∵ 与川道の馬頭観音
テーマ:ブログ三留野宿と野尻宿を結ぶ中山道は、羅天(らてん)や十二兼(じゅうにがね)を通るのが正規の道。
羅天は上松の桟に似て、切り立った岩盤を掘削したり石垣で道を広くして道幅を確保していたようで、難所だったようだ。
近くの与川渡(よがわど)という場所は、与川という川を越さねばならない。
それで、与川道(よがわみち)と呼ばれる、上の原集落や与川集落を通る迂回路が有る。
中山道は「姫街道」という別名もあるようで、徳川家に降嫁した皇女で有名な「和宮親子内親王」を初め、多くの皇族や女性達が東海道ではなく中山道を利用した。
中山道の宿場の名に、目出度い名が多いのも理由の一つらしい。
木曽路だけでも「妻籠」(嫁いだ妻が籠って出て行かない)「上松」(目出度い松が上がる)「福島」(福がついている)「宮ノ越」(宮様が越えて行く)等。
また、何もなければ東海道の方が早くつくのだが、東海道では大井川等の川留めがあり、日程の計算が狂う恐れがあるので、中山道を利用する女性が多かったようだ。
また、降嫁の折には与川道の方を利用したそうで、これは警備の関係で難所を避けたのだろう。
仕事で行った先が与川道の近くだった。
野尻宿から2km位の位置に祀られていた馬頭観音。
右側の道が中山道与川道らしい。
こんなに立派な祠に祀られている馬頭観音菩薩像は少ない。
像の右側に彫られた作成年。
安政二年(1855年)。百五十七年前か・・。
「和宮」が降嫁したのは文久元年(1861年)だから、この馬頭観音もその行列を見送ったのだろう。











