心が元気になる話

心が元気になる話

心が元気になれば、毎日の生活も、仕事も勉強も楽しくなってくる!
そんな元気のもとになるお話を発信したいと思っています。

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<秋田名物の秋田内陸縦貫鉄道の角館駅>

お久しぶりです!!
春に新しい仕事を初めて以来、すっかり忙しくなって更新していませんでしたが、
夏休みの旅行で、せっかく写真を撮ってきたので、
久しぶりに書くことにしました。


<車窓からの田んぼアート>

行った先は秋田。
友人の家に行くため、角館から秋田内陸縦貫鉄道というローカル電車に乗りました。

数時間に一本しか走らない、秋田の山奥を縦断する一両電車。
途中、田んぼアートがあったりすると、車内放送があって、
わざわざ観光客が写真を撮影できるよう、
電車が一時停止までしてくれたのでびっくりでした。


<秋田で一番高いところにある駅>

ほとんどの駅は無人駅ですが、
それぞれの駅に説明がついていて面白かったです。

それでは、その旅について書いたメルマガの記事をお届けしますね。

<心元気メール> No.685 2015年8月24日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆夏の終わりに◆◆

夜になって鈴虫の音が聞こえるようになると、
もう夏も終わりなんだなぁ・・・と実感します。

そして、今日から息子も学校が始まり、夏休みも終了です。
子どもの夏休み中、メルマガはお休みさせて頂いていましたが、
また再開できそうです。

それにしても、今年の夏はいろいろなことがありました。
夏のはじめに、市が発行するプレミアム商品券を購入しに行ったらすごい行列で、
なんと3時間も炎天下で並ぶはめになってしまい、
そんなこと予想もしていなかった私は、帽子も水筒もなく、
家に帰ってから、完全にダウンしてしまいました。
たぶん、熱中症になっていたのだと思います。

回復するのに4-5日かかって、
その後も、連日の暑さの中、配達の仕事があったので、
それをこなしながら、夏休み中の家事をするのが精一杯でした。

でも、楽しいこともいっぱいありましたよ。
一つは、息子と一緒に秋田の友人宅に五日間ほど行けたことです。

息子は、高校二年生。
来年の夏は、もう受験生なので、どこにも行けないことでしょう。
そして、大学生になったら、もう親元を離れていくかもしれない息子・・・
そう考えると、親子でどこかに行けるのは今年が最後かもしれないと思うと、
母親としては、何か特別なことがしたくて仕方なかったのですが、
息子の方は、親と出かけるなんて興味のない話・・・

ところが、神様は私の祈に答えて、
息子も私も、両方が楽しめるプランを備えて下さっていたのです。

夏休みが始まる前、私は息子に尋ねました。
「夏休み、どこか行きたいところある?」

すると息子の答えは、
「秋田のY君のところ!!」

そこには、長年、家族ぐるみでお付き合いをしている、
とても親しい友人が大家族で実家の超田舎に引っ越して暮らしています。


<友人家族が住んでいる村>

Y君兄弟は、皆、息子の幼なじみなので、
そこなら、息子は自分の友だちと一緒に楽しい時間を過ごせますし、
私も自分の大切な信仰の友であるY君の両親とおしゃべりができます。
つまり、両方にとって、楽しみなことがあるのです。

そこで、友人の家の都合を尋ねてみると、
なんと私たちが行こうとしていた日程の最後の方に、
東京からの大学生たちが泊まりに来て、
過疎化しているその村で、
ボランティアをする企画があることを知りました。

そして、その企画を、息子の友だちのY君が主体となって計画しているということで、
息子も活動に参加させてもらうことになりました。


<田沢湖の湖水浴場>

というわけで、初日は友人家族が私たちを田沢湖に連れて行ってくれ、
初めて湖で泳いだり、みんなで温泉に行ったりして、
息子も私も沢山楽しい時間を過ごすことができました。


<田沢湖の水はこんなにきれいでした>

行き帰りの車の中では、息子とY君が、
自分たちのお気に入りの歌を歌い続けていて、
私はその声を聞きながら、
家族ぐるみで付き合える友人がいることの祝福を、
感謝せずにはおれませんでした。


<山の上から見下ろした田沢湖>

さて、最後の二日間は、
ボランティアに来た10人ほどの大学生たちと一緒に食事をし、
息子は彼らと一緒に、村の公園整備の作業をしたり、
村の夏祭りのための踊りの練習を見に行ったりしていました。


<大学生たちと一緒のボランティア作業>

息子にとっては年上の大学生たちと活動を共にするなんて初めての経験でしたが、
みんな優しく息子を迎え入れてくれ、
帰りには大学生とすっかり友だちになっている息子を見て、私は嬉しいばかりでした。

私はと言えば、ボランティアの若者たちの食事作りを手伝いながら、
久しぶりに大学生たちといろいろ話すことができて、
とても新鮮な気持ちになりました。

ボランティアを専攻している学生さんだけあって、
みんなとても優しく、物事を深く考えている人たちもいました。
大学の課題で、聖書に関することで意見をまとめなければならないこともあるらしく、
私の得意分野について、何人かの人たちとは深い話ができたことも嬉しいことでした。

秋田から帰ってきて、息子と一緒に出かけられたことは、
何日もの間、親子の間に共通の話題をもたらしてくれました。
主人が仕事の都合で一緒に行けなかったことは残念でしたが、
こうして神様が、両者にとって思い出に残る楽しい夏を下さったことに、とても感謝しています。

単なる旅行よりも、こうした人との出会いがある旅は素晴らしいものです。
ボランティアをしにきた大学生たちにとっても、
その村での人との出会い、
そして企画しているその家族との出会いが、
何よりも心に残ることとなっているようです。

新しい人と出会い、その人たちと心の絆を築いていくということは、
お金では得難い豊かさを人生に与えてくれることに、改めて気付かされました。

私たちが、日々の生活の中にあっても、
自分のいつもの輪の中だけに留まっているのではなく、
もっともっと、このような心の絆を広げていくことができますように!!

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先週は水戸に行ってきました。
そこでいい写真を撮ってくることができたので、
今日はその時の写真をアップしていきますね。



こんなふうに、一本の木で違う色の花が咲いているものもありました。



<心元気メール> No.666 2015年3月25日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆自然と生き物◆◆

先週末は、久しぶりに丸一日お休みが取れたので、
主人と二人で水戸の偕楽園に梅を見に行ってきました。



梅の花には、桜のような華やかさはありませんが、
一つ一つの花を写真に撮ってみると、
そこには何とも言えない愛らしさと美しさがあります。



偕楽園は、日本三大名園の一つというだけあって、
園内には100種3000本以上の梅が植えられていて、
花の写真を撮っている人たちが随分といました。



また、隣にある千波湖には、白鳥や黒鳥はじめ、いろいろな水鳥たちがいて、
そこは、私のお気に入りスポットです。
中でも一番の楽しみは、黒鳥のヒナを見つけること。



千波湖畔では、黒鳥があちこちに大きな巣を作り、卵を温めています。
そして運がいいと、お母さん鳥のお腹の下から、
かわいい顔を出しているのが見られるのです。
また、天気が良ければ、ヒナたちがお母さん鳥と一緒に泳ぐ姿を見ることもできます。



今回も、私たちは、そんな場面に遭遇することができ、沢山写真を撮ってきました。
真っ黒いお母さんのお腹の下から、
白いふわふわの産毛の小っちゃな頭が顔を出す時には、
やっぱり、何度見ても感激しますねぇ。



私たちが近づいて撮影していたので、お父さん鳥が心配して戻ってきました。
でも、この公園の鳥達は、人間に危害を加えられることがないためか、あまり人を警戒しません。
ある鳥は、人の手から喜んで餌を食べたりもしています。
でも、どの鳥も湖に自然に生息しているので、とってものびのびしていて、見ていて気持ちがいいものです。


自分の住む家の周りでは、なかなかこういう生き物たちには会えないので、
たまにこういうところに行くと、本当にリラックスします。
美しい花や、かわいい動物たちに出会えて、感謝の一日でした。
ぜひ皆さんも、自然や生き物とふれあう時間をとって、癒やされて下さいね。


<卵を守っているお父さん鳥とお母さん鳥>

「生命は、神の存在の証拠である。
なぜなら、生命こそが奇跡だからだ。

一羽の謙虚なニワトリは、毎日、創造の驚異を産み出している。
美しい楕円形の卵だ。
この小さな卵一個でさえも、神の創造の驚異である。

完璧性、系統性、調和性、協調性、統一性、均衡のどれをとっても、
創造物はすべて神の存在を示している。」
-- デービッド・ブラント・バーグ



「神の創造物全体が、
その愛のメッセージを映し出す芸術である。」
-- ビオラ・ワルデン



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庭では真っ赤なラナンキュラスの花が、まるでバラのように咲いています。
赤い花、何か命を思わせるものですね。

明日で、もう震災から4年になりますが、
ちょうど去年の今頃メルマガで書いた記事に、
ぜひこの時期に、皆さんに読んでほしい言葉を載せてあったので、今日は、それをお届けしたいと思います。

<心元気メール> 2014年3月10日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆天国での再会◆◆

東日本大震災から、もう三年になります。
時の過ぎゆくのは本当にはやいものです。

でも、それに比べて、復興にはまだまだ時間がかかっています。
そして、砕かれてしまった心が癒やされるためには、
どれほどの時間がかかることでしょうか。

震災でなくても、大切な人を失うという経験は、
誰にとっても辛いものです。

でも、いつか再会できると知っているなら、
残された者たちにとって、地上での人生はもっと恵みに満ちたものとなることでしょう。

そこで今日は、大切な人が天にいるすべての人のために、
特別に制作された『旅立ち』という本からの言葉をお届けしたいと思います。

実は、この本は東日本大震災がきっかけで作ることを決めた本でした。
あまりにも突然、大勢の人が亡くなり、
私は自分には何ができるんだろうと考えていました。

その時、この「心元気メール」を始めることを決意したのですが、
それと同時に、大切な人を失ってしまった人のために、
真の希望と慰めを届けることができるような本も制作したいと思ったのです。

外国には、そういう本が幾つかありますが、日本ではそのような本がありません。
あったとしても、何か小難しい内容になっていたり、特定の宗教の話が多かったりして、
大切な人を失って心砕かれてしまったような時に読める内容にはなっていません。

それで、いろいろな本を調べて、日本の人たちにとっても分かりやすく、
かつ、そのような時に真に慰めをくれるような言葉を集めて、
名言集と詩による小さな本を作りました。

本当はもっとはやくに仕上げたかったのですが、
製作中に私の母が亡くなったり、いろいろなことがあって、だいぶ時間がかかってしまいましたが、
母を見送るという私自身の経験を経て、
最初は予定していなかった新しい言葉も付け足すことができました。

去年の暮れに印刷されたばかりの本ですので、
これから、一人でも多くの人の心の癒しにつながってくれればと願っています。

それでは、その本からの言葉を少しだけ紹介させていただきます。


「逢いたくて逢いたくてたまらない愛しの人が天国にいるならば、
悲しまないで、いつかまた会えるのだから。
あの懐かしい声を、もう一度聞くことができる時がくる。
地上で愛したその人は変わることなく、
再び会う時にはすぐその人と分かる。
その時には、もはや別れはない。
あなたの大切な人は、しばしの間いなくなっていただけなのだ。」
--- H.ロッキー


「死は、人を隠すが、別つことはしない。
その人はただ、
すぐそこにある目に見えないベールの向こう側に行っただけ。」


「ああ、向こう側はとても美しい。」 
--- トーマス・エジソン (米国の発明家)


「死とはただ、
人間がこの世に入ってきたドアからまた出て行くことだ。」
-- ジョージ・パットン (米国の将軍)


「死ぬことは、ちょっと暗い階段を通って、
明るい見事な二階に上っていくようなものなのです。」
-- 山室 軍平 (日本人初の救世軍士官)


「古い身体を脱ぎ捨てて天で新しい身体をまとうのは、
長年乗りこなしてきた愛車を後にして、
新しい車に乗ることに似ているのではないでしょうか。
肝心なのは運転主である魂であって、魂は永遠なのです。」


「人は死んで初めて完全に生まれ、
死を通して、決して死ぬことのない世界に新しく誕生する。」
-- ベンジャミン・フランクリン (米国の政治家、科学者)


それでは次に、その本にある私の大好きな詩を紹介しますね。

<出帆>

私は今、岸辺に立っています
すると一隻の船が
白い帆に朝の潮風を受けて沖に向かって行きました
水平線のかなたに消えゆく船の姿を見ながら
誰かが言いました
「船は行ってしまった」
船はどこに行ってしまったのでしょう
私にはもう船は見えません
でも、船がなくなってしまったわけではないのです
「行ってしまった」と言う時
向こう岸では、誰かが船が現れるのを見て声をあげます
「船が来た!」と
死とはそのようなものなのです
 -- ヘンリー・スコット・ホランド (英国の神学者)


「向こう側の世界、見知らぬ世界
だが、本当は見知らぬ世界ではない
私の愛する人たちが住む場所だから
ほんの少し息を止めて小さな海原を渡ると
その向こうには、そう、私の愛する人たちが待っている
以前にも増してずっと美しく素敵になった私の愛する人たちが」
-- エラ・ウィーラー・ウィルコックス (米国の詩人)

「天国には、『さよなら』はない。」
***

私の母が他界した時にも、
これらの言葉がどれほど私の心を慰めてくれたことでしょう。
このブログを読んで下さっている方にとっても、
これらの言葉が慰めとなりますように。

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庭にクロッカスが芽を出しました。
もう春もそこまで来ているんですね。



枯れているように見えた植物の根元からも新しい芽が出ています。
やっぱり春は希望の季節です。



庭のあちこちから水仙の芽が出ています。
こういうシンプルな自然を見ていると、何か心がいやされます。
そこで今日は、シンプルさにちなんだ記事をお届けしますね。

<心元気メール> No.147 2011年8月24日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆大切なことはシンプル◆◆

今日は、何かのことで行き詰っている時、
または、なんか疲れてしまったなぁというような時に、ぜひ覚えていてほしい言葉をご紹介します。

「神の偉大さは、大切な事柄をとてもシンプルにされたことだ。」
とある人が言いました。

これは本当に素晴らしいことだと思いませんか。
神様の答えは、普通、シンプルなのです。
それは、誰にでも理解でき、誰にでも実行できるためなのです。

もし、人生で大切な事柄が難しいものであるならば、
多くの人はそれを実行できず、的を外した人生を送ることになってしまいます。
でも、神様はそんな風に物事を非情にはされませんでした。



聖書の中にも、人生で一番大切なのは、次の二つだけだとあります。
それは、「神を愛することと、自分を愛するように他の人を愛すること。」

だから、どうしたらいいか分からなくなってしまったら、
「ただ、愛しなさい。」
それが、答えなのです。

まわりの人に愛を示すには、いろいろな方法があります。
こうしなければいけないという決まりはありません。
自分なりの方法で、そして、神様が各々に教えて下さる方法で誰かに愛を示すなら、
それだけで、人生で一番大切なことをしているのです。
もしかしたら、それはほんの小さな一言を言うことだけかもしれません。
そう考えたら、少し肩の荷がおりるのではありませんか?


でも、もう一つの「神を愛する」というのは、
日本人にはちょっと、馴染みのないものかもしれませんね。

そんな時には、ただ神様に感謝していることを言ってみて下さい。
心から神様にコミュニケーションすること、それが祈りです。

人が神様に心を開き、思っていることを正直に言って、
神様からの愛と恵みを、ただ信じて受け取ってくれる時に、神様は一番喜ばれます。
それが、信仰なのです。

それって、人間同志の関係と似ていませんか?
「愛すること」、「信じる心を持つこと」、そして「神様とコミュニケーションすること」、
それが、神様が人々に一番望んでおられることなのです。
そう考えたら、「神様を愛する」ということも難しくなくなってきますね。

だから、人生で大切な物事は、私たちが頭で考えるほど複雑なことではありません。
むしろシンプルすぎて、受け入れ難いのかもしれません。

この「シンプルな大切なこと」を実行することで、
皆さんに、より幸せで充実した人生がありますように!


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今、ギョリュウバイという花が満開です。
梅の種類ではないのですが、ちょっと梅にも似た小さな花です。



うちにあるのは、ピンクと白の二色。
真冬から春まで咲いているので、はやく大きな木になってくれるといいなぁと思っています。



<心元気メール> No.596 2014年3月16日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆姿を変えた祝福◆◆

私は近年、どんなに新しいメガネを作っても視力が出なくなってきています。
ひどい近視と同時に、緑内障や白内障があるので、
もうメガネをかけても、願っているようには見えないのです。

その上、お医者さんには強度の近視の人の場合、手術のスクが大きいので、
これ以上進まないように気をつけないと大変ですよと言われています。

それにしても、読んだり書いたりが多い私にとって、目の不調は本当に煩わしいものです。
人に会っても、はっきり顔が見えないので、なかなか顔を覚えられないし、
プールにいる時など、周りにいるのが誰なのかは、相手の水着の色で判断する始末・・・

でも、毎日つきまとうこの不便さに嘆いていた時、
私は次の話を見つけて、あることに気づき始めたのです。

***
セオドア・ルーズベルト元大統領は、晩年、極度の近眼になっていた。
いつも度の違う眼鏡を二つ携帯していたといわれる。
一つは近くの物を、もう一つは遠くの物を見るために。

彼は最後の選挙運動中、ミルウォーキーの町でシュレンクという男に撃たれたが、
傷の治療にあたった外科医は、彼が一命を取り留めたのは、
いつもベストのポケットに携帯している眼鏡のお陰だと言って、壊れた鉄製のメガネ・ケースを手渡したのだった。
つまりそのケースがあったために、弾丸の力がそがれ、進路が変わって心臓をはずれたのである。

「さてと、奇妙なこともあるもんだ。」

ルーズベルトは、粉々になったメガネの入ったケースを受け取りながらつぶやいた。

「いつも眼鏡を二組も持ち歩かねばならないことを、
特に、このケースに入った重い方をいつも持ち歩かなければならないことを、
私はかねがね重荷やハンディだと思っていた。
ところが、そのお陰で、命拾いするとはなぁ・・・」
***

同じような目の問題を抱えていたこのルーズベルト大統領の話は、
私が自分の目のことで、もっと違う見方をする助けになりました。

この話を読みながら、私は考えてみたのです。
目が悪くなったことで、何かいいことあったかなぁ・・・

目が悪いことの不便さは、言われなくても簡単に気づきます。
でも、悪い状況の中に良いことを見つけるのは、意識して、よく考えないと出てきません。

それで少し時間はかかりましたが、
それでも、よく考えてみると、思ってもいなかったことが、次から次へと出てきました。

その一つは、目が不便になってから、
コンピューターの前に座っている時間が短くなったことです。

目に良くないからというよりも、
よく見えないので、読むのが面倒になってしまい、集中力が続かないのです。
それで、ちょくちょく、お茶を作ったり、家事をしたりしながらコンピューターに向かいます。

でも実は、それが私の頭痛の軽減につながっているようです。
私は何でも集中し始めると、こんを詰めて仕事をしてしまう性格で、
途中で休憩もせず、ぶっ続けで仕事をしてしまいます。

それをコンピューターに向かってしていたら、頭痛になってしまうのは当然ですし、
身体にもよくないのは分かっているのですが、
ついつい集中してしまうと、気づかぬ内に時間がたってしまうのです。

でも、この目の問題のおかげで、
最近では、程良いところで集中力が切れるようになってきました。

もう一つ、気づいたのは、
もう何年もすれば、もっと視力が出なくなるかもしれないと思うと、
今、見える間に、見えるもの全てを楽しみたいし、感謝したいという気持ちになることです。

そうやって周りを見回してみると、
この世界には、美しいもの、素晴らしいものがたくさんあります。

きれいな景色は、余計美しく見えるし、
ステキな笑顔は、もっとステキに見えてきます。

人間とは不思議なもので、そこにタイムリミットがあると知っていると、
もっと物事を感謝するようになるようです。

考えてみれば、私たちの人生そのものが、タイムリミットつきですよね。
でも、どういうわけか私たちは、それを忘れて生きてしまい、
ある日突然、そのタイムリミットに直面することがあります。

もしかしたら、時には、自分の人生にも、相手の人生にも、
タイムリミットがあるんだ、ということを思い出してみるのも大切なことなのかもしれません。
そうすれば、周りの世界に、いつもとは違った輝きを発見することでしょう。

というわけで、私の目の問題は、
私の人生に、今までとは違った輝きをもたらしてくれました。

『問題とは、姿を変えた神からの最高の祝福であることがある。』

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やっぱり、黄色の花を見ると明るい気持ちになりますね。
この花の名前は、ゴールデン・クラッカー。
意味は金色の花火って感じかな。
本当に枝の形と花の付き方が花火みたいにパッーとしています。
寒い時期に咲いてくれるので、私のお気に入りの花の一つです。

今日は、この花みたいに元気の出る記事をお届けしましょう。

<心元気メール> No.651 2015年2月1日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆魔法の薬「喜ぶことを選ぶ」◆◆

「喜ぶことを選ぶ」、英語では「Choose Joy!」
これは、今年私が、一年間心に留めておく標語として選んだ言葉です。
今日は、どうして私がこの言葉を選んだかをお話ししましょう。

私は小さい頃から、どちらかというと繊細な心の持ち主だったようです。
ちょっとのことで感動し、小さな物事の中に、いろいろなことを発見しました。
そして、外見は元気で明るく、優しい性格と言われていました。

でも、多くの時、私は心の中で簡単に傷ついたり、
いろいろなことで不安を感じたり、
理想とはかけ離れている自分の心を見て自己嫌悪に陥ったりと、
いつも葛藤と悩みを抱えていました。

聖書の言葉を理解するようになり、信仰を持つようになってからも、その葛藤は続きました。
繊細であるという性格は、簡単に変わるようなものではないからです。

何かのことで心が傷つくと、私はその傷をずっと引きずってしまう傾向がありました。
そして、特に身内や身近な人からの言葉が大きく影響することに気付いたのです。

自分にとって大切な人や愛する家族からの言葉が、
これほども自分の一日に大きく影響するのかと驚くほどのこともありました。
相手は大した意味もなく言っていると知っていても、
自分はすでに傷ついてしまっているのですからどうしようもありません。

私は何度も何度も、ただそういう状況から逃げようとしたり、
自分の傷を無視しようとしながら、放っておきました。
でも、結果はいつも散々たるものでした。

私はその傷のことでずっと苦しみ、
「何であんな・・・」というような沸々する思いは、いつの間にか苦いものに変わり、
自分を暗い穴に閉じ込めてしまっていたのです。

それなのに、言った相手はそのことに気付いてさえいない・・・
結局、バカを見ているのは自分だけという典型的なパターンです。

時間がたってよく考えれば、もともとは大したことではないと自分にも分かりますし、
そんなことで傷つく方が問題なんだとも感じられてきます。
でも、そこに至るまでに貴重な時間は失われてしまったのであり、
私にとって、その『失われた時間』は現実のものでした。

ちょっとしたことが原因で、自分の一日が真っ暗になってしまうなんて、
考えてみたら、ホント、もったいないことです。

でも、今までの人生をふり返ってみると、
どれほど自分がちっぽけなことで傷つき落ち込んでいることで、
「幸せに過ごせたはずの時間」を無駄にしてきたかに気付きました。
そして、もう、そんな無駄はしたくないと思ったのです。

ちょっと目をあげて上を見上げれば、
ちょっと気分転換を計って、物事を別の角度から見るようにするなら、
ちょっと怒りを沈めて、相手の良いところを思い出すようにするなら、
ちょっと謙遜になって、正直に気持ちを打ち明けたなら、
あんなに長い時間、暗い気持ちで過ごさずにすんだかもしれないのです。

そのためには、暗い方へすべり落ちていく時、
このままではいけないと気付いて、その思考を一瞬でもいいので止め、方向転換する必要があります。
つまり、どちらの道をゆくか、心の中で選ぶのです。

「私はこのまま落ち込む方へなんか行かないぞ。
反対方向に行く、元気の出る方へ行くんだ。」と。

何か良くないことが起こったり、傷ついてしまったりする度に、
意識的にどちらの道をゆくのか選ぶのです。
それが早ければ早いほど、暗い時間は短くなります。

良くないことや傷つくようなことに遭遇しない人なんていません。
だから、気分に流されて道を選んでいる限りは、
落ち込む道に行ってしまうことが多くなっても当然なのです。

特に繊細な私にとっては、そのリスクは四六時中あるわけです。
こうなったらもう、自分で自分の心を守る方法を知る必要があります。

だから、自分の幸せは、
自分の心がどちらの道を選ぶかにかかってと気付いたのは、本当に大きなことでした。

最初は、心から喜んでいるとか、幸せだなんて感じられなくても、
ただ、「喜ぶことを選ぶ」という決断をした段階で、
物事はだんだん良い方向へと進んでいくことが分かりました。
そして、その行き着くところが、真の喜びや幸せなのです。

一度正しい方向へ行く決断をするなら、
たとえ傷ついたり、自分にとっては嬉しくない状況の中にあっても、
もっと感謝したり、賛美したりすることができるようになっていきます。
そうやってする賛美や感謝は、更なる喜びや平安を心に流れ込ませる呼び水のようなものです。

物事は、すぐには変わらないかもしれません。
でも、だんだん落ちて行く道にそのまま留まっているのか、
それとも、だんだん軽やかになって上昇する道に切り替えるのかは、
自分の心の中での選択なんだということがわかった今、
私は、それを忘れたくないと思い、一年の標語としたのです。

喜ぶことができるのは、喜べるような状況にあるからではなく、
喜ぶことを選んだ結果なのだと知ったことは、
傷つきやすい心のための『魔法の薬』を発見したような感じです。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることである。」
(聖書 第一テサロニケ 5章16~18節)


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シクラメンの間に、まだバラが咲き続けています。
バラって、寒さにも暑さにも強いんでびっくりしました。

ところで、ニュースを見ていると、悲しいことばかりが続いています。
でも、寒い冬にも咲く花があるように、
どんなに暗い状況の中にも、
何か貴重なものや美しい心を見つけることができるような気がします。
そして、それを見つけたなら、大切に育てていきたいものです。

そんなことを考えながら、今日は次の記事を読んでみてください。

<心元気メール> No.652 2015年2月4日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆決して無駄にはならない◆◆

「あんなに一生懸命祈ったのに・・・」

何かのため、または、誰かのために心から祈っていたけれど、
望んでいるような結果とならないと、私たちの心は沈みます。
そして時には、祈ったにもかかわらず物事がうまく行かなかったことで、
無念な気持ちにおそわれ、信仰が揺らぐこともあるかもしれません。

たとえば、今回の後藤さんの解放についても、
世界中で大勢の人たちが祈ったり、抗議運動をしたりしてきましたが、
皆が望んでいるような結果とはなりませんでした。
ご家族や親しい人たちの気持ちを考えるといたたまれないものがあります。

この残念な結果を見て、後藤さんのために祈られた祈りは、
無駄になってしまったのだろうか・・・と感じる人もいるのではないでしょうか。

でも、そのことを考えていた時、神様はとても大切なことを思い出させてくれました。
それは、「どんな祈りも、決して無駄になることはない」という真実です。
でも、どうして「決して無駄にはならない」と言い切れるのでしょうか。

それは、神様が聖書で約束されているからです。

「だから、愛する兄弟たちよ。
堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主(神)のわざに励みなさい。
主(神)にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」
(聖書 第一コリント書 15:58)

この言葉は、神様への奉仕だけを意味しているのではありません。
祈るということも、「主のわざに励む」方法の一つだからです。

特に、誰かのために、心からのとりなしの祈りをするということは、
時間もエネルギーも必要とされることであり、
そのことについて聖書は「あなたがたの労苦は無駄になることはない」と約束しているのです。

とは言っても、叶えられなかった祈りが、どうして無駄になっていないと言えるのでしょうか。
そこには、深い奥義があります。
それは、神様はその祈りのエネルギーを変換することができるということです。

思慮深い神様は、人間の祈りを、いくつもの良い理由から、その言葉通りには叶えられない場合がよくあります。
でも、そういう時には、それらの祈りのエネルギーを、
神様が一番良いと知っている解決策のために転換して使って下さるのです。

たとえば、私たちが誰かの病気の癒しのために祈っても、
その人は、望んでいたような形で癒されることはなく、病気のままかもしれませんし、
もしかしたら、天に召されるかもしれません。
でも、その祈りのエネルギーは、別の形に変換されて、その人に何らかの良い影響を及ぼすのです。

たとえば、その人が病の中にあっても、または死の淵にあっても、
超自然的な恵みに満たされて心に平安を抱いていることができるとか、
不思議なほどに痛みを感じないとか、
または、その人が一番望んでいた別のことが叶えられるとか、
どんな形にその祈りが変換されるかは私たちには分かりませんが、
神様は、その人にとって一番必要であり、最善であると知っていることのために、
そのエネルギーを変換されるのです。

私の父が、ガンで天に召された時にも、そのようなことが起こりました。
私たちは父の癒しのために、毎日、毎日、祈り続けてきましたが、
私たちの願いとは裏腹に、神様は父を癒やされず、あっという間に天に連れて行かれてしまいました。

でも、不思議なことが沢山起こったのです。
父は、あんなにひどい末期のガンだったにも関わらず、とても安らかな闘病生活を送り、
病院での生活も、とても心満たされる時間を送ることができたのです。

天に召されたその日も、大好きだったぶどうを一口食べて、
「あー、美味しかった」と言って、その後、すーっと眠るように旅立って行きました。

あまりにもあっけない死に、私たちは戸惑いましたが、
それは医者から聞かされていたような壮絶な戦いの末の死ではなく、
本当に安らかな闘病生活と安らかな旅立ちでした。
ほとんど薬も使っていなかったというのに、そのように過ごせたことは本当に奇跡でした。
それはきっと、私たちの祈りを神様が変換して下さった結果なのだろうと、私は心から感謝しています。

人間は、地上で起きている目に見えることしか理解できません。
でも、世界は目に見えるものだけで構成されているわけではないのです。
目に見える世界の背後には、目に見えない広大な霊の世界が広がっていて、
祈りとは、その両方の世界全体で作用する力なのです。

だから、時には目に見える世界にその結果が現れる時があるものの、
多くの時には、ただ見えない背後の世界で作用しています。

今回の後藤さんの場合も、世界中で祈られた祈りは、
必ず何らかの作用をもたらし、霊の世界で大きく物事を動かしたに違いありません。
ただ、私たちはそれを肉眼では見ることが出来ないのです。

後藤さんは、世界の平和を心から願い、弱い人たちがより良い生活ができるようになることを願っていました。
だから神様は、もしかしたら、後藤さんのために祈られた祈りのエネルギーを、
そのような後藤さんの心の願いを叶えるために変換して下さるのかもしれません。

後藤さんは、命がけでそこへ行きました。
もしかしたら、後藤さんの心は、自分の命よりも、世界の平和や弱者の救済を願っていたのかもしれません。

後藤さんのことを思う時、聖書にあるこの有名な言葉を思い出します。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」(ヨハネの福音書12:24)

後藤さんの死を通して、また、祈られた多くの祈りを通して、
きっと神様は、見えないところで真の世界平和のために働きかけて下さっているのだと思います。
そして、いつか私たちは、決してそれが無駄ではなかったことを知るでしょう。

「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。」
(聖書 ローマ書12:12)

「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」
(聖書 ヨハネの福音書14:14)

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冬場は霜で花が枯れてしまうので、今年は何種類かの葉牡丹を植えました。
寒い中でも元気に育って、庭を明るくしてくれています。



この茎が長く伸びる葉牡丹は、まるでバラの花みたいで素敵です。



この葉牡丹も、気に入っています。

それでは、最近メルマガに書いた記事をお届けしますね。



<心元気メール> No.649 2015年1月19日 発行人:リジョイスY.C.
◆◆今日は誰のために?◆◆

皆さんは、朝、目が覚めると最初に何をしますか?
私は目覚ましが鳴って、すぐに起きられるタイプではありません。
身体が硬くなっていて、すぐには機能しないようです。

そこで、まずはベッドに横になったまま、たいていは何か祈っています。
「今日も一日、私たちを導き、お守り下さい。」とか、そういう簡単な祈りです。
そして、「起き上がるための力を下さーい!!」と言わなくてはならないこともよくあります。

でも最近はそれに加えて、神様にこんな質問をするようになりました。
「今日は、誰のために祈りましょうか?」

なぜかと言うと、今年私は、自分のスピリチュアル・ゴールとして、
「毎日、誰か新しい人一人のために祈る」ということを決めたからなのです。

それは、少し前の記事に書いた『一日一人』についての言葉からヒントを得たものでした。
オリジナルの言葉は、
「毎日少なくとも、一人の人を喜ばせると決意してごらんなさい。
すると、10 年もすれば 3650人を喜ばせることになる。
それは、喜び基金に寄付して、小さな町全体を明るくするようなものだ。」
--- シドニー・スミス (1771-1845)
というものです。

私はそれを応用して、こう考えてみたのです。
「毎日、普段は祈らない誰か一人の人について、集中した祈りをしよう。
そうすれば、一年間で365人の人生に、何か素晴らしいことが起こるに違いない。」

祈りには、人の人生を変えるほどの力がある、と信じている私にとって、
誰かのために祈ることは、その人のために何かの行動を起こすことと同じです。

クリスチャンとして、私は今までも沢山の人達のために祈ってきました。
仲間の間で回される祈りのリクエストには、常に様々な人たちからのリクエストがあるし、
もちろん、自分の家族や親戚、身の回りの人たちのためには、リクエストがなくても祈るのが長年の習慣です。
でも、正直言って、時々自分の祈りがマンネリ化していることにも気付いていました。

ところが、この新しいゴールを実践し始めてみると、
私のスピリチュアル・ライフに新風が吹き始めたのです。

リクエストに応じて祈る祈りは、たいてい病気の癒しとか、困った状況のため、
必要が供給されるようにとか、自分の仕事に関するものなどでした。
となると、何となく祈り方が似通ってくるのです。
つまりそれは、助けてほしいとか、守ってほしいというタイプの祈りです。

ところが、リクエストが来たからではなく、積極的に考えて祈る場合、
何かが違うことに気づいたのです。

主が祈るように示されるのは、友人の場合もあるし、近所の人や出会ったばかりの人、
時には、個人的には知らないテレビに出ていた人とか、有名人の場合もあります。
私はその人たちのことで、ただ何でも思いつくことを祈ります。

「この人の一日が幸せでありますように」とか、「この人の夢が実現できますように」、
「この人の才能が活かされて、多くの人たちの祝福となりますように」とか、
「この人が人生で正しい決断を下し、神様の愛を知ることができますように」というような感じです。

そして、一日中、何回でも思い出すたびにその人のために短く祈ります。
別に特別な場所で祈るわけではありません。
ただ、歩いている時、電車の中で、お風呂やトイレの中などでも祈ります。
神様が気にされるのは、場所や形式ではなく、祈る人の心だからです。

そして、同じ内容の祈りを繰り返していても面白くないし、
一度祈るなら神様はすでに聞いて下さったと信じるので、
祈る度に内容はどんどん具体的になっていきます。

たとえば、
「その人が、家族と良いコミュニケーションがとれて、満足な家庭生活を持てますように」とか、
その人が独身なら、「いつか良い人が見つかって幸せな結婚ができますように」とか、
「忙しい中にあっても、リラックスして楽しめる時間も持てますように」とか、
「その人が、自分の人生に良い影響をくれるような人と出会えますように」みたいな感じです。

こんな祈りをしていると、何かだんだんその人のことを親身に感じてきて、
もっともっと祈りたい気分になることもあります。
そして、いつの間にか、自分自身も幸せな気持ちになっていくのです。
これは、本当に不思議な効果です。

それで思い出したのは、
「他の人のために祈る時、その祝福はあなたにも降ってくる。」
という名言です。

それにしても、リクエストが来てから祈る祈りと、この祈りとでは何が違うんだろうと考えていました。
今までは、時々、あまりにも多くの重たい内容の祈りのリクエストが連なっていると、
何か祈っている自分の方も、重たい気持ちになってしまったことがありました。

でも、今年始めたこの祈り方は、
私にインスピレーションとビジョンを与えてくれるものとなっているのです。

そして思ったのは、
『守勢の祈り』と『攻勢の祈り』との違いなのではないかということです。

普通、皆にリクエストが回されるほどの内容だと、
状況はすでにとても深刻になっていたり、急を要する場合が多いもので、
それらについて、心からのとりなしの祈りをするのはとても大切なことです。

でも、祈りがそれだけであるなら、
私たちはいつも守勢の状態にあるのではないでしょうか。
だって、問題が起こってから、助けてほしいと言っているわけですから。

誰でも知っているように、守勢の戦争に勝つことはできません。
悪いことが起こっていなくても、祈る必要が見えなくても、もっと積極的にいろいろなことについて祈る時、
私たちは、攻勢に出て、誰かの人生や、この世界をより良い場所にすることができます。

この攻勢に出る祈りは、『祝福の祈り』とも呼ばれています。
誰かの人生に良いことが起こるようにと祝福を求める祈りだからです。

そして、誰かのために祝福を求めて祈ると、その祝福は、祈った本人にも降り注がれます。
神様の霊的な法則とは、なんと恵み深く、知恵に溢れているのでしょう。

だから、もし私たち皆が、もっと互いのためにこのような祝福の祈りをするなら、
きっと世界は、もう少し愛と平和と豊かさにあふれる場所となるのではないでしょうか。

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花の少ないシーズン、シクラメンのピンクは何とも心を暖かくしてくれます。
これは、先月お友達が下さったシクラメン。
玄関に飾ったら、次から次へとお花が咲いて嬉しいです。

さて、やっとインフルエンザからも回復したので、
今日は、最新の記事をお届けしましょう。

<心元気メール> No.648 2015年1月15日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆理由をはっきりさせると◆◆

今日は、先回お約束したように、
私が今年のゴールをどのように立てたかについて話したいと思います。

私は、人生の各分野について、それぞれ別個のビジョンやゴールを考えるのが好きです。
たとえば、仕事面、家庭生活、個人的なこと、スピリチュアル・ライフなど、
各分野のゴールを一つ一つ決めていくのです。
こうすると、人生をバランスよく組み立てることができます。

でも今年は、もう一つ新しい方法を取り入れてみました。
それは、どうしてそのゴールなのかという理由を明記することでした。
つまり、単に目標を決めるだけではなく、その目的をはっきりさせるのです。

これは、ゴール達成を確実にするための秘訣として、ある記事に出ていたことでした。
人類の歴史を見ると、困難がありながらも大きな目標を達成した人たちというのは、
どうしても目的を果たしたいという理由や必要性、
大義とも言えるようなものをしっかり持っていた、という話を読み、なるほどと思ったのでした。

確かに理由がはっきりしているなら、もっとやる気が出ます。
私たちが簡単に挫けてしまったり、あきらめてしまう時というのは、
「どうして頑張り続けなくてはいけないか」がはっきり見えない時なのです。

「社員のモーチベーションをあげなくては」とか、
「最近の若者にはモーチベーションが欠けている」などという言葉をよく耳にしますが、
しっかりした動機がないなら、仕事や勉強に燃えるような心を持つことはないでしょう。

最近ではよく、「モーチベーション・セミナー」のようなものが開かれたり、
モーチベーションを高めたり、やる気を出させるテクニックが教えられたりしていますが、
真のモーチベーションは、外からではなく、自分の心の内側から来るものです。
本人が自分なりの目的意識を持ち、はっきりした理由を見出すことこそ、
真のやる気と継続するためのガッツや忍耐につながっていきます。

そこで私は、何となく目標にしようかと思っていた事柄について、
どうしてそれを目標にしたいのか、自分の心の中を探ってみることにしたのです。

そのプロセスは、なかなか興味深いものとなりました。
それをすることで、本当に自分が望んでいるものが何なのか、もっとはきっきりしてきたからです。

その結果、
「これは自分にとってはあまり合わない目標だ」と気付いたり、
「これは大した目標じゃないと思っていたけど、本当に意味ある目標だ」と、意欲が新たになりました。

たとえば、正月頃、私の頭にはこんな思いが漂っていました。


「今年は、英語のスキルを上達させることでも目標にしようかなぁ・・・。
でも、今さらこの年になって英語の勉強しても、
時間ばかりかかって大して進歩しないだろうし、今までだって、あまりうまくいったことないし、
まあある程度わかるから、これぐらいでいいのかも・・・。
うーん、でも私の英語、基礎がないから外人さんと何となく話せても、
文法はめちゃくちゃだし、ちゃんとした時には通用しないし、
もう少しちゃんとできたら、もっと自分に自信を持てるかもしれないんだけどなぁ。
だけど、最近はもう、英語話すチャンスもほとんどないし、やっぱ必要ないかも・・・。
あーでも、リスニング能力が伸びれば、英語でしかないオーディオも理解できるようになるし、
ちゃんと勉強すれば、いつかは仕事につながるようにもなるかもしれない。」

こんなふうに思考の中で行ったり来たりしながら祈っていると、
突然神様が、幾つか思ってもいなかった事柄を心に示してくれたのです。

それは、私の健康と将来に関することでした。
私の目は、緑内障と白内障の両方で、読むのがとても不自由になってきています。
また、目を使いすぎることが病気を進行させ、頻繁に起こる頭痛の原因になっているようです。
でも、英語力がアップするなら、自分の心を養うためのものを読むために、もっとオーディオを利用できます。

魂を養うクリスチャン向けのオーディオは、日本語では量が本当に少ないのですが、
英語ならバラエティに飛んだものが沢山あるのです。
だから、もし将来目で読むのが困難になった時、
今のうちに英語力を磨いておけば、その能力は大きく役立つことでしょう。

それに、もう一つ面白いことは、
何か新しいことを学ぶことは、脳を活性化し、老化を防いでくれるという事実です。
特に、たとえうまくできなくても、何かを暗記しようとする時の脳の動きが、
認知症を予防してくれるということが分かってきたそうです。

つまり、英単語や文法を覚えようとする努力自体が、認知症予防になる!!
これは、私にとって、なかなかの良いモーチベーションとなりそうです。

こう書いていると、私の動機は、なんか恥ずかしいものばかりですが、
同時にこういう必要性の強いものは、わりとうまくいくのです。

そこで、まず、試しに一週間だけ、
「成功への秘訣」というバイリンガルの日めくりカレンダーにある英語の格言を暗記することにしてみました。
その方法なら、何も余分の手間暇かけずに、すぐに始められそうだったからです。

うちのトイレには、前からそのカレンダーが置いてありました。
でも、いつもその日本語の部分を見ているだけだったので、覚えたことはありませんでした。
それで今年は、トイレに行く度に、脳トレと思って、その英語を暗記してみることにしたのです。

数日試しただけで、効果は最高でした!!
バイリンガルで書かれているので、意味を調べる必要もなく、文法と単語を学べます。
そして、なんと心の養われることでしょう!!

単に読むよりも、暗記しようとする時には、心の奥にしっかりと入り込んでくるのが分かりました。
これは脳科学でも実証されていることです。
人の脳は、たとえ暗記できなかったように感じても、
暗記しようと何回も反復した段階で、すでに脳の奥に刷り込まれていくそうです。
きっとそれも理由で、神様は聖書の言葉を暗記するようにと教えられているのでしょう。

さて、それ以外にも、私の場合には、おまけの効果がついてきました。
それは、新しい親子の会話のきっかけができたことです。
私は英語の得意な息子に、私が暗記した英語の言葉をチエックしてくれるようお願いしてみたのです。
短い言葉なので、息子は喜んでチェックしてくれました。
高校生の息子とは会話するチャンスがあまりない私にとって、
こういうことを通して小さな会話ができるのは、とても嬉しいことでした。

こうして、実践してみて良い結果が少しでも出てくると、
人間の気持ちと言うのは、どんどん大きく広がっていくものです。
それは小さな始まりでしたが、今私は、もっと大きなビジョンを持つことができ、
英語をしっかり勉強して、将来ここまでできるようにしようと、具体的な目標と計画を立てることができました。

というわけで、自分の目標を吟味し、理由をはっきりさせようとしたことから、
私はいくつもの素晴らしい発見をし、それをしただけでも人生が豊かになった気分です。
もし何となく新年の目標を決め、何となく実行しようとするだけだったら、
きっといつものように、大した進歩もないまま、途中で目標を忘れてしまうことになるのではないかと感じました。

ホント、理由をはっきりさせることが、これほども様々な効果を生むとは驚きです。
これからも、この方法を人生の他の面でも活かしていきたいと思っています。
この体験談が、少しでも皆さんのお役に立てば嬉しいです。

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お友達からもらった冬の植物。
赤い実がなんかかわいいので、毎日見られるトイレの窓辺に置いています。

<心元気メール> No.647 2015年1月11日
発行人:リジョイスY.C.
◆◆インフルエンザでの休養◆◆

お正月が明けた途端、40度近い熱を出して数日寝込んでいました。
喉もひどく痛み、二日間は声さえ出なくなってしました。
病院に行ったら、やはりインフルエンザのA型。
今年も予防接種を受けたのに、またかかってしまった・・・という感じです。

でも、このインフルエンザにかかったタイミングが何とも絶妙で、
本当に神様の愛を感ぜずにはおれませんでした。

先回のメールで、主婦は、冬休みはむしろ忙しいので、
子どもが学校に行き始めたら、ゆっくり一年の計を考えると書いたばかでしたが、
実際私のスケジュールは、冬休みが終わる頃には、配達の仕事も始まるわけで、
そんなにじっくり考える時間があるわけではありませんでした。

ところが、息子が学校に行き始めたその日、
私はインフルエンザになってしまい、配達の仕事はお休みせざるを得なくなり、
家事も、家族にインフルエンザが移らないようにと主人が全部してくれたので、
感染の可能性のある期間、私は部屋で一人静かにしていることになったのです。

最初の三日間は、高熱でほとんどの時眠っていましたが、
熱が下がってからは、本当に久しぶりにリラックスして、
沢山の祈る時間と、心を養うためのオーディオを聞く時間を取ることができました。

熱が下がっても、最初は頭痛が続いていたので、
読むことも書くこともできませんし、私の部屋にはテレビもありません。
やはりできることと言えば、横になってみ言葉のメッセージに耳を傾けたり、
イエス様と心の中でお話しすることだけです。

でもそれは、私にとってものすごく大きな意味のある日でした。
イエス様に、今まで気になっていたいろいろな心の重荷を注ぎ出し、
溜まっていた質問に答えて頂き、新年のゴールと導きを受けることができたからです。

やはり人には、そういう時間がどこかで必要なのです。
まとまった時間をかけ、何にも邪魔されず、しっかり神様に心をフォーカスする時、
神様は答えや道をはっきりと示して下さいます。
そして、普段とは異なるレベルのインスピレーションとビジョンを与えて下さるのです。

どうやら私の場合、一番の妨げになっていたのは、
最近身体的にはだいぶ元気になってきていたことから、
いろいろやりたいことや、やらなければと思っていることが沢山ありすぎて、
なかなか神様の声に集中するのが難しかったことでした。

だから、確かに今回の頭痛と喉の痛みは半端ないものでしたが、
それはまるで、
「ちょっと落ち着きなさい、もう少し天に耳を傾けるために時間を取りなさい」と叱られているようで、
「はーいイエス様、ごめんさない。これからもうちょっと、優先順序を気をつけます。」
と反省の態度になると、突然、天が開けて、
必要としていた恵みとインスピレーションが降ってきたという感じだったのです。

皆さんも、もしまだ、新年のための神様からの導きを受け取っていないなら、
ぜひ、どこかで立ち止まって、しっかり天に耳を傾ける時間をとって下さいね。

それでは次回は、私がこの新しい年にあってどんな導きを受けたかを、
少しだけお話ししていきたいと思います。


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