あるバクタの自笑伝〜バクティ・ヨーガ生活

スピリチュアル系ブログですよ!


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「愛されたい、認められたい」そんな風に感じて、孤独感を抱えていませんか?
自分の若いころを振り返ると、そんな衝動だけで人生を送っていたことが思い出されます。

最近になって、失恋とかでヘロヘロになっている人を見たりすると、昔の自分を思い出したりします。

人間として過ごしている限り、「安全欲求」を捨て去るのは本当の覚者でないと難しいと思います。でも、そうした衣食住の安全が確保されているのにもかかわらず、人や物への渇望があるなら、それはベクトルの誤った渇望です。

人は神(やら源泉、タオ、創造主、クリシュナ等)へ向けるべき正しい渇望を、別のものへ向けているからこそ「ヴィトンのバッグ持ってないと恥ずかしくて死ぬ」なんてことになるんです。それが苦しみです。

そして、常に心の求める方向が神に定まっていれば、手に入るべきものは手に入るのです。そして何も手に入らずとも、最高に楽しく過ごせるのです。

しかし、もっと深く言えば、人の心が神から逸れているということ自体も、神の決めたことなのです。
俗世の渇望・・・・、彼氏がほしいとか、海外旅行に行きたいとか、そんなことを心が強く求めて、神のことを一切考えずにいられること自体、神から定められたのです。
神が望んでいなければ、あなたは神から目を背けること自体できないのだから。


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実はドイツで大学に行っている。とはいっても、ドイツで既に2度大学を中退しているし、日本でも某T大を中退しているほど、中退好き(?)なので、今後もどうなるか分からない。そして、そんなことは別にどうでもいい気もしてくる。
しかし、今の大学はもう1年続いているので、なんか卒業できそうな気もしてきた。

って、どこがスピ・ブログだ!というお叱りは無視。

別に中退話を書こうとしたのではなく、とうとう二学期の最後のテスト結果が今日公開され、全教科合格してることが明らかになり、一息。

その最後の教科が「統計学」だった。

統計学というのは、「すべては偶然にして起こっている」ということを前提にしている。
物理学の世界では、全てが偶然に起こっているという一派と、「神はサイコロを振らない」という一派との決着は、いまだ付いていない。
後者曰く、「我々は隠された変数をまだ見つけていないから偶然として物事をみてしまうのだ。それが見つかれば偶然なんてなく、全ては因果だと分かる」そうだ。

インド哲学の世界では、どうだったか良く思い出せないけど、運命論的なのが主だった気がする。そして、バクタ(帰依者)はもちろん運命論者だ。全ては神様(源泉、ソース・エナジー、真如など)の意図するところ。だから偶然にして起こっているのではなく、全てはその「何者か」の意図するところであると考える。
だからどんなに悪いことが起こっても、それを感謝して受け止める。
それは、ある意味、禅の人が好きな「あるがままに」という言葉と似たようなものだ。しかし、バクタはあるがままにというより、「御心のままに」を好むだろう。「あるがままに」とい言ってしまうと、なんとなく神を無視したような気になるからだ。

運命を受け止めると、気が楽になる。「起こりえるものしか起こらない」と考えると、後悔とか、変な期待や不安に阻害されずに済む。

さて、とはいっても、私は「統計学」が好きだし、成績もよかった。「サイコロのそれぞれの目は、すべて6分の1の確立で出る」と考えるのは、運命という前提を無いものとする考えだ。それが好きということは、自由意志や神の不在を好むということだ。

そして、神は、「私が神の不在を好む」ように、私を作ったのだ。

しかし、それを客観的に理解できているという時点で、すでに神はこの「偶然を好む」という遊びに飽きて来たのだろう。
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寒いギャグにもなっていないギャグをタイトルにするほど、マーヤー(幻想)に巻き込まれているのは、ここ最近忙しいからでしょうか。

時間があって好きなことだけしていられると次第と精神は安定し、幻想の「重さ、重大さ」に巻き込まれることが少なくなります。よって人生は軽やかでシンプルになります。

「忙しい」とはなんとかの身に振って湧いた「悪い」状態は、ある種の運命的なものともいえます。

誰が好き好んで、忙しかったり、病気だったり、変な癖を繰り返したりするでしょうか。
そういうものは、生まれつきの傾向なんです。ヨガをやってると、「3つのグナ」なんかについて聞いたことがあるかもしれませんが、人の生まれつきの性質やら、生まれついた環境は人が選べるものではありません。簡単にいうとそういうのは「運命」という言葉で片付けられます。
一言で片付けるにはあまりに辛いこともあるけど、まずは、受け入れましょう。

私は、あるお祝いのプレゼントをおねだりしたのですが、それは腕輪で「fiat voluntas tua」(注・英語ならThy will be done)という字が彫られています。意味は「御心のままに」とか「汝の意思がなされますように」とかいったものです。
この言葉の意味を常に受け入れること、それができたら俗に言う悟りの境地にあるのでしょう。
だから、状況を受け入れることは私の人生の課題です。それが課題だということを気付いた時点で、課題の8割以上は片付いたも同然ですが、まだそれを完全に受け入れるには至っていないなとたまに思います。

状況を支配したい、思ったとおりにしたい、自分が道を開く……そういったことが、根本的に言えば「元から一度たりともできたことがないし、できることは将来もない」ということを「知る」のが、最初のステップです。
そして、2つめのステップは、「全てを自然に受け入れつつ生きる」というものです。老荘思想でいう「無為自然」というのもこういった生き方なのでしょう。何か面倒なことが起こったときも、それを「まーいーや」と受け入れると、問題を解決する力もやってきます。そして、面倒な問題それ自体も神の見せている幻想であることが見えてきます。
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スピリチュアルもお金がかかるのかもしれない。
私のパートナーはキリスト教徒で、教会税を払っている。年間でなんだか10万円弱くらいの金額になるようので、それは結構痛いのじゃないかと思うが、自分で稼いだ金をどう使おうが勝手だ、というので放任している。
それなのに、教会には年に2回も行かない。
でも、時々聞くと、一日に数回は祈っているそうだ。とは言っても、祈っているところは滅多に見たことがないので、形式に囚われずに祈っているのだろう。なんとなく、祈るためには教会税を払い正規の教会員であることが必要だ、と考えているらしい。

私もスピリチュアルの本をたまに買ったりするし、最近もルドラクシャ(菩提樹)のネックレスを買ったりした。これは完全にスピリチュアルというわけではなく、『ラーマーヤナ』のドラマを見ていてかっこいいと思ったのと、シヴァ神のやんわりとしたコスプレのつもりで買ったのだが、精々1000円ちょっとの値段である。

スピリチュアル系統のことでも、教会税じゃなくても、色々結構なお金を掛けている人もいると思う。別にお金を掛けるのは悪くないと思う。何事もある程度お金を掛けないと本気になれないというのはあるだろう。
ある知り合いの女の子は、プログラミングを勉強しているのだが、高い本やらパソコンやらをそろえてはいるけど、あまり上達しない。プログラミング基礎を学ぶなら、ひたすら繰り返してcoding batをやれば無料で上手くなれる。とは言っても、よほど根気のある人じゃないと、coding batを一人で繰り返しやるような真似はしないだろう。
スピリチュアルに関しても同じなんだと思う。お金を掛けないとやる気が出ない。私のパートナーもそう言った意味できっと教会税を払い続けているのだろう。
スピリチュアルでもプログラミングでも、もちろん無料や安価な投資で上達する人もいる。
それは個人の性質なのでなんとも言えないし、どうでもいいことなのだと思う。

かく言う私も、いつか大枚を叩いてインド旅行に行こうと思っている。別にインドに行かなくても、神を感じることはできるし、ドイツの田舎に暮らしていても、シヴァやらヴィシュヌやらの神が、見えるものの全てになっていることが分かる。それでも、インド旅行に行こうと思っているのだから、これは仕方がないことだと思う。それと同様に、無駄に高いパソコンを買うのや、教会税を払うのも仕方のないことなのだ。
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カテゴリ『バクティ・メソッド』なのに、「結局、メソッドなんてない!」って見も蓋もないタイトルですが、バクティ的にいえば、結局何のメソッドをしても無駄無駄無駄ぁーっなんでしょうね。

このまえラメッシの本『誰がかまうもんか』を読み返した時に、そう思いました。


昔は、ハタヨガをやったり、座禅を何時間もしたりしたけど、私がそういうのをやるときには、やはり期待してやってたんですね。期待しないでそういうのをやることは何よりもすばらしいことだけど、そこに何らかの期待――悟りたい、幸せになりたい――がある限り、テレビ見ているのと変わらないのかもしれないです。何らかのメソッドをするときも動揺に、結果に期待している。だから、それがダメなんです。

でも、教えを学ぶことは意味のあることだと思います。でも、学ぶなら、良質な教えを学ばねばなりません。変な教えを学ぶくらいなら、『ジョジョ』でも読みましょう。もっと為になります。



さて、タイトルにもあるように、「機能する心」を働かせることは大切なのです。それがメソッドだと思います。
機能する心というのは、ラメッシの本に出てくる単語ですが、式であらわすと以下のようになります。

機能する心 = 心 - エゴ

例えば、「centerfold」という単語を見て、瞬時に「Jガイルズバンド」の歌を思い出したり、「袋とじ」という単語に訳せたり、「それ、なに?」と思いGoogle翻訳をするのが機能する心です。 

さて、その機能する心を暇にさせておかないのは重要です。
『ギーター』でも、行為をすることの重要性を言いますが、大抵人生が上手く行かないとか言うときは、何かはまってやれるものがないのだと思います。
やるべきこと――義務をやるのは大切だけど、それ以外の時間に趣味とかするのは重要だと思います。何かしら生きがいや趣味があると、義務をこなすもうまくいく。
義務を上手くいかせるためにも、余暇の時間に「機能する心」を楽しませて何かに従事させませしょう。
はまって読めるなら、ラメッシやラーマクリシュナを読んでもいいし、楽しくできるならヨガや座禅をしてもいいし、ジョジョを読んでもいいと思います。



どうでもいいけど、いつかスピ系の「インドもの」には萌えがないとの暴言を吐いたのですが、萌え発見。
このクリシュナの絵はDhrti Dasiという人が描いたそうなんですが、BLのキャラのようでツボです。

クリシュナ

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