「川越style」

webマガジン川越styleは、「小江戸川越」のお店や人、イベント、行事、風景、文化、川越の熱い動きを伝える情報発信サイトです。過去記事もぜひどうぞ。川越の一大叙事詩、川越を深く伝え尽くす。


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2014年7月27日、川越百万灯夏まつり最終日。


昼過ぎから局地的に降り始めた大雨が、

その時、ぴたりと止んで空が明るくなった。
本川越駅前交差点には、祭りに来られている人でいっぱい。
屋台が立ち並び、ステージでは音楽が演奏されていた。

祭りらしい騒然とした雰囲気の中、
静かにゆっくりと交差点に近いて行く40人の一行。
みな表情を引き締め、目線は真っ直ぐ前を見据えて、

それぞれがその者に成りきっていた。
ワラジに草履でアスファルトを進む。

本川越駅前にたどり着いて隊列を整える。

一行を目にした方は、周りを囲むようにして見守っていました。




喧騒から、固唾をのんで見守る静寂へ。


川越藩火縄銃鉄砲隊演武。
雨で予定より遅れつつも、今年も川越百万灯夏まつりに行列が帰ってきました。
最終日、祭りのクライマックスとして本川越駅前から真っ直ぐ北上し

一番街の川越まつり会館までの各所で演武を披露します。

整然と並んだ行列から鉄砲隊が前に出て、

一回目の演武を始まろうとしていました。
『いよいよ始まる。。。』観客が見つめる。

構えて、「撃てー!!」



川越の空に響いた火縄銃の銃声。

斉典(なりつね)候、聞いて頂けたでしょうか。

きっと傍で見守っていてくれたはず。
2時間半に及ぶ鉄砲隊演武の幕が開けました。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*




川越藩火縄銃鉄砲隊演武、
沿道から温かい声援ありがとうございました!

無事に終えることができました。

お祭りに来られていた方に川越藩をたっぷり感じてもらえたと思います。


演武の最中は、一同その者に成りきっているので何のリアクションもできませんでしたが、

一つひとつの声は届いていました。
ありがとうございます!


今回で3回目となった川越藩火縄銃鉄砲隊演武の参加。

今回は侍役で参加しました。


この行列に参加するのは一回一回が貴重な体験で、
川越の深いところと繋がれる感覚になります。

その中でも今回は今までとは違い

自分の隊まで持たせてもらっての参加でした。


江戸時代の川越藩の歴史を本で勉強しても、
覚えることはできても当時のことを肌で感じることは難しい。
それが、一度行列に参加しただけで、

こういうことなのか、と

当時の川越がすっと入ってくる感覚になります。


一人一人の役、並び順、役による着る物の違い、歩き方の違い、

全て当時のリアリティーを追及したものだからこそ、

今に再現したというより、タイムスリップすろような感覚になります。

特にこの前の春まつりの演武は、今まで感じたことのない感じを味わいました。
「川越を守る」という初めての体験。

小江戸川越春まつり 50人の隊列で川越城警護





毎回行列にはテーマがあります。この時は全員鎧のガチンコの行軍パレード。

戦に行く様子そのものでした。


その時によってテーマが変わりますが、

2007年には一番街で

川越藩の歴代の全てのお殿様を揃えて行列する、という快挙を達成。


他には、2009年には川越から板橋まで
川越街道を踏破する行列を敢行。
30キロを10時間かけて歩き、川越藩一行の当時の行程を歩きました。
各地域の警察署に掛け合い、川越街道全てを歩いて行く許可をとっての行列でした。

会長の熱意に圧倒されます。

群馬の赤城神社の催しに参加したこともあり、
川越藩のお殿様が前橋藩も治めていたことがある縁からです。
福島県白河市のイベントに参加するのは、

川越のお殿様が白河の地にいたことがあるから。
川越の歴史に沿って演武を行っています。



この行列に参加することは、

川越に生きる者にとってかけがえのない体験になる、
参加するたびにその思いは強くなり、

この百万灯夏まつりの演武では、ぜひいろんな方に出てもらいたいと思っていました。

川越を拠点にして活動している人たちに参加してもらうことが、

何かを感じ、受け取り、きっと大きな財産になるはず。

そう考え、鉄砲隊の会長の了承を得て誘ったのが、

まず、川越で活躍するミュージシャン、TAKE COLORSのケンヤさん。





(2013年12月鶴ヶ島ハレでのライブより)



そして、同じく川越で活躍するMUGEN LIFEの杵渕さん。

7月に蔵里でライブを行ったばかりです。

(2014年3月KOEDOアジアフェスのライブより。カホン叩いています)



川越を音楽で盛り上げる「おとまち小江戸」の運営の漢那さん。

(2014年7月クレアモールmodi前にて、HMCバンドのライブより)



そして、一番街にある帽子&籠のKIKONOの住吉さんの旦那さん。




という男4人を誘って、今回一緒に歩きました。

4人を誘ったということで、自分が隊長となり総勢5人の隊を編成しての参加でした。

今までの鉄砲隊と比べると年代若く、

全体としてまた違った雰囲気になったと思います。

ミュージシャンがこれだけ出るのは、初めてのことだったかもしれません。


川越に思い入れを持って活躍している彼らに、

いろいろ感じてもらいたいと今回の演武の意味を話したりしてきました。

祭りの由来や斉典候の話しをすると、

みんな目の色が深くなるようだった。

川越の深いところと身を持って繋がれる感覚、

自分が以前感じたことを彼らもこの時感じていたようでした。

それ以外にも、川越市の青少年相談員の方の参加。

青少年相談員というのは、

地域の子どもたちの「お兄さん、お姉さん」となり、
子どもたちの健やかな成長を助ける、青少年健全育成に貢献するボランティア活動です。

広報紙等で募った子どもたちと、
野外活動、工作、レクリエーションなどの指導を通して、ふれあいの輪を広げる、
青少年の健全育成や、市町村等が行う事業等に参加協力する、など

地域に密着した活動をしています。

という、地域の子どもたちのお兄さん、お姉さん役の大学生などにも参加してもらい、

初参加が多かった今回の行列です。


この行列は、川越に愛着を持って活動している方は、

むしろウェルカムな雰囲気があります。



本川越駅前での演武の後、

ゆっくりとまた隊列を整え、前進して行きます。

先頭で指揮を執っているのが、鉄砲隊会長です。


歩いていると、沿道の方の顔がよく見えます。
メインである鉄砲隊だけでなく、行列全体を見ようとしてくれていたのがよく分かりました。

ありがとうございます。
本川越駅前から真っ直ぐ北上し、連雀町交差点で演武披露。


隊員によるそれぞれタイミングをずらしての発砲に一斉射撃、

さまざまな演武を披露しました。

川越藩にももちろん実在した鉄砲隊、

こういう隊が川越を守っていました。


次に蓮馨寺前で披露し、一直線の通りで

30分間隔で続けていきます。




蓮馨寺のあとは、仲町交差点で行い、一番街に入っていきます。

初参加の人は、慣れない分緊張感をずっと持っていて、

それがピリッとした行列になっていました。




川越藩火縄銃鉄砲隊の演武と川越百万灯夏まつりは

深い繋がりがあります。

川越百万灯夏まつりの由来をご存知でしょうか。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


川越百万灯夏まつりの前身である川越百万灯提灯まつりの由来は、
川越城主松平大和守斉典(なりつね)候が病没した後、
三田村源八の娘、魚子(ななこ)が、
「三田村家が斉典候から受けた恩義」に報いるため
翌嘉永3年の新盆に切子灯籠をつくり、表玄関に掲げました。


このことがきっかけになり、町中をあげて斉典候の遺徳をしのび、
趣向をこらした見事な提灯まつりとなりました。


その後中断されていましたが、
こうした由緒ある行事と斉典候の遺徳をしのぶ語り草から
昭和32年の夏に川越商工会議所の呼びかけで復活しました。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

そして、今回の火縄銃鉄砲隊の行列の中心にいるのが、

川越藩主の松平斉典(なりつね)です。
お殿様役は、一番街にある埼玉りそな銀行の支店長様に努めて頂きました。

初めての参加、

「地域のお祭りに参加するのは大事なことだと思っています」
と話していました。
お殿様の役は、いつも地域の方を招いて参加してもらっています。
春まつりでは、川越商工会議所の副会頭様でした。
地域を巻き込んで一緒になって行う。



斉典候の行列を再現したこの一行は、
本川越駅前に行く前に、

全員で喜多院の慈恵堂裏手にある松平大和守の墓所をお参りしています。

斉典候に追悼の意を示すことを由来としたお祭りなので、

当然といえば当然の行い。
川越百万灯夏まつりの期間中、

斉典候の墓前に訪れたのはこの一行だけだったはず。
まさに川越百万灯夏まつりのルーツと繋がった行列です。




今回の行列をご覧になって、

甲冑の人もいれば、着物の人がいて、さまざまな服を着ている人がいたことに気づいたでしょうか。
明らかに春のガチガチの行軍とは雰囲気が違っていました。


この行列は、

川越藩の上屋敷があった溜池から大手町の江戸城へ、

徳川11代将軍家斉に謁見するため

3キロほどの行程を再現した行列でした。


軍事パレードとは趣を異にして、直垂(ひたたれ)という着物着ている者をはじめ、

正装しているものが多いのが今回の特徴です。







行列の並ぶ順序も着ているものも当時を再現したもの。
「これから将軍に会いに行く」
一同の表情が緊張感に覆われます。


単なる仮装行列ではなく、リアリティーを追及したものだからこそ、

見ている人もやっている本人も引き込まれていくんだと思います。

お祭の最中、本川越駅から一番街まで2キロを

鉄砲隊のために道をあけるので、

本物でないと意味がないし、斉典候にも失礼になる。



松平斉典というお殿様は一体どんな人だったんでしょうか。
川越百万灯夏まつりの由来となり、

その方を再現した行列なので、斉典候を掘り進めてみます。

川越のお殿様というと、いろんな事業を成し川越を作ったという意味で、

川越藩一の名君と呼び声高い松平信綱候がいます。
川越の町割り、新河岸川の舟運を整え、川越まつりを始めたのも信綱です。

では斉典??というと、

藩政では積極的な政策を取り行いましたが、

それ以上に、

人々の間で記憶に残るお殿様だったのかもしれません。
川越藩がもっとも石高があった、17万石の時のお殿様が斉典です。


ただ・・・この時の経緯が面白いです。


逼迫していた藩の財政、斉典は

天保11(1840)年出羽庄内への転封を願い出ます。

「もっと石高のある藩に行きたい」

きっとそう思ったんでしょう。

一度は長岡藩牧野家との三方領地替えが決定されましたが、
なんと、庄内藩農民の反対運動で、中止となります。

農民たちが、『新しい殿様なんていらない!今の殿様の方がいい!』と訴えた一揆で、

これは江戸時代全体でも非常に珍しい民衆蜂起でした。。。

斉典は転封叶わず、川越藩にいなさい、とお情けで2万石加増されて、

川越藩は17万石となりました。


なんとも劇的というか脱力してしまうような経緯で実現した

川越藩17万石。


以前、鉄砲隊寺田会長のお宅で、

「武漢(ぶかん)」という本を見せてもらったことがあります。

江戸時代の行政関係の本で、1714年発行、当時300冊作られたうちの一冊でした。

(会長は武漢を何百冊と持っていて、全国の藩のことは

教科書ではなく全て原本で把握しています。

川越藩のことは日本で一番詳しいと思います)


四つ目綴じで綴じられた古めかしい本には、

斉典の系譜が書かれていた。

徳川家康の次男秀康の五男直基の、と続いた先に

松平斉典がしっかり書かれていました。
そしてこの方が亡くなり、提灯が軒先に下げられ追悼したところから

提灯祭りが始まり、と歴史の話しが身近に感じられるようでした。



鉄砲隊演武は一番街に進み、
最後は川越まつり会館前で行い終了となりました。








この演武は鉄砲を撃つだけでなく、
川越の歴史を紐解きながらリアリティーを追及した演武です。
間近で川越のルーツを感じられる体験はそうそうないと思うので、

また次回も楽しみにしていてください!
次回、川越での披露は来年春の小江戸川越春まつりです。

ちなみに、

2014年8月31日(日)えすぽわーる伊佐沼で行われる「おとまち小江戸夏まつり」では、

鎧の着用体験を実施します。

隊員が着れないような貴重な鎧を着せてもらえるはずです(*^o^*)

お気軽にお越しください♪



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



Another storyとして。
2時間半の行列、今回は初参加の人が多かったですが、

一同最後まで役に成りきってやりきりました。
歩いている最中は表情変えず集中していましたが、

始まる前と終わった後は賑やかな雰囲気に包まれています。


そんな場面をどうぞ。。。

11:00。喜多院近くの浮島神社に集合したこの日の参加者。
社努所には所狭しと大勢の人が集まっています。


着替える前のTAKE COLORSケンヤさん。

「ドキドキワクワクです!」と楽しみにしていました。




隊列は、このようにして一人一人決められていました。








青少年相談員のメンバーをはじめ、おとまち小江戸繋がりからのメンバー合わせて♪



ケンヤさん、杵渕さん、住吉さん、似合ってますね!



お殿様のすぐ前を歩く裃(かみしも)役は女性でした。大役お疲れ様です!




直垂(ひたたれ)役の二人、お殿様のような貫禄です(*^o^*)




そして、出発前の腹ごしらえです。

会長から、歩き方の注意(侍は手を振らない、など)、

表情は崩さない、前と横との間隔を意識して歩くことなど、

一同に伝えられます。


この後、浮島神社と喜多院の斉典候の墓所をお参りし、

本川越駅に向かって、演武をスタートしました。


参加者は、ワラジが痛かったと言いつつ、

「貴重な体験でした!」と楽しそうに振り返っていて、

また次回も参加したいと言ってくれました。

興味ある方いたらぜひ。

次回の春まつりも川越を大勢で行列しましょう♪









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2014年7月26日、川越百万灯夏まつり。
昼間は穏やかな雰囲気が漂っていますが、
昼過ぎから夕方になってくると、にわかに街がソワソワし出し、活気づいてきます。
百万灯の名の通り、提灯に灯りが灯る頃がお祭りの本当のスタート。

16時。屋台が立ち並ぶ通りの先から威勢の良い掛け声が届いてきました。
男たちの声、笛が響き、それがどんどんこちらに近づいてきます。
屋台と人の合間を縫って現れたのは、大きな神輿でした。
川越の神輿連、若獅子会の神輿だった。


掛け声に合わせて揺れる神輿、目の前を通り過ぎ、

川越商工会議所の方へ進んで行きました。
掛け声と神輿が小さくなってゆくまで見送る。

川越百万灯夏まつり、土曜日の催しの目玉と言えば、

「みこしパレード」と名前がつけられた山車と神輿の競演です。

山車の方は、いくつかの町内が手作りで組み立てた
ミニ山車が街を練り歩き囃す。
その中で連雀町のミニ山車曳行の様子を前回伝えました。

連雀町のミニ山車曳行




神輿もこのお祭りの華で、夕方、提灯が灯る17時に神輿運行が始まり、
大正浪漫夢通りから商工会議所を曲がり、
仲町交差点から連雀町交差点へ戻るルートを辿ります。

神輿は大体毎年10基ほど出て、

それぞれが趣向を凝らした神輿を出して担ぎます。
神輿に伴走する形で各町内のミニ山車も協力して歩き、
神輿10基にミニ山車がそれぞれに着いて伴走し、
通りにいると神輿とミニ山車が次々と目の前を過ぎて行く。
神輿と山車の競演を楽しめる貴重な機会です。

連雀町交差点から遠く小さくなっていった若獅子会の神輿。
運行スタートはもうすぐです。。。



ここから真っ直ぐ離れることしばし。
祭りの喧騒が消えた喜多院駐車場に向かうと、

ここにも男たちの一団が結集していました。

あ、いや、漢(オトコ)たちの一団が今か今かと待ち構えていました。





閑静な雰囲気の場所に、ただならぬ熱気を全身から放つ漢たちの姿。
30人以上はいると思います。
そして、駐車場に誇らしげに鎮座されていたのは・・・神輿だった。




木を自分たちで組み、御神体として川越の地酒鏡山を乗せた手作りの神輿。
実は・・・彼らもこれから神輿運行に参加する一団なんです。

彼らの名前は

「霞笑和会(かすみしょうわかい)」。


その名の通り、川越の霞ヶ関を地元とする面々が集まった一団です。


企業の神輿が出ることの多い百万灯夏まつりで、

地域で集まった者で担ぐ神輿が出る例はほとんどない。


霞ヶ関をこよなく愛し、霞ヶ関で育った同士で今も繋がり、

霞ヶ関を盛り上げようと動いている面々。

地元の仲間で集まって、百万灯夏まつりで神輿を担いでしまおうとするくらい、

霞ヶ関を愛している。

山車よりも神輿を選んだのは、漢たちが熱を激しく放出できるのが神輿だったから。

祭りと漢、たどり着くべくして神輿にたどり着いた。


「霞笑和会」と聞いて、ピンと来た方いるでしょうか。

霞ヶ関と言えば・・・あの男。あ、すいません、あの漢。


そう、富岡竜一です。


モナミモータース 富岡竜一



自動車の修理工場と逆輸入車を扱うモナミモータースの

富岡さんのことは以前、冬に記事にしましたが、

あの時に彼が熱く口にしていたのが、霞笑和会のことだった。


「今年の百万灯で神輿担ぐのでぜひ見に来てください!」


約束を果たす時が来ました。

彼の勇姿を、霞ヶ関の団結力を、この目で確かめる時が来ました。


霞笑和会は、百万灯の「みこしパレード」には毎年のように参加していて、

2006年に初参加、今年でなんと8回目の登場となりました。

毎年自分達で神輿を組み上げ、

鏡山を御神体として担いできた。


(2013年は夕方からのゲリラ豪雨の中運行)




(2012年の様子)



(2011年はがんばろう日本ののぼりを立てての運行)



ほとんどのメンバーが、2006年の初期からいて、当時から毎回30人以上参加しています。

霞笑和会の揃いのユニフォームとして作った青と白の着物。



神輿担ぎがあまりにも激しいため、すぐに擦り切れてしまい、、

着物だけでなくふんどし姿で担ぐ人が多くなっている。

神輿のふんどし。

これだけの数のふんどし姿で担ぐ光景が見られるのは

この会だけです。


この日来ていたのが35人。総勢50人ほどになる霞笑和会。

祭りにふさわしい勇ましい格好をしている

現会長の恭淳さんは笑和会をずっと引っ張ってきた方です。

地元を愛する霞ヶ関人をまとめ上げてきました。



富岡さんと恭淳さんは同級生で霞ヶ関北小と霞ヶ関東中と一緒でした。
集まっているのは、ほとんどが

小、中の同級生に先輩、高校の同級生、当時からの付き合いがある仲間たち。
鯨井中、霞ヶ関中、霞ヶ関西中、川越西中、
それから今霞ヶ関で縁のある人たち。

現会長の恭淳さんと霞ヶ関駅前にある居酒屋あさひのマスターのまさおさんが、


「霞ヶ関には山車がない。夏まつりに神輿担ごうぜ!」と意気投合し、

富岡さんはじめ周りの仲間がそれに乗った。






霞ヶ関の地元愛と仲間意識は独特なものがあります。

小学校が一緒だった、中学校が一緒だったという縁で、

大人になっても続いている関係がある。

見ていると当時と同じような同級生同士の関係、先輩後輩の関係が今でもあるようでした。


川越の中でこういう関係性が残る地域って珍しい。

郊外でも、川越北部、東部、南部で上の年代ではなく30代以下で、

地元の仲間の繋がりがこんなに強く残る地域はないと思うし、

ましてや神輿を作って担ごうなんてノリにならない。
「地元の仲間」という言葉がこんなにしっくりくる地域はないですね。
川越西部、霞ヶ関は川越のディープです。




酒と塩で清めた霞ヶ関の神輿。

樽の中には鏡山が入っているのか・・・?

この神輿を見た人がみんな疑問に思う事。

答えはYESです。樽の中にはなみなみと72ℓの清酒が詰められている。

神木の重量と合わせると、ざっと150キロほど。

これを30人の漢で担ぎ、街を練り歩きます。


同じ駐車場の一角に、笑和会と雰囲気の違う人たちがいました。

彼らが用意していた神輿は、ペットボトルで作ったものだった。



手作りの神輿による学生の参加もあるのだと知る。

そして・・・学校を聞いて、驚きました。。。

東京国際大学の学生でした。


東京国際大学といえば、霞ヶ関にある大学。

笑和会と学生はこの時が初対面だったそうですが、

まさか同じ場所で設営し、同じ霞ヶ関繋がりだったとは。。。


霞ヶ関の二つの神輿が、川越のど真ん中で躍動する、

なんてドラマチックな展開でしょう。。。!

「地元川越を盛り上げたい。町おこしの一環で神輿制作と祭り参加を考えました」

と話してくれた言語コミュニケーション学部の皆さん。

2ヶ月かけて制作した苦心作です。


いよいよ出発の時。

会長が拡声器を使ってみんなを集めました。

出陣式が始まります。



「今年のやってまいりました、川越百万灯夏まつり。

神輿は重く、絆は硬く、皆さん今日は頑張りましょう。
今回で8回目の参加となりました神輿。
最初神輿やりたいね、と話しをしていて、
でもどこかに入って誰かの下でやるより、自分たちでやろう、

そうして始めた霞笑和会。思いもひとしおです」


そして今回で恭淳さんは会長を引退します。
新会長の章吾さんは、

「神輿やる前はやだやだと拒んでいたんだけど、

いざやってみたら神輿にハマった。神輿は最高に気持ちいい」
と話します。新会長となって、これからますます神輿を発展させていきます。


挨拶が終わると、一同の表情が引き締まりました。
さらに発する熱気が熱くなったいく。
「よし!じゃあ、みんな入って!!」
神輿の内側に続々と入る漢たち。
「気合い入れろよ!!」
「おお!!」
「よっしゃ、いくぞ!!」
肩にグッと神木を乗せる。グググとゆっくり持ち上がっていく神輿。



「うおおぉぉ!!」


肩に食い込み全身に神輿が覆い被さってくるような重さ。

この駐車場で神輿を組み上げた時、

鏡山を乗せるのは3人で余裕に持ち上げられた。
神木を含めたって全体の重量を人数で割れば、一人5キロほどのはず。


それなのに。


なんだこの重さは。。。!


体力に自身のある筋肉隆々の漢たちが悲鳴を上げる重さ。
毎年、あの樽がなんでこんなに重くなるのか、みんな驚きを抱くという。
神輿を担いだ翌日には

全身筋肉痛で一日中動けないくらいの状態になるそう。
今まで7回担いできても、毎回全身の痛みは変わらない。


本当は担ぐ前、
酒と塩で清めた時に、途端に神輿が重くなったことをみんな感じていた。


身に受ける重さに
「鏡山に神様が宿って重くなる」
一同が真顔で口々に話していたのは、あながち間違っていないようにも思える。


それが、祭りの重さ。


きっと彼らと同じ気持ちで、

川越の市街地を練り歩きたい霞ヶ関の神様が乗っかっているんだ、

その重さを噛みしめると言う。
霞ヶ関を背負って、川越のど真ん中で霞ヶ関を誇示しに行く。




喜多院駐車場を出た神輿は、

みこしパレードの会場となる連雀町交差点に向かいました。
スタート地点への移動なので、まだまだ穏やかな雰囲気に笑顔も見られる一行。





が、しかし。


この移動距離が以外にも長い。
だんだん口数が減ってきて、笑顔も消えていく。
10分も担いでいると、本当はしんどくなる神輿。

喜多院から持ってくるだけでも大変な道のりです。

ゆっくり進む笑和会の神輿。

視界の先の方から囃子が聞こえ(あの音色は雀会だなと思いながら)、

人の数も増えていき、提灯が目に入るようになってきた。
連雀町交差点近くに無事に神輿を運び込みました。


この場所は・・・14時に連雀町のミニ山車が降り立った場所。

時間差で山車と神輿が行き交いました。


川越百万灯夏まつりのみこしパレード、
ルートは大正浪漫夢通りを北に進み、

商工会議所を曲がって、仲町交差点から連雀町交差点へ戻る。

そしてまた同じ道程を進み2周します。
お囃子が乗るミニ山車と伴走しつつ、

様々な団体、企業の趣向を凝らした神輿で通りが賑わいます。



17時。
いよいよここからが本番です。

みんなの目つきが変わった。漢たちの祭りが今始まる。。。

みこしパレードがスタートしました!


『霞笑和会、行くぞ~~~~!!!』
との、掛け声とともに・・・いざ出陣!!!




「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」

掛け声とともに進む神輿。

激しく上下に揺れる神輿、左右にも引っ張られながら連雀町交差点を曲がっていく。


「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」

漢たちの大声に振り向く人、立ち止まって見送る人、
神輿は肩だけでなく、太ももに力が負荷がかかって痛くなる。
痛みで悲鳴を上げたいのを、
「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」の掛け声で全て抑え込む。
これぞ夏祭り、という漢たち躍動感。




沿道から「鏡山が乗ってる!」指差して見送る人。

大正浪漫夢通りに突入していきました。


「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」




神輿は、担ぎ手だけでなく、周りをがっちりサポートする人がいてこそ成り立ちます。
拡声器を握る先導役はずっと声を出し、掛け声を煽り、

担ぎ手達の弱気になりそうな気持ちを鼓舞し続けます。
掛け声に合わせて拍子木を打ち鳴らす人に、
大団扇で仰ぐのは、富岡さんの弟、モナミモータースの準さん、それに子どもたち。
担ぎ手たちの体を冷やすため、必死に団扇を仰いでいた。




大事な役として欠かせないのが、

神輿の前と横で神木を手で抑え込み動きを制御する舵取り役がいる。


30人の勇壮な漢たちが「セイヤ!セイヤ!」と全力で担ぐとそれはもう、

神輿は暴れ馬のごとく跳び跳ね、暴れます。


神輿を抑え込み、急ぎがちになる神輿を制止し、ゆっくり進むよう
前と横で動きをコントロールすることが重要となる。





2006年、「神輿を担ごう!」と意気込んだあの時、

みんな神輿を担ぐのはまったくの素人だった。
担ぎ方を知らず力任せにやっていたけれど、
毎年参加することで、今は肩が痛くならない担ぎ方を体得。


「肩に乗せて」上下させると、神木と肩の間に空間ができる。

そうすると肩に木がガチャガチャぶつかって激痛になる。
「腕全体にに巻き付けるように」して神木との隙間を空けないようにすると

痛くならないことを自然と体得した。


他の神輿を見てみると、企業の神輿だと丸広や武州ガスなどの神輿が出ています。


そして、同じ霞ヶ関から来た、あの東京国際大学の神輿も

大正浪漫夢通りで担ぎ上げていました!

ここに霞ヶ関の二基の神輿が揃って登場!




楽しそうに担いでいる神輿が多い中、

地獄のような顔をして担ぎ上げている霞笑和会。

35度にもなる酷暑の中、意識が朦朧とする中でも掛け声は忘れない。


「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」

沿道の人から、あちこちで「頑張って!」など声援を掛けられますが、
担ぎ手たちは神輿に集中して

まったく周りのことが分からなくなるんだ、と振り返っていました。

目の前の一歩を考え、鏡山を最後まで担ぎ通すことだけを考えている。

その世界に没頭していた。


一緒に神輿を担ぐと、さらに仲間意識が深まると言います。
この重さに共に耐える関係、重みが結び付きを強くする。


通りで立ち止まっていれば、次々とやってくる神輿を見れますが、
当の担ぎ手たちは、他がどんな神輿なのか、どんな様子で担いでいるのか、

まったく分からないところにいる。
ただ、霞笑和会の神輿への声援は大きかった。
必死な形相で重そうに担いでいる姿に、

時に制御できなくなりそうになる瞬間に、

見ている人は神輿の迫力を感じているようでした。


仲町交差点から一直線に南下してくると、さすがに祭りのメインストリート。
通りに人が溢れ、神輿に声援を送り、

商店街の方が力水を浴びせてくれ、神輿に飛び入り参加する人まで現れました。


通りには浴衣の人が多く、裸の漢たちとの対比が際立ちます。










重い神輿が時間と共にさらに重くなっていく。全身が悲鳴を上げる。
重みを押し返すように、掛け声が鬼気迫るような激しさを増していく。
神輿の担ぎ手は、前から背の低い順に並ぶのが鉄則。

地面に平行ではなく、手前を低くして担ぎます。
だから手前はより重くなりますが、そこに背の高い富岡さんがあえて入っている。
前はやっぱり神輿の華。
ここは漢として譲れない、と手前に立ち続けていた。

富岡さんは、故郷霞ヶ関のことを

以前こう話していたことがあります。


「霞ヶ関は、市街地の人には鶴ヶ島?と言われるし、

鶴ヶ島の人には川越なの?と言われる。

川越まつりの時は蚊帳の外だし、祭りに参加している実感が全然なかった。

小さい頃は他の町の山車を曳かせてもらっていた」
それは、楽しくも疎外感をより深める体験でもあった。
自分たちのもので祭りに参加したい、

大人になった彼らはいよいよ行動に移す時が来ました。


「セイヤ!セイヤ!セイヤ!セイヤ!」








2周して2時間半の神輿パレードでした。
ヘトヘトになって座り込む一同。
誰も口をきけないくらい疲れ果てていました。
「重かった。。。」
やっと一言吐き出した言葉だった。声はガラガラでした。


神輿を担いでいると、よく言われることがあるんだそう。
途中で鏡山呑んでるの??と。
いや、彼らは最後まで鏡山には一滴も手をつけていませんでした。
御神体である鏡山は神聖なもの。
なんと、神輿が終わった後も呑む事なく、

そのままトラックで地元に持ち帰り奉納していました。
熱いハートに真面目な思い。


「川越の片田舎の霞ヶ関からパワーを送り、
皆様に沢山の『笑』顔のもと。揉め事や争い事などなく、平『和』に過ごせるように。
との熱い想いを込めて立ち上げたのが霞笑和会」


霞ヶ関の漢たちの躍動を見た川越百万灯夏まつりでした。


10回でも20回でも、これは続けていきたいと話します。

漢たちの神輿は、これからも続く。。。



霞笑和会2014、ここに完。。。!


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7月26日、朝。強い日差しが朝から降り注ぎます。

この日は天候に恵まれそう、

祭りに関わる全ての人が胸を撫で下ろしていたと思います。


川越の夏のお祭り川越百万灯夏まつりの日。
朝早くから通りのあちこちで、テント設営など祭りの準備が進んでいました。

たくさんの催しが用意された百万灯夏まつり、

一つひとつのテントにこの日に向けた準備があったことを思います。
当日朝早くから、
数日前から提灯を飾り付け、
何ヵ月前からそれぞれ催しの企画を考え、と
お祭りはその日にポッと出来上がるものでなく、

それぞれのドラマを経て、この日の朝を迎えていました。


一番街に向かえば、川越まつり会館北広場でラジオぽてと公開放送の準備が進んでいる。

この日のために、ずっと前から準備をしてきました。



一つひとつの番組にそれぞれ多くの方を巻き込んでいて、

長い時間を掛けて用意した番組でした。


川越まつり会館に入るとロビーには、

ラジオぽてとスタッフが南相馬市に訪れた時の写真展と、

セサミアートのワークショップが用意されています。

南相馬の方が笑顔で

体育館の床一杯に敷き詰めたセサミアートの写真。

小さな出展ですが、

そこには、南相馬の方と以前から交流を続けてきた軌跡がたくさん詰まっています。


この日、お祭りの全ての会場が、

こうして以前から準備を進めてきた軌跡があったと思います。

お祭りならではの楽しさの裏には、

想いを込めている人が数え切れないほどいます。




朝の9時。
熊野神社の境内でも、朝早くから祭りのための準備が進んでいました。
集まっているのは、連雀町の囃子連「雀会」の面々。


何もない台車の上に慣れたように木を組んでいきます。

台車は鉄骨で車輪は4つ、ちょっとはそっとでは動かない重さがあった。
作っているのは山車。
いえ、山車は山車でも、川越まつりの荘厳な山車と違って

可愛らしいミニ山車を自分たちの手で組み立ていました。








雀会が自ら作り上げるこのミニ山車を押して、

笛や鉦に、雀会の面々が一緒になって町内を囃して廻ります。
山車のサイズは小ぶりで、

廻る範囲も自分たちの町内がメインですが、

だからこそ

地域に根差した、地域のお祭らしい雰囲気がありました。

黄色い幕に、太鼓を乗せてがっちり固定し、

上にビニールとよしずで屋根を張ります。







提灯を灯りを灯すコードを這わせ、屋根を乗せたら

山車の形が見えてきます。







ミニ山車が出来上がっていく過程が楽しい。


「屋根、こうしたらいいんじゃない?」


一度設置した屋根を剥がし、やり直す一同。

炎天下で長時間練り歩くので、陽射しを防ぐ屋根づくりは重要です。


ああでもないこうでもない、と和気あいあいと、

時に冗談を言いふざけつつ、ミニ山車づくりを進める雀会。

みんなの様子を遠くから見ていた別の雀会の一人の方が、

「みんな好きだね~」

とポツリと言っていました。。。、(*^o^*)

囃子が好き、祭りはもっと好き、

川越のお祭に最もどっぷり浸かっているのがお囃子の方だと思います。

提灯を設置したら

毎年恒例の連雀町のミニ山車の完成です。






連雀町のミニ山車の曳行は25年ほど前から行われ、

始めは太鼓が乗るくらいの小さな台だったらしいですが、

そこはやっぱりお祭りごと。

だんだん規模が大きくなり、

今では「ミニ山車」と呼ぶくらいの大きさになっている。


山車に囃子があって、

川越百万灯夏まつりのお祭りらしい雰囲気を作っています。


今の川越は、川越まつりが規模が大きくなって、

川越総動員の一大イベントになっている楽しさはありますが、

川越市郊外にある伝統行事や夏祭りにホッとする気持ちも抱いたりします。

そんな中、

百万灯夏まつりには地域に根差したものをひしひし感じ、

街中が盛り上がってる中に、町内祭りが根底に在る確かさ。

市街地ど真ん中でありながら、

その雰囲気を味わえるのがこの夏祭りの魅力です。


出来上がったミニ山車・・・

最後に・・・マイコップにマジックで名前を書き、柱にくくりつけたら完成です!

マイコップは、祭に欠かせない命の水の補給に必要なもの。

曳行が始まる前から、命の水を補給する一同。。。(*^o^*)





一杯ご馳走になりましたが、

今まで「お祭で呑むのは最高!」と思ってたのはなんなのかと思うほど、

山車で呑む命の水は最高でした。。。!


百万灯のこの日、

ミニ山車を押して囃子して廻る町内は市内にいくつもあり、
どこの町内でも朝からこのような山車を組み立てています。
大手町の豪華なミニ山車に、岸町のミニ山車。

大工に組み立てを頼むような本格的なミニ山車もありますが、

連雀町のように、

囃す人が自分で組み立てる様子が、地域のお祭りらしいです。

命の水補給のためのサーバーを設置している町内も多いそう。

お祭に遊びに来る方も、囃す方も、両者に欠かせない命の水、

みんなが一体となって楽しむのがお祭りの醍醐味です。


百万灯夏まつりには、神輿が10基ほど出ます。

商工会議所主催のお祭りらしく企業の神輿が多く出て、

ミニ山車がそれに伴走して囃します。

神輿と山車の競演が見られるのが、このお祭りの魅力。

神輿に着いた後、

ミニ山車は自分の町内を廻ったり、他町内と曳っかわせしたり、と

夜まで囃子を街に響かせます。

夏の夜に響く神輿の掛け声と囃子の調べ。

これぞ夏祭りという雰囲気に包まれていきます。


そして、いよいよ。。。


「間もなく、交通規制が始まります。間もなく、交通規制が始まります」


14時直前、拡声器から放送が通りに響きます。

アナウンスを聞きながら境内の入口で静かに待つ雀会。




これから川越の街を囃しに行く。

すっと緊張感に包まれ一気にお祭りモードになっていきました。

これが、お祭りに入っていく直前の空気なのか、と実感。


14時から21時まで駅周辺から一番街の方まで、

主張道路が交通規制となり歩行者天国になります。

同時に、市民祭り、川越百万灯夏まつりがスタートです。

山車に囃子に、屋台に浴衣に、太陽と命の水。


「よし!じゃあ、行くか!!」


命の水をぐいっと飲み干し、

雀会の面々がミニ山車を「せーの!!」と熊野神社の境内から押し出します。

ズズズとゆっくり動き出すミニ山車。



この日の囃子は、雀会の子どもたちが中心になって演奏する予定で、

お祭りで演奏するのがなにより経験になるはず。

子どもたちも山車に乗りたくてウズウズしてるようでした(*^o^*)
子どもといっても一年から三年と経験を積んでいる小学生たち、みんな上手です。



ミニ山車が降り立ったちょうどここは・・・

連雀町交差点近く。

そう、

去年の10月の川越まつりで新富町一丁目の山車と曳っかわせが行われた場所でした。
山車がこの場所に出ると、つい去年の光景が蘇ります。

あの時、雨に降られた曳っかわせでしたが、

余計に神秘性が高まっていくようでした。





あの時のように、この場所に降り立った連雀町の山車。

ただ、百万灯用の手づくり感満載のミニ山車もいいですが、
山車といっても、本来の山車とはスケール感が違います。

川越まつりの山車は、これの100倍は絢爛豪華です。


観光客の方にとっては、

この夏祭りが川越まつりと受け止めている方もいるかもしれません。

ミニ山車を見て、川越まつりの山車と思った方ももしかしたらいるかも。。。

事実、囃子連の方もそうした声を掛けられるそう。

(祭り前に、川越まつり夏、川越まつり7月、といったキーワードで検索されることが多かったです)

お祭り=夏、というイメージがあるので、

これが川越まつりと思われる方もいたかもしれませんが、

川越まつりは毎年10月。


川越まつりが神事なら、川越百万灯夏まつりは市民祭と言えばいいでしょうか。

ダンスに、音楽に、街中にさまざまな出展があり、

市民参加型のお祭がこの夏祭り。


川越まつりの時は、

あっちからもこっちからも山車が来て迫力に圧倒されますが、

このミニ山車は基本その町内の曳行がメイン。

そして、囃子連の方の演奏も、

川越まつりの時の鬼気迫る演奏とは違う、

自由奔放に自分たちも楽しみつつ、楽しんでもらうのが伝わってきます。


囃子を演奏する方の話しがなにより、

二つのお祭りの違いをはっきり浮かび上がらせます。


「川越まつりと百万灯は全然違うもの。

川越まつりはずっと緊張している。この夏祭りは

自分たちも楽しみ楽しんでもらうもの」


川越まつりと違う表情に、こちらも楽しい気持ちになっていきます。


「おい!舵取り誰がやるんだ??」


「カーブ危ないんだからしっかりしろ!」


「さあ、音出しちゃえよ!」


ミニ山車の周りにお祭りに来られていた方が集まります。

笛が鳴り、太鼓が合わせ、「ニンバ」から始まりました。


子どもたちが演奏し、大人が周りで見守る。

連雀町交差点から本川越駅方面へ。

本川越駅方面を見ると、提灯がずらっと並んでいて綺麗に見えました。



「寿司割烹栄」さんの前で山車を止める一行。


せーの、とゆっくりとミニ山車の向きを変える。




栄さんの正面に向けました。

段差を上がり入口に近づいていく。
囃子の演奏が力強くなっていきます。
栄さんもお店から出てきてお互いに挨拶を交わす。





挨拶だけで終わりかと思いきや、栄さんが山車に乗り込み一緒に演奏を始めました!
栄さんも兄弟で雀会に入っている方。
この時ばかりは山車に大人が乗って囃します。




大人の演奏は太鼓一音一音がはっきりしていてキレがあり、

聞いていると体が揺れてきます。曲は「投げ合い」。

子どもたちが長い時間の演奏するのは難しいので、時折大人に代わって演奏していく。

栄さんから、また山車を回転させて向きを変える。
「ソーレー!ソーレー!」と子どもたちの声で山車を曳く様子は、

川越まつりを彷彿させます。
大人に言われなくても自分たちで自然と、ソーレー!と声を出す子どもたち。
祭りが体に染み込んでいるようです。
大通りから脇道へ。




建物に挟まれた道は囃子がよく響きます。
立ち止まって見送る観光客の方々。
山車の先頭に会長が立ち、山車の進む経路を決めていきます。
「ここ曲がるよ!」
松江町方面を進んで、広小路商栄会のテントにたどり着きました。
ここでも山車の向きを変え、テントに挨拶の囃子。曲は「屋台」。




この時はいませんでしたが、商栄会テントには

くっきぃず音楽院の斉藤さんがずっと詰めていました。
テントの向かいにあるのがくっきぃず音楽院。
花は咲くプロジェクト以来の再会です。
ここでも命の水をご馳走になり。。。(*^^*)

山車はUターンして「中村屋」さんでも挨拶。


こうして、連雀町内を廻って挨拶していきました。
その様子はまさに、正月の「門づけ」と同じ。
街のお祭りを囃子で彩りつつ、
あくまでも、町内を大事にした町内の祭りでもある。

囃子は子どもから大人へバトンタッチ。

暑い中演奏している時は汗もぬぐえません。

周りにいる面々が、演奏している人に扇子をあおいであげている光景が印象的でした。

「ソーレー!ソーレー!」と次にやって来たのが、

大正浪漫夢通りです。




通りを進み、
「大谷印舗」さん、「なんでむん」さんで挨拶。







脇道に入って蓮馨寺方面に向かい、
「信栄堂」さん、「渡井写真館」さん、「まことや」さんで止まります。
止まるたびに御祝儀を貰い、御祝儀を書いた紙が増えていくミニ山車。
観光の方が「子どもたち上手いね~」と立ち止まり、

囃子に耳を傾け、ミニ山車の写真を撮っています。


そして、暑い!暑い!と言いながら楽しそうな雀会の皆さん。





雀会の皆さんの掛け合いを見ていると、

いつも深いつながりを感じる。

囃子を通じた仲間、という言葉では伝わらない関係性。

お囃子に親子で参加し、同じ町内で参加し、小さい頃から囃子を続け、

相手のことはなんでも知っている仲。

家族のような雰囲気で、家族以上に何でも話せるような関係。

こういう光景を見ると、雀会は凄いなあと改めて思います。


郊外の伝統行事もいい、と書きましたが、

郊外では行事の日が近くなってきてから練習を始めるところもあり、

地域が結びつきにくい面もある。

それと比べたら雀会は毎週お稽古をし、お稽古に来る人数もたくさんいて、

子どもたちも多く、地域の伝統が受け継がれている理想的な形があります。


大正浪漫夢通りを北に進み、

仲町交差点から再び南下していきます。

仲町交差点を通過する時にやっぱり思い浮かべた、

川越まつりの曳っかわせ。

ここで行われる曳っかわせは、

川越まつりで一番の華と混雑になりますね。

今年の川越まつりでは、ぜひここで道灌の山車の曳っかわせが見たいです。


人出が多い中央通りを進む。

「ソーレー!ソーレー!」
蓮馨寺の前でミニ山車を止め、ここを曲がろうとみんなで回転させようとします。


その時。。。


「みどりさんの所寄らないと!!」

あ、そうだったとまた向きを直すミニ山車。。。

通り過ぎようとしたAgostoの前で止まって挨拶をしました。

という内実があったことはここだけの秘密。。。(*^o^*)





「みどりさんの所、涼しい~!」と、しばしの休憩タイムとなりました。



この後また、連雀町交差点へ向かい、

松江町方面に曲がって、岩上さんに挨拶。

町内一周してきました。







山車に着いているとずっとお囃子がそばにあって、

最もお祭りが楽しめる場所にいました。

お祭りは囃子があってこそ。

市民参加型のお祭りに、地域を大事にしたミニ山車が確かに廻っていました。


市民参加型といえば、

この百万灯夏まつりには、本当にたくさんの市民が参加していました。

ダンスの人の中には、

3月のKOEDOアジアフェスに出演してもらった方がいて、

ステージの司会をやっていたのも普段よく会う市民の方、

本川越駅の浴衣まつりの運営を支える人に参加する人、

郊外の農家さんがお手伝いでフランクフルト販売していたり、

障がい者の施設の方が模擬店を出していたり、

この夏祭りらしい、みんなで作り上げる雰囲気に包まれていました。



川越百万灯が終われば、

だんだんと近づいている10月の川越まつり。

川越まつりに出る山車は、このミニ山車よりもっともっと迫力ありますからね♪



3ヶ月を切り、山車蔵から出される日を楽しみにしています。。。♪



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川越の一番街から、ふらっと横道に入ったところにある落ち着いた通り。

通りに面してお寺がいくつも並ぶ寺町通りは、

真っ直ぐ北に進めば菓子屋横丁があり、

南にあるのが川越の奥深さに触れられる、「醸ん楽座」。


通りに面した大きな蔵はおよそ200年前に建てられたもの。
これは川越の中でも特に古い蔵です。

背が高く、縦に長い蔵。見上げると溜め息が漏れる、昔に思いを馳せます。

これでも今は短くなったんだそう。
当初は蔵が塀代わりに敷地をぐるっと取り囲むようにしてあり、
通りに面した蔵は

当時は穀物蔵などに使われていました。
戦時中、空襲の標的になるのを避けるため蔵と多くを崩し、

今見ることのできる蔵はほんの一部しか残っていませんが、

それでも一番街にある店蔵とは違う独特な存在感と趣があります。
そして、
奥にある醤油蔵は180年前に建てられたものです。今でも醤油作りが続いています。



醸ん楽座にあるのは、川越唯一の醤油蔵「松本醤油商店」に、

川越唯一の酒蔵「小江戸鏡山酒造」があり(一つの敷地に醤油と酒の蔵がある希有な光景です)、

ガラス製品と吹きガラス体験の「Blue Moon」、
そして、一軒の素敵なcafeもここにあります。

それがcafe蔵。

その名の通り、実際の蔵を使用した落ち着いたカフェです。






以前は、もともとある蔵に店舗部分を建て増ししたカフェが営業されていましたが、
その後しばらく空いた状態になっていました。
それをcafe蔵の掘地さんが偶然見つけて、
2011年4月cafe蔵をオープン。オープンから3年になります。

cafe蔵の特徴的な六角形の建物、

外から見ると赤い屋根の尖塔が目が引かれる形です。

奥に見えるのが醤油蔵です。いい香りが辺りに漂っています♪


なぜ六角形の建物があるのか??

それは、醤油との深い関わりから生まれたものでした。


醤油の作る工程では、

発酵の泡がぶくぶくと重なり六角形の形に見える時がある。

その形は醤油作りの象徴として、昔から醤油屋さんの看板には六角形が使われていた。
キッコーマンのロゴも六角形ですね。
(ちなみに、松本醤油さんが以前ここで運営していたお店は

『エサーゴノ』という名前でした。

エサーゴノはイタリア語で「六角形」という意味。)
建物も店名の話しも、醤油屋さんらしい由来に包まれていました。

お店に入ると、蔵の中に入る感覚がしっかりあり、

奥に進むと広いスペースが広がります。





(六角形部分の中は、このようになっています)


場所柄、観光客の方が多いかと思いきや、地元の方が多いお店。


お店では、定番のビーフシチューやエッグベネディクト、トルティーヤにキッシュ、
そして毎日変わる日替わりのメニューがあります。
cafe蔵の看板メニューでもあるビーフシチューは、

3年前お店を始める際、メニューを考えている時に周りの声の後押しで決まりました。
周りから

「ビーフシチューは絶対出した方がいいよ!」と言われるくらい

掘地さんのビーフシチューは好評だった。
そしてcafe蔵でも提供し、ここでも人気で

3年間毎日提供する定番メニューとなっています。

コエドンという丼は、川越らしい一品として考案したもの。
タコライスのような丼で、

豚肉の挽き肉とチリビーンズの代わりにさつま芋の角切りが入っています。

そしてお店のリピーターが頼むものとして、

やっぱり日替わりメニューは外せません。

掘地さんが、その日の気候や食材を考えて毎日変える料理は、

「今日はなんだろう」と

楽しみにしている方が多い。


暑い日には大根おろしとシラスのスパゲッティなど、

天気にぴったりのメニューが提供されます。



この時はさっぱりと、グリルチキンのトマトソースがけ。


また、掘地さんは年間を通じた行事を大切にしていて、

例えば七夕の時の日替わりランチには、

そうめんで天の川を、玉麩で織姫と彦星を表現したランチを提供していました。


行事の時に行けばそれにちなんだ料理を楽しむことができるのも、地元の方に好評な理由です♪


定番から日替わりランチに至るまで、

主役の料理に負けないくらいの存在感を放つのが、小さなパン。

付け合わせにつく手作りの小さなパンは、

付け合わせと呼ぶのがもったいないくらい、ほっこりと味わい深いパンです。

このパンが以前から好評で、

「パンだけが欲しい」

そんなお客さんの声があって、単独の商品として提供しようという話しになった。


ランチの付け合せから、

パンを独立させる形へ。

パン屋さんをお店として独立させて作ることになったのは去年のことです。


その話しになったタイミングでもまた、不思議な縁がありました。

窯との運命的な出会い。

「また」という言葉を使ったのは、

実は掘地さんが窯との不思議な縁を果たしたのがこの時2回目だったからです。

・・・と、その話しはこれから。。。


今パンを焼いている窯は、それまでケーキ屋さんで20年使っていたものを

幸運にも譲り受けることができた。

日本のパティシエ50人という本にも選ばれたケーキ職人が使っていた窯。

その窯は今川越にある。


可愛らしくて、色合いも素敵で、

まるでアンティーク雑貨のような窯との出会いがあって、

これを置く場所をお店として独立させることになりました。

それが、お店の入口に新しく建てたパン屋さんです。



オーダーメイドで作られた窯はまるで宝箱のよう。

いろんなパン屋さんの窯を見てきましたが、

ステンレスの角ばっている以外の窯を見たのはこの時が初めてでした。

そう、本当にアンティーク雑貨のようだった。



「この窯と出会ってなかったら、外に小屋まで建てようとは思わなかった」


と、今掘地さんは振り返ります。

この窯で焼くパンは、もっちり美味しく焼けるんです、と

可愛くて仕方がない様子で話してくれます。


パンは、ぷちパンをはじめ、いろんな種類を用意しています。

このパン屋さんが生まれたきっかけとも言える、

ランチの付け合せのパンは、このぷちパンシリーズ。

小さくて安いので、まとめ買い方の姿も。いつも午前中から買いに来られる方がいて、昼過ぎには売り切れることも。。。

添加物も使用せず、シンプルに

国産小麦、水、塩、ドライイースト、三温糖から作られる優しい味のパンは、

安心して食べさせられると、小さなお子さんを連れて来られる方も多いです♪

ぷちパンチーズ¥50


ぷちパンシリーズは、みんな¥50です。

・ぷちパンブルーベリー

・ぷちパンごま



ぷちパンほうれん草




河越抹茶を使用した河越抹茶あんぱん¥100

他にも

・くらあんぱん

・プチエピ

・チョリソーセージロール

などがあります。

大きなノアレザンもあって、

薄くスライスして食事とともに味わってもらいたい、と話していました。


あんぱんには月に一度、ちょっとしたお楽しみがあります。

正月の期間と、毎月一日、

あんぱんに宝船の焼き印を押して提供している。

宝船といえば、七福神。

七福神といえば、小江戸川越七福神めぐりです。


cafe蔵があるこの場所は、

ちょうど小江戸川越七福神めぐりの道中にも重なります。

弁財天の妙昌寺に近く、布袋尊の見立寺からも近い、

お正月だけでなく、毎月1日のご縁日でもたくさんの方が歩かれるので、

七福神の限定特製パンを作って用意しています。

七福神めぐりの時に、一つひとつあんパンに手作業で押しています。

あんぱんが道中のお楽しみにパンになっている♪


珍しいところだと、蓮馨寺横にある乾物の「轟屋」さんの「とり節」を使ったパン。


それから、鏡山の甘酒パンがあるのはcafe蔵らしいです。


川越唯一の酒蔵鏡山の甘酒は、非常に希少なもの。

川越市内でも甘酒を置いているのは、ここと小江戸蔵里くらいです。
本来は夏の飲み物でもある甘酒(俳句でも夏の季語)、

ほんのり甘く、優しい味のパンです。


あんぱんに河越抹茶を使用していたり、

鏡山の甘酒を使用していたり、

七福神あんぱんがあり、

着ているのは川越唐桟。

そして、お店で出すお茶は河越茶。

一つひとつ徹底して

川越を感じられることにこだわっていました。


お店に入ってすぐに気が付く縞木綿の着物、川越唐桟橋。

掘地さんはいつもお店で川越唐桟の着物を着ているそう。

蔵の建物で見ると、なんともぴったり合います。

ここでお店を始める時に、

呉服屋さんで仕立てて今では何枚も唐桟を持っているほど、

「とっても着やすい着物」だと言います。
川越のお店で、川越唐桟を着ている方というのは

意外に見られない光景なので、

逆に新鮮で、でも本来の姿でもあります。

川越の町人が、動きやすい仕事着として着ていた川越唐桟。
素朴でシンプルな着物は、
かつて町屋が並んだ通りにはあちこちで見られたでしょうね。
「素敵な着物ですね」

今お店にいると、お客さんに声をかけていただくことがあるそう。



掘地さんにとってのパンは、もうずっと前からのあるもの。

作るよりもパン作りを教えることが長くありました。

川越に来る前はもともと、障がい者の方のための社会復帰の職業訓練で、
カフェの運営やパン作りを教えていました。
とてもやりがいを感じる仕事で、
障がい者の方が美味しいパンが焼ける技術を身につけていくのが嬉しかった。


「美味しいパンを作れば毎日でも買ってもらえる。

それが障がい者の方のやりがいにもなっていたんです」


そこで教えていた人たちは、それぞれお店で働き、

今はcafe蔵にも遊びに来てくれるんだそう。

パン作りの話しから、ふと掘地さんが

この通りでクリスマスのイベントをやりたいな、と想いを口にしました。

シュトーレンを焼いて、クリスマスらしい雑貨の出展があるような、

そんなイベントをずっとやりたい夢を抱いていると打ち明けます。

いいなあ、ぜひ手伝います、そう伝えて誓い合いました。

クリスマスといえば、シュトーレン。

シュトーレン作ったことあるんです、と去年の話しをすると、

「障がい者の方とも、たっくさんのシュトーレンを作って人気だったんですよ」

と教えてくれました。


そして・・・掘地さんの口から、意外な話しが続きました。


「私、昔から窯に縁があるんです」


と。。。


障がい者に教えるために、パンを焼くちょうどいい窯を探していた時のこと。

たまたま行った日高市にある曼珠沙華で有名な巾着田で、

フリーマーケットが開かれているのを目にした。

そこに、お店を辞めることになったパン屋さんがたまたま出品していて、

話しをしてみると、お店の窯を譲ってくれると言ってくれた。。。

フランスの方がやっていたパン屋さんで、

ずっと本場のフランスパンを焼いていたお店でした。

国に帰るというタイミングで、


「窯を自分で運んでくれるなら、譲ってもいいと言ってくれたんです」


それを譲り受けて施設に運び、障がい者の方にパン作りを教えていました。


「凄い話しでしょう??私、窯を二回も貰ったんです(笑)」


その後、cafe蔵オープンしてから、ケーキ職人から今の窯を譲り受けて、

毎日小さな可愛らしいパンをここで焼いています。

窯との縁、二回も窯を無償で譲り受けた掘地さん。


この窯で美味しいパンを焼き続けて、と

窯に選ばれたような体験でした。

いくつもの材料をこねて出来上がるパン、

いくつもの話しが込められて出来上がったパン。


パン作りを教えていた後は、地元の東大和市で、
教育委員会が主体となって
学校が休みになる子どものための居場所事業として料理教室が開催されていました。
その講師として呼ばれ、子どもたちに料理を教えていた。
その教室が評判となり、
「大人にも教えました欲しい」と大人向け教室を始め、

料理教室は拡大していきました。
料理を考え、人と接する経験を通していつしか、


「自分でお店やってみたいな」と思うようになった。

東大和から川越へ。

川越でお店を始めようと思ったのは、


「川越は今まで何度もお出かけに来ていたし、

ずっといい街だと思っていました。

せっかくお店だすなら自分が好きな街でやりたかったんです」
と振り返ります。


古いものが好きで、古い町並みが好きで、
落ち着いた川越の雰囲気が気に入っていた。
たまたまこの場所が空いているのを見つけて、すぐに、

「ここしかない!」と閃くものがあった。


一番街から一本入った通りだけど、
この、ゆったりした雰囲気がなんとも自分に合っている。


寺町通りと呼ばれるこの通りには、
落ち着きという意味ではゆったり散策するにはちょうど良い通りです。

そして、蔵のお店で食べる毎日日替わりの料理。


掘地さんがいつもお店に来るまでに一時間半。
その通勤時間は掘地さんにとって

その日の日替わりメニューを考える大事な時間でもある。
今日は寒いから温かい料理にしようかな、

暑いからさっぱりしたものにしよう、
天気を見ながら、行事を意識しながら

頭の中では料理のことでいっぱいになる一時間半。


暑い日が続きます。この青空を見上げて、明日の料理はこうしようか、

考えながら川越への道を辿っているはずです。。。♪


cafe蔵では、

不定期でパン教室も開催していて、

手ごねでこねて、あの窯でパンを焼き上げます。

参加者の方には、

こんなに美味しいパンを初めて食べた、と

涙を流して感激する方もいるほど。


ちなみに、cafe蔵さんは

2014年5月に開催した川越パンマルシェにもパンを提供していました。


お店の出展ではなく、お店のパンを一つずつまとめた

オリジナルパンセットに河越抹茶あんぱんを提供。


2014年6月の「川越ハンドメイドの雑貨市 」では、

スタンプラリーの一店として参加。


川越を感じられる場所として、いつまでも大事なお店です。


掘地さんの料理はとても美味しくて、

日替わりメニューも毎回楽しみなのですが、

川越パンマルシェの時に、しっかり伝えられなかったので、

今回はパンのお話しをじっくりと。。。

特に、

運命的な二つの窯の話しは驚きと感動でした。


またその二つの窯が、


「どちらの窯も、とってが木でできていたり、

雰囲気が二つ良く似てるの」


不思議な縁もあるものですね。

受け継いだ窯で、小さなパンをこれからも焼きます。


「cafe蔵」

川越市仲町10-15

11:00~18:00(ランチタイム11:30~13:30)

ラストオーダー17:00

水休 駐車場あり 049-224-7881


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2014年8月30日(土)、また、あの一団が帰ってくる。。。


覚えているでしょうか♪

思い起こせば2014年1月、

小江戸蔵里で行われた餅つき大会には、

200人を超える方に訪れていただき、

ついた餅を振舞い、餅をついて楽しんでもらいました。







「小江戸蔵里 餅つき大会 市民が起こした一つの事件♪」


蔵里が正月のイベントして実現したかった餅つき大会、

「うちで餅つき大会やってもらえませんか??」

と我々に託され、市民が集まって

自分達も楽しみつつ来場者の方に楽しんでもらおうという

餅つき大会を行いました。


川越市民の有志が集まって、

素人ながらも餅をつき、来場者の方につき立て餅(きな粉など)を振る舞いました。

これは仕事ではありません、

みんな一円も貰わず、むしろ道具は自分たちの持ち出しで、準備も片付けも自分たちで。


大変なことは分かっていた。。。それでも。


一つの提案を頂いた時に、

「ぜひやってみよう!」

と、すぐに話しに乗って賛同し共感してくれる人が多いのが川越という街。

何かの理念の元に集まるというより、

面白そう!というワクワクに、これだけの人が手を挙げてくれる。

蔵里からの提案にリーダーに、、
「こういう提案ありましたよ。どうします??」

メールしたところ、

3分後に返信が。


「面白そう!ぜひやろう!!」


と。。。(*^o^*)


そこから、蔵里の担当者の方に会いに行き、

実現に向けて話し合いを重ねていきました。

リーダーなら、きっとこの話し受けると思った。

単に自分たちが楽しむってだけじゃなく、

楽しむことを通して、少しでも新しい川越の提案ができればを

考えている人なので、やってみよう!と言うはず、と。


純粋な、市民の市民による市民のためのイベント、

呼びかけに対し、「ぜひ手伝いたい!」と

当日集まったスタッフはなんと20人。

誰も彼もが川越を愛する人たちで、有志みんなで実現したイベントでした。


あの経験は、川越市民の懐の深さを

改めて感じた出来事でした。。。


一つのアイディアに、すぐに人と人が繋がって、

一緒にやりましょう、その展開がもの凄く速い。

実際に打ち合わせを重ねて準備を進め、

協力してくれる人が次々に手を挙げてくれて。

そして1月26日(日)。

本当に、やってしまった、

「小江戸川越 餅つき大会」。



ボランティア、そう言ってしまえばそうだけど、

川越には、誰かが楽しませてくれるのを待つのではなく、

自分たちで率先して楽しみ、周りを巻き込んで楽しんでもらう、

そういうノリが溢れていますね。

川越をキーワードにすると、こういうこともやれてしまうんだ、と

本当にびっくりでした。。。

そして、それに集まってくれる参加者もたくさんいる。


市民が起こした一つの事件は大成功のうちに幕を閉じ、

そして。

あれから・・・半年あまり。。。


「次は夏休み企画をお願いします」


蔵里からまたまたオファーを頂いてしまいました!

それに対しリーダーは、

即答で了承!!


ということでまたあの一団が、

夏休み最後の思い出に蔵里の広場でやらかします!!

テーマは、夏ということで水。

水で何ができるか?どう遊べるか?

悩みながら前に進み、一団はどう形にしていこうとするのか。


提案を了承し、そして善は急げとばかりに、

すぐにミーティングを開催しようという話しになりました。

第1回の打ち合わせが5月に、蔵里の会議室で行われました。

(本気で遊ぶために、実は本気の打ち合わせもしている。。。(*^o^*))



夏休み最後の思い出企画、

8月30日(土)に至るまでの道のりに密着し、

2014年の夏をみんなで盛大に盛り上がりたいと思います♪

これがその、Vol.1。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



「蔵里さんで行う夏のイベントを一緒に企画・実行しませんか?
ギャラはありませんが、夏の思い出プライスレスです
企画だけ参加でも、当日のみスタッフ参加でも、どちらも歓迎いたします。
川越在住の方でなくてもOKです。
くだらない事を本気で考える方、お待ちしてます!」

イベントには何より人出が必要、

リーダーの呼びかけに対し、次々と手を挙げてくれる人がいて。


夕方、蔵里の施設は閉館となって静けさに包まれていました。

ここだけ明るい室内の会議室には、

イベントのお手伝いをしてくれる有志が既に集まっていました。



集まっているのは、前回の餅つきも手伝ってくれた面々。

引き続き、手伝うよ!と参戦してくれています。

もっと言うと、ほとんどの人がさらに前からの繋がりで、

みんなで川越を楽しみ尽くしてきた顔触れがほとんどです。

楽しみ尽くし隊から、楽しんでもらい隊に衣替えです。


水をテーマにしたイベントということで、

いろんな人が思い思いのアイディアを口にします。

「流しそうめん!」

「この前餅つきやったから、餅使って流しよもぎ餅とか」

「夏休みだし、スイカ割りいいんじゃない?」

「ヨーヨーすくいとかね!」


「そういえばさ、タイに水かけ祭りがあるよね。なんだっけ?」

「ええと、ソンクラーンだったよね」

「あれって、水を激しくかけ合うお祭りだよね」


「水かけ祭りか。。。」


一同の顔がキラリと輝いた。


「水かけ祭りいいんじゃない!みんなで水かけ合おうよ!」

「いいね~~!!」

場が盛り上がる。

そこから、

「的を用意して、そこ目がけて水鉄砲で撃ってもらうとか?」


「せっかくのイベントだし、激しい感じでいきたいよね。

「水風船ぶつけ合ったりね」

「水鉄砲で撃ち合うなんて面白いんじゃない?」

「ああ~!それいいね」

「子どもから大人まで、みんなで水浸しになろう!」

「水鉄砲も自分達で作ろうか。竹で」




竹で作る鉄砲、竹水鉄砲で撃ち合う。

それをゲーム形式の合戦にして楽しむ??

アイディアがどんどん出つつ、

みんなの意見が一点に集約していくようでした。

水のお祭り、水で遊ぶ、風情やおとなしい方向より、

激しく楽しくいきたい、

うっすらと方向性が見えてきました。


水鉄砲で撃ちあう、水風船を投げ合う、

水にまみれた水祭り。

来場者の方に水鉄砲を持参してもらってもいいけど、

できるなら、手作りで作ったものを用意したい。

そういう話しをしていると、

すかさず蔵里の方が、こんなものがあります、と水鉄砲作りの資料を配ります。



「結構簡単に作れそうだね」

「でも、ここまで凝らなくてもいいかも」

「水鉄砲ならさ、蔵里にもあるじゃん!」

「ああ!!」


そう。


蔵里にはすでに、打ち水として竹水鉄砲が用意されているのです。

持ってきてもらった竹水鉄砲は、

竹に錐で穴を開け、細い棒の先にスポンジを巻き、中の水を押し出す仕組みの鉄砲でした。

数々の竹水鉄砲を見たら、早速遊びたくなった一同(*^o^*)


「どんな風に水が出るか、試してみよう!」と、

会議室を飛び出して・・・遊び始めました。。。



一回水を入れて一発、そんなに遠くまで飛びませんが、

合戦として使えそうな水鉄砲です。

竹水鉄砲で撃ち合うゲーム、みんなでまとめた方向性が

はっきりしていくのが分かりました。


そして、

「そういえば、蔵里に水路ありますよね。あそこ何かに使えないかな~」

「水路使っても面白そう!水祭りにぴったりだよね」

「ちょっと見に行こう!」

と、今度は一同、蔵里の広場に移動して、水路観察に向かいました。

(会議室よりフィールドワークな一同(*^o^*))


広場の端に、ゆるかなに流れる水路があることをご存知でしょうか。

深さはありませんが、毎日ゆったりと流れている水路があるんです。



「う~ん、ここで何ができるかな~」

「流しそうめん?」

「足湯ならぬ足水?」

「足踏み健康ロードならぬ、足踏み健康水?」


アイディアは浮かんでも、

水路は増水できるのか?堰き止められるのか?

現場を見て、課題が次々と出てきます。


ただ、この水路を使って楽しい事をやることは決定。

蔵里史上初、水路を使っての企画が実現します。

それ以外にも蔵里の広場をどう使えるか、現場をあちこち見てから

会議室に戻り(ようやく・・・)、

再びみんなで話し合いが再開しました。


水鉄砲で撃ち合うゲームを

何時からどのくらいの時間で、

何ゲームやるか、決めなければならないことは山ほどあります。


竹水鉄砲は蔵里のもあるけど、

数に限りがあるので自分達で作ろう、

作るのはそんなに難しくない、

でもきっとたくさんの竹が必要になる、

それをどこで採取するか??

どんな水鉄砲にするか??

川越に竹林ってどこにあったかな、

川越の池辺にあったよ、某有名寺院にたくさん生えてるよね、などなど

話はどんどん深まっていきました。


そして、川越の福原にある農家さんに

広大な竹林がある情報を得た一同。

本番の前に、事前に試しに作って撃って確認しないといけない。

心優しいこの方に、「好きなだけ竹持っていっていいよ」と協力を得て、

後日実際に竹林に向かい、竹水鉄砲を試しに作ってみたのでした。。。


その様子は、Vol.2へ。。。


第一回「川越水かけまつり」。

初めての打ち合わせは、

全体の方向か決まり、細かいところはまだこれからですが、

8月30日にお祭りをやるぞ!という意識はみんなで共有できた。

一つ一つクリアしていくうちに全体像が見え、

進む方向がはっきりしてくるはず。


「今日はお忙しいなかありがとうございました!
いろいろお任せしちゃってすみません(笑)
苦痛な会議ではなく、楽しい会議にしていきたいと思います。」

というリーダーの言葉があり、

みんなで楽しいイベントにするぞ、と決意を新たにしました。。。



この時はまだ、その先の波乱には、

誰も想像もしていなかったのでした。。。

竹は採取できるのか、流しそうめんは実現できるのか、水路はどう使う?

問題山積みで迷いつつも、

このメンバーならどうにかなるはず。

まず楽しもう、いつだってそうしてきた面々。

自分たちが楽しんでお客さんに一緒に楽しんでもらえばいい、

餅つきはそうやって、今回だって伝わるはず。

漠然とした確信だけはあって、それが前に進む原動力だった。


不安を振り払うように、

一同の合言葉が・・・


だった。。。(*^o^*)
このメンバーならきっと楽しくなる。


続く。


2014年8月30日(土)、

「絶対に、負けられない戦いが、ここにある」。きっと。。。





☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*



自分たちの地元川越をネタに、

これまで数々の騒動を巻き起こしてきた一団。

川越に生まれ川越をこよなく愛する

生粋の川越人が集結し、川越を楽しむ尽くす。

そう、人呼んで

「川越を楽しみ尽くし隊」。


川越をどこまで楽しめるのか、

いや、川越はどこまでも楽しめるはず、

大事なのは想像力なんだ。

そんな共通の想いの胸に、

実験的で先進的な、なにより川越を

身をもって伝えてきました。

川越に関しては、ウザいくらい熱過ぎる一団。


思い返せば、楽しみ尽くし隊の発足は、

2013年深緑の6月の事だった。。。


西武新宿線南大塚駅前にある、

和菓子の「ふじ乃」さんの大福が美味しいと話題になり。

たくさん種類があるので、一人で全部は食べられない、

でも、一度に全部食べてみたい、という話しから会が発足。

全15種類の大福を少しずつカットする事で、

見事に、ふじ乃さんの大福を制覇したのでした。。。(*^o^*)








南大塚駅前のふじみ公園にて青空の下、

「あの人たち一体何してるのかしら・・・??」と

周囲にいぶかしがられながら、

大福を切り分けていく一団。

第1回の会を成功のうちに終わらせました。


この成功に気を良くした彼らは、

収穫の秋になると、

さらに川越を楽しもうとエスカレートしたのでした。。。


暑さが落ち着いてきた2013年10月、秋。

今福にある山田園さんにてさつま芋掘りを行い、

川越の名産さつま芋を使って、

今まで誰もやった事がない、大人の自由研究を開催。


「川越を楽しみ尽くす会 山田園から始まって♪」


(ときも♪)





(BBQでバウムクーヘンを作ろうと挑戦するも、鮎バウムに変身。。。)



(カットすると、中にはもちろんさつま芋♪)





会を重ねるごとにディープになっていく、楽しみ尽くし隊。


楽しみながらも街を巻き込み、

街に何かを残そうとする一団。


そして、年の瀬の2013年12月。

この忙しい時期にも彼らは川越を忘れなかった。。。

今までで一番の人数が集まって、

最後の活動を展開。。。


今年最後のテーマは、ズバリ「MOCHI」。


「今年最後の活動報告。あの物体の正体と変貌ぶり」





この時、餅つきと同じく楽しんだのが、

「バウムクーヘン ノリスケさん」のバウムクーヘン一本買いをし、

みんなでデコレーションするというもの。



(ノリスケさんのバウムクーヘン一本で買えます♪)


リーダーが予約して作ってもらったバウムクーヘン、

これにデコレーションすると・・・



という豪華なバウムクーヘンに変身。

クリスマスらしい賑やかなデコレーションになりました♪

これを食べる、いや、普通には食べなかった一団。。。



縦にカットするという無謀ぶり(*^o^*)

ちなみにこの時の写真をノリスケさんに見せたところ、

バウムクーヘンのチョコ掛け商品が限定販売で生まれた、というオチまでつきました。


という活動をしてきた川越を楽しみ尽くし隊。

大事なのは想像力なんだ、

川越という街にまた一つ、

伝説が刻まれた。。。と、思い込んだあの日(*^o^*)


そして、この時の餅つき&バウムクーヘンの模様を記事にしたところ・・・

それを見てくれた蔵里の方からすぐに、


「ぜひうちで、この楽しい餅つきをやってくれませんか」


と、オファーを頂いたんです!

それが冒頭の、

2014年1月の小江戸川越餅つき大会の実現となったこれまでの経緯。

餅つきに持っていった杵と臼は上の写真のものです。


あれから半年。

次のオファーを頂いて、楽しく水かけまつりをできればと、

一同準備を進めています。

どうぞ、お楽しみに。。。♪


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