今日は高山市一ノ宮に於いて講習会があり、行ってきた。

 

 

松元深志岳風会は三百四十名ほどの小さな会で、松本・安曇・木曽・飛騨の四地区から構成されている。

その一地区の飛騨部会員を中心に、他の三地区からの参加会員を併せ、百十名の小さな講習会に、濵岳優先生というビッグな先生をお迎えしての講習会。

 

お忙しい先生が、よくこんな小さな講習会に来てくれたものだと感謝するのみ。

それも、飛騨の会員が転籍をするにあたり、濵岳優先生のご尽力のおかげという、ご縁があったからこそ実現できたと聞いている。

 

家を九時五分に出て、木曽から一緒に行く九名のうち四人の会員を乗せ、会場の一ノ宮公民館のすぐ近くにある水無(みなし)神社に十一時半到着し、参拝してから境内で途中で買ってきた朴葉寿司や笹寿司を食べ、会場へ十二時頃到着。

 

出迎えてくれた松井飛騨部会長さんを始め諸先生方に挨拶をし、受付を済ませる。

講習会前に、飛騨の会員で審査会に出られなかった会員が一人居たので、萩原会長先生と久保田指導部長、そして私の三人で審査をさせてもらった。

 

 

すぐに十二時五十分から開会行事。

濵先生の講習は、予定の十三時を少し遅れて始まり、第一講座の「痩せたる人を嗤咲ふ歌二首」「降りしける」は終了予定を十五分オーバーして十四時半まで。

 

十分の休憩中、控え室で我が会の山田相談役から「濵先生のハマのアクセントの 呼び方は 、頭高形ですか?平板型ですか?」と言う話が出て、「どちらでも良いが、自分では平板型のハと言っている」というような話題で和やか。

 

十四時四十分から第二講座で、「子を思う」「散る花の」を十五時十五分まで講習をされた後、数人の会員に吟詠してもらい直接指導をしてもらった。

 

皆さん上手くやられていたが、会場で皆一緒に声を出していると出来るような気がするが、壇上に立たされると思ったように出来ないことを、上がられた方は思われたと思う。

 

俳諧歌撰の教本の符付けの変更について、「吟道」誌の十一月号で発表されるそうだが、教本を作られた頃の吟調と変わってきたことを具体的に話され、俳諧歌吟詠の創始者として、常に高みを目指して研究努力されている様子が垣間見えた。

 

十五時三十分から十分間の閉講行事後、会場を後にされる先生から固い握手と「期待しているからな!」との言葉を頂き、冒頭「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」と言う言葉で諭された先生の思いに、充分応えられないことを申し訳なく思いながらお見送りをした。

 

その後別室で、大会で発表する「生ましめんかな」の合吟を聞かせてもらい、「句読点や時間の経過、或いはこのドラマの人々の思いを、間として表現して欲しい・・」といった指摘をさせてもらい、諸先生方と挨拶お別れをして十六時に出発。

 

家には十八時三十五分に着いて手を洗い、すぐにお客さんのところへ・・。

お客さんが煙たいと言ったそうで、お袋が炭を燃やしてしていたので、いつものように料理の説明や話をし、木曽節と長持ち唄を唄ったが、いまいち雰囲気が違うが仕方ない。

 

寒くなってきたので、熱燗を頼まれるようになってきた。

囲炉裏の鉄瓶で燗をつけると、皆写真を撮りに周りに寄って来る。

 

今日のお客さんはオランダ人のご夫婦一組と、東京に住むオランダ人と日本人のご夫妻と、そのオランダ人の親戚の父子、それに妻籠の人から頼まれ、法事のために来られた茨城県のMさんご夫婦三組、八人。

たまたま二組がオランダ人だったので、日本に住むブラウンさんが通訳してくれて助かった。

 

二十時半から、夜の妻籠を散策したいと言う四人のお客さんを妻籠宿まで連れて行き、二十一時に帰って来てやっと夕食。

 

忙しかったが、充実した一日といえるだろう。