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去年書いたブログです。幸福の科学グループ創立者兼総裁大川隆法公開霊言「パール判事の霊言:されど、大東亜戦争の真実」開示に向けて、ご参考になればと思い、再度載させていただきました。


東京裁判では、パール判事ただ一人、敢然として日本人の戦犯全員を無罪と判決した方です。

極東国際軍事裁判(東京裁判)では、戦勝国から11人の判事がいました。パール判事のみ、「この裁判は戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた裁判で、国際法に違反する非法・不法の復讐裁判である」として、被告全員に無罪の判決をしました。

当時、世界では、パール判事の判決は注目を浴びました。パール判事の堂々とした正論と知識は、国際法学界にその名を高めました。

パール判事は、非常に貧しい家に生まれ、苦学して、法学士になっています。当時のインドはイギリスの植民地になっていました。そのインドで英国人と対等に話し合えるのは法律家のみでした。

19歳の時に、パール氏に劇的な事件が起きます。それは、アジアの小国日本が、ロシア帝国と戦って勝利した報道でした。

「同じ有色人種である日本が、北方の強大なる白人帝国主義ロシアと戦ってついに勝利を得たという報道は、われわれの心を揺さぶった。私たちは、白人の目の前をわざと胸を張って歩いた。先生や同僚とともに、毎日のように旗行列や提灯行列に参加したことを記憶している。

「 私は日本に対する憧憬と、祖国に対する自信を同時に獲得し、わななくような思いに胸が一杯であった。私はインドの独立について思いをいたすようになった」

パール判事は1944年にカルカッタ大学総長に就任されています。名総長といわれながら、1946年には総長を辞任しています。

それは、親友のネール首相から、日本のA級戦犯を裁くために極東国際軍事裁判のインド代表を頼まれたからです。

そして、パール判事は見事にその期待に応えてくれました。

もちろん、パール判事は親日という理由のみで日本無罪を判決したわけではありません。パール判事の国際法の知識のみならず、超人的な努力がありました。

日本滞在の2年半で、パール判事が読破した資料は4万5千部、参考書籍は3千冊に及んでいます。アメリカ・イギリスの友人からも資料を送ってもらっていました。

パール判事は4度日本を訪れています。昭和41年10月11日のパール判事の日本人に向けてのお話の冒頭です。

「日本の皆さんに対する私の敬愛の念を親しくお伝えするとともに、皆さんに東洋の精神の尊厳さを再び確立していただくようにお願いしたいからであります。

東洋は今、大きな政治的ルネッサンスを迎えようとしており、東洋の諸国は日本に注目し、日本の奮起を期待しているのです。・・・」

今も間違いなく、天国でパール判事は日本の奮起を期待されています。多くのアジアの国が日本の奮起を期待している今こそ、誇り高き日本、世界に貢献できる日本を創らなければなりません。

東京裁判の見直しにおいては、パール判事が東京裁判に参加していただいたことが希望です。絶対に東京裁判の間違えを正し、日本の誇りを取り戻していきます。


戦後70年の今 パール判事の霊言では、当時の日本の正当性が明らかになります。欧米の植民地支配を無くし、アジア・アフリカ諸国の独立は先の大東亜戦争無くしてありなかった事実が明らかになります。日本は正義の国であったという事実です。決して侵略国家ではなく、悪魔の国ではないということです。

日本の誇りを取り戻すためにも、東京裁判の見直しが絶対に必要です。
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