• 26 Feb
    • 中期中絶後排卵日と排卵検査薬

      頼んでいた排卵検査薬が届きました!ネットでこちらを購入しました。初の海外製。日本製の物の方が使いやすいですが、一本あたりの値段を考えるとやはり海外製の方が安いですね。開けてびっくり。ペンと比較してもかなり小さい!使いにくさはあります。また、ものによってなぜなのか?判定ラインが出ません。買ったばかりでまださほど経っていないのに、すでに4本無駄にしました。やり方がまずいのかな。日本語の説明書をしっかり読んでから行なっているんですが。。。婦人科では今回は排卵しないのかな?って思うような事を言われてますが、中期中絶後23日〜25日で排卵検査薬が反応しました。ネットで調べるとLHサージがピークに達して反応したとしても、必ず排卵しているわけではないと書いてあったので、これが排卵していたのかは謎です。婦人科の次の予約は2ヶ月後なので調べて欲しいけど調べられないモヤモヤした気分です。今まで生理が来るたびにどん底に落とされたような気分でしたが、次に進むためにも早く生理が来ないかとまだかまだかと待ちわびております。人間とは本当にワガママな生き物です。

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  • 25 Feb
    • お兄ちゃんのこと

      こまさの件で脳の検査をした方が良いかもしれないと感じ、お兄ちゃんの検査に行って来ました。こまさが来る前から少し気になっている点はもちろんありました。人の話が聞けてないとか、人と違うところで笑っていたりとか。机の上での事、字を書いたり、本を読んだり、テストは全く問題ないのですが、聴覚が少し弱いのかな?と思うほどの聞き返しもあります。普通の子どもだけど、多分先生は普通と位置づけしてくれてない現状は何となくわかっていました。やたら怒られているみたいだし、友達との距離が近すぎると言われる。同じ月齢で赤ちゃんの時に子育てセンターで知り合ったお友達が、3人も先生に勧められて療育に通っていると聞いていたので、昔は大丈夫だったけれど今は少しの所見ですぐ勧められると聞いており、さほど気にしていませんでした。でも、平均より若干大きい頭とくも膜嚢胞が遺伝する可能性がなくはないというお話。こまさは結局くも膜嚢胞ではなくて違う診断名がつきましたが一度言われるとやはり気になってしまう。療育や診断を求める前に知能テストが必要との事で行ってきました。こまさのことがあって、上のお子さんはどうですか?と聞かれてから不安になり行ったので12月末に先に親の面談に行きました。通常半年ほど待たないと受けられないらしいのですが、親の面談も、知能テストもたまたま空きが出たため一週間ほどで受ける事ができ、最近結果が出ました。結果はワーキングメモリー指標がかなりかなり低く、言語処理や知覚推理、処理速度が平均もしくは上になっているのでアンバランスな状態であるという結果でした。テストが普通にできるのは目に見えて何をするかが分かるから。目に見えないものを処理する能力が低いとの事でした。療育を受けるにしても、病院にかかるにしても今から予約して半年待ちです。とりあえず脳の事が気になっているので先に病院にかかってMRIの予約をしようと思っているのですが、予約が中々取れない。。。生まれながらの脳の特性みたいなので生きやすくするために療育は必要かと思いますが、とりあえず脳に水とか何もない事を祈りつつ、予約の日を待ちたいと思います。お兄ちゃんが毎日怒られているのを見かねて身を持って教えてくれたんだね。ありがとう。

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  • 24 Feb
    • 御礼参りとウォーキング

      奇跡があると信じて様々な神社仏閣に足を運んだため、御礼参りに忙しい日々を過ごしております。自分の育った地方は、神様同士が喧嘩するから同じ神様が祀られている所しか重なってお詣りできないなんて言っていた気もするのですが、そんな事言ってられません。ちょうど富岡八幡宮の件があったので、所詮俗物とは思っているのですが、信じるものは救われる!つい最近まではやっぱり神様はいなかった。神社も寺も行かない。なんて思っていた自分がおります。でも、こまさに無事に会わせてくれた。神様仏様御先祖様、すがった全てのもの達に感謝の意味を込めて御礼参りをすることにしました。何かやらないと平静を保っていられないけど、仕事もしてない、人にも会わないとなるとやる事を探すのが大変です。何かやる事を探してお出かけすることによって、次の不妊治療開始までしっかり歩き、子宮の回復と適正体重に戻す事を頑張っています。血行が良くなるから良いよ〜と言われると俄然やる気になります。産後と変わらないから無理しないように!とは言われていましたが、無理しすぎたのか一気に体重が減った事と、膝に痛みが出てきました。ホルモンバランス恐るべし!来週は病院にいく用事が増えました。

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  • 23 Feb
    • あたしおかあさんだから。。。出生前診断に思うこと。続き

      出生前診断について自分の気持ちを書いたところ、アクセス数が増え、様々な意見がありました。出生前診断におもうこと様々な意見があるのも承知の上であり、人が皆同じ意見だなんて少しも思っていません。分かっているから今は受け止めきれないので自分とは違う考えの人の意見は見ないようにしています。同じ気持ちになれと思っているわけでも、理解して欲しいと思っているわけでもありません。でも、様々な意見によって世の中が少しだけ変われば良いのになとは感じています。我が家には先に産まれたお兄ちゃんがいる。寝たきりの子供を迎える事は、将来お兄ちゃんに面倒を見てもらう可能性がある。お兄ちゃんは選択したくなかったとしても、もしかしたらそれを強いる事になるかもしれない。選択できる時期にある私たちは、それを受け入れられるのか?ブログを書き始めた時に頂いたコメントでもお兄ちゃんの事を主に考えて下した結論ですね。と言われました。こまさが第一子だったとしたら、もしかしたら周りの反対を押し切ってでも、結果的に一人になってしまったとしても、こまさと生活する道を選んだかもしれない。でも、我が家には先に産まれたお兄ちゃんがいる。お兄ちゃんにとっては私は、唯一のお母さん。お兄ちゃんがいる以上はこまさのためだけに生きるなんて難しい。でも、それって本当に先に産まれた子供のため?こまさ自身のため?家族のため?社会のため?いえ、こまさと離れたくないと一番感じているはずの、自分のためでしょう。わたしおかあさんだからって自分の人生を全て捧げられるのかな?なんて思ったりもしました。ただ、その立場になって初めて知る事。産まれたこまさを抱っこして、こまさのママになって初めて、『わたしこまさのお母さんだから、こまさのためならば何でも我慢できたのかもしれない。』そう思ったのも事実です。自分で生きようと肩で息をして頑張っている可愛い小さな息子。お兄ちゃんにそっくりで、パパにも、自分にもそっくり。受精卵から少し育ったくらいの胎児ではなく、思ったよりもしっかり人間で、紛れもなく家族の一員であると一目でわかるほど。本当に本当に可愛い息子。今なら引き返せないか、何度も何度も後悔して自分を責めました。でも、引き返すことが出来ないという事実。浅はかな考えと決断だったかもしれない。何度も何度も自分を責めます。でも結局考えるのは将来の事。目の前の事よりも、先の事です。日本は生きやすい国でしょうか?普通の基準は難しいけれど、何となく普通でないと生きにくいような雰囲気。ちょっとした事でも自分と意見の相違があれば、意見ではなく攻撃。少し人と違う事をすると偏見の目で見られる。そもそも生きやすい国だったら、先の事をあれこれ考えなくても良い程に幸せな国ならば、同じような決断を下す人がもっと少ないのではないでしょうか。何と言われようとこれが私たちの現実。綺麗事だけで生活なんて出来ません。何かを責めても終わってしまったことは一つとして変わらない。それならば他にやるべき事がいっぱいあるのではないか。最近話題になったあたしおかあさんだからの歌詞を見て、共感出来なかった方と、自分も同じ気持ちと思えた方と。きっとそれこそ同じ立場になって、その気持ちになって初めて見方が変わるんだ。それを美徳と感じるか、苦痛と感じるか、人それぞれ。今回の事はもちろん責めてくる人はたくさんいると思います。だから今回の事は友達にも言わない。親戚にも言わない。責める事が悪とは思わない。自分を責めているのは他人ではなく、自分が一番自分を責めているのだから。経験したり、見聞きする事によって何かが変わる。そう思い、言葉にできない思いを、人には言えない思いを書き留める。自分と同じように自分の選択が正しかったのかと、自分を責めている方の言葉になれるように。何かを変えたいと動く人が現れてくれるように。ねぇ、どこにむかって怒っているの?見方が変われば、違う所にそのパワーが使えたのならば、きっともっと違う世の中に生きていられるのに。

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  • 22 Feb
    • ”産まれなかった命が言った言葉”

      リブログさせて頂きました。お断りもなくすみません。現実逃避中なので様々な自分に必要とする言葉のみ拝見させて頂いております。確かに池川明さんの本にもそう書かれていました。これを読んだからと言って、もちろん自分の罪悪感が消えるわけではありません。でも、ありがとうと言えることによって、プラスの言葉を探してそれを出して行くことによって、ほんのすこしだけ救われる自分がいるのも事実です。水子供養に関する情報を集めていても、ごめんねではなくありがとうと感謝の気持ちを持ちましょう。ごめんねって言うと、子供が次のおつとめ先に行けなくなってしまう。と書いてあるので出来るだけその言葉を出さないようにはしているのですが、とても難しいですね。自分で選んだけれど毎日が苦しくてたまらない。会いたい会いたい会いたい。決断する前に時間を戻せたらもっと違う結果があったのではないか。でもあなたに会えたから気づいただけで、無知な自分はこんなにもこんなにも大切な存在だったとは実際のところ気づけていなかったんだね。私達の元に生まれて来てくれたあなたはとても温かくて、小さくて、脆くて、でも思っていた以上に可愛いくて、思っていた以上にすでに人間で、思っていた以上に自分の力で生きれた可能性があった。無知で勇気が無かった自分にこれほどまでに失望したことはない。今の気持ちはごめんねが精一杯の表現だけど、ママを選んでくれたことには本当に感謝の気持ちでいっぱい。素敵な言葉に出会わせてくれてありがとう。たくさんの出会いにありがとう。あなたに会えた事に本当に感謝しかありません。ワガママなママだったけど、そんな私をママにしてくれてありがとう。

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    • 不妊治療しながらの仕事

      今回仕事を辞めてしまっているので、少しずつ職探しも始めております。前の職場がとても理解があり帰っておいでと言ってくれておりますが、今回の事を知っている人もいるので聞かれたくないという気持ちと、不妊治療を継続するのでまたさらに迷惑をかけるのではないかという不安があります。聞かれたくない気持ちは、消えない罪悪感があるから。不妊治療もクリニックによって様々ですが、市立病院に通っているので先生の出勤日や時間に合わせて行かないといけない事や、人工授精でも排卵日付近に合わせて行うので突然明日来て下さいに対応できる仕事を探しています。。。。ないよね(´・c_・`)3時間あれば終わるから、朝イチの予約が取れると仮定して、昼から出勤が許される仕事。。。中々難しいです(´・c_・`)やらなければいけない事を作り、現実逃避をしながら生活していますが、やる事がなくなった時の不安が大きいです。

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  • 21 Feb
    • 確定申告へ

      医療費控除の申請に確定申告へ行って来ました。去年、不妊治療の新しい病院にうつっているため、中期中絶の費用は全く絡んでいないけれど10万を軽く超えていました。体外受精までステップアップしたらまたさらにお金がかかるんだろうなぁ。。。今年からエクセルの形式が変更になっていて、昨年よりも簡単になっていました。誰が病院にかかったのか、それは治療費もしくはその他なのか、金額、病院名と病院の所在地を入れて終わりです。今年から保険組合から送られてくる医療費一覧みたいな紙だけで良くなりましたと言われたのですが、捨ててしまっていました。今回知る事ができたにで来年は簡単に確定申告できそうです。ネット上で源泉徴収書を見ながら簡単に行えたのですが、マイナンバーカードを持っていなかったのでe-taxが使えずに仕方なく税務署に行って来ました。ネット上で全て完成させていたので出すだけだったのですが、まだ完成させていない方の列に並ぶしかないとの事で1分で終わるような事なのに3時間待ちました。待つだけでお金が返って来るから良いのですが何とかならないものでしょうか。。。。やはり確定申告に来ている方の中には1歳未満であろうお子さんを連れた方が多かったです。中々医療費が10万こえることってないですもんね。どこに行っても何だか寂しくなります。今回の事があったからというよりも長く不妊治療しているからっていうのもあるんですが。少しずつ心が狭くなっているのを年々感じて何とも言えない気分になります。いやいや、何事も修行!何事も意味のある事だし、全ての事に感謝の気持ちを忘れずに人生をまっとうします。

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  • 20 Feb
    • 中期中絶後 検診

      2週間以上たち、中期中絶後の検診に市立病院へ行ってきました。全く血が出なかった事などを話したところ、先生が綺麗に胎盤が取れたから治ってきているかもしくは血が中で固まってしまって出てこれずにいるかなので、まず見てみましょうとなり、エコーで見て頂きました。綺麗に処置して頂けたので、胎盤の残りや血もほぼないとの事で検診後普通の生活に戻って良いとの話でした。不妊治療に通っている病院なので性生活もOKなんて話だったのですが、他の方のブログを見ると生理が何回か来てからとの事なので不安ではあります。先生によって考え方が違うのか?治りが早かったのか?今まで言われた事はなかったのですが、子宮の位置が後傾、後屈になってますとのことでした。生理痛は全くないですが、とてつもなく腰が痛くなるのはこのせいだと。そして、こまさが出る前に腸が一気に動き出したのも、腸と子宮の位置が近いせいだとのことでした。中期中絶後、便秘ではないのですが全く出せなくなっていて、それがとても気になっておりました。CMのオイルの入ってる便秘薬がとても気になっております。骨盤付近の筋肉が弱っていると子宮が後傾後屈になりやすいとの事で、これからしっかり歩きましょうとのことだったので、きっと便もそれのせいなのかなと思って歩き始めました。運動するのは嫌いではないのですが、ホルモンバランスのせいだと思うけれど、歩き出してから様々な人を見るからなのか?バランスが崩れたからなのか?涙が止まらなかったり、何だかおかしいです。気持ちがもう少し落ち着いてからの方が良かったのかなと思ったりもするのですが、気分転換もしたいのでホルモンバランスと戦いつつも歩こうかなと思ったりしております。中期中絶後16日。卵胞7ミリ。多分今期は妊娠はないと思いますと言ってましたが、本当にないのか?それとも突然排卵したりしないのか?とか、帰って調べてから気になりました。基礎体温は中期中絶後1週間は35度台の日が続いていたのですが、少しずつ36度台まで上がってきております。まだガタガタですが、回復してきているのも目に見えて分かる感じです。子宮が綺麗になってるからどうしても次を急ぐ気持ちと、万全の体制をしっかり整えて、生理を見送りたい気持ちとでモヤモヤしております。不妊治療はいつから初めても良いのだけれど、気持ち的に負担になるといけないからとのことでゴールデンウィーク前からのスタートになりました。やはり2ヶ月くらい開けるのがベストという事なのでしょうか。次に進むためにも海外製の排卵検査薬をネットで注文しました。今までは日本製の物を使っていましたが、高いのでだいたい排卵日だろうと思われる前後から始めて~という適当な形で行っていたので、排卵検査薬がしっかり反応した事がありません。海外のものはとても安いものを購入したので200日間分くらいだったかな?それくらいあれば一時心置き無く使えるかなと思っております。焦らず。のんびりと。と言いつつも、書いていてすでにとても焦っているんだなと思っております。

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    • お別れから2週間。

      2018年2月13日。今日はこまさが旅立って2週間。天国に行けましたか?おばあちゃんには会えましたか?お友達はできましたか?ミルクは足りていますか?今日で2週間ですが、今日は不思議な事がいっぱいありました。音楽が鳴るバースデーカードが、触っていないのに何度もなり始めて、ママはとてもびっくりしました。こまさのためにと引っ張り出してきていたおもちゃ部屋のキッチンにある電子レンジが突然回り始めました。ママはびっくりして部屋に入るのが怖くなってしまいましたが、パパに言うとこまさが遊びに来てくれたのだととても喜んでいました。おもちゃではほとんど遊ばなかったお兄ちゃんがなぜだかアンパンマンの車のおもちゃを引っ張り出して遊び出したのもこまさがお願いしたのかと思ってとてもびっくりしました。最近突然Googleの位置情報が最後のお別れをした場所になっているのにもびっくりしています。位置情報を直してもたまに変わっている時に、見えないけれど近くにいるのかなと思ったりしています。ママは毎日これで良かったのかと泣いてばかりだから、心配して見に来てくれたのでしょうか?自分から手放してしまったのに、呼び止めてしまってごめんなさい。こまさは気にせずに今いる場所で楽しく過ごして下さい。こまさが新しい生活を楽しめる事こそが私達の願いであります。産んであげられなくて本当にごめんなさい。でも、ママもパパもこまさの事が大好きです。信じてもらえなくても、いつか分かってもらえるように、これからも毎日こまさの幸せだけを祈り続けています。いつも近くにいてくれてありがとう。

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  • 19 Feb
    • 出生前診断に思うこと

      このブログは現実を受け止められていない自分のために、こまさの記録のために、これからの不妊治療のためのメモや吐き出したいものを記録するために始めたものです。なぜかある記事が一気にアクセス数が伸びたことにより、様々な方に見て頂けたようで、色んなお言葉を頂きました。こまさが可哀想とか、出生前診断に関しての話とか。私も同じ気持ちですよ。可哀想だし、私達の決断はひどいなとは思います。わざわざコメントなどでショックな事を言われて、すごく嫌だなーとは思ったりもしましたが、今はわざわざ見て頂き、その意見をもらった事で私もつい3ヶ月前まで同じような事を思ってた事に気づきました。そのおかげで今回の件は辛い思い出ばかりでなく、こまさが考えを変えてくれた、自分にとって意味のある事だったと思えたと共に、自分で奪ってしまったこまさの存在を、さらに大きく自分たちの記憶に残す事ができて良かったと思っております。ただ、今は少しの言葉や意見でもとても気になります。コメント欄とメッセージをとじさせて頂きました。私達は元々出生前診断は先生にすすめられたらやらなければいけないかなーくらいなものだと思っておりました。何かしらいつもと違う所見が見られると必ずすすめられるものだと聞いた事があったので。ただ、それによって中絶されてしまう子供がいるのは可哀想だなと思っていました。でも、こまさが来る前とは明らかに違うのは、世の中にはどうにもならない事があるということ。自分の気持ちだけではどうにもならないということ。ちょうど妊娠がわかった頃にやっていたコウノドリ。大好きなドラマだったから見ていましたが、出生前診断の話、りょうさんがやっていた役の方の気持ちなんかさっぱり分かりませんでした。今ではすごく気持ちが分かります。でも、それと同じくらい、本当にこれで良かったのか、奇跡を信じることはできなかったのかと悩みます。ドラマでの中で、なぜ自分で産まない選択をしたのに子供を抱きたいと願うのか?とか、そういった話がありましたが、私も全く同じように思っていました。でも、同じような立場になって初めて知る現実。私達は今回はNIPTとか羊水検査は結果的に受けませんでした。すすめられたから受けるかと最後まで迷いましたが。俗に出生前診断と言われているものは受けていないけれども、結局エコーの検査も出生前診断と変わらないのだなと思いました。藁にもすがる思いで様々な本を見ました。今回の事とは関係のない全く違う本ではありましたが、自然なお産を目指している助産師さんの本に、現在の産婦人科の医療は先を見越して全てに診断名がついてしまうと書いてあり、様々な考えの方がいるために、先回りして母体もしくは子供を守るのだと。死産証明書の母体保護法の中期中絶の欄に書いてあった経済的理由にショックを受けましたが、なぜだろうと考えて見ていたネットに、その子供が産まれる事によって生活保護を受けたり、経済的に逼迫する可能性がある場合は経済的理由にあてはまると。私達はその最先端の医療があったから辛い選択をしたけれど、こまさには申し訳ないけれども、結果その最先端の医療に、母体保護法という法律に守られてしまったのだなとも感じます。大学病院に胎児エコーを取りに行ったりMRIを取って、日に日に悪くなる診断を聞き、頭に大量の水がたまっていて脳がほとんどないことが分かり、脳梁が部分的にないのが分かって、寝たきりとか感情がないとかそういった可能性が捨てきれないという結果を聞き、私たちは奇跡を信じたりはできませんでした。私の亡くなった母は突然倒れて脳死が判定されてしまい、最後8日間動かない母と病室で過ごしましたが、脳が損傷しているだけで全く動かない母、病院で看護師さんに物のように扱われる母を見て、脳の大切さは正直痛いほどに感じました。亡くなった後、寂しさよりも想像以上にかかった金額に親戚が騒いでいたのが今でも忘れられません。でもそれでも不思議と大丈夫かもしれないと思う自分がいました。自分の可愛い子供だからどうにか迎えたい。もちろん、病気の事だけでなく、どういう形で生活していくのかも考えました。保育園や幼稚園、デイサービス、学校、分かりやすく厚生労働省のホームページに書いてあるのですが、ブログを見るとやはり断られてしまうという現実。やっとやっとお腹に来てくれた事もあり、とても悩みました。ただ、自分の気持ちだけでどうにかなるものではありません。きっと経済的な問題で国や行政に頼らざるを得なくなります。もし本当に寝たきりだったとしたら、自分だけでその子供を育てる事は不可能です。親なのか、子なのか、友なのか、地域なのか、何かしらに頼らないといけなくなります。子供が80年生きると仮定して、初めの10年は親に頼ることもできるでしょう。きっとそのうち難しくなります。私達夫婦でどうにか頑張れる時まではどうにかなるかもしれません。親に頼れなくなっても自分たちが踏ん張れば40年は大丈夫でしょう。その後の30年は先に産まれている子供に頼らざるを得ません。いくら兄弟とはいえ、子供がそれを選択せざるを得なくなるのはどうなのだろうか。もちろん、22週過ぎていたら産むしかないのでそれを強いる事になってしまいます。母は強し、産むが易しとか言いますし、その場合は何とかなると祈り、産んでしまってから考えるしかありません。でも、それが当てはまらない時期であったのならば、選択する事ができるのならば、それを選ぶのは難しいのかなと思いました。大学病院の先生はこんなに早い時期からこの病気が見つかるのは珍しいとおっしゃいました。だからここのハイリスク妊婦外来に紹介状を持って来る方はどうしても22週過ぎている人が多くなると。産むと決めるなら、それに寄り添えるように万全を尽くします。でも、今はそれを選べる時期にあるので様々な事を調べた上で選択をして欲しいと。今年初めてお正月に義両親の家に行きませんでした。味噌汁が冷めるか冷めないかの距離に住んでいるのに。私には言いませんでしたが、子供の事でパパは大喧嘩になったようでした。先の事を考えているのか?おろせ。と言われた事に激怒したようです。とてもお世話になっているけれど、義両親にはまだ会いたくないと心が拒否しています。助けてくれたら少し違ったのではないかと。自分で選ぶほど残酷な事はないから神様に先に決めて欲しいとさえ思いました。ここで諦めても辛い。でも、産むことを選ぶのも辛いかもしれない。自分で選びたくない。罪悪感で押し潰されてしまう。結局、自分1人で生きている訳ではないので、自分を、そして自分の選択を受け入れてくれる人がいないと難しいということ。終わってしまって何度も何度も考えています。何が正解だったのかは未だに分かりません。私達にとっても、こまさにとってもこれが最善の方法であったとは一つも思っていません。誰も納得いく答えを出せなかったという現実。きっと、どんな形であったとしても答えは出なかったのではないかと。同じような病気の子供を育てている方のブログを見ては、こまさも大丈夫だったかもしれない。本当に寝たきりだったかな?と思ったり、産まれるまでに、または産まれて手術することによって奇跡が起きてたのではないかなと思ったり。命の選別になるから、次に同じような選択をするかは全く分かりません。人にどっちが良いともすすめられません。不妊治療を継続するつもりでいるからこそ次の不安がないわけでもありません。でも、消えない不安と戦いつつも、良いイメージだけを考えて、次の奇跡を信じるしかありません。この世は全て自分が選んで生きている。だからこそ良いイメージを持ち、良い選択をしなければいけないのだ。と聞きました。この前読んだ池川明さんの本にも、子供は様々な宿命を背負い、自分で自分の一生を決めた上でお母さんのお腹に宿ると書いてありました。もし本当にそうであれば、私も私の宿命を背負いこの世にきているはずです。自分で選ぶからこそ、きっと一生その選択が正解だったのかと疑問に思いながら生きていかなければならない。だからこそ、今回の事を通して人の決断にとても寛容になった自分がおります。黒か白かしかないと思っていたけれど、そうでない場合も多いのだと。きっと同じような立場になった時にしか分からないのだと。どの場面でどういう選択をしなければならない日が来るかは分からないけれど、きっとその選択はあなたが悩み苦しみ出した決断だから、それでいいんだよと相手の決断を受け入れてあげる事の必要さ。今ならば身にしみて分かります。まだまだ半人前なママに生きる意味を、素敵な出会いを、そして様々な事を教えてくれてありがとう。ママとおそろいだよ。いつも近くにいてくれて見守ってくれてありがとう。

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  • 18 Feb
    • 2週間後のこと

      2週間たったので体の記録。出血は、出産時は母子手帳に少量との記載あり。胎盤は無理に剥がしたりはなくて、先生がこまさが産まれた後もじーっと立ってるので何かな?と思ったら次の陣痛を待って胎盤が綺麗に出てくるのを待ってますと言って、出てくるまで待っていたからか痛みも少ない。産後4日程度は夜用ナプキンを何度か変えれば大丈夫なくらい。5日目ほぼ出血がなくなる。6日目、後陣痛かな?と思うくらいお腹が痛いと思っていたら夜にでっかいレバーのような塊が2~3個どぼどぼとトイレに出る。7日目、後陣痛らしきものがなくなり、出血量もまた少なくなる。9日目、ほとんど出血がなくなる。ねばねばとした茶色のオリモノが出る。10日目、また少し出血して小さな塊のようなものが出るが、あとは茶色のオリモノが出るくらい。出血はほとんどなし。しかし、産後すぐに爪がボロボロになる。縦線がくっきり。二枚爪になり、割れやすいため白い部分を残さずに短く切らざるを得ないほど。(元々爪が薄くて割れやすかったためジェルネイルを行っていた。剥がしてすぐの中期中絶。)髪がパサパサになり、1週間後には細くて扱いにくくなる。立ちくらみがする。病院処方の抗生剤と胸のはりどめが終わった後、葉酸と鉄材を飲む。次のために命の母を飲み始める。体重が1週間で4キロ減る。こまさが頭から出てきてくれたこともあり、会陰切開や切れることもなかったため2週間程度でだいぶ産前に戻ってきた感じですが、やはり産後に変わりないほどの栄養を持っていかれた感じ。

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  • 17 Feb
    • 2018年2月3日 新しい1年の始まり。

      こまさとの時間はあっという間に過ぎてしまった。今日は2月3日。私が生まれ育った地方ではこの日が正式な1年の区切り、始まりになるとか。33歳になったばかりの私は昨日までが大厄であった。まさしく大厄に相応しい1年だった。その厄落としになるのが男児を産むことであった。そして、後厄になったばかりの今日こまさは旅立ってしまった。きっと、こまさは全てを背負っていってしまったのだなと思った。とてもとても申し訳ない気持ちでいっぱい。不思議だけど、毎年2月3日になると新しい1年が始まる、そう言われていたからか、運気の流れが変わるんだろうなという気がした。こまさの事を忘れずに、こまさに教えてもらったように周りに感謝しながらママ頑張るからね。今日は節分。恵方巻きを食べ、鬼は外をし、無病息災を祈った。こまさは天国まで迷わずに行けたのかな。おばあちゃんには会えたのかな。

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  • 16 Feb
    • 泣いている。。。

      2018年2月3日今日はこまさとの本当のお別れの日。朝起きておはようの挨拶をこまさにした時に棺を開けてとてもびっくりした。こまさの目と鼻のところにたくさんの水がたまっていて泣いているようだった。もちろん、目もできていないし、亡くなってだいぶ経つからそんなわけないのは分かっているのですが、こまさが泣いていると思って自分も大泣きしてしまった。本当に本当にこれが最後のお別れ。寂しいけれど、これからもずっと一緒。目には見えなくなるけれど、心が繋がっているから大丈夫だよ!そうこまさに、自分に言い聞かせながら、涙をふいてあげて家を出発した。朝イチの火葬だったので、斎場に8時45分に到着するように出発。到着して時間まで何度も何度もこまさを見るために棺を開けてはお別れできずにいた。時間になり、本当のお別れの時。斎場の職員さんに最後のお別れをされますか?と聞かれ、本当に最後に棺を開けた時、またこまさの目のあたりに水がたまっていた。やっぱり泣いている。私達のせいで本当にごめんね。気をつけて天国に行くんだよ。きっと、ママのママが、こまさのおばあちゃんが天国で待ってて可愛がってくれるからね!でも、ママの体調が戻ったらすぐ戻ってくるんだよ!最後のお別れから御骨になるまではあっという間だった。小さい体だったため30分程度で御骨になってしまった。エコー検査の時に骨がしっかりしているなとは思っていたが、しっかりと骨を残してくれていた。本当に本当に小さなかけらを丁寧に集めてくれて、小さな御骨入れにおさめた。とても小さな御骨入れだと思っていたが、やはりおさまってしまった。迷わずに天国に行けるように、泣いているばかりでなく、ママも強くなるように頑張るからね!こまさありがとう。必ずまたママの元に帰ってきてね。

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  • 15 Feb
    • 寂しくないように。

      2018年2月2日今日は16時にこまさをお迎えに行く日。今日は朝から雪が降っていた。お兄ちゃんの学校は今日はお休み。雪のために習い事もお休みになった。寂しくなくて済むのだけれど、笑顔でいないといけないのでとても心が無理をしている。また、お兄ちゃんは家でぼーっとしている私とではつまらないとのことで、お昼に義両親にお迎えにきてもらった。まだこまさに持って行ってもらうものを購入していなかったので、お兄ちゃんがでかけた後自分もお買い物に行く準備をした。いくらこまさが20wだったとはいえ、まだ痛む下腹部を気にしながらのお出かけ。正直辛かったが、気持ちだけで乗り切っているようだった。看護師さんにお菓子とかミルクとか入れてあげると良いと聞いていたので、新生児用のミルクとお菓子を購入するためにベビザらスに行った。何だかとても切ない。同じように新生児用のミルクを手に取るお父さんらしき人を見てとても羨ましいなと感じた。その他に必要な物は何だろうかと考えて、可愛い小さなクマのぬいぐるみのキーホルダーを2つ購入した。金属部分を外してぬいぐるみとして持って行ってもらおう。本当はもっともっと入れてあげたい物がいっぱいあったが、御骨にくっつかないように端に入れられる分だけとなると、あとは折った鶴と花、自分とこまさの写真、手紙、お布団代わりに入れるベビー用の汗取りパッドみたいなものとハンカチ、生花でパンパンになりそうだった。中々機敏に動けないせいか、すでに15時になっていた。16時にはこまさをお迎えに行かないといけないので少し急いだ。生花は何が良いか。中々ぴんとくるお花がなかった。白のトルコキキョウとかすみ草はすぐ決まったが、自分が求めていたお花がなかった。知っている限りの花屋を回り、やっと見つけたお花。名前が分からなかったが、デンファレというお花。よく見るお花な気がするが、自分の中ではこのお花だけは少し特別。自分の母が亡くなった時に、めいっぱい敷き詰めてあったので、何だかこの花はちょっとだけ特別な花になっていた。どうしてもこまさにはこのお花を持って行ってもらいたかった。一人で寂しくないように、天国でおばあちゃんに可愛がってもらえるように。母は42歳で亡くなっているから、おばあちゃんとしてというよりも、きっとこまさの事を我が子のように可愛がってくれるんじゃないかなーと思っている。あっという間にこまさのお迎え時間になってしまった。市立病院に着いて看護師さんに挨拶をし、個室で待っていると棺に入りシーツに包まれたこまさがやってきた。少し寒かったのか、頬から頭にかけてが真っ赤になっていた。会いたかった。本当に嬉しかった。最後の最後まで看護師さんは優しかった。ママも体を大切にしてねと言われて涙が出てきた。帰宅する時は裏口から出るのかなと思っていたが、普通にエレベーターに乗って、正面玄関から出て良いと言われて、最後まで配慮してもらえて、何だか申し訳ない気持ちになった。ただ、周りの人が逆に気を使うだろうなと思い、こまさの棺を包むために持ってきていたストールで分からないように包み、こっそりと出てきた。こまさに久しぶりに会えた喜びからか、少しだけ心が軽くなっている自分がいた。帰りにドライアイスが必要だったのでアイスを購入して帰った。こまさの棺にドライアイスと、持って行って貰いたいものを全て入れた。こまさのへその緒についていた血を止めるクリップがこまさよりも大きくて、とても気になっていたが、看護師さんがぬってあげることができるから外しておくねと言って下さった通りにクリップが外れていた。本当に本当にたくさんの良い人に巡り合わせてくれてありがとう。こまさと長く一緒にいたかったので、暖房を入れずにとても寒い部屋で過ごした。パパも、今日は寝室を暖房入れずにこまさと一緒に過ごそうねと言ってくれたので、最初で最後の家族での一晩を過ごすことができた。ここ最近毎日寝るのが怖くて、胎動がないのが苦しくてたまらなかったが、こまさと一緒にいたので久しぶりにゆっくり眠ることができた。明日はこまさとの本当のお別れの日です。

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  • 14 Feb
    • 気持ちを落ち着かせるために

      2018年2月2日1日写真の整理をして過ごした。明日はこまさに会える日。すこぶる気持ちが不安定なため、パパにお願いして夕方お兄ちゃんの習い事のお迎えの時に本を買ってきてもらった。ブログで見つけた、今一番読みたい本。池川明さんという産婦人科医の書いた本。少しだけでも気持ちが落ち着けば良いなと思った。こまさがそう思ってくれているかは分からない。でも、そう思ってくれている事を願って。雲の上でママをみていたときのこと。の本を読んでいるとだいたい同じような話がかいてあり、簡単に自分の中で整理した感じでは、これから生まれる子たちはずっと列に並んでいて順番待ちをしている。順番が来たらいいなと思うママを選んでやってくる。並び順だから待たないといけないのに、横入りしてしまう子もいて、そういう子供はどこか病気だったりするけど、それでも早くママに会いたくて行ってしまう。命のたいせつさなど何かしらをママに伝えて神様のところに帰って、何をしてきたかの報告をする。そしてまた順番待ちをする。みたいな話が書いてあり、きっとこまさも家族の大切さを伝えるために横入りしてやってきたのではないかなと。順番待ちをして、時間がきたらまたきっと帰ってきてくれることを祈っています。あとは、不妊治療のためにといつ購入したか分からない胎児の世界という本を引っ張り出してきた。少しだけ、ほんの少しだけでいいから気持ちが落ち着いて、こまさとの最後の時間を楽しめるようにしたいな。

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  • 13 Feb
    • お空に持って行ってもらいたいもの。

      2018年2月1日今日は体調が優れない私を心配して、パパがお休みを取ってくれた。パパは今週1週間ほとんど仕事に行けていない。理解ある職場に本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。産後だから1ヶ月は寝ていないと!と念を押されていたのにも関わらず、じっとしていると苦しくてたまらなくなるため、余計な写真のプリントを始めた。お兄ちゃんにはこまさを見せてはいけないと約束していたため、早めに整理していつでも見れるようにアルバムを作っておきたかった。パパはそんな私を見てすごく怒っている。お兄ちゃんの時も、産後動きすぎた事が不妊症になった原因ではないかと思っていたようだった。そもそも、お兄ちゃんが産まれた時はパパは仕事が忙しくて病院には来なかった。正確には、雪が降ってしまい、出張していたため帰って来れなかったのだが、破水から陣痛、出産までの一番不安な時に一人だった事や、全く寝なくていつまでも1時間に1度泣いていたお兄ちゃんの育児に疲れて産後うつになってしまったため、前回も産後は不安定だった。パパも前回の産後の私の事やこまさの事がフラッシュバックしてくるようで苦しくてたまらないようだった。お兄ちゃんが学校に行っている時間は、二人とも不安定でたまらない時間だった。それでも写真を延々と整理し続けた。こまさを一番始めに抱っこしている自分の写真がとても幸せそうな顔をしていた。ここ数年一気に太ったこともあり、自分の写真を撮られるのがとても嫌だったために久々に自分をまじまじと見た気がしたが、写真にうつる自分は今の自分とは別人のようだった。その写真の裏にこまさへの思いを認めて、棺に入れる事にした。ママはこまさに会えてとても幸せです。たった5ヶ月しか一緒にいられなかったけれど、本当に本当に幸せな5ヶ月でした。こまさはママに裏切られた気持ちでいっぱいかもしれない。何を言っても許してはくれないだろう。でも、本当に本当に大切な我が子であること。それだけはこまさに伝えられるといいな。他にこまさにしてあげられる事を探した。明日の夕方にはこまさをお迎えに行くので、今日中にやれるべき事を考えたいと思っていた。まず、命名書をどうしようかなと思っていた。大きな色紙では棺には入らない。こまさの着ている洋服とスタイには刺繍で名前をつけてあげていた。入れてあげようと思っていたおもちゃや小さな巾着すべてに名前を書いてあげることにした。こまさくん、君の名前は 昊樹 こうき だよ。6月に産まれる予定だったから、季節が夏ということで、昊天の高い空のように広い心をもって。夏の空のように明るく。早くから病気が見つかってしまったから、樹木のようにどっしりと根をはり、健康に気をつけて大きくすくすくと育って欲しいと願って。名前をつけてあげることも、戸籍に残してあげることもできない。でも、私達にとっては大切な大切な家族。自分達の中だけでも、しっかりと存在を残してあげたいな。あとは、ミルクとお菓子、おもちゃ、たくさんのお花を用意してこまさを送る準備をしようと思っていた。

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  • 12 Feb
    • 久々のおうち

      2018年1月31日退院後。とても久々に家に帰ってきたような感覚だった。たった3日しか病院にはいなかったのに、とても長い間病院にいたような感覚になっていた。自分が好きでコーディネートしたはずの真っ白なお部屋が何だか寂しかった。心が空っぽな気分でいっぱい。お兄ちゃんは習い事があるので義両親にお願いしていて、帰宅するのは20時。時間があったので、ネットで骨壷を探した。2月2日までに間に合うように。この年で自分の子供の骨壷を探すなんて。家に置いておけそうな小さな分骨用の、二重蓋になっている卵型の骨壷を見つけた。とても可愛らしい小さな骨壷。同じくらいの週数で亡くなったからのレビューがあり、サイズがぴったりであったと。こんなに小さくなってしまうのかなと思うとさらに心が痛む。冷たいところで1人で待っているよりも、家の暖かいところでみんなと一緒にいられる方がこまさは幸せなんじゃないかな?というパパの言葉に、少しだけ悲しい気持ちが和らいだ。お兄ちゃんが帰ってきた。久しぶりに会えたような喜びがあった。お兄ちゃんも眠る時に寝れない~と私の布団で寝たりしていたみたいなので、小学生になって大きくなって、自分から離れていく気がしていたけど、子供なりに何かしら思ってる事、感じる事があるのだろうなと思っていた。『こまさに会えたのー?』『こまさの写真見せてー!』お兄ちゃんは、こまさが病気だった事、家には帰って来れない事は何となくはわかっているが、まだ全てを理解している感じではない。「こまさとは会えたよ。まさくんにとってもよく似ている可愛い男の子だったよ。でも、こまさは病気だったから写真は撮れなかったんだよ。」パパがそう言った。写真だけは絶対に見せてはいけないよと言われていた。お兄ちゃんは小学生になったけど、大人ではないからどこまで受け止められるかは分からない。抱っこさせてあげたいし、最後にお別れもさせてあげたいけれど、大人になって本人が望む時に写真を見せてあげれば良いし、望まないのであればこまさという弟の存在だけを心にしまっておいて欲しいと思っている。と。家に写真を飾ってあげる事ができない。こまさを否定されているような気持ちとさらに罪悪感とでいっぱい。でも、お兄ちゃんの心の配慮をしながら、今まで通りにやらないといけないんだなとも思った。強くならなければいけない。お兄ちゃんの前だけは絶対に涙を見せないことに決めた。なのに、どんな事でもこまさの事を思い出しては涙が出てくる。静かに座っている時胎動がないこと。マタニティ用の服が緩くなってしまったこと。つわりから引き続き苦しかった胸のつかえがとれてしまったこと。逆流性食道炎がひどくなってしまっていたが、胃から泡が戻ってくることがなくなったこと。特に寝る時が一番涙が止まらなかった。横になると痛いくらいの胎動を感じていたため、すんなり仰向けに寝られる事がとても苦しかった。苦しくて苦しくてたまらない。産後と変わらないからホルモンバランスの影響なのだろうか。過呼吸になってしまい落ち着くまでに時間がかかった。パパが心配してずっと背中をさすってくれている。寝ることが何だか怖くてたまらなくて中々寝付けなかったが、こまさとお別れする日を決めてからほとんど寝ていなかったせいか、パパに包まれたままパタリと眠りについたようだった。いつの間にかお兄ちゃんもぺったり隣にくっついて眠っていた。きっと、家族に支えられてとても幸せなんだと思う。でもそう思えないのは、やはり家族が一人欠けてしまったから。こまさの事は忘れられないし、忘れたくない。でも、いつになったら普通の生活に戻れるのだろうか。この苦しくてたまらない感じはどうすればなおるのだろう。寂しさや悲しさよりも、こまさを苦しめてしまったという罪悪感と、自分にはこまさを育てるという覚悟ができなかったという後悔とでいっぱいだった。先生からも義両親からも、相談した人にも、難しいとは言われていたけど、何度も何度も説得されたけれど、自分もこまさが寝たきりになったら可哀想とは思っていたけれど、でも本当は奇跡を信じて6月まで待っても良かったのではないかなと。

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  • 11 Feb
    • 一時のおわかれ

      2018年1月31日こまさのベッドの隣でウトウトしたり、鶴を折りながらほとんど眠ることができずに朝を迎えた。体の状態を確かめに来る看護師さんたちが、こまさを見て可愛いねー、ママにこんなにも思ってもらえて幸せだねーなんて様々な声をかけてくださる。本当にこまさは幸せだろうか。我が子に苦しい思いをさせてしまったのは紛れもなく自分である。他の子と変わらないように接してくれる嬉しさと、悪気のない、普通だったら有難いお言葉を全て穿った見方をするようになっていた。朝8時にK先生が検診を行い、胎盤等の子宮の残留物がないかをエコーで確認し、大丈夫とのことで退院の許可が出た。退院の許可が出てからは少し慌ただしく、事務の方や看護師さんが来た。こまさをどうするかを決めないといけないらしい。最後のお別れくらい自分でやりたいと駄々をこねていたが、パパには反対されていた。産後の体に響くこと、こまさにまた帰ってきてもらいたいのに難しくなるぞと。ブログでたまたま見たもので、業者さんに頼む事ができるらしいが、かなりの金額がかかることや、産業廃棄物のように扱われてしまうとの事でどうしても嫌だった。ただ、お家にはお兄ちゃんがいてこまさを連れて帰ることはできないからと反対されていた。どうすれば良いのか迷っていたが、看護師さんに聞いたら、そもそも死産証明書を役所に提出して、代わりにもらえる埋葬許可書がなければ、遺体を外に持ち出す事ができないとの事で、火葬の日まで病院で預かってくれるらしい。パパに内緒で自分で斎場に行こうと決断した。自分の住んでいる役所に聞いたら、市が運営している火葬場に連れていく形であれば無料になるらしい。産業廃棄物のように扱われる可能性がある業者さんだとお骨の引き取りまで入れると5万程だったので、その分供養代として使いたいと思った。1月31日は友引だった。たまたまこの日が友引だったために火葬場が混んでいて、2月3日の朝イチしか早い日は空いていないということで、その日になった。どうしても御骨を残したいと思っていたので、朝イチだったので安心した。ただ、朝が早すぎる事や、2月3日が土曜日でお兄ちゃんがいること、パパがお休みのこともあり、結局パパにお願いしないといけなくなった。『勝手なことするんだから』と怒っていたが、渋々了承してくれた。お兄ちゃんは金曜日から土曜日は義両親に預かってもらうことにし、金曜日はこまさをつれて家に帰ることも了承してくれた。こまさのお願いを看護師さんにした後、また別の人がやってきた。死産証明書を持って。死産証明書を見て何とも言えない気持ちになった。母体保護法に基づく中期中絶の欄の下に経済的理由と書いてある。なぜ?そもそも中期中絶をすすめたのは先生なのに。とにかくショックが大きかったが、のちのち調べたところ、母体保護法による中期中絶の場合は母体の身体的理由、経済的理由、暴行の3つしかないらしい。今回のケースは妊娠継続、出産することにより経済的に大変になる可能性があるというケースに当たるらしく、経済的理由になっているようだった。また、障害を持っている子供を堕胎するとい事が妥当かは分からない事や、そういった団体からの反発があったためにこの理由になるとかそういった話をネットで見た。命を断つ理由なんてない。出生前診断、精巧なエコーがなかったらこまさは普通に産まれてきていただろう。でも、何だか経済的理由という記述に納得できずにいた。頭ではそれが妥当だとわかっているのに。全ての事に傷つきやすくなっていた。お昼すぎにパパが迎えに来るまでこまさと二人、静かな部屋で過ごした。一時おわかれになってしまうので、いっぱい抱っこした。たくさんお話もした。パパが仕事の都合で予定していたよりも随分と遅くお迎えに来たのでかなりの時間一緒にいた気がした。いっぱい写真も撮った。このまま時間がとまればいいのに。パパがお迎えに来てこまさとのお別れをした後、ナースステーションにバスタオルで全てを隠した状態のこまさを連れて行った。自分でやったのだが、やはり周りに見られるのを恐れていることや、他の子とは一緒ではないと自分で理解していることを感じて、さらに辛くなった。金曜日の16時以降にお迎えに来るねと約束をしてしばしのお別れになった。帰宅するまでにやりたい事があった。御骨入れを探さないといけない。棺は病院で購入できることになった。仏壇やさんを見たが、取り寄せになるということでネットで見ることにした。役所に死産証明書を出しに行った。1時間近くかかるらしい。気持ちがとても不安定な中、たくさんの人がいる中での1時間はとてもきつかった。何をしていてもとめどなく出てくる涙。鼻水もとまらない。苦しい。少し過呼吸ぎみである。声をあげて泣けない状況。見たくない幸せそうな子連れのお母さん。マタニティマークをつけている妊婦さん。自分だけが不幸せなわけではない。わかっているけど、どうしてこんなにも辛いんだろう。たった1日でしぼんだお腹を見て、つい昨日までぽこぽこと動いていたお腹を触って、とても辛くなった。

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  • 10 Feb
    • 嬉しさと切なさと罪悪感と苦しさと。

      2018年1月30日こまさが産まれた。処置をしてくれている間、そのまま抱っこさせてくれるという事でカンガルーケアのような形でこまさを抱っこさせてくれた。赤ちゃんはお腹から出たのでもう亡くなってますが、反射の作用でたまに動きますのでびっくりしないように。と。こまさはまだ目ができていないのでうっすらとしか瞼は見えない。鼻と口とうっすら生えてきている眉毛がお兄ちゃんにそっくりだった。本当に亡くなっているのか分からない程、肩で頑張って息をしている。ブログで、産まれてからも生きているという事を見ていたため、きっとこまさはまだ生きているんだろうなと感じて、さらに自分を苦しめた。でも、今はやっとこまさに会えた、ちゃんと抱っこできた嬉しさでいっぱい。もちろん、この時期でこまさに会えるということは本当のサヨナラを意味しているので切ない気持ちと罪悪感と。私達以外にこまさが産まれてきたことをお祝いしてくれる人、喜んでくれる人はいない。だからこそ、めいっぱいこまさに会えた事に喜んだ。パパは分娩台の後に隠れて泣いている。いっぱい写真を撮って欲しいと約束していたので、頑張ってこまさの写真を撮ってくれた。処置が終わり、30分ほど休んでからこまさと対面させてもらった。棺に入れられているのかと思っていたが、新生児と変わらない形で透明なベッドのカート?に入れてもらっており、きちんと生まれた時間や性別が書いてあるカードもつけられていた。ただ他の子と違うのは明らかに小さい事。すでにベッドの下にはたくさんのアイスノンが入っていること。沐浴と手型、足型を取らせてくれる事になった。普通の洗面器でも沐浴できるなんて。助産師さんがお腹の中を思い出したのかな?ママにお風呂に入れてもらって気持ちいいねーとこまさに声をかけてくれた。新生児と同じように扱ってくれる。とても嬉しかった。こまさは確かに気持ち良さそうな顔をしていた。さらに罪悪感が増す。まだお腹の中にいたかったんだろうな。沐浴をさせている時、特にこまさが動いた。頑張って肩で息をしている。まだ肺はできあがっていないはず。今だったら、先生にお願いすれば蘇生できるんじゃないだろうか。本当に本当に自分の決断が揺らぐ瞬間だった。助産師さんもその様子に気づいたのか、そろそろお風呂上がって洋服着ようかなーと声をかける。自分で作ってきたベビードレスを着せてあげた。ぴったりだったが、思ったよりも足が長くて膝下が寒そう。タオルハンカチで作ったおくるみに包んであげた。とても安らかな顔をしている。やはり他と違うなと思ったのはとても頭が大きかった。大きく作ったはずの帽子がとても窮屈そう。脳の中は水でいっぱいだったから、胎動が激しいのは苦しかったのかな?なんていつも思っていたが、頭を見ると可哀想になった。ママのせいでごめんね。未だに時折肩で息をしている。まだ生きているのに冷やされたベッドに戻される。ここで見て見ぬふりをするのかと思うとさらに苦しくてたまらなかった。そこからはずっとこまさは私の隣にいた。折角のこまさとの時間だったのに、いつの間にか寝てしまっていた。1時間くらい経っていた。助産師さんに起こされてトイレに行き、血量を測ったり、お腹の状態を見てもらった。その時にこまさのへその緒をもらった。絆と書いた可愛い桐の箱も一緒に。何も書いていない母子手帳に記入してもらえる事になった。全て助産師さんや看護師さんから提案してくれるのが嬉しかった。他の子供と何も変わらない。1時間以上たっていたので、こまさはもう動かなくなっていた。体が冷やされて亡くなってしまったのだろう。悲しくて、苦しくて。本当にこの方法しかなかったのだろうか?本当にこれで良かったのだろうか?まだ肌が完全にはできていないため、一気に肌が乾き始めていた。何だか痛そう。ブログで、オイルを塗ってあげると良いと書いてあったので持参してきていたベビーオイルを塗ってあげた。ベビーマッサージのように。肌はすべすべしているが、ちょっとでも擦れると傷になってしまうようだった。細くて小さくて脆い。こんな形でお腹から出してしまって本当にごめんね。体は疲れているのに、こまさと一緒の時間を楽しんだ。こまさの横でひたすらこまさにむけて手紙を書いた鶴を折っていた。トツキトオカのアプリを見ているととても切なくなるので生まれましたの設定に変更して消した。1月30日に産まれるかもと思っていたため、保存しておいて良かった。いつまでもいつまでも一緒だよ。こまさごめんね。

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  • 09 Feb
    • 誕生日おめでとう。20w4d

      2018年1月30日 20w4d朝7時半、ラミナリアを抜き陣痛促進剤の膣剤を入れた。3時間おきに行うらしい。ブログで、膣剤が強すぎて、それで小さな胎児は亡くなる場合があると見たため、本当にお別れなのかと思って涙が溢れた。気が張っているため、全く陣痛がおきる気配がない。ただひたすらお腹をくだした時のようなしくしくとした痛みと戦い続けた。膣剤を入れてから、こまさとの時間を楽しんだ。ただひたすらこまさの動きをメモし続けた。7時30分 膣剤投与7時50分 お腹がはりだす 強い蹴り7時53分 少し暴れる感じ8時11分 強い蹴りかすかな子宮の収縮を感じ初めて、こまさの動きが一気に鈍くなる8時29分 かすかに膀胱に当たる感じ8時34分 左脇腹にかすかにふれる感じ8時44分 今までよりは蹴る力が小さくなってきたけれど、頑張って力を振り絞って左脇腹を蹴る8時45分8時47分 おへそをしっかり蹴る9時10分 胎動なのかな?と思うくらいかすかに動く気配がする9時14分 胎動がかすかになり初めているのではっきりとは分からないが、膀胱に何か当たったような感覚がある10時4分 全く感じなくなっていた胎動をどんと1回だけ感じる10時20分 2回目の膣剤を入れる全く感じなくなっていた胎動が、膣剤を入れて2~3分後グルングルン回るような感覚がある10時49分 おへそのあたりに手が当たるような感覚がある11時22分 ぐるんと回るような動きを感じる力強い蹴りが何度もあったので、こまさが苦しいのではないかとさらに落ち込んだ。お昼ご飯は普通に食べられた。こまさと一緒に食べられる最後のご飯を噛み締めた。お昼を過ぎ、まだ陣痛が始まらないので予想していた15時は難しいのではないかと自分でも感じていた。まだ本陣痛の気配はない。パパが仕事の引き継ぎをして病院に来る。こまさの動きを二人で確かめる。本当にこれで最後なんだと思うと辛くてたまらない。結局担当のK先生が17時で帰宅する前に子宮口をはかったところ、昨日と変わらない3cmだったため、ラミナリアを追加して12本入れた。陣痛が来ないため、明日に持ち越しになってしまった。しかし、ラミナリアを入れ、先生が帰宅してから本陣痛がやってきた。K先生がいないことをとても不安に思った。こまさを綺麗なまま出してくれるという約束をしていたので、他の先生では嫌だと感じていたが、先生は帰宅してもういない。当直担当の先生は女性の先生だった。常に1分おきに陣痛がやってきているのにも関わらず子宮口が開かなかったのでとにかく辛い。でも、罪悪感からか痛みと戦える自分がいる。お兄ちゃんの時も陣痛が来ても普通に動いていたから、きっと私は痛みに耐えられる人なんだろうなとは感じていたが、今回は特に痛いのに気が張っているせいか痛みに耐えてしまう。このままだと体力がもたないのでとのことで筋肉注射の痛み止めを打ってもらった。注射を打ってから、めまいと吐き気が一気に押し寄せてきて気持ちが悪い中での本陣痛との戦いだった。こまさを苦しめてしまう自分への罰なのではないかと感じた。20時に当直の先生の検診があった。こまさはちゃんと頭から下がってきてくれている事。すぐには産まれないと思うけれど、多分今日中には分娩台に上がれるのではないかと言うこと。K先生を呼びますとの事でした。K先生がわざわざ来てくれるというのにとてもホッとした自分がいた。当直の先生に、こまさが生きているかだけ確認した。『産まれるまでは頑張ってくれてますよ。お母さんも陣痛辛いですが頑張りましょう。』色んな意味が込められている気がした。お腹の中にいれば生きていられるのに。21時半過ぎ、このままでは部屋で分娩になってしまう可能性があるという事で分娩台に上がった。まだ先生は来ない。2度目の痛み止めの点滴が行われる。22時。K先生が来る。ホッとしたのが自分でも分かるくらい一気に力が抜けた。まだかな~なんて話をしていたのに、先生が顔を見せてすぐ産まれるかもしれないというのが分かった。先生が準備をして入ってきてこまさはすぐ産まれてきた。22時16分。かすかに赤ちゃんの泣き声が聞こえた。お誕生日おめでとう。こまさごめんね。誰もおめでとうなんて言ってはくれないけれど、私達にとってはとてもとても大切な忘れられない1日。だからせめて我が子として来てくれたことに対して感謝の意味をこめておめでとうと言わせて。こまさ大好きだよ。こまさごめんね。

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