korekara
2008年09月25日(木)

サンドイッチマンの歌

テーマ:家  族

父の想い出の中で憶えていたのに忘れかけていた想い出を≪家族で出掛けた時に繁華街で父の戦友だった方が・・・前面と背中に宣伝用の看板を掲げて歩いていられてどちらからとも無く目か遭ってお互いの雰囲気は何となく二人だけにしなければと言う感じで遠を巻きで離れて見守っていました。どちらとも無く離れて・・・父が近づいて来て『行こうか・・・と』歩きだして 振り向いた時に 父の戦友の方が・・・宣伝用の看板を掲げ直おされて腰に付けられていたラジオ~この歌が流れて来たのです。≫想い出させて貰えていました。ブログ巡りででした。鶴田浩二のサンドイッチマンの歌でした。父は余り趣味も持っていなかったのですが。そんな中で帰って来てからです。サンドイッチマンの歌が・・・テレビ音譜ラジオから聴こえてくると懐かしそうに聴いていました。目には光るものが・・・。母が聞いたそうですが・・・・・・父はポツリと言ったそうです。『あいつが言っていた事は家族を大事になぁと 俺には家族も空襲で家も家族もみんな失っていたから・・・言っていただけだ・・・と。』・・・寂しそうに言っていたと母から聞いた事がありました。

1  ロイド眼鏡に 燕尾服(えんびふく)
  泣いたら燕が 笑うだろ
  涙出た時ゃ 空を見る
  サンドイッチマン サンドイッチマン
  俺らは街の お道化者(どけもの)
  とぼけ笑顔で 今日も行く

吉田正作曲 街のサンドイッチマン 鶴田浩二 1978年

http://jp.youtube.com/watch?v=FqlRicX_V2k

鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年12月6日 - 1987年6月16日)

日本の俳優、歌手。本名・小野榮一。静岡県浜松市出身。

昭和を代表する映画スターの一人であり、日本映画黄金期の屋台骨として数多くの映画に主演した。歌手としても独特の歌い方をカラオケされていました

戦後派として登場し、抜群の風貌と時々のぞかせる甘い表情と陰りで一躍トップスターになった。その甘い表情とその後の中年期からの任侠映画や戦争ものでみせた渋い魅力で、日本を代表する映画スターとして長らく君臨し、歌手としての人気も高かった。女優の鶴田さやかは実娘。俳優の北斗学(北十学)は若い頃の恋人との間に生まれた実子だが弟と称していた。

14歳の時に、俳優に憧れ当時スターであった高田浩吉の劇団に入団。19歳で関西大学専門部商科に入学するがその年に学徒出陣令により徴兵終戦まで海軍航空隊に所属し、その体験が人生に多く影響を及ぼした。22歳の時に薬の副作用で、左耳が難聴になってしまう。それが鶴田の独特の歌唱スタイル(左耳に左手を沿え、右手小指を立て、マイクを白い「ハンケチ」で包む)を生むこととなる。

特攻隊生き残りの経歴については、映画会社が宣伝の一環ででっち上げ、本人も積極的に否定せず、特攻崩れを自称する当時の風潮に迎合しただけというのが実情とされている。しかし特攻隊員を見送る立場であった経験から、実際の「特攻隊の生き残り」よりも本物らしく演じ、『男たちの旅路』においてはこのイメージが最大限に活用された。 鶴田は「同期の桜」など軍歌を多数歌っている。

晩年に癌細胞が発見され、1987年6月16日、肺ガンのため62歳で死去した(遺作はNHKドラマ『シャツの店』)。鶴田の葬儀の際にはたくさんの戦友や元特攻隊員が駆けつけ、鶴田の亡骸に旧海軍の第二種軍装(白い夏服)を着せた上、棺を旭日旗(いわゆる海軍旗)で包み、戦友たちの歌う軍歌と葬送ラッパの流れる中を送られていった。弔辞は池部良でした。

没後、少年期の多彩な女性関係や、母親の証言による衝撃的な出生の謂れ、財産分与等についてのスキャンダラスな報道がマスコミで報道され、家族は精神的な痛手を蒙った。無類の野球好きとしても知られ、鶴田ヤンガースなる私設野球チームを率いたこともある。生前の右派的言動、また多くの軍歌を歌ったことから彼を右翼思想家と評される事もあり、実際に右翼の宣伝車による街頭行動の際、彼が唄う曲が流される事も多い。反面戦争責任者を憎むこと甚だしく、「東條英機は切腹するべきであった」、「特攻隊は外道の戦術」と公に批判している事実から、反戦右翼思想を持っていたとされる。(軍歌『同期の櫻』を唄う際には、涙ぐみながら唄う姿が見られていました。)

サンドイッチマン(sandwich man)

広告宣伝手法の一つで、人の胴の前面と背中とに宣伝用の看板を取り付け、町中にたたずみ、あるいは歩行する広告手法、およびその看板を取り付けられた人のことをいう。普通、英語(米国)圏ではsandwich manとはサンドイッチ製造販売人を意味する。英国においては広告マンとしての意味で用いられることが多い。両義の意味を持つ語である。この用語はいわゆる和製英語ではないが日本では「広告マン」の意味にのみ用いられている。

19世紀半ば頃から使用されている広告手法である。写真のように、胴の前面と背中とに広告看板を取り付け、繁華街の特定の場所にずっと立っているか、あるいは特定の場所を歩いて回る。人の好奇の目を引きながら看板を見せることにより、広告効果をもたらす。

非常に高額な費用を掛けなければ出せない繁華街の一等地において合法的に看板を(人件費のみで)出せる、経済的な手段である

日本では第二次世界大戦後間もない頃の昭和20年代に多く使われた。

現在では広告手段の多様化などの影響を受け、職業的なサンドイッチマンは減少している。店舗の従業員、あるいはイベント(特に学園祭・文化祭などに多い)のスタッフなどが宣伝のためサンドイッチマンとなり、街頭に立つことがある。

サンドイッチマンをテーマとした曲としては、鶴田浩二の楽曲『街のサンドイッチマン』(作詞:宮川哲夫 作曲:吉田正)が有名である。なおこの曲は、戦後の窮乏期に元連合艦隊司令長官高橋三吉大将の子息が、生活苦からサンドイッチマンになっていたという実話を基にしている。 RCサクセションの『忠実な犬(Doggy)』(作・歌:忌野清志郎)には渋谷の街を歌っているように聴かせる曲中でサンドイッチマンの歌詞がある。楽曲においてサンドイッチマンが扱われるときある種の悲哀を込めた表現となっているが特徴的である。

もう一つのサンドイッチマン

伊達みきおと富澤たけしの2人による日本のお笑いコンビである。フラットファイヴ所属。1998年9月にコンビ結成。2007年M-1グランプリ王者。

伊達みきお(だてみきお、1974年9月5日 - A型)
本名: 伊達 幹生 (読み同じ)
ツッコミ担当。パワフルな突っこみはプロの間で定評がある。
宮城県仙台市泉区出身。身長170cm。体重88kg。趣味は野球を始めとするスポーツ。
仙台藩家臣で一家の家格をもっていた大條氏(独眼竜で有名な伊達政宗の9代前の当主・伊達宗遠の息子が分家)嫡流で明治期に伊達姓に復姓した家の出である。
東京ダイナマイトのハチミツ二郎主催の二郎会の主要メンバーであり、二郎会を作った張本人でもある。
好きな女性有名人は日本テレビの馬場典子アナウンサー(偶然にも両者は同じ年)。
富澤たけし(とみざわたけし、1974年4月30日 - AB型)
本名: 富澤 岳史 (読み同じ)
ボケ担当。ネタ作りも担当している。
東京都生まれ。名古屋市、新潟市と移り住み、1984年から宮城県仙台市で育った。身長170cm。体重76kg。趣味はTVゲーム、ワールドサッカー観戦。
仙台放送の夕方のローカル番組『夕やけTV編集局』に関連して、1995年から行われていた「仙台夕やけ劇場」の素人コーナーに、「ゆやゆよん」とのコンビ名で別の相方と組んで出演していた。
前述のワールドサッカー観戦を裏付けるかのように、過去にサッカーアルゼンチン代表や地元のベガルタ仙台のユニフォームを着て、漫才をしている。
本人も、自身の血液型を知らなかったが、TBCテレビサンドのぼんやり~ぬTVの企画で献血センターに行き、AB型であることが判明。
コンビ名はサンドウィッチマンに由来。後述するようにもともとメンバーが3人だったため、結成初期より「3(サン)」の入った言葉をコンビ名としており、サンドウィッチマンもその理由でつけられた。ほかに候補として三途の川、三角関係、三角州などがあった。

ヤクザのような外見をしている伊達を富澤がいじり、伊達がつっこむ。また、その時伊達の職業がパン工場やクレープ屋など甘い物に関した設定であれば、時折その体型から北の偉い人といじられる事も。
富澤が伊達の言葉を聞き違え、伊達が「言ってねぇよ」と指摘する。
伊達の話に対して、相槌を打っていたはずの富澤が「後半ちょっと何言ってるかわかんないです…」と言い、「なんで何言ってるかわかんねーんだよっ!いっぱい喋ってんだろ」とつっこむ。ちなみに、アメブロに移る前は、二人のブログのタイトルはそれぞれこの台詞を用いていた(現在、閉鎖している)。
元ラガーマンのため二人共体格は似ているが、相対的に恰幅のよい伊達の体型を富澤がいじる。
富澤が「ちょっと失礼ですけど」と言い、伊達の片仮名英語の発音を訂正し(例:「ピザじゃなくてピッツァです」「カレーじゃなくてカリーです」など)、伊達が「そんなのどうだっていいんだよ」とつっこむ。
漫才は伊達が「世の中興奮することっていっぱいあるけど、一番興奮するのは○○のときだね。」と言い、富澤が「これ間違いないね。」と言ってネタに入ることが多いそうです。
漫才のみ、伊達が「もういいゼ」と突っ込み、ネタが終わるらしいです。
ネタは漫才かコント。漫才のつかみやトークでの紹介時に30秒以下のショートコントをすることもある。トークでショートコントをやる際にはオチの後に「はい、○○!」と番組名を叫ぶ。 なお本人達はネタ以外ではボケ、ツッコミの役割分担は気にしていないため、フリートークでは自由なポジションで対応している(伊達に富澤がつっこむ様子も見られる)。 伊達は哀川翔のモノマネを披露することがある。単独ライブではこのモノマネのキャラクターは哀(仙台吉本に所属していたという報道があったが、これは誤報)。
仙台吉本が閉鎖されたため、富澤は、もともとは伊達と組みたかったので、既に福祉関係の仕事に就いていた伊達を誘い、1998年に二人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響との事)。 二人はまず『親不孝』と言うコンビを結成、その後、浜田ツトムを入れたトリオで『サンドウィッチマン』を結成。浜田が脱退(現在は『メインストリート』というコンビで活動)した後も元のコンビ名には戻さず、そのままになっている。 ホリプロやH・R事務局に所属していた。お笑いの事を解っていないマネージャー等に、ネタの内容について注意される事を嫌い、自由にネタをできる会社を探していた。 現在の事務所に所属されているそうです

http://sandwichman.fc2web.com/

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