2012-04-28 21:57:19

ありがとう吉本隆明

テーマ:文学
 吉本隆明がなくなった。
 僕は18歳の時に、「抒情の論理」の冒頭におかれていた「恋歌」を通して、はじめて吉本隆明に出会った。以後「高村光太郎」「固有時との対話」と読み継ぎ、さらに延々と40年以上その表現と発言に影響されることとなった。時には反発もしたが、いかなる既成流通の概念も保留し個人の思惟のみを立脚点として発言する姿勢は常に尊敬して来た。
 たくさんの本を読んだが、それらの中で僕にとって最も大切な吉本隆明の本は「最後の親鸞」。その事はよそで触れているが、この書物の影響は未だに一切衰えずに続いている。そして、近年一種遺言のようなものと感じながら読んだのが「日本語のゆくえ」。「抒情の論理」をふくめて節目の3冊を振り返ると、僕にとっての吉本隆明とは、政治や文学の状況を論じる思想家評論家である以上に、「詩人」だったのだと気がつく。晩年のオウムや原発に関する発言に接するたび、思想家の反骨、自立、老い、などといった彼への評価はどうでもいいもので、「時代を終えた詩的精神」の痛ましい悲鳴のように聴こえ、それが切実でならなかった。
 詩的精神とは時代の「宿命」とほぼ同義だ。たった一人で戦中戦後の時間に耐えてきたこの詩的精神は、その歩みを終了した。ありがとう吉本隆明。
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2011-06-30 22:05:16

地名の俳人 前田普羅

テーマ:文学
 前田普羅は山と旅の句で知られるが、同時に印象深く地名を用いた人である。旅情をしばしば句中の「地名」に結晶させ、読者をして何か地の精に触れたかのような深い感触を喚起させた。

 新聞記者として実直の生活を送った人だが、本質不定居の心の持ち主だったように思う。定住していた富山時代にあってさえ、定住者の生活感よりは旅人の視点を感じさせる句を詠んだ。注目すべきは、下記揚句中の「立山」の句にしても「砺波」の句にしても、すでに隠された旅情が「地名」に滲み出ている点である。このころ既に、地名はある大きさを持って孤愁を包み結晶させるようなものとして使われており、後年の彼の旅中の句と同様の特色が感じられる。

 年譜をみれば、後半生は実際に漂泊に近い居住不定の年月を送ったことが分かる。下に揚げるように、この時代の彼の句中の地名は、旅する自然の大きな広がりとそのさなかの小さな旅人の孤独とが解け合う、一種の象徴のようなものにしばしば昇華した。定住時代の句に比べて、地名と旅の孤独との関係はより研ぎすまされ、より混然としたといえる。いいかえれば、旅する人こそが持ちうる、巨いなる地勢への孤独なまなざしが、よりくっきりと地名に浸透刻印された。奥白根の句でも弥陀が原の句でも、地名はもはや、地勢の記号でもなければ旅の孤独でもない、両者がお互いに浸透しあって判然と分ちがたくなっている何かである。そして、これらの句を通じ、普羅は近代俳人中とびきりの「地名」の俳人となったのである。

春尽きて山みな甲斐にはしりけり
立山のかぶさる町や水を打つ
雪つけし飛騨の国見ゆ春の夕
乗鞍のかなた春星かぎりなし
奥白根かの世の雪をかがやかす
弥陀ケ原漂うばかり春の雪
くらやみの砺波をすぐる時雨かな
(下線筆者)
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2011-06-15 21:56:01

吉本隆明「最後の親鸞」のこと

テーマ:1970前後
 吉本隆明「最後の親鸞」を久しぶりに読み返した。連赤の事件の直後の著作だと勝手に思っていたが、2年後のものだった。当時、吉本の一連の仕事の流れと連結を知らなかった僕は、吉本が「同志殺しという極北の地点で解体されたものとは何か」という問いを背景に本書を書いたものと勝手に感じ、勝手に興奮した。この本に刺激されて「平ケ岳幻想-さよなら1972年の敗走」という散文詩もどきを書いたくらいだ。読み返してみれば勝手な思い込みだったと思うのだが、反面そのような曲解もあながち無理でないと、今でも感じる。

 なぜなら、ここでの吉本は、宗教を借りて、党派的観念の純化がついにその極点で観念の体裁を自己解体する、その境界の場所の晦さ自体を文体にしてしまっている。おぼろな気配を捉えようとして、吉本の文体は憑意されたかのように曖昧だ。それは、文体が対象の非論理をそのまま引き受け、そのままぎりぎりに描出しているからで、その結果、対象の非論理をこえて、文意は一種痛ましい明晰さをたたえている。若かった僕は多分それに過剰に感応した。保田与重郎を連想させるがそれをこえた凄い文章である。

 晦がりに立つ「親鸞」なる人物は、殆ど顔がないおぼろげな気配である。それは、人の気配というよりは、観念というものの、名無しののっぺらぼうの顔なのかもしれない。少なくとも当時僕は、「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」と断言した親鸞の背後に、のっぺらぼうと化した若者達(殺し、次に殺された者達)が繰り広げた惨劇の陰惨な気配と、その一種の救済を感じたのである。


  平ヶ岳幻想(さよなら1972年の敗走)

 春の花盛りの野。宴をおえた若者たちは、宿酔のまま上機嫌の挨拶を交わし、ちりぢりに旅立った。世界の果てで蜂起せよ、という密命をおびて。
 男の一団も美しい唱導を歌いながら、茫々たる月の下、いらくさの若芽の匂いたつ野へと消息を絶った。それからいったいどれだけの月日がたったか。時に常人は彼等の純潔と天真爛漫を思い出す。今でも名も知らぬ山中の密薮をくぐり、間道を走り抜けているか。荒涼たる草原のへり、黒々とした山塊の麓の村で娘達も老人もごっちゃに、常人たちと煌々たる銀河に向かい杯をあげているか。

 ある盛夏、山塊の果ての岳へと続く尾根の末端に、男はたった一人、かすかな世界の痕跡と化して現れる。旅中積み重ねられた、恐怖と秘密の仔細を知る者は誰もいない。剃頭は蓬髪に覆われ、施しの蓑と稗ももうない。常に彼等の頭上で鳴り響き、いかなる個人の過剰も殺した、あの高貴で無限の声ももう聞こえぬ。殺したのは、次あるいはその更にあとに殺される同志達だったから、男をのぞいて殺したものと殺されたものとはいまや同義だ。ただただ声の純化の指数として、のっぺらぼうな同士の「死んだ数」のみが残った。秘密は沼に接続する湿地帯、沢横の窪地などに青さびて埋葬された。広大無辺の青空。眼下に氾濫する緑の底を穿つ岩の伽藍と青い淵。岳の前衛の尾根を煌めくものが一瞬よぎる。常人は少し目を細め虚空の占める連山に耳を澄ますが何も聞こえない。
  
 十月、世界は熟れた木の実や葡萄で優しく発熱した山塊へ冷気を送る。全山は日ごとに滅亡へと深まる。もう世界は間に合わない。ほどなく陰惨な雪が来るだろう。だが、男は行かねばならぬ。さらにまだ見えぬ岳の向こうへ。沢外れの暗い岩幽に隠れ、枯れ枝を集めてひっそりと暖を取る。たちのぼる一条の煙にすら怯え枯れ枝のような腕で空をかき混ぜる。小さな滝の傍らであばらの浮いた裸体を陽射しにさらし密やかな温もりを浴びるとき、むしろ処刑されるべき原罪におびえて耳を澄ます。なぜおまえだけまだ殺されていないのかー(それは俺がすべてを殺したからだ)。それが自分の声なのか、あの声なのかすらもうわからない。男は悲傷で口を丸くひろげながら空を、いや世界を吸う。弱い風、かかる世界の微かな悲傷として。山水の一角を掠める細いほそい気配のようなものとして。山塊は一瞬さざめき、常人たちは深く澄んだ秋空を仰ぐ。

 只見。山塊のはてを誰が知るか。ある日、重畳する山稜の彼方にぼんやりと円みを帯びた岳の頂きが見える。ほとんど非在と化し、いまや眼差しだけになった男がたどって行く稜線の果てで、正円の月がゆっくりと岳の空を昇る。まるで相対するもう一つの眼差しのように。平ケ岳の盃を伏せたかのような広大な頂きの更に高みで月は空を穿つ。その凍りついた空虚な白。そのせつなはじめて、男を最果てまで誘った熱狂の、冷えきった本体が現れる。かかる酷薄な時間を我らに与えたものとはおまえなのか。男は、呆然と天の空虚な瞳に対峙し、はじめて知る。世界を愛した唱えるものよ、本当はおまえは世界の敵だ。なぜなら唱えとは世界の人たちを数とする以外の何者でもなく、世界とは殺される人々のことだから。我が同志よ、我々はかってあれほど狂おしく愛した世界の敵だ。なにも告げずに伶俐に降り注ぐ月光のさなかで、男は漸く、自ら世界の果ての場所を定め入滅する。稜線の切っ先がかすかに月の面に触れるところ。やがて圧倒的な白に埋没し時に谷底へと雪崩を起こす危うい場所。常人はその地鳴りのような音を遥か遠くに聞くが、そのまま夕餉に向かうだろう。

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