装備で揃っているのはさすが慣れたもの、中にはカイロを4つも忍ばせている会員も。参加者が鐘を搗き終わるまで大体2時間近く。厚着はし過ぎてもし過ぎはない、という気持ちで臨んでいました。
除夜の鐘の運営としては、階段下で受付や列整理をする担当、時の鐘内部の2層目、3層目、そして鐘楼部分、各層に数人人ずつ人を配置してスタッフ間の連携プレーで参加者を案内していきます。

ちなみに、来場者が鐘を搗く時は、一斉に内部に入るのではなく、階段下に列を作って並んでもらい、少しずつ階段を上がって中に入って待機してもらう。なにしろ、時の鐘の中は狭いので、少人数しか入っていけません。

そして最上部の鐘楼部分には一組ずつ上がってきてもらい、鐘を搗いてもらう。

このような手間の掛かる除夜の鐘は、他の寺院の除夜の鐘とは全く違うやり方で、時計塔ならではでしょう。

23時半に時の鐘最上部の鐘楼部にて蔵の会原会長が、無事に催行されますようにと鐘楼部の床を塩と酒で清め、いよいよ、時の鐘の除夜の鐘を始めようとしていた。

階段を上がってくる参加者は、こわごわ慎重に階段を踏み上がって内部に入ってきました。

内部の階段は、急階段というかはしご的に真上に登っていく感じで、一段一段足元を確かめるようにして上がっていかなければならない。

だが・・・怖そうと言っても、やっぱりなかなか入れない時の鐘です。時の鐘の中に居ることに、「うわ、凄い!」などと声を漏らしている人がほとんど。声は楽しそうです。

ささやかな式典を終えて、いよいよ参加者によって108の鐘が搗かれていく。

一番に並んでいた参加者が搗く時には、

「10,、9、8、7・・・」とカウントダウンをし、「ゴーーン」

時の鐘の除夜の鐘の一搗き目が見事に打ち鳴らされました。

鐘の音の余韻が細長く街に残り、いつまでも尾を引くようでした。

目の前で打たれる時の鐘の音の迫力は格別で、地上で聴く音とは全く別物。

ここから次々と最上部に上がってもらっては鐘を次々に搗いてもらっていく。

家族、友達などグループで参加が多いのは3年前と変わらず、みんなで記念に参加というのはどこの除夜の鐘でもそうだったのかも。

時の鐘は、人が階段を上り下りすると揺れます。

それは頂上の鐘楼のところにいるとよく分かって、さらに強い風が吹いても揺れる。

ちょうど0時には、

「明けましておめでとうございます!」と時の鐘内で拍手が沸き起こり新年を迎えました。

全ての参加者が打ち終わったのが、1時半近く。今回も2時間掛けての時の鐘の除夜の鐘でした。

 

スムーズに鐘が搗かれていく段取りは、蔵の会の面々の連携プレーが冴え渡っていたことによることを最後にお伝えします。

階上から下に向かって「それじゃあ2人上がってきてください!」

「頭気をつけてください。すぐ上に鐘があります!」

「足元気を付けてください」

「手すりつかまってゆっくりでいいですよ!」と各所の担当が参加者のフォローをしました。

最後にはこの日手伝った蔵の会会員も鐘を搗かせてもらい、鳴り響く鐘の音に一年の始まりをみなで噛み締めました。お掃除会から当日の運営、やり切りました。


夜とはいえ、鐘楼から眺める川越の街に一同見惚れるように、「凄ーい!」「江戸時代にタイムスリップしたみたい」などの声を漏らす。

一番街商店街のお店が除夜の鐘の運営にも携わっており、普段見慣れた一番街であっても、時の鐘から見下ろす一番街は全く別のものに見えることに驚いていた。

改めて自分たちの街を見直すような心境になっていった。

この一番街では3月になれば第三回「小江戸川越 江戸の日」が行われ、一番街が和の雰囲気でいっぱいになります。

夜の一番街を見下ろしながら、さらに思いは2018年の川越へ。

今年は一体川越はどんな出来事が起こっていくでしょう。

たくさんの出来事が起こり、そこから別の出来事へ連鎖し、それらが繋がり合い、大きなうねりとなっていったりする、そうして出来る街の潮流が今年はどんなものになるのか。

今年もまた、賑やかな街川越になることは間違いないことです。

街の動きの中、いろんなことに関わり協力したりしながら渦中に身を置いて、現場からしか出ない言葉を紡いで街に残していきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。