■がんばる教(ちゃんと教)信者の布教活動。 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

※2014.4.20の記事の再掲


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宗教に布教活動はつきものです。


それは、企業が

宣伝や営業活動をしているのと

何ら変わりません。


競馬や競輪、パチンコも

布教活動していますよね。


「いいものを広めたい」

「一緒に幸せになろう」


という、

ごく当然の活動ですが、

その「内容」によって、


その布教を非難されることもあるわけです。





「友人が新興宗教にはまってしまって、

 お金を山ほど使いすぎて、本業もやめてしまって・・」


とか、いう相談も多いわけです。


この「新興宗教」というのを

「パチンコ」とか「競馬」とか「漫画」とか

「好きなタレント」とか「お酒」とか「自己啓発セミナー」とか

「ボランティア」とか、「ヨン様」とか


そして「仕事」とか「恋愛」とか「子供」に

入れ替えるとわかりやすいです。


全部、同じなのです。




で、なんで新興宗教だけなんですかって訊くと


「だって、殺人や拉致、きっとひいては戦争に・・・」

と言われる。


^_^; どこまで飛躍する・・・(オウムイメージでしょうね


(普通に生きてる人だって時にはとんでもないことするのに)



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(新興)宗教の人は、

それが「いいこと」だと信じているから、そうしています。

企業の人も、そのほかの活動の人も同様です。


ジャンクフードだとか

食品添加物だとか

過激な雑誌とか

人を中毒にさせるゲームとか

タバコとかお酒とか


世の中で「わるい」とされているもの

みんな一緒です。



そして、それを止める人は、

その行為を「悪いことだと信じている」

から止めようとします。


それが、自分にとって

「都合が悪い」だけなのです。

もっと「普通に」という「ふつう」を信じている、

「ふつう教の信者」なのです。


そして、


「ふつう」であることを人に強要し、

「ふつう」でないひとを責め

「ふつう教」に入信するよう強要し、


「ふつう教」の教えつまり

「きちんと、常識的に、礼儀正しく、波風立たずに目立たずに」

を乱すものを徹底糾明し、


「ふつう」にできないものを悲しみのどん底に落とし

「ふつう」でいられない人を、時には死に追いやるのです。


やってることは

もっとひどいわけです。




新興宗教のことを責めるのはカンタンです。


「わたしは、正しい」

「わたしが、ふつう」


という、この考え方が

戦争を巻き起こしていることを

知ってほしいのです。


彼らから見れば

「ふつう教」のひとの方が怖いのです。


集団で迫ってくるのです。

教義を押し付けるのです。

糾弾しようとするのです。



・・・・とはいえ、

そうする「ふつう教」のひとも


それが「いい」と思ってやっています。

宗教の人も、それが「いい」と思ってやっているのです。


見守って

あげてください。


「あなたから」不幸に見えても

「あのひとにとっては」幸せなのです。


それを糾弾する権利は

誰にも、ないのです。



そしてなにより

「何かを信仰し、なにかを盲信している、あの人の姿」は


「ふつうが正しい」

「自分が正しいと思うものが正しい」と信じて疑わない、


「そのためになら何でもする」


「普通にしてないと恐ろしいことが起きるのよ」と


ふつう教を広めようとしている、

ふつう教が正しい、唯一と

信じ込んでいる自分の姿なのです。



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ここでは「ふつう教」と表現しましたが、


さらにきついのが「がんばる教」別名「ちゃんと教」です。



がんばる教の人も

一生懸命布教活動をします。



ひとに、すぐ「がんばれ」って言います(笑)


がんばれ

がんばらないと、大変なことになるよ

がんばらないと、ダメよ


一緒にがんばろ、と

色んな人に


がんばることを推奨し

ときに頑張ることを強要します。


そのぐらいで弱音を吐くな!!

這っててでも会社に出てこい!!



がんばる教の信者になったきっかけは

やっぱり、家の宗教です。



家が、がんばる教や ふつう教 に入信していると

子供も、あたりまえに 毎日教義を聞いて育ちます。


それが「ふつう」になります。

染みつきます。



で、

がんばる と、ほめてもらえる

がんばって、うまくいくことがあると、

「やっぱり」がんばるといいんだ、となります。


で、

がんばるひとを 素晴らしいと思い、

がんばれないひと をバカにしたり、責めたり、見下します。



がんばる教 に入っているのに

その教義通りに がんばれない ひとは


自分を責めます

大きな劣等感を持ちます。


懺悔します。

死んでお詫びします。


となるわけです。



日本人は、特にこの「がんばる教」が多い。


だからこそ、伸びてきた。

だからこそ、休めない、さぼれない、

疲れてても、家庭を捨ててでも働く。


「がんばることで成果」を

あげてきたと信じているから


がんばらないと

成果が落ちると思っているから

休めない。


がんばる

がんばれる


そして突然

ブレーカーが落ちるのです。




僕もずっと がんばる教 に入信し、

熱心に布教活動をしていました(笑)


がんばることが 正しい

がんばることが すべて


がんばる = 褒めてもらえる

がんばる = 成果が出る

がんばらない = 罪


でした。


こんな迷惑な奴、いません((+_+))



だいたい

そもそも


がんばる = 成果


こんなこと、ないです。

確率的には、50%ぐらいでしょうか。


がんばって みんな成果が出るなら

全員大学にも就職にも合格してるし

資格試験にも昇進試験にも合格しているし

全員が金メダルで全員が営業成績ナンバーワンです。

高校野球の優勝校が、出場高校の数だけでてきます。


がんばる ≠ 成果


これを知るだけでも

がんばる教から抜け出せます。





逆に今は、心屋は


「なんかしらん教」です



なんかしらんけど、うまくいく

なんかしらんけど、愛される

なんかしらんけど、楽しい



いままでは


がんばる = 愛される


でもあったわけです。


だから


がんばれない = 見捨てられる


でもあるわけです。


そう「信じ込んで」いた。


だから、

「がんばらない」なんてありえない。




そんな僕が、いまや


「なんかしらんけど教」です。



きっと

何年か前の僕が聞いたら

きっと非難ごうごうでしょう。



「バカか、あいつは」

「ありえない」

「ゆるせん」


でしょう。

うん、


だからいま非難されたり

怒られたりするのもしかたねーなと思います。



だって

真逆なんですもの。




そもそも

そもそもですよ、


うちの奥さんが

「がんばる教」のぼくのところに

「がんばらん教」「なんかしらんけど教」を

持ち込んでのです。


会社員時代の彼女も

「がんばる教」でありました。


でも

「がんばる教」に入信していながら

同時に「がんばれない」でもありました。


それが僕と出会ってから

「がんばれない」が加速したわけです。


で、がんばる教だった僕は

イライラするわけです。


で、がんばる教の教義を

説明するわけです(うざい


がんばる を強要するわけです。



で、

「がんばる教」に入信している彼女にとっては


「がんばりたいのにがんばれない」

という苦しみがあるわけです。


そう、この苦しみは

「がんばる教」に入信しているゆえの苦しみなのです。


だから、抜ければいい。


それは

「もう、がんばる教やめる!!!」


それだけでいいのです。



そして、うちは二人そろって

「なんかしらんけど教」に宗旨替えしたわけです(笑)


そしたらまぁ、楽しいわけです。



荒波を乗り越える生き方から

さざ波にゆられる生活に変わったわけです。

(時に嵐も起きますが)



しかも

荒波を乗り越えて手に入れたものより

さざ波にゆらゆらされている方が


よっぽと素晴らしいものを受け取れるわけです。




でも、

この 宗教を抜けるというのは

結構大変でさ(笑)


色んな抵抗に遭うわけです。

色んな引止めにも遭うわけです。


色んな非難も浴びるわけです。



でも、こんな僕たちを見ていて

「なんかしらん教」に興味を持ってくれた人たちが


ぞくぞく集まってきたわけです。



それこそ

「がんばる教」布教のときの

何百倍もの勢いです。


かつ

布教しなくても

適当に暮らしていたら


「なんかしらんけど」

集まってくれたのです。


そしていま

一緒に遊んでいるのです。



「そうは言っても、相手が、上司が、親が

 がんばる教だとどうしようもないです」


と言われるでしょう。

わかります、でも


かんけーねーです。



「自分が」

そこから抜ける「意思」だけ持っててください。

それ「だけ」でいいです。


わざわざ相手に言わなくていいです。

てきとーにやりながらにこにこしててください。

怒られたらてきとーに謝っておいてください。


「しかたないなー」と

言わせるまでやってください。


そしたら

こっちのもんです(笑)




そして

「流れに任せて、てきとー」にやってください。

「損得」でなく、ものごとを選んでください。


それ「だけ」でいいんですよ。



「なんか知らん教」

たのしーよー。


かーいこく(開国)

してくださーいよー。




「なんかしらん教」の教義は


・損する方を、選ぶ

・がんばらない

・好きなことは夢中になっていい

・やらなければいけないことは何もない

・好き嫌い で選ぶ

・なんとなく で選ぶ


・休む

・依存する(寄生する

・仕事より家庭を優先する(家内安全第一

・お金は出すと増える


・ひらく(いいものも悪いものも出す、入れる)

・勝手に拗ねない、いじけない、強がらない

・ちゃんと、言う

・逃げていい

・泣いていい

・弱くていい、ダメでいい、役に立たなくていい

・罪はない

・誰も助けなくていい


・やりたいことは、やる

・やりたくないことは、やらない

・そのために、一番やりたくないこと(タブー)に向かい合う

 

・自分は、思っているより最低な奴だと認める

・自分は、自分が思っている数千倍素晴らしいと信じる

・だから長所はのばさなくていいし、短所もそのままでいい

・なにかを「しよう」としなくていい

・自分最優先(誰かのために、よりも自分のために自己満足でやったことが、結果として一番人の役に立つ)

・我がまま、気まま、子供のように

・踊るあほうになる

・どうせ、愛されている

・なんかしらんけど、うまくいく



こんな感じです(*^_^*)



そう

全部「がんばる教のタブー」なのです(*^_^*)


そう

僕が「がんばる」で自分を鍛えている間に

同時にこんな素敵な世界が「あった」のです。


この「前提」で がんばると

むちゃくちゃ楽しいのです。




そう

がんばる教のあなたの近くに、こんな教義をもった

あなたをイライラさせる「なんかしらんけど教」の人がいるはずです(*^_^*)


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