2009-10-30 11:43:16

息子に先立たれた友人への手紙 ~私の死生観と信仰告白~

テーマ:エッセイ

息子に先立たれた友人への手紙  

       ~私の死生観と信仰告白~


                       理事長 太田 貴之


 携帯メールの着信音が鳴った。携帯電話

何気なく目を落として驚愕した。

高校の同期会幹事のAからで、某新聞社に勤務する

クラスメートBの高校生の一人息子が交通事故で

亡くなったとのことだった。

どんなに辛い思いをしているかと思い手紙を書いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


前略

 B君、この度は本当に御愁傷様です。

A君から訃報を受けた時、大変な衝撃を受けました。

君がどんなに辛い思いをしているかと思うと、いても

立ってもいられなくなり、電話をしました。

「もう頑張れない」というきみの言葉を聞いた時、大変辛い

思いをしているという事が分かり、ペンを走らせている次第

です。

 僭越とは思いますが、僕自身が現在の死生観を得た

経緯その際の経験をお話させていただきます。

 10歳の時ある夜、可愛がっていたカメカメが死んで

しまいました。

非常に不安な気持ちにかられ、母に尋ねました。

「ゲンちゃん死んじゃったね。僕もいつか死んじゃうよね。

                  死んじゃったらどうなるの?」

母は優しく僕の頭を撫でながらこう言いました。

「貴之ちゃんより、ママの方が早く死んでしまうんだから、

             そんなことは気にしなくていいのよ。」

その母の言葉に、決して納得することなく、その後も

「人間は死んだらどうなるんだろう?

         人間は何のために生まれてきたんだろう。」

という疑問を抱き続けました。

 1990年4月から2年間、ロサンゼルス近郊にある大学

マリンダ大学骨代謝部門に、postdoctoral fellowとして

留学しました。

日中は、研究室で骨代謝の研究をする傍ら、夜は

community collegeのスピーチ講座と随筆講座を取って、

native speaker達と一緒になって講義を受けました。

スピーチコンテストで賞を頂いたり友達もたくさんできたり

しましたが、会話が聞き取れるようになるにつれて人種差別

をされていることが分かり、悔しい思いをしたことも多々あり

ました。

そんな生活の中での楽しみの一つが、一週間に一度

ロサンゼルスにあるlittle Tokyoに日本食などを、ドライブ

車がてらに買い出しに行く事でした。

 ある日、little Tokyoの紀伊国屋書店で「永遠の法」という

一冊の書籍を手にとりました。

読んでみると、死後の世界とそこでの生活のことが具体的

に書かれていました。

その当時、人間は死んだら全て消滅すると固く信じていた

ので、非現実的な空想を語っているのだろうと思っていま

した。

その後その書籍の著者には、「太陽の法」、「黄金の法」、

「イエスキリスト霊示集」など多数の著書があることが

わかり、一つ一つ読破して行きました。

いろいろなことが分かりやすく述べられていたけれども、

その論点は以下の点に要約されます。

 ①人間の生命(意識)は肉体が消滅した後も永遠に

存在する。

 ②人間は、この世とあの世という世界を輪廻転生を繰り

返しながら、様々な経験を経て成長していく。

 ③人間にとって、この世とは修行の道場のようなもので

あり、この世の生活を通していかに正しく生きていくかが

問われている。

そしてその生き様の中で培われた精神の高下により、来世

行くべき世界が決まる。

 ④人間がこの世に生まれてきた目的とは、いかに多くの

人々を幸せにできるかということである。

 ⑤一生のうちで善行よりも悪事を多く働いた場合、地獄

いう世界で心の修行をしなければならない。

そして反省して改心した後、ある期間を経てから天国へ

ことができる。

⑥人間は未熟で不完全であるが故に、過ちを犯すことも

ある。

しかし反省をして償いをすることにより、人生をやり直す

こともできる。

 本一冊一冊読破するにつれて、次第に幸福感に心が

満たされていきました。

そこには10歳の時から疑問に思っていたことが、分かり

やすく延べられていたからです。

そして誰に強要された訳でもないのに、この素晴らしい概念

を多くの人々に伝えたいという思いが強くなっていきました。

「太陽の法」、「黄金の法」、「仏陀再誕」、及び

「イエスキリスト霊示集」の英語版を数百冊購入し、

研究所の教授、医師、大学の友人、ご近所の方々に、献本

をしていきました。

 そんなある日ソファに横になって骨代謝の文献を読んで

いた時、突然何者かに首を絞められたのです。

もがいてもがいて、ようやくの思いでその手を払いのけて

跳ね起きてふとソファの方を見下ろすと、ソファの床面から

延びてきた真っ黒い手バイバイに首を絞められて苦しそうに顔を

歪める自分自身の身体が見えました。

自分の意識は、丁度、天井のあたりから自分の肉体を

見下ろしていたのです。

激しい怒りの感情が湧き起こり、その黒い手バイバイにつかみ

かかり、床から引っ張り出そうとした時、その黒い手手

ズルズル~と床の中に消えていきました。

そして次の瞬間、ふっと我に返ってソファに横たわって

いました。

な、なんなんだ、今のは?ショック

        今の現象は夢だったのだろうか?

 いや、意識ははっきりとしていた。

 夢ではなくて現実に起こったことだ。

 あの黒い手は神なのか?

 いや、突然首を絞めるとは、

        神にしては手荒過ぎる。・・・・・・・・・・・・・!

 そういえば最近した特別なことと言えば、英語版の

 幸福の科学の書籍をたくさん献本したことだ。

 あの書籍の内容は道徳的に見ても正しい内容で、人々

 を幸せにするものだ。

 もしかするとあの黒い手の主は、書籍に書かれている

 概念が世の中に広まることを好ましく思っていないのでは

 ないか。

 人の首をいきなり絞めるような蛮行をすることからしても

 悪なる存在に違いない。ということは、「幸福の科学」と

 いうのは善なる集団、善なる光の勢力に違いない。

という考えに至りました。

と同時に短時間ではあったが、自分がいわゆる幽体離脱

をしたということがわかったのです。

 B君、息子さんは決して消滅したのでもなければ、永遠の

眠りについた訳でもありません。

この世に生きている我々とは自由にコンタクトは

取れませんが、彼はあの世という霊界世界で明らかに

存在し生活しているのです。

そして悲観にくれる自分の愛する父親を見つめながら、

一日も早く立ち直って欲しいと願っているはずです。

我々が息子さんのいる世界に行くまでに、一般の平均寿命

を考慮に入れるとまだ二三十年が残されています。

医療と報道という、歩んでいる道は異なる我々ですが、

息子さんと笑顔で再会するためにも、人生の目的、即ち、

この世で如何に多くの人々を幸せにするかということに、

残りの人生において積極的に邁進して行こうでは

ありませんか。

 学生時代、マルクスの唯物史観の書籍を読んでいると

語っていた君にとって、神仏や宗教は全く異質の概念で

あると思います。

しかし取りあえず一つの情報として、同封した書籍

「生命の法(いにちのほう)」を一読してみて下さい。

必ず君の心に幸福と希望をもたらし、逆境から脱失

する一助となることを確信しています。

一日も早くお元気になられることを心より念願して、

ペンを置かせていただきます

                             草々


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 この手紙を送った数日後、彼から返事が届いた。

「にわかには信じがたい話ではあるが、もしも息子と再び

会えるのであるならば非常に嬉しい。

絶望の闇の中に一条に光が射したようだ。

これからは息子との再会を楽しみにして生きていく。

しかし申し訳ないが、同封してくれた書籍には現時点

では興味は持ち得ない。

医師は多忙だと思うが、気が向いたら桜桜でも見に来て

欲しい。歓待する。」という趣旨が書かれてあった。

唯物論者である彼ならば、きっと息子さんとの死別を

永遠の別れと思って嘆き悲しんでいるのだろうと思った

私の考えは的中した。

私の手紙が彼の苦しみを少しでも和らげることが

できたと思い、私は嬉しくて目頭が熱くなった。

 2008年の読売新聞社による日本人の宗教観に関する

世論調査によると、宗教を信じていない人の割合は72%

で、信じている人の26%を大きく上回った(ちなみに

欧米諸国では、この比率はほぼ正反対である。)

 このように宗教を信じていない日本人の割合が大多数

を占めるのは、戦後教育の中から宗教教育を完全に

排除してきたことと、新興宗教の中に、オウム真理教、

統一教会、あるいは創価学会などといった自分たちの

目的達成のためには手段を選ばず、反社会的な行為を

なしてきた一部の宗教団体のために、世間が宗教それ

自体をうさんくさいものと考えるからだろう。

 幸福の科学で学んだ死生観を持って以来、そしてあの

不思議な幽体離脱の経験をして以来、死後の世界の

存在が肌で分かり、死に対する恐怖心がかなり払拭

された。

そして葬儀の際の僧侶の説法に於いて、永遠の別れと

思って悲観にくれる遺族に対して、

例えば、「故人は、皆様の心の中で生き続けるのです。

皆様ほ故人の分も、これから残された人生を前向きに

生きていかねばならないのです。」というように、死後の

世界を説かずに単なる道徳論で終わってしまう説法には、

「そんな説法では、遺族の愛別離苦の苦悩に対して

抜苦与楽をしていないではないか!」と批判的な眼を

向けてしまう。

 「幸福の科学の教えはあんなに立派なのに、

             貴之さんって全然ダメじゃない!」

夫婦げんかをした時、よく妻が私に投げかける言葉である。

確かに未熟な自分ではある。

しかしながら自分自身の内面を客観的に見ると、

幸福の科学の概念を学ぶ以前の自分と比べると明らかに

改善されている。

これからもいかなるときもこの信仰をしっかり握りしめ、

人がこの世に生まれてきた意義を思い起こしながら、

この世を去る最期のその日まで一歩一歩前向きに

歩んでいきたい。







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2009-03-09 10:13:44

病は人生の重要な転機

テーマ:エッセイ

癒しの処方箋          200年(平成12年)5月28日



病は人生の貴重な転機 目

                      舘 有紀



 病の持つ意味というものを、ここで考えてみたいと

思います。

 精力的にばりばりと仕事をされていた方が突然

病気になり、仕事を抱えているというのに、急に

入院病院を強いられることがあります。

非常にご本人もお辛いようで、「一日も早く治して、

復帰させて欲しい」と、主治医の顔を見るたびに懇願

される方も少なくありません。

 退院したい理由の一つは、仕事であることが大部分

です。

「私がいないと、あのプロジェクトは失敗する」と

よくおっしゃられます。

しかし客観的に見ると、意外に会社では何とかなって

いるという事実があるように思います。

 これは結構、悔しいです。悔し泣き

悔しいけれどもそれをしっかりと認識した上で、更なる

発想の転換をお勧めします。

 まず第一に、病を休息の時間だとお考えになって

みてはいかがでしょうか。

夜も寝ないでオーバーヒート気味に、過労寸前まで

働いている方に対して、少し休みなさい、という意味を

込めて病になるのだ、と考えることもできます。

このまま走っていたら、本当に過労死してしまうかも

しれない、と身体が感じると、病という手段を使って

休ませる法則があるようです。

 これを身体からのメッセージメールだと受け取り、素直に

休息を取ることです。

病にならなければ、そのまま天寿を全うできなかった

のかもしれないと思うことも必要です。

中道の道を進みなさい、バランスのとれた生活をしなさい、

という一つの天意なのかもしれません。

 入院を強いられ、そのように突然に降って湧いたような

時間を与えられると、外へ外へと向いていた心が、

ごく自然に内面に向いてきます。

これは長い人生においては、非常に重要な転機と

なります。

仕事仕事と思っていたけれども、自分一人くらい

いなくなったところで、会社にはそれほどの影響を与え

ていないことに気付き、「じゃあ私は一体、何のために

頑張ってきたのだろうか」というそれこそ根源的な問いを

突き付けられるのです。

 何のために、頑張っているのでしょう。

会社のためですか、それとも家族のためでしょうか。

その答えを探究するために、病という形で己の心を

見つめる時間を与えられているのかもしれません。

 そして心が内に内に向いてくると、それまで視界に入って

いなかった他の人の存在に気付き、そして自然に人の心を

知るようになるのです。

人の優しさ、人から頂いた愛情、そして生かされている自分

を知るのです。

朝がきて、ご飯を食べ、愛すべき家族がいるということが

これほどまでに幸福だったのか、ということです。

この気付きは、非常に重要な意味があると思います。

 人生においては、病は一つの大きな挫折であり、また

試練の時期ではありますが、発想の転換をして、

「これは人生の煌めきの瞬間である、本当の意味で

人間になれる重要な時期なのだ」ととらえてみては

いかがでしょうか。

そのときにじたばたして、愚痴や不平不満の思いを出して

苦しむよりも、ぐっと堪えてこの病」の持つ意味を

沈思黙考し、病を言い訳にしない潔い人格をつくりだす

ことが、後々に大きな力を持つと思います。

病に利点があるとするならば、こういうことなのでしょう。

 そのときに学んだ足ることを知る生活と、内省的な時間、

一人坐すという沈黙の時間を一日のわずかでも取り入れ

ていくことが、病の克服の後、成功していくためのよき

習慣であろうと思います。

病を通して、不規則な生活や心の歪みを改め、人生の

軌道修正をし、素晴らしい未来が展開されることを

心よりお祈りいたします。





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2008-09-05 10:05:36

深い悲しみ超えて愛の想い

テーマ:エッセイ

癒しの処方箋     200年(平成12年)5月14日



涙  深い悲しみ超えて愛の想い クローバー

                   舘 有紀



 「すみません、痛がっているので、                    

              痛み止めを お願いします注射

 この言葉を、私は何度繰り返したことでしょう。

前回のエッセイにも書きましたが、医学生時代に母を

肺癌で亡くし、その最期の数週間を末期状態で苦しむ

母と共に過ごしました。

すでに意識は低下しておりましたが、夜間に麻薬の

効果が薄れ、苦しみ始めると、その都度、痛み止めを

要求しました。

短い時には、二、三時間で一本使っていたように思います。

夜間のナースコールはなかなかナースナースの耳には

届きません。

多くの患者をたった二人で管理している状態でしたから、

真夜中ずっと忙しく飛び回っており、ナースステーションに

いることは稀でした。

私はすでに電気が消え、非常灯のみ薄暗くついた廊下を

耳を澄ませて歩きながら、巡視中のナースを探し出し、

注射を求めました。

 注射は金庫に厳重に管理されている麻薬系統の

薬なので、頼んでから実際に注射し、その効果が

出てくるまでに、長い時間がかかりました。

もう少し無駄のない疼痛管理はできないだろうかと

思っていましたが、あの頃はそれが一般的でした。

眉間に皺を寄せ、苦しんでいる母の顔をじっと

見つめながら長い時間を耐えたあの日が、まるで昨日の

ことのように思い出されます。

 そのときに私は、一つのことに気付きました。

時間というものは、人によってその流れる速度がどうも

違うようだ、と。

喜怒哀楽という感情、痛みなどのさまざま感覚、それらが

複雑に組み合わさって決まってくるのではないだろうかと

思ったわけです。

 脊椎に癌が転移し、呼吸をするという当たり前の動作でも

激痛が走り、更に呼吸苦もある母の十分間と、注射を依頼

されてから実際に注射を持って来室するまでの健康な

ナースの十分間には、明らかに差があると感じたのです。

病を持つ人間と健康な人間の立場の違いを、明らかに

浮き彫りにしていました。

健康人は意識しないその時間の差が、医療を受ける側に

とっては、どうしようもない悲しみに満ちていました。

 しかしそれから一定の時間が経って、見えてきたことが

あります。

時間の流れというものは、深い悲しみを確実に癒す力も

備わっているようだ、と。

しかしそこには、一つの条件というものがあるのです。

そのときの悲しみややり場のない怒りを、心の中に溜めて

おかない、ということです。

過去を、まるで昨日のことのように思い出し苦しむという

ことは、一つの執着です。

それを思いとどまって、時間の絶えまない流れのなかで

浄化していくということを心掛けてみる、これもある意味での

観の転回です。

 苦しみも悲しみも、その渦中にあっては大変なことの

ように思われるでしょうが、永遠の時間の流れから見れば、

それはほんの一瞬です。

永遠に続くものではありません。

それにとらわれ、例えば人を恨み、永遠に苦しみが

続くかのように思うその心こそが、悲しみに満ちています。

悲しみは必ず優しさに転化していきます。

悲しみは、人の心をが分かるための、砥石(といし)としての

役割に変わります。

 苦しむ母につきそっていたあの光景は、今でも鮮明に

思い出されますが、私はそこに今、深い悲しみを

越えたもの、例えていうなら、愛の想い、を感じ始めています。

母を、私を、そして懸命に努力して下さった医療者を、

私たちの人生を、そして過去も現在も未来も包み込む

ところの圧倒的なる愛の大河を感じます。

 時間とは、発展という要素をも含む、大きな愛に満ちた

概念であろうと私は思います。

とらわれることなく、この大いなる永遠の時間の流れの

なかで、悲しみも苦しみも、少しず癒されますことを、

心からお祈りしています。






 







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