二大政黨制は日本には定着しない民主黨政權は、片山社会黨と同じ運命を辿る。これは、私(神奈川支局長)の持論である。


かつて自民黨員でありながら、英米が二大政黨制だからこれが先進的で日本もさうあるべきだ、と考へた人達がゐた。彼らは自民黨を飛び出して、本當に一應は二大政黨を實現した。


二大政黨制先進的といふのは、或いはさうなのかも知れない。しかしこの制度は、英米のそれなりの歴史から發生したもので、どの政黨も國を擔ふ最低限の能力を有(も)つてゐた。


日本の場合は「二大政黨制」といふ言葉だけが先行し、實體も政權擔當能力もない政黨が政權を握つてしまつた。國民は不況にうんざりしてゐるのに、民主黨有效な對策も打てず内ゲバに狂つてゐる


或いは民主黨まともな經濟政策を實施して景氣が良くなつてゐれば、「夫婦別姓」などのトンデモ法案もすんなり通つたかも知れない。


しかしこれほど國民に愛想を盡かされては、もう過激な法案は通せないだらう。もう民主黨は終りである。問題は、自民黨が生殘れるか、だけである。


結局、二大政黨どころか多黨化して、収集がつかなくなるのではないか。


民主黨が國民の支持を失ふ事は、昨年から見えてゐた。小澤一郎には經濟に強い子分がゐない。經濟が分つてゐさうなのは、渡部恒三くらゐだ。といふ事は、民主黨には經濟のテクノクラートがあまりゐない


小澤一郎は、親分の田中角榮から何故、經濟手腕を受け繼がなかつたのだらう。現在の日本に必要なのは列島改造論だ(田中の時代はインフレの時代なので逆效果)


小澤一郎田中から受け繼いだのは、姑息な數の論理だけだ。そして國民を食はせられない政黨が、二大政黨として生き殘れる筈がない。